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神話『ブルーポールズ』

【第2巻】-                                                  

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 一方、宇宙ではシャルマを悼む嘆きが天界を駆け巡った。しかしそれだけではなかった。シャルマが倒されたことで宇宙には途方もない衝撃が走っていた。

 わけてもマーシュ師の館では、神々の間にただならぬ動揺が起こっていた。だが、ユビュは気丈にもマーシュ師、ウダヤ師、ヴィクート、カーシャパらを呼び集めて、静かに言った。

「ヨシュタが危機に瀕しています。ナユタも混乱しているでしょう。しかし、この困難な状況の中で挫けてはなりません。私は今すぐ、ヨシュタの元へ行くつもりです。それでウダヤ様、一緒にヨシュタのもとに行ってはいただけないでしょうか?」

 ウダヤ師はうなずいて言った。

「ああ、そうしよう。わしもヨシュタのことが気になってならぬからな。」

 ウダヤ師の同意を得ると、ユビュはマーシュ師に言った。

「マーシュ様、すぐ戻って参りますので、安心して待っていてください。ここには、ヴィクートもカーシャパもおります。」

「そうだな。すぐに行くがいい。イムテーベが地上にいる今、すぐにムチャリンダが動き出すこともあるまいからな。」

 そう言って、マーシュ師はユビュとウダヤ師を送り出した。

 地上に降り立ったウダヤ師とユビュは、まずプシュパギリを伴って、ナユタのもとに行った。ナユタはひとり朝日に向かって礼拝していた。三神に気づくと、ナユタは沈みがちな声で挨拶した。

「ようこそ、ウダヤ様、それにユビュ。この悲しみが明けた日にふたりの顔を見れ、心温まるものがあります。」

 ウダヤ師が答えた。

「ああ、ナユタ、やってきたよ。おまえの苦労はよく分かっている。おまえの悲しみもまたよく分かっているつもりだ。昨日のことで、おまえとヨシュタのことが心配になってな。ユビュとともにやって来たのだ。」

「ありがとうございます。悲しみのあまりまだ心が錯乱していますが、自分の使命を忘れたわけではありません。今、再び、天に向かって自分の使命を誓ったところです。」

「そうか、だがな、ナユタ。悲しいときには泣いていいのだぞ。これからも困難な道が続き、悲しいことも次々に襲って来よう。だが、それに心を惑わされてはならん。泣き、悲しんでもよいが、決して自らの道を見失ってはならん。創造を守るためのおまえの戦いには多くの神々が期待し、祈りを捧げておる。おまえとユビュは宇宙の希望の星なのだ。その使命を決して忘れてはならんぞ。」

「ええ、分かっているつもりです。ただ、未熟な私の心は、それに耐えられるだけ十分強くはないのです。」

「いいのだ。だがな、およそ我々はこの宇宙の歴史の外にいるのではない。歴史の流れの中に巻き込まれることのない部外者、飲み込まれる心配のない傍観者として宇宙を望見できるものは誰もいない。我々自身が歴史の渦の中に巻き込まれ、飲み込まれ、そして歴史を創造しているのだ。そして、ナユタ、このことも知らねばならぬ。すなわち、この世界はいまだあまりにも途上にあるということだ。そして、完全な神などというものはどこにもいない。みな、優れた輝きと不完全な部分とを兼ね備えて存在しておる。ただ、自分の信念を心にしっかりともち、自らの道を真っすぐに歩いて行くものだけが真に偉大な神となりうるだろう。」

 ナユタがうなずくと、ユビュが言った。

「ナユタ、元気を出しましょう。私たちには、まだたくさんの仲間がいます。その仲間たちのためにも元気を出しましょう。」

 しかし、その言葉の最後の部分は涙声になり、ユビュの目からは涙が溢れた。

 しばらく沈黙が続いたが、ウダヤ師は低い声で謎のような詩を朗誦した。

 

仮面をつけた者たちの死者たちのための踊り。

けれど、軽やかに、けれど、朗々と。

踏みしだかれた石たちの沈黙がこの空の青さに残響を放つ。

透き通るような存在者たちのために投げ入れられる小さな音だけが

時間の中に染み透ってゆく。

ゆっくりと、すべてが静止に向かって。

 

 朗誦を終わるとウダヤ師はユビュに言った。

「ユビュ、ヨシュタのもとに行ってみよう。ナユタとプシュパギリは待っていたほうが良い。わしとユビュのふたりで様子を見て来よう。」

 ウダヤ師とユビュがヨシュタのもとに行くと、ヨシュタも悲しみに沈んでいた。ヨシュタはウダヤ師とユビュの姿を認めるとはっとして立ちあがり、挨拶を交わしたが、小さな声で尋ねた。

「あなたがたも神なのですね。」

 ウダヤ師がうなずくと、ヨシュタは言った。

「私が沈んでいるのはシャルマが倒されたことへの悲しみだけではありません。昨日、シャルマ、ナユタ、プシュパギリが神であること、敵方のイムテーベやルドラも神であることを知りました。この戦争が、神々の戦いの場であることも知りました。人間を守るべき神々が互いにあい争い、しかも、人間を介して、たくさんの人間の犠牲の上に立って戦っていることも知りました。なぜ、人間を介して、戦わねばならないのでしょう。なぜ、人間が神々の戦いの犠牲にならなくてはならないのでしょう。」

 この言葉をウダヤ師もユビュも沈痛な面持ちで聞いたが、ウダヤ師は厳かに言った。

「ヨシュタ。そなたはブルーポールの力によってこの世に生を受けた。それゆえ、そなたは半分は神の領域に属する半神半人だ。そなたの心には、この戦いがいかにも理不尽なものに思えるかもしれん。だが、神の領域にも属する者として、わしはそなたに、神々の戦いについて語らねばなるまい。」

 そう言ってウダヤ師は、ヴァーサヴァの創造に始まり、ムチャリンダとナユタの戦いに至った経緯、そして今、地上を舞台としたムチャリンダの暗躍とそれに対するナユタ側の戦いについて述べていった。

 その話の最後でウダヤ師はこう締めくくった。

「ヨシュタ。この世界は神々の戦いによって混乱させられている。闇を支配するムチャリンダは世の中に、そして人間たちの世界に戦いと混乱を巻き起こし、創造そのものを破壊しようと策謀している。ルドラはムチャリンダの意図を受け、バドゥラの元にやって来ている。彼らに勝利を許すならば、地上は、戦いと混乱のるつぼと化すだろう。ナユタは神々の王女ユビュとともにそれに勇敢に立ち向かっている。今、この創造は危機に瀕しており、それを救えるのはそなたをおいてほかにない。この戦いに勝利し、ムチャリンダの野望を打ち砕き、地上に真の平和と楽園を築くこと、それがそなたの使命なのだ。」

 しかし、ヨシュタは顔を暗くして答えた。

「通常の王ならきっと喜ぶでしょう。三人の神が自分に味方し、戦いを手助けしてくださるのですから。しかし、私の心は喜ばないのです。戦いのない平和、いさかいのない平安こそ尊いものです。以前、私が、人間の苦しみの根源は悪の神ヴリトラにあると申し上げたとき、ウダヤ様は、世界は善と悪の二元的な力の抗争の場だと言われました。今日、そのことのほんとうの意味がよく分かりました。まさに、天空の神々の世界での二元的な力の抗争が地上へと蔓延し、両方の神の意志を受けて人間同士が戦っている。その構図がよく理解できました。たしかに、それはレゲシュが奉ずる善神ヴァルナと悪神ヴリトラの戦いそのものです。そして、私は善神ヴァルナを奉じて悪を討つことこそ自分の使命として信じてきました。しかし、よく考えると、神々の戦いに巻き込まれて、人間たちが殺し合う。こんな愚かなことはないではありませんか。私はもはや戦いを放棄し、隠遁の生活を送りたい。この国は誰かが治めればそれで良い。」

 ウダヤ師はしかし毅然として答えた。

「ヨシュタ。心を弱くし、感情によって真実を見る目を曇らされてはならない。神々の戦いで悪が勝利を収めたとき、この世界は破壊の業火に晒されるのだ。また、この国をチベールが席巻したとき、レゲシュの民にどんな幸福があるというのだろう。バドゥラとルドラはこの国の男どもを皆殺しにし、女子供は、慰み者か奴隷にするだろう。しかもこの地上での戦いは天空における神々の戦いにとっても大きな意味をもっている。地上が混乱し、戦いと悪がはびこれば、多くの神々はムチャリンダを支持するだろう。そなたは、天空と地上の両方に真の平和を築く使命を帯びている。決してひるんではならない。」

 この言葉を聞いたヨシュタはゆっくりうなずいた。そして、自らに言い聞かせるように言った。

「たしかに、私は戦わねばならないでしょう。この期に及んで引き返すことはできないでしょう。負けることは許されないでしょう。しかし、なぜ、戦わねばならないのか、それについて私は長く考えてきました。若い時は、ただ、勇敢に戦ってきましたが、王となって以来、なぜ戦わねばならないのかという疑問が常に私の心に付きまとっています。そして、分かったことは、愛から戦いが始まっているということでした。家臣たちは、皆、家族のため、すなわち愛する妻、愛する子供を守るために戦わねばならない。なぜなら、戦いに敗れたなら、その愛するものを失わねばならないからです。だから、彼らはそれを守ってくれる王を必要とし、王の元に馳せ参じるのです。でも、ウダヤ様、私にはもはや愛するものはないのです。そして、私の心はもはや王たることに満たされてはいません。神は使命に従うことこそ己の在り方と言うのでしょうが、人間は決してそうではありません。人間は、己の心の求めるところのものを追い求めるのです。この戦いに勝利したなら、私はこの国を誰かにゆだね、別の道を行きたいと思います。それを約束してくださいますか?」

 別の道とは何か、とウダヤ師は聞きたかったが、それを飲み込んでこう答えた。

「いいだろう。ヨシュタ。勝利のあかつきにはそなたの好きなようにするがいい。だが、本当に隠遁するかどうかは、そのとき改めて考えてみればいいだろう。」

 そして、ウダヤ師はおもむろにもって来た袋からブルーポールを取り出した。

「これはおまえが生を受けたときに輝いたブルーポールだ。そういった意味では、このブルーポールこそ、おまえの守護神だ。これをおまえに授けよう。このブルーポールはきっとイムテーベとの戦いで威力を発するだろう。」

 ヨシュタはブルーポールを恐る恐る受け取った。するとブルーポールはヨシュタの手の中で激しく輝き出した。ヨシュタはびっくりして言った。

「まるで生きているようだ。」

「ヨシュタ。ブルーポールはまさに生きておる。もつ者の心を照らし、もつ者の心の奥底に潜む真の力に反応して輝く。これは今日からおまえのものだ。これをもって戦いなさい。きっと、答えが出るだろう。」

