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神話『ブルーポールズ』

【第1巻】-

向殿充浩                                                       

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 その夜、ムチャリンダ軍は大いに意気揚がった。

「みな、よくやった。だが、まだ決着はついていない。明日からも厳しい戦いが続く。気を引き締め、よろしく頼む。」

 自信に満ちたムチャリンダの言葉に、将軍たちは大きな声で呼応した。

 一方、ナユタ陣営では、ナユタがバルマン師、カーシャパ、プシュパギリらを集めて語った。

「今日ほどムチャリンダの武力の強大さを感じた日はない。我々の一瞬の油断も命取りになるだろう。しかし、正義を具現するためには、ここで一歩も引くことはできない。」

 神々は明日からの戦いをどう進めるか議論を進めたが、なかなか議論はまとまらなかった。カーシャパは、

「少し考えさせてくれ。」

と言って自分の幕舎に引きさがった。

 

 暗い影がナユタ陣営全体に覆いかぶさる中、突然ナユタの幕舎を現れたのはウダヤ師だった。ウダヤ師はナユタに会って簡単な挨拶を済ませると、次のように言った。

「大地が腐臭を発し始めている。天界での混乱が地上に影響を及ぼし、悪を生む無数の種が雨粒のように地上に降り注いでいる。」

 ナユタがうつむきかげんに答えた。

「ウダヤ様、おっしゃることはよく分かります。私が非力なばかりに、未だムチャリンダを打ち破ることができず、ほんとうに申し訳なく思います。」

「いや、ナユタ。おまえを責めているのではない。ムチャリンダの強大なことはよく分かっている。ただ、おまえが苦戦しているのを見てな。いくらかでも役に立てればと思ってやって来たのだ。」

「ありがとうございます。お知らせが行っているかと思いますが、今日の戦いではムチャリンダ軍に痛い目に遭い、シャルマが傷つきました。カーシャパに次の策を練らせていますが、事態は容易ではありません。」

「そうであろうな。今日のことを聞いて急いでやって来たのだ。カーシャパも悩んでいるだろう。宇宙一の策士とはいっても、敵が強大なムチャリンダで、しかもイムテーベ、ルガルバンダ、ヤンバーといったつわものが揃っているとあっては、簡単な話ではあるまい。だが、わしにひとつ考えがある。カーシャパを呼んではもらえまいか。」

 この言葉を受けて、ナユタはすぐにカーシャパを呼びにやらせた。待っている間、ナユタはウダヤ師に問いかけた。

「ところで、ウダヤ様、地上の様子はどうなのでしょうか。」

「地上ではますます悲惨な状態が広がっておる。戦いだけではなく、飢えと病いが人々の命と心を蝕んでいる。人間はますます狡くなり、目先の利益にこだわるようになった。大義よりも策謀が、真理よりも虚偽が幅をきかせている。義に疎く、利に敏い人間が大きな顔をして大地を闊歩しているのだ。」

「人々はまだ神を信じていますか?」

 ウダヤ師は首を振って答えた。

「それはわしにも分からん。ただ、人間は以前にも増して神に頼るようになった。本来なら、自分の力を信じ、真摯に努力すべきときでも、往々にして神に助けを求める弱い存在になり下がった。それもこれもみな、地上が混乱し、真理が普遍する場でなくなったからだ。」

「そうですか。創造の真の息吹きは失われてしまったのでしょうか?」

「失われてしまっていないとしても、風前のともしびではあるだろう。人間たちは愛欲にしがみつき、煩悩に取り巻かれて喧噪のうちに生きるようになった。どうすれば本来の創造の息吹きが人間の中に復活するのか、わしにも分からぬ。」

 ナユタとウダヤ師がそんな話をしているところへカーシャパがやって来た。カーシャパは型どおりの挨拶でウダヤ師を称え、続けて次のように語りかけた。

「既に聞いておられると思いますが、我が軍はたいへんな苦戦を強いられております。ウダヤ様には、なにかお考えがあるとのこと。ぜひ、それをお聞かせください。」

「カーシャパ、迷っておるな。迷ったときには、同等の透徹したまなざしをもった者と意見を交わすと良いのではないかな。」

「はい、その通りかと思います。ただ、ナユタやバルマン師、プシュパギリと議論いたしましたが、なお良い策が見いだせないのです。」

「そうか。たしかにナユタもバルマン師もプシュパギリも優れた神だ。だが、良い結論が得られないとあれば、それはおそらく皆があまりにも目の前の戦いに心をのめり込ませ過ぎているからだ。そして、自分たちが直面している状況へのさまざまな先入観に縛られ、自由な発想を奪われているのだ。もっと事態を平静に客観的に捉えるまなざしをもつ者と意見を交わすことが必要だろう。」

「たしかにそうかも知れません。しかし、」

 そう言ってカーシャパが唇を噛むと、ウダヤ師は笑みを浮かべて言った。

「おまえは宇宙一の戦略家と言われており、おまえが対等に議論できる者を見つけることは無理と思っているのだろう。」

「いえ、そのような思い上がりは決して。」

「いや、いいのだ。だが、宇宙は広い。おまえも知らない優れた神がいたるところに潜んでいるものだ。東の星雲に住むヴィクートという者がいる。アリヤマンを守護神とし、アリヤマンのごとく誠実で為すべき事に忠実だ。武術に長け、戦況を見据える優れた目をもっている。この者を呼んで、策を尋ねるといいだろう。」

 この言葉を聞くと、カーシャパはきっぱりと勢い込んで言った。

「分かりました。ただちにそうしましょう。さっそく東の星雲に使者を出し、そのヴィクートという神を招聘致しましょう。」

 するとウダヤ師は声を立てて笑った。

「は、は、は、は、は。だからおまえたちは目の前の状況に心を奪われ過ぎておるというのじゃ。ヴィクートは東の星雲になどおらんぞ。おまえたちの軍の中にいるはずだ。」

 えっ、という驚きの目でナユタとカーシャパは顔を見合わせた。ウダヤ師が笑顔で続けた。

「いや、よいのだ。おまえたちを責めているのでもなんでもない。優れた武人であるヴィクートの力が今こそ必要なのだ。ともかく彼を呼んで意見を求めるといいだろう。きっとおまえたちの力になってくれるだろう。」

 

 ウダヤ師の言葉を受けて、ナユタとカーシャパは、さっそく、ヴィクートという者を召し出した。勇気と謙虚さを兼ね備えた東の星雲の神は武具をはずして現れたが、その態度は毅然とし、いささかも臆するところがなかった。

 カーシャパがムチャリンダと戦う作戦について尋ねると、ヴィクートは答えた。

「現在の状況を分析しますと、明らかに劣勢です。戦いは時の運とも申しますが、総力戦を行って勝てる可能性はおそらく二割にも満たないでしょう。初期の戦いでは、一見、互角に戦っているようにも見えたかと思いますが、それはあなたの巧みな戦術とナユタ様、バルマン師などの超絶的な力の発露によるものです。そしてまた、イムテーベが慎重な姿勢をとっていたこと、ムチャリンダが本来の力を発揮していなかったことなどにも因っています。そして、敵方が真の力を発揮したらどうなるか、それは今日の戦いからも明らかです。」

「たしかに、その通りだ。それに対してどうそれば良いか、それに悩んでいるのだ。」

「総力で劣る以上、敵の総力に対するのではなく、敵を分断して弱いところを個別に叩き、形勢を逆転させることです。」

「それはその通りだ。だが、それにはどうすればよいか。」

「ムチャリンダは大将の風格を備え、巨大な破壊力をもっています。また、イムテーベは強靭な武人であると同時に、思慮深い戦略家であり、侮りがたい力をもっています。ルガルバンダは武人としての力量は特に優れたものではありませんが、神通力を駆使して奸智に長け論客としての力量も一流です。しかもこの三神はそれぞれブルーポールを持っています。これに対して、ヤンバーは獰猛さと乱暴さで右に出る者はありませんが、猪突猛進型の武神であり、やや思慮に欠けます。まず叩くべきはヤンバーでしょう。敵方の方が力が上の場合、思慮のあるイムテーベやルガルバンダを叩くのは容易ではないでしょうし、ましてや総大将のムチャリンダを攻めるのも容易ではないでしょう。ですが、ヤンバーなら可能かと思います。」

「しかし、ヤンバーはこの宇宙に並ぶ者なき勇将。その軍は勇猛果敢さにかけてはムチャリンダ軍随一。実際にどのようにしてヤンバーを叩けばよいのだろうか。」

 そう問いかけるナユタにヴィクートはきっぱりと答えた。

「ヤンバーを孤立させ、ナユタ様がヤンバーを叩くのです。そのための策ですが、私に一軍を授けていただき、全体の陣形を大きく変えさせていただければと思います。私はプシュパギリと共に左翼を務め、右翼にシャルマ、中央にバルマン師と配します。カーシャパにはナユタ様とともに後方に陣取ってもらいます。」

「なるほど、それで、どうなるのか。」

「シャルマが相手ではルバルガンダも容易に動けないでしょう。問題はイムテーベですが、攻撃は最大の防御ということわざがあります。バルマン師を中央に配し、総攻撃を仕掛けます。バルマン師がブラーマンを擁して中央から押せば、慎重なイムテーベは防戦に努めるでしょう。一方、私はプシュパギリとともにヤンバーに攻撃を仕掛けますが、ヤンバーの攻勢が始まれば、陣を少しずつ下げます。ヤンバーは遮二無二突撃してくるでしょうから、必ずやイムテーベとの戦列にずれが生じます。」

「そこを突くわけか。」

 カーシャパの言葉を受けて、ヴィクートはさらに続けた。

「その通りです。その時、あなたが後方の軍を率いて前面に出、イムテーベ軍に攻撃を仕掛けます。おそらくこれにはムチャリンダが応戦してくるでしょうが、これによって、さらにヤンバーは孤立するでしょう。この機を捉えて孤立したヤンバー軍にナユタ様が横手から奇襲をかければ、必ずや勝利への道が開けるでしょう。」

 このヴィクートの言葉には、カーシャパもただただ感心した。こうしてヴィクートの献策に基づいてナユタ軍の作戦が綿密に練られ、準備が進められた。

 

 一方のムチャリンダ軍は、前回の勝利を受けて血気盛んだった。軍議が開かれると、ムチャリンダが語気を強めて言った。

「ものども、敵はこの前の戦いで我らの恐ろしさをいやと言うほど味わったはず。敵が体勢を立て直す前に一気にたたみかけ、決着をつけよう。すぐに次の決戦の準備をしてくれ。」

