向殿充浩のホームページ


トップ  お知らせ・トピックス  自己紹介・経歴  作品  技術者として活動・経歴  写真集  お問い合わせ先  その他


神話『ブルーポールズ』

【第1巻】-                                                  

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

 

 いよいよ最後の決戦が始まるという緊張が全宇宙に走った。しかもその戦いは創造の是非をめぐる戦いであり、神々の会議の主催者としてのヴァーサヴァの威信と、破壊の神としてのムチャリンダの存在意義を賭けた戦いでもあった。

 こわばった沈黙が乾いた風と共に大地を闊歩し、弱々しい星の光が夜の大気の中に拡散した。

 マーシュ師の館でも、決戦の行方を注視していた。ナユタは言った。

「いよいよ決戦です。大地が狂気の口を真っ赤に開け、いまにも存在者たちの蒼ざめた声を飲み込もうとしています。私たちはどうすればよいのでしょう。ここでただ傍観していていいものかどうか。」

 答えたのはマーシュ師だった。

「この戦いは途方もない戦いだ。そして、この戦いの結果は宇宙の根幹を揺るがし、歴史の流れを変えることになるだろう。そして、この戦いの結果だが、それはナユタ、おまえも分かっていよう。」

 ナユタが黙ってうなずくのを見て、そばにいたユビュは不安な表情で尋ねた。

「それはどういうことですか?どうして戦いの結果が分かっているのですか?」

 マーシュ師は静かに、そして諭すように語った。

「ユビュ、おまえにはなかなか戦さのことは分からないだろうが、この戦いの趨勢は既に決している。破壊の神ムチャリンダはそもそもとてつもなく強大で、しかもムチャリンダのもとにはイムテーベやルガルバンダ、ヤンバーなどのつわものどもがはせ参じている。さらにはウトゥまでヴァーサヴァを裏切ってムチャリンダに加担している。いかにヴァーサヴァが神々の会議の主催者とはいえ、ムチャリンダの前には屈するほかないだろう。城砦に籠って持久戦に持ち込み、天下の形勢の変化を粘り強く待つなら道はあったかもしれぬが、ヴァーサヴァは決戦を選んだ。城砦に籠ったままでは神々の主催者としての立場と権威を保持できないと考えたのだろうが、決戦となれば、勝敗は誰の目にも明らかだ。」

「でも、それでは両親や姉のシュリーはどうなるのでしょう。」

 ユビュの声は悲痛だった。だが、マーシュ師は淡々と続けた。

「たしかに父母や姉のことは気になろう。だが、ユビュ、今となってはいかんともしがたい。我ら神々にあってもすべてを望みどおりにするのは至難のこと。運命を受け入れ、生起することをただ待つよりほかない場合もある。幸福な時は終わり、世界は若さを失ったのだ。恐るべき時代が足音を立てて、すぐそこまでやって来ている。残念だがそういうことだ。だが、我々としても、この事態をただ傍観しているだけではすまぬ。」

 そう言って、マーシュ師はナユタの方を向いて話を続けた。

「ナユタ。サビヤとウジャスの兄弟を連れて、ヴァーサヴァの館に行ってくれぬか。勝敗の帰趨が仮に明らかとしても、ヴァーサヴァやシュリー、さらにはバルマン師をそのままにして良いわけではない。サビヤとウジャスの兄弟はかつてヴァーサヴァがアシュラを滅ぼした際、アシュラの元から救い出した者たちだ。きっと役に立つだろう。」

 そう言うと、マーシュ師はサビヤとウジャスの兄弟を呼びにやらせた。ふたりがやって来ると、ユビュは涙ながらに頼んだ。

「凶兆が広漠たる宇宙の浜辺に打ち寄せ、大地の悲鳴があらゆる時間に楔を打ち込もうとしています。この世界にはなんと多くの悲しみが溢れていることでしょう。今、神々は狂気に駆り立てられるかのように決戦に突き進み、神々の父であるヴァーサヴァはムチャリンダの前に苦境に立たされています。私たちに何ができるか、そしておまえたちが行って何ができるかは分かりません。でも、私にとっては大事な父母であり、大事な姉。どうかよろしくお願いします。」

 このユビュの涙ながらの頼みに、サビヤは声を詰まらせながら答えた。

「ユビュ様、私たちふたりは長い間、アシュラの元で奴隷として使われていました。アシュラの横暴の数々は今思い出しても背筋が寒くなります。その我らを救い、自由の身にしてくださったヴァーサヴァ様への感謝を忘れたことは一日としてありません。できる限りのことはいたします。」

 マーシュ師は、ナユタに語った。

「わしにはバルマン師のことも気掛かりだ。バルマン師にはまだまだ我らのためにやってもらわねばならぬことも多い。ここで、ムチャリンダの軍に捕らえられて宇宙の牢獄に繋がれたり、あるいは闇の中に葬られてよいわけではない。くれぐれもよろしく頼む。」

 ナユタはうなずいて答えた。

「バルマン師は私の敬愛する賢者のひとり。今回も、私の元へユビュを遣わしていただき、ブルーポールを手に入れる手助けをしてくださいました。何としてもお救いしなくてはなりません。」

 こうして、ナユタはサビヤ、ウジャスとともに旅立った。

 サビヤとウジャスは、バルマン師を介してヴァーサヴァの城に入った。ヴァーサヴァはおおいに喜び、

「おお、そなたたちまで駆けつけてくれたか。ありがたい。」

と言って、ヴァーサヴァの側に控えていることを許した。サビヤとウジャスはさっそく秘密の通路を聞き出し、いざという時のための手筈を整えたのだった。

 

 数日後、ついに、ヴァーサヴァの館での決戦が始まった。怒りを含んだ大気が大地に覆いかぶさり、夜明けとともに、重い鎧に身を包んだ両軍の兵士たちが戦列を組んで進軍した。両軍から沸き起こる楽器の音は天地にこだまし、馬のいななき、戦士たちの鬨の声が怒涛の響きとなって戦場を覆った。

 ヴァーサヴァ軍は、中央のシュリーがイムテーベに対峙し、右翼のバルマン師がルガルバンダに補佐されたウトゥと向かい合い、左翼のライリーはヤンバーの軍に向かい合った。

 ヴァーサヴァ軍はわずかの兵を城に残しただけの総動員で、ほぼ全兵力を前線に配置した。まさに背水の陣であった。

 両軍が戦いの前の緊張に包まれて静まりかえる中、華麗な鎧兜に身を包んだシュリーは朝の光の中にブルーポールを掲げ、よく通る声で宣言した。

「この戦いはかつてない聖戦。創造に対してこれほど卑劣な挑戦がなされたことはかつてなかった。神々の会議の主催者であるヴァーサヴァが、正義と大義に則って開始した創造を砕こうとする異端の神々よ、今日、この戦場で、その悪行は成敗され、大地に再び正義の鐘が響き渡るであろう。この戦いは我が守護神アルテミスが嘉し、その正義がこのブルーポールに限りない力を注ぎ込む。トヴァシュトリ神の神器ヴァジュラも正義に道を開くだろう。正義は我にある。そして、正義は必ず勝利を成就するのだ。」

 この言葉はヴァーサヴァ軍の兵士たちに無限とも言える勇気を吹き込んだが、イムテーベはシュリーの宣言を聞くと、自ら戦車を全軍の前に進め、重々しい声で叫んだ。

「この戦いは、我らにとってこそ聖戦である。浅はかな思想に基づいて始められた創造は悲惨な結果を引き起こし、様々な限界を露呈している。大地の慟哭を聞くがいい。この創造に心を引きつらせ、軋んだ音を奏で続ける石たちの声に耳を傾けるがいい。大気は怒りに満ちている。我らは愚かな創造を誅し、この宇宙に真理を打ち立てるべく兵を起こした。その正義こそ今日この大地に刻印されるだろう。」

 このイムテーベの宣言に呼応して、ムチャリンダ軍の兵士たちが一斉に刀で盾を叩いた。その響きはまるでこの大地から全宇宙に向かって発せられたかのごとき力強さであった。

 イムテーベが全軍に号令を発した。イムテーベ軍の戦車が一斉に走り始め、怒涛の攻撃が始まった。右翼のヤンバーはライリー軍に突撃し、左翼のウトゥ軍もバルマン軍への攻撃を開始した。

 無数の弓弦の響き、大地を揺るがす馬の蹄の音、戦車の立てる雷鳴さながらの轟音、激突する武器の響き、戦士たちの雄叫びが戦場を覆った。髪毛を逆立てるほどの壮絶な響きが天地を包み込み、濛々たる砂塵の中、矢の雨が空を埋めた。

 右翼のヤンバーは戦車部隊を先頭に一気にライリー軍に押し寄せた。その勢いは、どんな岩をも突き崩す激流さながらだった。しかし、ライリーは冷静だった。これまでの経験を生かし、勇む味方を制すると、

「けっして引いてはならん。踏みとどまり、耐えるのだ。」

と叫び、盾を連ねた分厚い防御陣でライリー軍の勢いを防いだ。この作戦は功を奏した。ライリー軍はヤンバー軍の戦車隊を分断し、個別に取り囲んでは倒していった。

 ヤンバー軍の先陣を切った戦車隊は撃退された。それを見たヤンバーは歯ぎしりしたが、こんなことでひるむヤンバーではない。

 猛将ヤンバーは歩兵部隊を投入した。寄せ手を十重二十重に並べ、軍旗をはためかし、大軍を渦巻かせた重厚な攻めでライリー軍を攻略しようとするヤンバー軍の圧力は凄まじかった。ライリーも必死に奮戦したが、じりじりとヤンバー軍に押される展開の中、必死で戦列を維持するのが精いっぱいだった。

 一方、左翼のウトゥは太陽を仰いで守護神シャマシュに祈りを捧げると、ブルーポールを掲げてバルマン軍への攻撃を開始した。しかし、バルマン軍の勢いもすさまじかった。もはや後のない戦い、そして、創造を守るための最後の決戦という思いが、バルマン軍の士気をいやがおうでも高め、そこにバルマン師の決死の覚悟が加わって、とてつもない圧力でウトゥ軍を押し返した。しかも戦いに長けたバルマン師は陣形を巧みに変えながらウトゥ軍の急所を突き崩し、次第にウトゥ軍を切り崩していった。

 混戦の中、戦場でウトゥを認めると、バルマン師は叫んだ。

「愚かなことよ。創造を司る神々を裏切り、父と母に背き、さらには創造を破壊しようとするムチャリンダに組みし、今は師であるわしにまで弓を引こうとしている。神の道にももとる行為と言わねばなるまい。恥ずかしげもなくこうして戦いを臨むとは恥知らずの極致よな。」

