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神話『ブルーポールズ』

【第2巻】-                                                  

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 さて、同じ頃、ルドラはチベールにあるバドゥラの宮殿を訪れていた。宮殿は頑強な城壁に守られていたが、ルドラは重々しい鎧を身につけ、単身で門を叩いた。驚く門番にルドラは大声で叫んだ。

「おれはルドラという。王に取り次いでもらいたい。」

 槍を構えた門番はルドラを遮ろうとしたが、ルドラの技は電光石火の早業だった。ルドラが剣を抜いたと思ったその瞬間、三人の門番の槍は宙に跳ね上げられていた。驚いた門番の一人が慌てふためいて、逃げるように城の中へ駆けていった。

 しばらくすると中から役人風の男が出て来た。

「城門で狼藉を働いている者があると聞いて出てきたが、おまえか。王への取り次ぎを求めているとのことだが、目的はなんだ。」

 ルドラは豪快に笑って言った。

「おまえたちに用はない。王はおれに会われれば、おれの力を認め、おれの力を必要とされるだろう。それだけだ。」

 役人はちょっと顔色を変えたが、胸をそらして答えた。

「いいだろう。なかなかの武芸者とのことだから、王も興味をもたれるかもしれぬ。だが本日は、王はお忙しい。明日なら王の時間もお取りできるかもしれぬ。それまでは、城内に部屋を用意するゆえ、そこで待たれたい。」

 役人のこの居丈高な発言に、しかし、ルドラは一礼して役人に従った。

 ルドラは城内に案内され、一室をあてがわれた。ルドラの元には何人もの役人が話を聞きに来た。ルドラを警戒し、素性と真の目的を探り出そうとしているのは明らかだった。

 役人たちは次々に問いを発した。しかし、ルドラは深みのある声でそっけなく答えた。

「私はここからずっと北方の部族の出身で、父は族長であった。だが、私は正妻の子ではないため、なにかと虐げられてきた。父が亡くなり、私の兄が跡を継ぎ、いよいよ身の危険を感じてこうして出て来たのだ。部族にはもう何の未練もない。ここで、バドゥラ王に仕え、身を立てたいと考えている。聞くところによると、ここチベールでは王はさまざまな特権を持っているそうな。その特権の中には、群臣に憚ることもなく自由に国外の軍人を任用する権利もあると聞く。その特権を活かして私を任用してもらいたい。それだけだ。」

 役人はすごみのあるルドラの雰囲気に気押されしつつも答えた。

「たしかに、バドゥラ王は外国の武人を軍に任用する権利をお持ちではある。だが、王としても、任用されるにあたっては、その者がそもそもどのような技量を持っているのかを見極めざるを得なかろう。」

「はっはっはっはっは。」

 ルドラは大きく口を開けて笑うと嘲りを含んだ口調で言った。

「そんなことは、おれに会われれば分かることだ。」

 ルドラはそれ以上は答えなかった。ルドラの意志の強い表情と沈黙、そして彼の射抜くような鋭い眼差しが役人たちを黙らせた。

 次の日、ルドラはバドゥラ王の前に進み出ることを許された。バドゥラは牡牛のごとくたくましい体つきで黒みをおびた立派な青髯をはやし、眼はらんらんと輝いていた。バドゥラは先端に神の標のついた黄金の笏杖を持ち、威厳を持って座っていたが、ルドラが進み出ると、笑みを浮かべて語った。

「そなたのことは役人たちから聞いておる。そなたが武芸に秀でておることも聞いておる。で、そなたは一兵卒として雇って欲しいのかな。」

 ルドラは答えなかった。

「それでは、隊長としてかな?」

 それにもルドラは答えなかった。

「では、どんな処遇を望んでいるのか?」

「一軍を任せていただきたい。」

 そうルドラは言い放った。この大胆な発言にバドゥラは驚き、居並ぶ側近たちは眉をひそめたが、ルドラは次のように述べた。

「この世では、人の道、すなわち人道、そして王の道、すなわち王道があると言います。しかし、これらは、理想としてはすばらしいかもしれぬが、現実のこの国が置かれた状況にふさわしいものではありません。今、この国はレゲシュと覇を争い、しかもレゲシュには聡明な王ヨシュタがいる。また、他の国も互いに利権を争い、平和を維持するような秩序は完璧に崩壊しつつある。このような時勢の中、王が取るべき道は、ただ一つ。覇道をおいて他にありません。」

 この言葉にバドゥラは興味を示した。

「わしの国の大臣どもはしきりに王道を説いておる。しかし、その王道によってチベールにどのような未来が開けるのか、わしにも定かには見えぬ。もし、そなたの説く覇道によってこの国の未来を描いてみせてくれるなら、そなたを将軍としよう。」

「よろしいでしょう。」

 そう言うと、ルドラは厳しい視線を放ちながら言った。

「王が弱なる王杖しか用いぬ場合、世は秩序を欠いた弱肉強食の世界となり、誰一人安んじて暮らすことはできない。逆に、時には苛酷なる王杖を用いる王こそが国を富ませ、世を安泰せしめるのです。そして、臣下も民も王を敬い、国が安泰となるのです。」

 バドゥラが身を乗り出すと、ルドラはさらに覇道によるチベールの未来をとうとうと述べていった。富国強兵を目指した具体的な政策を次々に説明し、他の国との力関係、外交の方針、どの国から征服し、どのように勢力拡張してゆくか、具体的かつ緻密な策を次々に述べていった。王は感嘆して聞き入り、それから数日間、ルドラとの対話が繰り返された。

 その対話の終わったとき、バドゥラは言った。

「そなたを将軍に任じよう。」

 こうして、ルドラはチベールの要職の地位を確保した。ルドラは軍隊を改革し、強兵を育てた。

 準備が整うと、ルドラは部隊を率いて次々と周辺の国に遠征した。ルドラはまず、チベールに土を献上するよう要求し、応じない場合は出撃して隣国との境界の標石を勝手に動かした。そして、抗議の使者が来ると、ルドラは豪快に笑って、挑戦状を叩きつけるのだった。

「望みとあらば、元に戻してはどうだ。」

 そして、相手が実際に標石を元に戻すと、ルドラは兵士たちを招集して向かって叫んだ。

「敵は無謀にも標石を元に戻したが、その力たるやおまえたちの足元にも及ばぬ。この戦いは必ず勝利する。勝利のあかつきには、敵の金銀も財宝も取り放題だ。情け容赦する必要もない。このチベールに楯突いたのだからな。そして、女もだ。女もすべておまえたちのものだ。仲間で分けてもよいし、よほど気に入れば連れ帰ってもよいぞ。」

 そう叫んでルドラが完爾として笑うと兵士たちは一斉に歓呼の声を上げ、剣で盾を叩き、気勢をあげるのだった。

 実際、ルドラは容赦のない戦いを挑み、凄まじいまでの殺戮と破壊を行った。彼の軍隊は負けることを知らず、彼は占領した町にチベールの市民を移住させて植民都市とした。

 都市の中は、劣勢を顧みずルドラの大軍を相手に果敢に戦ったが、戦いに敗れて市内に追い詰められると、妻子、家財、奴隷を広場に集めて火をかけて焼き、決死の誓いを立てて出撃し、一人残らず戦死したという都市もあった。だが、このような戦いの報が伝わるにつれ、ルドラが現れたと聞くだけで、周辺の諸国は震え上がるようになり、戦わずして軍門に降る都市も続出したのだった。

 こうして、チベールの国はますます発展し、単なる都市国家から広大な領土を有する帝国へと変貌を遂げた。ルドラはそれを誇示すべく一本の石碑を建てさせ、次のような言葉を刻み込ませた。

「神々より王権を授かったバドゥラは、日の昇る地より日の没する地まで彼の力の元に国々をひれ伏させた。彼らはバドゥラに貢物を捧げ、バドゥラはそれをチベールの民に分け与えた。」

 

 一方のレゲシュでは、シャルマの献策に従って、ヨシュタがさらなる改革を進めていた。この改革を実行した中心人物は若手貴族のラシードだった。ラシードは名門貴族の一人ではあったが、傍流家系でしかも年も若かったため、必ずしも日の当たる活躍の場を得ていなかった。

「力を発揮できる場所さえあれば、名声と富を得ることができるのに。」

「守旧派のやり方ではレゲシュの発展は限られる。おれの力をヨシュタ王が用いてくれれば、この国はもっと伸びるのだが。」

 そんな思いを抱いていたときに、レゲシュにやってきたのがシャルマだった。ラシードはシャルマの考えを知ると強い感銘を受け、シャルマの第一の支持者となったのだった。

 シャルマの推薦によって改革の実行者に任命されると、ラシードはシャルマの献策を次々に具体化し、それをヨシュタに提案、実行し、実績を積み上げることで政権の中枢にのし上がっていった。シャルマにとってもヨシュタにとっても、改革推進を名門貴族の一員が支持し支えるということはことのほか重要であったし、一方のラシードにとってはヨシュタの支持のもとで権力と名声を獲得する道が開けたのだった。

 ラシードは、灌漑工事を進めて農業の生産向上に力を尽くし、さらには道路を整備し、市に掛ける税を下げて商工業を奨励した。

 レゲシュ周辺の肥沃な土地では、これまで耕筰されないままだった広大な土地が灌漑されて小麦、大麦などの穀物畑となり、さらにはナツメヤシ、オリーブ、ゴマ、ぶどう、木綿、サトウキビなども盛んに栽培された。そしてこれらの品は貴重な交易品として国を潤すようになっていった。

 レゲシュの市場は各地からの商品で溢れ、鍛冶屋の音は朝から夕暮れまで絶えることなく鳴り響いた。市場には穀物や野菜がうず高く積まれ、さまざまな種類の新鮮な魚や肉も市場をにぎわした。油を売る店、香辛料を売る店も活気に溢れた。商工業者たちはそれぞれ業種毎にギルドを作り、その数は十八に及んだ。