 ヤンバーも逸る心を抑えられないといった面持ちで語った。

「この前はカーシャパを討ち漏らしたが、今度こそ息の根を止めてやる。わが軍は万端の準備ができている。いつでも出撃できる。」

 だが、イムテーベは慎重だった。

「ただ、敵は前回の轍を踏むまいと新たな策をとってくる可能性が高い。しかもナユタはブルーポールを携えているし、バルマンはウトゥを倒したブラーマンを持っている。決して軽はずみな攻撃を仕掛けるのではなく、全軍の動きをよく見て、慎重に軍を動かすことが必要だ。敵を甘く見ると痛い目に遭いかねないからな。」

 この言葉に、ルガルバンダが反論した。

「たしかにそうかもしれぬが、こちらも三本のブルーポールを持っている。慎重な策というものは、その場の安全という点では良いかもしれぬが、えてして千歳一隅の好機を逃すことにもなりかねない。」

 この言葉に、「そんなことは言われずとも分かっている。」という怒りがイムテーベの心に浮かんだが、ムチャリンダの最初の言葉を思い出して、次のように締めくくった。

「諸君の考えと諸君の心意気はよく分かっている。ムチャリンダ殿も頼もしく思っておられるであろう。たしかに、戦さは水物。そのときどきの状況に合わせた瞬時の対応が必要となることは言うまでもない。ただ、繰り返すが、カーシャパは、この宇宙でも名だたる参謀。決して侮ってはならぬ。諸君、戦いが始まったら、冷静に慎重に事を運ぶように。」

 

 次の日、夜明けとともに、ムチャリンダ軍は再び陣形を整えて進軍した。前回と同じく、右翼にヤンバー、左翼にルガルバンダ、中央にイムテーベ、そして後方にムチャリンダという堂々たる布陣だった。

 対するナユタ軍もこれに呼応するように進軍した。ヴィクートの進言通り、右翼にシャルマ、左翼にプシュパギリとヴィクート、中央にバルマン師、後方にナユタとカーシャパという布陣だった。

 ヴィクートはナユタから与えられた将軍の鎧を身に着け、きらめく兜をかぶって出陣した。左翼の中央に位置するヴィクートは戦車軍団に囲まれ、きらびやかな装飾具で飾られた戦車に乗るその姿はまるで朝日を浴びるメール山のように輝き、その全身から発する輝きはそれだけで敵を圧倒するかのようであった。

 戦端を開いたのは右翼のヤンバーだった。ヤンバーは向かう相手がカーシャパではないことに気付くと、大声で叫んだ。

「カーシャパはどうした。おれ様の恐ろしさにしっぽを巻いて後方で縮みあがっているのか。相手が誰であろうと、おれは天下のヤンバーだ。一気に蹴散らしてくれよう。」

 ヤンバーが戦闘開始の合図を送ると、ヤンバー軍の戦車隊が怒涛の勢いで突撃を開始した。一方のヴィクートはそれを見ると、プシュパギリに語りかけた。

「ヤンバーは勇んでかさにかかって攻めかかろうとしている。おれの思った通りだ。プシュパギリ、弓隊で勢いを止めてくれ。」

 プシュパギリは盾を並べ、激しく矢を射かけさせた。しかし、そんなことでひるむヤンバーではなかった。

 ヤンバーは叫んだ。

「ひるむな、皆の者、総攻撃に移るぞ。突撃でプシュパギリの弓隊を蹴散らすぞ。突破口を作り、一気に敵軍を突き崩すのだ。」

 ヤンバーは流星錘を掲げ、真っ先に戦車を走らせ始めた。たけり狂う猛獣さながらにヤンバーは突進し、プシュパギリ軍の弓兵は怖気づいた。

 しかし、ヴィクートは冷静だった。プシュパギリ軍を下がらせると、自身で戦車隊を率いて前に出てヤンバーの突進を受け止めた。

 激しい戦闘が始まった。敵味方入り乱れ、槍で突き合う音、剣がぶつかり合う音、怒号やラッパの音で戦場は騒然となった。その中を土煙を上げて戦車が駆け巡り、なかでも流星錘を振り回しながらさっそうと駆け回るヤンバーの姿と、ナユタから贈られた兜をきらめかせて疾走するヴィクートの姿はことのほか艶やかで、まるで鬼神たちの乱舞を思わせるほどであった。

 そのころ、左翼のルガルバンダは、前面にいるのがバルマン師ではなくシャルマであることに気付くと、警戒して言った。

「敵は布陣を変えてきたか。狙いがなんであるかは分からぬが、イムテーベが言ったとおり、あまり軽率に動かぬ方が良いかもしれぬ。」

 ルガルバンダが攻勢に出ないのを見て、シャルマは号令をかけた。

「攻撃にかかるぞ。」

 シャルマ軍の攻撃が開始されてもルガルバンダは冷静だった。ルガルバンダは前日の強気の発言とは裏腹に、イムテーベの意図を汲んで慎重に防御を固めて応戦した。シャルマ軍の第一撃は撥ね返され、その後は一進一退の攻防が続いた。

 中央ではイムテーベとバルマン師の戦いが始まった。イムテーベは中央にシャルマではなくバルマン師がいることを確認すると、腕組みをして言った。

「シャルマではおれに対しきれないとみて、攻撃力に優れるバルマンを中央に持ってきたな。相手にとって不足はない。ただ、ブラーマンだけは用心せねばな。」

 バルマン師が分厚い攻撃陣で圧力を加えてくると、イムテーベは慎重にバルマン師の軍に互角に戦えるだけの軍を前に出して、戦闘を開始させた。同時に、サヌートを呼んで言った。

「ムチャリンダ殿のところへ行ってくれ。敵は中央突破を狙ってくる可能性が強い。後方のナユタかカーシャパが前線に駆け出してきたら、ムチャリンダ殿にもすぐ軍を前に進めて欲しい。そのことを伝えてくれ。」

 この言葉を聞くと、サヌートはすぐに飛び上がり、ムチャリンダの元へイムテーベの伝言を伝えた。ムチャリンダはすぐにうなずいた。

「分かった。すぐに前進の準備をしよう。イムテーベによろしく伝えてくれ。」

 前線ではバルマン軍の戦車が攻勢を仕掛けていたが、それでもイムテーベは動かない。援軍を出すべきではという部下の進言も平然と受け流した。

「心配するな。バルマンの軍は我が軍を壊滅させることはできない。ヤンバーは前進して敵と激戦を演じている。もう少し待とう。まだ機は熟していない。」

 こうして各所で緒戦の戦いが繰り広げられる中、ヴィクートは巧みに軍を動かし、激戦を行いつつ、少しずつ軍を下げていた。当初の策の通りであった。

 ヤンバーは大声で号令をかけ、どんどん軍を前に進めた。

「敵は後ろを見せ始めているぞ。一気に敵を殲滅するのだ。」

 部下のギランダが心配して、進言した。

「ヤンバー様、イムテーベの言葉を思い出してください。イムテーベは冷静、慎重に行動するよう諭されました。中央のイムテーベはバルマンとの激戦のさなか。あまりわが軍だけ前に進みすぎるのは危険です。」

 だが、ヤンバーは激しく叱責した。

「ばかなことを言うな。今こそ勝負どころではないか。ここで敵を蹴散らせば、中央のバルマンを包囲殲滅する千歳一隅の好機が訪れる。おまえには戦さの機微も分からんのか。」

 ヤンバー軍の勢いは、まさに猪突猛進そのものであった。しかし、ヴィクートが予見したとおり、この攻撃で、イムテーベとの戦列には微妙なずれが生じていた。

 この変化をカーシャパは逃さなかった。カーシャパは後方に控えていた戦車隊を率いると、ヴィクートとバルマン師の軍団の間を縫って一気に前線に躍り出た。カーシャパの率いる戦車軍団が砂埃を上げて押し寄せるのが見えると、イムテーベは叫んだ。

「よし、決戦だ。」

 イムテーベが戦車を走らせ始めると同時に、ムチャリンダも前線へと移動を開始した。

 最前線では、ムチャリンダが戦場に到着する前に、カーシャパの一撃がイムテーベの戦列の一部を崩した。しかし、イムテーベも負けてはいない。ヒュドラをかざしたイムテーベの戦車が戦場を疾駆すると、イムテーベ軍は勢いを取り戻し、バルマン師軍、カーシャパ軍と渡り合った。そこへムチャリンダが到着した。ムチャリンダはブルーポールを掲げると、一気に混戦の中に飛び込んだ。

 戦いはムチャリンダ側が優勢となったが、カーシャパとバルマン師は巧みに陣形を変えつつ応戦し、容易に引き下がらない。こうして激しい戦いが展開する中、前へ進み続けるヤンバー軍とイムテーベ軍とは完全に切り離された。

 ヴィクートはこの瞬間を待っていたのだ。

 ヴィクート軍に凄まじい圧力を加えていたヤンバーは鬼のような形相で、

「あと一息だ。ものども、ひるむな。」

と声を嗄らして号令をかけていたが、その時だった。

 突然、ヤンバー軍の左方向にマーヤデーバの轟音が鳴り響いた。ヤンバーの心臓には戦慄が走ったに違いない。

 ヤンバーは驚愕を隠し切れずに叫んだ。

「なぜ、ナユタがここに!」

 次の瞬間、ナユタがすさまじい勢いで突撃して来た。ヴィクートの策通りだった。マーヤデーバの轟音を合図に、ヴィクート軍も反転攻勢に出た。

 ヤンバー軍の戦列はマーヤデーバの響きに恐れおののき、算を乱し始めた。ギランダは歯軋りして天を仰いで嘆いた。

「もはや取り返しがつかない。あれほど自重するように言ったのに。天はヤンバーを見放した。常に日の出の勢いで突進し、宇宙に並ぶものなき勇名を馳せた猛将ヤンバーももはや二度と日の出を見ることはないだろう。」

 マーヤデーバのうなりとともに、戦いの潮目が変わった。

 しかし、さすがは宇宙一の勇将。ヤンバーは気を取り直すと大声で叫んだ。

「へっぴり腰のギランダは今夜八つ裂きにしてくれよう。これからが本当の戦いではないか。神の風上にもおけん。ナユタが相手とあれば不足はない。青二才のナユタも今日こそはこのヤンバー様の本当の恐ろしさを思い知るだろう。」

