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神話『ブルーポールズ』

【第1巻】-

向殿充浩                                           

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 数日後、ナユタがヴァーサヴァのもとを訪れた。ヴァーサヴァはナユタとの会見に乗り気ではなかったが、ムチャリンダが押し寄せているこの状況を考えるとむげにも断れない。バルマン師の勧めもあって、面会に応じることとなった。

 ナユタがヴァーサヴァの館の城門で戦車から下りると、待っていたのはバルマン師だった。

「ナユタ、よく来たな。待っておったよ。ことはまことに穏やかではないが、創造を巡る神々の軋轢から、宇宙を二分する激動の時代が到来しようとしている。」

 この言葉にナユタは深々と頭を下げてと答えた。

「バルマン様。お久しぶりです。本来であればお会いできたことを喜ぶべきでありましょうが、創造の原野ではダルマが枯れ尽きようとし、みずみずしかった宇宙の光は縹渺たる風の中に吹き払われようとしています。」

「そうかもしれんな。だが、この危難の時にこそ、おまえの力が試されるだろう。ヴァーサヴァは簡単にはおまえを認めはせぬだろうが、ムチャリンダの横暴を許しては、創造だけでなく、この神々の世界そのものがはてしない混迷の中に堕ちかねない。」

 そう語るとバルマン師はナユタを館の中に招き入れた。

 ナユタが館の中に入ると、広間でヴァーサヴァが待ち受けており、ランビニーとシュリーがそばに控えていた。

 ヴァーサヴァはナユタがやってくると、取り敢えずは儀礼に則って迎えたが、その後は尊大に言い放った。

「ナユタ、わしはおまえのこの度の振る舞いをたいへん遺憾に思っておる。この創造は宇宙の理に基づいて開始した高貴なる創造。その創造の開始に当って、創造の根源となるべき七本目のブルーポールを折って聖なる創造を妨害し、はたまた、この度は呼ばれもせぬのに、この戦場にやってきておる。ここに来ていったい何をしようとしているのか、まずはそれから聞きたいが。」

 この尊大な言葉にバルマン師は顔をしかめ、ナユタの顔色をうかがった。だが、ナユタは予期していた通りの対応とでもいうように、顔色ひとつ変えず、平然として答えた。

「私は、宇宙の涯てからやって来ました。それは何よりもまず、歪みをもって開始されたこの創造を救うため。ムチャリンダは創造の破壊を企ててこの地に押し寄せ、荒々しく大地を踏み荒らす戦車の轟音が全世界に響き渡り、存在者たちは風の中でみな震えおののいています。地上の石たちは顔をゆがめ、多くの神々は、天が引き裂かれるのを予感しています。

今はまさに宇宙の危急のとき。その状況を打開し、創造に新たな道筋をつけること、それが私の使命と心得、その使命に沿ってここにやってきたのです。」

 ヴァーサヴァは厳しい表情を崩さず、抑揚のない声で言った。

「そうか。では、まず、そのおまえの使命に従って、ムチャリンダを排除してくれるか。」

 しかし、ナユタは首を横に振って答えた。

「ムチャリンダを排除することが物事の本質ではないはず。今、問われるべきは、創造の在り方そのもの。このままでは、この創造は混乱と苦悩と喘ぎ声を生み出すだけ。創造された者たちは世界の矛盾と混迷の中で己を見失い、苦悶の内に存在し続けるだけになるでしょう。それゆえ、今の創造のままでは、ムチャリンダの主張にも一理あると言わざるを得ない。今日ここに来たのは、この創造をどのように正し、いかにして創造を真なる道へと導くのか、それについて話をするために来たのです。」

 このナユタの轟然とした発言に、ヴァーサヴァは気色ばんだ。ランビニーとシュリーも厳しいまなざしでナユタを睨んだ。バルマン師だけは、沈痛な表情でじっと目を閉じたままだった。