 この言葉に、ウトゥは顔を真っ赤にして怒りのまなざしを向けたが、ウトゥのそばからルガルバンダが臆することなく答えた。

「バルマン殿ともあろうお方が、何と愚かな世迷い言を言うことか。ウトゥ殿は正義を貫こうという崇高な理想に燃えておられるだけ。まさにウトゥ殿の守護神シャマシュが指し示す真実の道を歩こうとしておられる。父に弓引くのはつらいが、父が正義から足を踏み外している以上これもやむなきこと。バルマン殿こそ、正義の道から外れたヴァーサヴァのために戦うという愚を冒すことなく、この愚かな戦いから身を引き、隠居して過ごされるがよい。」

「シャマシュ神はすべてを照らしながら正確な軌跡で天空を横切る正義の神。いかに、ウトゥがシャマシュ神を奉じようとも、シャマシュがウトゥの行為を嘉するなどということはありうるはずがない。」

 そう叫び返すと、バルマン師はさらに激しい攻勢を仕掛けた。バルマン師の適切な戦法にルガルバンダは歯軋りしたが、ウトゥを励まして言った。

「決して引いてはなりません。我慢して持ちこたえれば、必ず、イムテーベがシュリーを打ち破ります。」

 ルガルバンダは戦場を駆け巡って戦線を立て直し、ウトゥもブルーポールを片手に奮戦した。戦況はバルマン軍優勢のうちに推移したが、ウトゥ軍も死に物狂いで防戦に努めた。

 両軍の戦いの中での最大の激戦はイムテーベとシュリーの戦いだった。イムテーベが神器ヒュドラを駆使して獅子奮迅の働きをすれば、シュリーもブルーポールとヴァジュラで激しく応戦する。

 戦車が入り乱れ、戦場にはもうもうと土煙が上がり、上空にははげたかが舞い、地上には槍、剣、盾のぶつかりあうすさまじい音が渦巻いた。

 シュリーがブルーポールとヴァジュラをかざして次々に敵をなぎ倒してゆくと、イムテーベの軍勢はブルーポールの出現に恐れをなし、混乱を極めたが、イムテーベは冷静にヒュドラで対抗する。しかし、決死の覚悟のシュリーの捨て身とも言っていいまでの激しい攻勢に、兵力でまさるイムテーベもたじたじであった。このままでは勝機が見出せないと見たイムテーベはサヌートに向かって叫んだ。

「ヴァジュラだけならともかく、ブルーポールが向こうにある以上、こちらもブルーポールで対抗するか、あるいはブルーポール以上の武器がなくてはならぬ。このままでは勝機は見出せぬ。サヌート、すぐにムチャリンダの所へ飛んでくれ。そして、ムチャリンダに戦況を説明し、ブルーポールを授けてくださるようお願いしてくれ。ブルーポールなくしては、シュリーを打ち破ることはもちろん、シュリーの攻撃を防ぐことも不可能だと申し上げろ。」

 サヌートはすぐさま飛び立って、一目散にムチャリンダの本陣に向かった。

 そのころムチャリンダの本陣では、ルガルバンダとウトゥの劣勢が伝えられ、重苦しい空気が流れていた。ウトゥとルガルバンダはバルマン師の前に受身の態勢を余儀なくされ、ムチャリンダの本陣近くまで後退していた。

 ルガルバンダからの使者は必死の形相で訴えた。

「このままでは、ウトゥの軍はバルマンに打ち破られ、バルマン軍はここに攻め寄せて来ます。今すぐ、ご出陣を。ムチャリンダ殿の出陣なくしてはとても勝機は望めませぬ。」

 ムチャリンダが出陣の合図を出そうとしたまさにその時、サヌートが舞い降りてきた。サヌートがイムテーベの依頼を伝えると、ムチャリンダは目を吊り上げて天を睨み、まなじりを決して言った。

「サヌート、ブルーポールを授けよう。これによってシュリーを倒すのだ。シュリーさえ倒せば、ヴァーサヴァの城塞へ一気になだれ込める。勝敗の帰趨はシュリーとイムテーベの戦いにかかっている。」

 これにはルガルバンダからの使者が気色ばんで異を唱えた。

「バルマンは今にもここへ攻め寄せて来ますぞ。ここは本陣。ムチャリンダ殿とウトゥ殿の二本のブルーポールでバルマンを破り、形勢を逆転させるのが先決です。」

 しかし、ムチャリンダは動じなかった。

「バルマンはウトゥを打ち破っていい気になり、ここへ攻め寄せて来ようとしている。彼はここに攻め寄せてわしを倒せば勝利を得られると踏んでいるのだろうが、作戦としてはこれは下策。仮にわしの軍を打ち破ったとしても、イムテーベがシュリーを破って、ヴァーサヴァの城塞になだれ込めば、勝敗は決する。彼にとっては、シュリーの軍と合体し、イムテーベからの攻撃を防ぎ、城を守ることこそ上策。しかも、このムチャリンダ、そうそうバルマンごときに倒されるものではない。しかもわしには、闇を支配したヴィカルナ聖仙の元での百億年にも渡る修行によって聖仙から授かった神器ジャイバがある。この武器は敵自身を倒すことはできぬが、敵の武器に対しては決定的な威力を持っている。ナタラーヤ聖仙が授けたバルマンのブラーマンだとてジャイバを打ち破れないことはこの前の戦いで明らかとなったとおりだ。さあ、サヌート、ブルーポールを携えて飛べ。そして、我らが至高の勇者イムテーベにブルーポールを授けるのだ。彼はきっと朗報をもたらすだろう。」

 そう言うとムチャリンダは、ブルーポールを取り出してサヌートに授けた。サヌートはすぐさま飛び立ち、一目散にイムテーベのもとへと空を駆けた。

 バルマン師はムチャリンダの軍に激しく迫った。しかし、ムチャリンダは守りを固め、容易には崩れない。バルマン師は戦車を縦横無尽に走らせ、ムチャリンダの軍勢を蹂躙しようとするが、ムチャリンダ軍も、ムチャリンダの適確な指揮のもと、バルマン師の軍勢を分断し、攻撃力を弱める。バルマン師は攻撃が思うように行かないのを見て取ると、軍を再び一つにまとめ中央突破を試みるが、ムチャリンダもジャイバによって防ぎ、戦況は一進一退を繰り返した。

 一方、サヌートはバルマン師とムチャリンダの激闘を飛び越え、イムテーベの元にたどり着いた。サヌートは興奮して叫んだ。

「イムテーベ、ブルーポールです。これで我らも勇気百倍。一気にシュリーを倒しましょう。」

 そう言うと、青く輝くブルーポールをイムテーベの手に渡した。イムテーベはそれを受け取ると、その重みを楽しみながら言った。

「まさしく、ブルーポールの威力を感じる。こうして支えているだけで、勇気が心の中に滔々と流れ込み、心がみるみるうちに浄化されてゆく。さあ、正義をこの大地の上に具現する戦いだ。目標の達成まであと一歩。さあ、行くぞ。」

 そう叫んで戦車に飛び乗ると、ブルーポールをかざして真っ先に突撃した。

 これが戦いの潮目であった。勢いを取り戻したイムテーベ軍は至る所で、シュリーの軍勢を破った。イムテーベはブルーポールをかざして戦場を席捲し、しばしばシュリーに肉薄した。

 シュリーも声を嗄らして味方を鼓舞し、ブルーポールを握り締めて必死の形相で戦った。シュリーのブルーポールとイムテーベのブルーポールが放つ二条の青い閃光が幾度ともなく戦場に交錯し、いつ果てるともない一進一退の乱戦が続いたが、形成は次第にイムテーベに傾いていった。

 しかし、イムテーベは決してシュリーの軍団を正面から撃破することだけを狙っていたのではなかった。イムテーベは戦局を冷静に分析していた。戦局が自軍に有利に展開し始めると、イムテーベは信頼する部将のバルカに三分の二の兵を預けて、ブルーポールを振り回して反撃するシュリーをできるだけ足止めさせた。そしてイムテーベ自身は三分の一ほどの兵を率いて混乱した戦場の中でシュリー軍の断点に向けて一気に突撃したのだった。

 鬼神イムテーベの勢いは凄まじかった。イムテーベのブルーポールが放つ青い発光は渦巻く大気を切り裂き、イムテーベ軍の兵士たちに道を開いた。戦況は一気に流動化し、イムテーベ軍はシュリー軍の断点を一気に切り崩した。

 イムテーベはシュリー軍を突破するとヴァーサヴァの城塞へとひた走った。

 これに気づいたシュリーは軍を反転させようとしたが、智将として名高いバルカは巧みに軍を動かしてシュリー軍の動きを封じた。

 イムテーベは城門にたどり着き、そしてブルーポールを高々と掲げた。それは青い空に燦然と輝き、両軍のすべての者がその光を目にした。シュリーは驚愕し、バルマン師もその光を見て愕然とした。

 城を守るわずかな兵力では、迫りくるイムテーベの軍勢の前になすすべはなかった。破城槌こそなかったが、イムテーベ軍は多数の火矢を打ち込んで城内を混乱させ、さらに兵士たちが先に鍵の付いた鎖を城壁に投げ上げ、鎖を伝ってするすると登っていった。イムテーベは城壁を越えるための梯子も周到に準備していた。先頭を切った兵士たちが城壁を乗り越えて敵の弓兵を排除すると、イムテーベ軍の兵士は次々と城壁を乗り越え、青銅の城門を内側から開くと、イムテーベの軍は一気に城内になだれ込んだ。

 イムテーベが城壁にムチャリンダの旗を立て、勝利を宣言したのはその直後のことであった。

 ヴァーサヴァ軍はこれによって混乱に陥った。ヤンバー軍の勢いをなんとか食い止めていたライリー軍にも急速に狼狽が走った。ライリーも城に引き返そうとしたが、戦列は混乱するばかりであった。また、シュリーも父母を救うべく必死に戦ったが、戦場は大混乱で思うように進めない。ようやくバルカからの攻撃をかわして城壁の近くにたどり着いたとき、城からはイムテーベが再びブルーポールをかかげて打って出て来た。

 イムテーベの姿を見るや、シュリーは目を逆立て、ブルーポールをかざして、イムテーベ目がけて真っすぐに戦車を走らせた。イムテーベは叫んだ。

「これぞ、千才一隅の好機。いまシュリーは我を忘れて向かって来ている。彼女を倒すのは今をおいて外にない。」

 イムテーベは自分の前に味方の厚い防御盾を並べさせた。イムテーベの部下たちは戦車を走らせて、シュリーと渡り合った。しかしブルーポールを振りかざすシュリーの勢いはすさまじく、誰もまともには立ち向かえない。だが、シュリーはもはや冷静さを欠いていた。城に戻らねばという焦りに、倒しても倒しても次々に行く手に立ちはだかってくるイムテーベ軍の執拗さが加わり、シュリーの焦りは頂点に達していた。

 彼女は目を真っ赤に血走らせ、髪を逆立てて奮戦したが、目に入るのはもはや目の前の敵だけだった。

 その様子を見ていたイムテーベは冷静にサヌートに指示した。

「シュリーは焦り、心をかき乱し、目の前の敵と渡り合うことのほかには何ものにも心を払っていない。おまえが上空から舞い降りればブルーポールはいともたやすく奪うことができるだろう。ブルーポールさえ奪えば、シュリーはもはや鬼神ではなく、ただの狂気に走る暴れ者にすぎなくなる。」