 ウダヤ師はブルーポールをヨシュタに授けると、ナユタとプシュパギリを呼んだ。ナユタとプシュパギリがやってくると、ウダヤ師は言った。

「わしのブルーポールはヨシュタに授けた。ヨシュタにはこの世界の創造について語り、ムチャリンダの野望についても説明した。この戦いはこの創造の意義を賭けた戦いでもあり、地上の人類にとってもとてつもなく大切な戦いだ。ナユタ。ヨシュタを守り、この戦いに勝利すべく、力を尽くしてくれ。」

 ナユタは黙って頭を下げ、そして言った。

「ありがとうございます。ヨシュタ、これまで神であることを隠していたことを詫びねばならぬが、我々はこれからもレゲシュのために全力を尽くす。どうか、我らを信じ、チベールを倒す戦いを完遂して欲しい。」

 この言葉にヨシュタも答えた。

「今日、ウダヤ師より、この創造にまつわる壮大な話を聞き、微力ながら力を尽くさねばならないと心に誓った。もっとも、この地上のことに神々が介入していること自身については依然として大きな疑問を持っているのも事実だ。また、私自身は地上での権力を求めているわけでもない。この戦いが終わったのちには、私は別の道を歩みたい。だがともかく、今はこの戦いに全力を尽くすつもりだ。そしてそのためには、ナユタ、プシュパギリの力が不可欠なのも間違いない。どうか、この戦いに力を貸してもらいたい。」

 そう言って頭を下げたヨシュタに対し、ナユタはヨシュタの前にひざまずいて言った。

「ムチャリンダの野望を砕き、この地上に平和を流布するため、いかなる労苦もいとわない。どうか我らを信じて勝利に邁進していただきたい。」

 プシュパギリも同様にひざまずいて言った。

「ムチャリンダは、この地上で人々はおろかに生きていると喧伝していますが、決してそんなことはありません。ヨシュタ王の勇気と熱意の前に、道は必ず開けます。」

 次の日、ヨシュタ軍の中ではシャルマのための簡単な、けれど厳粛な葬儀が執り行われた。そしてヨシュタはこの戦いを戦い抜くことを改めて全軍の前で宣言した。

「この戦いは善神ヴァルナの嘉する聖戦だ。レゲシュの繁栄のみならず、この地上の平和を確立できるかどうかが、この戦いにかかっている。」

 そう宣言したヨシュタに全軍が盾を打ち鳴らして呼応した。

 

 戦場では、再度の決戦のときが迫っていた。シャルマを倒したイムテーベは着々と決戦の準備を進めた。

 決戦の前夜、イムテーベは沐浴してムチャリンダに祈りを捧げた。そして、ムチャリンダはやってきた。

 ムチャリンダはイムテーベの元に降り立つと、イムテーベとルドラを伴ってバドゥラの天幕を訪れた。ムチャリンダがバドゥラの天幕に入ると、イムテーベは厳かに言った。

「ムチャリンダ神が降り立たれた。聖戦の勝利は我が方にある。」

 ムチャリンダの神々しさに圧倒され、バドゥラは恐れ慄いてひれ伏した。ムチャリンダは神の印の付いた笏杖を掲げて言った。

「バドゥラ、顔を上げよ。戦いに向かう者、上を見て、勇ましくあれ。この戦いは汝の聖戦。臆することなく勝利を掴み取れ。敵方は邪神ナユタ、シャルマ、プシュパギリに支えられていたが、シャルマはイムテーベが既に倒し、残るはナユタとプシュパギリのみ。このムチャリンダをはじめ、幾多の神々が汝の勝利を信じている。汝の勝利は、世界の勝利に通じる。イナンナ女神の加護のもと、正義のイムテーベとルドラが汝に勝利をもたらすであろう。」

 この言葉にバドゥラは驚いたが、同時におおいに勇気づけられ、勝利を誓った。

「神々が戦場で我らに加担してくださったことは未だかつてなかった。だが、敵方に邪神がついているというなら、なんとしてもこれを打ち破らねばならぬ。ムチャリンダ神の加護があれば、道も開けましょう。」

 ムチャリンダはバドゥラの天幕を出て、イムテーベの天幕に戻ると、ブルーポールを取り出して言った。

「これはウツのブルーポールだ。ルドラ、これを汝に授けよう。勝利は汝らの手の中にある。必ずヨシュタを倒し、この宇宙に真の平安をもたらしてくれ。」

 ルドラが答えた。

「破壊の神、ムチャリンダよ。邪悪なものを余すことなく破壊しつくし、世界に真の平安をもたらすムチャリンダよ。明日、このブルーポールを手に、私は必ず勝利するでしょう。明日、宇宙には真理が再現するでしょう。」

 ルドラはこう語ると深々と頭を垂れてブルーポールを受け取り、必勝を誓った。

 

 一方、ヨシュタ軍では、軍議でプシュパギリが陣配置を説明し、策を授けていた。

「まず、左翼には私自身が陣を引き、右翼にアッガ将軍を配する。そして、中央のヨシュタ王の本陣の前に、ナラム将軍、リムシュ将軍の軍を配するが、両将軍とも、最大の目的はヨシュタ王を守ることと承知いただきたい。防御こそがその任であり、戦局が好転しない限り決して攻勢をかけてはならない。そして、この両将軍の前にナユタが陣取り、中央突破によって一気にバドゥラの本陣を狙う。右翼のアッガ将軍であるが、前回の戦いでは、ジウスドゥラ相手に善戦いただいたにもかかわらず、イムテーベにシャルマ軍が敗れ、その善戦を活かすることができなかった。だが、今回、左翼の私は、なんとしてもイムテーベからの攻撃を持ちこたえる。何とかして、敵左翼を粉砕し、バドゥラ本陣への道を切り拓いていただきたい。」

 アッガ将軍は大きくうなずいたが、敢えて問い但した。

「前回の戦いでシャルマを破ったのはイムテーベの密集方陣だった。あのような戦法は見たこともなく、あの重装歩兵団の圧力はすさまじいものだった。プシュパギリ殿は左翼を務めると言われるが、密集方陣に対する策はあるのか?」

「ある。」

 そうプシュパギリは言い切った。

「たしかに、盾を並べた密集方陣は強力な破壊力を持っている。だが、密集方陣には欠点もある。重装備なだけに機動性には乏しく、また、側面や後方からの攻撃には弱い。特に、側面でも盾を持たない側の右側面は弱い。戦車による機動戦で右側面からの攻撃を敢行するつもりだ。」

「よかろう。」

 アッガ将軍は大きな重い声で答えた。皆がびっくりするほどの大声だった。

「この戦いはシャルマが倒された前回の戦いの弔い合戦でもある。本来、わが右翼こそが、敵を粉砕せねばならぬ役目。決死の覚悟で進軍しよう。」

 このアッガ将軍の言葉で誰もが軍議は決したと思ったが、これに異議を唱えたのは他ならぬヨシュタ王であった。

「私は戦いの中で育ってきた。そして、戦いの功績でナソス王に認められ、今、こうして王位にある。しかるに、なぜ私がそのように後方に陣取らねばならぬのか。」

「しかし、全軍の将は、」

とプシュパギリは言いかけたが、ヨシュタはそれを制して続けた。

「この戦いは、私とバドゥラとの戦いである。ナユタに代わって私が中央に陣取る。敵の右翼に対してプシュパギリは持ちこたえると言うが、持ちこたえるためには戦力をもっと増強すべきだ。リムシュ将軍はプシュパギリとともに敵右翼に対してもらいたい。そして、ナラム将軍とアッガ将軍は私の陣の両側に陣取り、ともに中央突破を図る。逆に、ナユタ殿には、右翼を担当してもらいたい。ナユタ殿が敵左翼を切り崩せば、必ず勝機が訪れる。」

 この言葉に諸将たちはざわめき、動揺や困惑すら見え隠れしたが、その時、ナユタが立ち上がって力強く言った。

「よろしいでしょう。必ずや敵左翼を崩して御覧に入れましょう。」

 このナユタの言葉で、もはや誰も異議を唱える者はいなかった。軍議が決したのであった。

 軍議が終わると、プシュパギリはそっとナユタに言った。

「たしかに勝利を手繰り寄せるにふさわしい積極策だ。だが、ちょっと危険すぎないか?」

 ナユタは短く答えただけだった。

「だが、これはヨシュタの戦いだからな。」

 その夜、ナユタが自分の幕舎に戻ると、マナフが、

「ちょっとお耳に入れておきたいことが。」

と語りかけてきた。

「実は、私の手の者が敵方にも入り込んでおるのはご存じとは思いますが、そんな中で敵方のある部将がルドラに相当の反感をもっているという話が聞こえて参りまして、いろいろ調べもし、接触を試みもしたのです。」

「まあ、いつものことながら、抜け目がないな。」

「ありがとうございます。その部将というのはアルタバノスという将軍で、ルドラが征服した国の部将なのですが、ルドラのことを嫌っておりまして、この度の戦いでも決戦に異を唱えたということなのです。まあ、彼にしてみれば、こんなチベールのための戦いに自分たちの仲間を殺されたくないというのが本音でしょうからな。」

「それはそうかもしれぬな。それでどんな話になってるんだ?」

 マナフは軽く首を傾けた。

「申し訳ありませんが、正直言って、はっきりした話ではありません。彼も変な行動をして、チベール勝利の暁に痛い目に遭うのはごめんでしょうからな。ただ、あまり積極的に戦う気はないようで、機があれば、逃げ出したいと思っているようです。私が言えるのはここまでで、あとはナユタ様がこの情報をどう活用なさるかというだけの話。十分にお役に立っているとは申せませんが、このあたりが私の力の限界でして。」

「なるほど。それで、そのアルタバノスとやらは、どこに布陣するかは分からぬか。」

「それでしたら、左翼の一部を担うようです。」

 この言葉に、ナユタの目がきらりと光った。

「おれは明日、右翼だ。アルタバノスの軍を見分けることはできるだろうか。」

「それでしたら、簡単なこと。このような模様の軍旗を掲げておきますので。」

 そう言うと、マナフはナユタの目の前で軍旗の特徴を描いてみせ、さらに鎧兜の特徴なども説明したのだった。

 

 翌朝、日の出前に両軍ともに動き出した。

 イムテーベは戦車に乗ると、バドゥラ全軍に号令をかけた。全軍が怒涛の波のように動き出し、空には割れんばかりの進軍の音が響いた。右翼にイムテーベ、中央にルドラ、そして左翼にジウスドゥラという前回同様の布陣であった。

 一方、ヨシュタ軍も陣を引いた。右翼のナユタは、厳しい表情で部将たちに激を飛ばした。

「今日の戦いは、これまでの戦いとは違う。この戦いはレゲシュの存亡をかけた聖戦であり、シャルマの弔い合戦でもある。左翼のプシュパギリは、イムテーベの戦法に対する策を既に持っている。また、中央のヨシュタ王は、必ずや中央突破を果たすだろう。そして、我らは魚鱗の陣で敵を粉砕する。ジウスドゥラ軍を突破すれば、その先にいるのはバドゥラだ。バドゥラを倒し、勝利を掴む。そのために前進あるのみだ。」