 ヴァーサヴァは怒気を含んだ声で言った。

「先ほども言ったとおり、この創造は神聖にして犯すべからざるもの。我が使命として、我が全身全霊を傾けて行っておる。問題が何もないわけではないが、それはそもそもおまえの妨害によって七本目のブルーポールが折られたことによっている。おまえの使命など何もない。おまえはただ妨害しているだけではないか。おまえは宇宙の涯てでじっとしておれば良かったのだ。」

 しかし、ナユタはひるまなかった。

「それは違う。そもそも世界を創造することは生易しいことではないはず。」

 そう言ってナユタは、前々回の創造、前回の創造について語り始めた。

「前々回の創造で、あなたは完全無欠な美しさだけで塗り固められた世界を作った。すべての天使がその創造を賛美し、創造の完成を賞賛した。しかし、その世界は決められたとおりにことが生起するだけの静止した世界にすぎず、創造が完全無欠であるというまさにそのことによって、神の創造力は無用となり、創造力を行使する余地は皆無であった。神は被造者に対して一切の自由意思を授けず、生み出されたものは能面のような美しさしか持たなかった。創造はときめきに欠け、冷たい響きに満ち、行き詰まってしまった。それに気づいたあなたは、ある日、ひと思いに世界を打ち壊してしまった。そして前回の創造では、今度は、創造力を最大限に生かすべく、世界そのものが不条理をこととする世界を創造した。すべてが許容されることによって創造された破天荒の世界に少なからぬ神々が大いに狂喜して喜んだ。たしかに多くの美しいものが生まれ、心ときめかせる鮮やかな状景が繰り広げられたかもしれない。しかし、結局、その荒れ狂う世界の中で被造者はあまりに無力な存在でしかなく、自らの自由を制御することができなかった。世界はまさに運命に翻弄され、その結末はご存じのとおり惨憺たるものだった。」

「それはそうかもしれぬが、それがどうしたと言うのだ。神だからといって、真にすばらしい世界を造るのは至難の業。それはあまたの神々が知り抜いていることではないか。」

「それは、そうかもしれない。しかし、問題は今回の創造がまたも本質的な弱点を持ったまま開始されたということだ。今回の創造であなたは前々回の創造と同じように、単純な数式で表される法則によって厳格に規定される世界を作った。しかし、その中で存在者に揺らぎがなければ、前々回同様、結果は静的なものにとどまり心躍らせる世界は生まれない。そのため、あなたは、存在者たちに幾多の矛盾と弱さを背負わせた。あなたの与えた法則は、清澄な喜びではなく邪心に満ちた喜びを、崇高なまなざしに根差した希求心ではなく、欲望によって駆り立てられた闘争心を生み出した。まさに、人間は、食べものと異性を求め、さらに他者から貪り取ることに汲々とする存在になった。その結果、世界は異なる存在者たちが互いの欲望をぶつけ合う沸騰した世界となり、混乱がさらに新たな混乱を生み、憎しみが新たな憎しみを生み、悲しみが大地にひたひたと染み込み続ける世界になっているのだ。」

「そうさせないためにこそ、わしはブルーポールを立てたのだ。」

 ヴァーサヴァは怒気を含んだ声でナユタの言葉を遮り、続けて言った。

「ブルーポールはその世界の矛盾を解き、人間たちの弱点を補うために立てたのだ。ブルーポールは人間たちに清廉な心を呼び起こす光を紡ぎ出す。その光は、敬虔と謙虚、そして、憐みの心、慈しみの心を生み出すものだった。そして、ブルーポールは困難に立ち向かう勇気を与え、希望の光を人間の心に灯す道しるべとなるはずだった。」

 その通りだという視線でシュリーとランビニーもナユタを睨みつけた。しかし、ナユタは声を強めて反論した。

「それは違う。あなたはたしかに慈悲や憐憫の情、敬虔で謙虚な心を与えたかもしれない。しかし、同時に、それは自分が属する部族や民族の内部、あるいは自分と同じ神を信じる者たちにしか向けられないようになっている。強欲な衝動は外に向かって炸裂するようにしかなっていない。だから、人間たちは仲間同士では助け合うが、他の部族に対しては、非情なまでに撃ち殺し、強奪し合っている。」