 ヤンバーはそう叫ぶと、戦列を建て直し、戦車を縦横に走らせてナユタ軍をなぎ倒してゆく。得意の流星錘を振り回して突き進むヤンバーのすさまじい勢いに、さすがのナユタ軍も恐れをなし、自然にヤンバーの行く手には道が開ける。ヤンバー軍は息を吹き返し、激しい戦いが繰り広げられた。

 ナユタもマーヤデーバを振り回して檄を飛ばした。

「ひるむな。今日こそヤンバーを打ち倒して、宇宙に名を成すのだ。決して道を開けるな。」

 戦場は激烈を極め、もうもうと舞い上がる砂塵に、敵も味方も視界を遮られるほどだった。馬のいななき、矢の飛ぶ音、槍のぶつかりあう音、車輪のきしむ音が轟音となって押し寄せ、銅鑼や太鼓も狂ったように打ち鳴らされ、怒号と怒号がぶつかりあい、戦慄すべき音の嵐を作り出した。

 勇躍するナユタとともにヴィクートも奮戦した。ヤンバーを追いつめようと盾を並べてヤンバー軍を十重二十重に取り囲み、次々に突撃を繰り返す。ナユタとヴィクートの攻撃はいささかもひるむことなく、ヤンバー側の兵士は次々と倒されていった。

 ナユタとヴィクートの激しい攻勢の前に、ヤンバーは次第に劣勢を余儀なくされたが、それでも、ヤンバーはひるまなかった。

「ひるむな。たとえ、おれ一騎になったとしても、ナユタやヴィクートごときに倒されるおれ様ではないぞ。勝負はこれからだ。今日、大地にはいつくばるのはナユタだ。そして、今日こそは、ムチャリンダ様の勝利が確定するのだ」。

 そう叫んでヤンバーは奮戦した。ナユタ軍の誰も、そしてヴィクート軍の誰も、流星錘を振りかざして突き進むヤンバーに立ち向かえなかった。

 それを見たヴィクートはついに自ら槍を振りかざして、ヤンバーの戦車に向かった。それを見たヤンバーは大音響で叫んだ。

「おまえは誰だ。どこの馬の骨かも分からぬやつにおれの相手などできんぞ。」

 ヴィクートが叫び返す。

「ナユタより将軍に任じられ、一軍を任されたヴィクートだ。いざ、勝負。」

 ヤンバーは鼻でせせら笑うように言った。

「ヴィクート?こざかしいな。おまえごときにおれ様が倒せるものか。おれの流星錘を受けたくなければ、道を開けて引き下がるがいい。どうしても引き下がらないなら、今日、大地がおまえの命を吸い取るだろう。」

 しかし、ヴィクートはひるまずどなり返した。

「ヤンバー。おまえには自分の運命が見えないのか。おまえの命運はもう尽きているぞ。観念するがいい。」

 この決闘に両軍は一時戦いの手を休めて成り行きを見守った。ヴィクートの槍が舞い、ヤンバーの流星錘がヴィクートの盾を叩き、互いの矢が飛び交った。二台の戦車は激しく行き交いながら、戦い続けた。

 だが、一騎打ちとなればなんといっても宇宙一の勇将ヤンバーの前に、ヴィクートの形成は悪かった。ヴィクートの槍はヤンバーの流星錘によって宙に放り上げられ、守勢に回ったヴィクートの盾はヤンバーの鉾で傷つけられた。ヴィクートはなおも白刃をかざしたが、ヤンバーは次の一撃でヴィクートを倒せると最後の突進に戦車を走らせようとした。

 その瞬間だった。ヤンバーは背後に激しい閃光を感じた。激しい戦慄を感じて振り向くと、そこにはナユタが戦車の上にすっくと立ち、その右手に握られたブルーポールから途方もない青い光が放たれていた。

 そのときのヤンバーの驚きは卒倒せんばかりであったろう。

「おまえが背後にブルーポールの光を見るとき、それがおまえの最期となるだろう。」

 そう語ったシュリーの呪いが、一瞬のうちに、ヤンバーの心のすみずみにまで駆け巡り、ヤンバーの体を金縛りにした。

 それでもヤンバーは最後の勇気を振り絞ってヴィクートに向かって流星錘を構えて突進した。だが、そのとき、ナユタのブルーポールの光はヴィクートの白刃に反射されてヤンバーの目を襲った。目をくらまされたヤンバーにヴィクートはまっしぐらに突進した。まさに一瞬のできごとだった。次の瞬間、ヤンバーはヴィクートの剣の前に倒れていた。

「シュリーの呪いは成就した。宇宙に蛮勇を誇ったヤンバーもその卑劣さゆえにここに倒れたのだ。」

 ヴィクートはそう叫んだ。ヴィクートは凱歌を上げ、ナユタ軍とヴィクート軍は勝利の歓声を上げた。ヤンバー軍は散々に打ち破られ、わずかな者たちが逃げ延びただけだった。

 こうして、戦いはナユタ軍の大勝利となった。ヴィクート軍とナユタ軍の歓声にバルマン師もカーシャパもシャルマも作戦の成功を知り、兵をまとめて陣営に引き上げた。

 

 その夜、ムチャリンダ陣営ではヤンバーを悼む儀式が催されたが、全軍が悲痛に包まれた。ムチャリンダ軍一の勇将ヤンバーを倒されたことが多くの神々を落胆させた。

 ムチャリンダは全軍の前ではいささかも弱気を見せなかったが、皆のいる場から引き下がると、イムテーベとルガルバンダに向かって弱音を吐いた。

「ウトゥが倒され、おれが右腕と頼んだヤンバーまでもが倒された。どうやって宇宙の正義を貫いたらいいのだ。思慮の浅いナユタやユビュの周りに多くの神々が集まり、我が軍は劣勢に立たされている。宇宙の中で心ある神々は何と少なくなってしまったことか。こんな不本意な戦いを目の当たりにするくらいなら、おれは復活して来ないほうが良かったくらいだ。」

 この苦い言葉にルガルバンダもイムテーベもしばらく返す言葉がなかったが、ようやくルガルバンダが沈黙を破った。

「ムチャリンダ殿、落胆なさいますな。まだ、宇宙一の武略を誇る名将イムテーベが控えております。不肖ながら、私も全力を挙げて戦っております。明日、敵は焦って攻めて来ましょうが、こちらも万全の作戦で迎え撃てば怖いものはありません。そもそも、ヤンバーは宇宙一の勇将と言われる一方、その言動には慎重さと礼節を欠き、神としてあるまじき面もありました。シュリーを辱めた一件などその最たるもので、報告によれば、ヤンバーは、ヴィクートの白刃に反射したナユタのブルーポールの光で目がくらみ討ち取られたとか。シュリーの呪いが成就する機会を与えたわけで、因果応報とはこのことかもしれません。残る我らは神としての道を守り、正義を貫く戦いを推し進めねばなりません。」

 イムテーベもうなずいて励ました。

「その通りです。たしかに宇宙に心ある神は多くないかもしない。けれど、それは世の常。そんなことで挫けていて真理をまっとうしえるものではありません。たとえ、自分だけになったとしても、真理のために全身全霊を打ち込んで尽くす覚悟がなくてはなりません。そして真理を心の中心に携える者には無限の勇気が湧き起こるものです。明日からも厳しい戦いが続くでしょう。しかし、勝負はこれからなのです。」

「だが、イムテーベ。ほんとうにこの戦いは正義の戦い、そして勝利の戦いなのであろうか。ヴァーサヴァとの戦いのときには、おれの心にはひとかけらの曇りもなかった。あのときは、既にヴァーサヴァに往年の輝きはなく、宇宙の三賢神と言われたバルマン、ウダヤ、マーシュのうち、ヴァーサヴァに加担したのはバルマンだけだった。ウダヤとマーシュは遠くにあって眺めるだけだったし、ナユタはヴァーサヴァの城には入らずに傍観を決め込み、我々との一戦の後はマーシュの館へと去って行った。しかもヴァーサヴァの子供たちのうち、ウトゥは我らに味方し、ユビュもマーシュの館に去って行った。宇宙の心がもはやヴァーサヴァから離れていたのは明白だった。しかし、今回の戦いでは、ナユタとユビュが結束し、それを三賢神が支えている。宇宙が挙げてナユタの勝利を望んでいるのではないかとこの戦いを進めながら何度思ったことか。」

 これに対して、イムテーベは慎重に言葉を探しながら答えた。

「ムチャリンダ。ウトゥとヤンバーを失い、悲しみのために勇気を挫かれているのは、ある意味ではもっともなこと。しかし、真の神は、いかなるときにも物事を高みから鳥瞰的に見ることができなくてはならない。確かに三賢神は、この宇宙で最も高貴な三神の神とされてきた。しかし、時代は今、神々の会議の主催者であったヴァーサヴァでさえ森に隠遁せざるを得ないほどの激動の時代。三賢神は、いわば、ヴァーサヴァの創造を支えることによって三賢神と称えられるようになった神々に過ぎない。しかし、その創造が行き詰まり、彼らはヴァーサヴァに代わる別の器としてナユタとユビュをもってきたに過ぎません。しかし、ヴァーサヴァの創造が行き詰まったということは、すなわち、三賢神の力に限界が見えたということにほかなりません。器を変えれば済むというような話では到底あり得ないのです。時代は動き始めています。ヴァーサヴァが去り、そのヴァーサヴァを支えた三賢神の時代が終わろうとしているのです。そしてその激しい時代の変化を導いているのはほかならぬムチャリンダ、あなただ。時代を変え、既存の秩序を打ち破るには途方もないエネルギーが必要だ。途方もない困難も伴う。それに打ち勝つ勇者のみが、真の意味で新しい時代を切り開き、新しい秩序を打ち立てることができるのです。ムチャリンダ、古い兵法によれば、百戦して百勝しても、最後の一戦に敗れては強い軍とは言えない。百戦して百敗しても最後の一戦に勝利する将軍こそ最高の将軍だと言います。今の困難を乗り越えれば、必ず道は開けます。決して心を弱くしてはなりません。」