 ナユタの並々ならぬ決意であった。このナユタの決意に満ちた言葉に部将たちは奮い立った。ナユタの目はシャルマの無念を晴らさんものと爛々と燃え上がり、ブルーポールは鮮烈な光を輝かせた。

 大地がナユタの言葉に応えるかのように身震いし、頬を硬直させたナユタ軍の全将兵の鼓動が大気にひしひしと伝わった。

 そして、ナユタの号令ともども、魚鱗の陣が動き出した。

 戦いは、魚鱗の陣の先頭に陣取るナユタの突撃から始まった。ナユタがマーヤデーバの轟音をとどろかせる中、ナユタ軍の戦車が勇躍、ジウスドゥラ軍の最前線にいたバルカ軍の中に飛び込んだ。ナユタのブルーポールが青い光を放ち、その華麗な雄姿が戦場の中にひときわ煌びやかに輝いた。

 一方、右翼のイムテーベもブルーポールを掲げた。朝日の中にイムテーベのブルーポールが燦然と輝き、イムテーベ軍の戦車が激しい攻撃をプシュパギリ軍に加えた。

 しかし、弓の名手プシュパギリを大将に仰ぐプシュパギリ軍は、三重の弓隊を並べ、突撃してくる敵を次々に狙い撃った。この作戦は見事に成功し、イムテーベ軍の進撃が止まった。

 さらに、プシュパギリ軍の突撃が始まった。プシュパギリ軍の戦車は戦場を縦横に駈け抜けた。この戦いで、プシュパギリは戦車による機動力を最大限に生かし、イムテーベが前回の戦いで使った重装歩兵の威力を減じた。

 プシュパギリ軍の戦車の上から放たれる矢はまさに神の矢のごとく敵を捕らえたが、イムテーベも負けてはいなかった。

「プシュパギリ軍などに怖気づくな。こっちにはブルーポールがある。怖気づいたほうが負けるだけだ。ひるまず留まって戦うのだ。」

 このイムテーベの声にイムテーベ軍も戦列を立て直して戦った。戦局は一進一退。両軍の兵士が盾を打ち合わせ、槍で突き合い、いたるところで激しい戦いが続いた。大盾がぶつかり合ってすさまじい音を立て、討ち取る者の勝ち名乗りと討ち取られる者の悲痛な叫びが大地の上で混濁し、原野は血の河となった。もみ合う両軍が発する叫喚と激闘の響きは天をつんざかんばかりであり、勝敗の帰趨が定まらないまま激しい戦いが延々と続いた。

 一方、中央では、ヨシュタ王が自ら果敢にルドラ軍に挑み、ナラム将軍、アッガ将軍も遅れてはならじと前回とは比べものにならない果敢さで前進した。レゲシュを支え続けてきた猛将の真価を示すのはこのときをおいて他にはないという両将軍の決死の覚悟が全軍に行き渡り、その猛攻はルドラ軍に強烈な圧力を加えた。

 その攻勢の中、燦然と輝く武具に身を包んだヨシュタはブルーポールを大きく掲げた。ブルーポールは天に向かって青い光を放ち、その光は真っ青な空にはっきりと見て取れる青い一条の光の帯を描くほど強烈だった。その光はヨシュタ軍に百万の味方を得たほどの勇気を与え、兵士たちは最前線に突き進んで敵を次々と倒していった。

 一方のルドラ軍も一瞬は底知れぬ恐怖を覚えたが、鬨の声もすさまじい軍勢に囲まれて立つルドラがブルーポールを取り出すとこちらも勇気百倍であった。そして、ブルーポールの光とともに両軍の突撃が始まった。戦局は互角、ここでも激しい戦いが繰り広げられた。

 ルドラはその眼前でヨシュタが味方の戦列を撹乱しつつ疾駆する姿を見るや直ちにヨシュタに狙いをつけて弓を引き絞った。すさまじい轟音を発して矢はヨシュタ目掛けて飛んだが、ヨシュタはそれを大盾で防ぎ、大声で叫び返した。

「ルドラ、きさまはただ、天の愚かな行為に加担し、創造を危険な道に引き入れようとしているにすぎない。それは創造の高貴さを冒涜し、大宇宙の真実の詩句を否定する愚行にすぎない。おれはプシュパギリから弓の手ほどきを受けた。おれの矢は必ずやおまえを捕らえる。」

 そう叫ぶとヨシュタは白銀の飾りのついた大弓に矢をつがえた。それを見たルドラはきびすを返してヨシュタから離れた。

 ヨシュタは叫んだ。

「いざ、進め。敵は後ろを見せたぞ。突撃だ。一気にルドラ軍を粉砕するのだ。」

 しかし、ルドラは歩兵陣の中に逃げ込むと、分厚い歩兵陣形を構築し直し、ヨシュタ軍に向かって再び前進する。戦局はまさに一進一退であった。

 各所で激しい戦闘が繰り広げられる中、右翼ではナユタの魚鱗の陣が威力を発揮した。バルカも奮戦したが、魚鱗の陣から繰り出される新手が加える圧力に、ジウスドゥラ軍の戦列は次々と崩された。

 そんな戦場をナユタの戦車は縦横無尽に駆け抜け、そのブルーポールから放たれる光は戦場の中でひときわ青く輝いた。昼近くになると、ジウスドゥラ軍の戦列は乱れ始め、脱走兵が続出した。勝機と見て取ったナユタは、マナフが教えてくれた軍旗の特徴によって見定めたアルタバノスの軍への攻撃を集中させた。この攻撃は戦局を一気に決定づけた。

 ナユタ軍の激しい攻撃の矢面に立たされ、味方の兵が次々と倒されるのを目の当たりにすると、アルタバノスはほぞを噛んだ。

「好戦的なルドラに踊らされた結果がこれか。こんなところで、チベールのために死ぬほどばかげたことがあろうか。」

 そう叫ぶとアルタバノスは部下に防戦に徹しつつ部隊をできるだけまとめるように指示し、なんの躊躇もなく軍を反転させたのだった。この好機をナユタは待っていたのだ。ナユタ軍はアルタバノスがいた場所へ一気に軍を進め、そこから一気にバドゥラの本陣へと肉薄した。

 アッガ将軍もこれを見逃さなかった。アッガ将軍は急遽軍を右旋回させてジウスドゥラ軍に攻勢をかけ、ジウスドゥラを追い詰めた。ジウスドゥラは青ざめながらも叫んだ。

「信義にもとる卑劣な策と姑息な手段で勝利を得んとするレゲシュに未来などあろうはずがない。」

 だが、そんな声はアッガ将軍にとっては戯言でしかなかった。アッガ将軍はジウスドゥラに兵を殺到させ、混戦の中でジウスドゥラを討ち取ったのだった。

 こうなると、ナユタ軍の激しい攻勢がかけられたバドゥラ軍の本陣は浮足立った。統率は乱れ、陣形は崩れ、ナユタ軍の前になすすべがなかった。バドゥラ軍の兵士は次々に倒され、もはやナユタ軍の戦車を遮るものは何もないといっていいほどで、あまりのあっけない崩壊に攻め寄せるナユタ軍の将兵も驚くほどだった。

 ナユタはバドゥラの戦車を認めると、大きな声で叫んだ。

「バドゥラだ。総攻撃をかけよ。」

 ナユタの号令に呼応して、ナユタ軍が一気に押し寄せた。その凄まじい圧力にバドゥラは耐えられなかった。そしてバドゥラが選択したのは、戦線からの離脱だった。それは、決戦の前にアルタバノスが進言してくれたようにトドラ渓谷の向こうに逃れて渓谷を閉ざせばなんとかなるという思いであったろう。

 それを見たイムテーベは烈火のごとく怒りを表した。

「この決戦におよんで退却とは。ここでひとり離脱してどうやってチベールに帰れるというのか。」

 しかし、バドゥラの離脱は戦いの帰趨には決定的だった。

 ヨシュタはこの機を見逃さなかった。一旦、部隊の後方に下がって指揮を執っていたヨシュタは全軍に総攻撃を命じ、自らブルーポールを掲げて前線に駆けて行き、ルドラ軍の陣形の乱れを一気に突いた。

 この一撃でルドラ軍は崩れ始めた。

 ヨシュタの戦車がブルーポールの光とともに戦場を疾駆すると、ルドラの必死の叫びも戦場の騒音にかき消され、戦線を立て直すのは容易ではなかった。ヨシュタ軍の戦車は縦横無尽に疾駆した。次々に敵の戦車を破壊し、いたるところでヨシュタ軍の凱歌が聞こえた。

 もうもうと土煙が上がる中、ルドラもブルーポールをもって奮戦したが、味方はだんだんと少なくなっていった。そして、ついにヨシュタはルドラを追いつめた。

 ヨシュタは叫んだ。

「ルドラ。今日が貴様の最期だ。天から地に降りてさまざまな策謀を企て、この地上を地獄と化そうとしたのだろうが、それも今日が最後だ。このヨシュタある限り、決して貴様のような邪神の思い通りにはさせぬ。」

 しかし、ルドラも負けてはない。

「ヨシュタ。人間の分際で何をほざくか。思い上がるなよ。おれはひとりで、おまえたちは多勢で取り囲んでいると思っているだろうが、おれにはまだ無敵のブルーポールがある。このブルーポールがある限り、そんな囲みはいともたやすく突破できることを忘れるな。」

 この言葉にヨシュタは一瞬たじろいだが、ヨシュタは厳かに言った。

「それは驕れる者の言葉だ。ブルーポールならばここにもある。このブルーポールについて私が聞いたところによれば、このブルーポールはもつ者の心に照らしてその威力を変えるとか。邪悪な心に満ち満ちている貴様のブルーポールが私のブルーポールに勝てるわけがない。」

「よくそんなことが言えるな、ヨシュタ。和平を結ぶと言いながら、汚れた女を嫁がせたのはどこのどいつだ。貴様こそ謀略と汚れに満ちた輩ではないか。そんな者にブルーポールを握る資格があるなど到底信じられぬわ。」

 この言葉にはヨシュタも青ざめないわけにはいかなかった。しかし、ヨシュタは次の瞬間、静かに厳かに、こう言い放った。

「だが、それらすべての種を蒔いたのはきさまら神々ではないか。そしてこのレゲシュとチベールの戦いもきさまらが仕組み導いてきたものではないか。地上に戦さを蔓延させるために降り立った神など断じて認めるわけにはゆかぬ。ブルーポールとブルーポールの戦いでは正しい方が勝つ、それだけだ。」

 そう言うと、ヨシュタはただ一人戦車を進め、ルドラの戦車に向かった。一対一の勝負を挑んだのだった。

「きさまは勝てんぞ、ヨシュタ。」

 しかし、その言葉もヨシュタをひるませない。

「神が人間を蹂躙している。見過ごすことはできない。」

 そう叫んだ自らの言葉がヨシュタに勇気を与えた。捨て身ですべてをなげうったヨシュタの無心のブルーポールはなにものよりも強かった。ルドラはヨシュタのブルーポールの一撃で体勢を崩された。