 サヌートはすぐに上空に舞い上がった。上空から見ると、混乱して目標を失ったかのように戦車を走らせるシュリーの姿が手に取るように見て取れた。

「哀れなものよ。これが、ヴァーサヴァの長女にして、宇宙でもっとも美麗な軍神と謳われたシュリーのなれのはてか。」

 そうつぶやくと、サヌートはシュリー目がけて真っ逆さまに急降下した。おりしもシュリーはブルーポールをかざして戦いに没頭していて、頭上から舞い降りて来るサヌートの姿にはまったく気づかなかった。もはやシュリーは戦いのすべてを知る軍神ではなく、ただの暴れ者に成り下がっていたのだ。

 サヌートは急降下すると、いともあっさりブルーポールを奪った。シュリーが「あっ。」と声を上げたときには、もはやサヌートはブルーポールを抱えて上空に舞い上がっていた。

 シュリーは目をつり上げて怒り、ヴァジュラをかざして叫んだ。

「まだ、ヴァジュラがある。このヴァジュラがある限り負けはしない。」

 そのシュリーの前に立ったのはイムテーベだった。

「そんな過去の遺物の神器にいかなる力があるというのか。もはや勝負は決した。おとなしく武器を捨てるが良い。」

 そう叫んだイムテーベに対して、シュリーは渾身の力を込めてヴァジュラを放った。だが、ヴァジュラから放たれた稲妻はいとも簡単にイムテーベのブルーポールによってたたき落とされた。創世の神トヴァシュトリの神器ヴァジュラを撥ね返されたシュリーにはもはやなすすべがなかった。シュリーはイムテーベに捕らえられ、勝敗は完全に決したのだった。

 

 一方、ナユタも傍観していたわけではなかった。ナユタは野に立つ大木の上から戦況を眺めていたが、バルマン師がウトゥを破って深追いしてゆくあたりから危険を察知していた。

「危険な作戦だ。バルマン師とシュリーの戦列にずれが生じ始めている。もしもイムテーベがシュリーを打ち破ったら大変なことになる。」

 ナユタはそうつぶやいて心配し、万が一に備えた。

 城ではサビヤとウジャスが緊張して待機していた。そしてついにイムテーベが城門を破ると、サビヤとウジャスはヴァーサヴァとランビニーに語った。

「今にもイムテーベの兵士がここに来ます。これを着てください。すぐに逃げるのです。」

 そう言って、サビヤとウジャスはふたりに黒いマントを着せ、中庭を通り、誰にも気づかれず、秘密の通路に導いた。その通路は、城の下を通り、森の隠れ家へと通じていた。

 一方、ナユタはバルマン師の姿を追っていた。城にイムテーベの旗が揚がったとき、バルマン師は動揺し、ムチャリンダへの攻撃を止め、引き返しにかかった。しかし、そのとき、ムチャリンダはルガルバンダとウトゥに総攻撃を命じ、バルマン師の軍は浮足立った。

 士気は明らかに衰えていた。バルマン師の軍が算を乱し、ルガルバンダとウトゥに蹂躙され始めたのを目にすると、ナユタは単身戦車に乗り、バルマン師の救援に駆けつけた。

 ナユタはバルマン師の戦車に近づくと、バルマン師の戦車に飛び乗った。

「おお、ナユタか。どうしてここに。」

「今はそんなことを言っている場合ではありません。」

 そう言うと、ナユタは御者に代って手綱を握り、戦車を走らせた。

「バルマン様。無念ではありましょうが、ここは戦場を離脱しましょう。この戦いはもはや決しております。」

「だが、城にはヴァーサヴァやランビニーが残っているし、シュリーやライリーも戦っている。どうして自分だけ離脱できようか。」

「サビヤとウジャスを信じましょう。きっと何とかしてくれているはずです。ともかくここを離脱してマーシュ師の元へ参りましょう。」

 そう言うと、ナユタはなおも迷うバルマン師を乗せたまま、一目散に戦車を走らせ、戦場を離脱したのだった。

 ムチャリンダ軍はシュリーを捕らえたが、その後、城内をくまなく捜した。しかし、サビヤとウジャスがヴァーサヴァとランビニーを連れ出してしまった後で、ふたりを発見することはできなかった。

 また、創造の火は、この日がくることを前もって察知していたバルマン師が密かに隠し、運び出す手筈を整えていた。バルマン師は弟子のシェバに秘密の隠し場所を教え、いざというときの抜け道を教えていた。イムテーベが城内になだれ込んだとき、シェバは一目散に秘密の場所に走り、創造の火をもって秘密の抜け道を通って脱出したのだった。

 ムチャリンダはヴァーサヴァとランビニーが森に逃れたことを知ると、むしろ安堵した。

「ヴァーサヴァとランビニーは捕らえるとあとが厄介だからな。自ら森へ逃れたとあれば、それでよかろう。いかなる者といえども森の中では自由であり、これを捕らえたり、この者から奪ったりはできぬが、森にいる以上、いかなる力も発揮できぬ。ヴァーサヴァはこれからはただ静かに砂を食むような広漠たる時間を見守るだけになろう。」

 ルガルバンダは創造の火のことを気にかけていた。

「創造の火を奪わねば、今回の戦いの意味が半減しよう。まだ見つからぬのか。」

 それに答えたのはちょうど戦場から戻ったイムテーベだった。

「ルガルバンダ、創造の火のことはあまり期待するな。我らも城中をくまなく捜し尽くしたが、どこにも痕跡すらなかった。おそらく、思慮深いバルマンのことだ。手立てを考えていたのであろう。」

「だが、イムテーベ。創造の火を奪い、その火を消して初めて真の勝利となる。その火が奪えねば、今回のこの苦労した戦いも、道半ばどころか、ほんの半歩の前進にもなるまい。」

「それはそうだが、あるべき姿を性急に求め過ぎるべきではないだろう。おれは今回の戦いを最後の決戦などとは夢にも思っていない。今回は、ただ、シュリーとヴァーサヴァを打ち破っただけ。まだ、ナユタがいるし、ブルーポールも四本残っている。バルマンも脱出したし、マーシュもユビュもいる。創造の火も、きっとバルマンの元へ帰るだろう。我らの戦いは、まさに始まったばかり。世界に真の正義を具現するのに、一度や二度の勝利で事が済むはずがない。」

 ムチャリンダも言った。

「その通りだ。我らはこれからも結束し、次の戦いに備えねばならぬ。だが、ヴァーサヴァが祀るトヴァシュトリ神の祭壇を砕いた今回の戦いは、まさに、宇宙に大きな時代の変転を告げる戦いとなった。そして、その第一の功労者はイムテーベだ。ルガルバンダ、勝利の祝典を用意してくれぬか。スーリヤ神を祀る祭壇を設け、功労者たちを称える偉大な詩を朗誦してくれ。」

 

 こうしてヴァーサヴァの館での戦いは終わった。

「ナユタ、この世界ではあやふやなものが、奇妙な形をした何ものでもないものたちによって導かれている。ジャッカルの遠吠えが聞こえ、地の底からは顔を歪めた存在者たちの声が押し寄せている。夢が夢を食い荒らす渺漠たる荒野そのものだ。」

 そうつぶやくバルマン師を乗せて、ナユタは黙って走り続けた。

「わしには瞑想するルガルバンダの姿が見える。沈黙の世界に祈りを捧げ、世界を打ち壊す時を舞う求道者そのものだ。踏破を試み、静止した瞬間を積み重ねた音楽を葬送の原野で刈り取る者たちの姿だ。我々より彼らの方が純粋だった。」

 そうつぶやくバルマン師にナユタは答えた。

「バルマン様。戦いはまだ終わってはいません。ルガルバンダは思慮深く見えますが、言葉を巧みに操る策士にすぎません。創造と世界とはただ打ち壊せば足りるものではありません。創造は創造された者たち自身の手で、新たに成長し、新たに生まれ変わらなければなりません。戦いは始まったばかりなのです。創造の原野では一切が新たに生まれ直し、一切が虚空の中を舞いながら究極の一なるものに突き当たろうとします。一切の存在は光りながら己の核心に向かって飛び立つのです。」

「おお、ナユタ、そのとおりだ。おまえがいてわしはうれしい。だが、わしは落胆し、心に光明を失っている。心が弾力を失い、ブラーマンを呼び起こす気力さえない。」

「バルマン様。少しお眠りください。柔らかな眠りは再び心に光を灯すもの。明日の朝には、マーシュ師の館に到着します。それまでお眠りください。」

 こうしてナユタはバルマン師を乗せてマーシュ師の館に向かった。マーシュの館では、ウダヤ師も駆けつけ、ユビュともどもみな夜を徹して待っていた。朝になって、ナユタがバルマン師を伴って帰還すると、みんなが駆け寄って出迎えた。

「おお、バルマン殿、お疲れであろう。ナユタ、ご苦労だったな。」

 そう言ってマーシュ師は温かく迎えた。ウダヤ師も声をかけた。

「バルマン殿。この度の戦いのことは我らも伝え聞いておる。だが、落胆なさるな。まだ、ナユタもユビュもいる。それに、マーシュ師もわしもできる限りのことはしよう。ともかくは無事にたどり着かれてなによりだった。まずは、ゆっくりと汗を流し、戦いの疲れを癒やされよ。」

 バルマン師は、目がしらを熱くして頭を下げたが、ユビュと目が合うと語りかけた。

「ユビュ、すまなかった。だが、おまえの元気な姿を見て、わしはうれしい。これからはおまえとナユタの時代だ。」

 ユビュは心配そうに聞き返した。

「ところで、バルマン様、創造の火はどうなったのでしょう。また、両親はどうなったのでしょう。」

 バルマン師は首を左右に振り、表情を暗くして答えた。

「残念だが、はっきりしたことは分からん。ただ、創造の火はシェバという者に託してある。首尾よくいっていれば、ここに運んで来るだろう。また、ヴァーサヴァとランビニーのことはマーシュ師が送ってくださったサビヤとウジャスがなんとかしてくれると信じている。今はそれだけしか言えん。事がうまく運んでいることを祈るだけだ。」

 マーシュ師が改めて、

「バルマン殿、お疲れであろう。ともかく中に入って休まれよ。」

と言ってバルマン師を中に招き入れたが、その後ろ姿はやつれ、気落ちし、寂しげだった。

 午後になると、シェバが創造の火をもってやって来た。シェバは首尾よくイムテーベ軍の目をくらまして秘密の通路から創造の火を運び出したことを報告した。創造の火がマーシュ師の館に運び込まれ、厳重に守られた一室に安置されるとみんな胸をなでおろした。