 ルガルバンダも言った。

「十分承知されているとは思うが、それでもムチャリンダ、私は申し上げねばなりません。神々の心というものは移ろいやすく、真の信念をもっている者は数少ないもの。ナユタはそういう意味では、立派な信念をもっているかもしれませんが、ナユタ軍に加わった神々がすべてそうではありません。それどころか、そのような信念をもってナユタ軍に加わった者はほんの一握りしかいないはず。多くの神々は時代の雰囲気に飲まれ、あるいは、打算的な判断からナユタ軍に加わっているに過ぎません。いったん流れが変われば、打算的に加わっている神々は、再び打算によってナユタから離れ、時代の雰囲気に飲まれた者たちは、時代の雰囲気の変化に伴ってナユタから離れてゆくでしょう。世の神々の心などというのはその程度のものなのです。いま、ヤンバーが倒され、あたかも時代が一気にナユタに傾いているように錯覚している者も多いでしょう。しかし、イムテーベも言った通り、新しい時代を切り開くには途方もない困難がつきまとうものです。最後の一戦の勝利こそが本当の意味で貴いものなのです。そして最後の勝利を決めるものは、戦術でも、戦略でもなく、それは真理と正義なのです。真理と正義に基づく戦いは決して負けません。幾多の局地的な敗北や困難を強いられても、最終的に挫折するということがないからです。真理と正義とは常に新たな勇気と希望を心の中に呼び起こし、挫折からの復活を生み出してゆくからです。我らの戦いが真理にのっとった正義の戦いであるということこそ、我らの最終的な勝利を約束してくれているのです。ムチャリンダ殿の守護神であるスーリヤ神がお見捨てになることなどありうべからざることなのです。」

 ムチャリンダはうっすらと涙を浮かべて言った。

「おれには、このように心強い味方がおる。こんなにうれしく心強いことはない。ほんとうに、おれの心の弱さから、あらぬ心配をかけて申し訳ない。きっと、おれは勝利してみせる。そして、宇宙の三賢神がこの創造の舞台から降りる日を演出しよう。そのためには、イムテーベ、そしてルガルバンダ、そなたたちだけが頼りだ。頼むぞ。」

 そう言って、ムチャリンダはふたりの手をしっかりと握った。その手の上には、ムチャリンダの熱い涙が流れ続けた。

 

 次の日も夜明けからナユタ軍の動きは活発だった。シャルマ、バルマン師、ヴィクートらの将軍が勇んで攻撃にかかった。一方のムチャリンダはギランダをヤンバーの後任の将軍に任じ、イムテーベ、ルガルバンダ、ギランダの三軍を前線に送った。

 一方、ナユタ軍は、カーシャパがムチャリンダを睨んで後方に待機する一方、シャルマがルガルバンダに攻撃を仕掛け、バルマン師はナユタとともにイムテーベへと矛先を向け、ヴィクートはギランダに相対した。朝もやの中で、早くも激闘があちこちで起こった。

 イムテーベは、しかし、昨日の教訓を生かし、ルガルバンダとギランダには防戦に努めて決して前へ出ず、また軍を分断されることのないように指示し、自身の軍も一つにまとまって行動させた。イムテーベはバルマン師、ナユタを相手に奮戦したが、勢いはナユタ軍の方が勝った。劣勢を察したイムテーベはムチャリンダに援軍を依頼し、ムチャリンダがイムテーベ軍と合流して戦闘は拡大された。ナユタのマーヤデーバが戦場に鳴り響き、イムテーベのヒュドラが朝日の中に照り輝いた。ムチャリンダまでもが激闘の中心で戦車を暴れ回らせた。カーシャパの戦車も戦場を駆け、プシュパギリの大弓も次々と矢を放った。

 このような戦いが三日間続いたが、決着は着かなかった。ムチャリンダの軍営では、イムテーベが苦渋に満ちた表情で嘆いていた。

「このままでは、我が方が劣勢のまま、勢力が憔悴してしまう。こちらはウトゥが倒され、ヤンバーが倒された。ギランダはできる限りの力を発揮してくれているが、ヤンバーを失った痛手はとても取り返せるものではない。形成の優劣がはっきりすれば、我らを見限り、敵方に寝返る神も出よう。」

 そのイムテーベの前に進み出たのはルガルバンダ軍の部将ルドラであった。

「イムテーベ殿。一見しただけであれば、敵は、カーシャパが作戦を立て、ナユタを中心に軍を動かしていると見えるでしょう。しかし、もう一つの見えざる核、精神的な支えはバルマンなのです。宇宙の三賢神のひとりと言われ、今回のヴァーサヴァの創造に立ち会い、創造の灯を灯したバルマンです。ヴァーサヴァの館で奮戦しながらも敗れたバルマンがナユタとともに再びムチャリンダ殿に対して勇ましく戦っている姿がどれほどナユタ側の部将たちを勇気づけ、また、ナユタ側に加担する神の数を増やしているか分かりません。しかも、バルマンは、ウトゥ殿を葬った張本神であり、これを野放しにしておくことは、我が軍の士気にもかかわりましょう。」

「たしかに、その通りだが、何か良い考えはあるか。」

 ルドラは勇んで答えた。

「ルガルバンダが捧げた呪いの祈りによって得られた十字の首飾りをなぜ用いないのでしょう。」

 イムテーベは厳しい表情を崩さず、考え込むように答えた。

「たしかに、十字の首飾りは最後の切り札かもしれぬ。ルガルバンダは、この首飾りをさげた者にバルマンがブラーマンを使えば、我らの呪いは成就すると言った。だが、それは絶対なのか?ブラーマンはナタラーヤ聖仙が授けた神器であり、未だかつてブラーマンを投げかけられて無事だったものは皆無だ。もし、この護符よりバルマンのブラーマンが優れていればどうなる?十字の首飾りのみでブラーマンに相対するのはあまりに危険が大きいのではないか。」

「ですが、それ以外にバルマンを倒す有効な手立てはないのでは?もし、お許しいただけるなら、私が十字の首飾りをさげてバルマンに相対したいのですが。」

 このルドラの言葉に一同がどよめく中、ムチャリンダが言った。

「いいだろう。危険を顧みず、あえてこの賭けに運命を託すその心意気、まことに尊い。さすがは太陽神サヴィトリを奉ずるルドラ。ルドラはウトゥを支えた忠臣であると同時に、我が軍が誇る偉大な勇者。この首飾りはルドラに授けるとしよう。」

「ありがとうございます。バルマンは、私がわざわざ説得してわが軍に引き入れたウトゥ殿を倒した憎き相手。バルマンが倒れるか、私が倒れるか。決死の覚悟で出陣いたします。」

 ルバルガンダが言った。

「その十字の首飾りだけではバルマンの元まで行きつけぬかもしれぬ。このブルーポールを持って戦うがいい。このブルーポールはウトゥのブルーポールだった。きっとおまえを助けるだろう。」

 そう言って、ルバルガンダは自身のブルーポールをルドラに差し出した。

 ルドラは感激し、震える手でブルーポールを受け取ると、力強く誓った。

「ありがとうございます。明日はこのブルーポールを携えて出陣します。吉報をお届けできるよう全力を尽くします。」

 ムチャリンダは、絹の布で覆った椅子にルドラを招いて座らせると、金、宝石、かぐわしい香りの没薬、マントラで浄められた水、像の牙、サイの角などを祭壇に捧げた。

 この神聖な儀式が終わると、ルガルバンダは教典の定めに従ってこの勇者を称える朗誦を行い、さらに、はなむけの言葉を贈った。

「最強の勇者ルドラよ。愚かな創造に固執する盲者どもを戦場において屠り給え。賢者の名を語る迷妄のバルマンは、灼熱の太陽を仰ぎ見ることができないように、汝の十字の護符に圧倒されるだろう。汝の守護神である太陽神サヴィトリは、必ずや汝を嘉するだろう。」

 

 次の日、ルドラはバルマン師と戦うためにイムテーベの軍に移って勇壮な出で立ちで戦車に乗り込み、十字の紋章のついた首飾りをさげて戦いに臨んだ。ルドラの姿は黄金のように光る太陽さながらに戦場に一段と光り輝いた。それはまさに、黄金の眼と黄金の両腕を持ち、黄金の戦車に乗ると言われた守護神サヴィトリのごときであった。

 全軍の指揮を執るイムテーベは、ルドラの周りを屈強な兵士で固めさせ、悠揚たる陣立てで進軍した。夜明けとともに、さまざまな楽器の奏でる音が空をどよめかせ、戦車を引く馬のいななきが響き渡った。戦士たちの掛け声があちらこちらから起こり、その轟音は空にこだまし、辺りを圧した。

 ルドラは、真っ白な馬が引く戦車に打ち乗り、戦場に雄姿を現した。戦車には、槍、弓、斧、箙、槌鉾などを満載し、ルドラ自身は黄金の鎧兜で身を固め、金を散りばめた弓を打ち振り、黄金の網を被せたほら貝を吹き鳴らし、その姿はさながら太陽のように燦然と光り輝いて見えた。周りには、ルドラの息子である二十七神のマルト神群の勇敢な若者が付き従い、彼らもまた黄金の兜と黄金の胸当てをつけていた。

 ナユタ軍は、この日もバルマン師とナユタがイムテーベの軍団に向かったが、イムテーベはそれを見ると、自軍にマカラ陣形を布くよう命じた。ルドラはマカラのくちばしに位置し、強力な戦士たちを、マカラの眼、頭、頸部、脚などに配し、自身は軍団の中心部に構えた。

 さらにムチャリンダは、イムテーベ軍の左に、ナユタ軍に向き合うように偃月陣形をとった。

 戦いが始まると、イムテーベよりも積極的に攻撃を仕掛けたのはムチャリンダだった。偃月陣形の先頭に位置するムチャリンダが幟をはためかせて戦車を疾駆させると、ナユタもマーヤデーバを轟かせて相対する。

「ナユタを討ち取れ。それですべて決着が着くのだ。」

と叫びながら戦車を駆けらせるムチャリンダ。それに対抗するようにマーヤデーバをとどろかせるナユタ。矢が空を覆い、槍のぶつかりあう音が空間を塗り潰した。この両雄の対決に周りの神々も一瞬手を休めて見とれるほどだった。

 ムチャリンダがブルーポールを取り出せば、ナユタもブルーポールを取り出す。ブルーポールとブルーポールがぶつかりあう度に、空に向かって青い旋光が飛び散ってゆく。さながら、大地からの霊気の放出を見るかのようであった。