 ヴァーサヴァは怒りを叫んだ。

「そうなったのは、おまえが七本目のブルーポールを折ったからだ。七本目のブルーポールはまさに、真摯に神に帰依する心を紡ぎ出すものだったのだ。それだのにおまえが七本目のポールを折って、この創造を妨害したのではないか。」

 だが、ナユタは怯まなかった。

「七本目のポールは何のためだったか。それは人間を高めるものだったか。違う。それは、人間をして、宇宙のダルマに隷従させるためのものでしかなかった。あなたは言った。『世界が真実のダルマに守られ、ダルマに従って正しく道を歩むように。』と。それはダルマをして人間を隷従させ、真の意味で人間自身が目覚め、自己の存在について自らの道を切り開くことを妨げるものでしかなかった。だからあの七本目のポールは折られねばならなかったのだ。人間が真実を自分の目で見、真実を自分自身の力で切り開こうとする力を持つためには、そして逆境の中でなお自ら道を切り開こうとする力を持つためには、あのポールは折られねばならなかったのだ。私は、七本目のブルーポールを折ることによって人間をダルマへの隷属から解放したのだ。」

 このナユタの厳しい言葉にヴァーサヴァは目を吊り上げて怒ったが、あまりの言葉に反論がすぐには口をついて出なかった。代わって発言したのはシュリーだった。

「だが、この創造は順調に育まれているではないか。壮大な神殿が建ち、華麗な絵画が生まれ、偉大な叙事詩が語られ、荘重な音楽が奏でられている。この館には創造の産物が集められ、おまえもそれを見ることができる。我々の周りを取り囲むすばらしい絵画と彫像を見るがいい。これこそ創造の成果ではないか。いったい、この創造を見て何が問題というのか?もし、問題があるとすれば、それはおまえが七本目のブルーポールを折ったことによっているだけではないか。」

「どこが順調なのか。」

 そう、ナユタは反論した。

「たしかに、優れたものは生み出されたかもしれない。しかし、それは、天の底に這いつくばらされている人類の中から発した一縷の発露にすぎない。地上で、今日も明日も繰り返し生み出され、止むことなく増殖しているのは、欲望と妬みが渦巻く悲惨な世界でしかない。人間たちが慈しみ合い、愛と敬意と献身によって人間たちが心豊かに笑顔で暮らせるような平和な大地とはおよそほど遠い世界しか実現できていないではないか。」

 シュリーは怒りに体を震わせながら言った。

「そんな面もあるかもしれぬが、そんな世界になったのはおまえが七本目のブルーポールを折ったため、そして、ムチャリンダが復活したからではないか。おまえがブルーポールを折りさえしなければ、ムチャリンダは復活しなかったであろうに。」

 しかし、ナユタは反論した。

「いや、ムチャリンダは結局復活したはず。存在の究極の真実に向かい合うこともなく、欲望に突き動かされ、困難に至れば、ただ天を仰ぐだけの人間たちが織りなす世界がいったいどんな世界になるというのか。そこは限りない不幸と嘆きと悲しみを生み出す泥界としかならない。この世界の歪みが何を引き起こすか考えたことがあるか。それは必ずやムチャリンダを復活させたはずだ。」

「ナユタ。」

と、ここでバルマン師が口を挟んだ。それまで目を閉じて両者の発言に聞き入っていたバルマン師が重い口を開いた。

「ではナユタ。この創造をどう導くべきか、それを述べてくれんか。」

「バルマン様。残念ながら、その答えは容易ではありません。単に、ムチャリンダを排除し、この創造をこれまで通り擁護すれば良いというだけではすみません。人間が、人間自身で、混沌の中で真実に向かって歩み続ける道を見出し、宇宙の深奥に潜む真理に目を見開かない限り、創造は真のものとはならないのです。そして、そのためには現在の創造を正しい方向に導くべく創造に対する姿勢を転換させることが必要なのです。」