 勝てないと悟ったルドラは天を呪った。

「なぜ勝てぬ。まして神が人間に負けることなど、あろうはずがないではないか。」

 だが、天から降り注いできた声は非情だった。

「汝は人間との戦いのとき神としての優越性を失うとレヴァルハンは言わなかったか。」

 その言葉がルドラの最後の勇気を奪った。ルドラは背を向け、一目散に駆け出そうとした。だが、逃げ切れるはずもなかった。ルドラの背を目掛けて放たれたヨシュタのブルーポールの一撃はついにルドラを倒したのだった。

 それは宇宙開闢以来、神が人間によって倒された初めてのできごとであった。その瞬間、全宇宙に激震が走り、多くの神々の心に戦慄が走った。ムチャリンダは、言いようのない畏怖の念に襲われ、底知れぬ恐怖に苛まれた。ヴァーサヴァとエフタも恐ろしい衝撃に襲われ、つぶやいた。

「世界が壊れる。何ひとつ確かなものがなくなってしまった。」

 衝撃ははるかかなたのマーシュ師の館にも伝わった。マーシュ師とウダヤ師は苦い思いが心の底から湧き上がるのを感じ、それぞれひとり部屋に閉じこもった。ユビュも生まれてこのかた味わったことのない恐怖を覚え、おびえた小鳥のように部屋の中でうずくまった。

 一方、バドゥラは戦場を離脱してトドラ渓谷を目指したが、ナユタ軍はトドラ渓谷の手前でバドゥラに追いついた。

「バドゥラ、もはやそれまでだ。観念するがいい。」

 そう叫ぶナユタに、もはやこれまでと思ったバドゥラは、叫び返した。

「神々の戦いをこの地上に持ち込み、今こうしておれを追いつめている。まさに、神の恣意。そんなことが許されるのか!」

 そして単身とって返してナユタに向かった。しかし、結果は火を見るより明らかだった。次の瞬間、ナユタのマーヤデーバがバドゥラを倒していた。

 そしてこれもまた宇宙開闢以来始めての出来事であった。いかなる神も人間を殺してはならないという掟を犯し、ナユタのマーヤデーバが人間バドゥラを倒したのだった。宇宙は震撼した。そして宇宙は凍りついた。多くの神々がナユタを呪い、口々に叫んだ。

「神として最大の罪が犯された。」

「ナユタの神通力はもはや力を失うであろう。」

「世界は闇の時代へと突入するだろう。」

 だが、ともかく、こうして決戦は終わった。ヨシュタ軍の完勝であった。もはやヨシュタ軍を遮るものは何もなかった。バドゥラ軍は完全に殲滅され、生き残った者たちも算を乱して潰走した。イムテーベとバルカは天へと去っていった。

 

 次の日、ヨシュタ軍はトドラ渓谷を破り、チベールへと進軍した。ヨシュタ軍がチベールの城塞に迫ったのはヴィンディヤの野での決戦から十数日後のことであった。

 チベールは固く城壁を閉ざし、最後まで抵抗する姿勢を示した。城を守るバドゥラ王の長男シュッタルナ皇太子はヴィンディヤの野での敗戦とバドゥラ王の戦死が伝えられると、即座に簡略の儀式で王に即位し、敗残兵を城内に収容して徹底抗戦を叫んだ。

「この城は難攻不落。三年分の食糧もある。負ければ我らすべて滅亡だ。戦うしかない。」

 シュッタルナは、あらゆる家にある金属類、金めのものすべてを徴収し、昼夜をついて鍛冶屋に剣、投げ槍、盾などの武器を作らせた。兵士以外の男も武器を取り、城壁に配置された。

 アッガ将軍はヨシュタ軍に城を取り巻かせて総攻撃の準備をさせたが、ジャムシードはアッガ将軍に言った。

「もはやチベールの命運は尽きています。力づくで落とすことは難しくはないでしょうが、無血開城させて犠牲を出さないのが賢明なのでは?」

 だが、アッガ将軍は軽くいなした。

「そんな無血開城など可能とは思えんがな。いったいどうやって無血開城などさせるのか?」

「実は、かつてチベールで懇意にしていた者たちが交渉を望んで秘かにやってきております。ある意味、私はチベールにとって裏切り者ということになりますが、その私を頼ってきているということは彼らもまさに窮している証拠。まずは、話を聞くだけでも聞いていただければ。」

 アッガ将軍は軽い軽蔑を含んだ薄ら笑いを浮かべて言った。

「まともな話が聞けるとは思えんが、来ているというなら会うとするか。」

 ジャムシードを頼って交渉に来ていた三人の男たちがアッガ将軍の前に現れると、将軍は傲然と言った。

「いったいこの期に及んでどんな交渉が可能なのかよく分からぬが、ともかくは話を聞こうではないか。」

「ありがとうございます。両国はヴィンディヤの野で戦い、貴国が勝ちを収められ、今、チベールを包囲しておられますが、王位を継いだシュッタルナ新王は旺盛なる戦意をもって守りを固め、無尽蔵とも言うべき食糧も貯蔵しています。ここで両国が更に戦えば、貴国にとっても少なからぬ犠牲が出るのは必定。シュッタルナ王は決死の覚悟で戦いの準備を進めてはいますが、交渉によって条件さえ整えば、無血開城も良しとしています。」

「ほう。その条件とは?」

「もちろん、貴国の希望などもありましょうから、条件は交渉によって詰めねばなりますまいが、当方からの一方的な希望を述べさせていただくなら、チベールの街と王家を存続させていただき、その上でレゲシュを盟主に戴き、末永く臣下の礼を取らせていただきたいと考えております。」

 アッガ将軍は大声で笑い、そばにいるナラム将軍に言った。

「こちらの条件を書いたものは用意してあるな。それを読み上げ、それをもって使者には帰城していただけ。」

 ナラム将軍は条件を読み上げた。

「一、王族の男子は死罪。二、筆頭貴族十二家の当主とその男の子は死刑。三、他の男子はすべて奴隷として売却、四、女子供は奴隷としてレゲシュに仕えるか売却、五、チベールの街は破壊。以上の条件を飲むなら、明後日の早朝までに白旗を掲げ、武装解除して開城せよ。以上。」 

 チベールの者たちは顔を引きつらせた。

「とても飲めない。講和協議と言えるものではないではないか。これでは、ただ最後の一人まで戦うしかない。」

 ナラム将軍の横に立っていたリムシュ将軍は鼻で笑って冷ややかに応じた。

「空威張りも良いとこだな。提示した条件はたった数十人の処刑だけで、あとの者たちはみな命が助かる。ずいぶんと甘い条件と思えるがな。戦いとなれば、その百倍以上の死者が出るのはおまえたちだって分かっていよう。それに、これは、チベールがこれまで周辺国を征服してきた際の条件と同じではないか。自分たちがやってきたことが、自分の身に降りかかっくるときになって騒ぐというのも、なんとも見苦しいではないか。我らが総攻撃をかければ、城はいとも簡単に落ちるだろう。仮におまえたちが言うように、籠城が可能としても、我らは何ヶ月でも何年でもチベールを包囲し続ける。チベールにはもはや援軍はなく、籠城しても餓死を待つばかり。チベールの命運は尽きていると言えよう。」

 この言葉に、三人は唇を噛んでリムシュを睨んだが、どうすることもできなかった。

 使者が帰ると、ジャムシードは言った。

「ちょっと厳しすぎませんか?戦えば、レゲシュの兵士にも相応の犠牲を覚悟せねばならないわけですし。」

 だが、アッガ将軍は剛胆に笑って言った。

「おまえは、所詮、ただの貴族で軍のことは分かっておらぬようだな。犠牲は出るかもしれんが、それがどうしたというのだ。兵士たちは目の前の獲物にわくわくしている。自分たちが掴み取れる金銀財宝に女たちがあの塀の向こうで待っているんだからな。向こうの言う条件で無血開城などしてみろ。兵士たちはがっかりして、これまで必死に戦ってきたのが馬鹿みたいだったとでも思い、俺たちを恨むだろう。そんなことできるわけないじゃないか。」

 一方、ナユタはマナフとヒッパルキアを呼んで言った。

「降伏させるのは難しいそうだから、決戦になる可能性が高い。その時、気になるのは、ウルヴァーシーの侍女たちだ。何と言っても、秘密が纏わりついているからな。」

 マナフは渋い顔をした。

「たしかに気にはなりますが、ここに至ってはなるようにしかならないのでは?城内の様子も分かりませんしね。」

「だが、彼女たちが軟禁されている場所は分かっているんだろう?」

 ヒッパルキアが分かっていると答えると、ナユタは言った。

「だったら、マナフ。おまえに部下の兵士をつけるから、城が落ちたら、ヒッパルキアと一緒にその女たちのところへ行って身柄を確保してくれ。言っておくが、狼藉はさせるなよ。その女たちはできるだけ秘かにレゲシュのおれの邸宅に連れて行ってくれ。これはマナフ、おまえの役目だ。そうすれば、秘密はおれの家の塀の外には漏れずに済まされるからな。」

 ヒッパルキアは薄笑いを浮かべて言った。

「褒美はこの前と同じでよろしいですか?」

「まあ、良いだろう。」

「ありがとうございます。では、女たちを無事連れ戻せれば、ナユタ様も二重の喜びということになりますね。ご期待のほどを。」

 二人はこのナユタの指示を受けてさっそく準備を始めたが、マナフはヒッパルキアに言った。

「なんだか楽しそうだな。その褒美はそんなに嬉しかったのか?おまえが金以外のものでそんなにうきうきするとはな。」

 ヒッパルキアは笑って言った。

「だって、あんなに私を満足させてくれた人なんて初めてなんですもの。それに私をあばずれや娼婦の女のようにではなく対等な女のように扱ってくれるし。」

「そうか?なんだか嫉ましいがな。おれじゃ、駄目なのか?」

「いいえ。駄目じゃないわよ。別のご褒美さえいただければ。」

「なるほど。じゃあ、そのご褒美を準備して今度ということで。」

 二人はレゲシュの侍女を助けるために周到な準備を進めたが、結局、それは無駄だった。

 二日後の早朝までにチベール城から白旗は揚がらず、アッガ将軍の号令で総攻撃が始まると、チベール軍はウルヴァーシーの侍女たちを城壁の上で逆さ吊りにし、一人づつ槍で突き刺しては城壁の下に落としたのだった。レゲシュ軍からは多少動揺の声も漏れたが、

それで攻撃が怯むことはなかった。何人かの女が死んだとてそれがどうしたというのか。

 それを眺めていたマナフはそばのヒッパルキアに言った。

「これでナユタ様の懸念も解決したわけだ。」

「そうですね。これで私たちもいらぬ苦労をしなくても良くなったわけですし。ただ、褒美は楽しみだったんですけどね。」

「まあ、そんな褒美ならいくらでも機会はあるだろう。ナユタ様もあんなに潔癖ではなく、もっと普通に女を抱くべきだし。」

 レゲシュ軍の激しい攻撃に対して、チベールはシュッタルナ王を中心に決死の覚悟で戦ったが、多勢に無勢、援軍のあてもないチベールの命運は尽きていた。数日の攻城戦の後、ついに城門が破られ、レゲシュの兵士が城内になだれ込んだ。