 一方、イムテーベはバルマン師を目指して軍を動かした。待機していた軍勢にイムテーベが突撃命令を下すと、イムテーベ軍はバルマン軍の一角を突き崩した。イムテーベの軍勢はバルマン師の軍勢のただ中に躍り込み、戦闘は一気に混戦となった。イムテーベはヒュドラを振り回して敵をなぎ倒し、バルマン師も大声を振り絞って味方を鼓舞し、戦列の立て直しを図った。

 バルマン師は叫んだ。

「敵を分断し、退路を断って、包囲殲滅するのだ。」

 バルマン師が陣形を変えるように矢継ぎ早に指示を出し、ようやく戦列が落ち着きを取り戻してきた時だった。バルマン師の正面にルドラが立っていた。

 ルドラは大音響で叫んだ。

「バルマン、今日こそ、きさまの最後だ。ウトゥを倒した報いを受ける日がついにやって来た。」

 バルマン師も叫び返した。

「何を言うか。悪逆非道のムチャリンダに加担し、宇宙を危機に直面させているおまえたちこそ、今日、その報いを受けるがいい。ウトゥが報いを受けたようにな。」

 ルドラはその言葉を平然と受け流すと、ブルーポールを構えて突進した。ルドラがブルーポールを掲げるとバルマン師も一瞬その光に目がくらんだ。しかし、バルマン師は臆することなく戦車を走らせ、ルドラと渡り合った。そして、再び、ルドラが向きを変えてバルマン師に向かおうとしたとき、バルマン師は戦車を止めてブラーマンを呼び起こそうとした。

 それを見たルドラは叫び返した。

「バルマン、きさまにはおれを倒すことはできん。ブルーポールはブルーポール本来の力を発揮するだろう。きさまのブラーマンはウトゥには通用したかもしれないが、おれには通用しないだろう。」

 ルドラは一気に戦車を走らせた。胸には十字の紋章のついた首飾りが揺れていた。向かってくるルドラに向けて、バルマン師は手で空間を切り裂いた。次の瞬間、ブラーマンは轟音を立ててルドラに向かって飛んだ。しかし、その瞬間、バルマン師が目にしたのは、ルドラの胸に光る黄金の輝きをもつ十字の紋章だった。ブラーマンはルドラ目がけてうなりを上げて飛んだが、次の瞬間に倒れていたのはバルマン師だった。ルドラ目がけて真一文字に飛んだブラーマンは十字の紋章で撥ね返され、そのままバルマン師目がけて飛んだのだった。

 まさに一瞬のできごとだった。

 ルドラは天に向かって叫んだ。

「正義が具現された今日この日は、永遠に刻まれるだろう。非道のバルマンは人間界に生まれ落ちるのだ。この創造を救う者が万が一地上に現われることがない限り、バルマンは人間の世界に生まれ変わり続けることになるのだ。」

 ルドラがバルマン師を倒したことを知ると、イムテーベは勝利を確実なものにしようと暴れ回ったが、カーシャパが駆けつけたので、兵をまとめて引き上げた。カーシャパは、イムテーベを追い払った後、バルマン師を抱き起こし、自分の戦車に乗せて陣地へと引き上げた。

 バルマン師が倒されたという知らせはナユタ軍全体に途方もない衝撃を走らせた。ナユタをはじめ、戦いを終えた将軍たちが、次々にバルマン師の元に集まって来た。

 ナユタは沈痛な表情でバルマン師の枕元でバルマン師の手を握った。

「バルマン様、申し訳ございません。私がいたらないばかりに。」

 そう言って涙を流すナユタに、バルマン師はうっすらと目を開けて答えた。

「これがわしの定めなのだ。人間界に生まれ落ちることとしよう。このような呪いをかけたルガルバンダはきっと報いを受けよう。彼がブルーポールを忘れて戦場に出た日が彼の最期となるだろう。この戦いは、正義の戦いだ。ムチャリンダやイムテーベが何を企てようと、決して屈してはならんぞ。」

 ユビュも陣営に駆けつけた。ユビュを見ると、バルマン師はかすかにほほ笑んだ。

「おまえがわしの洞窟に来てくれたときのことが昨日のことのように思い出されるよ。あれからいろいろなことがあったが、あの日はとびきりうれしい日だった。もうわしのような老神の時代ではない。これからはおまえたちの時代だ。ナユタと手を携えて、宇宙のダルマを守ってゆくのだ。頼んだぞ。」

 ユビュは涙をにじませ、バルマン師の手を握りしめて言った。

「こんな悲しい日が来ようとは思いませんでした。バルマン様の言葉に従って今日まで来ましたが、その結末がこれなのでしょうか。」

「ユビュ、元気を出しなさい。すべては定めだよ。おまえにはこれからもつらいこと、悲しいことが山のように襲って来よう。だが、それに挫けず、己の努めをひたすら果たすのだ。それが神の道というものだからな。」

 バルマン師は再びナユタを枕元に呼んだ。

「ナユタ、わしはおまえだけを頼りに己の務めを果たしてきたつもりだ。戦い半ばで己の責務を放棄し、後をおまえに託すのはつらいが、これも運命というものだろう。マーシュ師とウダヤ師を頼り、ユビュと手を携えて宇宙の王道を歩むのだ。前回の創造では、おまえは宇宙の異端者、反逆児だった。だが、おまえは今や多くの神々の期待を担い、ダルマを背負って戦いに臨んでいる。そのことを忘れるではないぞ。」

「はい、バルマン様。」

 そうナユタは言ったが、その後の言葉が続かなかった。

 そしてバルマン師は目を閉じ、人間界に生まれ落ちていったのだった。

 

 バルマン師が神界を去ると、マーシュ師の館は悲痛な空気に包まれた。ユビュはうつむいて涙をぬぐい、ナユタはじっと歯を食いしばって涙をこらえた。

 マーシュ師はしかし沈黙を破ってナユタに言った。

「ナユタ。悲しいことだが、これが定めというものだ。バルマン師の残された言葉を心に刻み、道を行くほかない。それが我らに課せられた使命なのだ。」

「マーシュ様、そのとおりと思います。まったく、そのとおりと思います。しかし、私の心の中では、言うに言えない悲痛な叫びが渦巻き、」

そう言いかけて、ナユタは言葉に詰まった。そしてナユタの頬にはそれまで必死にこらえていた涙がつたった。

 ナユタは言った。

「もし、私が宇宙の涯てから出て来さえしなければ、こんなことになりはしませんでした。宇宙の涯てから七本目のブルーポールを折りさえしなければ、こんな悲痛な戦いはなかったのかもしれません。バルマン師が倒れることもなかったはず。私は無益な戦いを引き起こし、無数の悲しみをこの宇宙に生み出しただけでした。」

 ウダヤ師はそっといたわるように言った。

「ナユタ。おまえの勇気が宇宙を動かしている。そのことを悔いてはならぬ。この宇宙にもしもこうしなければなどという言葉はない。生起したものがすべてなのだ。勇気によって生起させたものを悔いてはならん。」

「そのとおりだ、ナユタ。」

とマーシュ師が続けた。

「ナユタ、そしてユビュ。よく聞きなさい。ムチャリンダの横暴を止められるのはおまえたちしかおらん。宇宙の秩序を乱し、神のなす創造に亀裂を入れるムチャリンダの横暴は絶対に許してはならん。それだけは間違いないことだ。宇宙はまさに瀕死の状態なのだ。だから、おまえたちは勇気を持って、戦わねばならん。これからもっともっとたくさんの悲しいことが起きよう。だが、それらすべてを乗り越え、前に進まねばならんのだ。」

「マーシュ様。言葉では分かっているつもりです。でも、私は弱い存在で、今は耐え難いほど心に傷を負っているのです。」

 ユビュも涙で声を振るわせながら言った。

「バルマン師はいつも正しい言葉を語り、正義の道を歩いておられました。そして、私はそのバルマン師に道を指し示していただき、ここまで歩いてきました。なのに、そのバルマン師が倒れねばならないとは。なんとこの世界は不条理に充ち満ちているのでしょう。」

 マーシュ師はユビュの悲痛な言葉に深くうなずいたが、諭すように語った。

「それがこの世界なのだ。世界が正義と真理に立脚して成り立つことを誰もが願うが、現実の世界は理不尽なものでできあがっている。これまでもそうだったし、これからもそうだろう。不条理が常に根底に横たわっているのがこの世界なのだ。そして、その中に存在する我らも完璧な神などというものは存在しない。皆、欠点や弱さを持っておる。だが、誰でもそれを乗り越える勇気を心の奥底には秘めているものだ。ナユタ、ユビュ、心して聞きなさい。真の勇者は行動を恐れない。何か事を起こし、その結果が悲惨なものになったとしても嘆いてはならない。それはそれがなさねばならなかったものであるからだ。そしてその行動の軸となるべきものはただ一つ、真理のみだ。真理に基づいて勇気をもって行動する者は必ず目的を成就することができる。行いが正しく、己を律し、謙虚に道を歩む者には必ず道が開ける。だから、ナユタ、ユビュ、今日は涙を流してよいが、明日は毅然として前に進むのだ。多くの者がおまえたちを待っておる。おまえたちの勇気だけがこの館の者たちの心の支えなのだ。」

 ナユタはじっと唇をかみ締め、その言葉にうなずいた。

 

 次の日、ナユタの陣営では、バルマン師の追悼の儀礼が執り行われた。マーシュ師とウダヤ師が列席し、弔辞を述べた。マーシュ師はイムテーベを呪った。

「ヴァーサヴァの館の戦いでバルマン師のブルーポールを奪ったばかりでなく、今度はバルマン師自身を撃ったイムテーベの行為は、宇宙の規範に照らしても許すことのできないものだ。創造の火を司り、宇宙の賢者のひとりに数えられるバルマン師を戦場で討つなどという暴挙を今までどんな武将も行ったことがない。イムテーベは呪われるだろう。そして、生まれ変わったバルマン師が導く者によって存在の根拠を奪われるだろう。」

 マーシュ師は祈りを捧げ、呪いの成就を祈念した。

 また、ウダヤ師はこう語った。

「バルマン師を討ったのはルガルバンダの呪いだ。このような卑劣な呪いを我々は見過ごすことはできない。ルガルバンダこそ呪われるべきだ。ルガルバンダが再び呪いをかけようとするとき、その呪いはルガルバンダ自身に降りかかるだろう。」