 それはヴァーサヴァの創造の根幹を揺るがし否定する言葉でもあった。

 ランビニーが甲高い声でナユタを遮った。

「ナユタ、なんということを言うのですか!この創造は神々の会議の主催者たるヴァーサヴァ神の御心に発し、その高貴な精神の発露による至高のヴィジョンに支えられています。いかなる神といえども、その創造に異を唱える権利など持ち合わせていないはず。」

 ランビニーは目を吊り上げて怒りを露にして、ナユタを睨みつけた。しかし、ナユタはランビニーに一瞥しただけで、再びバルマン師の方に向き直り、淡々と自説を述べて言った。

「先ほども述べたように、今回の創造では、創造される者たち、つまり被創造者にどんな力が備えられているのかということが問題なのです。人間たちは、愛や協力、献身といった美しい面も備えていますが、それはどのような境遇にあっても貫き通されるものではなく、たいへん脆いものにすぎない。そして、また、それらは、しばしば、憎しみ、妬み、恨みといったものと表裏一体のものでしかなく、愛のために、別の誰かを不幸にすることをなんらためらわないといったこともしばしばです。それは、被造者たちに真の力が備わっていないことを意味しています。真理を見抜き、その真理によって勇気を得るという能力を十分には備えていないということです。一瞬はそのような境地に達したとしてもそれを持続する能力がない。それゆえ、被造者たちは、断片的な美しさしか身につけていないと言わざるをえません。そして、それは、創造の美しい面にだけ目をやり、存在の真の本質から目をそらして創造を行っているがゆえに、被造者たちに、どのような状況でも真理を見失わないだけの真の力を付与できていないことに帰結するのです。これが今回の創造の決定的な弱点だということを知らねばなりません。創造の方針を転換し、人間たちに真の力を呼び起こす以外、創造を立て直す道はありません。さもなければ、ムチャリンダの言うように、創造そのものを破壊してしまわなくてはならなくなるでしょう。」

 ランビニーは立ち上がって叫んだ。その姿はランビニーの守護神パールヴァティーの化身である魔神ドゥルガーのごとくであった。

「恐れ多くも、神々の長、ヴァーサヴァ神のなさっていることに対してこのような冒涜の言葉を聞こうとは夢にも思いませんでした。おまえはそもそも神々の反逆児。宇宙の涯てにでも住まわせてもらっていることに感謝すべき者のはず。そのおまえが、宇宙の涯てからのこのこやって来たかと思えば、なんという暴言を吐くことか。我らには、シュリーを始め勇敢な戦士が多数あり、バルマン師も控えておる。ムチャリンダと戦うのにおまえなど少しも必要とはしておらぬ。そもそも、トヴァシュトリ神を奉ずるヴァーサヴァ様がなされることがムチャリンダやおまえなどに邪魔立てされるいわれなどないではないか。とっとと帰還するがいい。」

 この言葉を聞くと、ナユタは一言も発せず、向きを変えた。大地が恐ろしい脅威に直面したかのように震えを発し、大気は慟哭するかのように振動したが、ナユタは無表情のまま、ただ去っていった。

 ヴァーサヴァもシュリーもランビニー同様に怒っており、目を吊り上げてナユタの後ろ姿を睨んでいた。バルマン師だけが、顔をこわばらせ、沈痛な面持ちでナユタの後ろ姿を見送った。

 

