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神話『ブルーポールズ』

【第1巻】-                                                   

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 一方、ナユタはウダヤ師の言葉を信じてヴィカルナ聖仙を探すため旅立っていた。たったひとりでナユタは暗黒の宇宙の中、究極の闇を求めて、ひたすら真っすぐに旅を続けた。

 長い孤独な旅の後にナユタがたどり着いたのは、苔に覆われ、古びた石組みでできた闇の世界への入り口だった。それは低い塚のような場所で、塚の上にはぼうぼうと雑草が生え、小さな黄色い花が咲き、後ろの山へじかに続いていた。その塚に設けられた石組みの門は朽ちかけた木の扉で閉ざされていた。

 扉を押し開くと、奥には長い洞窟が続いていた。一切の光のない闇の領域への入り口はここに違いない。ナユタはそう信じてその入り口をくぐり、心の目だけを頼りにひたすら下って行った。

 最初は一切の闇のため何も見えず、ただ手探りで進むしかなかったが、そのうち何かがぼんやりと浮かんで来た。心の目で見えているのだ、そうナユタは確信することができた。

 そのぼんやりしているものをさらに心の内で反芻するうち、像はしだいにはっきりとして来た。心の目によって一切を見通すことができる。それをナユタは目の当たりにし、驚愕の思いにとらわれた。

 いまやナユタは道をはっきりと見通すことができた。まるで煌々とした燭台の炎に照らされているかのように奥へ続く洞窟を見通すことができた。

 さらに進んでゆくと、突然、まばゆいばかりの空間が開けた。聖者にのみ見える閃光によって作られた闇の世界の都だった。遠い昔、天界の建築師カーランジャが設計し、丹精込めて作り上げたという都だった。

 何本もの高い尖塔がきらめくような光を放っている。樹という樹はすべて宝石でできており、城壁や塔、建物の壁は、あるものは宝石のように輝き、あるものは神秘的な幻影を映し出す美しい鏡で覆われていた。

 こんなところにヴィカルナ聖仙は住んでいるのだろうかと不思議に思いつつ、両側に美しい池のある道を真っすぐに歩いてゆくと、美しい天女が舞い降りて来た。

「久しぶりのお客様だわ。」

「若くてりりしいすてきな神様よ。」

 そんなことをしゃべりながら天女たちは舞い降り、口々にナユタに語り掛けた。この世のものとは思えないような清楚さと妖艶さを兼ね備えた天女たちだった。

「よくここまで来られましたこと。あなたは誰?」

「どこから来られたの。ここにはどういう目的で?」

 だが、ナユタはウダヤ師に教えられた通り、沈黙を守った。視線を天女たちからそらし、真っすぐに前を向いて、ただ歩いていった。

「向こうにすてきなお部屋とおいしい料理を用意しています。新鮮な山海の珍味、柔らかなお肉に新鮮なフルーツ。さあ、一緒に行きましょう。他では味わえない甘美な霊酒もあります。」

「もし、よろしければ、お食事の前に私たちと一緒に浴場に行きません?私たちのみずみずしい裸体を飽くことなく堪能できますよ。この豊かな胸、敏感な乳首、真っ白なお腹、ほっそりした足、すべてあなたのものですわ。」

「夜はベッドで望むだけ私たちと戯れ、究極の快楽を得ることができます。そして、この上なく満足したら、その後には、柔らかな布団にくるまって満ち足りた眠りをむさぼることができますよ。」

 これらの誘いにもナユタは一切耳を貸さなかった。すると天女たちは手のひらを返したようにののしった。

「私たちを無視するとろくなことはないわよ。きっと災いが降りかかるわよ。」

「この世に私たち以上に魅力的なものなどあるわけないじゃない。そんなものを求めるなんて霞を求めるのと同じね。」

 しかしナユタはそれも無視して進んだ。金色に輝く大きな門をくぐってさらに進むと、美しい花々に満ちた庭園に出た。その花々は風に揺れていたが、よく見ると生きた花ではなく、すべて宝石でできていた。まさに、驚嘆に値するカーランジャの天才的な技だった。

 すると一匹の鸚鵡がナユタに語りかけてきた。

「ヴィカルナ聖仙に会いに来たんだろう?どうすればヴィカルナ聖仙に会えるか教えてやろう。」

 ナユタはそれに答えそうになったが、ウダヤ師の教えを思い出し、黙って通り過ぎた。

 鸚鵡はさらに言葉を続けた。

「この天界の宮殿がどうしてできているか知っているか?いかなる光もないのにさまざまな輝きを発するこの造形をどうやってカーランジャが作り出したか、その秘儀を知ることなくヴィカルナ聖仙にたどり着くことはできないよ。さっきの花園の花を見たろう。永遠の美を具象化したあの石たちは風が吹けばそよぎ、夜になれば、しっとりとみずみずしく夜露に濡れる。そんな驚愕の技を理解することなく、ヴィカルナ聖仙がおまえをお認めになるはずがない。おまえが望むならおれが教えてやるよ。」

 鸚鵡の言葉はさらに続いたが、ナユタはそれらすべてを無視して行きすぎた。

「おれが教えてやるというのにそれを聞かずに行ったってろくなことはないぞ。」

 そう鸚鵡は捨てぜりふを残して飛び立った。

 美しい園を抜け、正面の階段を上り広々としたテラスを抜けると、大きな扉に突き当たった。その扉は重々しい青銅の扉で、この都の他の部分と全く違って、輝きがなかった。しかし、道はそこへ通じていたのだ。

「ここにしか道はない。」

 そうつぶやいてナユタはその扉を押し開いた。ギーという鈍い音を立てて扉は開いた。中は窓のない部屋で、暗く、飾りもなくそっけなかった。

 その部屋に踏み入り、真っ直ぐに歩くと、正面に小さな階段があった。その階段を登ると、奥の小さな部屋に通じていた。

 その部屋は六方形の部屋で、中にも何もなかった。だがナユタがそこに踏み込むと、突然後ろでギーと扉が閉まった。突然すべての光が消え、真っ暗になった。心の目をもってしても何も見えなかった。

「だから、災いが降りかかると言ったでしょう。」

という天女の声が聞こえた。

「おれの導きなしにヴィカルナ聖仙に会えるわけがないだろう。」

という鸚鵡の声も聞こえた。

 だが、ナユタは沈黙を守った。ナユタは沈黙し、そこに座し、黙々と待った。何日も何日もナユタは待った。最初のうちは天女や鸚鵡が頻繁に呼びかけたが、それもしだいに減り、ついには何も語りかけるものがなくなった。そしてさらにナユタは何日も待ち続けた。

 私は真っすぐに道を歩いて来た。そしてここに突き当たり、ここから先への道はない。光は完全に消え、闇と沈黙が支配している。ヴィカルナ聖仙に会うには、ここで待つしかない。ナユタはそう信じて待ち続けた。

 そしてある日、

「ナユタ。」

と呼びかける声が聞こえた。威厳のある深みのある響きだった。

 はっとして周りを見回したが何も見えない。

「目を開けよ、ナユタ。」

 そう声は言った。

 しかし、ナユタは待ち続ける間、目をずっと開けていたのだ。だが、今も声が聞こえるだけで何も見えなかった。

「ナユタ、光を見よ。そして、わしを見よ。」

 再び声は言った。しかし、光はどこにもなかった。

 この声はヴィカルナ聖仙に違いない、ナユタはそう信じた。そして答えた。

「いえ、何も見えません。ヴィカルナ聖仙でいらっしゃいますか。どうか姿をお見せください。」

「ナユタ、もう一度言う。目を開けて、光を見よ。」

「いえ、何も見えません。私の心の目には何も映りません。」

 すると、

「わっはっはっはっはっはっは。」

という笑い声が狭い室内に響いた。その笑い声が室内に何度も反響した。

「ナユタ、おまえは眠っている。真実を見失い、混乱の道に足を踏み入れている。光を見ようとしない者には光が見えず、傲慢にも光がないとか光が消えたなどと言う。光に背を向ける者は、不遜にも光が私を照らさないなどと言う。だが、光は、見ようとする者にだけ見えるのだ。」

 呆然とするナユタに、ヴィカルナ聖仙はさらに続けた。

「わしはここにいる。何日も前からここで、おまえが目を覚ますのを待っているぞ。」

 その言葉はナユタを驚愕させた。恐ろしい戦慄がナユタの体を走り、ナユタは体をブルブルと震わせた。

 そして次の瞬間、ぼうっと光が闇の中に現れた。その光はしだいに明るくなり、ヴィカルナ聖仙が手に持つローソクだと分かった。そこには、右手に長い杖をもち、左手にローソクをもった聖仙の姿があった。言い伝えのとおり、白いあごひげを生やし、長い髪を肩の下まで真っすぐに垂らし、腕には青い腕飾りをつけ、青い勾玉を連ねた首飾りをつけていた。

 ヴィカルナ聖仙が立っているのを知り、ナユタは改めて驚愕した。

「ナユタ、自分を過信してはならん。おまえは心を閉ざして見ようとしなかった。このローソクの炎さえ見えなかった。自分では見ているつもりでも、目を見開いていなかったのだ。」

 そう言うヴィカルナ聖仙の言葉はナユタを震え上がらせた。

「ヴィカルナ聖仙にお会いでき、こんな感激はありません。ただ、このような形での出会いを心より恥じ入っております。私はまだほんの青二才の神、そして今また、自分の愚かさをいやというほど思い知らされました。」

「いや、よいのだ、ナユタ。わしはおまえが来るのを待っておった。きっといつか来ると思っていた。ムチャリンダの暴挙はわしもよく理解しておる。だが、わしは敢えて出て行かず、おまえを待ち続けた。その理由をおまえは知らねばならん。」

 ナユタはこうべを垂れて聞き入った。

「神々は今の時代、心を軋ませて生きておる。自分の望みをいかにかなえようか、いかにすればかなえられるかということに奔走し、本来の平静さを失い、恨みや憎しみ、そして闘争心をあおり立てて生きておる。遠くに静まり返る真実を見据えるのではなく、目の前にある策謀に心を費やしている。そのようなあり方が、本来の神のあり方を見失わせ、力には力で対するという果てしない戦いを繰り返させている。そのことをおまえは理解しなければならぬ。その闘争の渦中に飛び込むのではなく、その渦中から離脱した地平を朗々と歩まねばならぬ。」

「おっしゃることはよく分かります。ただ、実際にどうすれば良いかが分かりません。どうか、それをご教示ください。」

「ナユタ、本質が本当に理解できれば、実際にどうすれば良いかはおのずと分かるものだ。実際にどうすれば良いかが分からないのは、本質を理解していないからだ。」

 そう言うと、ヴィカルナ聖仙は扉を開けて、ナユタをさらに奥の部屋に導いた。その部屋は広々としており、壁には不思議な造詣の像が掛けられていた。中央には、餓鬼の上で踊るシヴァ神の像があった。言い伝えられているとおり、四本の腕と三つの眼があった。額の中央にある眼は、シヴァの瞑想を乱した欲望の神カーマを焼き殺したと伝えられる第三の眼であった。