 城門が破られ、レゲシュの兵士が城内になだれ込むと、そこで展開されたのは、無差別の殺人殺戮、略奪と陵辱であった。兵士たちは先を争って金品を求め、女を求め、血走った目で城内を駆け巡った。武器を持った男はもちろん、武器を持たぬ男も次々に殺された。

 チベールの市民の最後の頼りは聖なるイナンナ神殿だったが、そこにもレゲシュの兵士が押し寄せた。

「イナンナよ。この街を守り給え。この街を救い給え。」

 そうイナンナ女神に最後の祈りを捧げる祭司も槍で突き殺され、イナンナ女神の像にすがりつく者にも容赦なく矢が射かけられた。

 王宮では貴族たちが最後の抵抗を試みたが、兵士がなだれ込んでくると女たちの悲鳴が渦巻いた。少なからぬ貴族が自決したが、捕らえられた貴族や兵士は城内の広場で次々と処刑された。家に潜んでいた女や子供は捕らえられ、多くの女が陵辱された。まさに、おぞましい蛮行であり、地獄絵そのものであった。

 

 次の日、ヨシュタはナユタやプシュパギリとともに城内に入った。街には、戦いの傷痕が至るところに生々しく残っていた。

 庭園は踏み荒らされ、街を飾っていた彫像の多くは打ち壊されていた。戦いの匂いがいたるところに充満し、多くの悲鳴や叫びがなおも上がり、煙を上げて燃えくすぶる家も少なくなかった。兵士たちの略奪、陵辱も続いていた。

 レゲシュの兵によって奴隷として連れて行かれる女たちや子供たち。ある女は顔を服に埋め、またある女は泣き叫んで抵抗し、また別の女はひたすら子供の名前を呼び続けた。裸の子供が何人も縄につながれて引きずられてゆく。捕らえられた女たちの集団が鎖で数珠つなぎにされて歩いてゆく。

 レゲシュの兵たちは一軒一軒しらみつぶしに調べていた。ある家では、出て行く兵士に老人が泣きながらすがっていた。しかし、兵士は老人を一瞥して蹴りつけただけだった。兵士に蹴られた老人は身動きひとつせず道端に横たわったままだった。

 そして街角の至るところで、首のない死体、切り刻まれた死体、焼け焦げになった死体が転がっていた。

「ナユタ。」

とヨシュタが力なく声をかけ、立ち止まった。

「ナユタ、教えてくれないか?神々の戦いもこのように悲惨なのであろうか?」

 ナユタは苦しそうに答えた。

「ヨシュタ、神々の戦いはここでの戦いとは異なっている。神々の戦いでは女子供を奴隷にするとか、勝利のあかつきに敵の男すべてを殺してしまうとか、そういったことはない。神々の間ではただ、神々による戦いがあるだけで、略奪もない。」

「そうか、この地上の戦いは神々の戦いよりもはるかに悲惨で凄惨というわけだ。ナユタ、なぜ私が悲しいか分かるか?この戦いが神々のための戦いであり、そしてそのために無数の人間たちが苦しむ。こんなおかしな矛盾したことがあっていいのだろうか?」

 プシュパギリが口を挟んだ。

「だが、ヨシュタ、神々がかかわらなくても、人間は人間同士で殺し合いをするだろう。」

 しかし、ヨシュタよりも先にナユタが口を開いた。

「プシュパギリ。確かにそうだが、そのように人間を運命づけたのもまた神々だからな。」

 このナユタの言葉を最後に三人とも沈黙した。三人が広場にやって来ると、そこにも死体の山があった。レゲシュの兵士がそれを荷車に積み込んで城外に運んでいた。

 そこに部隊長が駆け寄って来た。部隊長は兵士たちに一人の女を連れてこさせた。衣服は破れ、顔はすすけていたが、なお、気品と威厳が漂っており、一目で高貴な身分だと分かる女性だった。ほっそりとした両の手を後ろ手に縛られた姿は痛々しかったが、破れた衣服からは大きくふっくらとした両の乳房の谷間が垣間見え、こんもりとした臀部から真っ白な足がすらりと延びていた。

 プシュパギリははっとし、その女もプシュパギリに気づいて声を上げかかったが、その前に部隊長が言った。

「バドゥラの妹にして、ルドラの妻であるユリアです。城壁を越えて逃げようとしていたところを先ほど捕らえました。これから捕えた女たちを集めている所へ連れてゆくところです。」

 ヨシュタは短く「そうか。」と言っただけだった。

 ユリアはしかし侮蔑の表情を浮かべて言った。

「街の男たちはみんな死にました。女たちはみな犯され、奴隷として捕らえられました。子供も生き残ったものはみな捕まりました。レゲシュの兵士たちは籤で女たちを引き当てて、順番に犯しているそうですね。何人もの男たちの前で、次々に手込めにされた女もたくさんいます。」

 彼女の声は震えていた。

「あなたはたいそう人徳があると評判だったけど、結局他の王と同じね。ただ、殺し、犯し、奪うだけ。そもそもは人の子を孕んだウルヴァーシーを嫁入りさせてきたのが発端ではありませんか。チベールにはなんの落ち度もなかったはず。なのに、結局チベールは滅び、このありさま。なにもかも思い通りになってさぞ愉快でしょうね。」

「黙れ。」

と一喝したのは部隊長だった。

 だが、ヨシュタは言葉を発することができなかった。ユリアがなおも叫んだ。

「私をどうするおつもり?私の父も夫も兄弟もみんな死にました。ウルヴァーシーが嫁いだジャンダヤもね。私も一思いに殺しなさいよ。」

 ヨシュタが言葉を発する前に、ナユタが言った。

「チベール出身のジャムシードがユリア殿を貰い受けたいと言うのではないかと思うが。」

 この言葉にユリアはいきり立った。

「ジャムシード?国を売った裏切り者ではありませんか。蔑むべき輩で、汚らわしい。顔も見たくありません。」

「つまらぬことを言いました。」

 ナユタはそう言うとヨシュタに向かって言った。

「この女性の扱いは、私に任せていただけないか。」

 ヨシュタが明確な返事をしないのを見て、ナユタは同意を得たものとして言った。

「では、この女性を私の幕舎にお連れせよ。きちんと監視をつけて、丁重にお連れするのだ。いる者たちに言ってくれ。湯を使わせ、髪を梳き、新しい衣服を着せるようにな。」

 ユリアが兵士たちに連れてゆかれると、真っ青な顔で突っ立っているヨシュタを見て、プシュパギリが言った。

「ヨシュタ王は疲れておられる。休まれた方が良い。」

 ヨシュタが衛兵とともに立ち去ると、部隊長はナユタに言った。

「それではこれにて失礼いたします。これから王族や貴族の女たちを集めた場所に行き、今後の身の振り方を伝えねばなりませんので。」

 プシュパギリが聞いた。

「おまえの言うそれぞれの身の振り方というのは決まっているのか?」

「ええ、昨日、アッガ将軍が取り仕切って決めましたので。」

「アッガ将軍が取り決めた?」

「はい。ヨシュタ王のご了解の元、旧家の方々で決めることになり、アッガ将軍が中心となって協議されて決められたのです。」

「我々は何も聞いていませんね。」

 プシュパギリはナユタにそう囁きかけた。

「そうだな。旧家の者たちは当然の権利と思っているのだろう。」

 そう小声で答えると、ナユタは部隊長に向かって言った。

「ところで、さっきのユリアはどうなることになっているのか?」

「いえ、ユリアは昨日はまだ捕えられていなかったので、何も決まってはおりません。」

「そうか。では、私に任せていただくことをヨシュタ王に了解いただいたということでいいだろう。後でアッガ将軍に伝えておくとしよう。ところで、これから行く場所には、おれたちも行っていいか?」

 部隊長は驚いて口ごもりながらも言った。

「ええ、もちろん。ナユタ閣下が行かれるというものを我々が押しとどめることなどできませんので。ただ、将軍がお越しになるような場ではないとは思いますが。」

「ともかくおまえについて行くことにする。案内してくれ。」

 ナユタの言葉を受け、部隊長がナユタとプシュパギリを案内して歩き始めると、プシュパギリがナユタに囁いた。

「先ほどのユリアのことですが、ジャムシードは、ユリアを捕らえたら自分の奴隷にしてありとあらゆる辱めを受けさせてやると言っているそうです。」

「それは許されぬな。」

 ナユタがにこりともせずそう言うと、ふたりは黙って部隊長の後を歩いた。後ろには兵士たちが付き従った。部隊長はある建物の前で立ち止まり、「ここです。」と言った。

 建物の中に入ると、女たちがうずくまっていた。やつれ、衣服は破れたり、すすけたりしていたが、高貴な出の女たちであることはすぐに分かった。

「お立ち下さい。」

 部隊長がそう言うと、女たちが立ち上がったが、一番年配と見える女がプシュパギリに気付いて口を開いた。

「そこにおられるのはプシュパギリ殿ではないか。」

「これはマカリア殿。今日は、部隊長が皆様にお伝えすることがあると言うので、ついて参ったのです。」

 プシュパギリに話しかけた女は、バドゥラ王の妃、マカリア王妃であった。

「伝えたいこととは、いったい何でしょう。もちろん、チベールがこうなった以上、ある程度の覚悟はできております。負けた国の女がどうなるか。それはこれまで他の国々のことを聞いて知っています。それにしても、それがまさか我が身に降りかかってこようとは。私たちはか弱く惨めな女。いったい、どんな恐ろしいことを聞かねばならぬのか。それに、そなたの隣におられる立派なお方はどなた。」

「こちらはナユタ将軍です。」

 この言葉を聞くと、一瞬にしてマカリア王妃の表情は険しくなった。冷たい棘のある声で彼女は言った。

「夫バドゥラをその手で討ったというナユタですか。いったい、そのナユタが我らにどんなご用があるというのか。」

「いや、皆様にご用があるのはこの私。ナユタ将軍とプシュパギリ将軍はただついてきておられるだけで。」

 そう言ったのは部隊長だった。

「それで、我らに伝えたいこととはいったい何なのか?」

 マカリアの詰問するような言葉に、部隊長はやや言いにくそうに口を開いた。

「こんなことをほんとうは申し上げたくはないのだが、これも命令されてのこと。伝えねばならぬ。今日は、決議により決まったこと、すなわち、それぞれの方が今後仕える先についてお伝えせねばならぬのです。」

「今後仕える先。なにやら恐ろしい予感がします。それはどういうことなのでしょう。」

「ともかく、お伝えせねばならぬ。マカリア殿はアッガ将軍が貰い受けられる。」

「おお、何ということ。」

 マカリアはそう叫ぶと、みるみる頬を振るわせて言った。

「夫が討たれ、我が子が戦場に倒れ、国が滅び、これ以上の悲しみはないと言うに、この上さらにそんな恥辱を味わわねばならぬとは。なんと。王族の私が、ただの無粋な将軍に召し使われる。しかも、バドゥラ王を倒したにっくき敵の大将ではありませぬか。」