 その夜、バルマン師が部屋にいると、とんとんとドアをノックする音がする。

「誰だね?入りなさい。」

 ドアが開くと、そこに立っていたのはユビュだった。心配そうなユビュを見て、バルマン師は、沈痛な表情で語った。

「ユビュ、たいへんなことになったな。ともかく中へ入りなさい。」

 部屋の中に入り、中央の硬い木の椅子に腰を下ろすとユビュは言った。

「バルマン様、世界が慄いています。これからどうなるのでしょう。何が起こるのでしょう。ナユタのことは聞きました。私は怖くてたまりません。」

「ユビュ、残念だが平和な時代は終わったのだ。大地から晴れやかな歌声は消えたのだ。これからは戦乱の世になる。そして、ムチャリンダが発した巨大な波がこの館を飲み込むのもそう遠い日のことではないだろう。」

 この言葉に、ユビュも事態がただならぬことを悟った。

「なんとかならないのでしょうか?」

 そうつぶやくユビュに、バルマン師は重い声で答えた。

「なんともなるまい。ナユタがヴァーサヴァを見限った今となっては、この城の命運は尽きたも同然。動き出したものはどうにもならぬ。ただ、創造の火だけは、絶対にムチャリンダに奪われてはならぬ。わしはそのための手筈を整えるつもりだ。」

「私はどうすれば良いのでしょう。前に言われたようにナユタを訪ねるべきなのでしょうか。」

 そう問いかけるユビュにバルマン師は大きくうなずき、声の調子にできる限りの優しさを込めて言った。

「ああ、そうだな。前にも言ったように、今すぐにでも、ナユタの元に行くといい。この危急のときに世界を救えるのは彼しかいない。ヴァーサヴァやランビニーの元を去るのはつらかろうが、これも世界のためだ。本当は、そなたのような乙女をこんな殺伐とした混乱の真っ只中に放り込みたくはないのだが、きっとそれがおまえに定められた使命なのだろう。」

 ユビュはしばらく考えていたが、やっとぽつりと言った。

「バルマン様。どうしても行かねばなりませんか?両親を残して行くことは耐え難いことです。そしてこの危急のときにこの城を去るのは、これまでの両親の恩への裏切りです。」

「たしかに辛かろう。だがな、ユビュ。愛する父母といえども、いつかは離れて行かねばならぬ。両親を捨てねばならぬこともある。この世界は、決して美しいこと、明るいこと、満ち足りたものだけで構成されてはおらぬ。おまえもいつかは自らの道を見い出し、それを歩かねばならぬ。」

「そうです。たしかにそのとおりです。でも、」

「ユビュ、分かっておるよ。おまえが両親を慕う気持ち、感謝する気持ちは本当に純粋なものだ。だがな、ユビュ、両親の庇護というものはいつまでも受けられるものではなく、また、いつまでも両親が引いてくれた道を歩いて行けばよいのでもない。」

「ええ、分かっています。分かっているつもりです。でも、私、どうしようもなく悲しいのです。なぜ、両親を捨てて行かねばならないのかと思うと、どうしようもなく悲しいのです。」

 そう言ってユビュは涙声になった。

「そうだな、ユビュ。悲しいだろう。だがな、おまえは今大きな岐路に立っておる。おまえは自分の道を自分で選ぶときに来ている。もし、おまえがこの城に留まったとして、いったい何ができるだろう。さっきも言ったようにこれからは戦乱の世だ。おまえはシュリーとともに戦えるか?それはできまい。第一、おまえは戦さを知らぬし、ヴァーサヴァもおまえを戦場には決して出しはしないだろう。おまえは、この城に留まり、悲嘆に暮れるだけ。そして途方に暮れ、最後には悲惨な結末を見ることになるだけだ。今、おまえは自分の前にある壁を突き破り、新しい世界に新しい自分を探しに行かねばならない。きっと新しい世界がおまえを呼んでいるのだ。」

「どうして、それが分かるのですか?」

「わしには分かるような気がする。おまえは決してただのたおやかな女神ではない。危機に臨んでも自分を見失わず、新しい世界に向かって自分の道を切り開く勇気と英知を備えているはずだ。ユビュ、きっと道は開けるよ。きっとこれがおまえの定めなのだ。」