 遠い外国からは、珍しい香辛料、絹、陶磁器、ガラスなどももたらされ、それらを売る店は人気を集めた。そんな店には、見たこともないような艶やかな文様の衣服や、不思議な形象の彫像、きめ細かい彫り込みの入った調度品などがところ狭しと並べられ、人々はそのエキゾチックな雰囲気に魅了され、次々と商品を買い求めた。

 さらに、政庁舎では、ラシードが自分の考えに同調する若手を次々に登用した。中下流貴族の有能な若手人材が身分を超えて採用され、新たな政策や新たな制度の構築に力を発揮した。この新たな人材登用は、単に行政力を向上させただけでなく、既得権益の上にあぐらをかく古くからの貴族階級の力を削ぎ、中央集権的な国家への移行を即すという効果ももたらした。新たに採用された者たちは、旧弊を次々と覆し、力による抑圧から自由による繁栄へと大きく舵を切る新時代を創出したのだった。

 ラシードは文化政策にも力を入れた。その目玉は、新たに建設した千人以上を収容できる円形劇場だった。この劇場では、毎年、悲劇作品の競演が行われ、これによって各地の名だたる悲劇詩人が競作に参加し、名優たちもこぞって参加するようになっていった。

 これらの政策に大いに自信を得たヨシュタは群臣を集めて言った。

「戦いによって国を富ませるという時代は終わった。他国を組み従えることによってのみ国が繁栄するという発想はもはや過去のものになったのだ。これからは平和の枠組みを維持し、それによって得られる商工業の発展が国を支える。隣国のチベールとは過去に激しい覇権争いを繰り返してきたが、今は平和を保ち、両国が繁栄を享受している。近年、いらぬ諍いが増えており、また、この平和の枠組みを葬り去ろうとする勢力もあるが、そんなもので平和を打ち崩させてはならぬ。平和の崩壊は必ずやレゲシュの繁栄を損なうだろう。」

 レゲシュは輝きをいや増した。宮殿の周囲には数多くの果樹が植えられ、公園が造成された。池は澄んだ水を湛え、美しい噴水が人々の心を楽しませた。そして、繁栄し発展を続けるレゲシュには、たくさんの商人や職人が新しい市場を求めて移住してきた。学者、技師、建築家、思想家なども次々とやってきて、レゲシュの繁栄と発展を支えたのだった。

 

 そのころチベールではルドラが度重なる成功によって名声を圧倒的に高めていた。しかし、それでも彼はどこからか来たよそ者、流れ者でしかなかった。古くからのチベールの名家の貴族たちは、ルドラを煙たがり、陰で非難中傷した。そのことはルドラ自身にとっても悩みの種だった。

「今のように何もかもうまくいっているときは問題ない。しかし、困難な状況が起こったとき、彼らはあっという間に離反し、敵に回るだろう。それを押さえ付けるだけの権威付けがおれには必要だ。」

 そんなことを考えていたルドラに対して、バドゥラの腹違いの妹ユリアとの婚姻を持ち出してきたのは、チベールの名門貴族の一人であるジウスドゥラだった。武人としての才覚もあり、ルドラとともに参加した遠征ではいくつかの武勲を立てていたが、諸子の一人であることもあってチベールの宮中での地位は決して高いとは言えなかった。そんなジウスドゥラにとって、うまくルドラに取り入ることができれば大きく自らの地位を上げることができると考えたもの自然な流れであったろう。

 ジウスドゥラは、ルドラに対して単刀直入に言った。

「あなたは度重なる功績によってこのチベールの功臣となっておられるが、あなたの地位はただバドゥラ王の信頼に基づいているのみで、たいへん危ういものと思われませんか。」

 ジウスドゥラがここまではっきりとものが言えたのは、名門一族出身であったためであろうが、ともかく、ルドラは大きくうなずき、探るように答えた。

「たしかにその通り。もし、知恵があるなら聞きたいが。」

 この言葉にジウスドゥラは膝を乗り出すと、ユリアとの婚姻の話を持ち出した。

「ユリア様は才色兼備の王女様でいらっしゃるが、まだおひとりでおられます。バドゥラ王もそろそろお相手をと考えておられるはず。ユリア王女と婚姻を結べば、バドゥラ王の義理の弟となり、ルドラ殿の地位も盤石となると思いますが。」

 この提案はルドラを喜ばせた。ユリアはバドゥラ王の異母妹であったが、バドゥラ王の兄弟姉妹の中でただ一人未婚のままでいる王女だった。しかも、ユリアは美しで王女だった。その美貌は街で知らない者はなく、多少気の強いところはあったが、しっかりした考えを持ち、誰にでもはっきり者を言う聡明な女性でもあった。バドゥラ王とはずいぶん歳が離れているせいもあって王がとりわけかわいがっており、いつも丁寧に編んだ柔らかな長い髪に一房の花を飾り、優雅で魅力にあふれた三日月形の眉は愛らしく、柔らかな表情とすっきりとした知的な顔は月のように輝いていた。そして、歩くたびにこんもりと盛り上がった見事な乳房が揺れ、くびれた腰と薄い衣で覆われただけの小丘のように盛り上がった臀が魅惑的だった。

「たしかに、彼女を妻に迎えることができれば、おれはバドゥラ王の外戚となり、誰もおれをよそ者とは呼べなくなる。」

 宮廷内で何度も見かけた彼女の姿を思い出しながらルドラはそう考えたが、そこには、天女のように美しい王女、まだどの男の手も触れていない王女の裸体を自分のものにしたいという欲望もあったろう。だが、ユリアには言い寄ってくる男性が少なからずいるということも耳にしたことがあったし、彼女の魅力を考えれば、それも当然のことであったろう。

 ルドラは慎重に問いかけた。

「だが、おれが王女と結婚できるものだろうか?彼女に言い寄ってきている男もいるらしいが。」

 ジウスドゥラはおっしゃるとおりというようにうなずいて答えた。

「一番彼女に近づいているのは、ジャムシードという上流貴族です。昨年、四頭立て戦車競走で優勝して注目を集めた若者で、眉目秀麗で勇敢でもあり、ユリア王女の心もかなり傾いているようです。ただ、バドゥラ王は快く思っていないようでして。」

「そうなのか?」

 ルドラはそう言ったが、昨年の戦車競走に颯爽と現れて優勝をさらっていった若者がジャムシードかと思い出した。いずれにしても、バドゥラ王がよく思っていないとすれば、ジウスドゥラの提案は王にとっても悪くない話だった。

「ルドラ将軍にその気がおありなら、いろいろ手を尽くしてみたいと思います。」

 そう答えたジウスドゥラは、さっそく、バドゥラ王の取り巻きと画策を始めたのだった。

 ジウスドゥラは名門貴族として立場をいかんなく利用できたし、この話がうまくまとまれば、ジウスドゥラのみならず、この件で力を尽くした者もみな自分の地位の向上につながるのだ。

 王の取り巻き連中は、バドゥラに語った。

「バドゥラ王よ。ルドラ殿の働きは見事と言うほかありません。ところで、彼にはまだ妻がおりません。年齢も結婚にふさわしく、王より結婚相手を取り持って差し上げれば、ルドラ殿も王にさらに忠誠を尽くすことになりましょう。」

「たしかに、そうだな。わしもぜひそうしたいと思っておったのだ。それで、その相手に誰か心辺りはあるか。気立てがよく、夫をよくもり立てる賢婦がよいぞ。」

「恐れながら、ユリア様はいかがでございましょうか。これほどの人材の心をつなぎとめておくためにも、王の義兄弟となられるのはむしろ好ましいことではございますまいか。」

 この提案はバドゥラを驚かせたが、考えると悪くない話のように思えた。ユリアに言い寄っているジャムシードは戦車競走での優勝を鼻に掛けているような生意気さが気にくわなかったし、能力的にもやや軽薄な感じで、特に、ある酒宴の席で笛吹きの曲に合わせて踊り出し、さらにはテーブルの上に乗って踊り、ついには逆立ちして脚踊りを披露するに及んでは、こんな恥知らずな振る舞いをする男にユリアを嫁がせるわけにはいかないと心に誓っていた。

 バドゥラは鷹揚に答えた。

「うーむ。ユリアか。たしかに悪くないかもしれぬな。ユリアもそろそろ適齢期で、嫁にやらねばならんと考えておったところだ。たしかに、ルドラなら申し分なかろう。」

 だが、ユリアとルドラの結婚の話が囁かれるようになると、廷臣たちの中からは旧家の貴族を中心に異論が少なからず噴出した。

「ルドラはたしかにチベールに貢献したかもしれぬが、所詮よそ者ではないか。」

「そんな一時の活躍で王家の姫との婚姻などもってのほか。」

「王女のお相手は旧家の者から選ぶべき。」

 そんな異論が宮廷内を渦巻いた。

 中には、戦車競走で優勝したジャムシードとのことを問いただす者もあったが、それに対するバドゥラの答えは冷たいものだった。

「彼は縁談を踊り落としたではないか。」

 そのジャムシードはこの言葉を耳にすると、

「ジャムシードほどの者はそんなことは意に介さない。」

と言い放ち、突然、チベールを出奔してレゲシュに走ったのだった。

 渦中のユリアはそのことが耳に入るとそばに仕える侍女を相手に嘆息して言った。

「ジャムシードは知恵のある好青年と思って好意をいただいていたけど。逆立ちの脚踊りで軽薄さが垣間見え、今度はこれしきのことでレゲシュに出奔。まったく意気地のないつまらない男だってことが分かって良かったわ。でも、今、話が出ているルドラはどうなのかしら。将軍としてはたいそうな手柄を立ててるらしいけど。」

 侍女が答えて言った。

「ルドラ将軍はたいそう剛毅な方で敵には容赦しないが、チベールの者たちには実に礼儀正しいとか。バドゥラ王の信頼もとりわけ厚いと言いますし。王女様もルドラ将軍にお会いになったことはおありなのでは?」

「ええ。ルドラはいつも鷹揚剛胆な風情ね。会って言葉を交わしたときは、たいそう慇懃な挨拶を並べてたけどね。でも、王家の女性の結婚相手は所詮自分で選べるわけではありませんからね。」