「ですが、これは単なる召使いではござらぬ。アッガ将軍はマカリア妃を望んで所望された。レゲシュいちの将軍と臥床を共にするのはマカリア殿の新たな誉れとなりましょう。」

「何ですと?王妃であった我が身が野卑な将軍と夜の床を共にせねばならぬというのですか。なんという仕打ち。なんという惨めな人生。」

 マカリアは声を震わせてそう言うと、床に崩れ落ちた。二人の女がマカリアのそばで彼女を抱き起したが、マカリアは声を振り絞って言った。

「プシュパギリ殿、これはどういうことなのですか。そなたは、我が宮殿でひとかたならぬもてなしを受け、しかも、両国の共存共栄を提案しバドゥラ王と意気投合したはず。それなのに、こうも徹底的にチベールを破壊し、しかも、王妃だった私にはこの仕打ち。これがあなたの策なのですか?」

 プシュパギリは顔を歪めたが、部隊長は淡々と言った。

「少なくとも、皆様の行き先については、アッガ将軍が取り仕切って決められたこと。ここにおられるナユタ将軍とプシュパギリ将軍は関わってはおられぬのです。マカリア殿について申し上げるなら、先にも申しましたように、アッガ将軍がぜひ自分にと所望されました。アッガ将軍に愛されれば、マカリア殿のお気持ちも変わりましょう。」

「汚らわしいことを言うでない。」

 マカリアはそう声を荒げたが、あとはただ頬を震わせるだけだった。

 部隊長はさらに続けて言った。

「バドゥラ王の三人のご息女がいるはずだが、名乗り出られよ。」

 三人の女が名乗り出た。崩れ落ちたマカリアを支えた女たちだった。部隊長は告げた。

「まず、長女のシーラは、ヨシュタ王の妃、クマール王妃に仕えていただく。次女のセレーネは、先のナソス王の甥にあたるウトヒェガル王子が貰い受けられる。また、末娘のアズラーは、アッガ将軍のご子息が貰い受けられる。」

 三人は顔色をなくし、顔をこわばらせた。長女のシーラは声を震わせながら言った。

「王女として育ち、何一つ不自由なく暮らし、父上と母上以外に頭を下げたこともなかったこの私が、憎っくきレゲシュの王妃に召し使われるとは。しかもその女はレゲシュを滅亡に導いた悪女ウルヴァーシーの姉ではないか。」

 そう言うとシーラの目からは涙が溢れたが、顔を上げると、きっとした顔で言った。

「私たち女は単なる戦利品の物にすぎないのですね。でも、もっとも惨めなのは、夜の床で、敵だった男どもの口にするのも憚られるものを満足させるために操を捧げねばならぬ二人の妹。思春期この方、男の股間にあるものを見たことも触ったこともない穢れを知らぬいたいけな乙女が、柔らかな処女の肢体を拒むこともできず舐め回され、愛もなく、ただ、男どもの欲望満たすために尽くさねばならぬとは。なんという汚らわしさ。神はいったいどうしておられるのか?正義を嘉する神はこの世界にはおられないのか?」

 部隊長は渋い顔でそっぽを向いたが、重い声で言った。

「ご同情申し上げるが、これは戦さの常。従っていただくほかない。次に、シュッタルナ皇太子の妻、マルニガル殿はおられるか?」

 マルニガルはまだ幼さの残る若妻といった風情だったが、力なく立ち上がると、顔を引きつらせ、涙を浮かべて言った。

「シュッタルナは皇太子ではありません。れっきとしたチベールの大王です。」

 部隊長は頭を下げた。

「それは申し訳ない。言い間違えました。それでは、シュッタルナ王の妃、マルニガル王妃に申し上げる。マルニガル殿はリムシュ将軍が貰い受けられる。」

 マルニガルはへなへなと崩れ落ちた。顔を両手に埋めると涙声を振るわせた。

「チベールの王妃だった私をそんな薄汚い武人風情が抱くというのですか。なんとこの世界は薄汚れていることか。なんと嘆かわしい世になったことか。ああ、もう死んでしまいたい。」

 部隊長は渋い表情を浮かべたが、彼女から目を背けると、次に、チベールの右将軍だったネストルの妻に名乗り出させた。

 ネストルの妻アトッサは名乗り出ると、顔をこわばらせて言った。

「私自身の覚悟はできています。王室の方々でさえ、こんな仕打ち。私自身にどんな仕打ちが襲い掛かろうと驚きはしません。ただ、その前に、一つ教えて欲しい。私の二人の幼い息子はどうなりましたでしょう。おそらく、レゲシュ軍に捕らえられているのではないかと思いますが。」

 この問いかけに部隊長は顔をしかめた。

「そのことは私がお伝えする役目を仰せつかってはいないが、いずれ分かることであるからには、お伝えせねばなるまい。」

 そう前置きすると、部隊長は短く伝えた。

「二人のお子は、今朝、城壁から突き落とされた。」

「なんという。」

 アトッサはそう絶句したが、唇を震わせてさらに言った。

「いったいなぜ、右も左も分からぬ幼い子供をそのような。なんとかわいそうなことを。私はなんと不幸な星のもとに生まれてきたことでしょう。チベール一の勇者になるはずと腹を痛めた子供たちが、仇敵レゲシュの生贄にされようとは。」

「これも決議に基づくので。チベールの右将軍の胤を生かしておくわけにはゆかぬと、ナラム将軍が申されて、そう決議されたのです。」

 部隊長は苦しそうにそう言うのがやっとだったが、バドゥラ王の長女シーラが非難を込めて叫んだ。

「レゲシュの武人たちは、槍の誉れは高くとも、心映えはとてもそれに及んでおらぬ。いったい、なぜ、幼い子供をそんなむごい殺し方をせねばならぬのか。その子供たちが滅んだチベールを建て直し、レゲシュの脅威になるとでもいうのか。バドゥラの運がまだ尽きず、強力な軍勢と立派な将軍があってすら戦いに敗れ、城は落ち、チベールは滅びたというに、こんな幼い子供を恐れねばならぬとは。レゲシュはなんという小心者の集まりなのであろうか。見苦しい限りではないか。」

 部隊長は口をへの字に結んでこれを聞いたが、

「さらに、これも言わねばならぬのでお伝えするが、」

と重い声で言うと、

「アトッサ殿はナラム将軍が貰い受けられる。」

と続けたのだった。

「なんですと?」

 アトッサは絶句した。

「二人のかわいい子供を殺させたナラムにこの体を許さねばならぬというのですか。ネストルの子供を殺し、かわりに自分の子供をこの私に生ませようというのですか。なんという無情な仕打ち。」

「これは決まったことですので。私の役目はそれをただお伝えすることだけですので。」

 部隊長は声を落としてそう言ったが、アトッサは目から涙を溢れさせて嘆いた。

「ああ、なんと嘆かわしい。今になって初めて分かったのは、この世界を歪ませているのは男どものみだらな欲望だということ。立派そうな言葉を吐き、勇敢な振る舞いを見せていても、一皮剥けば、女を相手にふしだらなことをしたいという愚かな色欲。ほんとうに蔑み果てます。こんな馬鹿げたことのために翻弄されて、もてあそばれているのが私たち女。ああ、なんと惨めなことでしょう。」

 しかし、部隊長はもはやいちいち相手をする気力も失せたのか、淡々と左将軍だったジウスドゥラの妻を貰い受けるのはラシードだと告げ、さらに残りの者たちの仕える先を次々に告げていったのだった。

 部隊長が女たちにそれぞれの行き先を告げ終わった時、チベールの兵士が一人の老人を連れて部屋に入ってきた。連れられてきたのは、チベールの高名な預言者プラスティヤだった。服は破れ、顔はすすけ、膝や足の擦り傷からは血が滲んでいたが、毅然としたその表情には深い洞察力と精悍さがなお息づいていた。

 プラスティヤの顔を見ると、床にうずくまっていたチベール王妃のマカリアは立ち上がって呼びかけた。

「よく来ていただけた。この殺戮渦巻く街の中でよくご無事で。プラスティヤ殿が捕らえられご存命であると聞き、探し出して、一刻も早く我らのところに連れて来ていただくようにお願いしていたのです。この危難に際し、我らの力となっていただけるのは、チベールいちの預言者プラスティヤ様をおいて、他にはありませぬ。私たちは、途方もない危難に晒されています。どうか、お力をお貸しください。」

 マカリアはそう言ったが、自分たちの身に降りかかった不幸とこれからの難儀を説明する気力もなかったのか、

「シーラ、おまえから私どもに降りかかっていることを言っておくれ。」

と長女のシーラに事の次第を説明させたのだった。

 プラスティヤは一言も口を挟まず、時折、目を閉じながらシーラの言葉を聞いたが、シーラの話を聞き終わると、重い口を開いた。

「ご事情はよく分かりました。また、皆様方が蒙った悲惨な事態、そして、これから起こるであろう悲哀もよく分かりました。お力になれるものならなって差し上げたい。しかしながら、今となってはすべて手遅れ。私は、この戦さの前、わざわざヴィンディヤの野に野営されているバドゥラ王を訪ね、このような危険な賭けともいうべき戦さは避けるべきと諫言申し上げた。我が占いによるさまざまな不吉な凶兆についても、包み隠すことなく申し上げた。しかし、バドゥラ王は結局、レゲシュとの決戦に突き進まれ、この事態を招いた。以前、ユリア様とルドラの結婚について神託を問うたとき、ウルスラグナの巫女は、結婚は認めるが、チベールの将来は外より来た勇者にかかっておると言った。だから、バドゥラ王はルドラが国の未来を拓くと解し、ルドラの好戦主義に乗って戦いを進めたが、神託の真の意味は、外から来た勇者が国を滅ぼす因を作るという意味であったのだろう。残念ながら、皆様方のご不幸は、チベールの自業自得としか言いようがない。」

 この言葉を耳にして、女たちからは悲鳴が漏れ、涙が溢れた。

「チベールで最も徳が高いと言われたプラスティヤ様のお口から聞けるのが、そのような言葉のみだとは。我らは敵からは嘲られ、天には見捨てられ、味方と信じておったかつての仲間からも冷たく突き放す言葉のみ。私の眼に見える世界はもはや闇のみです。」

 マカリアがそう言って泣き崩れると、次女のセレーネが怒りに震える声で言った。

「でも、そもそも、悪の元凶は、ウルヴァーシーと、そのウルヴァーシーをチベールに寄こしたレゲシュではありませんか。なのに、レゲシュが罰を受けず、このチベールがこうして滅亡の憂き目にあっている。こんなことがなぜまかり通るのでしょう。プラスティヤ様はどうしてこれを黙ってお見過ごしになるのですか。」

