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神話『ブルーポールズ』

【第3巻】-                                                

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 一方、バルマン師の一座は次第にマドラの都で認められるようになり、さまざまな行事に招かれるようになった。そんな中、都の中央神殿で行われる秋の大祭での演奏の依頼が舞い込んできた。パキゼーも楽座の一員として参加することとなった。

 その日、楽器を携えて一座の者たちとともに神殿に向かうと、広い参道の両側にはさまざまな出店が並び、道は参拝者らでごった返していた。砂糖をまぶした甘い焼き菓子を売る店、サトウキビを売る店、色鮮やかな模様の入った飴を売る店、子供たちのための玩具を売る店、くじを売る店など、さまざまだった。子供たちは歓声を上げて走り回り、的を狙って矢を射る遊びやたらいの中の金魚をすくい上げる遊びに興じていた。さまざまな土産やお面、さらには縁起物の飾りなども並んでいた。

 そんな参道を通って、きらびやかに彩色された布がかけられた石組みの大きな門をくぐると、香を焚く匂いがあたりに立ち込めていた。さまざまなありがたい文句を刻んだ華麗な石造りの円柱やけばけばしく彩色された神々の像が立ち並び、壁には神話のさまざまな場面を描いたレリーフが続いていた。

 バルマン師の一座は、たくさんの人々が詰めかける中央広場の一角に陣取った。儀式の開始を告げる響きをバルマン師の一座が奏でると、神の仮面をかぶった者たちが現われ、音楽に合わせて神々に奉納する荘厳な踊りを踊った。不気味な形相のお面をかぶった者が荘重な音楽に合わせて舞う姿は美しくもあり、青い空からさんさんと降り注ぐ秋の光の中に照り映えていた。

 奉納の舞いが終わると、詰めかけていた人々はバルマン師一座の前に置かれている箱に思い思いのお金を投げ入れてから奥の神殿へと進んだ。

 そこでは人々のさまざまな会話が聞こえてきた。

「今年は豊作でありがたいことよのう。」

「おお、まったくじゃのう。それにおまえさんのとこじゃ、二人目が生まれて良かったのう。」

「まあ、そうじゃが、食い扶持が一つ増えたけえ、たいへんじゃわ。じゃがまあ、おまえもそろそろ嫁をもらわんとのう。」

 愚鈍な顔をした農夫たちの会話だった。

 その日の帰り道、バルマン師と共に歩いていると、普通の神殿とおもむきの違う神殿が目に付いた。あでやかな彩色は皆無で、ただ灰色の寺院であった。

 パキゼーはバルマン師に聞いた。

「ここは他の神殿とは様子が違いますが、どういう神殿なのでしょうか。」

「なんでも新しい神を祀っておるらしいがな。興味があるなら、覗いてくるといい。」

 バルマン師にそう言われて、パキゼーはひとり一座から離れてその神殿に入った。中はがらんとしており、人はまばらだったが、白い衣をまとった祭司が何人かいた。神の像はどこにもなかった。

 おりから、中年の女が祭司に語りかけた。

「ここでは、御符はどこで売っているのかのう。」

 祭司は頭髪を剃っていない若い男だったが、毅然として答えた。

「真の神はまじないも奉納物も生贄も求めない。だからそのようなものはこの神殿では売っていない。」

 それを聞くと、女は呆れたように言った。

「なんともおかしな時代になったもんよのう。羊や牛の肉を捧げる人が誰もおらんとなっては、あんたがたはうまいもんがなんも食べれんじゃないかい。今までの神殿の祭司様は、楽な暮らしでよく太り、てらてらしておいでじゃが、これじゃあ、あんたらの神様が偉いといくらあんたらが言うても、とても信じれんですけえ。」

 だが、祭司は落ち着いて答えた。

「だが、この神こそが真の神ですぞ。いまに、古い偽の神々の高御座は覆り、その神殿は崩れ落ちることでありましょう。」

 すると女はあわてて飛びずさり、ペッと地面に唾を吐きかけて叫んだ。

「そんなことを言うたのはあんただよ。私じゃないからね。ばちでも当たるといいよ。」

 女がそそくさと立ち去って行くと、パキゼーはその祭司に近づいて問いかけた。

「この神殿には神の像がありませんが。」

「お若い方。その通りなのです。この神は唯一の真の神であり、真理と光によってのみ顕現されるのです。その神の御心はあまねく世界を覆っており、この神にとっては、富者も貧者もすべて平等であり、その愛はすべての人々に分け与えられるのです。それゆえ、この神は像によっては表しえないのです。逆に、古い偽りの神々はみな偶像なのです。」

 たしかに、旧来の神に大きな疑問があるのも事実だった。旧来の神に依拠する祭司勢力は巨大な権力を有し、祭司の協力なしにはこの国ではなにごとも始まり得なかった。さらに、裁判所で不利な判決を受けた者が、賄賂を持って祭司に訴え、判決を覆させるというようなことも聞いたことがあった。

 つい先ほど中央神殿で見た光景の一つも思い出された。庶民が晴れ着を着込んで幼い子供を連れ、我が子の将来のために祈禱を挙げて貰うべく訪れている姿だった。人々は聖油を塗った祭司に祈禱をあげてもらうため、祭司に差し出す金品を携え、ただただ頭を下げて神殿に上がるのだが、祭司は冷たい顔で金品を受け取り、わずかな祈禱を唱えてそそくさと奥へ引っ込むのだった。

 それに対して、この新しい寺院の祭司は清廉であり、真摯な神の道を教えているのかもしれなかった。そして、このような宗教が、今、世に興っているたくさんの新興宗教の一つなのだとパキゼーには理解できた。だが、祭司が一方的にパキゼーに対して語る言葉を聞くうちに、この宗教も所詮、愛や正義を装って人の心に忍び込み、人の心に慰安を与えることによって成り立っているにすぎないということがパキゼーには理解できた。

「神の愛こそが真理の源泉なのです。その神に仕え、その神の愛に触れる者こそ幸いなるかな。」

 そう祭司が語る教えは以前の神とは違っているのかもしれない。だが、結局、求めているもの、目指しているものは、現世の中での幸せであり、平安であるにすぎないのだ。そして、その司祭は、自ら真理への道を探求し真実を見出そうとしているのではなく、ただ、これが神の道と教えられたものを半ば盲目的に受け入れ、それによって、自らの心の平安と世の人々にそれを流布する使命を得て、心満たされているに過ぎないのだ。どこに真理があるかと問いかけ、真なるものを極めようとするパキゼーの道とは本質的に相容れないものに過ぎなかった。

 

 それからしばらく経って、パキゼーがマドラの街で楽器を奏でていると、道端に腰をおろしていた老人がパキゼーに近づいてきて語りかけた。

「お若いの。なかなかの音楽じゃな。」

 賢者の相を備えた老人は次のように続けた。

「古来、我らはそれぞれ固有の歌をもっていた。固有の踊りも持っておった。だが、今、世界は沈みつつある。人々は貞節を失い、男女の欲望によって世界がうごめいている。夜の時代が始まろうとしている。」

「それはどういうことですか?」

 パキゼーが聞き返すと、老人は続けて言った。

「古来より、我らは自然との調和の中で生きてきた。そしてまた、神々との調和の中で、あるいはヴェーダの理念の中で生きてきた。しかし、今、人々はかつて安住した心の故郷を喪失し、自己の本来の基盤から遊離して無の上を漂っている。人々はもはや神と一体化した全体の中に自己を定位することができず、まどろみと混沌の中に落ち込んでおる。そのため、若者たちは皆、己の感情をぶちまけるだけのただの騒ぎに身をやつしておる。」

「私はただの学生ですが、この都に来て以来、同じように思っておりました。これに対してどうすればよいのでしょう?」

「それは残念ながらわしには分からぬ。わしには道は開けていない。だが、道はきっとある。人々が自らの存在の根源を改めて凝視し、本来の自己存在に回帰する道を見出さねばならないのじゃ。」