 さらに、夕方になるとウジャスがやって来て、ヴァーサヴァらの情報をもたらした。

「ヴァーサヴァ様とランビニー様は、兄サビヤが秘密の通路からお連れし、今、森の中に潜んでおられます。また、ライリーも森に参っております。ただ、残念ながら、シュリー様はムチャリンダの軍に捕らえられ、ブルーポールも奪われました。」

 この言葉を聞くと、

「シュリー姉さんがムチャリンダに。」

とユビュは絶句した。

 ウジャスは続けて言った。

「シュリー様は最後まで戦車を駆け、剣を振りかざして戦われたとのことですが、最後は、矢も尽き、剣も折れ、戦車も破壊されて、髪を振り乱し、無数の傷から出た血と砂にまみれて捕えられたとのことでした。ライリーはなんとか森のヴァーサヴァ様の元へ参りましたが、目は血走り、顔は土まみれになり、旗はぼろぼろに破れておりました。」

 マーシュ師は深くうなずき、

「そうか、ほんとうにご苦労だったな。」

と声をかけたが、その後の言葉が続かなかった。

 ウジャスは頭を下げて訴えた。

「マーシュ様。ここに、ヴァーサヴァ様とランビニー様をお連れしてはいけないでしょうか?森の生活はあまりにも不便です。敗れたとはいえ、神々の会議を主催してこられたヴァーサヴァ様の住処としてはあまりにもふさわしくありません。」

 ユビュも涙を流して言った。

「マーシュ様、私からもお願います。定めと呪いにまとわりつかれ、ゲームに酔ったように時間の中で熱に浮かされている神々の行為に天罰はないのでしょうか。混乱が混乱を呼び、創造が破壊を呼び起こし、理想の違いが戦いと悲しみを生んでいるこの世界はなんと数限りない悲しみに満ちているのでしょう。マーシュ様、私は今すぐにも両親を迎えに行きたいと思います。」

 このユビュの言葉に、マーシュ師はうなずいて言った。

「ユビュ、さっそく迎えに行きなさい。こんなところで良ければ、喜んでおふたりをお迎えしよう。」

 ウダヤ師も言った。

「わしも一緒に行こう。ウジャス、車を用意してくれ。三神でお迎えに行こう。」

 こうして三神は慌ただしく出発した。しかし、三神を見送った後、マーシュ師は静かに言った。

「一つの時代が終わった。ヴァーサヴァの創造の限界をはっきりと示したできごとだった。もはや、世界はヴァーサヴァの世界ではなくなった。これからは混乱の中で英雄たちが踊り回る時代となろう。」

 バルマン師もうなずきながら答えた。

「ユビュは悲しみに暮れているが、これからもっと悲しいことが次々と起こるだろう。宇宙は調和をもった時間を失った。ナユタ、これからも困難なことが数限りなく襲ってこよう。だが、何が起ころうと、決して挫けてはならん。悲しんでもならん。それが定めなのだ。悲しいことだが、これからは賢者の時代ではない。真理が尊ばれ、明朗な韻律の中での清澄の踊りが楽しまれる時代ではなくなった。ヤンバーのような武勇だけを誇る者、ルガルバンダのように呪術を自分の野望に使う者たちが時代の表舞台を闊歩しよう。」

 マーシュ師が再び言った。

「その通りだ。これからは、力をもった者、時代を切り開く勇気をもった者たちだけが輝く時代だ。そのひとりはナユタ、おまえだ。これからは、おまえたちの時代だ。だが、そのためにはムチャリンダを倒さねばならない。ユビュはヴァーサヴァを呼びに行ったが、ヴァーサヴァはここには来ない。ヴァーサヴァも己の限界を今回の戦いで悟ったはず。森へ引退する道を選ぶしかあるまい。」

 

 森では、ヴァーサヴァとランビニーが落胆していた。

「創造を支える者たちがこのように少ないとは。多くの神々がムチャリンダに加勢し、創造を破壊する側に加担するとは。シュリーも捕らえられ、ウトゥは裏切り、ユビュは行くえ知れず。創造がこんな悲しい結果を引き起こすとは夢にも思わなかった。」

 そうヴァーサヴァは肩を落として語り、森の中に作った小さな祭壇に祈りを捧げた。

 数日後、ヴァーサヴァの元へユビュがやって来た。ユビュは、これまでのことを語り、ひとり去ったことを心から謝り、マーシュ師の元へ一緒に行きましょうと言った。

 しかし、ヴァーサヴァは首を縦には振らなかった。

「ユビュ、話はよく分かった。そして今こうして迎えに来てくれてうれしいが、わしは行く気はない。わしの守護神トヴァシュトリは我らを護ってはくれなかった。わしの創造は、己の力ではどうすることもできない限界に突き当たった。わしは森に籠もり、壊れた夢の破片を拾い集め、小さなトヴァシュトリ神の祭壇を築いてあてどのない祭儀の煙を上げるとしよう。おまえはナユタとともに行くがいい。ナユタは勇気のある奴だ。だが、わしには理解できぬし、理解し合えぬだろう。そしてナユタもわしの創造を決して認めぬだろう。だが、もういい。わしの時代は終わったのだ。」

「でも、原初の創造神トヴァシュトリ様はこれからもお父様を護ってくださるはず。」

 ユビュはそう言ったが、ヴァーサヴァは首を横に振った。

「気休めはもうよい。現実の世界で起こったことがすべてではないか。」

「でも、お父様。この森の中では何かと不自由です。マーシュ様も喜んで迎えてくださると言われています。仮に引退するにしても、マーシュ様の元で隠遁の生活を送られても良いのではありませんか。」

「マーシュ師の元にはナユタがおろう。また、皆、ナユタに加勢しよう。さっきも言ったように、わしの理想はナユタの考えとは相入れぬ。わしがナユタの元へ行っても、互いに不愉快なだけだし、不要な混乱を引き起こさぬでもない。」

「ならば、ウダヤ様の元はいかがでしょう。ウダヤ様、両親をウダヤ様の元へ迎えてはいただけませんか。」

 ウダヤ師はうなずいたが、ウダヤ師が口を開くよりも先に、ヴァーサヴァが言った。

「ウダヤ師は、宇宙にその神ありと言われた賢者。お願いすれば、快く迎え入れて下されよう。だが、わしにはこの森で十分。この森の中におれば、ムチャリンダとて攻めてはこれぬ。この森を出れば、ムチャリンダとの争いも再び起こらぬとも限らぬ。ウダヤ師の元へ行き、いらぬいさかいや戦いを引き起こすのはわしの本意ではない。わしはここで心静かに暮らすことに決めたのだ。」

 ユビュは「でも、」と言いかけたが、ヴァーサヴァの目を見て言うのを止めた。ヴァーサヴァの目がすべてを語っていたからだった。ユビュはただ静かにこうべを垂れてこう言った。

「お父様、分かりました。ですが、どうか、私にこれからのことを諭していただけますでしょうか?」

「ユビュ。これからはおまえの時代だ。ムチャリンダのこと、ナユタのことなど言いたいこともいろいろあるが、それを言うのはよそう。おまえの道はおまえ自身で切り開かねばなるまい。幸い、ウダヤ師、マーシュ師、バルマン師もそなたのそばにいる。ナユタはわしと相容れることはなかったが、みどころのある奴であるのはたしかだ。おまえの道が大きく開けることを祈っておる。」

 ヴァーサヴァはそれだけ言うと、ユビュとウダヤ師に別れを告げた。ランビニーとともに森の中深く入ってゆくヴァーサヴァをユビュは涙を浮かべて見送った。

 こうしてユビュは両親を残して森を去った。後にはサビヤとウジャスがヴァーサヴァの元へ留まり、ライリーがヴァーサヴァとランビニーを警護したのだった。

 

 一方、ムチャリンダの陣営では盛大に勝利の祝典が祝われた。イムテーベは勝利をもたらした大将軍として全軍の賞賛を一身に集めた。

 ムチャリンダは並み居る神々の前でイムテーベを称えた。

「この正義の戦いの勝利をイムテーベがもたらしてくれた。創造が引き起こした幾多の混乱を鎮めた功績はなにものにも代えがたい。イムテーベ、どうかこのブルーポールを受け取ってくれ。」

 そう言うとムチャリンダはシュリーから奪ったブルーポールをイムテーベに授けた。

 ルガルバンダはスーリヤ神を祀る祭壇に祈りを捧げた。ムチャリンダやイムテーベをはじめ、並み居る神々がルガルバンダとともに祈りを捧げた。そして、祈りが終わると、ルガルバンダ、イムテーベ、ムチャリンダがそれぞれ演説し、神々は称賛の嵐を浴びせた。

 そして勝利の酒宴が始まった。酒宴が盛り上がったころ、捕らえられたシュリーがムチャリンダらの前に引き出された。シュリーは後ろ手を縛られ、惨めな姿で引き出された。髪は乱れ、頬はこけ、うつむいてとぼとぼ歩くシュリーに昔日の面影はなかった。

 酒に酔っていたヤンバーはシュリーを見ると髪を掴んでわめいた。

「ふん、敵の総大将はただの小娘ではないか。かわいい面をして、ムチャリンダ殿に挑むとはいい度胸だが、戦いで挑むより、女神の色香で誘惑した方がよかったかもな。」

 そうからかうと乱暴にシュリーの衣服を破り裂いた。女性らしい襟元が露わとなると、シュリーは恥辱に真っ赤になった。多くの神がこの敵の総大将の惨めな姿に歓声を揚げた。

 シュリーは頬を震わし、震える声で言った。

「ヤンバー、この狼藉に報いがないなどと思うなよ。おまえが背後にブルーポールの光を見るとき、それがおまえの最期になろう。」

 シュリーはそう呪いの言葉を投げたが、ヤンバーは意にも介せず、さらにシュリーを辱めようとした。さすがにルガルバンダがヤンバーを押しとどめ、シュリーは宇宙の牢獄に繋がれることが決定された。

 シュリーが引きずられて姿を消すと、神々の間の饗宴は最高潮に達した。世界の誕生以来、創造の火を燃やし続けた祭壇は徹底的に破壊された。

 こうして、地上では、暗黒の時代が始まった。徳によって安定した政を行う古王国は崩壊し、混乱期が始まった。地方の有力者は私兵を集めて独立し、そんな者たちが割拠して覇を競う時代に突入した。武力をもつ者だけが支配者となり得る時代だった。武力は政治の道具ではなくなり、それ自身が権力そのものとなった。暗殺と謀略が繰り返され、力と恐怖による支配が始まった。平和は大地から掻き消えたのだった。

 

 一方、マーシュ師の館には、ナユタとユビュに心を寄せる多くの神々が集まって来た。今回のムチャリンダの暴挙に怒りを発する者、ナユタの考えを支持する者などさまざまだったが、ものすごい数の神々が集まって来た。

 シャルマは勇気づけられて言った。

「ナユタ、いまや、無数の神々が我らの元に集まって来ている。ムチャリンダと戦うに不足のない数だ。ムチャリンダをこの前打ち破ったことが多くの神々に期待を抱かせている。ヴァーサヴァが倒された今、この神々を率いてムチャリンダを討ち、真の創造を復活させることこそ我らの使命だ。」