 侍女はうつむいたままうなずいたが、小さな声でつぶやくように言った。

「でも、ルドラ将軍の妻となられれば、姫様の将来も輝いたものになりましょう。」

 だが、ジャムシードが出奔しても、ルドラとユリアの婚姻への異論は治まらなかった。特に、その異論を支持したのがバドゥラ王の王妃マカリアだった。マカリアは、バドゥラ王の父親である先王の異母兄弟の娘であり、バドゥラ王の従兄弟に当たる関係だったが、王族の姫が臣下の者と結婚し、臣下が偉そうな顔をするのを嫌っており、その点からもバドゥラとユリアの婚姻にはいい顔をしなかった。

 バドゥラは王妃に対して、

「ルドラは功臣であり、チベールの発展と安定のためにこの婚姻は好ましいではないか。」

と言ったが、マカリアは嫌そうな顔をして答えた。

「ルドラは表面ではへりくだった姿勢をとっていますが、心の底は狼そのもの。あんな野望を持った人間を王家に入れ、権力を握らせるのはいかがなものかと思いますが。」

 この話をバドゥラ王から聞かされると、ジウスドゥラはマカリア王妃に面会を求めて言った。

「恐れながら、マカリア様は今回のユリア様との婚姻によってルドラ将軍が宮殿内で力を増すのを恐れていらっしゃるとか。それでしたら、私もまったく同じ考えでございます。」

 この言葉に、王妃は鋭く反応した。

「同じ考え?奇妙なことを聞くものです。そなたは、この婚姻を推し進め、ルドラの権勢を強め、ひいては自分自身の権勢を強めようとしているとしか見えませんが。」

 ジウスドゥラは含み笑いを浮かべて答えた。

「大きな誤解でございます。ルドラ将軍の功績はたいへん大きなものがあり、しかもバドゥラ王の信頼も厚い。もし、今回の婚姻が立ち消えになり、このままゆくとどうなるとお思いでしょうか?」

「と言うと?」

「王妃には三人の王女がいらっしゃいます。長女のシーラ様も近いうちにお年頃になられるし、次女三女のセレーネ様、アズラー様も思春期がそろそろ終わられる。この王女様方のご結婚についてはどうお考えで?」

 マカリアはうなった。

「そんなことは考えたことがなかったが、そなたは、王女の一人とルドラが結婚することになると言うのか?」

「さようでございます。そうなれば、ルドラ将軍の権勢は、ユリア様との婚姻とは比べものにならないほど強まることは必定。今回の婚姻はルドラ将軍の権勢を一定のものに抑えておく策と言っても良いかと存じます。」

 マカリアが考え込んでいるのを見て、ジウスドゥラは念押しした。

「マカリア様もこの婚姻にご賛同なされば、ご自身の権勢にも間違いなくプラスかと。」

 マカリアはきっとして言った。

「分かりました。では、一度、ルドラに会おうではありませんか。一人で来るように言ってくれますか?」

 二日後、ルドラがやってくると、マカリアは言った。

「ユリア王女との結婚を望んでいるとか。ユリア王女はバドゥラ王の兄妹であり、私にとっても従姉妹に当たります。そなたの気持ちを確かめたくて、わざわざ来てもらったのです。」

 ルドラはへりくだって言った。

「わざわざお呼びくださいまして、まことにありがとうございます。ただ、私がユリア王女様との結婚を望んでいるとおっしゃられましたが、それは正しいとは言えません。ユリア王女様はそれはそれは素敵な方でいらっしゃるのですが、私ごとき者がと思っているのが正直なところです。ただ、バドゥラ王からもお勧めがありまして、私ごとき者からお断りするのも失礼な話ですので。」

 マカリアは尊大な笑顔を作って大きく笑った。

「そんな取り繕った話はいりませんわ。そなたが気品ある美女と権力を一気に手にしようとあれこれ画策しているのを知らない者はいませんからね。どちらも手に入れればありがたい代物なので、そなたが躍起になるのは自然の道理ということくらい、誰にだって分かりますよ。」

 ルドラは恐縮した表情で答えた。

「恐れ入ります。たしかに、こんなすてきな王女様が私の元に来ていただけるならとありがたい限りと思っているのは事実です。ですが、これだけは申し上げたい。これは決して、単に私の欲望のためではありません。これから軍を整え、国を大きくしてゆくための基盤作りとして必要なことと考えてのことなのです。国を強く大きくしてますます栄えるようにしようとしても、それに異論を唱える群臣が少なくないこともぜひご理解いただきたいのです。すべては、このチベールのためと思し召しいただきたいのです。」

 マカリアはふふんと笑った。

「まあ、いいでしょう。そなたの言い分をそのまま素直には受け取れませんけどね。だけど、そなたも言ったように、そなたに異論を唱える群臣は多いのですよ。今回の婚姻の件もそうですけど。私の口添えなしには、このままではこの話も頓挫しかねませんよ。」

 この最後の一言にルドラは即座に反応した。

「願わくば、王妃様にお力添えいただければ。王妃様のお力をお借りできるなら、こんなありがたい話はございません。王妃様にはこれまでも忠誠を尽くしてきたつもりですが、この婚姻が成就致しましたあかつきには、いっそう王妃様のために力を尽くさせていただきます。」

 マカリアは満足そうな笑顔を見せた。

「良いでしょう。では、この件は私にお任せあれ。悪いようにはいたしませぬ。」

 次の日、マカリアの元にはルドラからのたいそうな進物が届いたが、それを馬車に積んで来た若い男は言った。

「私は馭者ですが、この馬車と馭者の私もマカリア様への進物にございます。マカリア様のもとで若い男手が必要なことも少なくなかろうと遣わされました。」

 その男は美しい顔立ちの少年だったが、マカリアはこの進物も気に入り、笑顔で言った。

「ルドラも粋なことをするものね。名前は?」

「ハリルと申します。」

「そう。じゃあ、ハリル、さっそく明日から外出の時はお供なさい。」

 次の日、マカリアはバドゥラ王を訪ねると言った。

「ルドラとユリアの件で、いろいろと騒がしいようだけど、どうなさるおつもり。そろそろけりをつけないとまずいのじゃございません。宮廷が内輪で揉めているのはよろしくありませんからね。」

「それはそうだが、どうやってけりをつけようかと思案しておってな。だいいち、おまえが渋っていては、どうにもならんではないか。」

「それでしたら、ご安心を。私は考えを変えました。ルドラは我が国になくてはならない将軍。厚遇せねばならないのは当然ですし、ユリアとの婚姻以上の厚遇はありませんから。」

 マカリアがあっさりそう言うと、バドゥラは顔をほころばした。

「おお、そうか。賛成してくれるか。おまえが賛成してくれるなら、話は早い。ユリアにとってもいい話だ。きっとあれは良い妻になるぞ。ともかく、あとはもう一気にはことを進めるだけだ。」

 だが、マカリアは釘を刺した。

「でも、まだ、賛同しない群臣はいっぱいいます。あまり強引なことをやっては、禍根を残しかねません。」

「それはたしかにそうだが。だが、どうすれば良いものか。」

「それでしたら、考えがあります。こんなときには神託を伺うのが一番では?私が殿の満足のゆくよう万事取り計らうこともできますのよ。」

 この言葉にバドゥラは納得した。次の日、バドゥラはポキスの神託をうかがうことを宣言した。ポキスは神意を告げるもっとも権威のある神託所であり、異論を挟むことのできる者はいなかった。

 これを受けて、マカリアはさっそく信頼できる侍女を呼んで言った。

「そなたはポキスの巫女と懇意であったな。」

 そう言うと、マカリアは神託を告げる三人の巫女に贈る賄賂を持たせてすぐさま出発させた。

 こうして万事うまく事が進むと、マカリアはその夜、薄く透けて見えるピンク色の衣装を身につけ、秘かに馭者のハリルを呼んで言った。

「そなたが来てくれて、何もかもうまくいきました。ところで、そなた自身も私への進物ということだったけど、おまえのすべてが私のものなのかい?」

「さようでございます。奴隷が主人に対してそうであるように、私の体も心もすべてマカリア様のものでございます。」

「そう。じゃあ、そのおまえの体を見せてくれますか?」

 そう言うと、マカリアはハリルを自身の寝室に連れ込んで言った。

「服を脱いで。」

 ハリルが外衣を脱ぎ捨てると、マカリアは笑って言った。

「立派な体だこと。でも、私は服を脱いでって言ったんだから、その下着も脱ぎなさい。」

 ハリルは向こう向きになって下着を脱ぎ、陰部を隠してマカリアの方を向いた。

「その手もどけて。私のものになったというものがどんなものか見えないじゃないの。」

「申し訳ございません。」

 そう言ってハリルが手をどけると、なまめかしい王妃を見て勃起した陰棒が反り返っていた。マカリアはそれをまじまじと見つめ喜色満面になった。

「すごいじゃない。もうそんなになって。しかも立派な。」

「王妃様があまりに素敵で魅力的なものですから。」

「まあ、お世辞も上手ね。かわいいこと。じゃあ、次は私の服を脱がせて。」

「はい。王妃様」

 衣服を脱がされると王妃は豊満な乳房を押しつけるようにハリルに抱きついた。

「おまえの心と体は私のものだけど、私の体もおまえのものよ。」

 ハリルが両の乳房を揉みしだくとマカリアは軽く喘ぎ声を上げて言った。

「なんて気持ちいい。こんなのは久しぶりよ。私のあそこもおまえのもの。好きにして良いのよ。」

 マカリア王妃はハリルとともにベッドに横になって言った。

「王は私から遠のいてしまって、こんなのは久しぶり。昔は毎夜のように王が来て私を抱いて、私は五人の子供を産んだ。でも、寵愛が衰えるというのは情けないもの。そして、仕方なくもある。だけど、わたしは男が好きで、今も男を求めている。空閨をかこつのは女として耐えられない。男の股間のものなしには私は幸せになれないのよ。」