 プラスティヤは苦渋の表情を浮かべて答えた。

「まことに、ご同情申し上げる。だが、ことは既に生起してしまっておるのだ。生起してしまったものは、如何にしても取り返せぬ。これがものの道理だ。たしかに、レゲシュに非があることは間違いない。しかし、はっきり言えることは、チベールは自分の身を護る術があったにもかかわらず、わしの忠告も無視し、自ら破滅へと突き進む道を選んだということだ。ただ、心の慰めになるかどうかは分からぬが、これだけは言っておこう。奢る者は久しからず。レゲシュの栄華も永遠ではあるまい。むしろ、この戦いこそが、レゲシュの衰退への扉を押し開けたとわしは見ている。レゲシュの男どもの歪んだ欲望から出た非道な仕打ちは、いつか必ずや、レゲシュを突き刺す業となって跳ね返るだろう。まだ、先のことではあるがな。」

 プラスティヤはこれだけ言うと、兵士に伴われて、部屋を出て行ったのだった。

 ナユタもプシュパギリも、ただただこの光景を顔を強張らせて見守っているよりほかなかった。だが、ナユタとプシュパギリがその建物を出ると、部隊長は小声で言った。

「あの場所では言うのを憚りましたが、王妃だったマカリアは若い美少年を囲って楽しみごとをしていたそうですよ。聞いた話ですが、城が陥落する前日も、これが最後かもしれぬと思うてか、夜通し、その男相手に喘ぎ声を上げていたそうです。アッガ将軍に抱かれれば、まんざらでもないかもしれせんな。マカリアは汚らわしいとか叫んでおりましたが。」

 

 夕方、ナユタがプッシュパギリと別れて自分の幕舎に戻ると、配下の兵士がにやっとした笑いを浮かべて聞いた。

「あの女はどう致しましょうか?ヒッパルキアよりずっと良い女ですな。」

 ナユタはきつい口調で言った。

「連れてこい。くだらん詮索はするな。」 

 ちょっと待っていると兵士がすっかり綺麗になったユリアを連れてきた。彼女は肌の透ける薄衣の艶やかな衣装を身につけ、体からは芳香が香っていた。兵士たちがナユタの意図を勝手に忖度してそうさせたのは明らかだった。ひょっとしたら、マナフの指示かもしれなかった。

 ユリアは自分の着せられている衣装を侮蔑のまなざしで眺めながら言った。

「今日から私はあなたの婢というわけ?あなたは立派な将軍らしいけど、私をどうするおつもり?」

 意思の強いきりりとした表情だったが、胸元からは豊かな乳房の半球がのぞき、若い女性らしいほっそりした体の線と豊かな臀部が魅惑的だった。

 ユリアは怒りの言葉で続けた。

「私のこの体はもうあなたのものなんでしょうね。負けた国の王女が何を言っても無駄でしょうけど。ここで服を脱いで裸を晒し、わたしのすべてをお見せすれば良いの?」

「これからのことについて何か希望は?」

 ナユタは落ち着いた声でそう言ったが、ユリアは苛立ちを含んだ声で答えた。

「希望?そんなものはあるわけないでしょ。何もかも失ったのよ。私たちに残っているものといったらこの惨めなこの身ひとつだけ。どうやって希望が持てると言うの?」

 ナユタが渋い顔ですぐに答えられずにいると、彼女が続けて聞いた。

「他の女たちはどうなったの?」

 どのみちそのうち分かることなので、ナユタは昼間に見聞きしたことを語った。

「なんてこと。」

 ユリアは両手を頬に当てて顔を引きつらせ、大粒の涙が溢れて両の頬を伝った。涙を拭おうともせず、彼女は叫んだ。

「ほんとにヨシュタは賢者ぶった狼、野獣ね。なんて卑劣な。血も涙もない。こんな世界になんてもうこれっぽっちも生きていたくない。ひと思いに殺して。」

 ナユタは重い声で言った。

「あなたは疲れておられる。いろいろあったからな。今日は休むと良い。」

 そう言うと、ナユタは兵士を呼んでユリアを連れてゆかせ、同時に、マナフを呼んでくるように言った。しばらくしてマナフが現れると、ナユタはそっけない調子で言った。

「ユリアにあんな服を着せ、あんな化粧をさせたのはおまえの計らいか?」

 マナフは悪びれる風もなく答えた。

「そうでございます。何か問題でも。あの女はたいそうな美人でございますが、お気に召しませんでしたか?ちょっと気が強うございますからね。」

「勘違いするな。おれはあの女を自分のものにするために連れてきたんじゃない。」

 マナフは肩をすくめて見せた。

「それは悪うございました。てっきりナユタ様が気に入られた女とばかり思いましたもので。それにしても、ナユタ様もようやくそばに女を置く気になられたかと内心喜んでおったんですがね。実際、正直言って、ヒッパルキアよりずっと良い女でございますからな。まあ、しかたありません。で、あの女はどうすればよろしいのでしょう。」

「まず、レゲシュに連れ帰り、おれの邸宅の一室に住まわせてくれ。女の召使いを付けて、不自由させないようにな。」

「分かりました。それであの女はずっとそこに住むことになるわけで?」

「とりあえずな。彼女がずっとそこに住みたければ、住ませれば良い。また、一人で暮らしたければ、一軒家を買い与えるつもりだ。あるいは、修道院に入って修道女にでもなるというならそうさせればいい。いずれにしても、よく言っておくが、ジャムシードには決して渡してはならん。近づけてもならん。おまえはジャムシードとは懇意でいろいろ貸し借りがあるだろうが、この件は、そんなこととは一切関係ないからな。」

 マナフはまだ何か言いたげだったが、引き下がるしかなかった。

 次の日、話を聞きつけたジャムシードがやってきたが、マナフはやんわりと追い返した。

「ユリアはナユタ様のご邸宅に住まわれることになりました。ナユタ様のほんとうのご意図は分かりかねますが、ともかく、あなたには会わせるなとナユタ様から厳命を受けております。たしかに、私はジャムシード様にはすごく世話になっておるし、あなたは私なんぞよりずっと偉いし力もある。だけど私はナユタ様の侍従なんで、ナユタ様の命令だけは絶対なのです。それにあなただって、ナユタ様のご機嫌を損ねては困ることになりましょう。諦めるしかありませんな。」

 こう言ってジャムシードを帰すと、マナフはヒッパルキアを付けてユリアをレゲシュに送ったのだった。

 

 二日後、戦勝祝賀会が行われた。しかし、祝賀会で勝利宣言を行うはずだったヨシュタは城内の部屋に閉じこもったまま出てこなかった。

 しかたなくヴァルナ神に感謝を捧げる勝利の儀はアッガ将軍が執り行い、その後の祝勝会はナラム将軍とリムシュ将軍とが取り仕切った。外では、祝勝会での兵士たちのにぎやかな宴が続いたが、ヨシュタの心は冷え切っていた。

 祝勝会が続く中、ナユタはひとりヨシュタの部屋にやってきた。ヨシュタは暗い部屋の窓辺に腰掛けて放心したように外を眺めていた。

 ナユタは掛けるべき言葉もなく、黙ってヨシュタの近くに座った。

 しばらくしてヨシュタが口を開いた。ナユタの方を振り向くこともなく、抑揚のない調子だった。

「あなたが神なら教えてくれ。何のための戦いだったのか。何を得るための戦いだったのか。途方もない人間たちの血が流れ、無数の悲鳴が空を焦がした。この戦いによって幸せになる人間もいるだろう。だが、それ以上に多くの嘆き、多くの悲しみ、多くの憎しみ、多くの恨みを生み出した。はてしない不幸の連鎖をこの戦いは引き起こした。いったい、このような戦いを起こしてまで手に入れねばならなかったものは何だったのか?それに私は答え得ない。たしかに、私の人生は戦いの人生だった。今回の戦いでも私は自ら進んで戦い、ルドラを倒した。しかし、ほんとうにそれが必要だったのか、今の私には分からない。より多くの不幸をこの地上に生み出しただけではないのかという問いに私は答え得ないのだ。」

「だが、ヨシュタ、」

 ナユタはそう言いかけたが、ヨシュタはそれを遮って言った。

「ナユタ、言いたいことは分かっている。それが地上の平和のために必要だったと言うのだろう。だが、それはなぜなのか。結局、我々は神々の操り人形にすぎない。神々の戦いのために、我々は血を流しているだけではないか。」

「そうだな。たしかに、そうだな。」

 ナユタはうなずいてそう答えるしかなかった。

 しばらくして、ナユタがふたたび口を開いた。しかし、言葉に力はこもっていなかった。

「ヨシュタ、前にウダヤ師から聞いてもらったと思うが、宇宙は今回の創造を打ち壊そうとするムチャリンダの脅威に晒されている。神々はこの地球で人間たちが真の創造的な世界を築けるかどうか注視している。この地球に平和を打ち立て、それを広げてゆくこと。それがなされねばならないのだ。」

 このナユタの言葉に対して、ヨシュタはぼんやりと窓の外を見つめ続けたまま、つぶやくように言った。

「私の祈りは血の匂いのしみついたねばねばした泥土の上で宇宙的混沌の中に還元されている。赤ら顔の預言者たちが残酷な光景の中で毒々しく息づいている。」

 この言葉を聞くと、ナユタはうつむいたまま立ち上がり、ひとり部屋を出た。にぎやかな祝勝会の歌声が響いていたが、彼はそれを避けてひとり城壁の上に登った。見上げると、満天の星空だった。

「神だって、ときには泣きたくなるのだ。」

 そうつぶやいた彼の目からは大粒の涙が溢れた。

「宇宙の涯てからひとりでやって来た。涯てしなく遠い時間を、ただひたすら駆けてきた。しかし、それで何をしたというのか?バルマン師は人間界に去っていった。シャルマも倒された。地上では大戦争を引き起こした。悲痛の叫びを蔓延させたのはこのおれではないのか?」

 そう言ってナユタは城壁の上に座り込み、手で顔を覆った。

 そのときだった。突然、

「ナユタ。」

と呼びかける声が聞こえた。深みのある聞き覚えのある声だった。

「ウダヤ様。」

 顔を上げるとそこには、ウダヤ師がいつもの慈愛に満ちた表情で立っていた。

 ウダヤ師はナユタをじっと見つめ、静かに語り出した。

「ナユタ、元気を出しなさい。ユビュが待っておる。プシュパギリをつけるから、明日の朝、彼と共にマーシュ師の館に帰りなさい。そこがおまえの家だ。ユビュが心配しておる。帰って元気な顔を見せてやりなさい。」

 ナユタは小さくうなずいたが、表情は沈んだままだった。

「私たちは絶望の時代に生きています。それだけではない。想像力を失い、夢を失っているのです。」

 ウダヤ師は答えて言った。

「ほんとうの生命は想像力によってのみ豊かになる。ほんとうの未来は夢によってのみ切り開かれる。我々の生命の中央にあるのは夢だ。我々自身が夢の中で生き、我々自身が夢でもある。だから、夢を失ってはならないのだ。」