 ヴィカルナ聖仙は言った。

「シヴァ神は時空の中で永遠の破壊を踊っている。朗々と陶酔の笑みを浮かべて。その心を理解することだ。ひたむきに己の役目を果たすことを忘れ、自分の行為とその結果をあれこれと考えることほど愚かな行為はない。シヴァ神は、破壊の踊りの結果になど何の関心も払いはしない。シヴァ神が関心を払うのは、自らの使命である踊りを踊ることだけ。そしてそれ故に喜悦に満ちているのだ。ナユタ、宇宙を良くしようなどという妄想から離れることだ。そして、結果を恐れず、信念のままに道を歩くことだ。どんな悲しいことが起ころうと、どんな不幸なことが起ころうと後悔してはならん。前回の創造の帰滅の折りのおまえの行為は勇敢だった。だからこそわしはこうしておまえを待っておった。あのとき同様、ひたすら前に進むのだ。」

「しかし、その努力は無に帰しました。ひたすら前に進むだけでは何ひとつ創造することはできず、ただ、混沌たる帰滅を呼び起こしただけでした。」

「ナユタ、それが定めだったのだ。誰も定めに逆らうことはできん。よいか。宇宙はみな定めを負っている。誰にもそれを覆すことはできん。そして、また、それぞれの神もみな己の定めをもっている。おまえもそうだ。おまえのなすべきことは、おまえの定めにしたがって道を進むことだけなのだ。」

「しかし、それだけで良いのでしょうか?それに、私の定めとは何なのでしょうか。そして、私は定めに従って何をすれば良いのでしょうか。」

 ヴィカルナ聖仙は少し表情を和らげて続けた。

「ナユタ、まだ惑っておるな。おまえがなぜここに来ることができたのか、まず、それを知るがいい。この闇の都には多くの者が訪ねて来た。わしから教えを得ようと、あるいはわしから神器を得ようとしてな。だが、ほとんどの者は挫折した。天女と鸚鵡が待っていただろう。拒絶しがたいほどこの上なく妖艶な天女たち、そして、無限の知をもつ鸚鵡、この二つを振り切ることのできる者はそうはいない。だが、おまえにとっては、それらを振り切ることはそれほど難しくはなかったろう。それが、おまえがここにくる定めを負っている何よりの証拠だ。多く者は、おまえにとっては振り切ることのさほど難しくない天女や鸚鵡を振り切ることすら途方もなく困難だった。だから皆挫折した。ここに辿り着けたはただのふたりだけ。ひとりはムチャリンダ、そしてもうひとりはおまえだ。」

「ムチャリンダがジャイバを授かったことは知っています。」

「そうだ。彼も定めを負っていた。宇宙の神々の間に巣食っている虚飾に対する激しい怒りが彼をここに来させた。だが、ナユタ。ムチャリンダはここで得たものをただ破壊のため、憤怒を撒き散らすためだけに用いている。決して、新しい創造を生み出しはしない。」

 ナユタは、真剣なまなざしでうなずいた。

「分かってきたような気がします。」

 ヴィカルナ聖仙はさらに続けた。

「ナユタ、この部屋の周囲の像たちを見つめているがいい。この像たちは空虚の上に安らっている。空虚から不意に出現し、またあらぬ方向に霧散してゆくように見える。いいか、ナユタ。宇宙は閉じていない。宇宙は尖っているのだ。この像たちに心を注ぎ込んでみるがいい。消え入りそうで消え去らないものが見えてくるはずだ。それは宇宙の中の存在の意味が決してゼロにも無にもならないという厳然たる真理を反映しているのだ。」

 ヴィカルナ聖仙は続けた。

「わしはムチャリンダにジャイバを与えた。それはまちがいなく宇宙を活性化した。ただ、本当は、創造の真実を具現するという崇高な目的のために愚かな創造を打ち壊すべくジャイバを用いるべきであったが、ムチャリンダはただ破壊のために用いるようになった。ムチャリンダは力と正義とを混同しておる。この宇宙で勝利を収めるものは決して力ではない。それは、真実の前に静かにぬかずく謙虚さだ。決してそのことを忘れてはならん。たしかに、ジャイバはわしの武器以外のあらゆる武器に打ち勝つ力をもつ完璧な神器だ。ジャイバをもつムチャリンダを打ち破るには、マーシュ師のような尊い神による封印の呪いか、ジャイバを打ち破るわしの武器しかないだろう。」

 そう言うと、ヴィカルナ聖仙は杖とローソクを床に置き、ナユタとともにシヴァ神に祈りを捧げた。すると、突然、シヴァ神の像が踊り始めた。喜悦に満ちたその踊りは長く続いた。

 ナユタは夢を見た。永遠の円環から降り注ぐ光明の一粒一粒が、叡智となり、勇気となり、そして大地に沁み込んでゆく夢だった。それから巨大な時間が涯てしなく渦を巻き、その巨大な時間の中心にただナユタひとりがぽつんと座っている夢だった。

 気の遠くなるほどの時間が流れ、そして永遠の長さに渡るとも思われたシヴァ神の踊りが終わったとき、ナユタは夢から覚めた。そしてナユタの前には、一枚の円盤があった。

 ヴィカルナ聖仙はそれを拾い上げた。

「おお、これは。サーンチャバではないか。」

 そう言うヴィカルナ聖仙の手はかすかに震えていた。ヴィカルナ聖仙はそれをナユタに手渡して言った。

「これは、サーンチャバという神器だ。ジャイバに対する以外には役に立たないが、ジャイバに対しては決定的な武器となるだろう。これはかつてわしが編み出した必殺の武器で、長らくシヴァ神に奉納しておったものだ。これを用いて戦えというシヴァ神の意志だ。おそらくジャイバに打ち勝てる唯一の武器だろう。」

 ナユタは頭を下げて、サーンチャバを受け取った。

「ナユタ、もう一度わしの言ったことをよく考えることだ。超越が透けて見えない唯一者はすべて偶像に過ぎない。争いの渦中から離脱し、朗々とした地平を歩むことだ。わしは、再び闇の世界に帰る。」

 そう言うと、ヴィカルナ聖仙は忽然とひとり闇の中に消えていった。

 

 ナユタがジャイバを打ち破る神器サーンチャバを携えてマーシュ師の館に帰還すると、マーシュ師、バルマン師、ウダヤ師、ユビュ、シャルマらが迎えた。

「ナユタ、よく無事で帰ってきた。創造の火はシェバが毎日見守り、今もこの館で燃え続けている。おまえを待っておったよ。これからはおまえの時代だ。」

 そう言ってバルマン師はナユタの肩を抱いた。

 ウダヤ師は改めて地球の惨状を説明し、今回の創造が引き起こした混乱で地上がいかに腐敗し、いたるところでいかに多くの阿鼻叫喚が聞かれるかを説明した。

 ユビュはナタラーヤ聖仙の元でマーダナとタンカーラを授かったことを話し、シャルマはこの館にいかに多くの神々がナユタを援護すべく集まってきているかを話した。

 ナユタがいよいよムチャリンダと戦う兵を挙げるという知らせはムチャリンダの元にも届いた。

 ムチャリンダは将軍たちを集めると力強く宣言した。

「いよいよ最後の決戦だ。皆も知っておろうが、ナユタがマーシュの館に兵を集め、いよいよ兵を挙げるという。思えば、ヴァーサヴァの愚かな創造がおれを復活させ、そして、おれはヴァーサヴァの館で勝利した。しかし、なお、この宇宙では、創造の火を消すことに反対する神々がナユタに加担し、マーシュの館に集まっている。この戦いで雌雄を決し、創造の火を消し、再び平穏な宇宙を取り戻すのだ。」

 イムテーベが進み出て、現在の状況について説明した。

「ムチャリンダ殿のおっしゃるとおり、この戦いは必ず勝たねばならない戦い、宇宙に平和を取り戻すための聖戦だ。しかし、ナユタ軍は我々の想像をはるかに超え、巨大な大軍となりつつあるのも事実。しかも、ナユタひとりでも強力であるのに、シャルマ、カーシャパ、プシュパギリなど有能な神々が味方し、さらに、バルマン、ウダヤ、マーシュなどが後ろに控えている。ヴァーサヴァとの戦いのようにやすやすとは進まないことも覚悟せねばならない。決してナユタを侮ってはならない。ヴァーサヴァとの戦いと同様、軍団を四つに分け、野戦、攻城戦のどちらにも対応できる十分な準備を怠りなく整え、万全の体制で進軍しよう。」

 しかしルガルバンダは反論して言った。

「たしかにイムテーベ殿の言われることには耳を傾けねばなるまい。しかし、戦いの準備状況という点では我らの方がはるかに勝っているのではないか。我らはヴァーサヴァの館での勝利の後も、この日のあることを想定して軍を怠りなく整えてきた。それに対して、敵方は数だけは集まっているかもしれぬが依然、烏合の集に過ぎず、館の防御も未完成のはず。軍の練兵も十分ではなく、ナユタが十分に全軍を統率できているとも思えない。古来よりの兵法にも、『兵は拙速を聞くも未だ巧久を賭さざるなり』というではないか。我が方の大義は前回の戦いで既に宣言しており、今回は白い矢を射掛ける必要もない。一刻も早く、敵の準備が整う前に一気に敵を叩くべきではないか。」

 多くの神々が同調しうなずいた。ムチャリンダもうなずくのを確かめると、イムテーベも同意して言った。

「いいだろう。それでは先発隊を出そう。敵の機先を制し、この戦いの主導権を握ろう。」

 この言葉に呼応して先陣を申し出たのはヤンバーだった。

「ムチャリンダ殿。私に先陣をお申し付けください。この前は奴めに苦汁を飲まされましたが、今度はその汚名を注ぐ絶好の機会と心得ます。一気に急襲して、大打撃を与えてくれましょう。」

 イムテーベがうなずくのを確認して、ムチャリンダが言った。

「いいだろう。ヤンバーに先陣を申し付ける。できる限り素早くマーシュの館を急襲しよう。我らの大義をこの戦いによって成就させるのだ。」

 こうしてヤンバーが先陣を切って進軍することが決まった。ヤンバーは小躍りして出陣の準備を急いだ。

 いよいよ決戦のときが来たのだった。

 

 一方、マーシュ師の館でも戦いの準備が着々と進められた。

 そんな中、マーシュ師とウダヤ師はナユタを呼んだ。マーシュ師はナユタに語りかけた。

「ナユタ、ムチャリンダ側は三本のブルーポールをもっている。一方、我らは四本のブルーポールを持っているが、ユビュを前線に出すわけにもゆかぬし、今のままだとおまえの一本だけだ。ブルーポールの数の劣勢は全体の戦況の優劣を決定しかねない。わしとウダヤ師のブルーポールをそなたに授けよう。そうすれば、互角に戦える。」

 しかし、ナユタは次のように答えた。

「ありがとうございます。確かに、ブルーポールの威力を認めないわけにはいきません。しかし、ブルーポールは本来、創造を擁護するためのもの。決して戦いに使うためのものではなかったはずです。力だけでもって宇宙を制することはできません。どうかマーシュ様とウダヤ様のブルーポールは創造の火を守り、創造を擁護するために使っていただきたく思います。」