 しかし、ナユタは慎重に答えた。

「たしかに多くの神々が支持してくれることはありがたい。だが、私は、まずマーシュ師をはじめ先賢の考えをうかがおうと思う。」

 数日後、ナユタはユビュを伴ってマーシュ師を訪ねた。

「マーシュ様。これからのことについて教えを授けていただきたく伺いました。私の元には毎日のように神々が到着し、兵力は日ましに高まっています。遠からずムチャリンダと雌雄を決せねばならぬと考えますが、ムチャリンダはとてつもなく強大です。のみならず、イムテーベ、ヤンバーなどのつわものどもがそろっており、三本のブルーポールも保持しています。このような状況の中、これからどうすべきかについて、マーシュ様のお考えをお聞かせ願えないでしょうか。」

 マーシュ師は答えた。

「ナユタ。ここに創造の火がある以上、ムチャリンダとの戦いは避けられぬだろう。そして、その戦いは、宇宙の趨勢を決める歴史の転換点となるだろう。だが、この戦いの帰趨は何に依存するのであろうか?たしかに兵力の多寡は勝敗を分ける重要な要素だ。実際、ヴァーサヴァが敗れた最大の要因は兵力の少なさであった。かつて伝承で言い伝えられている時代においては個々の神の力と神器とが決定的な要素であったが、現代の戦いは軍団どうしの戦いだからな。」

「おっしゃるとおりです。そして、その兵力の点ではムチャリンダ側とほぼ互角の戦力が整いつつあると思います。さらにはシャルマやカーシャパ、プシュパギリの努力で、軍団として着々と組織化されており、心強いばかりです。」

「その通りだ。だがな、ナユタ。それだけでは戦いに勝てぬ。」

 マーシュ師はきっぱりとそう言うと、さらに続けた。

「ムチャリンダを侮ってはならない。ムチャリンダは決して、凶暴な力を持つ破壊の神というだけではない。ムチャリンダは明確な使命と意志をもっており、だからこそ創造を破壊すべしというムチャリンダの主張は多くの神々の支持を集めている。実際、その主張に共鳴し、イムテーベ、ルガルバンダ、ヤンバーなどが馳せ参じ、ウトゥまでもが加担して今日に至っている。しかもムチャリンダはヴィカルナ聖仙から授けられたジャイバも持っている。たしかに、現代の戦いでは兵力や陣形、兵の動かし方などがものを言うが、依然として個々の神々の力、そして神器の力を軽んじて良いわけではない。実際、ヴァーサヴァの館での戦いでも、ブルーポールは大きな威力を発揮したし、ブラーマンとジャイバの戦いなど、神器の果たす役割は侮れない。ジャイバは敵を倒すことはできぬが、どんな武器からも身を守れる完璧なる神器だ。おまえはマーヤデーバとブルーポールを持っているが、ムチャリンダがジャイバをもっている限り、ムチャリンダを倒すことはできない。」

 この言葉にナユタは考え込んで言った。

「しかし、それでは、ジャイバを持つムチャリンダはどうすれば倒すことができるのでしょうか。」

 マーシュ師は重い口調で言った。

「わしはナタラーヤ聖仙とヴィカルナ聖仙の力をお借りせねばならないと思う。」

「ナタラーヤ聖仙とヴィカルナ聖仙のお力?」

 まったく予期していなかったマーシュ師の言葉にナユタは驚いた。ユビュもはっとしてマーシュ師を見つめた。

 マーシュ師は落ち着いた言葉で続けた。

「この宇宙にはかつてふたりの聖者があった。ナタラーヤ聖仙とヴィカルナ聖仙だ。ナタラーヤ聖仙とヴィカルナ聖仙は宇宙の創成にもかかわったと伝えられる聖者だ。ムチャリンダは闇を支配するヴィカルナ聖仙のもので百億年にも及ぶ修行を行い、その結果、ジャイバを授けられた。一方、光の聖者ナタラーヤ聖仙はバルマン師を育て、ブラーマンを授けられた。宇宙がこの危難に直面する今、ヴァーサヴァを倒したムチャリンダに抗するには、宇宙の究極の聖者であるナタラーヤ聖仙とヴィカルナ聖仙の力をお借りすることが、なんとしても必要と思えるのだ。このおふたりの支持をいただき、お力をお借りすることによってのみ初めて道が開けるのではないか。ただ力のみを信じてムチャリンダに抗するのでは道は開けないのではないか。わしにはそう思えてならない。また、ムチャリンダを倒すには、ジャイバを打ち破る武器が必要となろう。だが、ジャイバを打ち破る神器は、ヴィカルナ聖仙をおいて誰も授けることはできまい。一方、宇宙に正義を打ち鳴らすためには、光の聖者ナタラーヤ聖仙からも神器を授からねばなるまい。ナユタ、おまえはヴィカルナ聖仙を捜し出して訪ね、ジャイバを打ち破る神器を授かってくるのだ。そして、ユビュ、おまえはナタラーヤ聖仙を訪ね、ブラーマンにも匹敵する力を授かってくるのだ。」

 ユビュが聞き返した。

「ナタラーヤ聖仙とヴィカルナ聖仙のお力をお借りするべきということはよく分かりました。しかし、ナタラーヤ聖仙もヴィカルナ聖仙も今は永劫の静寂の中に引きこもっておられると聞いています。誰もおふたりがどこにおられるのかも知りません。どのようにしてふたりを探し、そして、どのようにして力をお借りすればよいのでしょう。」

 そう問いかけるユビュの言葉にうなずきつつ、マーシュ師は答えて言った。

「ユビュ、心配しなくてもよい。聖者というものは、静寂の中にあっても目覚めているものだ。瞑想の中にあって、賢者が完璧なる覚醒のうちに真理を見い出すように、ふたりの聖者は眠ってしまわれているのではない。山の頂きに住むというナタラーヤ聖仙の居場所については、バルマン師に尋ねるがよかろう。また、ナユタ、地中の宮殿に潜むというヴィカルナ聖仙を探すのは、ナタラーヤ聖仙を探すよりはるかに困難だろうが、ウダヤ師が恐らく手掛かりをもっているだろう。」

 ナユタもうなずいて言った。

「前回の創造の終滅の際、ナタラーヤ聖仙は、業火の中の私の前に現れ、魔方陣を授けて救ってくださいました。私のブルーポールも、その魔方陣とユビュの力を借りて手に入れたものです。ナタラーヤ聖仙は永劫の円環の中に入っておられるとしても、尚、この世界の危機に際して手を差し伸べてくださるように思います。」

「そのとおりだ。ふたりの聖仙に真摯にお願いすべく、聖仙への道を探るのだ。それだけが、この世界を救う道に通じているような気がしてならない。」

 このマーシュ師の言葉にふたりは大きくうなずいた。

 

 ナユタとユビュはまずバルマン師を訪ねた。バルマン師はマーシュ師の館の近くに庵を構えていたが、ふたりが訪ねてゆくと、喜んでふたりを迎えた。

「ナユタ、おまえには改めて礼を言わねばならん。あの戦いのおり、戦場の混乱からわしを救ってくれたのには本当に感謝しておる。」

 バルマン師が続けた。

「今にして思えば、あの戦いは負けるべくして負けた戦い。創造の火だけはこうして持ち帰り、おまえたちをはじめ多くの者に守られてとりあえず創造の火が安泰なのには本当に胸をなでおろしておる。地球では、暗黒の時代が始まったと聞くが、この神々の世界も同じだ。ムチャリンダの横暴がはびこり、神々の心も殺伐としてきた。このような時代にはわしのような者は静かに隠居し、おまえたちのような若者に時代を託すべきなのだろう。」

 ナユタが首を振って反論した。

「いえ、まだ私たちだけではこの途方もない時局を乗り越えることなど到底できません。まだまだご長老がたのお知恵をお借りし、お力添えをいただかねばなりません。どうか、私たちをこれからもお導き下さいますように。」

 ユビュが続けて言った。

「実は、今日は、おうかがいしたいことがあって参りました。マーシュ師から諭されたのですが、これからムチャリンダと戦うには、聖なる神器が必要ではないかとのことでした。その神器はナタラーヤ聖仙とヴィカルナ聖仙から授からねばならないともおっしゃり、私がナタラーヤ聖仙のもとへ、そしてナユタがヴィカルナ聖仙のもとへ行こうと思っています。今日お伺いしたのは、ナタラーヤ聖仙をどうやって訪ねればよいかということなのです。」

 バルマン師は深くうなずいて言った。

「たしかに、聖なる武器なくしては、戦いは次々に混乱を呼び、力と力の戦いによる暗黒時代が延々続くだけになるかもしれん。マーシュ師のお考えは確かに的を得ておる。だが、そのふたりの聖者を訪ねるのは容易ではないし、まして、そのおふたりから聖なる武器を授かるのは、それにもまして困難なことだろう。」

「ええ、それはよく分かっています。それゆえにこそ、バルマン様の助力を得たいのです。バルマン様はかつて、ナタラーヤ聖仙の元で修行され、聖なる神器ブラーマンを授けられたと聞いています。ぜひそのときの話をお聞かせください。そして、これからどうやってナタラーヤ聖仙を訪ね、聖なる武器を授かればよいか、お教えください。」

「そうか、それではまずブラーマンの由来から聞かせて進ぜよう。」

 そう言って、バルマン師はナタラーヤ聖仙にまつわる話を始めた。

「あれははるか昔、今から数回前の創造が終わったときのことだった。その創造は、ヴィカルナ聖仙が始めた創造だった。ヴィカルナ聖仙は、闇の世界の法則を基盤に世界を創造した。もっともそれは、悪や破壊を基盤にしたのでもなく、混乱や憎しみを基盤としたのでもない。ヴィカルナ聖仙は、一切の本質は、闇の世界にあると考えた。その世界は静寂をこととし、一切の音律が死の衣装をまとい、あらゆる生命は死するために生まれた。その創造は、これまでなされた創造の中でもとりわけ優れた創造の一つであったと今でもわしは思っている。」

「でも、あの創造は、道を外れた創造で失敗作だった。あの創造ゆえに、ヴィカルナ聖仙の権威は失墜し、ついに、宇宙の闇に引き籠もってしまったのだ、と父ヴァーサヴァは言っていました。」