「でも、私に何ができるのでしょう。」

「それは、わしにも分からん。どんな神であれ、自らに課せられた試練の意味を完全に理解することなどとうていできぬ。だが、何ができるかをはっきりと知るまでは何事もなさない者は、決して壁を越えることはできん。自分の可能性を信じ、自ら壁を打ち壊し、自分を未知なるものに向かって投げ出す者にしか新たな可能性は生まれない。逡巡する者からは、潮が引くように未来が去ってゆく。ナユタも自分で何ができるか分からないまま、ここに来ているだろう。もし、何ができ、何ができないかをはっきりと知っていたなら、決して今日、この城には来なかったろう。彼も今日の会談には失望していよう。だが、挫折し、失望することのない者はいかなる新しい世界も見い出さない。ナユタも自分を賭けて新しい世界に踏み出そうとしている。まさに、時代はそういう時代になったのだ。ユビュ、おまえはおまえの可能性を信じ、新しい道を行くべきなのだ。」

 ユビュは涙を拭って、ぽつりと言った。

「分かりました。分かるような気がします。ともかくナユタを訪ねることにします。」

「ああ、そうするがいい。ナユタはいい奴だ。きっと道が開けるよ。それで、おまえに頼みたいことがひとつある。それは、あの折れた七本目のブルーポールのことだ。あれはナユタのブルーポールだ。あのブルーポールには封印がなされているが、おまえがナユタと力を合わせれば、きっと引き抜くことが出るだろう。そのあとどうすれば良いかはわしにも分からん。ナユタとよく相談するといい。きっと彼もおまえのために良い知恵を貸してくれるだろう。ナユタの援助が得られなかったという情報はすぐにもムチャリンダに伝わるはず。すみやかにナユタの元へ行きなさい。」

「わたしはもうここに戻ってくることはないかもしれませんね。」

 ユビュがそう言うと、バルマン師も涙声になって言った。

「ああ、そうかもしれんな。もはや世界は動き出しておる。覚悟を決め、心の中で両親にも兄弟にも別れを告げなさい。両親に会っても、ヴァーサヴァが許すはずもない。誰にも語らず、ただひとり行きなさい。」

 ユビュは静かにうなずいて言った。

「でも、バルマン様にはまたお会いできますね。」

「ああ、きっとな。」

 バルマン師はそう答えたが、後の言葉が続かなかった。

 

 一方、ナユタとヴァーサヴァの会談が決裂したという知らせを聞いたウトゥはひとりつぶやいた。

「やはりな。父上は創造の真の意味を見失い、ただ盲目に創造に固執しているだけ。そして、ナユタは異端に走る反逆児。ひとりで偉ぶっているが、しょせんはどこにも寄る辺のない流れ者に過ぎぬ。」