 ウダヤ師も祈りを捧げ、呪いの成就を祈念した。

 次いで、ナユタがバルマン師の功績を称え、最高の栄誉をもってバルマン師を遇することを宣言した。さらにナユタは力強く宣言した。

「この宇宙の危急のときに、我が身の危険をも顧みず常に最前線で戦い続け、我らを励まし続けたバルマン師を私は決して忘れない。私は必ずムチャリンダを打ち破る。そのことをすべての神々の前で誓う。もし、それができなければ、地獄の業火に焼かれてもかまわない。」

 このナユタの強い決意は、多くの神々の心を高ぶらせ、新しい勇気を植え付けた。神々の間からは敬虔な聖歌がどこからともなく湧き起こり、その天界の楽の音は遠く地上にまで届いた。さわやかな風がどこからともなく吹き込み、芳しい香りを運び込んだ。

 最後はユビュだった。ユビュは真っ白な衣服に身を包み、さながら天使のような振る舞いで皆の前に現れ、静かに語り始めた。

「私は、いささかの憎しみも持っていません。姉シュリーは永遠の牢獄に繋がれ、父ヴァーサヴァと母ランビニーは森に追われ、弟のウトゥは宇宙の墓場に葬られました。また、尊敬するバルマン師までが人間界へと去ってゆかれました。しかし、これらはすべて定められた運命。宇宙の時空の回転の中で、起こるべきものが生起しているのです。何ものもこの流れを遮ることはできず、何ものもその定めを変えることはできません。私たちのなすべきことは、宇宙の中心の聖なるダルマに瀕死の重傷を負わせているムチャリンダを討ち、創造に真の力を付与することです。人間界では、無数の戦いが沸き起こり、戦いのない土地というものはないと聞いています。私は明日から戦場に出ます。それがバルマン師の遺志を具現するためになさねばならないことなのです。」

 この言葉は多くの神々の動揺を誘った。たおやかな乙女であったユビュが戦場に出るといいう決意は、すべての神々の心を揺さ振った。

 ナユタは、前線に出るというユビュの決意に驚きを隠せなかったが、ウダヤ師は、部下に命じて櫃を運ばせ、ユビュの前に置いた。ウダヤ師が櫃を開けさせると、中から取り出されたのは黄金色に輝く鎧兜だった。

 神々の目が黄金色の鎧兜にくぎ付けになる中、ウダヤ師は、その鎧兜をユビュに身につけさせた。たおやかなユビュの体にまとわりつくように金色の鎧はユビュを包み、赤い羽根飾りのついた兜からのぞくユビュの初々しい表情は見るものをはっとさせる美しさだった。それはすべての神々に少女時代のユビュを思い起こさせた。

 誰もが、かわいらしい少女の頃からのユビュを知っていた。長女のシュリーが勝ち気で負けん気が強いのとは対照的に、ユビュはひとり静かに花を摘んで微笑む穏やかな少女だった。成長してからも長女としての自覚のもと、男勝りの戦士となったシュリーに対し、ユビュは控えめでたおやかな乙女だった。剣を下げて野を駈けるシュリーに対して、ユビュはいつも長い美しい髪をゆったりとなびかせ、その優美な姿が多くの神々の心を和ませたものだった。

 そのユビュが今まさに金色の鎧兜を身に纏い、全軍の先頭に立って邪神ムチャリンダとの荒々しい戦闘に身を投げ出そうとしているのだ。ユビュが起つこの期に及んでいかなる神が逡巡していられようか。多くの神がこれまでの努力と献身の不足を心の中で恥じ、すべての神の心に、全身全霊を打ち込んでムチャリンダとの戦いに臨もうという強い決意が注ぎ込まれた瞬間だった。

 ユビュは金色の鎧兜を身につけると、タンカーラを首に下げ、両手に神器をもって進み出た。ブルーポールとマーダナだった。次の瞬間、ブルーポールは青い光を放ち、マーダナは赤と緑の二色の光線を放った。それらは大空を彩り、ユビュがナタラーヤ聖仙を訪ねたときに宇宙に放たれた二条の光を神々に思い出させた。戦いはまさに聖戦なのだという思いが、ナユタ側の神々の心に強く刻み込まれた瞬間だった。

 マーシュ師はいささか声を詰まらせて、そばにいるウダヤ師に語った。

「思えば、ヴァーサヴァの創造はかつては輝きをもっておったが、確実に衰退に向かっていた。それはいかなる創造的行為といえども、時間的空間的に遠ざかれば遠ざかるほど、原初の発光が弱まり減衰してゆくという一般的事象そのものだ。だが今回の創造を廻っては、そのヴァーサヴァの精神にナユタの精神がぶつかり、さらにはユビュの放射する新しい光がぶつかっている。それは必ずや新しい創造、新しい境地、新しい光を生み出すだろう。」

 そして、この大空に放たれたブルーポールとマーダナの発光を見たのは、ナユタ側の神だけではなかった。ムチャリンダの陣営でもこの空を駆けた高貴な光線は目撃された。ムチャリンダはあの日同様、激しい戦慄に襲われた。また、イムテーベもルガルバンダも言いようのない不安に襲われた。

 また、森ではヴァーサヴァとランビニーがこの光を見ていた。ヴァーサヴァは神通力でユビュのことを知り、こう語った。

「シュリーが捕らえられ、ウトゥが倒れ、今ユビュが起ち上がった。これからどうなるのか分からないが、あの子がもつブルーポールだけは、きっと世界を決定的に動かすだろう。」

 

 こうして、ユビュは出陣した。バルマン師の軍を引き継ぎ、無数の戦車に囲まれ、その中心にきらめくユビュの姿に味方も敵も心を奪われ、圧倒された。

 ユビュの出陣はナユタ軍の士気を大いに高め、ついに最後の聖戦が始まったのだという思いが、ナユタ側のすべての将兵の心を高鳴らせた。あどけなさの残る美しい顔を黄金の兜で覆い、真っすぐに前を見つめて進軍するユビュの姿に、ナユタ軍のすべての者が勇気づけられた。

 ナユタ軍は、ユビュの出陣に合わせて軍の配置を変更した。右翼にシャルマ、左翼にカーシャパ、中央にナユタを配し、後方にユビュがヴィクートとともに控えた。

 バルマン師を倒し、形勢逆転の好機ともくろんだムチャリンダ側は、中央の最前線にナユタの将旗がひらめくのを見て驚いた。イムテーベはまなじりを決して言った。

「いよいよナユタとの真の決戦だ。行くぞ。」

 イムテーベが右手に掲げたヒュドラを振り下ろすと、イムテーベ軍の戦車の突撃が始まった。

 一方のナユタ軍の勢いも凄まじかった。マーヤデーバの轟音と共に疾駆するナユタ軍の戦車は、奮戦するナユタの雄姿に鼓舞され、いたるところでイムテーベ軍を圧倒した。

 しかし、そんなことで動じるイムテーベではない。イムテーベがブルーポールを掲げ、親衛隊を率いて自ら混戦の中に躍り込むと、戦況は一気に激しい乱戦となり一進一退の攻防が繰り広げられた。

 両翼でも戦闘が始まった。カーシャパは緻密な戦術でギランダ軍を翻弄し、次々にギランダ軍の戦列を突き崩した。

 一方、右翼のシャルマは、ルガルバンダ軍の攻撃に対して堅牢な防御戦を展開した。

「この程度の攻撃なら、一気に反撃できます。戦車軍団で一気に仕掛けましょう。」

と逸る部下を制してシャルマは言った。

「急くな。中央の戦いはナユタが優勢。必ずムチャリンダが動き出す。それまで待つのだ。」

 こうして、各所での戦いが続く中、中央ではナユタ軍の優勢がはっきりしてきた。いらだつイムテーベはヒュドラを振り回し、

「ナユタごときに背を向けるな。戦いはこれからだ。」

と奮戦したが、ナユタのブルーポールの威力が優った。

 その状況を覆したのはムチャリンダだった。

「ナユタを倒せば、すべてが決する。今日がその日だ。」

 そう叫んだムチャリンダは、ブルーポールをかざし、イムテーベとナユタの激戦の中に乗り込んだ。ムチャリンダ軍の参戦で、戦況は一気に激変した。

 三本のブルーポールが放つ青い光が乱戦の中で激しく交錯し、マーヤデーバとヒュドラの唸りが戦場に荒々しい音の嵐を巻き起こした。破壊の神ムチャリンダの力は凄まじく、ナユタ軍をぐいぐい押しまくった。ムチャリンダの参戦で、ナユタ軍は劣勢とならざるを得なかったが、ナユタはブルーポールの輝きとともに勇躍を続け、その力がナユタ軍を鼓舞し続けた。

 そんな状況の中、機を捉えたのはヴィクートだった。

「天が千載一遇の好機を賜われた。」

 そう語ったヴィクートは、そばのユビュに向かって言った。

「ユビュ様、いよいよです。ムチャリンダとイムテーベがナユタ軍に釘付けになっています。今こそルガルバンダを打ち倒すときです。」

 ユビュは小さくうなずくと、

「行きましょう。」

と答え、戦車の上にすっくと立って、進軍の合図を送った。

 ユビュの兜の赤い羽根飾りが大きく揺れ、ユビュ軍の進軍が開始された。向かうはルガルバンダだった。

 ルガルバンダは、もうもうと砂塵を上げて迫ってくるユビュの軍団に驚愕しつつも、決して騒がず、重みをもった口調で言った。

「愚かな創造を破壊する我らの正義はバルマンを倒したことで実証された。今日はユビュが愚かにも戦いを挑んでくる。今日がユビュの最期となるだろう。」

 しかし、ユビュの軍勢の勢いは、ルガルバンダの想像をはるかに越えていた。ユビュの軍勢のすべての戦士が、バルマン師の仇を討つことを意に決して突撃して来たからだった。ユビュ軍がルガルバンダ軍への攻撃を開始し、それに呼応してシャルマも総攻撃に移ると、形勢は一気に逆転した。バルマン師を倒したルドラが標的にされるのを恐れて、ルドラを後方に配したのも裏目に出た。

 ユビュの戦車が大地を駆けると、そこだけ無上の境地であるかのように光の帯がその跡を走った。ユビュの戦車はまるで地面から浮き上がっているかのように、滑るように疾駆した。ブルーポールとマーダナから放たれる光は、戦場の中に超越的な力の到来を暗示させた。