「王妃様は今もとても魅力的でいらっしゃいます。」

「ありがとう。おまえのものは王のよりずっと大きく立派だわ。それがどんなにわたしを喜ばせてくれるかわくわくする。」

 ハリルは王妃の乳首に吸い付き、全身を愛撫した。ハリルが王妃の陰部に手を伸ばし、股間の女陰を愛撫すると、そこは既にぬめっていた。王妃は一段と大きな喘ぎ声を上げた。ハリルはマカリアの淫らな姿と艶めかしい喘ぎ声に興奮し、自らの勃起し反り上がった陰棒を王妃の女陰に思い切り差し入れ、深膀に向けて思いのたけを吐き出すかのように勢いよく白い液を噴出させたのだった。

 

 さて、チベールからは、ポキスの神託をうかがうための正式な使者が派遣されたが、使者が神託を聞きに来ると、巫女は告げた。

「この婚姻を認めよう。だが、よく心しておくがよいぞ。国の未来は外より来たる勇者にかかっておるということをな。」

 使者がこの神託を持ち帰ると、バドゥラ王はおおいに喜んだ。外より来たる勇者とはまぎれもなくルドラのことに違いないではないか。神託は、ルドラとユリアの結婚を認めるだけでなく、国の将来を担う勇者としてルドラを重んじることを勧めているのだ。

 この神託が持ち帰られると結婚への異論は急速に凋んだ。陰ではいろいろなことが囁かれたかもしれないが、神託がそう告げた以上、何人もそれに逆らうことはできなかった。

 王妃のマカリアはユリアを呼ぶと言った。

「今度のことはおまえにとってうれしいかどうかは分からないけど、ルドラは国の重責を担う股肱の臣。ジャムシードなんかよりずっと立派な男。だからバドゥラも私もおまえのためにも良い縁談だと思っているんですよ。」

「ええ、おばさま。ありがとうございます。私のためにいろいろと心遣いいただいて感謝しております。」

 ユリアが笑顔でそう答えると、マカリアは狡そうな笑いを浮かべて言った。

「だけど、ルドラに心のすべてを開いては駄目よ。なんといっても、彼は私たちのような王族の人間ではないのですから。王宮を彼のような人間に牛耳らせるようなことにだけはしてはいけませんからね。」

「ええ、分かっています。バドゥラ兄さんとおばさまには子供の頃からかわいがっていただきましたし、これからも王家の繁栄のために尽くす心づもりでおります。」

「おまえがそう言ってくれるなら安心ね。ともかく、私たちの手で王族を盛り立てていきましょう。」

 ほどなくして二人の結婚式は盛大に催された。バドゥラ王、マカリア王妃が臨席する中、清らかなベールを被ったユリアがルドラと並び、バドゥラ王の三人の清楚な娘シーラ、セレーネ、アズラーがそれぞれ二人に花束を渡した。バドゥラ王による乾杯の発声と供に、結婚披露の宴は賑やかに繰り広げられ、列席者は美しい美姫たちが注いで回る甘美で濃厚な酒に酔い、次々と出てくる豪勢な料理にも、踊り子たちが繰り広げる余興の踊りにも満足した。

 祝宴が終わって、その夜、ルドラが寝室に入ると、ユリアは青い薄衣の衣装を肌掛けしていた。ユリアは囁くように言った。

「わたしは男の人と夜を過ごすのは今日が初めてなんです。」

 ルドラの心は高鳴った。予想はしていたがやはりユリアは処女だったのだ。目の前にいるのは、普段の気品に満ち近寄りがたい雰囲気も醸し出すユリアではなく、初めて男を迎えるうぶな女なのだ。ユリアの手を掴んで体を引き寄せると、ユリアは警戒心からかちょっと体を強ばらせたが、ルドラはためらうことなくユリアの体を抱き寄せ、唇を合わせた。ユリアの体は微かに震えているようにも思えた。

「唇も初めてなのか?」

「ええ。でもちょっと気持ちいい。」

「そうか、ならもっと気持ちよくなれるぞ。」

 そう言うとルドラは、ユリアの体を両手で抱えてベッドに運んだ。ルドラにとっても、人間の女を抱くのは初めてだった。ユリアの隣に体を横たえると、ルドラは再び唇を合わせ、薄衣の衣装の上から乳房をまさぐり、さらに手を足の方に伸ばして衣装の下に手を入れ、太腿からふっくらした臀部にかけて愛撫した。

「いや。いやらしい。」

 ユリアはそう言ったが、拒んでいるわけではなく、顔をルドラの胸に埋めた。初めての経験で恥ずかしいだけなのだ。

「だけど気持ちいいだろう。」

 そう言ったルドラにユリアは少女のような声でささやいた。

「優しくしてくださいね。」

「ああ。」

 短くうなずくと、ルドラは衣服の胸の前をはだけた。初々しいふっくらとした乳房、その先のつんとした乳首、なめらかでうっすら赤みを帯びた肌、そのどれもがルドラの男心をそそった。ルドラがそっと乳首に触れると、ユリアの表情がかすかに動いた。ルドラは大きな手で柔らかな乳房を包んでゆっくり揉みしだき、乳首に口をつけて吸い上げる。ユリアの口からかすかな喘ぎ声が漏れた。ルドラが股間に手を伸ばして、ユリアの陰毛に触れると、ユリアは、

「いや。」

と言って自分の手でルドラの手を押さえたが、ルドラはその手を横に押しやり、ユリアの女陰のひだひだをゆっくり愛撫した。そこは濡れかかっていた。ルドラはユリアの衣装を脱がせ、自分も衣服を脱ぎ捨てた。

「恥ずかしい。」

 そう言ってユリアは手で胸を覆って身を縮めたが、ルドラはその腕を開かせて唇を重ね、乳房を揉み、乳首に吸い付き、ユリアの股間に手を伸ばした。ユリアの陰唇が愛液で潤ってくると、ルドラは指を陰唇の奥まで進ませ、入念に愛撫した。ユリアの美しい表情が歪み、その体が快感で悶え始めた。

「もっと声を出して良いんだぞ。」

 そう言うとルドラは大きくなった自らの陰棒の先の亀頭をユリアの膣口に押し当てた。ユリアの膣口は狭く、すぐには入らなかったが、ルドラがさらに愛撫を続けると次第に潤いが増した。陰棒を奥まで突き入れると、ため息にも似た大きな声がユリアの口から漏れた。ルドラは陰棒を前後に突き動し、ユリアは激しく身もだえし、よがり声を上げ続けた。ルドラも欲望を抑え切れなかった。彼はユリアの中に真っ白な精液を吐き出し、二人は結ばれたのだった。

 

 こうしてルドラは望みどおりユリアと結婚し、魅惑的な彼女をものにするという願望を満たすとともに、王の外戚として不動の地位を築いたのだった。そして、ジウスドゥラはルドラの信頼を勝ち得、しばらくしてから、チベールの左将軍に抜擢された。

 ジウスドゥラがお礼にためにやってくると、ルドラは大いに歓迎してお祝いの宴を張ったが、酔いが回ってくると、こっそりとジウスドゥラにささやいた。

「それにしても、そなたが勧めてくれたとおりに、美少年をマカリア様に贈ったのは正解だったな。この前お会いしたときも、おれに対してたいそうご機嫌だった。」

「そのようですね。最近はバドゥラ王も夜は若い女の元へ通っていて、マカリア様は独り寝をかこっておられたはずですので。馭者のハリルが来て、頻繁に夜を供にしているそうですよ。マカリア様も容色が多少衰えてきたとはいえ、まだまだ老いさらばえる歳ではございませんから。」

 ルドラはにやっと笑った。

「それは何より。表向きははしたないことなどしませんというような涼しい顔をしていても、服を脱がせれば、情欲に飢えたメスに過ぎん。まあ、実際、女の夜床での喘ぎ声と乱れようといったらまさに欲望丸出しだからな。」

 ジウスドゥラも大きくうなずいた。ユリアの名こそ口にしなかったが、ルドラがユリアのことを言っているということは察しがついた。ジウスドゥラはルドラにさらに酒を勧めて言った。

「女というものは、そもそも淫乱。下着とともに恥じらいの心も脱ぎ去ると古来からの名言にも言われておりますが、まことにその通りですね。いずれにしても、ルドラ様の前途は洋々たるものがあると言えましょう。」

「それはおまえもな。」

 そう言うと、ルドラはジウスドゥラと杯を合わせたのだった。

 

 一方、レゲシュは、平和を維持するヨシュタの政策によってますます発展していたが、シャルマとプシュパギリは決して安心してはいなかった。ルドラの活躍によるチベールの急速な勢力の伸張と軍事力の増強に強い危惧を抱いていたからだった。

 シャルマはプシュパギリに言った。

「いかにヨシュタが平和の礎の上に繁栄を築こうとしても、チベールが強力な富国強兵策を押し進めている以上、このままでは済むかどうか。遠からぬうちにチベールと雌雄を決する戦いをせざるを得なくなるかもしれぬ。いかにヨシュタが立派な王だとしても、また、平和と交易を促進する政策がいかに優れたものだとしても、邪悪な力は常にそれを打ち砕きうるものだ。しかも、チベールの勢力拡大をルドラが先導しているとなればなおさらだ。」

「だが、ヨシュタはそのことを十分には分かっていないのではないか?」

「そのとおりだ。立派な王ほど、そして立派な政策を行った王ほど、そこにどんな危険が忍び寄っているか見えていないものだ。実際、レゲシュの軍事力はまだあまりにも不十分。チベールとの軍事的均衡は明らかに崩れ始めている。ヨシュタ王は平和の繁栄に酔って危険を見過ごしている。そして群臣たちも、ある者はヨシュタの力を無批判に信じ、またある者は平和の礎の上に築かれたこの繁栄の中で自らの利を上げることに血眼になっている。武人よりも文官が幅を利かせ、法や経済だけに明るい官吏が宮廷で力を増している。」