 そんなウトゥのもとに突然ひとりの神が訪れた。真っ黒なマントに身を包み、頭からすっぽり頭巾を被っていた。その神はウトゥの前に現れると、次のように名乗った。

「驚かせて申し訳ありません。私はムチャリンダ軍の左将軍ルガルバンダからの使いとして参った者。名をルドラと申します。」

 ウトゥはびっくりしたが、気を落ち着けて問うた。

「それでおれに何の用だ?」

「どうか落ち着いて聞いていただきたい。」

 そう言って、ルドラは語り始めた。

「ヴァーサヴァ殿は再び創造を開始しましたが、創造された地球では混乱が絶えません。そして、その創造はこの平和な宇宙に無数の混乱を巻き起こし、無数の神々の困惑と怒りを引き起こしています。ムチャリンダはその創造をきっぱりと清算し、再びこの宇宙に真の平和を取り戻すべくやって来られました。私の主人ルガルバンダも、ヴァーサヴァの創造による混乱に対して決然として起ち上がったひとりであり、ムチャリンダの軍に加わってここまで進軍して来ております。ムチャリンダは決して戦いを望んでいるわけではありませんが、好戦的なシュリーは部将のライリーやバルマン師と謀って着々と決戦の準備を進めています。ですが、私どもはウトゥ様が真の正義の何たるかを理解し、それに沿って己の行動を起こそうとなさっているのではないかと推察しております。この前の論戦のとき、ルガルバンダが我らの主張を滔々と述べましたが、ウトゥ様がその演説に心打たれ、共感を覚えておられたのを私は読み取ることができました。また、バルマン師やシュリーの反論に必ずしも賛成されておられないことも読み取ることができました。それで、私はそのことをルガルバンダとムチャリンダに申し上げ、今日、こうして参ったのです。今、ウトゥ様はシュリーの主戦論には加わらず、城塞の中で静観されている。しかし、申し上げたいのは、こうして城の中に籠もっていても正義は具現されないということです。」

 そう言って、ルドラはじっとウトゥを見つめた。その鋭いまなざしにいくらかたじろぎながらウトゥは言った。

「それで、おれにどうしろというのか。」

「私と一緒にムチャリンダの元へ参りませぬか。」

「ムチャリンダのところへ?」

「そうです。ムチャリンダはウトゥ様を将軍として迎える用意をしております。そして私の主人ルガルバンダがウトゥ様を補佐させていただくことになりましょう。」

「しかし、それはいくらなんでもできない。父上の考え方が正しいかどうかは疑問であり、ムチャリンダの理想はすばらしく思える。たしかに、この創造は打ち壊されるべきものかもしれぬ。だが、いくらなんでもこうして両者が対峙しているときに、長男であるおれが裏切って敵方につくなど宇宙にあまたの神があるといえどもひとりとして善しとしないだろう。」

「そうでしょうか?」

 ルドラは毅然として言い放つと語気を強めて続けた。

「神の道において大切なことは親子の関係とかそんなことでしょうか?いいえ、大切なことはただひとつ、大義です。大義にまさるものはありません。ウトゥ様の守護神はシャマシュ神と聞いています。シャマシュ神は、『真実と正義の主』、『天と地を裁く神』、そして、『運命を決する神』。だとすれば、シャマシュ神を守護神とするウトゥ様のとるべき道は正義に則り、天と地に裁きを与え、宇宙の運命を決する役目を担うことではないでしょうか。親子の絆に縛られて大義を曲げた行為、それをいったいどの神が嘉するのでしょう?」

 ウトゥは言葉に詰まった。ウトゥの心の揺れを見透かしたようにルドラは続けた。

「ウトゥ様。ご決心くだされば、ムチャリンダは全軍を挙げて歓迎いたしますぞ。そして、宇宙にこの知者ありと言われるルガルバンダがウトゥ様を補佐申し上げるのですぞ。ヴァーサヴァの息子としてのウトゥではなく、正義の車輪を回すウトゥが宇宙を駆けるときが来たのです。宇宙の命運を決めるのはウトゥ様なのです。どうかご決心ください。」

「分かった。だが、少し考えさせてくれ。ゆっくりひとりで考えたい。」

 そうウトゥは答えた。

 ルドラは去ったが、ウトゥの心はほとんど決まっていた。次の日の朝、ウトゥはひとり城を抜け出してムチャリンダの陣営に赴いたのだった。

 ウトゥがやってくると、ムチャリンダは最大限の歓迎でウトゥを迎えた。

「頼もしい仲間がまたひとり加わった。このことは、我らの主張がいかに的を得たものであり、いかに正義の上に立っているかを立証してくれるものだ。ウトゥ殿、これからは力を合わせて戦おう。そして、おろかな創造を粉砕し、神々だけの楽園を築くとしよう。軍勢は既に準備されている。ルガルバンダがそなたを補佐する。」