 マーシュ師はじっとナユタの言葉を聞き入っていたが、うなずくと次のように言った。

「そうか、たしかにおまえの言うことももっともだ。われらのブルーポールは創造を守るために使うとしよう。だが、戦況が不利になり、困ったことになったらいつでも言ってくれ。我らはいつでもブルーポールをおまえのために役立てるつもりだからな。」

「ありがとうございます。私はマーヤデーバをもち、しかもヴィカルナ聖仙からはサーンチャバを授かりました。ユビュもマーダナとタンカーラを得、バルマン師はブラーマンをもっておられます。シャルマをはじめ、心強い味方も多数おります。前回の創造の際、孤独にひとり宇宙空間をさまよっていたときとは違います。」

「そうだな。心強く思うぞ。ともかく決してムチャリンダの横暴を許してはならん。このままでは、宇宙の秩序の根幹が揺るぎかねないからな。」

 マーシュ師はそう言ってナユタの手をぎゅっと握り締めた。ウダヤ師もナユタを励ました。

「創造の火のことは心配するな。我らが守り通そう。だから、全力をあげてムチャリンダを倒し、宇宙の秩序を回復してくれ。」

 そこへ入って来たのはユビュとバルマン師だった。

「おお、バルマン殿、戦さの準備、ほんとうにご苦労様です。」

とマーシュ師が語りかけ、五神は改めてあいさつを交わした。

 五神が座につくと、ユビュが言った。

「世界が破滅の危機に瀕したときには、いつもクリシュナが現れると言います。クリシュナの笛の音が聞こえ、ヴィシュヌ神がクリシュナの姿をとって世界を救うために現れると言います。」

 ウダヤ師がそれを受けて言った。

「たしかに、クリシュナは幾度となく現れては破滅に瀕した世界を救ってきた。幾度となくクリシュナの笛の音が聞こえ、世界は再び清新な響きのうちにダルマを回復した。」

 バルマン師が続けた。

「だが、クリシュナの力によっても、世界を完全に救いきることはできぬのかもしれん。宇宙の軸は繰り返し繰り返し創造がなされてゆくうちにますます歪みが大きくなっている。前回の創造の終わりには、クリシュナの笛はついに聞こえなかった。そしてナユタの努力だけが宇宙を突っ切り、けれどそれも無に帰さざるを得なかった。」

 この言葉にマーシュ師が深くうなずきながら言った。

「ナユタ。おまえの努力はまことに滅私のものであった。だが、創造の傾きを立て直すことは極めて難しい。皆も知っておるとおり、クリシュナの笛は吹かれず、ヴィシュヌ神はカルキの姿をとって野を駆け、世界を業火のもとに焼き尽くした。」

 ウダヤ師がつぶやくように言った。

「クリシュナは、宇宙を三歩で闊歩したという創造主ヴィシュヌ神の化身。彼は、すべてにして永遠であり、この世界の一切を超越した存在だ。だが、ヴィシュヌ神がクリシュナの姿をとらなかったということは、ヴィシュヌ神は世界を見捨てておられるのかもしれん。」

 この言葉に誰も答えられなかったが、ナユタがぽつりと言った。

「今回もクリシュナは現れないのでしょうか?」

 マーシュ師が首を振った。

「現れることはないかもしれぬ。だが、ナタラーヤ聖仙はユビュにマーダナとタンカーラを授け、ヴィカルナ聖仙はシヴァ神のサーンチャバをナユタに授けてくださった。世界を支えておられる聖なる神々が我らをお見捨てになってはいないということだ。それが我らの心強い心の支えだ。」

 バルマン師も言った。

「その通りですな。我らにできることは、聖なる神々に祈りを捧げることだけ。戦いの火ぶたはまもなく切って落とされよう。この前のヴァーサヴァの館での戦いをはるかに上回る壮絶な戦いになろう。そして、この戦いは、これからの宇宙の命運を決めることになるだろう。」

 マーシュ師もうなずいて言った。

「その通り。何ものが破壊され、何ものが残るのか、それは誰にも分からん。そして、この戦いから何が新たに生まれ出るのかも分からぬ。今、雷雲にも似た黒い不安が大地に覆いかぶさろうとしている。世界が破れる時が迫っているのかもしれん。だが、我らにできることは、心をしっかりと保ち、いかなる苦難にも耐える覚悟をもって事に当たることだけだ。」

 ウダヤ師がこの言葉を引き取って言った。

「何が起ころうと、悲嘆のゆえに理性を失ってはならない。今こそ、真の勇気を奮い起こして戦いに臨むほかない。この宇宙の内にあるものは、いかなるものも、時の絶対性に逆らうことはできないのだからな。」

 そして五神は聖堂の内でしきたりに則って祈りを捧げたのだった。

 

 数日後、ヤンバーは先陣を切って攻め寄せて来た。戦車隊を整え、砂塵を巻き上げながら、猛スピードで攻めて来た。

 この情報がもたらされると、マーシュ師の館では動揺が走った。

「まだ、戦いの準備は十分ではない。ヤンバーの進軍のスピードでは、明後日にもこの館に迫って来る。防御の準備もまだ完成していないのに。」

 軍師のカーシャパはそう言って走り回った。

 右往左往するカーシャパに、シャルマが声をかけた。

「カーシャパ、作戦の要であるおまえがそのようにあわてふためくのはよくないぞ。古来よりの言葉にも、『智者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず。』というではないか。」

「その通りだ。だが、こんなに早く敵が来るとは考えてもいなかったのだ。武器も足らない。陣容も整っていない。」

「心配するな。おれは、ナユタがヴィカルナ聖仙を探す旅に出たとき以来、今日この日のあることを予知し、戦備を整え、軍隊を訓練して来た。おれが出て、ヤンバーを食い止めよう。プシュパギリも一緒に来てくれ。その間に、カーシャパ、次の戦いの準備をするのだ。」

 シャルマは次の日朝早く、プシュパギリとともに出陣した。ナユタをはじめ、バルマン師、ウダヤ師、マーシュ師、ユビュらが見送った。

 ウダヤ師はシャルマを祝福し、

「苦行の中で獲得された力はなにものにも勝る。」

という言葉を送った。シャルマは静かにこうべを垂れ、この言葉の重みを理解した。

 ヤンバーが予想をはるかに越える大軍をもって押し寄せてくるという知らせを耳にしても、シャルマは平然と陣を張った。

「敵は、ただ一目散に押し寄せてくるだろう。一気に揉み潰せると思っているからだ。だが、戦いというものは勇気と知恵の両方で行うものだ。」

 そうプシュパギリに語ると、全軍に弓矢の用意をさせた。

「プシュパギリ、なぜこの場所を選んで布陣したか分かるか。我々の前に広がる平原は今は固い土に覆われているように見えるが、いったん雨が降ればぬかるみに変わる泥土だ。私は、かつて私が奉ずる嵐の神テシュブの元で一億六千万年に及ぶ苦行を行い、雨を降らせる術を得た。これまでその術を使うことはなかったが、今こそそれを使うときだ。急いでやぐらを組んで、祭壇を作る。ヤンバーが押し寄せたら、私はそこへ登り、テシュブに祈って雨を降らせよう。おまえは宇宙に右に出るものなしと言われる弓の名手。敵がぬかるみに足を取られて速度を落としたところを弓矢で狙い撃つのだ。」

 プシュパギリはこの言葉に勇気づけられた。

「テシュブはかつて天と地を切り裂き、巨大な山を吹き飛ばしたとも伝えられています。そのテシュブ神の力をお借りできるとすれば、こんな心強いことはありません。」

 次の日、快晴の空の下、ヤンバーの軍が平原の向こうに見えると、シャルマはひとり嵐の神テシュブを祀る祭壇に登り、そして、ひたすら祈りを捧げ続けた。

 ヤンバーの軍はシャルマ軍を見るとひとひねりにもみつぶせると踏んで、もうもうと土煙を上げて前進した。

 ヤンバー軍が近づくと、シャルマは祈りとともに祭壇に火を灯しして、嵐の神テシュブに祈りを捧げた。突然、もうもうと炎が燃え上がり、天を突くばかりの火柱が立ちのぼった。すると雲一つない快晴だった空はにわかにかき曇り、真っ黒な雨雲に覆われた。そしてヤンバー軍の突撃と同時に、突然の列風がヤンバー軍を襲い、激しい雷雨が大地を叩いた。稲光が両軍の間にきらめき、たたきつけるような豪雨が大地に降り注いだ。

 ヤンバー軍の戦車がシャルマ軍に到達する前に大地はぬかるみとなり、戦車は車輪をぬかるみに取られてスピードが落ちた。

 プシュパギリはこのときとばかり弓隊に矢を射かけさせた。堅固な覆いを施した矢筒を肩に、戦いの鬼神と化したプシュパギリの肩の上では矢がカラカラと鳴り、その弓から放たれる矢で当たらぬ矢は一つとしてなかったと後に語られたほどだった。

 この攻撃でヤンバー軍は崩れ、さらに激しい雨による泥土のために戦車は身動きできなくなった。この攻撃の前にヤンバー軍は一敗地にまみれ、ヤンバーは多くの仲間と戦車と武器を失って逃げ帰ったのだった。

 

 この戦闘は両軍に大きな衝撃を与えた。

 マーシュ師の館では、ナユタをはじめ多くの神々が総出でシャルマとプシュパギリの凱旋を迎えた。

 カーシャパはシャルマの手を取って、語った。

「シャルマ、いまだかつてこれ程みごとな戦いは見たことがない。お陰で猛将ヤンバーの出端をくじくことができ、敵も早急には攻めかかってくるまい。その間に我が軍は戦備を整え、これからの戦いに備えることができる。」

 シャルマもカーシャパを激励した。

「カーシャパ。これからはおまえの活躍の場だ。この戦いは容易な戦いではない。英知をしぼり、怠りなく万全の準備をしなくてはならん。今回の勝利は、我らを侮ったヤンバーのやや軽率とも言える突進に助けられたものとも言える。敵には、イムテーベやルガルバンダといった思慮深い者たちもいる。これからの戦いはそう簡単にはいかん。だからこそ、おまえの知恵の見せ所でもあるわけだ。」

 一方、ムチャリンダの陣に逃げ帰ったヤンバーに対し、ルガルバンダは激しく叱責した。

「なんという失態。ナユタなど一気に蹴ちらせると豪語して単身突撃し、ナユタの部将にすぎぬシャルマの前に一敗地にまみれて逃げ帰ってくるとは。おまえは、自分の力量を過信しすぎている。戦いは力だけではないということをもっと考えるがいい。この緒戦の敗北で、敵には勇気を与え、日和見の神々にはナユタ有利と思わせてしまった。ナユタ側に参戦する神々が続々と、マーシュの館に集まっているというではないか。」