 プシュパギリもうなずいて答えた。

「とにもかくにも、まず、軍事力を増強することが第一だな。兵力の増強さえできれば、アッガ将軍らと協力して、最強の軍を作り上げるのも夢ではないからな。」

「その通りだ。まずは軍事予算を増やさねばな。また、それと同時に、外交によってチベール以外の憂いを取り除いておくことも肝要だ。そうすれば、いざというときに全勢力をチベールとの戦いに振り向けられるし、援軍も期待できる。そして、その体制を構築すること自身が、チベールとの大戦争への抑止力ともなる。外交政策にも力を注ぐことにしよう。」

 シャルマとプシュパギリがそんなことを話し合っているとき、ラシードがふたりに引き合わせてくれたのが、チベールを出奔したジャムシードであった。

 ジャムシードはレゲシュに来た後、知古を頼ってある貴族の家に身を寄せていたが、そのことを聞きつけたラシードがふたりにジャムシードを引き合わせたのだった。

 ふたりに会うと、ジャムシードはさっそく言った。

「チベールは武力で周辺制圧を続けるルドラを重んじ、ますます危険な国になっています。ルドラはさらに勢力拡大を目指して軍事力の強化を進めており、その最終の標的がここレゲシュであることはあまりにも明白です。」

 シャルマはこれを頷いて聞くと、次のように質問した。

「ジャムシード殿がどのような事情で我が国にやってこられたかはラシードより聞いているが、このレゲシュではどのように身を処されたいのか?」

 これはある意味、詰問とも取れる鋭い質問だったが、ジャムシードは顔色を変えることもなく落ち着いて答えた。

「ルドラが権勢を振るうチベールでは、正直言って、ルドラと意見を異にする者は身の危険を感じざるを得ません。だから私は国を捨ててやってきました。どうか、身の安全を確保していただきたく存じますが、これからはレゲシュのためにお力になれればと考えております。特に、チベールのこと、周辺諸国のことなどにつきましては、ご助言できることも多々あると自負しております。」

「では、チベールの状況はどんな状況なのか?特に軍の状況について聞きたいが。」

 この問いに対して、ジャムシードはチベール軍の状況を、兵士の数、戦車の数なども挙げて事細かく説明した。

 ジャムシードからの情報は貴重だった。シャルマとプシュパギリはさっそくジャムシードをヨシュタと引き合わせ、ジャムシードの口からチベールの危険性と軍備拡大の必要性を語らせたのだった。

「軍の力で国を栄えさせるという発想は本来捨てるべきと思っているが、チベールのその状況を聞いては備えも必要だな。」

 ヨシュタはそう言って軍事力の強化に同意したが、同時に質問した。

「だが、軍には金がかかる。その金は大丈夫なのか。」

 シャルマは胸を張って答えた。

「ラシードのおかげで国庫は潤っており、実は事前に最近の産業振興によって得られた増収の半分を軍に回すことでラシードと話はつけてあります。」

「良いだろう。では、進めてくれ。備えあれば憂いなしだからな。」

 ヨシュタからこの答えを得ると、シャルマとプシュパギリはさっそく重鎮のアッガ将軍を訪ね、軍備拡大に力を入れることを告げた。アッガ将軍は頭を下げて言った。

「シャルマ殿。貴殿がいかに兵法に明るい方かということは、以前、兵法の議論をした時にはっきりと認識した。また、プシュパギリ殿、貴殿の尽力によりわが軍がより一層強くなったことも認めておる。だが、如何せん、軍事よりもラシードが勧める政策に金を回すだけでは軍の力は所詮限られたものに留まるし、一旦ことが起こった時に十分対応できるとも言い難い。そう考えて、何度かそのことはヨシュタ王に申し上げたが、わしの力ではヨシュタ王を説得することはできなかった。シャルマ殿、貴殿がその説得に成功されたとはまことに素晴らしいし、ありがたい限りだ。」

「このレゲシュには、ラシードを嫌ったり、煙たがっている者も少なくありません。しかし、彼は金と権力を握っており、ヨシュタ王の信任も厚い。軍の拡大についても、我々がただヨシュタ王に説くだけでは、ヨシュタ王は首を縦には振らなかったでしょう。そこで、私はまずラシードに説いて、彼の政策を進展させ、さらに、その成功を担保するためには軍の増強が必要であることを理解させました。その上で、彼の政策から生まれる増収の半分を軍の増強に回すことに同意させたのです。」

「なるほど。さすがはシャルマ殿だ。まあ、ラシードはシャルマ殿のご推薦で成り上がったわけだからシャルマ殿にはひとかたならぬ借りがあるわけだしな。ともかく、これでレゲシュ軍はこの地一の軍となるな。」

「その通りです。ただ、そのためには、アッガ将軍のお力をお借りせねばと、今日は改めてお訪ねして参ったのです。」

 この言葉にアッガ将軍は大きく笑って喜びを表した。

「もちろんだ。力を合わせて、レゲシュ軍を最強の軍にしようではないか。」

 こうして、レゲシュは、アッガ将軍の支持のもと、プシュパギリが中心となって着々と軍事力の強化を図っていった。

 一方で、シャルマはヨシュタに献策して言った。

「国は力のみによって維持することはできません。国は善政によってのみ保たれ、発展できるのです。繁栄の土台には徳がなければなりません。力に頼る政策は一時は国を支えることができても、長続きできないのです。そして、他者に与えることが、実は他者から取ることであるという根本原理を理解することも政の根幹です。チベールはただただ己の武力を盾に他者からむさぼり取り、それによって強国たらんとしています。しかし、これは下策。レゲシュは王道を行くべきです。すなわち、周辺の弱国の王たちを、一国の王として認知するのです。」

 この献策に基づき、ヨシュタは隣国の王たちと互いに王としての立場を確認しあう会談を重ね、同盟関係を築いていった。実際、周辺の諸国は、チベールの容赦ない侵略が繰り返されるたびに次は自分の国ではないかと怯え、しだいにレゲシュのヨシュタを頼るようになっていた。チベールの強圧の元でチベールへの隷従の道を選んでいた都市がレゲシュに寝返ったケースもあった。それはアラワナンナという都市だったが、その都市に対しても、ヨシュタは臣従を要求はしなかった。チベールに臣従していたアラワナンナは、レゲシュからは兄妹として扱われ、同盟国となったのだった。他の周辺諸国も自国の安全のために次々にレゲシュに朝貢し、ヨシュタは周辺の諸国から王の中の王として任じられていったのだった。

 しかし、これでチベールとレゲシュの覇権争いが収まるものではなかった。レゲシュが同盟によって勢力を拡大するにつれ、その同盟国とチベールとの間の諍いも含め、レゲシュとチベールとの間の軋轢はますます激しくなっていった。

 そして、一方のチベールでは、ルドラが軍事力によって勢力を拡大する策をますます押し進めていた。宮廷内には穏健派と主戦派の対立が渦巻いていたが、ルドラの成功によって主戦派は勢いづいた。彼らは穏健派を批判して叫んだ。

「周辺諸都市との融和によって何が得られるのか。」

「一国の繁栄は剣と血によってのみ贖われる。そんな単純な真理もわきまえぬ輩に国政をゆだねてはならぬ。」

 ルドラも繰り返し主張した。

「平和こそが目指すべきものだという穏健派の将校は、実際にはいったい何をしているか。遠征に出かけようとせず、戦いで先陣争いなどしようともしない。そんな輩が、ただ王の身辺に控えて甘言を繰り返し、それによって地位は安泰、名誉と富は自然と増えてゆくとはいかがなものか。そんな者たちがこの国を腐らせているのだ。戦いこそが国を大きく強くするのだ。」

 ルドラは主戦派を抱き込み、何度もバドゥラに説いた。

「王よ、何よりもまず王たるものは毅然としていなくてはなりません。そして、自分の弱みを相手に悟らせず、相手の隙と弱点を握ることが大切です。そして、一旦ことを起こしたら、徹底的にやらねばならない。相手が強力だったり、尻尾をつかませない時はじっと機会を待ち、弱点を晒して窮地に陥ったとみたら一気に叩き潰さねばなりません。また、相手をすぐに叩けない時には、相手の弱みや欠点が分かっていないふりをして油断させる。敵を懐柔し、金で釣り、分裂させることも大切な戦術です。」

 チベールの好戦的な態度は、様々な軋轢をレゲシュとの間にもたらした。小さな問題も単にその問題でとどまらず、しばしばレゲシュとチベールの覇権争いの具となっていった。

 争いの種を見つけることは、道に落ちている小石を見つけるよりも簡単なほどだった。肥沃な土地を巡る小競り合いが繰り返され、商人たちは、それぞれ自国の勢力を背景に商業の独占を狙い、利権を巡る争いが頻発した。

 見た目は平和でも、いつのまにか一触即発の状況ができあがっていたのだ。

 まさに機は熟していた。誰も明確には気づいていなかったし、皆、繁栄の時代に陶酔していたが、戦乱と殺戮の時代はすぐそこまで迫っていたのだ。誰もが戦いは前の戦いが最後であり、その後やってきた平和が延々と続くものと思っていたが、危機はそこまで来ていたのだ。

 特に両国の対立が先鋭化していたのは、レゲシュとチベールの間にある要衝トドラ渓谷の通行を巡る問題であった。トドラ渓谷は前の戦いのあと、チベールが支配権を得、トドラ渓谷を通る商人から通行税を徴収していた。しかし、通行税を払ったとしてもレゲシュの商人が莫大な儲けを得ているのが実状であったため、チベールは通行税を従来の三倍に値上げしたのだった。それはレゲシュの商人たちには大きな痛手であった。通行税を巡ってレゲシュとチベールの交渉が繰り返されたが、一向に埒があかなかった。