「聞くところによりますと、今、世の中には幾多の新しい道、新しい試みがあると聞いています。それでは駄目なのでしょうか?」

「それもわしにも分からぬ。それを試してみるのも、学んでみるのも良いだろう。だが、ひとつ言えることは、最後はおまえ自らが道を開かねばならないということじゃ。昔の神々は既に死んだか、あるいは死にかけている。人々は新しい神話を求めているが、それがどんなものになるかは誰にも予測できない。なぜなら、新しい神話は、ただ考え出されて外界に投影されるのではなく、誰かの心の内面において経験されることによってのみ創生されるからだ。」

 この老人との対話は、パキゼーにひとつの啓示を与えた。この世の表層を覆っているものどもには本質的に重要なものは何もない。パキゼーが求めているものはそこにはなく、真理へと行き着く道もそこにはないのだ。

 そう悟ったパキゼーは世の中の喧騒を嫌い、ひたすらに真理を追い求め、ヴェーダの詩句に没頭し、哲学的思索に耽り、そして究極の音楽を捜し求めた。

 パキゼーは何度となくバルマン師と問答を繰り返した。

「人は何のために生きているのか、目標は何か、目指すべきものは何か、そして目指しているものは何か、何が価値であり、何が尊いものであるのか、それが私には分かりません。この人生の中のどこに真なるものがあるのか、ほんとうに為すべきものは何なのか、それが私には見えず、私の目の前には混沌とした現実だけが横たわっています。」

 バルマン師は諭すように答えた。

「だが、パキゼー、まず現実をあるがままに見ることだ。人はただ生きている。自明のこととして生き、また、単に欲望に従って生きている。食欲や快楽への欲望などだ。そしてまた別のときには、彼らは彼ら自身の目標を持ち、それを意識するかしないかは別として、また、それを語るか語らないかは別として、ともかく目標を持っている。あるいは人生における価値の基準、これがすばらしいこと、これが大切なことという基準を持っている。」

「たしかにそうかもしれません。それを多くの立派な先生が日々語っています。過去の偉人の偉業について、困難を乗り越えて成就させたことどもを語っています。また別の先生は、愛について語ります。人への愛について、人類への愛について、そして大地への愛について。しかし、私にはそれらの根本的価値が分からないのです。」

「そのとおりだ。すべては人生の情景の中で心に美しく映ずるもの、心に染み入るもの、偉大だと思えるものを尊んでいるにすぎない。決して現実をその根源において凝視することによって人生の目標や価値を導き出しているのではない。そして人々は人生の中にあるものに執着し、その本質的な意味を問うこともなく生きている。」

「分かるような気がします。そして、人々は存在の意味、この世界の意味を問おうともせず、ただ、人生の中の喜びや悲しみに捉われて生きています。」

「その通りだ。人は金のこと、牛のこと、邸宅のこと、家族や子供のことなどで喜び憂い、心を軋ませて生きている。だが、いいか、パキゼー。真理は現実の中にある。だが、その現実とは、決して我々が日々目にしているこの目の前にあるもののことではない。現実とは、我々を取り巻いているこの世界の真の本質のことだ。そして、その我々を取り巻く現実を凝視することからすべての道は始まる。決して我々の人生を人生という狭い偏狭な場においてのみ覗き込んで判断してはならない。それでは決して真理には行き着かない。」

「それはどういうことでしょう?」

「世の人々はどうやって生きているか。それを人生という偏狭な窓からではなく、この世界の真の本質から見ることだ。さすれば、人々はある意味、幻影の中で、幻影に縛られ、幻影に心躍らされて生きていることが見えてくるだろう。そして、真理はその外にあり、真音はその外の世界で鳴り響いているのだ。」

「先生の音楽はその道を顕現しているように思えますが。」

「そうかどうかは分からない。目指してはいるがな。音楽というものはしばしば人を興奮させ、感動させる。けれど真の音楽はそうではない。真の音楽は心を鎮め、心に静謐をもたらし、心を沈思へと導く。音楽は静謐の領域への導き手となるのだ。」

「私には先生の音楽はこの人生の向こう側にある真の現実の中で音が鳴っているように思えます。」

「人生という平板な領域の向こう側に、膨大な時間と無限の空間とそして真の宇宙の相があるのだ。その中で己の存在自身を思惟し、その中で真理を究めること。わしは音の世界でそれを目指してきた。だが、同時に限界も感じている。パキゼー、わしがおまえに哲学を学ばせているのはそのためだ。音楽だけでは世界を突破できない。だから哲学を学ぶのだ。」

 しかし、パキゼーは納得できない様子で反問した。

「その哲学はほんとうにすばらしいものでしょうか?私には哲学も先生の言われる狭い人生の領域の出来事に基づいて思惟し、人生に束縛されたものを目標としているようにも思えてなりません。」

「そう思えるのも無理はない。世に流布している哲学が答えを与えはしない。おまえはそれを学び、それを破り、新しい哲学を開かねばならない。その新しい哲学はわしの音と調和すると信じている。だが、その哲学がどんなものかわしには分からない。道を行き、道を開くことだ。この世界を踏破することだ。世界の内でのもののための哲学ではなく、世界の外に踏み出て真の現実に立った哲学が必要なのだ。そこにしか道はない。世界の内にまなざしが留まっている限り、いかなる真の道も開かれ得ない。」

 

 こうしてパキゼーはますます哲学の勉強にいそしんだ。同じ学舎で学んだ者たちは皆卒業して次の道に進んだが、パキゼーは大学へと進んで学究の道を目指した。

 一方、友人のシュリナムは卒業と同時に、父の寺院に帰っていった。シュリナムは都を離れるとき、パキゼーに語った。

「今まで言ってなかったが、実はぼくは捨て子なんだ。」

 この言葉にパキゼーはびっくりしたが、シュリナムは落ち着いて続けた。

「ぼくの両親には子供がいなくてね。それがある日、川で小さな葦舟に乗って流れてきたぼくを拾ったんだ。」

「じゃあ、本当の両親は分からないわけなのか?」

「ああ、だけど、君も知っているだろう。要らない子供を舟に乗せて流すのはよくあることだ。子供を養えない貧乏人も子供を川に流すし、旅に出た夫の留守中に裕福な人妻が姦通の子を流すのもよくある話だ。だけど、ぼくの両親は敬虔にも、神からの授かり物としてぼくを大喜びで拾い上げてくれたそうだ。今でも、ぼくを乗せていた葦舟が残っているけど、瀝青で塗り固められた代物でね。だから、本当の母親は、富裕層の女だったんだろうと思っている。」

「ともかく、その育ててくれた両親の元に帰り、寺院を継ぐということだな。」

「ああ、これがぼくの人生だからね。育ててくれた両親はぼくをかわいがってくれて、こうして都の学校にも行かせてくれた。でも、ときどき思うのは、ぼくはこの世界で見捨てられた存在、まったくの異邦人、どこにも真の寄る辺のない流浪者だというだよ。ぼくの故郷の街は隊商の行き交う商人たちの街で、異邦人も溢れているから、ぼくの出生にはそんな異邦人との顔を背けたくなるような破廉恥な秘密があるのかもしれない。そして、この世界では神が崇められているが、それと真理がどう交わるのか、ここで学んでもぼくには分からなかった。都の繁栄も王国の繁栄もぼくの本質にとってなんら本質じゃない。霊魂の不滅なんてのも願い下げにしたいね。ぼくの人生は、結局、この大地の上で浪費されるだけだ。だから、父の後を継ぐことが真理を探究することとどう交わるのかもぼくには分からない。おそらく、その二つは別の道だ。だけど、ぼくは父の後を継がなくちゃならない。寺院での祭祀を人々が求めている以上、それがぼくの道ということだ。でも、真理を探究するという心だけは忘れないでおくよ。」

 それはパキゼーの道がもはやシュリナムの道とは交わらないことを意味したが、お互い、それぞれ自らの道を行くほかないのだ。

 

 パキゼーが進んだ大学ではさまざまなことが教えられた。宗教や哲学だけでなく、数学や医学、薬学、さらには天文学やさまざまな商取引のことまで教えられた。この大学には、祭司や高僧の子弟だけでなく、金のある貴族や商人たちがその子弟を送り込んでいたからだった。