「しかし、この世界では、思うようにならぬことばかりなのも事実です。生起したことがすべてであり、それ以外何もありません。そうなってしまったものは、そうなるしかなかったということでしかありません。」

「そうだな。だが、それでも己のなすべき使命だけは厳然としてある。おまえの今の使命はこの創造を救うこと、この創造をムチャリンダから守ることだ。そして、わしも、自らの使命によって、今日、ここに来た。ナユタ、真の神というのは迷ってはならんのだ。真理を見失なってはならんのだ。真理は必ずある。それは、一切の混迷の砂漠の向こうにある尽きることのない泉のようなものだ。真理を見失った者には、どこにも真理がないようにすら思えるかもしれぬ。だが、真理は常に、絶えることなくとうとうと新たな命を溢れさせているのだ。」

「その通りかもしれません。創造を救うことが私のなすべきことかもしれません。でも、チベールは倒しましたが、私たちが手をさしのべたヨシュタはこの地上への意欲を失っています。しかもこの地上の世界は、うわべは耳触りの良いことを言って人の歓心を買い、けれど、陰では陰険な心を秘めて人を陥れるようと謀り、自分の利益、自分の快楽、自分の欲得に汲々としている人間たちで埋め尽くされています。そのことがこの地上に来てさまざまな人間たちと付き合う中でよく分かりました。これが創造の現状なのです。もちろん、自分の使命を忘れたわけではありません。それを放棄するつもりもありません。ただ、心が光を見失い、勇気と活力を失っているのです。宇宙の周期が私に語りかける言葉が聞こえなくなり、未来を形造る預言者の声が響かなくなったのです。」

 ナユタのこの言葉を聞いて、ウダヤ師は別のことを語った。

「ナユタ。美しいものはどこにもなく、宇宙は混沌の中にある。そして、シヴァ神が清々たる時空の中で、ただ己の踊りを踊っている。わしにはシヴァ神の足の鈴の音が聞こえる。それは世界を踏み荒らし、世界の破壊を踊っている。ナユタ、世界では、わしらが見聞きしているのとは別の時が流れている。それに耳を澄ますことだ。悲しみは世界の本質であり、大地の隅々にまで嗚咽の声が染み込んでいる。おまえはここ数回の創造しか知らぬかもしれぬが、わしは数十回もの創造を見てきた。そして、この宇宙では繰り返し、繰り返し、幾百、幾千の世界が創造され、そして、打ち壊されてきたのだ。世界は絶え間なく構造を変え、果てることなく流転する。けれど、滅び去るものは何もない。すべては流転し、その姿を変えるだけ。その一つ一つの世界を創造した者、その創造に反発する者が互いに相争い、創造を巡って無数の神々が心を軋ませてきた。今のこの状況もその一場面に過ぎぬ。そんな宇宙の生成と流転が織りなす巨大な時空に目を向けると良いだろう。」

 この言葉にナユタがかすかにうなずくと、ウダヤ師は続けた。

「明日早く、プシュパギリとともにユビュの元に帰りなさい。もはやこの地でおまえがなさねばならぬものは何もない。プシュパギリには既にそのように言ってある。帰って、心を休め、そして、星辰の中枢に意識を集中させて新たな祈りを捧げなさい。きっと光が注いでくる。誰でも時には、自分の心を律する術を失うことがある。それは仕方のないことだ。だが、その中に落ち込んだままではいかん。自らの心に光を灯す術が必要だ。それはおまえもよく心得ているはず。ヨシュタのことが心配かもしれぬが、わしに任せなさい。おまえが思い描くようになるかどうかは分からぬが、わしはわしの使命に基づいて、ヨシュタを導くよ。」

 ナユタは黙ってうなずき、ウダヤ師を拝した。

 

 次の日の朝早く、ナユタとプシュパギリはマーシュ師の館に向かって旅立った。ふたりを見送ると、ウダヤ師はひとりヨシュタのもとを訪れた。

「ヨシュタ、また来たよ。」

 そう声をかけてウダヤ師はヨシュタのもとに現れた。

 びっくりするヨシュタに対し、ウダヤ師は続けた。

「ナユタとプシュパギリは既に神の世界に帰した。これからはおまえの時代だ。おまえ自身がこの地上で真の平和、人々が平安に暮らせる真の平和を具現するのだ。」

 しかし、ヨシュタは静かに首を振った。

「ウダヤ様、この地上で私は何をしたのでしょう。平和を具現するためと言いながら行ってきたことは恐ろしい戦争の数々。そして殺戮と略奪と破壊。この戦いでシャルマが倒されたとき、ウダヤ様は言われました。『神々の戦いで悪が勝利を収めたとき、いかにして人間の真の幸福があるだろう。また、この国をチベールが席巻したとき、レゲシュの民にどんな幸福があるというのだろう。バドゥラとルドラはこの国の男どもを皆殺しにし、女子供は、慰み者か奴隷にするだろう。』と。けれど、レゲシュの軍がこのチベールの地でなしたことは、まさにそういったことでした。この国の男どもを皆殺しにし、女子供を慰みものか奴隷にしただけでした。それを止めることは王といえどもできません。これが地上の戦いなのです。これが神々のために戦った聖戦の結果なのです。しかも、今回の戦いにしても、そもそもは私の落ち度によっています。ウルヴァーシーを孕ませたのはこの私です。成り行きとは言え、そのウルヴァーシーをチベールに嫁がせたのもこの私です。その挙げ句に戦争となり、チベールを破滅させたのもこの私です。」

 しかし、ウダヤ師はこの言葉にまったく動じることもなく、答えた。

「致し方のないことだ。レゲシュの聖なる書にもこう書いてある。神が汝の敵を撃つとき、汝は刀をもてその男どもをことごとく打ち殺すべし。その城壁を打ち壊し、その街を滅ぼすべし。その女はことごとく己に取るべし。彼らを憐れむべからずとな。それに、もしバドゥラに分別があれば、もっと平和的な解決法もあったはず。だが、ルドラは大戦争を望み、そのきっかけをひたすら探しておった。ウルヴァーシーのことなど、単にきっかけに過ぎぬ。いつかは必ず何かをきっかけに戦争になったはずだ。だが、今、その戦争は終わった。これからは平和の時代だ。この地上に平和を具現するのがこれからのおまえの役目だよ。」

「ウダヤ様、しかし、本当に地上の平和が具現できる素地はできたのでしょうか?力による一時の、ほんのつかの間の平和が具現できたに過ぎないのではないでしょうか。私はこの戦いのさなかなら、考え続けてきました。本質は、神々の間の戦いにあるのではありませんか?」

「それはたしかにそうだが、」

 ウダヤ師がそう言って言葉を詰まらせると、ヨシュタは、昔を振り返りながら次のように語った。

「ウダヤ様、私には二十年近く前のある日の光景が昨日のことのようによみがえります。父がナソス王の身代わりとなって戦死し、私たちは悲嘆にくれていましたが、それからしばらくして王宮に引き取られ、何不自由ない生活が始まりました。いつだったか、私は王宮のテラスから、途方もなくきらびやかな行列を目の当たりにしました。それはレゲシュの繁栄を誇示する凱旋式のようでした。レゲシュの偉大な勝利とナソス王の力を讃える行列でした。自国のきらびやかな楽隊、そして戦車隊、さらにはきれいに着飾った兵士たちの列。兵士たちは赤や緑のあでやかなマントをひるがえし、その槍や盾はまぶしいほどに光を反射していました。さらにはさまざまな戦利品の数々が通り過ぎ、見たこともない珍しい物品を捧げた従者や動物が歩いてゆき、その後ろには美しい女たちの踊りの列が続きました。それはまるで絵に描いたように美しい光景で、その日私がいかに興奮したか、今でも鮮やかに思い出すことができます。私は父を亡くした悲しみも忘れ、いまや世界に新しい生命が躍動し始めたという興奮を抑えることができませんでした。成長あるところには必ず衰退も必至であるというようなことは、当時まだ少年だった私には到底思い至ることのできないことでした。そして私を取り巻く世界はそのときの予感を実証するかのように展開しました。世界ははじけ、美しい未来に向かって展開し、私の世界は大きく羽ばたきました。だが、シャルマが言ったように、私たちはただ時の濁流に飲み込まれる一片の破片に等しい存在にすぎません。世界は色褪せ、美しい世界などというものは幻想に過ぎませんでした。」

 一息おいて、ヨシュタは続けた。

「ウダヤ様が最初にレゲシュにお越しになったとき、火を崇拝するザラスシュトラへの信仰のことをお話しし、この世界は善の神ヴァルナと悪の神ヴリトラの戦いの場であると言いました。まさに、この世界はその通りの世界と思うのですが、シャルマが倒れた折に聞かせていただいた創造を巡るナユタとムチャリンダの戦いはまさにヴァルナとヴリトラの戦いそのもののようです。私はこの地上で善の神ヴァルナの光が輝く世界を築くべく戦ってきたつもりですが、結局のところ、この世界で混乱が鎮まらないのは神々の世界での対立が原因ではありませんか。この地上に真の正義を具現するには、ムチャリンダを倒す以外に道はないのではありませんか?正直、レゲシュにおいてなお私がなすべきことはもはや思い当たりません。私がなすべきことはただひとつ、この世界の問題の根源に横たわるムチャリンダとの戦いのために旅に出ることだけだと思い至りました。」

 この言葉にウダヤ師は飛び上がらんばかりにびっくりし、首を横に振って言った。

「ムチャリンダとの戦い?そんなことはできるはずもない。」

 ヨシュタがそんなことを考えているなどまるで想像だにできなかっただけに、ウダヤ師はしばし言葉に詰まったが、一息つくと、続けて言った。

「大きな戦いが終わり、これからは平和な時代が訪れる。繰り返しになるが、恒久の平和を確立し、人々の幸せな営みを支えることこそがなすべきではないか。偉大な王なくしてどうしてそれがなせるだろう。壊すのはたやすい。戦うこともたやすい。しかし、築くことには忍耐と努力と時間が必要なのだ。」

 しかし、ヨシュタは同意しなかった。しかたなく、ウダヤ師は言った。

「ヨシュタ、少し時間を置こう。今は戦いの直後で精神が興奮している。レゲシュに帰り、しばらく静養するがいい。三ヶ月経ったらまた訪ねるよ。」

「分かりました。仰せの通りにいたしましょう。ただ、お渡ししておかねばならないものがあります。」

 そう言って、ヨシュタが取り出してきたのは二本のブルーポールであった。

「これはウダヤ様からいだいたブルーポールとルドラのブルーポールです。これをお返ししなければなりません。」

「そうか。だが、おまえに授けたわしのブルーポールはおまえのものだ。差し支えなければ、代わりにルドラのブルーポールをいただくとしよう。それは、もともとはウツのブルーポールだった。」

 そう言うと、ウダヤ師はルドラのブルーポールを受け取り、ヨシュタにしばしの別れを告げたのだった。

 

2014年掲載 / 最新改訂版:2021312日)


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向殿充浩 / 神話『ブルーポールズ』第2巻