 ヤンバーは返す言葉もなくうなだれたが、ムチャリンダはヤンバーをかばった。

「ルガルバンダ、そうヤンバーだけを責めるものではない。たしかに、軽率な部分はあったかも知れぬが、ヤンバーが先陣を切って戦うのは、そなたたち皆も納得したはず。それに今回の敗北はシャルマの思いもよらぬ神通力によるもの。神通力は一度使えば、再びその力を得るのに多大な修行を必要とする。今後の戦いに再び神通力を使うことはもはやできまい。そういう意味では、シャルマに早々と神通力を使わせることができたとも言える。日和見の神々がナユタ側になびいているというが、どちらが有利かを見て、味方する方を決めるような神々などおれは最初からあてにはしておらぬ。おれが欲しいのは、おれの理想を理解し、おれとともに宇宙に真理を築こうという神々なのだ。」

 

 次の戦いの準備は、ムチャリンダ側はイムテーベ中心となって、ナユタ側はカーシャパが中心となって進めた。

 そんな中、ウトゥの陣営にはウダヤ師が訪れていた。ウトゥは一応礼儀にのっとってウダヤ師を迎えたが、今は敵のナユタ側にいるウダヤ師を警戒していた。

 ウダヤ師はその警戒感をはっきり感じとったが、そのことはおくびにも出さずに、ウトゥの前に座って語り始めた。

「覚えておるかね。おまえは子供のころ、妹思いの優しい兄だった。シュリーは負けん気が強くて、おまえと喧嘩をしたことも数知れぬが、ユビュはおとなしいたおやかな娘で、おまえはいつもユビュをかばっておったな。いつぞや、大切にしていた花がしおれてめそめそ泣いていたユビュをシュリーが叱りつけたとき、おまえは体を張ってシュリーを非難し、ユビュをかばったな。わしはおまえがほんとうに心優しい兄だということをよく知っている。どうだ、思い出したかね。」

 ウトゥもうなずいて言った。

「ええ、そうですね。あのころは何もかもが平和で美しさに溢れていました。ぶどうの房がたわわに実る緑の野でユビュと遊んだ日々のことが昨日のことのように思い出されます。そして、ユビュはいつも悲しいことがあると私の所へやって来て気が済むまで泣いていました。かわいそうに、かわいそうに、と言ってユビュの長い髪をなでてやったことが昨日のことのように思い出されます。」

「そうだな。だが、そのユビュは今はナユタの元におる。実際、兄弟三神がばらばらになってしまったのは悲しいことだな。シュリーのことは致し方ないとしても、今おまえとユビュが敵味方に別れて戦おうとしているのは見るに忍びない。今ならまだ間に合う。ムチャリンダから別れ、ナユタの陣にゆかんか。」

 しかし、ウトゥはきっぱりと答えた。

「ウダヤ様。いまさらそんなことができるわけがありません。第一、私は自分の信念に基づいて、ムチャリンダに与したのです。創造は打ち壊されるべきなのです。それが創造された者たちを救済する唯一の方法なのです。」

「創造するかしないかということを考えるべきときなら、創造しないことが、創造される者たちを救済する唯一の方法だという考えも一理あるだろう。だが、創造は既に生起してしまっている。たやすく打ち壊してしまえばいいというものではない。」

「ですが、ナユタにしても、創造を救済する方法は何ひとつ示していません。それに、私はムチャリンダの世話になり、こうして一軍を授けられています。どうしてこの場に及んで、寝返ることなどできましょう。もしそんなことをすれば、それこそ全宇宙の笑い者。誰ひとり私を信じる者はいなくなるでしょう。そして、私の奉ずるシャマシュ神も決してそんな私を嘉することはないでしょう。」

 この言葉を聞いてウダヤ師は諦めたようにうなずいて言った。

「そうか、残念だな。では一つだけ約束してくれんか。この戦いがどんな結果を招くかは分からぬが、ともかくどんなことがあろうとも、ユビュだけは守ってくれんか。この戦いでユビュを戦場に立たせたくはないが、その時が来るかもしれん。その時ユビュは鮮やかな孔雀の羽飾りのついた兜をかぶって出陣するだろう。わしは、ユビュだけは危険な目に合せたくはない。もし、戦場でユビュと合いまみえることとなってもユビュだけは守ってくれんか。ユビュもおまえ自身に対しては何の恨みも抱いていないはず。それに、おまえの奉ずる正義の太陽神シャマシュも戦場で妹を倒すことをおまえに許すとは思えない。だから、これだけはどうしてもおまえに頼みたくてな。」

「分かりました。それだけはお約束しましょう。もとより、ユビュは私のかわいいただひとりの妹ですし、ユビュにはなんの恨みもない。仮にウダヤ様の頼みがないとしても、私は決してユビュに武器を向けはしません。そして今日はウダヤ様の頼みもあるわけですから、ユビュには決して武器を向けないことをシャマシュ神にかけて誓いましょう。」

「ありがたい。そなたのその言葉だけで、わしも救われた気持ちになる。今日来た介があったというものだ。ムチャリンダ軍の他の者たちには誰にも頼めぬが、おまえならわしの願いを聞いてくれると思っておった。ありがたいことだ。この戦いがどんな悲惨な結果を招くかは分からぬが、ともかくどんなことがあろうとも、そなたたちは、ともに育った仲の良い兄妹なのだからな。」

 そう言ってウダヤ師はウトゥの元を後にしたのだった。

 

 ウトゥの元から戻ると、ウダヤ師はバルマン師、マーシュ師、カーシャパを集め語った。

「ウトゥの元を訪ね、ムチャリンダから離れるよう説得したが、駄目だった。ヴァーサヴァの長男であるウトゥがムチャリンダに組しているという今の事態は、ムチャリンダ側に大義名分を与えることにつながっている。決して見過ごしてよいものではない。」

 マーシュ師が答えて言った。

「その通りですな。ヴァーサヴァの長男であり、ヴァーサヴァの創造にも重要な役目を果たしたウトゥが、その創造を破壊しようというムチャリンダを支持しているわけですからな。」

「その意味では、なんとしてもウトゥを葬らねばならぬ。」

 このウダヤ師の言葉にカーシャパは答えて言った。

「分かりました。そのことを十分に頭に入れて戦いを進めます。ただ、ウトゥはブルーポールを持っており、ブルーポールが戦場でどれだけの威力を発揮するかは分かりませんが、よほど考えなければなりません。」

 カーシャパがこう言うと、口を挟んだのはバルマン師だった。

「カーシャパ。ウトゥにはわしに当たらせてくれぬか。ウトゥは神々の風上にもおけぬ裏切り者。しかもヴァーサヴァの館での戦いでは、ウトゥとの戦いでブルーポールを奪われた。その借りは何としても返さねばならん。わしにはまだブラーマンがある。ウトゥがブルーポールで向かって来れば、必ずブラーマンで倒す。今度の戦いが彼の最期となるだろう。」

「ありがとうございます。」

 そう言ってカーシャパはさらに続けた。

「バルマン様、ムチャリンダはこの戦いによって創造の火を消し去ろうともくろみ、大軍をもって押し寄せて来ています。しかもこのマーシュ師の館は戦いには不向きな城。野戦で敵を撃退するしかありません。敵はヴァーサヴァとの戦い同様、攻撃軍を三つに分けてくるでしょう。イムテーベとヤンバーとウトゥです。ウトゥにはおそらくルガルバンダが補佐するでしょうが、これにバルマン様が向かってくだされば、心強い限りです。」

「イムテーベとヤンバーにはどう対処するのか。」

「イムテーベにはシャルマにあたってもらい、ヤンバーにはわたし自身で当たろうと思います。」

「よかろう。この度の戦いは、この前のヴァーサヴァの館での戦い以上に重要で、しかも激烈を極めるだろう。だが、決して負けるわけにはゆかぬ。マーシュ殿。創造の火をよろしくお願いいたす。」

「バルマン殿。ご苦労をかけるが、これも宇宙のため。創造の火のことはご案じなさるな。我らにお任せくだされ。」

 マーシュ師がこう答えると、ウダヤ師も力を込めて言った。

「カーシャパ。この度の戦いでは苦労をかけるが、この戦いは創造の意義を賭けた戦いだ。まさに、宇宙全体の浮沈がかかっておる。必ず勝たねばならない。そなたの知恵と勇気に期待しておるぞ。」

「ありがとうございます。シャルマの活躍で戦いは互角になりました。軍備も十分整えることができました。バルマン師にも出陣いただくことになり、決して、我が軍がやすやすと敗れることはないでしょう。ただ、今の力では、逆にムチャリンダ軍を蹴散らせるだけのものもありません。長期戦になる可能性もあります。その中で、ムチャリンダを打ち破るには、もう一段の知恵が必要です。その知恵を授けていただきたいのです。」

 カーシャパのこの言葉に、マーシュ師が答えた。

「知恵というものは、時と場所によらない普遍的なものではない。普遍的な智恵は確かにあるが、それは書物にしか書かれていない。今求められるのは、その場その場での知恵だ。わしはユビュとともに神通力で戦況を見守り続けるだろう。そして、もしよい知恵があれば、授けよう。わしに言えるのはそれだけだ。」

「それで十分でございます。ウダヤ様、マーシュ様のお力添えをいただければ、きっと道は開けるでしょう。」

 このカーシャパの言葉で四神の会合はいったん終了したが、ウダヤ師はそっとカーシャパを引き留め、別室に呼び込んだ。

「カーシャパ。実は、秘策を一つ授けたくてな。」

 このウダヤ師の言葉に、カーシャパの表情が引き締まった。

「実は、ウトゥを訪ねた際、ウトゥに一つの約束をさせた。ユビュを戦場で見かけても、決して討たないとな。ウトゥの守護神であるシャマシュ神にかけて誓わせたから、反故にはできまい。」

「分かりました。それはありがたい話ではありますが、」

 カーシャパはやや怪訝げな表情で言葉を濁したが、ウダヤ師はきっぱりと言った。

「ウトゥには、ユビュが出陣するときは孔雀の羽飾りのついた兜をかぶっていると伝えてある。」

「しかし、ほんとうにユビュ様を出陣させるのですか?あまりに危険なことに思えますが。」

「カーシャパ。大事なことは、ウトゥにその兜をかぶった者がユビュだと思わせることだ。そうすれば、ウトゥはその者を討つことはしないはず。シャマシュ神への誓いは絶対だからな。この件は、また、改めて話をするとしよう。」

 カーシャパは呑み込めたようだったが、ただ頭を下げて答えた。

「分かりました。どうぞよろしくお願い致します。」

 カーシャパが理解したと見とったウダヤ師はただ簡単に言った。

「では、わしも準備を進めておくよ。このことはわしとおまえだけの秘密にしておきたいので、よろしくな。」

 

 さて、こうしてバルマン師の出陣が決まると、カーシャパはシャルマを訪ねた。カーシャパはシャルマにイムテーベの軍に向かうことを頼んだ。

「イムテーベは宇宙の中にこの神ありといわれた軍神。その勇気、決断力、武略、軍略ともに飛び抜けている。これに立ち向かえるのは、我が軍ではおまえとナユタをおいてほかにはない。だが、向こうもムチャリンダが後ろに控えている以上、ナユタには後方で全軍に睨みをきかせてもらわねばなるまい。それで、おまえにはイムテーベを相手に陣をひいて欲しいのだ。」

「分かった。イムテーベが私などより一枚も二枚も上手の将軍であることはよく知っているが、相手に不足はない。ヤンバーの時のようにはいくまいが、ともかくイムテーベをどう押さえるかは、この戦いの趨勢を占う鍵を握っている。心して出陣するとしよう。」