 子弟たちの目指すものは将来の高い地位や安定であったが、彼らはたっぷりの金品や進物を持参し、それによって、試験の結果に手心を加えてもらったり、遊郭をうろつくなどの私生活も大目に見てもらっていた。だが、パキゼーはただただ大学に通った。真実を学ぶことだけが目的であったからだった。だから、パキゼーは一人の友人も持たず、孤独に学業に励み、しばしば大学の図書館に籠もって、膨大な量のヴェーダの巻物を読み続けたのだった。

 

 しかし、平穏な日々ばかりではなかった。ある時には、戦争があるということで、街中に緊張が走った。槍の穂先をぎらつかせた部隊が物々しく隊列を組んで城を出ていった。

 しばらくすると、勝利が伝えられ、街中に興奮がみなぎった。いたるところで歓声が上がり、人々は誇らしげにこの勝利のことを語った。

 だが、町の隅では、戦争で倒れた者たちの棺が次々と運び込まれ、悲しみに打ちひしがれた人々も少なくなかった。夫を亡くした妻の嘆き、子供を奪われた親の悲しみがいたるところで聞こえた。しかし、それも勝利に沸く都の中では掻き消されずにはいなかった。

 バルマン師は言った。

「人々は勝利を喜び、ジャナカ王はこの勝利を誇っている。しかし、力による支配には限界がある。真実の平和は心の内にしかありえない。音楽は人々を戦いに駆り立てることもできる。また、享楽の中に没頭させることもできる。安らぎを与えたり、興奮させたりすることもできる。だが、音楽の本当の姿は、そんなものではない。音の根源に迫ること、それは世界の深淵に迫ること、存在の本質に迫ることに他ならない。その世界の深淵、存在の根源で鳴っている音に耳を傾け、その音を釣り上げること、それが真の音楽家のなすべき道だ。」

「私はまだ真の音を釣り上げることができておりません。真の音はどこにあるのでしょう。」

「パキゼー、前にも言ったが、それは音楽の中には決してない。そのことを理解することだ。世界は多様なもので満ち溢れている。その多様なものに心を開き、その根源に潜んでいるものを見なければ、真の音は釣り上げられぬ。理を重んずる白日の下の精神領域から、夢を生み出す意識下の暗黒の淵の底へ心の重心を移動させなさい。そうすれば、世界を貫いている真実の脈絡が心の眼前にくっきりと現れてこよう。それが真の現実、すなわち真理だ。真理とは現実をありのままに見ることによってのみ見られうるのだ。真の現実を直視することなくして、いかなる道もない。」

 そんなことを話した次の日、バルマン師は唐突にパキゼーに言った。

「今日は、ディヤスのところに行こう。ディヤスのことを知っておるか?」

「あの英雄的な戦士のディヤスですか?」

 ディヤスはこの都でその名を知らぬ者はないほど有名な戦士で、前王プラタルダナの親衛隊に属して遠征し、その英雄的な奮戦によって王自らディヤスを讃える黄金の鎖をその首にかけたという話は今なお語り草になっていた。

「ああ、そうじゃ。そのディヤスじゃよ。真の世界を知るには、彼の話を聞くのも良かろうと思ってな。」

 そう言うと、バルマン師は黙ってパキゼーをついてこさせた。バルマン師はどんどん進み、この都の中でもっとも貧しい人々が住む区画に踏み入った。汚いなりで走り回る裸足の子供たち、裸の乳房をさらけ出して赤子に乳を与えるすさんだ顔の女、手持ちぶさたに小屋の前をたむろする不機嫌そうな男、小屋の外で昼寝をする老人。それがこの区画の光景だった。

 バルマン師は一軒の泥小屋の前で立ち止まった。

「ディヤスはおるかね。」

 バルマン師がそう声をかけると、老人が杖にすがって這い出るように出てきた。左足は膝から下がなく、顔は皺だらけで萎びきっており、粗末な服は泥にまみれ、頭も埃にまみれていた。

 この惨めったらしい老人がディヤスなのか。英雄的な戦士として並び立つ者もないほどの栄誉を手にした戦士がこの老人なのだろうか。パキゼーはそんな驚きを抑えきれなかったが、老人はバルマン師を見ると皺だらけの顔をさらに皺くちゃにして言った。

「おお、これはバルマン先生。この前は、うまい酒をごちそうになりましたな。先生のような高貴なお方が来られるのは歓迎ですよ。なんのおもてなしもできませんけどな。」

「今日も酒と肴を持ってきた。うちの若い者に英雄的戦士ディヤスのことを教えてやって欲しくてな。」

 バルマン師はディヤスとともに泥小屋の前に座り込むと、器をディヤスに渡し、その中にもってきた酒を注ぎ入れた。ディヤスは棕櫚の葉で顔や酒から蠅を追い払って酒に口を付けた。

「うまい酒じゃな。わしらが飲む水で薄めた薄いビールとは違うわい。」

 ディアスはご満悦の表情でうなり、バルマン師が並べた肴にも手を伸ばした。

「では、ひとつ、戦士ディヤスの雄壮な活躍や栄誉とその結末をこの若者に話してやってくれんか。」

「栄誉か。」

 そう鼻で笑うような調子で言うと、ディヤスは続けた。

「そんなものは糞じゃ。若い頃、このディヤス様は勇敢な若者で、王の親衛隊員におなり遊ばした。まったく、思い出すだけで吐き気がする。あの頃は、栄誉と豪奢な生活に満ちた華やかな未来があると思っていたからな。奴隷や女をかしずかせる夢を見ていたものよ。まさに、泡のごとくはかなく消えてなくなる夢だがな。」

「しかし、国王からたいそうな褒美を貰われたと聞いておりますが。」

 パキゼーが恐る恐るそう問いかけると、老人はあざけるような表情で答えた。

「褒美か。たしかに、この首にプラタルダナ国王自ら黄金の鎖をかけてくれた。敵の城壁に一番乗りしたおれの奮戦ぶりを認めてくれてな。実際、親衛隊の戦士に国王自ら褒美を下さるなんてことはさしてあるものじゃない。国王の前に進むと足ががたがた震えてな。どんな戦いの場でも、どんな敵に出会っても、一度としてびびったことのないこの勇敢なおれの足が、勝手にがたがたと震えよったもんじゃ。」

「でも、すばらしく栄誉なことなのでしょう?」

「栄誉か。たしかに、栄誉なことじゃった。だが、今はどうだ。誰がわしを讃え、わしに感謝しとると言うんじゃ。讃えられておるのは、かつての英雄的戦士ディヤスに過ぎん。このわしじゃない。次の戦いで左足を失ってからは、戦士もできず、街での仕事もできず、結局、褒美の黄金も使い切ってすっからかん。今じゃ日々の食い物にも困る始末じゃ。この都にはバルマン先生のような慈悲深いお方が何人かいるから何とか食いつないでおるがな。そうでなかったら、とっくに行き倒れておるだろうよ。戦争で良い目をみるのはお偉いさんだけってことよ。おれたちは役に立つうちは讃えられ、役に立たなくなれば、ごみ同然にうち捨てられる。この左足だって、戦場で医者が情け容赦もなく切り落としてぐらぐらたぎる油の中に足の付け根を突っ込んだんだ。そのときの気を失うほどの痛みといったら今さら言うにゃ及ぶまいて。」

 ちょうど、ディヤスの器の酒がなくなったので、バルマン師が酒を注ぎ入れた。ディヤスはその酒をうまそうに口に運ぶと、しみじみした口調になって言った。

「まあ、人は若いときには自分が年をとると思ってない。もちろん、理屈としては理解している。人は生まれ、成長し、年老い、死んでゆく。だが、実感は違う。自分が年をとるという実感など持たずにみな生きている。そうでなければ、元気な気持ちに生きれんじゃろうがの。それで年をとると、前にできたことができなくなり、顔にも張りがなくない、老いぼれる。情けないもんじゃよ。いつまでも若い力に溢れた時が続くなど幻想に過ぎん。若い者たちはそれに気づかず、今を必死になっておるがな。まったく滑稽なことじゃ。わしの人生そのものが滑稽だということじゃがな。」