 そうユビュが尋ねると、バルマン師はさらに続けた。

「そう、たしかに、あの創造は、多くの神々の間では不評だった。言ってみればそれは醜いものを尊ぶ創造だった。ヴィカルナ聖仙にとっては、目に見える美しいものと醜いものの本質的な差は何もなかった。だが、そのことは多くの神々には理解されなかった。特に、ヴィカルナ聖仙の考えに真っ向から対立したのがヴァーサヴァだった。生命の誕生を尊ぶヴァーサヴァは、その創造が終わったとき、『死を創造するような創造は闇に葬られるべきだ。』と宣言し、多くの神がこれを支持した。わしには、ヴィカルナ聖仙の尊い心が理解できたのだが、それはさておき、ヴィカルナ聖仙が闇の世界に引き籠もられた後、長い沈黙が続いた。ナタラーヤ聖仙は、ヴィカルナ聖仙の失意にひどく同情し、深く悩まれた。そして、次なる創造では、創造と破壊とが一つの円環の中で行われる世界を創造すべきだと考えられた。わしは当時、ナタラーヤ聖仙に師事して修行に励んでおったのだが、ある日、ナタラーヤ聖仙が来られて、『次の創造はわしが行おうと思う。わしには、ヴィカルナ聖仙の理想が理解できるし、ようやくその限界を踏破する方策を想起することもできた。創造と破壊を超越した境地に立ち、生起したものはただ、生起したものがもつ運命を担い、破壊の神が喜悦のうちに破壊の踊りを踊る世界を創造しようと思う。』と言われた。わしにはなにか途方もなく恐ろしいことに思えたが、ナタラーヤ聖仙はただ笑って、『真実を見抜く目がない者はただおびえおののくものだ。』と言われたのを昨日のことのように覚えておる。だが、どの創造もすべての神の支持を得られるものではなく、むしろ敵対を引き起こすのが常だ。そのときの創造もまたそうだった。創造を完遂するためには、創造を護る力が必要だった。そのためにナタラーヤ聖仙がわしに授けてくださったのがブラーマンだ。ナタラーヤ聖仙は言われた。『このブラーマンは、神の道に外れて、おまえに向かってくるものを倒す必殺の武器だ。その者に意識を集中し、その者に向かってブラーマンを投げれば必ずその者を倒せる。だが、これは、おまえに向かってくる者は倒せるが、おまえから逃れようとする者を倒すことはできない。当然、倒せるのはおまえを狙うひとりであり、一度に多数を倒す兵器ではない。』と言われた。」

「ブラーマンの秘儀を初めてうかがいました。ナタラーヤ聖仙からブラーマンに代わる神器を授けていただけるでしょうか?」

 そうユビュが問うと、バルマンは厳かに言った。

「それはわしにも分からん。だが、ともかく、ナタラーヤ聖仙に会うことだ。」

「どうすれば会えるのですか?ナタラーヤ聖仙は山の頂きに住んでおられるとマーシュ師からうかがいましたが。」

「だが、ナタラーヤ聖仙は永遠の円環の中に旅立ってしまっておられる。ナタラーヤ聖仙に会うためには、永遠の円環の中に踏み入るほかなかろう。ユビュ、そこにはひとりで会いに行くほかない。」

 そう言うと、バルマン師は、部屋の奥の祭壇の扉を開き、祭壇に置かれていた二枚の石板を取り上げた。

「この二枚の石板はナタラーヤ聖仙が旅立たれるときに残していかれたものだ。創造と破壊の秘儀が刻み込まれている。おそらく、この石板には永遠の円環への道の秘密が隠されておろう。そなた自身の祭壇を築き、その上にこの二枚の石板を並べ、ここに書いてある呪文を唱えなさい。瞑想の中で永遠の円環への道が見い出されることを期待しておる。それ以上のことはわしにも分からんし、何も言えん。ナタラーヤ聖仙に会えるかどうか、会えたとしても神器を授かれるかどうか、わしにも分からん。」

 ユビュは二枚の石板を受け取ると深々と頭を下げた。

「ありがとうございます。事が成就するか否かは私次第。教えていただいたとおりに努力いたします。」

 バルマン師もそれにうなずき、やさしく言った。

「これからの世界はおまえたちにかかっておる。これからもわしにできることは何でもしよう。遠慮なく言ってくれ。」

 

 バルマン師に丁重にあいさつして別れると、ナユタとユビュは、ウダヤ師を訪ねるために旅立った。というのも、ウダヤ師は南の住処に帰っていたからで、ふたりははるばるウダヤ師を訪ねたのだった。

 ナユタとユビュがウダヤ師のもとを訪ねると、ウダヤ師はふたりを温かく迎えた。

「やあ、よく来てくれた。」

 ウダヤ師はそう言って大いに喜び、自ら部屋に招き入れた。

 ナユタが来訪の目的を告げ、ヴィカルナ聖仙から神器を授かりたい、ナタラーヤ聖仙にはユビュが会いに行く、と言うと、ウダヤ師は答えた。

「それはたいへんに困難なことだ。だが、たしかにそれが必要かもしれんな。ユビュ、おまえとは一緒に地球に行ったが、あの地では、今はもっと恐ろしい状況になり、暗黒時代が幕を開けておる。このままでは、ムチャリンダの横暴が宇宙と地球とを席巻し、途方もない破壊が始まるだろう。ムチャリンダはヴィカルナ聖仙より授けられたジャイバによって無敵となっておる。これを打ち破るには、たしかにそれに勝る神器が必要だろう。」

 ナユタが言った。

「ウダヤ様、どのようにしてムチャリンダがジャイバを得たのかご存じですか。ご存じならお教えください。そして、どうすればヴィカルナ聖仙からジャイバを打ち破る神器を授かれるのかお教えください。」

 ナユタの真摯な懇願にウダヤ師はゆっくりと語り始めた。

「ヴィカルナ聖仙のあの伝説的な創造が神々の反対で崩壊し、ヴィカルナ聖仙が宇宙の闇の中に去ってしまわれるまで、ムチャリンダはヴィカルナ聖仙の忠実なしもべだった。ムチャリンダにとってヴィカルナ聖仙は真実そのものであり、聖仙の言われることはなんでも心から信じておった。だから、ヴィカルナ聖仙が創造を始めたとき、ムチャリンダは献身的にその創造を擁護したし、ヴィカルナ聖仙のために尽くしたものだった。だが、ヴィカルナ聖仙の創造が崩壊したとき、ムチャリンダの心は変わった。特に、ヴィカルナ聖仙に敵対したヴァーサヴァには激しい憎しみを抱き、その後のあらゆる創造の妨害を始めた。ムチャリンダがジャイバを手に入れたのは、ヴィカルナ聖仙の創造が終滅し、次のナタラーヤ聖仙の創造が始まるまでの間と言われておる。ムチャリンダは宇宙の闇に引き籠もるヴィカルナ聖仙の元で修行を積み、ジャイバを得たという。どうすれば打ち破れるかはわしにも分からん。だが、ヴィカルナ聖仙なら打ち破る方策もご存じであろう。しかし、そもそもヴィカルナ聖仙が現在の状況に関心をもたれるかどうか、そして仮に関心をもたれたとしても、ムチャリンダよりもおまえの方に肩入れなさるかどうか、それはわしにも分かぬ。」

「分かりました。ともかく、ヴィカルナ聖仙を訪ね、丁重にお願いするほかはありません。どうすれば、お会いできるのでしょうか。マーシュ師からは、地中の宮殿に棲んでおられるとお聞きしましたが。」

 ウダヤ師は続けた。

「宇宙の究極の闇に向かってひたすら飛び続けると、闇の世界の入り口があると言われている。その先には一切の光がない闇の世界が広がっておる。完全な漆黒、どんな微弱な日光も永劫の昔から達したことがないと言われる世界、永遠の静謐の中で処女的な夜が支配すると言われる世界だ。心の目だけをもって、そこからさらに下へ下へと下ってゆくと、聖者だけが見ることのできる閃光によって彩られた闇の世界の都が開けてくる。それは天界の建築師カーランジャが設計し、丹精を込めて造ったもので、千種の幻影が取り巻き、精気に満ちた光彩が闇をあまねく照らしているという。そこへたどり着くまでに、無数の呼びかけや問いかけがなされるが、それらには一切答えてはならん。沈黙を守り、ただ真っすぐに進むのだ。わしが知っているのはこれだけだ。」

 ウダヤ師が語り終えると、ユビュが毅然とした声で答えた。

「ありがとうございます、ウダヤ様。ナユタ、ともかく聖仙を捜し求めて旅立ちましょう。私はバルマン師の言葉を頼りにナタラーヤ聖仙を捜し求めます。」

 ナユタもうなずいた。ふたりは久しぶりに会ったウダヤ師としばらく歓談した後、丁重に挨拶して別れを告げた。

 

 こうしてナユタはヴィカルナ聖仙を求めて旅立ち、一方、ユビュはナタラーヤ聖仙を求めて彼女自身の祭壇を築いた。

 ユビュは改めて聖典を紐解き、その知識に基づいて至高の祭壇を築いた。そして、苦行者の衣服をまとい、断食を繰り返し、祭壇に祈りを捧げ続けた。移ろい易い世界の表象から心を解き放ち、無限の時空の中に心を遊ばせ、至高者の振動を受け止めようと試み続けた。そして、一切の二元性が帰滅し、ただ、清々たる喜悦だけが三界に満ち満ちるのを心の底で覚知した日、ユビュはバルマン師から授かった二つの石板を祭壇に並べた。

 聖典の呪文を唱えると、瞑想の中にこれまで体験したことない不変の英知が体得できた。それは、一切の怒り、欲望、不満、悲嘆、虚栄などを離れ、真実によってのみ節制された透徹した虚無の領域であり、いかなる不浄なものによっても汚されず、一切がそこから始まり、また一切がそこへと帰滅する全宇宙の核心であった。そしてそこから一つの道が始まっていた。きっと永遠の円環への道に違いない、ユビュはそう確信して、その道を昇っていった。

 長い道程を歩いてゆくと、道は険しく、そして狭くなり、険しい谷に面した急な小道になった。周囲には、峻厳な高峰が雲をからませながら続いている。風がひゅうひゅうと鳴り、激しい吹雪が吹き付けた。

 ユビュは激しい吹雪の中を歩き続けたが、やがてこれ以上進むことができなくなり、道のそばにあった小さな洞窟に身を潜めた。ユビュは疲れて眠ったが、目が覚めたときも外はさらに激しい吹雪だった。

 吹雪は何日も吹き止まなかった。いったい、いつになればこの吹雪が止んで、ナタラーヤ聖仙に会いにゆけるのかしら。そう思いつつ彼女は何日も何日もその洞窟で過ごした。洞窟の中には小さな石を重ねて祭壇を作り、毎日ナタラーヤ聖仙への祈りを捧げた。