 ルガルバンダ軍の戦車は次々に倒され、ユビュの軍勢とシャルマの軍勢がところ狭しと暴れ回った。その中で、ユビュの光り輝く兜の先の赤い羽根飾りが異様に映えた。

 ユビュとシャルマの軍勢の前に劣勢に立たされたルガルバンダは、しかし、混戦の中でユビュを認めると、大声で叫んだ。

「ユビュ、ここはおまえのような小娘のくるところではないぞ。シュリーのような目に遭いたいか。」

 しかし、ユビュが動じることはなかった。ユビュがブルーポールをかざすと一瞬、戦場に静寂が訪れた。ユビュは言った。

「この創造はただ打ち壊せばよいわけではありません。真の道に導かねばならないのです。あなたは宇宙一の論客かもしれませんが、そのことを知らねばなりません。」

 ルガルバンダが叫び返した。

「すべてはヴァーサヴァの始めた愚かな創造に起因している。おまえこそヴァーサヴァの娘として、そのことを知るべきだ。」

 ユビュはそれには答えず、右手でゆっくりとブルーポールを大きく振り降ろした。青い旋光が両軍の戦士の頭上を走った。そしてユビュは御者に命じて戦車をルガルバンダに向かって一目散に駆けさせた。

 ルガルバンダも向かってくるユビュを認めると、戦車の上にすっくと立ち、全軍に指示を出した。そして、ルガルバンダは

「あんな小娘のブルーポールなどにおれが倒せるものか。」

と吐き捨てるように叫び、手にした槍を立て掛け、ブルーポールを取り出そうとした。

 しかし、次の瞬間、ルガルバンダは「あっ。」と声を上げた。ブルーポールがない。

「この大事な戦いに、ブルーポールを置いてくるとは!」

 青ざめてルガルバンダは歯軋りした。ブルーポールを携えずに戦場に出たことなどなかったのに、ルドラから返されたブルーポールをこの日に限ってなぜか忘れて来たのだった。バルマン師の予言を成就させるべく、バルマン師を呪った報いを受ける定めが宇宙の車輪を回転させていたとしか言いようがなかった。

 ブルーポールを振り上げて迫ってくるユビュに、ルガルバンダは槍を振りかざし、盾で防ぎ、戦車を縦横に走らせて防いだが、槍は折られ、盾は破壊され、手にもつ武器は剣一つになった。また、味方も次々に倒され、ルガルバンダは完全に孤立した。

 ユビュはやって来たシャルマに語りかけた。

「今こそ、ルガルバンダを倒す時です。」

 シャルマも槍を振って応えた。

「ルガルバンダ、いまこそバルマン師を倒した報いを受けるのです。」

 そう語るユビュを恐ろしい形相でにらみながら、ルガルバンダは最後の呪いの言葉を発した。

「愚かなヴァーサヴァの娘にして、何の力もないユビュ。このまま戦場にとどまるなら、今日の日暮れまでに、おまえの肢体は戦車の車輪に蹂躙され、泥にまみれるだろう。」

 ルガルバンダの最後の切り札は呪いの言葉だけだったのだ。

 しかし、ユビュは平然として呪いの言葉を聞き流し、改めて戦車をルガルバンダに向けた。その時だった。夕陽に向かって立っていたユビュを見た瞬間、ルガルバンダは思わず声を呑んだ。ユビュの黄金の鎧と兜に夕陽が反射し、ユビュの姿は金色に輝く神そのものであったからだ。

「金色に輝く神が現れぬ限り、おまえが倒されることはない。」

と語ったナタラーヤ聖仙の言葉が、その瞬間ルガルバンダの脳裏を駆け巡ったことだろう。

 ユビュはブルーポールの光をルガルバンダに向けて放った。ルガルバンダは一瞬、立ち眩み、次の瞬間には、ブルーポールがルガルバンダの戦車の車輪を破壊していた。

「ブルーポールさえあれば、負けはしないものを。」

とルガルバンダは嘆き、やむなく戦車を降りた。

 地面に立つルガルバンダからは、戦車の上のユビュは巨大な炎の塊のようにも見えたことだろう。光り輝く黄金色の兜がブルーポールとマーダナの光線の中でまぶしかった。

 ユビュは世界の破壊を踊るシヴァ神のように、無心に自らブルーポールとマーダナを大きく振った。一段と明るい光が放たれ、ルガルバンダは目がくらんで立ち尽くした。

「すべてが終わるのだ。」

 ルガルバンダはそうつぶやいた。観念したルガルバンダは一切の意思を放棄し、戦場の真ん中に瞑想の姿勢をとり、静かな祈りをささげた。次の瞬間、シャルマの戦車隊が突進し、ルガルバンダの肢体はシャルマ軍の戦車に蹂躙され、泥にまみれていた。それはまさに、最後の瞬間に自らの呪いの言葉の報いを受けるだろうというウダヤ師の予言、そして、ブルーポールを忘れて戦場に出た戦場に出た日がルガルバンダの最期となるだろうというバルマン師の予言が成就した瞬間でもあった。

 ユビュはシャルマに語った。

「偉大なるバルマン師にこの勝利を捧げましょう。今日ここに予言は成就したのです。」

 この勝利は戦いの趨勢を大きく左右した。中央で戦いを優勢に進めていたムチャリンダとイムテーベも引き上げざるを得なかった。

 ナユタ軍では、大歓声とともに、すべての神々がユビュを迎えた。さながら全宇宙を統一した英雄を迎える凱旋式のようだった。

 ナユタがユビュの手を取って戦車から玉座に導いた。マーシュ師がユビュの頭に月桂冠をかぶせた。ウダヤ師が王笏をユビュに握らせた。夜空にユビュを称える神々の大喚声がこだまし、勝利まであと一歩という希望が多くの神々の心の中に沸き起こった。

 

 一方、ムチャリンダの陣営は意気消沈し、静まり返っていた。ムチャリンダは自分の幕舎に引きこもったまましばらく出てこようとせず、陣営では一切の歌声が消え、不気味なまでの静けさが覆いつくしていた。ムチャリンダはルドラを呼んでルガルバンダのための追悼式を行わせただけだった。

 しかし、イムテーベは、この不利な形勢を熟知しつつ、起死回生の策を必死に練っていた。

「形勢を逆転させるには、ユビュを倒すほかない。」

 それがイムテーベの結論だった。イムテーベはサヌートに上空からユビュの動きを見張らせ、イムテーベとムチャリンダとが率いる精鋭部隊でユビュを倒す作戦を考えた。前線に多大な戦力を配置して左翼のルドラと右翼のギランダに総攻撃をかけさせる一方、ユビュを倒すための精鋭部隊を後方に配置する策だった。

 イムテーベは軍議の場でこの策を説明し、さらに言った。

「問題は、中央の軍を誰が指揮するかだ。」

 部将たちは、軍神イムテーベの軍を指揮する栄誉を考えつつも、敵がナユタであることを考えるとなかなか名乗り出る勇気が出なかった。そんな中、

「私がお引き受けいたしましょう。」

と名乗り出たのは、智将として名高いバルカ神だった。

「貴神はたしかに智将として名高いが、これまで脇役的な働きしかしていないのではないか。イムテーベ殿に代わって大軍団を指揮してナユタに向かい合うことができるのか。」

と異論を挟む部将もいたが、これまでのバルカの戦いを評価していたイムテーベは言った。

「バルカは地味だが堅実な戦いをしてきている。沈着冷静な指揮ぶりは十分評価していい。ただ、疑義を差し挟む者もいるので、敢えてひとつだけ聞きたい。おまえはどれほどの兵数を指揮できるか。」

 この問いにバルカは落ち着いた声で答えた。

「どれほどの大兵力でもかまいません。多ければ多いほど力を発揮できます。」

 この自信に満ちた答えにイムテーベは満足し、決断した。

「いいだろう。中央の軍はバルカに任せる。よろしく頼む。」

 

 次の日、バルカは中央に布陣した。右翼のギランダと左翼のルドラが攻勢を仕掛けるのに合わせ、バルカはイムテーベとムチャリンダから預かった大軍を自在に動かし、ナユタに果敢に挑んだ。これほどの大軍を指揮するのは初めてであるにもかかわらず、バルカは臆することもなく、気負うこともなかった。

 マーヤデーバを打ち鳴らし、ブルーポールを掲げて疾駆するナユタに対し、バルカは自信に満ちた采配で陣形を動かして対抗した。その采配ぶりはイムテーベに優るとも劣らぬ見事なもので、ナユタの攻勢を次々にかわした。

 戦況が落ち着いてくると、バルカは叫んだ。

「行くぞ。反転攻勢だ。」

 その一言でバルカ軍の攻勢が始まった。巨大な大軍で中央に圧力をかけるバルカ軍の激しい攻勢にナユタ軍は押しまくられた。それを見て動き出したのはユビュ軍だった。

 ユビュ軍が動き出すと形勢は大きく変化した。ブルーポールとマーダナをもち、戦車に凛として立つユビュがナユタ軍の士気を限りなく高めていた。

 しかし、バルカも負けてはいない。次々に新手を繰り出して攻勢を仕掛け、ナユタとユビュの軍に対して一歩も引かず奮戦した。

 そんな中、イムテーベとムチャリンダは精鋭部隊を率いて後方に控え、サヌートからの知らせでユビュの動きを正確に把握していた。

 ムチャリンダと連携して、イムテーベは、ユビュ以外の軍団との戦闘を可能な限り回避し、ユビュに近づいた。

 そしてイムテーベはついに行く手にユビュの姿を捕らえた。黄金の兜に赤い羽根飾り。まさしくユビュであった。ムチャリンダも近くまで来ていた。イムテーベはムチャリンダに合図を送った。イムテーベもムチャリンダもブルーポールを取り出して掲げ、ユビュに向かって突進した。

 近くにいたヴィクートは叫び声を上げた。

「イムテーベとムチャリンダだ。」

 その声に、ユビュも振り向いた。ヴィクートは一目散にユビュのそばに駆け寄った。次の瞬間、イムテーベが突っ込んで来た。ヴィクートはユビュを守って自らの盾でイムテーベのブルーポールを防いだが、次の瞬間、その盾は真っ二つに割れていた。ヴィクートは槍をもって応戦したが、ムチャリンダのブルーポールはその槍をも破壊した。