 バルマン師はうなずきつつまた酒を注ぐと、立ち上がって言った。

「ありがとよ。まだこの徳利の中に酒があるから残してゆくよ。」

 さらに、バルマン師は懐から金子をいくらか取り出して、

「生活の足しにな。」

と言ってディヤスに手渡した。

「恩に着るよ。」

とディヤスは言ったが、心はさらに酒の続きを飲むことにしかないようだった。

 帰りの道すがらバルマン師が言った。

「これが現実じゃよ。そして、現実を見ることなくしては、いかなる真実にも行き着くことはない。」

 まさにそのとおりだったかもしれない。パキゼーはこの都で、世界の真の姿を見た。すべてが爛熟し、すべてが腐敗していた。真実の泉はどこにあったか。それはどこにもなかった。そして、そんな世界の中で、人は何のために生まれ、何のために生き、そして何のために死んでいっているのであろうか。

 現実の世界はどうなっているのか。この世界の内での人の生はどうなっているのか。さまざまな苦が休むまもなく襲ってくる世界。それが人生ではないのか。悩み、苦しみ、喘ぎ、一つを乗り越えてもまた別な至難が襲ってくる人生。

 パキゼーは都の郊外で貧困に喘ぐ農民たちも見たが、そこで見たのは洪水やイナゴの大群に脅え、役人の厳しい鞭を恐れ、重労働に耐えるしかない農民たちだった。仮借なき現実と病い、老い、そして死。それが彼ら人生だった。生病老死、すべてが苦ではないのか。そのような人生を歩むことに結局、本来的にどんな価値があると言えるのか。世界はまさに矛盾に充ち満ちていた。

 たしかに、襲ってくる苦を乗り越えた先に真の貴さや喜びがあると言う者もあった。だが、本当にそうなのか。それは実に幻影に過ぎず、結局、すべてはこの世界の混濁に飲み込まれるだけではないのか。実際、世界はもっと多様で、もっと奥深く、もっと醜い。だがその醜い世界そのものが真の世界の姿でもあった。

 そう考えると、パキゼーの心は重くふさぎ込んでしまうのだった。いったい出口はどこにあるのか。いったいどこに救いがあるのか。どこに真理の光があるのか。真音の中にあるのか。いや、そうではないはずだった。たしかに、音楽は素晴らしかった。真の音楽、バルマン師の響かせる音の世界は実に偉大で高貴な輝きに満ちていた。真音への道はなにか真理への道を押し開けてくれるようにも思えた。けれど、バルマン師の言うとおり、音の世界だけでは真理に行き着かないのだ。音楽がすべてではない。音の始源を求めることがすべてではないのだ。

 でも、だとしたらどこに道はあるのか?この世界の底で、この茫漠たる大地の上で、その道をパキゼーに指し示すものは何一つなかった。そして、その答えが、この世界の内に、人生の内にあろうはずがなかった。バルマン師が諭したとおり、その答えがあるとすれば、それは外にしかなかった。真の音はその向こうにある。苦悩がパキゼーの心を苛み、心の晴れやかさは次第に消えていった。

 世界は狂乱し、腐敗し、静謐の音を掻き消していたが、バルマン師はそれに惑わされることを諌めた。バルマン師はパキゼーに語りかけた。

「この世界では役に立つものが尊ばれている。それは科学であり、技術であり、経験であり、知識だ。それは言ってみれば、われわれを取り巻く日々の現実と密接に結びついている。人は生を欲し、体験することを欲する。知り、経験することが彼らにとっての価値である。そしてそのような思惟は、感情を重視する騒々しい思想や人生の生の体験に価値を見出そうとする薄っぺらな哲学へと倒錯され、それによって現実の真の姿、すなわち、世界存在の真の姿は隠蔽されたままになってしまう。パキゼー、これが何を意味するか分かるか。」

 パキゼーが考え込んでいると、バルマン師は続けた。

「現存することは存在することとは違うということだ。」

「現存することは、存在することとは違う。」

 パキゼーは考え込むように、鸚鵡返しのように繰り返した。

「そうだ。すべての本質的に現実的なものは、己が己自身であるということによってのみ己にとって存在する、ということだ。だから、大切なことは、現実の表面を見ることでもなく、また、現実の裏に潜む真実を探求することでもない。大切なのは、現実をその根源において凝視し、そして、それを、己が思惟しつつ己自身と交信するという内的行為によって把握することだ。それこそが真の哲学への道なのだ。」

「この世の中にはたくさんの哲学があり、たくさんの優れた哲学者がさまざまな学説を唱えています。そんな哲学をいったいどう考えればよいのでしょう。」

「パキゼー、よく理解することが大切だ。哲学はなにかひとつの場所にとどまった真実ではない。確立された真理でもない。真理は思考を混乱させる崇高な背理として現れる。真理は内にあり、そして外にある。哲学は運動だ。哲学は存在の真の姿を把握しようとする探求において、それまで持っていた概念を破開し、新しい地平へと自らを導いてゆく運動にほかならない。」

 そこまで語るとバルマン師は楽器を引き寄せて、短い音律を奏で、次のように言った。

「だがな、パキゼー。思考や哲学は言葉によってなされる。少なくとも、ある思想やある哲学を他の者に伝えようとするときは言葉をもって伝えられる。それゆえ、言葉はたいへん大切な伝達手段ではあるが、決して言葉に頼りすぎてはならん。我々が考え、感じ、心に抱くものを表現しようとするとき、言葉というものはあまりにも不完全で、粗雑で、表現力に乏しいことに気付くだろう。音の方がはるかに雄弁だ。思想や哲学は言葉によって説こうとされるが、言葉によって真の本質を伝えることはまことに難しい。だから、パキゼー、よく心しておくことだ。真の道は、言葉によっては表しえず、描きえず、ただ、比喩的な言葉によって暗示され、示唆されるだけなのだ。」

 そう語ると、バルマン師は音楽を奏で始めた。清新の音楽、孤高の音楽が奏でられた。バルマン師の音楽には常に高潔の精神が息づいていた。人の心に染み入る音楽でありながら、決して人の心に迎合するものではなかった。感情のこもった音楽を奏でつつも、そこには常に凛とした孤高の心が背筋を伸ばしていた。だから感傷に流されず、心のよどみを振り払う強さがあった。人の心に共鳴するのではなく、高揚させるのでもなく、聞く人の心を高め、鎮め、純粋で至高の領域を呼び起こす力があった。

 また、ある時、バルマン師は次のように言った。

「数限りない時間が経てば、さまざまなものが今とは大きく変わるだろう。千年が経ち、万年が経ち、さらに、百万年、一億年と時間が経てば、生命の本質も変わるかもしれず、また、人間も別の新しい人間になるかもしれぬ。技術が人間を変えるかもしれぬ。だから、パキゼー、今だけを見てはならぬ。過去を学び、未来を見通せねばならぬ。見えないものを見、聞こえないものを聞かねばならぬ。現在は運と称されているものが、いつかは技術によって制御されるようになるだろう。そして、その技術の力は多くの人々に幸せをもたらすだろう。あるいは、その力は恐ろしい戦争やおぞましい虐殺を引き起こすかもしれぬ。しかし、この宇宙の中での存在の本質が変わることはない。喧噪の中でのさまざまなざわめきが世界を軋ませ続けるという構図も決して変わることはない。」

 このようなバルマン師の指導は、パキゼーに世界を理解する適切なすべを教えてくれた。

 

 こうして何年間かバルマン師は都にとどまった。そして、パキゼーは音楽だけでなく、ますます哲学の道にのめり込んでいった。それはある意味でパキゼーにとって充実した日々でもあった。

 だが、それはある日、突然、断ち切られた。

 バルマン師が病に倒れたのだった。あまりの突然のことにパキゼーはびっくりして病床に駆けつけたが、横たわるバルマン師はパキゼーに静かに言った。

「わしはもう長くない。パキゼー、別れのときが来た。わしは数日後には、この世を去るだろう。そして、おまえは自らの道を行くべきときが来た。おまえに初めて会ったとき、わしは驚いた。おまえの額には吉兆が輝いておったからじゃ。これは誰にでも分かるものではないが、わしには分かる。」