「シャルマ。頼もしい言葉だ。だが、イムテーベは武略に長けた戦略家。全体の戦いを見ながら軍を動かしてくるはずだ。しかも、イムテーベはシュリーのブルーポールを持っているという。十分に注意して戦うことだ。」

「そうだな。だが、イムテーベはおそらくブルーポールをかざして先陣を切って突進してはくるまい。あくまでも軍団として戦う方が有利と判断しているはずだ。だから我々は機先を制するべく先制攻撃をかけたい。イムテーベとの力の差を逆転させるためにもぜひそれが必要だと考えるがどうだろうか。」

「たしかに、それはおれも勧めようと思っていた。だが、このことは頭に入れておかねばならぬぞ。先制攻撃がうまくいっても、あまりイムテーベ陣内に深く入り込んではならぬ。そこにはブルーポールが待ち受けているからな。また、もし攻撃がうまく行かない場合には、決して焦って次の攻撃をかけようとしてはいけない。そのようなことをすれば、イムテーベの術中にはまり、イムテーベの狙いすました逆襲をまともに食らうことになるだろう。うかつに敵の策に乗らないことが肝心だ。むしろ慎重に軍をまとめ、イムテーベからの次の攻撃に対する万全の策を講じることだ。周到に準備された防御というものは、そう簡単に打ち破られるものではないからな。」

 シャルマは力強く答えた。

「その忠告を胸にたたんで戦いに臨むとしよう。」

 

 次にカーシャパはナユタを訪ねた。カーシャパが部屋に入って行くと、ナユタはひとり部屋の中央で瞑想していた。凍りついたように動かず、死んだように青白かった。

 ナユタが瞑想から覚めると、カーシャパが控えているのが目に入った。

「カーシャパ。ナタラーヤ聖仙だけが知っているというこの宇宙の唯一者を捜し求めていたのだ。この戦いは絶対に勝たねばならない戦いではあるが、なぜこの宇宙の中で神々どうしが戦いを行わねばならないのか、それが私には分からない。その問いに対する答えを見つけたいのだ。」

「ナユタ、その問いに対しては誰も答えられないだろう。なぜという問いかけには、そのことが生起した起源まで溯らねばならんが、宇宙の創成に立ち会ったというナタラーヤ聖仙もヴィカルナ聖仙もそのときのことについては何も語ってはいない。すべては謎のまま。そして謎の中で存在している我らは、ただ己の宿命に導かれて道を進むだけだ。」

 ナユタがうなずくと、カーシャパはさらに続けた。

「この戦いでは、ムチャリンダ、イムテーベ、ウトゥの三神がブルーポールをもっている。それに対して、こちらは、ナユタ、マーシュ師、ウダヤ師、ユビュがブルーポールをもっているものの、戦場にあるのはナユタの一本だけ。また、ヴィカルナ聖仙より授けられたサーンチャバ、ナタラーヤ聖仙から授かられたマーダナとタンカーラがあるとはいうものの、これらの最終兵器は軽々しく使ってよいものではない。ブルーポールがどのような威力をもつかは分からないが、苦戦は免れないだろう。それで具体的な布陣だが、イムテーベにはシャルマがあたり、ウトゥにはバルマン師、そしてヤンバーにはわたし自身で当たる作戦だ。」

「では、おれはどうすればいい?」

「敵もムチャリンダ自身が後ろに控えている。その動きをじっと察知することだ。ムチャリンダが動き出したら、それに合わせて動いてほしい。だが、その前に考えておかねばならないことがある。バルマン師はきっとウトゥを打ち破るだろうが、イムテーベに対するシャルマは苦戦するだろう。もし、シャルマが危機に瀕したら、何はともあれ、その救援に向かって欲しい。」

 

 こうしてカーシャパの作戦の準備は整った。ナユタが全軍に号令をかけ、マーシュ師とウダヤ師、ユビュを館に残して全軍が出発した。ナユタ軍は、カーシャパが慎重に選んだ場所に陣を敷いた。そこはマーシュ師の館に迫るために通らざるを得ない要衝にあり、軍を動かすにも恰好の場所だった。

 ムチャリンダ軍もそれに向かい合って陣を敷いた。ムチャリンダはカーシャパが予想した通り軍を四つに分け、右翼にヤンバー、左翼にウトゥ、中央にイムテーベという布陣だった。ルガルバンダはウトゥを補佐し、ムチャリンダは後方に本陣を構えた。

 対するナユタ軍は、右翼にバルマン師、左翼にカーシャパ、中央にシャルマ、そしてその後方にナユタという布陣だった。

 朝日が昇ると、両軍は今やはっきりと相手の姿を確認し、互いの陣容を眺め渡した。

 ムチャリンダ軍の戦列の中央には、華麗な鎧兜を身にまとったイムテーベが悠揚迫らざる姿を現し、全軍に向かって叱咤激励した。

「ついにときは来た。正義を貫くための戦いだ。どんな困難をも乗り越え、敵将を倒すまで突き進むのだ。宇宙の正義に支えられた我らの力を遮るものなど何もない。勝利の女神は我らと共にある。」

 ムチャリンダ軍の戦士たちは一斉に鬨の声を上げ、太鼓、シンバル、ラッパの響きが地をどよもした。

 ムチャリンダ軍が進軍を開始した。山々が動き出したかに見える軍勢の先頭には獅子をあしらった旗を風になびかせて進むイムテーベの勇壮な姿がはっきりと見て取れた。イムテーベが信頼する智将バルカも堂々と進軍した。右翼では、野猪を象った銀の旗幟を掲げるヤンバーを中心に、ギランダなどの勇士がそれぞれ威風堂々と各自の旗をなびかせて進軍した。左翼では、水壺と弓を配した金色の祭壇を描いた旗を立てたウトゥが立派な戦車に乗って堂々と進軍すれば、宝石で飾られた牡牛の旗を翻したルガルバンダとルドラがそれに続いた。そして、後方からは、金色の龍の紋章の旗を掲げてムチャリンダが進軍した。

 相対するナユタ軍も堂々と進軍した。中央では、シャルマが、宝石で飾られた像の旗を翻し、怪鳥ガルーダを描いた旗を掲げるプシュパギリとともに進軍した。右翼のバルマン師は睡蓮をあしらった旗幟を、左翼のカーシャパは金と宝石で散りばめられた旗幟を掲げて進軍した。総大将のナユタは、鈴の鳴り響くきらびやかな戦車に乗り、マーヤデーバを手に、大猿王の旗を翩翻と翻して前進した。

 戦いは中央のイムテーベとシャルマの間で始まった。シャルマ軍の突進で戦いの火ぶたが切って落とされたが、イムテーベは堂々の布陣で応戦し、無数の矢をシャルマの軍に浴びせかけ、シャルマ軍の突進を阻止した。

 イムテーベはまるで相手の力量を推し量るためとでもいうように、シャルマの攻撃を防ぎ、かわした。戦況は一進一退を繰り返した。プシュパギリは強弓を引き放って敵を次々に倒したが、好転しない戦局に苛立ち、シャルマに言った。

「シャルマ。このままでは我が軍は立ち往生だ。突撃隊を先頭にイムテーベ軍の中に討ち入ろう。」

 しかし、シャルマは同意しなかった。

「いや、プシュパギリ。カーシャパの言葉を思い出した。ここはいったん軍をまとめ、攻勢を収めよう。戦いはまだ始まったばかりだ。」

 シャルマは合図のほら貝を吹き鳴らさせ、軍をまとめた。イムテーベは腕組みをして戦況を眺めていたが、シャルマが突進して来ないのを見ると、

「敵は軍をまとめ始めたな。カーシャパの策に違いない。シャルマが突進して来れば、敵を誘い込んで、包囲殲滅するつもりだったが、向こうも十分読んでいたということか。」

とつぶやき、深追いする事なくシャルマの軍と別れさせた。

 そのころ、ヤンバーとカーシャパも戦いを始めたが、カーシャパは慎重で、ヤンバーの挑発に乗らず防御を固めてヤンバーの攻撃をしのいだ。

 一方、ウトゥはバルマン師の軍に向かっていた。ウトゥは今こそ、自分の理想を実現すべきときと、ブルーポールを振りかざして進軍した。

 そのウトゥに対してバルマン師が応戦した。

「神の風上にもおけぬウトゥ、今日がおまえの最期と知れ。」

 そう叫ぶとバルマン師は戦車に飛び乗った。

 ウトゥは目を吊り上げて怒り、ルガルバンダは叫び返した。

「何を言われるか。ヴァーサヴァの館の戦いではウトゥ殿の師匠と思えばこそ手加減し、兵を引いたが、今日は容赦しませんぞ。バルマン殿こそこの愚かな戦いから身を引き、隠居して過ごされるが良い。今ならまだ間に合いますぞ。さもなければ、ウトゥ殿のブルーポールの餌食となりましょうぞ。」

「心の平安を失った亡者どもめ。ブルーポールの威力というが、ブルーポールの真の威力は一切の欲望を捨て、心によってもろもろの感性を制御し、しっかりとした知性によって寂静の境地に至った者だけがその威力を真に発揮させることができる。心に汚れを持ち、平安を持たず、対象を求めて心がさまよう者によってはその真の力は引き出せまい。自分を信じず、ブルーポールだけを頼る者は呪われるがいい。」

 そう叫ぶバルマン師は激しくウトゥの軍団に攻勢をかけた。巨岩をも押し流す猛々しい激流のごとき勢いに、ウトゥ軍の兵士たちは底知れぬ恐怖に打ち震えた。

 ブルーポールをもつウトゥもたじたじであった。苦戦を強いられたウトゥは総突撃を命じようとしたが、ルガルバンダは押しとどめた。

「焦ることはありません。まだ緒戦にすぎぬ戦い。ほどほどのところで兵をまとめましょう。バルマンも勇んで出てきてはいますが、兵力はこちらが上。わが軍を壊滅することは到底できません。」

 ウトゥはルガルバンダに押しとどめられ、やむなく兵をまとめた。

 こうして、どの戦いも決着がつかず日暮れとなった。イムテーベは満足して引き上げ、自信たっぷりに語った。

「緒戦はこんなものだろう。逸って出て来た敵も簡単に勝てはしないことを思い知ったろう。今日の戦いで敵の力量もだいたい分かった。」

 彼はすべての戦いの報告を受けると、このままの体制で戦うのが良いと結論づけた。

 ムチャリンダも味方を鼓舞した。

「焦ることはない。最終的な勝利は我らのもの。じっくりと一つ一つ攻略して最後の勝利を掴み取るのだ。」

 一方のナユタも納得していた。将軍たちと食事をしながら、

「やはりイムテーベは手ごわいな。それにしても、イムテーベと対等にわたりあったシャルマは見事だった。」

とシャルマを褒めたたえ、また、ウトゥと渡り合ったバルマン師に対しても最大級の賛辞を贈った。

 