 そんな折、チベールの有力な商人がレゲシュの国内で何者かに惨殺される事件が起きた。チベールに対する反感が引き起こしたものであることは明らかだった。

 だが、この事件が起きても、まだほとんど誰も戦さになるとは思っていなかった。それはとにもかくにも、皆、この平和のおかげで自らの繁栄を得ており、それはお互い様だからそれを打ち砕くような馬鹿なまねはするはずがないという幻影を抱いていたからだった。本来であればそれは幻影ではなく、理性的判断のはずだった。好戦的なルドラの影響で強気の態度をとっていたチベールの支配階級でさえ、すべてを賭したレゲシュとの戦いなど考えていなかった。ともに強国となったチベールとレゲシュの戦いが起これば、それはかつてのような局地戦にとどまるわけにはいかないという冷静な状況分析が根底にあったといってもよかった。しかし、戦争は理性的判断や冷静な状況分析で始まるものではないのだ。

 この事件がチベールの王宮に伝わると、すぐさま会議が招集された。状況の報告がなされると、真っ先に発言したのはルドラであった。

「それで、レゲシュは何と言っているのか。」

 ルドラの詰問するような厳しい口調に、役人は恐る恐る答えた。

「レゲシュは犯人はまだ見つかっておらず、調査中であると言っております。」

「レゲシュでチベールの商人が惨殺されたのだぞ。悠長に調査中とはどういうことだ。それに、謝罪の言葉はないのか。」

「そっ、そのような言葉はとくには。」

 役人が震える声でそう答えると、ルドラは怒気を含んだ声で叫んだ。

「もはや議論している状況ではない。ただ出陣あるのみ。すぐさま軍を発し、トドラ渓谷を封鎖するのだ。我らがトドラ渓谷の通行税を上げたことに対して、レゲシュは理不尽な対抗措置を次々に取っており、交渉の席では何の進展もない。もはや力による以外、何の解決もできないところに至っている。すぐさま出陣の準備を整え、一刻も早くトドラ渓谷に向かおうではないか。」

 しかし、右将軍のネストルは反論して言った。

「ルドラ殿、そのように結論を急ぐべきではない。今日は伝えられた事件に対する対応を協議するために皆集まったのだ。戦さを始めるためではない。戦さを起こすことは失うものも多く、慎重に判断せねばならぬ。」

 この言葉を聞くと、ルドラはからからと笑って皮肉っぽく言った。

「それがわが国の右将軍のお言葉か。本来、真っ先に敵陣に切り込むべき右将軍がこのざまではこの国の命運もいかがなものかと思われますぞ。右将軍が怖じ気づいているとあらば、左将軍を出陣させるだけのこと。この事件に対して、出陣以外にいかなる手があるというのか。トドラ渓谷を封鎖して初めて交渉も成り立つというものだ。」

 別の大臣が反論した。

「今回の件はまさにレゲシュに非がある。この非を非難し、レゲシュが打ち出したさまざまな対抗措置を取り下げさせる方向で交渉をすることこそ筋ではないか。」

 だが、ルドラは吐き捨てるように言い放った。

「そんな交渉ができるものか。レゲシュは、今回のような事件が起こるのは、チベールが通行税を上げたからだと開き直るだろう。通行税を元に戻すことこそ、このような事件が起こらなくなる道だと主張するのは目に見えている。きれいごとで済むような話ではなくなっているのだ。」

 ルドラの凄みの効いたこの言葉に、反論が難しい空気が流れたが、依然、多くの者が戦いには危惧を抱いていた。別の大臣が口を開いた。

「ルドラ殿、トドラ渓谷を封鎖というだけでことが済むなら賛成できないでもない。だが、トドラ渓谷を封鎖するということは、レゲシュとの全面戦争に発展するのではないか。しかもレゲシュは周辺国と同盟関係を築いており、それらの国も含め、そのすべてと戦わねばならなくなるのではないか。」

「それならそれでよろしいではないか。一気にレゲシュを征服し、周辺の国々まで平らげてチベールの一大帝国を築きあげようではないか。ネストル殿、右将軍としてどう思われる?」

 つい先ほど弱腰を皮肉られたネストルは言葉に詰まりながらも答えた。

「もちろん、出陣が決まれば、我が軍が先陣を務めよう。だが、それにはバドゥラ王の裁可をいただかねば。」

 バドゥラが発言せねばならない空気となったが、バドゥラは慎重だった。

「ルドラ、そなたの勇敢さ、決断力には感服する。だが、ほんとうに戦さに打って出るのがチベールにとって最上の策であるかどうかについて、もう少し思慮深くあるべきだ。そして、戦さになった場合、本当に勝算があるのか、それもよく考えねばならぬ。レゲシュはそなたがこれまで征服してきた都市とはわけが違う。また近年は、シャルマ、プシュパギリという賢臣もいるとか。レゲシュのことをそのように安易に考えてよいものかどうか?」

 このバドゥラの言葉に、群臣からは賛同の発言が相次いだ。レゲシュとの戦いは国の命運を賭けた大戦争になりかねないことをみな感じ取っていた。それだけに、誰もがこの戦さを望んでいなかったのだ。バドゥラが再び発言して議論を締めくくった。

「ルドラ、出陣の準備を整えることは必要だろう。いつでも出陣できるよう準備を整えてくれ。だが、出陣はまだだ。できることなら交渉で決着させるべきものであるし、軍事力を背景に交渉を有利に進めることもできるだろう。」

 このバドゥラ王の言葉に誰も異論を挟まなかった。ルドラも

「承知しました。」

と答えるほかはなかった。

 このように答えたものの、ルドラの胸の内には黒い憤怒が沸々と煮立っていた。自室に戻るとルドラは左将軍のジウスドゥラに向かって吐き捨てるように言った。

「バドゥラ王は豪胆を装っておられるが、肝が座っておらぬ。戦備を整えたとしても、その間に敵もそれ相応の準備を整えてしまう。機先を制し、敵に一撃を加えることこそ肝要というものなのに。」

「それでしたら、そのように申し上げればよろしかったものを。」

「申し上げて聞き入れられると思うか?機先を制して進軍しようなどと申し上げても、決して首を縦に振られはしない。むしろ、この戦争全体を危ぶみ、私への不信感を起こされかねない。」

「しかし、もし、敵が国境を越えていち早く進軍し、トドラ渓谷を押さえようものなら、それを撃破するのは容易ならざることになるのでは?」

「そのとおりだ。だが、致し方あるまい。戦争への準備を裁可いただいただけでもよしとせねば。」

 こうして、ルドラはとにもかくにもレゲシュとの戦さの準備を進める了解を取りつけ、出陣準備を整えていったのだった。

 

 一方、チベールが戦争の準備を進めているとの情報はすぐにさまざまな方面からヨシュタの元へもたらされた。ヨシュタはたいへん心配し、シャルマ、プシュパギリを呼んで相談した。ジャムシードも呼ばれた。

「チベールが戦さの準備を進めているという知らせが次々に入ってくるが、私はこの平和の枠組みを何としても維持したい。どう対応するのが良いだろうか?」

 この問いかけに、シャルマが答えた。

「一方の国が望んで戦いに突き進もうとするとき、それを阻止するのは容易なことではありません。ほとんど不可能と言ってもよいでしょう。我が国がとうてい飲むことができないほどの譲歩をし、それを条件に和解する手もありますが、それでは我が国の未来は開けません。」

「では、いったいどうすれば良いのか?」

「方法はひとつしかありません。それは、敵が侵攻に二の足を踏むだけの兵力をこちらが準備し、その上で交渉を行うことです。先手を取ってこちらから兵を進め、一気に国境を越えて要衝トドラ渓谷を抑え、その後両軍が対峙した状況で時を稼ぐのです。敵も武力によって容易に勝利が得られないとなると交渉に乗ってきましょう。バドゥラは豪胆な風貌をもった人物といいますが、いろいろ聞こえてくるところを総合して判断しますに、すべてを賭して勝負に出てくる人物とは思えません。こちらの勢力が洋々たる様を目の当たりにすれば、バドゥラも折れてきましょう。」

 プシュパギリも賛同して言った。

「その方策しかないことは明白です。実際、チベールで戦さの準備が進められているとの報があるにもかかわらず、未だに出陣してこないのは、危険を冒した戦いを嫌い、あらゆる場合を想定して怠りなく準備しようというバドゥラの小心な完全主義の表われでもあります。これは兵法に言う、兵は拙速を聞くも未だ巧久を賭さざるなり、に反しており下策と言わざるを得ないでしょう。」

 この言葉を聞いてもヨシュタはなお逡巡した。

「かつての私であれば、何の躊躇もしなかったであろう。私は戦いの中で生まれ育ってきたのだからな。だが、平和こそが国を富ませるということが明らかとなった今、戦いを避けるための努力を惜しみたくないのだ。敵に先んじて出兵すれば、それが全面戦争の引き金になるのではないか。ジャムシード、どう思う?チベールのことをよく知るおまえの意見を聞きたいが。」

 ジャムシードが答えた。

「かつてのチベールであれば、あるいは穏便な交渉も可能だったかもしれません。しかし、バドゥラ王の妹を貰い受け、今、チベールで実権を握っているルドラはたいへんな好戦家で、今回のことも出兵のためのまたとない口実と考えているはず。大軍団を仕立てて出陣してくるのは火を見るよりも明らか。シャルマ殿の言われるように、逡巡していては取り返しのつかぬことになりましょう。」

 この言葉を受けて、シャルマが言った。

「平和を維持するためにも、敵に先んじてトドラ渓谷を抑えるのです。敵との軍事的均衡を担保するためにも、それが必要なのです。逡巡すべき時ではありません。敵が万全の準備を整え、大軍を擁して進軍してきてからでは取り返しがつかないのです。」

 この言葉を聞いてもヨシュタは、なんとか兵を出さずに事を収めることはできないかと、さまざまな観点から、シャルマ、プシュパギリと議論を重ねたが、最終的に適切な手がないと判断すると、ヨシュタは決断して言った。