「バルマン様。」

 絶句するパキゼーに、バルマン師は少し苦しそうにあえぎながらも小さな声で続けた。

「パキゼー、この都に来ておまえはさまざまなものを学んだ。音楽も学んだし、ヴェーダも学んだ。わしがおまえをこの都に連れてきたのはひとつにはヴェーダを学ばせるためだった。だが、もう一つ、より重要なことはこの世界自身をおまえの目で見させるためだった。この都に来ておまえは目にしたはずだ。この世界では真実のものを求めることはまれになった。かつて、宇宙創成の時には真音が世界の中心に響き、真言が語られたはずだった。しかし、今、音楽家は人々の望む音楽を奏で、物語の作り手は、民衆の望む物語を作り、画家は人々の心に迎合して絵を描いている。人々の求めるもの、それは高揚であり、慰安であり、真理からは隔たっている。そればかりではない。高名な知者、賢者ですら大衆に迎合し、真理を求めるためではなく、相手を論破し、自らの主張を認めされるために、さらにはそれによって自らの利益を追求するために言論を磨いている。どこにも真理を探究するための絵画や真理を具現するための音楽はなくなってしまい、真の哲学の灯は消えかかっている。」

「そのようになってしまった根源は何なのでしょう?」

「音楽におけるもっとも良いものは音符の中には発見しえないということを、皆忘れてしまっているのだ。この地上では誰も彼もが目の前のことだけに目を向けて生きている。人々は崇高な思考とは程遠いところで生きている。だが、それは芸術家や思索家も同じこと。彼らが求めているのは真理ではない。人々に迎合する芸術に自らの満足を重ね合わせることで、自己の心の満足とこの世界での欲求を満たすことが彼らの道なのだ。そしてそういうことができる者たちだけが偉大な芸術家という称号を得ているのだ。」

「人間の精神がそこまで落ちてしまっているということでしょうか。」

「そうだ、この都で優れた音楽と称されているものによく耳を傾けてみるがいい。どの音楽も艶やかに流暢に鮮鋭に鳴っている。時には饒舌なくらいだ。しかし、それは世界の本質を忘れた者たちの音楽だ。真の音楽はその抒情にもどこか哀しみが沁み込み、喜びの中にも常に不安のまなざしが見つめている。朴訥にいかめしく鳴る音楽、しかし、その音楽の奥底で、底光りのする荘重さが感じられる音楽、そんな音楽がなんと少ないことか。だがな、パキゼー、真理がそれによって消えてしまったわけではない。変貌しているわけでもない。真理は厳然として在る。そして、真理が厳然として彼らに突きつけられる日が来よう。」

「それはいつですか?」

 バルマン師は静かに微笑んで答えた。

「それは分からぬ。道を行き、道を究める者のみがそれを見出すであろう。実はおまえに話さねばならぬことがあってな。ほんとうは、もっと早くに言うべきだったかもしれぬし、あるいは話すべきではないのかもしれぬが、ともかく、今日はおまえに言っておくことがあるのだ。」

 そう言うと、バルマン師は、かつてマーシュ師が訪ねてきて世界を救うただひとりの者を捜す旅に出るよう諭された話をし、さらに、マーシュ師が語ったヴァーサヴァの創造とその創造が引き起こした神々の世界について語った。そして、ユビュがマーシュ師のもとに現われて、その世界を救うただひとりの者としてパキゼーを見出したことを伝えたのだった。

 パキゼーはただ黙って聞いたが、バルマン師の話が終わると、バルマン師に訊いた。

「それで、これから私はどうしたら良いのでしょう。この世界に真理は厳然とあると言われましたが、その真理はどこで、そしてどのようにして見出したらよいのでしょう?」

「究極の宇宙の中心に潜む真音を探しなさい。そして、存在の原点に立ち返り、存在の真の意味を問い返しなさい。存在はなぜ存在するのか、なぜ何も存在しないというふうになっていないのかという存在の不可思議さに対して真摯に向かい合い、存在の謎に対して心を開くのだ。そうすればきっと清々たる宇宙の風が心に流れ込んでこよう。それを呼吸し、真理への道をまっすぐに歩くことだ。」

 この言葉にパキゼーがうなずくと、バルマン師は続けて言った。

「パキゼー。おまえがおまえの道を行く時、さまざまな悪意ある言葉や非難がおまえに浴びせかけられるかもしれぬ。だが、他人の悪意ある言葉など無視できる人間こそがすべてに打ち勝つのだ。怒りを抑え切れる者こそ真理を知ることのできる人であり、蛇が抜け殻を脱ぎ捨てるように、怒りを脱することのできることのできる人間こそが真実にたどり着けるのだ。」

 そう語ると、バルマン師は次のように締めくくった。

「パキゼー、もはやわしがおまえに教えることは何もない。これからはおまえ自身がおまえを導かねばならぬ。古代の賢者は、目的が同じでなければ、互いに相談しあうとはできないと言ったという。もはやおまえの目指すものは周りの誰も理解し得ない領域に達しているだろう。人はそれぞれ自らの目的に従って我が道を行くほかない。だから、おそらくおまえは音楽の道を離れ、真理を探究せねばならなくなるだろう。しかし、おまえが音楽の道で学んだものが必ずやおまえを助ける。きっと道は開ける。おまえは自ら出立し、道を求めるのだ。」

 

 バルマン師が亡くなったのはその三日後のことだった。

 葬儀が営まれ、バルマン師の亡骸は荼毘に付された。盛大な葬儀であった。そして葬儀の中でバルマン師の弟子たちは追悼の演奏を行った。

 パキゼーも追悼の音楽を奏でた。バルマン師の教えを受け、さらに哲学を学び、そしてこの世界の現実の中に人間の悲劇的本性を見るようになったパキゼーの音楽は、それまで誰も聞いたことがない挽歌となって鳴り響いた。それこそ世界の悲しみから生まれた真の葬送の音楽であった。その悲劇的楽想が抵抗しがたい力で聞く者を包み込み、広大な世界に向かって凝集していった。

 パキゼーの音楽は多くの人々の心に深く沁み込んだ。しかし、葬儀そのものは空虚であった。たしかに多くの人々が参列した。葬送の音楽も奏でられた。宮廷からも名だたる人々が参列し、花輪を捧げ、弔辞を述べた。しかし、パキゼーは疑問を感じざるを得なかった。

「誰がほんとうに悲しんでいるのだろう。人々は自分の立場からこの葬儀に参列し、弔辞を述べているにすぎない。自分の権勢を示すために人より大きな花輪を捧げ、自分の存在感を示すためにこの弔問の機会を利用している。悲しんでいるのはこうして残された弟子たちだけだ。他の人たちは師の音楽をほんとうには理解せず、師の高邁な心をほんとうには知らなかった。結局、誰もほんとうには究極の音の世界を求めてはおらず、誰もほんとうにはこの世界の真実を求めてはいない。」

 パキゼーはそう考えざるを得なかった。しかし、弟子たちはほんとうに師を理解していたのであろうか?数日経って、実はそうではないのではとパキゼーは強い疑問を持たざるを得なかった。それは弟子たちの間で、バルマン師を継ぐこの音楽座の座長を巡る争いが始まったからであった。

 楽師たちのまとめ役の一人、シュリアは、みんなを集めると次のように語った。

「この都で、バルマン師は確固たる基盤を築かれた。この音楽を守り、みんなで力を合わせてこれを発展させてゆかねばならない。それがわれらの勤めなのだ。」

 これに異論を唱える者はいなかった。しかし、実は、楽師たちの関心は誰がバルマン師のあとを引き継ぐか、誰がこの音楽座の座長を務めるかというだということが次第に明らかになってきた。バルマン師の後継者としての有力な候補者は、バルマン師の音楽を踏襲し、その活動を引き継ぎ発展させようとするシュリア、それから若手のホープで新たな改革が必要だとするサディーハであった。また少数ではあったが、若年のパキゼーを押す者もあった。しかし、この座長をめぐる争いは醜かった。公の場所で、そして人から隠れた陰の場所で、さまざまなことが主張され、ささやかれた。

 シュリアの目指しているものは、バルマン師の音楽を受け継ぎ、宮廷での活動を積極的に展開することによって、この音楽座の活動をさらに活発化させ、繁栄させようというものであった。