 そんなある日のことだった。吹雪の中からひとりの老神がユビュのいる洞窟に飛び込んで来た。

「ああ、なんという吹雪じゃ。今日はいっそうひどいのう。ちょっとここで一休みしてゆくとするか。」

と老神は独り言と言いつつ、体の雪をはたき、洞窟の奥のほうへ体の向きを変えたとき、ユビュがいるのに気づいた。

「おお、こんなところで他の神に出会うとは。しかも、たおやかなうら若き女神に見えるが。おまえさんはどこから来なさった。」

 ユビュもちょっと驚いた様子だったが、落ち着いて答えた。

「私は、ヴァーサヴァの娘ユビュと申します。ナタラーヤ聖仙にお会いするためにここまでやって来ました。」

「ほう、なんのために。」

「ご存じかとは思いますが、神々の世界では、このたびの創造を巡って激しい争いが起こっています。」

「ほう、そうかね。わしはこの山を住処にしておる世を捨てた神でな。たしかに最近下界はいろいろと騒がしいとは思っておったんじゃがな。」

「そうですか。ムチャリンダが父ヴァーサヴァを森に追い落とし、今や、ムチャリンダの横暴が宇宙を席巻しようとしています。バルマン師、ウダヤ師、マーシュ師はナユタをもり立ててムチャリンダに対抗しようとしていますが、そのためには、ナタラーヤ聖仙とヴィカルナ聖仙から聖なる神器を授からねばならないと、マーシュ師が言われたのです。そこで、ナユタはヴィカルナ聖仙を探して旅に出、私はナタラーヤ聖仙に会うために、バルマン師に教えられた方法でここまでやって来たのです。ですが、ここで、激しい吹雪に視界を遮られ、風に行く手を阻まれ、もはやこれ以上一歩も進むこともできず、七日もここで吹雪が止むのを待っているのです。ところで、あなた様はどなた様なのでしょうか?」

「わしか。わしはバギーラタという世捨ての神でな。」

 バギーラタという名にユビュは驚いた。

「バギーラタ様は、かつて一千年に渡って苦行を行い、天のガンガー女神を大地に降ろしたと伝えられているあのバギーラタ様でしょうか?」

「ああ、そうじゃよ。」

「では、その苦行では、何も食べず、両腕を広げて一本足で立ち続け、水と空気だけで生きたというのは本当でしょうか?」

「ああ、本当じゃ。ガンガー女神を天から降ろすためにブラフマーとシヴァの心を動かすにはそうするほかなかったのでな。ただ、それははるか昔のことじゃ。その後はナタラーヤ聖仙にお仕えしておったが、ナタラーヤ様が永遠の円環へと旅立たれた後は、ここにこうしてひとりで住んでおる。バルマンの事も覚えておるぞ。ともに、ナタラーヤ聖仙にお仕えしておった仲じゃからな。」

「そうですか。バルマン師のこともご存知で。では、どうすれば、ナタラーヤ聖仙にお会いできますか。どうかお教えください。」

 老人はからからと笑って答えた。

「それは無理というものじゃ。永遠の円環の中になど、誰も入ってはゆけぬ。ナタラーヤ聖仙ほどの研鑽を積み、尊い聖者にして初めて可能なのじゃ。諦めて帰った方がいい。バルマンも帰りを待っていよう。ナタラーヤ聖仙に会うことがいかに困難かはバルマンが一番よく知っているはず。誰もナタラーヤ聖仙に会えなかったからとおまえを責めはすまい。この洞窟は、神界とその上の無上界とを分け隔てる地点に当たっておる。これ以上、進もうとする者には、激しい吹雪が待っているが、ここから神界へと帰ろうとする者には、晴天と美しい花たちが迎えてくれる。」

 そう言うと、老人はユビュを洞窟の外に連れ出した。これまでと違って、下界を見渡すことができた。洞窟より上の山々は雲にかすみ、激しい吹雪が吹き荒れているのに対し、下界には、暖かい日の光が降りそそぎ、緑の野原が見渡せた。ところどころ、黄色や赤に彩られた花畑が点在し、さらに、その上には美しい青空が広がっていた。

「この道を下れば、安全に戻ることができる。こんなところにいつまでも留まっていたとて、何も得られはせん。戻ってことの顛末をバルマンに知らせるのがよかろう。また、わしのこともバルマンに伝えてくれ。懐かしがってくれるじゃろうからの。」

 しかし、ユビュは毅然として答えた。

「ナユタも今頃は幾多の艱難辛苦を味わいながら、ヴィカルナ聖仙を捜し求めているはずです。風雪に遮られて洞窟に数日留まっただけで帰るわけにはゆきません。」

 バギーラタは、「そうか。」とだけ答えると、腰を上げて立ち上がり、ユビュに言った。

「では、わしは帰るとするよ。」

 そう言うと老神はひとり山を下って行った。

 それからユビュは七日待ったが、吹雪がやむことはなかった。七日目、再びバギーラタがやってきた。

「やあ、ユビュ、まだいるのか。」

「ええ、帰るわけには行きませんから。」

「そうか、ではわしもしばらく休ませてもらうとするか。」

 そう言うとバギーラタはユビュのそばの石の上に腰を下ろした。腰を下ろすと、バギーラタはユビュに改めて尋ねた。

「ところで、おまえたちの敵方にはどんな神がいるのかの?」

「敵の中心はムチャリンダで、その周りに、イムテーベ、ルガルバンダ、ヤンバーなどがいます。また、これは大変に残念なことなのですが、ヴァーサヴァの長男にして私の兄であるウトゥも加担しています。」

「そうか。それはたいへんだな。それにしてもルガルバンダがムチャリンダについているとすれば、それは手ごわいな。」

「ルガルバンダのことをご存知なのですか?」

「ああ、よく知っておる。ルガルバンダは宇宙一の思索家とも究極の瞑想者とも言われておる。遠い昔、ルガルバンダはただ真理だけを追い求め、幾多の宇宙をただひとり旅し、数々の神々の教えを請うて回っておった。だが、ルガルバンダの求める真理を教え授けることのできた神はただひとりとしていなかった。そんなとき、ルガルバンダはナタラーヤ聖仙と出会ったのじゃ。ルガルバンダは恭しく挨拶をし、ナタラーヤ聖仙に語りかけた。

『私は真理を求める者、ただそのためだけを目的としてこの広大な宇宙を駆け抜け、幾多の神々に教えを乞うて参りました。しかし、どの神も私の求める真理を授けることはできませんでした。願わくば、ナタラーヤ聖仙より真理を授かりたく存じます。』

とな。それに対して、ナタラーヤ聖仙は、表情も変えず答えた。

『なぜ、真理が見出せないのであろうか?それを考えたことはあるか?』

それに対してルガルバンダは、

『それは、何度も何度も考えました。しかし、答えは得られません。』

と答えた。すると、ナタラーヤ聖仙は問いかけた。

『そうか、では、今おまえがこれが真理ではないかと思うものを述べてみよ。』

ルガルバンダはこう答えた。

『私には真理があるかどうかさえわかりません。一切に真理がなく、ただ混沌と闇がこの宇宙の根底に広がっているのではないか、それが私が思うところです。』

この答えに対して、ナタラーヤ聖仙は厳しい表情で答えた。

『その傲慢さが真理を見通す目を曇らせているのだ。宇宙に対して心を開くのではなく、己の心に潜む猜疑とわだかまりにだけ焦点を当て、それを通して世界を見ている者の目にいかなる真理が開けようか?』。

ルガルバンダは、

『しかし、世界は矛盾に満ち満ち、すべてが互いに相反しています。それが真実の姿とすれば、そのことを元に真理を探らねばならないのではありませんか?』

と問いかけたが、ナタラーヤ聖仙はこう答えられた。

『さあ、どうかな?その矛盾や相克すべての底流に潜むみずみずしい真理がないとなぜおまえは言える。ただ、それは矛盾に心を苛まれている者の目には見えないだろう。そして、おまえは自らの目で見えないからという理由で真理がないと傲慢にも思ってだけだ。』

『では、ナタラーヤ聖仙は真理を示すことができますか?ぜひそれを教えてください。そうすれば、私も考えを変えましょう。』

そう食い下がるルガルバンダに、ナタラーヤ聖仙は

『真理は他者に指し示してもらうものではない。自ら、見出さねばならぬ。』

とだけ答えたが、同時に、ルガルバンダにナタラーヤ聖仙の元に留まって修行することを許した。ルガルバンダはナタラーヤ聖仙のもとで長い長い修行を行った。百万年とも一千万年とも言われておる。その真摯な姿勢にナタラーヤ聖仙も心打たれ、究極の真理とも言われる経典をルガルバンダに授けたという。だが、それを授かった次の日、ルガルバンダはナタラーヤ聖仙に暇を告げるために挨拶にやってきた。ルガルバンダは丁寧に礼を尽くして礼をいい、聖仙を称え、出立することを述べ伝えた。しかし、ナタラーヤ聖仙はそれに納得しなかった。ナタラーヤ聖仙はこう言ったという。

『なぜ、出立する。なぜここにとどまって究極の真理に立ち続けようとはせぬ。』

ルガルバンダはこう答えた。

『宇宙はなお混乱と迷妄に満ちております。それを導くため、私は行かねばなりません。』

この答えはナタラーヤ聖仙を失望させた。

『おまえは初めてここに来たときと何も変わっていないようだな。依然として心のうちに傲慢さが巣食い、清澄な灯明が心に灯っておらぬ。おまえがそうである以上、わしとしてもおまえにここにいてほしくない。行くがいい。だが、金色に輝く神がおまえの前に現れたとき、おまえはおまえの限界を悟るだろう。おまえの最後の力は呪いの言葉であろうが、おまえは自らの呪いの言葉の報いを受け、最後の瞬間には、己の呪いの言葉の無力さを悟るだろう。』

と語ったという。」

 ここまで語ると、バギーラタは腰を上げた。

「ずいぶん長話をしてしまったな。また来るよ。」

 そう言うと、バギーラタは再び山を下っていった。

 それからまた七日が過ぎた。ユビュは相変わらず待ち続けた。七日後、再びバギーラタは現れた。

「娘さん。まだあきらめないのか。」

「ええ、このまま帰るわけにはいきませんから。これしか道がないとバルマン師にも言われておりますし。」

 バギーラタは困ったように苦笑いしてユビュを眺めると、石の上に腰を降ろし、真顔に戻って諭すように言った。

「世界は広い。この世界には実におまえさんの知らない世界が広がっている。北の果てでは一つ目の怪獣グリュプスが黄金の聖杯を守り、妖艶な魔女レヴァルハンが魔酒を醸造していると言われているし、南の果てでは巨大な緑の密林の上を怪鳥ガルーダがあてもなく飛び回っているという。西の果てでは焼け付く熱砂の上で魑魅魍魎どもが飛び跳ねているし、東では果てることのない大海が世界の果てまで続いていると言われている。世界は謎に包まれており、いかなる者とてこれを知り尽くすことはできない。我らはそのような世界の底でうごめいているに過ぎないという真の姿を知ることだ。」

「たしかにその通りかもしれません。でも、世界では、危機に瀕したときクリシュナが現れ、世界を救うための笛を吹くとも言われています。かつて世界を三歩で歩いたというヴィシュヌは今も世界の中心でまどろみ、常に世界の創造と破壊を司っているとも言います。そんな世界の中で、私が真になすべきものが何であるのかは分かりませんが、でも、ただの幼い少女だった私はかすかな呼び声に導かれて、今日、ここまで歩いてきたのです。ですから、ここで引き返すわけにはゆきません。バギーラタ様は幾多の叡智を身につけられたお方とお見受けしました。どうか、ぜひ、道をお示し下さい。」