「致し方ない。だが、やるとなれば逡巡してはならん。急いで出陣の準備をしてくれ。」

 この言葉を受けると、シャルマとプシュパギリはすぐに出陣の準備に取り掛かり、レゲシュはほんの一週間ほどで軍を整えた。

 出陣の準備が整うと、軍議が開かれた。正面に座るヨシュタの後ろには、ライオンの顔をもち大きく羽を広げた守護霊の描かれた木板が掲げられ、両側には、寺院から運ばれた聖なる火が赤々と燃え立った。善の象徴であるヴァルナの純一な火が輝く中、家臣たちが両側に控えた。

 アッガ将軍が堂々たる鎧姿で進み出た。後ろにはシャルマとプシュパギリが付き従った。三人がヨシュタ王の前に進み出ると、アッガ将軍は一言きっぱりと言った。

「今こそ戦いのときです。」

 家臣たちの中で発言する者はなかった。皆がヨシュタの言葉を待った。ヨシュタは立ち上がると、数歩歩み出て、大将に任じるための玉爾をアッガ将軍に授けた。アッガ将軍が受け取ると、ヨシュタは大きな声で宣言した。

「平和を維持することは何よりも大切だ。だが、チベールがレゲシュ侵略を企てて大軍を準備している今、平和を維持するための手立ては機先を制すること以外にはありえない。そしてそれは、レゲシュに残る負の遺産を清算することにもつながる。皆の者、今こそ立ち上がるべき時、レゲシュの平和と繁栄のために一丸となるべき時なのだ。」

 この言葉を受けて、リムシュ将軍が立ち上がって言った。

「善の神ヴァルナの加護のもと、いざ出陣だ。およそ我らは、善悪の混濁するこの世界で、ヴァルナを真の神としていだき、悪神ヴリトラが撒き散らそうとするあらゆる厄災と戦わねばならぬ。今、ヴリトラの手先はチベールに他ならぬ。必ずや勝利して、ヴァルナ神の御心を満たすのだ。」

 ナラム将軍が立ち上がって叫んだ。

「レゲシュは偉大なり。」

 これに呼応して居並ぶすべての家臣が立ち上がり、刀の柄で床をたたき、団結を誇示した。

「レゲシュは偉大なり。」

「レゲシュは偉大なり。」

 その言葉がレゲシュの宮廷に響き渡った。

 

 その夜、厳粛なる出陣の儀が執り行われた。諸将たちと隊長たちが控える中、ヨシュタが中央の玉座に着くと、ナラム将軍が立ち上がり、よく通る野太い声で言った。

「チベールは常より平和を願う諸国に対して暴虐の限りを尽くし、今また、我が国との間にことを構えようとしております。善の神ヴァルナの御前、これを見過ごすことがどうしてできましょうか。」

 これを受けてヨシュタが宣言した。

「善の神ヴァルナの意思を具現すべく、今こそ、軍を動かし、ヴァルナ神になり代わって悪神ヴリトラが引き起こす邪妄を打ち砕くとき。リムシュ将軍、出陣の儀を執り行え。」

 リムシュ将軍は進み出ると、威厳のある声で宣言した。

「わが軍は善の神ヴァルナの軍である。従軍する諸将は以下のとおりである。まず、大将軍アッガ将軍。」

 アッガ将軍が立ち上がった。リムシュ将軍は続けて次々と従軍する諸将の名を呼び、呼ばれた諸将たちは次々に大きな声でそれに答え、起ち上がった。

「では、次に拝火を執り行う。」

 リムシュ将軍の宣言によって、ヴァルナ神の善を嘉する聖なる火が、身を清めた神官たちによって中央に運ばれた。ヨシュタが玉座を立ち、進み出て聖なる火を拝すると、神官の一人が宣言した。

「三界を創造し、大地に雨と実りをもたらす善神ヴァルナは、世界の規範であり、正義を護り賜う。聖神ヴァルナは、悪を廃し、大地に善を布武すべく起ち上がったレゲシュを称えるであろう。悪の力にひるまず、とことん悪を討つべく奮闘されたい。」

 ヨシュタが祈祷を終えて玉座に戻ると、神官たちは神酒の入った柄杓を聖火にかざし、その柄杓からヨシュタの前の杯に神酒を注いだ。ヨシュタがそれを乾すと、神官たちは、次々に諸将たちの杯に神酒を注ぎ、諸将たちは次々にそれを飲み干した。勝利のため、レゲシュのため、そして、ヴァルナ神のために、一致団結して戦うという誓いだった。

 リムシュ将軍の野太い声が響いた。

「次に聖旗授受。先陣のシャルマ将軍、前へ。」

 シャルマが前に進み出ると、同時に、ヴァルナ神の描かれた聖旗が運ばれてきた。その旗はまず、ヨシュタが受け取り、そして、ヨシュタはその旗をシャルマに託した。シャルマはその旗を大きく振って見せ、その旗を持って自分の位置に戻った。

「では、ヨシュタ王より、聖戦の宣言をいただく。」

 リムシュ将軍がそう言うと、ヨシュタが立ち上がった。

「この戦いは、善のため、正義のため、そしてレゲシュのための戦いである。ヴァルナ神の意思をこの大地に具現すべく、この地から悪を一掃する聖戦だ。いざ、出陣。」

 ヨシュタが大きな太い声でそう宣言すると、銅鑼が打ち鳴らされ、楽師たちが勇壮な音楽を奏でた。リムシュ将軍が叫んだ。

「レゲシュは偉大なり。」

 これに呼応して諸将たちが立ち上がり、参列したすべての戦士たちとともに叫んだ。

「レゲシュは偉大なり。」

「レゲシュは偉大なり。」

 ついに、戦いの時が来たのだった。

 

 次の日の早朝、出陣を告げる銅鑼が打ち鳴らされ、先陣のシャルマは青銅のみごとな飾りのついた四頭立て戦車に乗り、先頭を切って城門を駆け抜けて行った。

 シャルマは敵の機先を制して国境を越え、一気にトドラ渓谷に迫った。まずトドラ渓谷の前に広がるヴィンディヤの野にある二つの小高い丘、パヴェールの丘とラッサムの丘に駐屯していたチベールの小隊をいとも簡単に蹴散らすと、要衝トドラ渓谷の攻略にかかった。

 レゲシュが出陣し、トドラ渓谷に迫っているとの報はすぐにチベールにもたらされた。ルドラは地団太踏んで悔しがった。

「こんな形で敵に先を越されるとは。まずあの要衝を大軍で押さえてから、戦争の準備を進めるべきだったのに。バドゥラ王の肝の細さが命取りにならねばよいが。」

 ルドラはバドゥラのもとに駆け込むと、勢い込んで訴えた。

「すぐに出陣すべきです。このままでは、たいへんなことになります。」

 自軍がいとも簡単に敗走したことに動揺したバドゥラは、ルドラの言葉に同意して言った。

「よろしく頼むぞ。トドラ渓谷を救ってくれ。」

「仰せの通り、すぐに出陣致します。ですが、敵に機先を制されたとあっては、おそらくトドラ渓谷はもたないでしょう。しかし、この国を守るべく、それ以上は進出させぬよう万全の措置をとるつもりです。追って戦況はお伝えしますが、決して楽観なされませぬように。」

 そう言い捨てると、ルドラは大急ぎで軍を集めた。軍が集まるとルドラは大音声で宣言した。

「出陣だ。敵はトドラ渓谷に迫っている。おれに続け。」

 そう叫ぶと、ルドラは城門を開かせ、全速力で軍を進軍させた。ルドラは軍を急がせ、トドラ渓谷が見通せるボルシッパの野を目指した。しかし、ボルシッパの野に着くと同時に、ドラ渓谷が陥ちたとの報が入ってきた。チベール軍はトドラ渓谷に籠って抵抗を続けていたが、レゲシュの大軍の前には陥落せざるをえなかったのだった。

「やはりトドラ渓谷はもたなかったか。やむをえない。ボルシッパの野に陣地を築こう。」

 そう言うとルドラは軍を停止させ、強行軍でのどの渇きに喘ぎ、疲労困憊している兵士たちに向かって叫んだ。

「座り込んでいる場合じゃない。こんなとこにへたり込んでいたら、敵の戦車があっという間におまえたちを蹂躙してしまうぞ。すぐに穴を掘れ。喉の渇きを癒やすために水だけは飲んで良いが、飲んだら死にものぐるいで穴を掘るんだ。」

 埃まみれの黄金の鞭を振り回してルドラがそう言うと、兵士たちはすぐに動き出した。ルドラの指示に従って兵士たちは深い塹壕を掘り、大きな石を運んで塹壕の前に置き、さらに石の間には杭を打ち込み、杭から杭へは葦綱を張り巡らして防柵を構築した。

「これですぐにはレゲシュのやつらも挑んではこれまい。」

 ボルシッパの野に堅牢な陣地を築き終わり、幕舎を張って馬の世話をし、かがり火が灯されると、ルドラは兵士たちに酒を振るまった。かがり火は野の外れまで目の届く限り点々と続いていた。シャルマの斥候兵が軽戦車で防柵に近づき、小競り合いも発生したが、ルドラは鷹揚としてジウスドゥラに言った。

「これで敵もうかつには動けまい。これからどうするかは難しいがな。」

 ボルシッパの野での戦線が小康状態に陥ると、ルドラはバドゥラに視察を請うた。やってきたバドゥラに戦況を一通り説明すると、今後の策についてルドラは次のように述べた。

「バドゥラ王よ。戦術的観点だけに立てば、敵にとってはトドラ渓谷に立て籠もるのが最上の策です。しかし、レゲシュから東方の遠い国々への通商には、このボルシッパの野を通らねばなりません。まさにここボルシッパは通商の要衝なのです。ボルシッパの野を我が軍が押さえることにより、レゲシュは莫大な利益を上げている東方貿易を大きく制限されることとなり、レゲシュにとっての経済的打撃は計り知れないものとなります。このため、レゲシュ軍はトドラ渓谷に籠るだけでは状況を打開できず、窮地に陥りましょう。それゆえ、敵は必ず決戦に出てきます。その敵をこのボルシッパの野で撃破するのです。決戦のための準備を進めます。」