 シュリアは言った。

「私たちにはすばらしい財産がある。バルマン師はかけがえのない財産を残してゆかれた。それは無形ではあるが、人々の心をつなぎとめることのできる財産だ。バルマン師の音楽を忠実に守り、それをさらに広めてゆくことによって、我々の音楽座はますます発展できる。」

 そして、シュリアはパキゼーにも語りかけた。

「パキゼー、残念だが、導師は逝ってしまった。だが、悲しんでばかりはいられない。私にはこのあとが心配だ。多くの仲間の心はまだ迷っており、導師が逝った後、混乱しかねない。私に力を貸してくれないか。おまえは論争では誰にも負けないものをもっている。おまえが力を貸してくれるなら、残された楽師をまとめ、導師が指し示す道を歩くことができるだろう。」

 しかし、パキゼーは考えた。

「ただバルマン師が残されたものを受け継ぎ、それを広めようとするだけでは、音楽が死んでしまう。音楽は、真の音楽を追い求めるたゆまぬ探求による以外には生き続けられない。バルマン師の音楽はとてつもなくすばらしかったが、その流儀を守り通すだけでは、音楽は枯れてゆくばかりだ。宮廷では受け入れられ、音楽座はますます繁栄するかもしれないが、そこに真の音楽はなくなってしまう。そのことをバルマン師はご存知だったからこそ、師は宮廷にはできるだけ近づかなかった。富や名声を得ることより、究極の音の世界の探求こそ、師の求めるものであった。」

 一方、若手のサディーハは、シュリアの保守主義を批判した。

「バルマン師の音楽をただ忠実に守るだけで、未来への展望が描けるだろうか。およそ形を守るだけでは、根源での生命力の枯渇を招き、音楽は形骸化した単なる空虚な音符の列と化すだろう。時代は動いている。音楽は変わらなくてはならない。バルマン師の音楽を基盤に、人々が求める新たな音楽を創造することこそ我々の務めだ。時代が新たな音楽を求めているのだ。」

 サディーハはパキゼーにも語りかけた。

「パキゼー、力を貸してほしい。年長者たちはバルマン師の言われた言葉だけに囚われていて、真実を見ようとしない。バルマン師が存命の間は、真実は常にバルマン師より光り続けたが、バルマン師がお隠れになった今、一瞬にして光は失われた。光を失った言葉だけが残り、その硬直化した言葉に囚われた硬直化した響きが人々の心を覆うだろう。それは決してバルマン師の本意ではない。改革が必要なのだ。」

 しかし、パキゼーはこのサディーハの考えにも同意できなかった。

「たしかに音楽は変わらなければならない。しかし、その変化は人々の求めに応じて変わるべきではない。音楽は真の音を求める探求の道によって変わらねばならない。そしてそれは、世界は何であり、世界は何に向かっているか、存在の本質は何であり、真理は何であるかというたゆまぬ探究以外からは生まれ得ない。」

 それがパキゼーの考えであった。

 一部の音楽家の中には、パキゼーを推し、みんなの前で語るように即した者もいた。しかし、パキゼーは語らなかった。彼は、一人つぶやいた。

「結局シュリアもサディーハもバルマン師の音楽を踏襲することしか考えていない。それを守るにしろ、それを時代に合わせるべく展開するにしろ、いずれにしてもバルマン師の音楽の域から踏み出すことはできない。バルマン師の音楽は師自身の天才的ひらめきによって生まれ出たもの、師自身の挑戦から生み出されたものであった。それを踏襲し、守ろうとするなら、その瞬間に音楽は陳腐化し、堕落への道、迎合への道を転がり始める。自己の本質と向き合い、そこから自然に湧き上がってくるものを音にすること、それ以外に何があるというのか?それはバルマン師の音楽を乗り越え、違う音を作り出すことにほかならない。それ以外に生きた音楽を作る道があるというのか?バルマン師の言われたことは正しかった。バルマン師ほどの音楽家ですら、優れた弟子を育てることはできなかった。もはやここには私が学ぶべきものがなく、もはやここには真理へと至る道がない。もはや共に道を歩くべき者はここにはいない。」

 そうパキゼーは悟らざるを得なかった。たしかに、良き仲間たちがいた。しかし、その良き仲間たちは居心地の良い伝統世界に留まり、パキゼーとともに真音への道を歩こうとはしていなかったのだ。結局、道は一人で究めねばならないのだ。

 パキゼーは自らに語った。

「道は外にある。私は真理を探求しなければならない。音楽の道を離れ、自らの道を行かねばならない。」

 新しい座長を選ぶ日の朝、パキゼーは日の出前に目覚め、楽器を置いて一人バルマン師の館を抜け出した。

「真実の道を行かねばならない。本当の道を見つけねばならない。」

 そうパキゼーはつぶやき、城門を出て、一人出立した。道を歩くと、荒涼たる砂漠の向こうに、しーんと静まり返った地平線が赤く燃え、深い色の大気が真っ青に輝いていた。

 新しい旅の始まりであった。新しい旅、それはもはや音の世界を求める旅ではなかった。それは哲学の道、真理を求める道、苦から脱却するための道、解脱へと至る道、ヴェーダの先にある究極の真実を探る道であった。もはやバルマン師が残した音楽の館にはなんの未練もなかった。そこから学ぶものはもはや何もなかったのだ。

 けれど同時に、その新しい道は茫洋たる灼熱の道でもあった。パキゼーは音を探し求め、空から落ちてくる光を探し求め、ただ繰り返し石を打ち鳴らしてきたが、今、目の前にあるのは、揺らぎ続ける陽炎のような気の向こうにある未知なるものたちの領域なのだ。 

真理を砕き続ける荒々しい風と沈黙するだけの頑固な岩たち。錯綜する無数の図形たちが織りなす混沌とした世界。そして、不吉な星たちが天を巡る不条理な世界。その干乾びた大地の上で、敬虔な言葉は風の中に吹き払われ、みずみずしかった思想は祭壇の上に置き去りにされているのだ。

パキゼーは虚空に向かって叫んだ。けれど、虚無に向かい合うものたちは誰も答えようとはしない。石たちが風の中にうずくまっている荒野では、小さな月だけが煌々と光を照り返しているのだ。

 

 そのころ世には七十二の非バラモン諸派があった。そしてさらに多くの異端諸派があり、新たな哲学が勃興する気運にみなぎっていた。

 祭式万能と社会階級の固定化を狙ったバラモンの権威には多くの疑問が呈されていた。それはヴェーダの尊厳と儀礼の遵守の否定でもあった。

 さまざまな思想の揺籃する世界の中で、パキゼーは賢者を求め、托鉢苦行者となり、あちこちを遍歴した。ときには賢者の庵を訪ね、ときには一人放浪した。

 何年にも渡る修行の結果、パキゼーは立派な沙門になった。彼はヴェーダを暗証し、朗々と朗誦することができた。誰とでも哲学に関する論争をして負けることはなかった。

 そして、同時に、パキゼーは改めてこの大地の声を聞き、この大地に暮らす人々を見、この大地に襲い掛かる脅威を目の当たりにした。灼熱の太陽はこの大地を襲い、干ばつ、豪雨、暴風、洪水を引き起こし、時にはイナゴの大群が空を覆い尽くした。何百年も何千年も同じことが繰り返される自然の驚異の前に人々は立ちすくんでいた。すべては流転し、滅し、再生しているのだった。

 その巨大なゴーゴーという時間の流れの中の消え入らんばかりの点のごとき存在、それが自分自身だった。そして、真理はどこにあったか。道はどこにあったか。

 優れた沙門としてパキゼーの名声は高まったが、それが求めていたものではなかった。道は極められず、真理は依然として遠かった。

 そこでパキゼーは、賢者の中でもとりわけ著名なアーラーラ・カーラーマという賢者を訪ね、そこで修行することに決めた。

 アーラーラ賢者はヴァイシャーリーの郊外の美しいマンゴー林に三百人の弟子たちとともに住み、真理への道を教えていた。アーラーラ賢者が指導していたのは「虚無の世界への上昇」という瞑想であった。