 それから数日は睨み合いが続いた。小競り合いはあったものの大きな衝突はなく、両軍とも相手の出方をうかがった。

 膠着状態の中で先に動いたのはイムテーベだった。イムテーベは、ムチャリンダ軍をシャルマ軍の前面に移動させ、そして自身はカーシャパ軍に向かう作戦を立てた。左翼のカーシャパの軍をイムテーベとヤンバーとで一気に攻略しようという作戦だった。

 夜明けとともにムチャリンダの各軍が動きだした。激しく法螺貝が吹き鳴らされる中、イムテーベが前面に現れたのを見て、カーシャパは度肝を抜かれた。

 イムテーベが朝日の中にブルーポールを高々と掲げ、戦いを開始した。激しい砂塵を巻き上げてイムテーベ軍の突撃が開始される。カーシャパは声を嗄らして味方を鼓舞したが、一部で戦線は寸断され、カーシャパ軍は混乱に陥った。

「引くな。陣形を立て直せ。」

 カーシャパの必死の怒号も、しかし、両軍の激しい白刀戦にかき消される。イムテーベ軍が優勢ながらもカーシャパ軍もなんとか持ちこたえて応戦していたまさにそのとき、側面からヤンバー軍が襲い掛かった。

 ヤンバー軍の突撃は完全にカーシャパ軍の統率を失わせた。獅子奮迅のカーシャパを目がけて雨のような矢が射かけられ、イムテーベ軍の戦車は縦横無尽にカーシャパ軍の中を駆け回った。完全にカーシャパ軍の負けであった。

 味方を指揮しつつ、必死で戦車を駆け巡らすカーシャパの回りに味方の数は減り、敵からの攻撃だけが激しさを増した。

 その混戦の中でヤンバーがカーシャパを見つけた。ヤンバーは大声で叫んだ。

「カーシャパ。観念するがいい。もう、勝ち目はあるまい。降参せよ。」

「なにをばかな。宇宙に悪名高いおまえごときに降参などできるわけがない。正義の矢は必ずおまえを倒すだろう。おれを倒したければ、さあ、向かって来るがいい。」

 この言葉にヤンバーはいきり立ち、みずから戦車を進めた。しかし部下が、

「わざわざ危険を冒してヤンバー様が出て行くのは匹夫の勇というもの。私共にお任せあれ。」

と制し、ヤンバー軍の部下たちがカーシャパに対峙した。カーシャパも必死の形相だった。

 そのときだった。突如として、戦場にマーヤデーバの轟音がとどろいた。ナユタだった。

 皆が驚いて振り向くと、砂塵を上げてナユタが迫ってくる。

「カーシャパ、助けに来たぞ。」

 そう叫びながら、ナユタはマーヤデーバを振りかざして突き進んだ。ヤンバーは向きを変え、ナユタに向かった。

「ナユタ、きさまのマーヤデーバごときに負けはしないぞ。」

 そう叫んでヤンバーは自慢の流星錘をかざして激しい勢いで打ちかかった。ナユタは戦車をものすごいスピードで走らせながら、ひらりひらりとヤンバーの流星錘をかわす。一方のヤンバーもナユタの繰り出すマーヤデーバを盾で受け止め、ふたりの対決は決着が着かなかった。

 カーシャパ軍はナユタ軍の救援で立ち直り、再びヤンバー軍に立ち向かった。戦場では四つの軍が入り乱れた混戦となった。

 その間、シャルマもバルマン師も動くことができず、じっと戦況を見つめた。シャルマはムチャリンダ軍と睨み合い、バルマン師はウトゥの軍の前に立ちはだかった。だが、彼らは戦いを仕掛けようとはしなかった。

 イムテーベはナユタが現れたのを見て歯軋りした。

「くそ、もう少しだったのに。」

と悔しがり、軍をまとめにかかった。

 だが、戦況はなおイムテーベに有利だったのだ。ヴァーサヴァの館でナユタに敗れたことがイムテーベを必要以上に慎重にさせていた。ヤンバーはなおもナユタと戦っていたが、イムテーベの動きを見て、兵をまとめさせた。

 ナユタはカーシャパのところに駆け寄り、声をかけた。

「カーシャパ、大丈夫か。」

 カーシャパは疲れきって肩で息をしていたが、ナユタを見るとやっと笑顔を見せた。

「ああ、大丈夫だ、ナユタ。おまえが来てくれなかったら、おだぶつだった。それにしてもイムテーベは恐るべき相手だ。だが、ともかく、ナユタ、おまえが救援に来てくれ、しかも、シャルマとバルマン師が動かなかったのは最良の行動だった。もしも、シャルマとバルマン師のどちらかが動けば、敵は側面を抜けて我が軍の背後に回り、我らはそれこそ窮地に陥っていただろう。」

 それから三日間、ナユタがカーシャパに代わってヤンバーの前面に軍を敷き、カーシャパは後ろに下がった。ナユタの旗が前面にひらめくのを見て、さすがのヤンバーの軍にも動揺が走り、誰も戦いを仕掛けようとはしなかった。イムテーベも慎重で、うかつに動いてすきを作り、ナユタに中央突破されることを極度に恐れ、慎重にナユタの動きを監視した。

 

 一方、後ろに下がったカーシャパは、三日間静養し、かつ作戦を練った。その三日目、幕舎にウダヤ師が訪ねてきた。

「これは、ウダヤ様。わざわざようこそ。」

とカーシャパは迎えたが、用件は察するところがあった。

「例の件で来た。」

とウダヤ師は短く言い、ひとりの男神を呼び入れた。

 うら若い男神で、少女と見まがうばかりの幼い顔つきと華奢な体つき、背丈もユビュとほぼ同じだった。遠目には女神に見えて不思議はないだろうと思えた。左腕には、孔雀の羽飾りのついた兜を抱えていた。

「名前は?」

 そう聞いたカーシャパの問いに、男神は緊張した声で答えた。

「シシュナーガと申します。」

 女のような高い綺麗な声だった。

「部隊は?」

「バルマン様の軍に属しています。」

「この者には既に役目は仰せつけている。」

 そうウダヤ師が口を挟み、さらに続けて説明した。

「この者には、女神の軍装を纏わせて出陣させる。もちろん、その兜もかぶらせる。化粧も入念にさせるつもりだ。この者に託す役目は、ウトゥとバルマン師の間に立ちはだかり、決して、ウトゥにブルーポールでバルマン師を討たせないことだ。」

「そうか。ぜひ、しっかり頼むぞ。」

 そう言ってカーシャパはシシュナーガの肩を叩いたが、シシュナーガを下がらせると、ウダヤ師に言った。

「しかし、このような神の道にももとるような策を用いて良いのでしょうか?たしかに、ウトゥはシシュナーガをユビュと思い込むでしょう。そして、シシュナーガが盾となり、バルマン師にウトゥを倒す機会、すなわち、ブラーマンを呼び起こす時間的余裕を生み出すでしょう。しかし、いったい、このような行為は許されるのでしょうか?」

「カーシャパ。気持ちは分からぬでもないが、大局を見ねばならぬ。神の道を守るためには、ウトゥを倒さねばならぬのだ。」

「しかし、正義に基づく聖戦であるはずのこの戦いで、このようなだまし討ちのようなことをなせば、それがそのまま宇宙のダルマにひびを入れさせることにはならないのでしょうか?」

「小さな正義にこだわって、大義を見失ってはならぬ。この行為はダルマを守るためなのだ。もし、ほんとうにこれが大義にもとるというならウトゥの守護神であるシャマシュがウトゥを守るだろう。だから、我らがこの策でウトゥを倒した暁には、シャマシュ神もそれを嘉されたということになるだろう。」

 カーシャパは硬い表情のままだったが、ウダヤ師に頭を下げて言った。

「分かりました。ことが成就するよう取り計らいましょう。」

 

 次の日、カーシャパはナユタを訪ねた。

「カーシャパ、元気になったか。」

 そう声をかけたナユタにカーシャパは答えた。

「ええ、おかげさまで。ところで、今日は次の作戦について相談するために来ました。」

 この言葉を聞くと、ナユタはカーシャパを密室に案内した。カーシャパはそこで地図を広げて語った。

「この戦いの前、ウダヤ師は、まず、なんとしてもウトゥを倒さねばならぬと言われました。バルマン師はウトゥに対して奮戦され、優位に戦ってはおられますが、ウトゥを倒すには至っておりません。ウトゥを倒すには、ウトゥ軍を孤立させることが必要と思えます。」

「その通りだな。バルマン師の軍勢は戦力的にはひけを取らぬ。孤立させれば、ウトゥを倒す道も開けるだろう。問題はどうやってウトゥを孤立させるかだが。」

「それについてですが、まず、ナユタ軍とバルマン軍とでウトゥに攻撃を仕掛けます。」

「だが、その時、ムチャリンダが出てくるのではないか。」

「その通りです。だから、ムチャリンダが来る前にできる限り、ウトゥ軍を叩いて欲しい。そして、ムチャリンダが出てきたら、これに向かい、決してウトゥ軍に合流させないで欲しいのです。」

 この言葉にナユタの目が光った。

「よく分かった。では、おれの軍の三分の一をバルマン師に預けよう。そうすれば、ウトゥを孤立させた後の戦いをより有利に進められる。」

「だが、相手はムチャリンダ。兵力を割くのは危険だ。私は、現在のバルマン師の軍でウトゥを討てる可能性が十分あると思いますが。」

「だが、機会というものはそういつもいつもあるわけではない。千歳一隅の好機と言えるとき、その好機はなんとしてもものにしなくてはならぬ。そのためには、バルマン師の軍を増強しておいた方がいい。ムチャリンダは強敵だが、苦戦してもなんとか切り抜ける。ウトゥさえ討てば、展望が開けるはずだ。」

 このナユタの言葉にカーシャパは頭を下げ、

「ありがたい。ではそうさせてもらいます。」

と答えた。

 こうしてカーシャパの作戦は定まった。カーシャパは、シャルマ、バルマン師をそれぞれ訪ね、作戦を説明した。そして、その日の夕方、カーシャパは再びナユタと交替し、左翼に陣取った。

 次の日、夜明け前から、ナユタ軍は激しく動いた。まず、バルマン師の軍が全速力で駆けて、ウトゥ軍の側面に回り込んだ。シャルマがまったく動かずにイムテーベを牽制する一方、カーシャパ軍はヤンバー軍に襲い掛かり、バルマン師が陣取っていた場所はすぐにナユタの軍が詰め、しかもナユタはウトゥ軍に激しく襲い掛かった。

 戦いの火花が朝焼けの空に舞い散り、空間を埋め尽くさんばかりに放たれる矢の飛び交う音に、大地さえもが震えもがいた。

 マーヤデーバの轟音が響くと、ウトゥ軍は混乱した。ウトゥはブルーポールを振りかざして味方を鼓舞したが、ナユタがブルーポールをかざすと、ナユタのブルーポールの輝きが優った。

 ナユタ軍の戦車は次々にウトゥ軍の戦車を破壊し、戦場ではマーヤデーバの轟音が大地を揺るがし続けた。そして、側面に回り込んだバルマン師の攻撃が始まると、ウトゥ軍は混乱を極めた。