 バドゥラは同意し、チベール軍は決戦のための準備を着々と進めた。

 一方、レゲシュでは、ルドラが予見したとおり、戦争状態がレゲシュの経済に大きな負担となった。レゲシュの商人たちの通商路が妨げられたため、商品の値段はあっという間に跳ね上がった。

 だが、それはシャルマとプシュパギリにとっては想定内のことであった。多くの者が

「このままでは我が国の商業が衰え、国が衰退する。封鎖しているチベール軍を打ち破るべきだ。」

と主張したが、レゲシュに残るプシュパギリは反論して次のようにヨシュタに進言した。

「向こうも苦境に立っています。そのことを忘れてはなりません。チベールの必要とする物資の多くはトドラ渓谷を通ってくるのです。もちろん、わが国も苦しい。だが、弱みを見せた方が負けなのです。トドラ渓谷はシャルマが固く守っています。ここは耐え、向こうが弱気になるのを待つべきです。とりあえずトドラ渓谷の守りを続け、その上で交渉を行うのが最善の策です。」

 そして、レゲシュの宮廷内に渦巻く反論を抑え込んだのはラシードだった。彼は主張した。

「たしかに、商品の値は吊り上り、民の生活への負担が増しているのはその通りだ。しかし、王室の蔵には依然として小麦が積み上げられており、これらを放出することで値の高騰を和らげることが可能だ。また、不当に値を釣り上げて利益をむさぼろうとする商人には是正するよう指導する。ともかく、今は国にとって大事な時だ。目先の不満ではなく、長い目で見たレゲシュの繁栄を考えねばならない。」

 ラシードが王室の蔵の小麦を放出したとたん、小麦の値は下がった。小麦のさらなる値上がりを見込んで高値で先物買いしていた商人は大損をし、一方、王室は安値の時期に購入していた小麦を売ることで莫大な収入を得たのだった。

 有力な商人連中は宮廷にねじ込んでラシードを難詰した。

「いったいどういうつもりだ。私たちはこれまでずっとレゲシュのため、そして王家のために尽くしてきた。今回の仕打ちはまさに裏切り行為ではないか。」

 だが、ラシードは平然と言い放った。

「裏切りとはいただけませんな。これは国のため、民もための施策です。国が破綻し、民が疲弊しては皆様方の商売も先細るしかありません。それに、皆様が今回の損でそのまま貧乏になってしまうなどとは露ほどにも思えませんな。皆様も世の常は分かってらっしゃるはず。すなわち、この世は、金持ちがより金持ちに、貧乏人がより貧乏になる世ですからな。じき、皆様も今回の損をすっかり取り返し、そればかりか今以上に裕福になられることは間違いございませんでしょう。」

 この言葉に、商人連中は舌打ちしたり、嫌な顔をラシードに向けたりして反感を露わにしたが、ラシードは慇懃に言った。

「いろいろ愉快ならざることもございましょうが、これからもよしなに。私と結びついておられれることが、今後の皆様の商売とご繁栄のためになりましょうから。」

 商人たちは唇を噛み、髪を掻きむしって憤懣やるかたない素振りを見せたが、これ以上、詰問する術もなく、ただただ引き下がるしかなかった。しかし、彼らはラシードのところを後にすると、すぐさま、今回の損を取り返すべく、新たな取り引きのねた探しに奔走し始めたのだった。

 

 こうして膠着状態が続いたが、プシュパギリはトドラ渓谷にシャルマを訪ねて語りかけた。

「このままでは埒があかない。敵も苦しいかもしれないが、我が軍も苦しい。なにより、このような苦境は世情を不安にし、新たな混乱の芽を生み出しかねない。宮廷では、貴族の旧家を中心にした反ヨシュタ派など不満分子の中に不穏な動きもあるようだ。」

「たしかにそうだな。だが、ここで引き下がるわけにもいかぬし。」

 そう言って悩むシャルマに、プシュパギリは提案した。

「おれは、ナユタやユビュのところへ行って事情を説明し、マーシュ師やウダヤ師の助言を受けて来ようと思うのだが、どうだろう。」

 シャルマはすぐさま同意した。

「それがいいかもしれん。このような状態の中でわれらだけの知恵では事態の打開もままならない。すぐにでもナユタの所に行ってくれ。」

 シャルマの同意を得ると、プシュパギリはすぐさま空間を突っ切り、マーシュ師の館に急いだ。

 マーシュ師の館では、みんながプシュパギリの訪問を喜んで迎えた。使者は時々来ていたのだが、プシュパギリ自身がやって来るのは、初めてのことだった。みんなはプシュパギリがやって来ると地上の詳しい状況を聞きたがった。

 プシュパギリが状況を説明すると、ウダヤ師は考え込んで言った。

「それは危険な状況だな。膠着状態が続いて極度の緊張が国中を支配し続けると、不満が鬱積し、新たな策謀やはては民衆の暴動も起こりかねない。」

 マーシュ師も言った。

「宇宙では、ムチャリンダとイムテーベの活動が最近おとなしくなっている。おそらく地上でのことに期待をかけているのだろう。それだけに決してルドラの思いどおりに事を運ばせてはならん。」

 この言葉にプシュパギリが応じて言った。

「ですが、具体的には、どのような方策を取れば良いのでしょう。シャルマはトドラ渓谷を堅く守ってはいるものの交渉もままならず、事態打開の糸口すら見えません。」

 これを受けて発言したのはナユタだった。

「ボルシッパの野で決戦を行うことは適切ではないのだろうか?ヨシュタ軍はトドラ渓谷を抑えるという戦術的利点に立って、そこを守っている限り負けることはないという点に依拠しすぎているのではないか?」

「そうかもしれません。だが、決戦を行えば勝利の女神がどちらに微笑むか分からず、また、そもそも大きな戦いが起こるということ自体が、地上での戦乱の渦を大きくしかねません。シャルマもそれで苦慮しているのです。」

「そうだろうな。」

 ナユタが考え込むと、横からウダヤ師が言った。

「わしがブルーポールの力によって取り上げたヨシュタが危難に際している。しかも、彼は地上において重要な役割を果たそうとしている。ナユタ、地上に出向いてヨシュタを助けてはもらえまいか。」

 突然のこの提案に皆がびっくりしてウダヤ師の方を振り向いた。しかし、ウダヤ師は落ち着いて続けた。

「ヴァーサヴァの今回の創造が開始されて以来、宇宙はナユタとユビュを軸に動いている。そして、今、宇宙の趨勢は、ヨシュタの戦いにかかっている。この戦いで道を切り開くためには、わしにはナユタの力が不可欠と思えてならぬのだ。」

 ウダヤ師のこの言葉を受けて、ナユタは意を決したように言った。

「分かりました。ムチャリンダを撃退して以来、ムチャリンダの直接の脅威がなくなったとはいえ、宇宙の平和が完全に回復されたわけではなく、地上では人間たちの争いや策謀によって混乱がますますひどくなっています。この宇宙では、ムチャリンダの防御は堅く、ムチャリンダをやすやすと打ち破り、葬り去れる状況ではありません。このような中で、地上の状況は極めて危険であり、これ以上地上の混乱と人間の苦しみが増せば、宇宙の均衡もどうなるか分かったものではありません。地球を破壊し、創造を停止することこそ、正しいことと思う神々も無数に出てくることでしょう。そのようなことは断固として阻止せねばなりません。私がヨシュタの元に赴き、彼を守りましょう。」

 ウダヤ師はただ黙ってうなずいたが、マーシュ師は次のように語りかけた。

「おまえがそう言ってくれるのを聞くと胸が熱くなる。ヴァーサヴァの館での創造の日以来おまえが背負って来た幾多の苦難が思い出されてな。だが、わしはおまえが地上に行くのには懸念を感じる。ムチャリンダとイムテーベが最近おとなしくしているとはいっても、決して彼らが策謀を諦めたわけではなく、常に我々の隙を窺っている。おまえがここを離れたと分かれば、彼らがここに襲撃して来ないとも限らない。そうなれば、また大きな戦いとなり、宇宙の混乱に拍車をかけることにもなる。地上のことは確かに重要だが、天空でのことはより重要だ。天空の秩序なくしていかなる地上の平和も築けないのだからな。」

 この言葉は皆の心にずしりと響いた。

 しかし、しばしの沈黙が流れた後、ナユタがゆっくりと口を開いた。

「マーシュ様、ご懸念はもっともと存じます。しかし、もし地上でヨシュタが倒され、再び激しい混乱が始まれば、多くの神々が創造の破壊を唱えるムチャリンダへと支持を翻さないとも限りません。平和を具現することのできない人間の社会を存続させることに、多くの神々が疑問にもちかねないでしょう。それゆえ、地上の秩序は、ある意味では宇宙の秩序に先んじると思います。マーシュ様、ご懸念はもっともですが、私に地上に行くことをお許しいただけないでしょうか。ここには、ユビュがおり、そして、彼女を助けるヴィクートやカーシャパもいます。私はブルーポールとマーヤデーバは携えて行きますが、サーンチャバは残して行きましょう。サーンチャバはいざという時、ムチャリンダに対して威力を発揮するでしょう。私たちはどのような苦難を伴おうとも、地上と宇宙の秩序を回復し、創造の真の意味を具現する大地を拓かねばならないのです。」

 ユビュも言った。

「ナユタ。どうぞ行ってください。そして、ヨシュタを守ってください。ここは大丈夫。私が守ります。仮にムチャリンダが押し寄せたとしても、マーダナを掲げ、ムチャリンダの軍勢を迎え撃ちましょう。そして、ヴィクートやカーシャパも守ってくれるでしょう。」

 マーシュ師はこのユビュの言葉に大きくうなずき、そして目頭を押さえて語った。

「ナユタ、引き留めて悪かった。行くがいい。宇宙と地上のすべてを見渡すそなたのまなざしには心を打たれる。ここは我らで何とかしよう。心おきなく行くがいい。きっと地上にはそなたの光が降り注ぐだろう。」

 

2014年掲載 / 最新改訂版:2020912日)

 

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向殿充浩 / 神話『ブルーポールズ』第2巻