「ユビュ、今日こそおまえの最期だ。」

 イムテーベはそう叫ぶと、激しくブルーポールで打ちかかった。武術ではイムテーベの方がはるかに上手であったが、ユビュはブルーポールではねかえした。

「ブルーポールには正義が宿っているのです。邪悪な力によってはブルーポールは真の力を発揮しはしないのです。」

と言うユビュの言葉にさすがのイムテーベも青ざめた。

「こちらには二本のブルーポールがあるのに、ユビュを倒すことができないとは。」

 だが、武術の差は歴然としていた。ムチャリンダ、イムテーベのふたりが再びユビュに打ちかかると、ユビュのブルーポールは空中に跳ね上げられた。戦車の上で立ちすくむユビュに、ムチャリンダは最後の止めを刺そうと戦車の向きを変え、ブルーポールを構えた。

 だが、そのときだった。一台の戦車がものすごいスピードでユビュの戦車に迫って来た。

 ナユタだった。

「ナユタ。」

 そう叫ぶユビュの元にナユタは一目散に駆け寄り、ユビュの戦車に飛び移った。

 ムチャリンダは目を吊り上げ、

「おのれ、もう少しだったものを。だが、ここで会ったが百年目。一緒に葬ってやろう。」

と突進した。

 だが、ナユタはブルーポールでこの攻撃をはね返す。

 ブルーポールどうしの戦いでは勝てないと見たイムテーベは、すぐにムチャリンダに進言した。

「今こそジャイバを使う時です。宇宙開闢以来の聖なる力の宿る無敵のジャイバをもってすれば、いかなブルーポールの威力も失われるでしょう。」

 ムチャリンダもうなずき、ついにジャイバを取り出し、目を吊り上げて叫んだ。

「このジャイバの威力を知るがいい。いかなヴァーサヴァのブルーポールであろうとも、ヴィカルナ聖仙から授かったこのジャイバを打ち破ることは決してできぬ。」

 一切の破壊の力を一点に集めたジャイバは研ぎ澄まされた黒光りを発し、天はにわかにかき曇った。激しい稲光が始まる中、ムチャリンダはジャイバを振りかざして突進した。

 だが、ナユタは慌てなかった。ナユタはヴィカルナ聖仙から授かったサーンチャバを取り出したのだった。

 サーンチャバは白い稲妻を発し、周りにいるものたちを圧倒した。激しい稲光の何本かが、サーンチャバを目がけて落ちて来たが、そのたびにサーンチャバはいっそう輝きを増し、ナユタはその中で輝いた。

 ムチャリンダはあまりの眩さに一瞬戦車を止めたが、次の瞬間、目を見張った。ナユタの手にあるサーンチャバにヴィカルナ聖仙の徴があったからだった。

 ムチャリンダは頬をこわばらせ、

「まさか、ヴィカルナ聖仙の神器をナユタが持っているとは。」

と絶句し、とっさに退却を決心した。

 だが、そのとき既にサーンチャバはナユタの手を離れ、ジャイバをめがけて飛んでいた。宙を舞ったサーンチャバはムチャリンダのジャイバを打ち砕き、次の瞬間、ナユタの手に戻っていた。

 ムチャリンダは砕かれたジャイバを打ち捨て、ブルーポールでナユタ軍の攻撃を防ぎながら、一目散に走り去った。イムテーベも向きを変え、ブルーポールをかざして必死の思いで退却した。

 戦車の上では、ユビュがかすかに震えていた。ナユタが語りかけた。

「危ないところだった。だがもう大丈夫。さあ、マーダナを掲げよう。」

 ユビュは小さくうなずき、震える手でマーダナを取り出し、両の手で支えた。マーダナは赤と緑の光を放ち始めた。最初は震えるように、しかし徐々に明るく高貴にマーダナは輝いた。

 ヴィクートが地面に落ちていたユビュのブルーポールを拾い上げ、ユビュに手渡した。ユビュはマーダナを左手で支え、右手でブルーポールを受け取った。そこから放たれる青い光は天空にまで達した。かき曇っていた雲は晴れ、煌々とした青空が再び広がった。

 ユビュはかすかにほほ笑み、マーダナとブルーポールを収めた。遠くには夕暮れが迫っていた。

 

 その夜、ムチャリンダはイムテーベの前でがっくりと力を落とした。

「ウトゥ、ヤンバー、ルガルバンダが倒され、ジャイバも破壊された。我々もバルマンを倒したとはいうものの、敵は血気盛んで形勢はまったく芳しくない。勇んで攻めのぼって来た結果がこれだ。」

 そう言ったムチャリンダの肩は悔しさに震えていた。イムテーベは杯をムチャリンダに差し出し、酒をなみなみと注ぎ、みずからの杯にも酒を満たした。

「まずは一献傾けられよ。」

 ムチャリンダは震える手で杯をつかみ、ぐっと一息に飲んだ。

 イムテーベは次の酒を注ぎながら言った。

「ムチャリンダ殿、この戦いは宇宙に正義をもたらすために始めた戦い。決してムチャリンダ殿の決断が間違っていたとは思いませぬ。ただ、残念なことに、たしかに戦況は不利な状況。古来、勢いあるものにまともに戦うのは下策、敵の勢いを巧みに交わし、反撃の機会を狙うのが上策とされています。今の我が軍の状況はまさにこれに当たりましょう。」

 ムチャリンダはまた酒をぐっと飲み干して言った。

「たしかに、そうだ。だが、このまま引き下がってどうなるのか。ヴァーサヴァの愚かな創造がおれをよみがえらせ、多くの神々の怒りがおれを突き動かした。宇宙ではいまだ正義が復活せず、愚かな創造は野放しのままだ。ナユタを倒し、創造の火を消し止め、宇宙に再び秩序を与えるという崇高な使命は決して消滅してはいないはず。おれはなんとしてもスーリヤ神の思し召しにも応えねばならない。」

「ムチャリンダ殿、しかし、ここで戦さをさらに続けても恐らく勝機は見い出せないでしょう。ヴァーサヴァの創造に疑義を抱く神々は多いが、前回の創造のときに見せたナユタの行動は彼を英雄にしてしまいました。彼が、今回の創造でもヴァーサヴァの七本目のブルーポールを折り、しかも、ヴァーサヴァの館のそばでの戦いで我々を打ち破って以来、ヴァーサヴァに疑義を抱く神々の多くが我々ではなく、ナユタになびいています。真実を見抜くことなく、英雄としてナユタを迎える神々の愚かな行為は腹立たしさ以外のなにものでもありませんが、今は、それを打ち破るすべもありません。」

「では、イムテーベ。そなたはどうすれば良いと考える。」

「多くの神々がナユタを支持していますが、それは熱に浮かされた一時の神気に過ぎません。ユビュの出陣もあってその神気は最高潮に達していますが、時が経てば神々の多くも真実に気づき、ナユタから離れてゆくでしょう。問題は、創造された世界の成り行きです。我々が兵を引き、マーシュの館での創造の火が輝きを増したにもかかわらず、世界があいも変わらず混沌と停滞とを繰り返すなら、神々の心は離れ、改めて大きな不満が神々の中に沸き起こるでしょう。世界はやはり打ち壊すべきだという我々と同じ思いの神々も増えるでしょう。それを待つのです。」

 ムチャリンダがうなずくと、イムテーベは続けた。

「戦いはこれから始まるのです。スーリヤ神がムチャリンダ殿をお見捨てになることは決してないはず。これからは神々の間での力を競う直接の戦いではなく、創造された世界を舞台とした、人間を介しての戦いなのです。すなわち、ナユタと我々のどちらの主張が正しいかを人間の世界の状況によって神々が判断するのです。我々の主張が正しいと思う神々が増えれば、ナユタやユビュの一時的な神気は地に落ち、形勢は逆転し、再び我々の時代が来るでしょう。そのとき、創造の火を消すことを妨げる力はどこにもなく、我々が主張する正義が宇宙に復活することになるのです。」

 この言葉を受けて、ムチャリンダは退却することを決めた。次の日の戦いでは、イムテーベとムチャリンダは防御を固め、積極的な戦いを避けた。そして日が暮れると急いで陣払いの準備を進め、夜陰に乗じて退却していったのだった。

 

 こうして戦いは終わった。

 しかし、真の勝利が得られたわけではなかった。

 ムチャリンダは退却して行ったが、宇宙の果ての堅牢な城に立て籠もった。そして、地球の現状に基づいて創造の課題と限界を訴え、多くの神々に自分たちの正当性を主張するメッセージを送った。ムチャリンダは創造を巡る戦いの継続を支持者たちに訴え続け、それに対する支持が止むことはなかった。

 ナユタはウダヤ師とマーシュ師の祝福の中、宇宙に平和の回復したことを宣言した。ユビュも歓呼の声をもって迎えられた。

 しかし、三本のブルーポールはムチャリンダの手の中にあるままだったし、シュリーも宇宙の牢獄に囚われたままだった。

「どこにもない無垢の祭壇を私は夢見ている。瞑想するルガルバンダよ。汝の巨大な夢がブルーポール対ブルーポールの戦いを支えている。」

 そうイムテーベは石碑に詩を刻み、反撃を誓っていた。

 人間界の惨状も相変わらずだった。

「創造は苦しみを生み出すだけだ。このような創造は打ち壊されるべきものだ。地上での惨状に目を向けるがいい。」

 ムチャリンダは繰り返しそう喧伝した。

 ナユタ側の反論に対してもムチャリンダは次のように主張を繰り返した。

「問題はこの創造自身が根本的にもっている矛盾だ。創造によって生み出された生き物たちは、既に存在するものを破壊することによってしか生き続けられない。だから、世界は常に無常であり、破壊と消滅が繰り返されざるをえず、それゆえに苦がその根本的現象として具現する。美しい創造などというものは存在しない。世界を破壊することは苦しみからの救済となる。」

 神々の中にはこの主張に心を寄せる者も少なくなかった。

 だが、ともかく、宇宙には平和が回復された。ほとんどの神々を巻き込んでの大戦争はナユタの勝利に終わったが、ナユタとユビュは新たな宇宙秩序を打ち立てねばならなかった。そして、同時に、創造された世界をどうするかということも問題だった。

 マーシュ師はナユタとユビュを迎えて言った。

「世界はなお、混沌の中に浮かんでいる。光を与えるのは、おまえたちの勇気以外にはない。新たな困難に真っすぐに立ち向かう勇気だけが真の道を切り開くだろう。」

 

2014年掲載 / 2023811日改訂)


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向殿充浩 (こうでんみつひろ) / 神話『ブルーポールズ』第1巻