 緒戦の形勢は圧倒的にナユタ側が有利だった。ナユタとバルマン師の軍勢には勢いがあり、守勢に立たされたウトゥ軍は戦列が乱れ、敗走する戦士が続出した。

 イムテーベは戦局を冷静に判断し、敵の狙いがウトゥにあることを見抜いた。

「敵方の最も強力なナユタとバルマンがウトゥを挟み撃ちにしようとしている。このままではウトゥが危険だ。」

 そう叫ぶと、ムチャリンダにシャルマ軍への攻撃を依頼し、自らはヒュドラを手繰り寄せると、進軍を命じた。目指すはナユタだった。

「今日こそ、ナユタとの決着をつけてくれよう。」

 目を吊り上げて戦車の上に仁王立ちしたイムテーベに戦士たちは百万の味方を得たように勇気づけられ、ナユタ軍に向かって疾走した。

 イムテーベが近づくと、ナユタ軍は素早く戦列を立て直し、イムテーベ軍を迎え撃った。両軍のぶつかり合いは壮絶な戦いを引き起こした。イムテーベのヒュドラがうなり、ナユタのマーヤデーバがとどろく。鉾と盾がぶつかり合う音、戦士たちの怒号で戦場には異様な音の渦が巻き起こった。

 激しい戦いはイムテーベとナユタの戦いだけではなかった。シャルマはイムテーベに替わって全面に出てきたムチャリンダを迎え撃って奮戦し、カーシャパもヤンバー軍に対して互角の戦いを展開した。

 そのような戦いの中、カーシャパの作戦に沿って動いたナユタは、イムテーベとウトゥの間に割って入り、両軍の合流を阻止した。ナユタは三分の一の兵をバルマン師の軍に移したため苦戦したが、それでもナユタは縦横に走り回って味方を鼓舞し、イムテーベ軍に対して戦列の断点を決して生じさせなかった。

 戦局が好転しないことに苛立ったイムテーベはブルーポールを取り出した。そして、ブルーポールを掲げて先頭を切って突撃を開始した。しかしナユタは慌てない。まるでそれを待っていたかのように、ナユタもブルーポールを掲げた。そして、ブルーポールを片手にイムテーベの前面に躍り出ると、イムテーベの戦車に果敢に打ちかかった。

 ナユタのブルーポールをイムテーベのブルーポールが受け止める。ブルーポールを掲げる両雄の戦いに宇宙は目を見張った。その時飛び散った火花は遠く宇宙の涯てでも明るく輝く閃光として見ることができたという。

 こうしてナユタがイムテーベと激戦を繰り広げる中、バルマン軍は優勢に戦いを展開した。ウトゥ軍は孤立し、体勢の立て直しに苦労した。

 バルマン師はウトゥ軍に向かって叫んだ。

「ウトゥ。前にも言ったが、宇宙のダルマに反するおまえの行為は決して見過ごすことができない。いかに多くの神がおまえの行為を忌み嫌い、おまえを蔑んでいるか、よく目を見開いてみるがいい。」

 この言葉にウトゥはいきり立った。ナユタからの攻撃はなくなったが、依然としてウトゥ軍はいつもより兵力の多いバルマン軍の攻撃に苦戦を強いられていた。

 ルバルガンダは歯軋りし、

「このままでは我が軍は総崩れになる。ブルーポールの威力でバルマンを倒すのです。」

とウトゥを励ました。

 ウトゥはついにブルーポールを取り出した。青い輝きが戦場を威圧した。

「一気に道を開くぞ。バルマン軍を粉砕するのだ。」

と叫ぶと、ウトゥはブルーポールを掲げ、先頭を切ってバルマン軍に突入していった。

 その勢いはすさまじく、バルマン軍は次々に打ち破られた。まさにブルーポールが戦場を威圧した。

 だが、バルマン師はウトゥを挑発するように叫び返した。

「ブルーポールは邪心に埋もれた心しか持たぬおまえを助けはしない。おまえは決してわしを打ち破ることはできまい。」

 この言葉を聞くと、ウトゥはいきり立ち、

「あんなもうろく賢者に何ができる。それを思い知らせてやる。」

と叫び、軍の先頭に立って突き進んでいった。

 バルマン師は近づいてくるウトゥを認めると、戦車を止めて大声で叫んだ。

「ウトゥ、おまえのような心の汚れたものにブルーポールが使いこなせるのか。」

 だが、ウトゥも負けていない。

「何を言われる。正義は我にある。このブルーポールがそれを証明するだろう。」

 そう叫ぶと、ウトゥはブルーポールを高々と掲げてバルマン師めがけて突進した。ブルーポールの青い光はウトゥの怒りが乗り移ったかように空に向かって鋭い光を放った。

 だが、その時、バルマン師の前に躍り出たのがシシュナーガだった。美しく化粧して女神用の鎧をまとい、孔雀の羽飾りのついた兜をかぶっていた。顔を覆う兜のために顔ははっきりとは見えなかったろうが、兜についた孔雀の羽飾りから、ウトゥがユビュと思い込んだのはまちがいなかった。

 ウトゥは体をこわばらせた。ルバルガンダはブルーポールでユビュもろともバルマン師を打ち倒せと言ったが、ウトゥは悲痛な叫びをあげた。

「できない。ユビュには武器を向けないとウダヤ師に誓ったのだ。ここでバルマン師にブルーポールを向ければ、ユビュに当たってしまう。シャマシュ神への誓いを破ることはできない。」

 そのときだった。バルマン師が厳かに言った。

「わしには、師のナタラーヤ師より授かった武器ブラーマンがある。これは神の道を外れた者に対してだけ威力があると師が言われた神器だ。」

 この言葉を耳にするとルガルバンダは真っ青になった。

「ウトゥがやられる、ウトゥがやられる。」

と大声で叫び、我を忘れて一目散にウトゥに駆け寄り、ウトゥの戦車に飛び乗った。

 ルガルバンダは叫んだ。

「すぐに逃げるのです。」

 だが、ウトゥはなおも踏みとどまろうとした。

「わが手にはブルーポールがある。まさに千歳一隅の好機。ユビュさえ避ければ、バルマンを倒すことができるのだ。」

 ルガルバンダはウトゥの頬を思い切りひっぱたいて、叫んだ。

「目を覚ませ。宇宙に聖者ありと言われたバルマンが、聖者の中の聖者と崇められたナタラーヤ聖仙から授かった神器ですぞ。ヴァーサヴァのブルーポールなどがかなうわけがない。すぐに逃げるのです。」

 そして、ルガルバンダは戦車の向きを変えようと焦った。

 しかし、その瞬間、戦車の上で瞑想の姿勢を取ったバルマン師はブラーマンを呼び起こしていた。バルマン師は右手で空間を真っすぐに縦に割いた。

 宇宙のすべての時間が制止したかのような瞬間だった。そして戦場の荒々しい音の響きが一瞬すべて消え、とほうもない静寂の中でブラーマンはただまっすぐにウトゥをめがけて空間を切った。

 すべての戦士がかたずを飲んでウトゥの方へ振り返った。ブラーマンはうなりを上げて飛び、向きを変えようとする戦車の上のウトゥに突き当たった。ウトゥはどっと倒れ、宇宙の淵へ葬り去られたのだった。

 大地は激しく揺れ、青い空には稲光が走った。

「宇宙が正義を取り戻した。」

 そうバルマン師は宣言した。

 ルガルバンダは真っ青になり、戦車に残されたブルーポールを握り締めて戦場を離脱するのが精一杯だった。

 両軍が分かれると、ムチャリンダが現れ、怒りを込めて大声で罵った。

「なんというひきょうな策略を用いることか。神々の風上にもおけないとはこのことだ。ユビュには武器を向けないというウダヤとの約束がなければ、バルマン、おまえは、ユビュもろともウトゥのブルーポールで打ち倒されていたはず。きさまが、いかにブラーマンを持とうとも、そのブラーマンがうなりを上げる前に、ウトゥのブルーポールがきさまを倒していただろう。なのに、何という卑劣な行為。ユビュを盾に己を守り、愚かな約束を正直に守ったものがばかを見るとは。正義も何もない、心の腐れ切った輩だ。」

 ナユタ軍はばつが悪かったが、それでもカーシャパが言いかえした。

「そもそもヴァーサヴァを裏切ったウトゥの行為こそ断罪に処せられるべきではないか。ウトゥの行為は、宇宙の淵に葬られて当然の行為。そのウトゥをブルーポール欲しさゆえに味方に受け入れるムチャリンダこそ正義に顔を背けた行為というものだ。因果応報とはこのことだ。」

 だが、ムチャリンダは毅然として叫んだ。

「宇宙に聖者ありと言われたバルマン、ウダヤ、マーシュが示し合せた陰謀によってウトゥは倒された。彼らの聖者としての権威は地に落ちた。そのことを心に刻んでおくぞ。」

 

 自陣に戻ると、ムチャリンダは殺気立っていらいらし、当たりかまわずどなり散らした。

「聖者とは名ばかりの亡者どもめ。結託してウトゥを騙し討ちするなど、聖者と言われる者の所業とも思えぬ。この所業に対する応報は必ずやある。いや、あらしめて見せる。」

 こぶしを握り締めて叫ぶムチャリンダに、ヤンバーも顔を真っ赤にして応えた。

「こんな卑劣なやり方があるものか。この因果応報はおれが必ずあらしめて見せる。今から戦車を駆って、バルマンの首を取りに行きましょう。」

 言い終わるやヤンバーは兜を取って駆け出しかかった。

 だが、ルバルガンダは慌ててそれを押し止めて言った。

「怒りは真理を見抜くまなざしを奪い、正義の在りかを曇らせると言う。まことにウトゥ殿を倒した敵のやり方は卑劣千万。しかし、この卑劣な手段に卑劣さをもって応じてはならん。」

 沈痛な表情で控えていたイムテーベも後を受けて発言した。

「まことに、ウトゥ殿を倒した敵のやり方は卑劣。下衆の極みだ。また、我が軍としてもウトゥ殿を失ったのは痛恨の極み。だが、ウトゥ殿のブルーポールはルバルガンダ殿が確保しており、我らにはまだ三本のブルーポールがある。戦況はまだ一進一退、これからがほんとうの正念場だ。ルバルガンダ殿の言われる通り、卑劣な手段に卑劣さをもって応じるべきではない。我らは真理にのっとってこの戦いを進めておる。今回の卑劣な行為は、敵に正義のないことを証明した。敵の卑劣な行為を白日の下にさらし、多くの神々に真実を突き付けようではないか。我が軍の正しさを再認識し、我が方に移る神々も少なくないはずだ。」

 イムテーベの思慮深い言葉に、ヤンバーもようやく落ち着きを取り戻し、再び兜を置いて腰を下ろした。

 ルバルガンダが再び言った。

「イムテーベ殿のおっしゃるとおりだ。そして私はさらに次のことを申し上げたい。古来、真実の行為には美しい果実がもたらされ、真実に背く行為には必ずその報いがくると言う。聖者にもあるまじき卑劣な作戦をとったバルマンには、天の裁きを加えねばならん。ムチャリンダ殿。どうか、私に、呪いの儀式を行うことを命じていただきたい。必ずや、バルマンを地に落とす呪いを紡ぎ出してみせましょう。」