 このユビュの言葉にバギーラタはかすかにうなずいた。

「強情な女神よな。だが、ナタラーヤ聖仙が旅立たれてこのかた、わしはこの地よりさらに上に進んだことは一度とてなく、ナタラーヤ聖仙にお会いしたことも一度もない。だが、どうしても会いたいとあらば、この先を進むしかない。あの緑の野の向こうに見える山並みの上に満月が昇る日、ここの吹雪はもっとも弱くなる。その時を待って、この道を登ってゆくしかあるまい。だが、もう一度繰り返すが、この道を登ったとてナタラーヤ聖仙に必ず会えるというものではない。また、ここからなら引き返すのは容易だが、これより先に登って引き返すことが可能かどうかはわしにも分からん。それだけの覚悟が必要ということじゃ。」

 ユビュはうなずいて答えた。

「ありがとうございます。ともかく、その満月の夜に登ってみます。それがわたしに課せられた使命である以上、そうしなくてはなりません。神であれ、地上の人間であれ、運命を逃れることはできず、定めによって課せられた使命を果たすことを差し置いて他になすべきものなどというものはないのですから。」

 バギーラタはうなずくと、

「おまえ様の目には幸運の徴が潜んでおる。最大の難関を飛び越えるきらめきがそなたの内にあると信じよう。ともかく気をつけて行きなされ。」

と語り、しばらく休んだ後、再び下って行った。

 ユビュはその後も洞窟で待ち続けた。そして、三日後に満月が昇った。風がいくぶん弱まって感じられた。雪も止み、煙っていた峻厳な山々がくっきりと現れ、月明かりに煌々と輝いた。

 ユビュは登り始めた。風で雪が吹き飛ばされたのか、道には黒い地面が見えていた。登ってゆくと、見たこともないほどの幻想的な光景をユビュは目の当たりにした。垂直に切り立つ山々の稜線がくっきりと照り輝き、雪煙がその上を乱舞していた。世界は静まりかえり、ところどころ月光を反射する白い雲が流れていた。さまざまな宝石を秘めた鉱脈が月光に輝き、美しいたくさんの川が銀色に輝いていた。

 道をたどって登ってゆくと、山の頂上にたどり着いた。

 遠く白い稜線を連ねる山脈の沈黙が月の光に照り映えていた。それは見たこともない神秘的光景であり、延々としたはるけさがはるかかなたまで続いていた。なんという不思議な世界、なんという沈黙を湛えた世界なんだろう!そんな思いがユビュの心に響いた。

 山の頂上には、小さな祭壇があった。その祭壇には一つのくぼみがあり、さらに、そこより一段低いところに一つの小さな玉が置いてあった。この玉を乗せるんじゃないかしら、と思いつつその玉を乗せてみると、玉の大きさはくぼみにぴったりと合った。

 その瞬間だった。その玉は月光の下で輝きを増し、二条の光を空間に放ち始めた。緑と赤の神々しいまでに純粋な光線が祭壇から無限宇宙に向かって放射された。後の言い伝えによると、このときの光は数々の神々のみならず、地上の多くの人間たちも目撃したという。そして、その光を見た者は、一切の苦痛、飢え、渇きから解放され、聖典の誦詠を耳にしたという。言いようのない恍惚とした光景の中でユビュは祈りを捧げた。

 夜が白み始め、東の空が明るくなってくると、遠い雪山が真っ赤に燃え始め、無窮の静寂の中に光の輪舞が始まった。白い雲が赤く沸き立ち、峻厳な山々の雪は神々しく輝いた。悠久のはるけさの中に山々の白い稜線が静まりかえり、深い沈静の中でゴーゴーという風の音だけが響き続けた。青い空の中で、空を破り開こうとする鋭い黒い岩峰が風雪のおたけびを静めようとした。

 玉からの放射は止んだが、玉はなおも緑と赤に輝き続けた。そこへ現れたのはバギーラタだった。

「やあ、わしもやっと着いたよ。」

 バギーラタはそう言って腰を下ろし、しばらく山頂からの眺めを楽しんでいたが、やがて立ち上がると、その玉を取り上げ、

「さあ、下ろう。」

とユビュを即した。

 ユビュはこのまま下っていいものかどうか戸惑ったが、バギーラタのそうするのが当然と言わんばかりの態度に、黙って従った。少し下って開けた所までやってくると、そこには小さな祠があった。その祠の前の石の上に老人は腰を下ろした。

「ユビュ、望みは何じゃ。」

 そう問いかけるバギーラタにユビュは答えた。

「前にもお話ししましたように、ナタラーヤ聖仙にお会いしたいのです。」

 しかし、老人は微笑を浮かべて虚空を見つめているばかりだった。ユビュははっとして、震える声で聞いた。

「もしや、あなた様がナタラーヤ聖仙でいらっしゃいますか?」

 老神はうなずきながら答えた。

「ユビュ、よくここまで来たな。」

 聖仙は念力によってユビュの来ることを予知し、バギーラタと名乗ってユビュを試し、そして導いたのだった。ユビュは改めて居ずまいを正し、気息を整え、ナタラーヤ聖仙の前に恭しく伺候した。

「ナタラーヤ様、前にもお話ししましたように、ムチャリンダの横暴を討つため、神器を授けていただきたくやって参りました。しかし、今、神器にこだわっているわけではありません。どうか、神々の世界の危急のときに、わたしが何をなすべきかご教示ください。」

 ユビュの真剣なまなざしにうたれ、聖仙ナタラーヤは語り始めた。

「たしかに、この世界は絶え間ない混乱に飲み込まれておる。創造と破壊と混乱が交錯し、ダルマは涸れかかっておる。だが、それに囚われてはならない。真理は、その混沌の向こう側にある。欲望、怒り、歓喜、無知、恐怖が混乱の向こうを見るまなざしを曇らせているだけだ。わしはかつてこの永遠の円環の中で、創造主であるヴィシュヌ神に会った。そのときヴィシュヌ神が語ったことを教えてあげよう。」

 そう言って、ナタラーヤ聖仙はヴィシュヌについて語った。

「ヴィシュヌ神はこう語った。

『私が世界を造ったとき、世界は、クリタ・ユガ、トレーター・ユガ、ドゥヴァーパラ・ユガ、カリ・ユガの四つの周期をもっていた。その合計は四十三億二千年で、最後のカリ・ユガが終わると再びクリタ・ユガが始まる。

 クリタ・ユガでは、世界のダルマは四本の足で立ち、正義が行き渡り、すべてが完全無欠だ。男も女も生まれつき正直で誠実であり、誰もが理想に沿った行動をする。生きるためにあくせく働く必要はなく、地上の実りは欲っしただけ得られる。病もなく、邪悪、羨望、欺瞞、憎しみ、嫉妬、傲慢、貪欲、不和、争い、狡猾、恐怖、悲嘆、残酷、苦悩などは存在しなかった。

 しかし、創造の過程が惰力で進むにつれ、その基盤は危うくなってゆく。聖なるダルマは四分の一づつ消えてゆき、代わりにその反対のものがのしてくる。トレーター・ユガでは、宇宙の秩序は三本の足で支えられている。義務はもはや自発的な行動ではなくなり、強制されるものとなる。公正さは信義ではなく儀式に依存するようになり、祈祷や様々な様式を伴う供儀が行なわれるようになる。

 ドゥヴァーパラ・ユガは不完全と完全、闇と光の危うい均衡の上の時代だ。ダルマは四分の二だけとなり、残りの二つはもはや取り返しがきかない。倫理秩序は、いまや二本の足だけで均衡をとっている。理想的な価値体系は崩壊し、精神的な秩序の完璧さが宇宙に活力を与えることはもはやない。真理に専心する者は少なくなり、誰もが、現世の所有欲に取り付かれ、欲望に振り回され、みすぼらしく、物欲しげになる。疫病が蔓延し、情欲におぼれ、自然の厄災が降りかかる。真理への冒涜によって世界は退廃してゆくのだ。

 最後のカリ・ユガは暗黒の時代だ。ダルマは四分の一しか残っておらず、利己的で、渇望だけが行動の原理となり、盲目的で向こう見ずな欲望が勝利を収め、白日を支配する。正義が衰えるだけでなく、供儀も行われなくなり、洪水、旱魃、疾病、飢え、恐怖、怒りが大地に蔓延する。財が地位を決め、富が功徳の唯一の源泉となり、情動が夫婦和合のただ一つの絆となり、虚偽が成功の源泉となり、性愛が愉悦の唯一の手段となる。

 クリタ・ユガでは私は白く、トレーター・ユガでは赤色、ドヴァーパラ・ユガでは黄色、そしてカリ・ユガ時代には私は黒くなる。カリ・ユガの最後がくると、私は恐ろしい死の姿になり、三界のあらゆるものを融没させる。七つの太陽が現れ、地上のあらゆる河も海も干上がってしまう。私は野猪となって世界を駆け、あらゆるものに火を放ち、森も草もすべてが焼き尽くされ、灰燼となる。そして最後にカルキが現れ、世界のあらゆる不正を滅ぼすのだ。そして、その後、雨が十二年間降り続き、地上のものは山もなにもかも一切が水没してしまう。そして、その中から生え出た睡蓮の上で、新しい夢想が始まり、再び新たなユガが始まるのだ。時を回すのは私である。私は無形であり、私は一切なのだ。』

とな。

 これが、ヴィシュヌ神が語ってくれた世界だ。この神々の宇宙そのものも下り坂になっているようだ。今は、まさにカリ・ユガの時代なのかもしれん。ユビュ、おまえにはこれを授けよう。」

 そう言って、ナタラーヤ聖仙は、笛のような形をした神器を取り出した。

「これはタンカーラという神器で、わしがヴィシュヌ神から授かったものだ。このタンカーラは決して敵を倒すためのものではない。だが、このタンカーラは世界を灰燼に帰すことのできるだけの力をもっておる。このタンカーラを吹けば、この世のものとも思えない高貴な響きが鳴り始め、そして、その響きに包まれながら、創造された世界が消滅してゆく。これをもってゆくがいい。そして世界を終滅させるとき、このタンカーラを吹くがいい。また、この玉ももってゆくがいい。これはマーダナという。必要なときに高貴な輝きを放ち、そなたを助けるだろう。」

 そう言うと、ナタラーヤ聖仙は忽然と消えた。ユビュの手にはタンカーラとマーダナが残されていた。見上げると空は再びかき曇り、どの山の峰も雲にかき消され、風と雪が舞い始めた。

 ユビュは神器タンカーラとマーダナを携えて山を下り、マーシュ師の館に帰還したのだった。

 

2013年掲載 / 最新改訂版:2021821日)

 

戻る


トップ  お知らせ・トピックス  自己紹介・経歴  作品  技術者として活動・経歴  写真集  お問い合わせ先  その他



Copyright © 2013-2021 Mitsuhiro Koden. All Rights Reserved.
無断転載を禁じます。

向殿充浩 (こうでんみつひろ) / 神話『ブルーポールズ』第1巻