 パキゼーはヴァイシャーリーに着くとさっそくアーラーラの弟子となることを請い、認められて村に留まった。

 アーラーラ・カーラーマ賢者は言った。

「あらゆる苦悩は有によって生じる。それは相対するものが混在する有界によって起こり、有界に渦巻く迷妄によって成長する。一切の心の迷いを断ち、物質的存在がまったく無い空間の無限性に心を開き、虚無の世界へと上昇することより解脱への道が開ける。無辺の虚空こそ真の悦びである。」

 パキゼーは聖なる梵業に勤しみ、煩悩を滅却するための厳しい修行を行った。多くの行者と共に断食を繰り返し、瞑想を繰り返し、ひたすら真理を求めて修行した。そしてまもなくパキゼーはアーラーラ賢者から教えられた瞑想の段階に苦もなく昇れるようになった。

 それを見たアーラーラ賢者は驚嘆した。こんなに簡単に虚無の世界への上昇を成し遂げた者は皆無だったからである。

 しかし、パキゼーは言った。

「私は、教えていただいた瞑想によって、虚無の世界に上昇することができるようになりました。虚無の世界では一切は鎮まり、そこは極めて高貴な境地でもありました。しかし、苦は滅却されず、真理には行き着いておりません。苦はこの世界の内に存在し続けており、この世界の内でこれが真であるという真なるものにも行き着いておりません。そして、私はこの世界から離脱して虚無の世界に入ったのではなく、ただ一時、虚無の世界に上昇したにすぎず、再び、この混沌とした世界に戻ってこなければならないのです。」

「だが、その虚無の領域はこの上なく最上のものであり、これをおいて他に高みとなるものはない。それがわしが見出した真実でもある。」

 そうアーラーラ賢者は諭すように言ったが、パキゼーは納得しなかった。

「しかし、それでは、その虚無の世界は、ただ一時の飛躍、ただ一時の逃避にすぎないではありませんか。この世界の苦を滅却し、この混沌から我々を救いだすものではないではありませんか。この虚無の世界という彼岸の先にある世界はないのでしょうか?」

 アーラーラ賢者は首を振った。

「残念だが、それはわしは知らない。わしに言えるのは、この虚無の世界だけが無上のものということ、それだけだ。」

 この答えはパキゼーを驚愕させた。アーラーラほどの賢者が彼岸の先にある世界を知らないとはどういうことであろうか。虚無の世界の彼岸において苦が滅却され真理に行き着くならともかく、そこにおいてなお真理に行き着かず、苦が滅却されないにもかかわらず、その先の世界を知らないということは、結局この道は真理にも苦の滅却にも結びつかないのではないか。パキゼーはそう思わざるを得なかった。

 しかし、アーラーラ賢者はいともたやすく虚無の世界への上昇を成し遂げたパキゼーに驚嘆し、二人で一緒に弟子を指導しようではないかと提案した。

「汝のような優れた行者をこれまで見たことがない。出会ったこともない。汝と組めばこの道をさらに究め、弟子たちに教え広めてゆくことができよう。ぜひ、一緒に指導しようではないか。」

 しかし、アーラーラの道が真理に至る道ではないと悟ったパキゼーは答えた。

「先生、この虚無の世界への上昇についてのご指導、心より感謝しております。しかし、私が求めているものは、その道の先にあるもの、真理であり、苦の滅却への道なのです。世界は依然として混沌とし、混濁したものが世界の内に渦巻いています。虚無の世界への上昇は素晴らしいものでしたが、決してこの世界が突破され、真なるものが顕現したわけではありませんでした。ここに留まり、ともに弟子たちを指導する道を選ぶことはできません。」

 アーラーラ賢者は思慮深く答えた。

「汝が真理を求めようとする姿勢はまことに尊い。だが、真理は砂漠で見られる蜃気楼と同じく、あると思った場所まで行っても実はない。先へ先へと逃げてゆく。わしも虚無の世界の彼岸に真理があると信じていた。だが、今はそこには真理はないことを理解した。真理はもっと先にある。だが、そこにどうやって行き着けばいいのか、わしには分からぬ。どこまで行っても真理はないのかも知れぬ。だが、この道を歩くことは世に蔓延している混迷の道よりはるかに尊い。だからわしはこの教えを教え、弟子たちを指導しているのだ。」

 この答えはパキゼーを満足させなかった。

「たとえ、真理に行き着くことがないとしても、求めることを止めてよい理由にはなりません。」

 そう答えたパキゼーは、アーラーラ・カーラーマ賢者から受けたそれまでの親切な指導への感謝を重ねて述べ、一礼して村を去ったのだった。

 

 パキゼーが次に目指したのは、ラージャグリハであった。そこではウッダカ・ラーマプッタという高名な賢者が七百人の弟子とともに住んでおり、「意識と無意識の彼岸への上昇」という瞑想を指導していたからであった。

 パキゼーはラージャグリハでウッダカ賢者のもとを訪れると、師を拝して言った。

「先生、私は道を求めて遍歴する者です。真理への道を探り、ここに至りました。どうか、私に教えを授けて下さいますように。」

 ウッダカ賢者は答えた。

「汝のうわさはここにも聞こえてきておる。汝のような若くて才気に溢れた修行者がわしのもとに来てくれたのはありがたいことだ。」

 そう言ってウッダカ賢者はパキゼーを快く迎え入れ、熱心に指導した。

 ウッダカ賢者は教えた。

「この広大なる宇宙には一なる存在がある。そこでは物質的存在が皆無となり、空間の無限性が顕現する。物質的存在に捉われた意識がある限り、その領域への上昇はできぬ。欲界と色界とにおける一切の物質的な形を離れ、一切の作意のない、無辺の空を観じるのだ。それは無意識の領域であり、真理の発露する場である。一切の欲から離れ、自己の根源を滅し、意識と無意識の彼岸へと上昇するのだ。」

 パキゼーは、ウッダカ賢者の教える通り、ひとり座禅を組んで瞑想の修行を行った。そしてその教義を唱え、瞑想の中で繰り返した。ウッダカ賢者の教義はじつに多様で奥深かった。しかし、その中から本当に生まれくるものはあったろうか?

 ほどなくパキゼーは意識と無意識の彼岸へと上昇できるようになった。そこでパキゼーはウッダカ賢者に聞いた。

「意識と無意識の彼岸への上昇によって解脱は起こりませんでした。そこには真理はありませんでした。静けさはありましたが、光はありませんでした。道はまだ半ばであり、煩悩は絶ち切れず、解脱にも至っておりません。先生はどれほどの修行の後に解脱に至られたのでしょうか?」

 それに対するウッダカ賢者の答えは驚くべきものだった。賢者は言った。

「わしは解脱になど達しておらん。解脱に達しておれば、こうして修行など行わぬ。ただ、わしが知っておるのは、道はここにしかないということだ。この道のみが真理へと通じる道、解脱へと通じる道だということだ。わしは師からそう教わり、そして、心を滅却し、日々修行に励んでおる。だが、いつ、解脱に達するか、それはナタラーヤ神にしか分るまい。」

 この答えはパキゼーを満足させなかった。彼はさらにこう問うた。

「では、先生、これほど多くの弟子がありながら、その先生の弟子の中で誰一人として解脱には達していないということでしょうか。そしてまたこの道の先達のうち何人が解脱に達したのでしょうか?」

「わしの弟子の中で解脱に達した者はいまだいない。だが、いつかはそこに達すると信じて、わしも含めて日々努力しておる。わしの師がどうであったかはわしの知る由ではないが、わしの先達の師の中にはきっと解脱に達した方がいらっしゃると信じておる。」

「では、その解脱に達した先生は、解脱に達した後、どのように過ごしておられたのでしょうか?」

「それは伝えられていない。おそらく、解脱に達した後、ひとり森の中に入って行かれたのであろう。」

 パキゼーは心の中で考えた。

「本当にウッダカ賢者の先生が解脱に達したかどうかさえ疑わしい。その解脱について何も語らず、その秘儀と得られた果報について何も語らず森に入って行くとは信じられぬ。解脱に成功せず、ただ去っていっただけではないのか。ウッダカ賢者も何十年も修行を繰り返し、いまだ解脱に達していない。何百人もいる弟子も一人として解脱に達していない。にもかかわらず、道はこれしかないなどというのは正しいのであろうか。」