「いいだろう。ではそうしてくれ。それともう一つ。ウトゥのブルーポールはルガルバンダが受け継いでくれ。ウトゥの遺志を継いで欲しいというおれの意志だと思ってくれ。」

 ルガルバンダは頭を下げ、さっそく儀式の準備に取り掛かった。

 

 次の日、ルガルバンダは広場の中央に巨大な祭壇を築いた。

 日が暮れると、白い衣服に身を包んだルガルバンダが厳かに進み出た。ルガルバンダは、祭壇の前に大きな火を起こし、その回りには、ムチャリンダ、イムテーベ、ヤンバーをはじめ、神々が並んだ。

 ルガルバンダは前に出て祈りを捧げ、ウトゥを称え、ウトゥを悼む長い弔辞を述べた。それが終わると、ムチャリンダがバルマン師の非を並べたて、バルマン師を非難する怒りの朗誦を行った。

 バルマン師を非難するムチャリンダの朗唱は宇宙のすべての神々に届いた。多くの神がそれに同調し、ナユタ軍の中の少なからぬ神々さえ、この言葉に涙し、自分たちの行為のばつの悪さに顔を伏せた。

 さらにイムテーベとヤンバーが次々にウトゥを悼む弔辞を述べてバルマン師を非難すると、参列する神々の間からは激しい嗚咽が至るところから起こった。

 このように大きな怒りがその小さな空間に閉じ込められるとき、いかなる呪いでも生み出されずにはいないだろう。

 ルガルバンダが改めてバルマン師を非難する呪文を唱えると、これらは聖なる炎によって掻き回され、巨大な呪いに練り上げられていった。

 ルガルバンダは叫んだ。

「バルマンよ、もしおまえが再びブラーマンを使うなら、ブラーマンはおまえ自身に向かって飛び、おまえは人間界に生まれ落ちることになるだろう。」

 この呪いが有効であることを確認するかのように、炎はその瞬間に真っすぐ天にも届かんばかりに燃え上がった。

 ルガルバンダはその巨大な炎の柱の前にひれ伏し、ムチャリンダをはじめ並み居る神々も皆これに習ってひれ伏した。

 炎が収まったとき、ルガルバンダの前には十字の紋章の描かれた首飾りが置かれていた。

 ルガルバンダはそれをムチャリンダに捧げて言った。

「我らの望みは完全に達せられた。この護符をもつ者に向かってバルマンがブラーマンを使ったとき、我らの呪いは成就するでしょう。」

 そう言い残すとルガルバンダは祭儀の場から姿を消した。

 

 ナユタの陣営でも、ウトゥを討った行為を非難する声が上がっていた。ムチャリンダの非難はすべての神々の心をかきむしった。プシュパギリは皆の集まった前で演説した。

「このような恐ろしい騙し討ちが行われたことはこれまで聞いたことがない。下界でならいざ知らず、この神々の天界でこのようなことが行われるとは、神の威厳も地に落ちたものだ。カーシャパは確かに優れた戦略家だが、正義というものを踏みにじった。また賢者と呼ばれたウダヤ師がこのようなことを企てたとは、まことに宇宙も末だ。」

 カーシャパは最初、顔を伏せて聞いていたが、やがて立ち上がると反論した。

「プシュパギリ、ウトゥがいったい何をしたかもう一度よく思い起こせ。父ヴァーサヴァを裏切り、創造を破壊しようとする悪の神ムチャリンダに加担したのだぞ。これこそ神々の秩序を危機にさらす行為、どのようなことをしてでも懲罰せねばならなかったのだ。しかもヴァーサヴァはいかなる手段を用いてウトゥを葬ってもよいと宣言している。我らの行為を非難するのは本末転倒、ものの道理を最初からよく考えることこそ肝要だ。」

 シャルマはじっと虚空を睨んでいたが、沈痛な表情で言った。

「たしかに、カーシャパの論をすべて否定することは難しい。だが、それでもなお、本当に正しかったのかどうか、自分の胸に聞いてみても答えられない。確かに、ウトゥは討たれるべきだったが、何も、今回のような手段を用いずともよかったのではないか。正々堂々と倒すことだってできたのではないかという問いに答え得ないのだ。」

 ナユタはじっと聞き入っていたが、何も言わなかった。彼も、シシュナーガのことを聞かされていなかったことも含めて、今回のことを快く思っていないことが見て取れた。それを見て、バルマン師も、マーシュ師も反論を述べる勇気が出なかった。しかし、その様子を見ていたユビュはすっくと立ち上がって語り始めた。

「シシュナーガは私の姿を借りて戦場に出ました。たしかに、多くの方が非難しておられるように、問題のあるやり方だったかもしれません。しかし、もし、シシュナーガが出なければ、私自身がその場にいたのかもしれないのです。そのそも、すべての責任は、ヴァーサヴァの一家、そして、私にもあるのです。誰も、作戦を練ったカーシャパや、ましてウダヤ師やバルマン師を責めるべきではありません。私には、父ヴァーサヴァを裏切り、ムチャリンダに加担し、ついには父と母を森に追い落とし、姉シュリーを牢獄に捕らえたムチャリンダ勢に与したウトゥの行為は許しがたい行為としか言えません。いかなる手段をもってしても罰せねば、宇宙のダルマが涸れてしまうような危機を引き起こしたのです。それゆえにこそ、ウトゥはなんとしても倒さねばならなかったのです。もし非があるというなら、それはすべて私が背負いましょう。」

 これに言葉を返せる者は誰もいなかった。ユビュがこの行為にまったく加担していなかったことはすべての者が知っていたが、その責をすべて自分が背負おうというユビュの言葉にもはや誰もこれ以上非難の声を上げることはできなかった。

 こうしてウトゥを倒した方法についての論議は打ち切られた。だが、ムチャリンダ側に寝返った神も少なくなかったし、なによりも士気に大きな差が生じていた。怒りに燃え、復讐を誓ったムチャリンダ軍の士気の高さに比べ、ナユタ軍は多くの神々が良心の呵責を感じて士気が上がらなかった。

 

 ウトゥを弔う儀式を行った翌日、イムテーベは全軍を集めて改めてナユタ軍の卑劣さをなじって士気を鼓舞し、進軍を開始した。多くの者が怒りに駆られ、今までにも増して激しい勢いで突撃した。

 イムテーベは叫んだ。

「今日こそ、わが軍の真の力を天下に示すのだ。」

 イムテーベは尖鋭な攻撃陣を分厚く並べて、中央のシャルマ軍に対して激しい攻撃を仕掛けた。イムテーベのヒュドラがうなりを上げ、イムテーベ軍の戦車がシャルマ軍の戦車を次々に破壊した。

ナユタ軍は守勢に回らざるを得なかった。しかも、胸の内にわだかまりを残したままの部将も多く、動きが鈍かった。

 カーシャパもヤンバーに押されっぱなしで、敗色濃厚だった。怒りに燃えるヤンバーはいつにも増して獰猛と言っていいほどの激しさで襲い掛かり、カーシャパは巧みな戦術で軍を持ちこたえさせるのが精一杯だった。

 ただ、ウトゥの軍を引き継いだルガルバンダだけはうかつに動かず、バルマン師の軍と睨み合ったままだった。

そんな中、イムテーベが戦況を有利に展開し始めると、後方のムチャリンダ軍が一気に前面に押し出し、シャルマ軍に襲い掛かった。この動きにナユタも前線に打って出たが、シャルマの軍は完全に分断された。

 イムテーベはシャルマを打ち破って敗走させるとムチャリンダ軍とともに、ナユタの軍に激しく打ちかかった。イムテーベのヒュドラが激しくうなり、ナユタもマーヤデーバで対抗した。

 ナユタがマーヤデーバを振り回して突進するとイムテーベ軍の誰も防げなかったが、一方のイムテーベもヒュドラを使って暴れ回り、激しい乱戦となった。矢が飛び交って空を黒く染め、槍がぶつかる音、戦車の車輪のきしむ音が戦場を埋めた。

 そんな中、無敵の力を発揮したのはムチャリンダだった。破壊の神と言われたムチャリンダはその力をいかんなく発揮し、ムチャリンダの進むところ、破壊されないものは何もないほどであった。

 さすがのナユタもイムテーベとムチャリンダ双方からの攻撃に、完全な劣勢に立たされた。

 イムテーベはナユタの姿を認めると叫んだ。

「ナユタ、今日こそ決着だ。愚かな創造を守ろうとするおまえの愚かな行為も今日を最後に終わるだろう。」

 しかし、ナユタも多くのイムテーベ軍と対して、臆することなく叫んだ。

「おまえたちこそ、宇宙の平和を荒し、暴虐の限りを尽くしているではないか。必ずや正義はこのブルーポールに輝くだろう。」

 そう叫ぶとナユタはブルーポールを高々と掲げた。真っ青な閃光が眩いばかりに戦場を走った。それを見ると、イムテーベもブルーポールを掲げた。戦場を走る二条の青い光に多くの神が息を呑んだ。いよいよ決戦だった。

 イムテーベがブルーポールを大きく振り、それを合図に激しく無数の矢がナユタ軍の戦車に向かって浴びせかけられた。ブルーポールで振り払っても振り払っても浴びせかけられる矢が途切れることはなく、ついにナユタは完全に孤立していた。

 その時だった。激しい矢の雨がイムテーベ軍に向かって浴びせかけられた。激戦の興奮を冷ますかのように冷たい風がさっと吹き抜け、戦場の空気が一変した。

 現れたのはシャルマとプシュパギリの軍だった。一度は戦場を離脱したシャルマ軍が軍を立て直して駆けつけたのだった。プシュパギリは銀の大弓を引き絞り、その弓から放たれる矢は轟音を発して次々とイムテーベ軍を倒していった。

 イムテーベは

「おのれ、プシュパギリめ。もう一息だったのに。」

と歯軋りし、

「ひるむな。プシュパギリもろとも葬り去れ。」

と激しく叱咤した。

 激しい戦いが繰り広げられる中、ナユタに駆け寄ったのはプシュパギリだった。

「ナユタ、無事か。ここはおれに任せろ。」

「プシュパギリ、感謝するぞ。昨日のウトゥの件で、我が軍を見捨てたかと思ったぞ。」

「何を言われるか。確かに、昨日のことにはなお疑義を残しているが、それと大局のことは別問題。ムチャリンダを討たねばならないという大義は死んではいないはず。」

 そう言うとプシュパギリは自軍の中にナユタを収容し、全軍でイムテーベと対した。激しい矢の雨が両軍から射掛けられ、空は矢の雨で真っ黒になるほどであった。

 このシャルマとプシュパギリの奮戦で戦況は互角に持ち直した。しかし、この戦いでシャルマ軍は大きな損害を受け、シャルマ自身も傷ついた。

 シャルマはイムテーベ軍の激しい攻撃をなんとかかわし、ようやくのことで帰還したが、戦車はぼろぼろになり、軍旗は折れ、盾は矢や槍を受けてひびが入っていた。

 

2014年掲載 / 最新改訂版:20211121日)


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向殿充浩 (こうでんみつひろ) / 神話『ブルーポールズ』第1巻