 「意識と無意識の彼岸への上昇」によって最終目的が達せられたわけではなく、この修行によって苦が滅却されるものでないことを悟ったパキゼーは、更なる道を求めて、ウッダカ賢者のもとを離れたのだった。

 

 このとき、ウッダカ賢者の弟子の五人がパキゼーに付き従った。彼らはかつて目にしたこともないほどのパキゼーの才能に惹かれ、そのパキゼーが師であるウッダカ賢者を超えるほどの高みに達しながら、なおそこに安住することなく、より高い目標に向かって道を進もうとする姿に強い感銘を受け、パキゼーの弟子となる道を選んだのだった。

 パキゼーは、五人の行者たちとともに、ガヤルーシャ山の頂で修行に専念した。パキゼーは五人に語って言った。

「苦行者や沙門のうちには、肉体的欲望にかられ、心の内部はそっくり肉体的欲求に支配されている者がいる。これでは、どんなに厳しい修行、どんなにつらい修行をしたところで、超人間的で高貴な洞察的認識に達することはできない。火をつけようとして、濡れた木片をこすりあわせるようなものだからである。一方、心の底からあらゆる欲求を消し去れば、それは、乾いた地面の上で乾いた木片を用いて火をつけようとするようなもので、超人間的な洞察的認識に達することができる。」

 そんな修行を続けるパキゼーの元を一人の吟遊詩人が訪れた。名の通った高名な詩人であったが、パキゼーの元を訪れると次のように言った。

「汝の噂を聞いてやって来た。聡明で洞察力に富み、非凡な力を有する若い沙門が道を開こうとしている。彼はアーラーラもウッダカも論破した。解脱を完成することができるとすれば彼をおいて他にはない、という噂をな。」

 パキゼーは言った。

「その噂は真実ではないでしょう。」

 詩人はそんなことは気にも留めず、次のように続けた。

「無数の詩人たちが歌を作ってきた。無数の歌をな。だが、その歌のほとんどが消えてゆき、我らの記憶に残るものはほとんどない。真摯に生き、真摯に努力を続けたかもしれぬが、彼らの軌跡など今となってはもはや瓦礫に等しい。私の歌もまた失われ、忘れ去られるだろう。世界とはそんなものだ。そして、それこそがこの世界の真の姿だ。誰でもないもの、何ものでもないものたちが、時間の断点の中で風の中に吹き払われている。その真実、その真理から離れて、いかなる真の道があるのであろうな。」

 この言葉にパキゼーは静かに頭を下げて答えた。

「いただいたお言葉は私の心に響きました。仮に私が悟りを得たとしても、その悟りもまた風の中に吹き払われるでしょう。でも、その真理が私を導こうとしているのです。」

 吟遊詩人はうなずいて言った。

「今日はあなたとの出会いの日であり、別れの日である。我々はもはや会うことはないだろう。その別れに際し、一曲詩を吟じさせていただこう。」

 詩を吟じ終わると、詩人は別れの言葉も述べず、静かに立ち去った。

 パキゼーはつぶやいた。

「バルマン師の化身かと思われるかのごとき、高潔な吟遊詩人に出会った。彼の言葉が解脱への道へと導くだろう。」

 そして、パキゼーは解脱への道を一歩一歩登っていった。

 

 そのころ天界では、イムテーベが、日に日に危機感を強めていた。パキゼーが真実への道を見いだし、それによって宇宙の形勢が逆転するのではないかという危機感であった。イムテーベの心は荒れ騒ぎ、焦燥感から安らかな眠りが苛まれた。

 イムテーベはムチャリンダに面会を求め、語りかけて言った。

「ムチャリンダ、極めて危険な兆候が始まっています。パキゼーが真実の道を求めると称して、まやかしの法によって宇宙の車輪を回そうとしています。このような危険が人間の中で生じたことはいまだかつてありませんでした。彼はどんな神も為し得なかったことを成し遂げるかもしれません。そう思うと私はいてもたってもいられず、心は楽しまず、不安が私の心の野を駆け巡るのです。」

 しかし、ムチャリンダは悠然と答えた。

「世界は何も変わっていない。あいも変わらず、人間どもの愚かさが混乱の上塗りをし、世界はますます混迷の中に陥っている。世界はただ破滅に向かって突き進んでいるだけだ。ナユタとの戦いが劣勢になってはいるが、ヨシュタが倒れ、今、世界がこのように混乱に拍車をかけている以上、世界が究極の混乱に陥り、世界の破壊を求める神々の声が宇宙のちまたに満ち満ちるのも時間の問題。世界には立ち直るすべもなく、もはや奈落への一本道を転がり落ちるのみ。慌てて動く必要はなかろう。」

 しかし、イムテーベは繰り返し訴えた。

「パキゼーを軽視してはなりません。明らかに危険な凶兆が現れ始めています。ヨシュタは無謀にも神界に踏み込み、自ら自滅してゆきました。しかし、ユビュはその失敗を踏まえて危険を回避すべく地上に降り立ってパキゼーを導き、パキゼーは我々に戦いを挑むのではなく、地上にて自らの道を切り開こうとしています。それは力による征服ではなく、まやかしの法によって人間たちの心を根源から変える試みなのです。世界の車輪を回転させることがないとは言えません。それによって世界の軸が転回し、宇宙の形勢が大きく傾く恐れがあるのです。」

 イムテーベの真剣な言葉にムチャリンダも考え込んだ。一抹の不安の風がムチャリンダの心を吹き抜けた。

「たしかに、そうかもしれぬな。」

 そうムチャリンダは小さくつぶやいた。ムチャリンダはイムテーベに向き合い、真摯なまなざしで語りかけた。

「そなたの懸念にも一理あるかもしれぬ。では、どうすれば良いであろうか?」

 イムテーベは即座に答えた。

「私自身が出掛けて行こうと思います。もちろんこの城の守りも大事。ナユタをはじめ敵方の武将たちがすべて宇宙に留まっているとき、この城から離れるのには不安もあります。しかし、いにしえからの言い伝えにもあるように、災いの芽は早めに摘んでおかねばなりません。今はパキゼーに対処することが先決。ぜひ、地上へ行くことをお許しいただきたい。」

 イムテーベの真摯な言葉にムチャリンダは心を打たれ、即座に同意した。

「イムテーベ、行くがいい。ここのことは案ずるな。この城は堅固な城砦。ナユタが全軍を率いて押し寄せたとて、すぐに落ちる城ではない。それよりも地上での災いの炎をかき消すことこそ先決。そのことに全身全霊をかけてくれ。」

 ムチャリンダのこの言葉に勇気づけられ、イムテーベは再び地上に降り立つこととなった。

 

 その知らせはいち早くマーシュ師の館に届けられた。マーシュ師は、ナユタ、ユビュ、ウダヤ師を集めてこのことを知らせた。

 その知らせを聞くとナユタは言った。

「これは一刻の猶予もなりません。パキゼーが危険です。イムテーベはきっとパキゼーの確立しようとしている真理を打ち砕くため、あらゆる手立てを使ってくるでしょう。わたしが地上に行きましょう。」

 このナユタの言葉にみながうなずいた。誰が見てもそれが最上の策だった。宇宙一の軍略家にして思慮深いイムテーベを相手にするとき、ナユタ以上の神を誰も思いつかなかった。

 マーシュ師はねぎらうように、そして諭すように語った。

「ナユタ、たいへんだが、おまえ自身、行ってくれるか。だが、ことはおまえが今思い描いているほど簡単ではないかもしれん。イムテーベは神としての全身全霊をかけてやってくるだろう。おまえも心を清め、精神を統一して臨まねばなるまい。だが、ともかくおまえ以外にこの難局に対処できる神はいない。我らはすべてをおまえに任せるつもりだ。宇宙の盛衰は今、おまえとイムテーベの手の中にあるのかもしれん。」

 ナユタは静かに頭を下げた。

 ウダヤ師が言葉をかけた。

「道は今開けつつある。それを支えるのはおまえの英知しかない。自らを信じて道を行きなさい。」

 

2014年掲載 / 最新改訂版:2022723日)


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向殿充浩 (こうでんみつひろ) / 神話『ブルーポールズ』第3巻