 ムチャリンダはそう言って、ルガルバンダに引き合わせた。ルガルバンダのそばにはルドラが控えていた。ムチャリンダは大いに意気揚がり、全軍にふれ回った。

「真実と正義の神、ウトゥ殿が我が軍に加わったぞ。これで我が軍は無敵だ。ヴァーサヴァの館には、ひ弱なシュリーと老人のバルマンしかいない。一気に踏みつぶすのも難しいことではない。」

 

 ウトゥがムチャリンダを訪れたころ、ユビュもひとり、ナユタを訪れていた。だが、ユビュが丘の上のナユタの幕舎の中に入ると、ナユタはひとり瞑想しており、ユビュが来たことに気づかなかった。ユビュはナユタに呼びかけることをせず、ただ、じっと長い時間待ちつづけた。

 ナユタが瞑想から目覚めたとき、目の前にユビュが座っていた。ユビュの奉ずるサラスヴァティー女神のごとく知恵を湛えた高貴な美しさだった。驚くナユタに、ユビュは言った。

「私は、ヴァーサヴァの娘ユビュです。バルマン様の助言に基づき、ここに来ました。」

 ナユタはびっくりして言った。

「ここはあなたのような麗しき乙女には似つかわしくない場所。ここには、あなたに座ってもらうきれいな絨毯もないし、あなたの足を洗う美しい器もありません。」

 しかしユビュはきっぱりと答えた。

「そのようなものはいいのです。私にも今の危機的状況は分かります。母ランビニーの言葉は、残念ながら、この危機的状況にふさわしいものではありませんでした。バルマン様は、あなたの元へ行き、七本目のブルーポールの在りかを伝えるように言われました。ムチャリンダと戦うには、あなた自身のブルーポールが必要です。そのブルーポールは野に突き立てられています。ムチャリンダの軍勢の誰もそれを引き抜くことはできず、いまだに野に立て掛けられたままになっているとバルマン師は言われました。」

 ユビュはもって来た地図を広げて、ブルーポールのある場所を指し示した。ナユタはムチャリンダの軍勢がヴァーサヴァの城に向かって動き出せば、その場所が放置され、無神状態になることを知った。

「ムチャリンダの軍勢は明日にも動き出そうとしています。そうすれば、その場所へ行くことができるでしょう。」

 そうナユタが言うと、ユビュもうなずいて答えた。

「そのとき、一緒に行きましょう。まずブルーポールを手に入れることです。」

 

 そのころ、ヴァーサヴァの館は大騒ぎになっていた。ヴァーサヴァの息子ウトゥと末娘のユビュの行方が分からなくなったからだった。召使いや侍女たちは城内をくまなく探し回ったが、ウトゥもユビュもいなかった。

 ヴァーサヴァはいきり立って言った。

「いったい、どうしたというのだ。この大事なときに、揃いも揃ってふたりとも行方不明とは。」

 しかし、ウトゥとユビュに関する何の手がかりも得られなかった。

 一方、シュリーはそんなことには目もくれず、ひたすら決戦の準備を進めていた。ナユタの協力の可能性がなくなった今、シュリーはもう一度決戦を挑むしかないと覚悟を決めていた。

「ウトゥやユビュのことはどうでもいい。重要なことはただひとつ。決戦に勝利すること、それだけだ。」

 そしてシュリーは果敢な主戦論を唱え、決戦に撃って出ようとした。バルマン師は戦力的な劣勢を冷静に認識し、異論を唱えた。

「ここで撃って出ても勝ち目は薄い。ムチャリンダの強力な軍勢を侮ってはなりません。ここは城塞の中に閉じこもって戦うべきです。」

 だが、シュリーは納得せず、血気にはやって叫んだ。

「そもそも正義は我らにあるのです。味方をしてくれる神々も多い。ムチャリンダなど恐れることはない。そもそも城に籠もっていても、ムチャリンダを倒すことができるわけではないではありませんか。撃って出て、ムチャリンダの軍団を粉砕し、天下に我らの力を示すべきです。籠城していては、多くの神々が我らの力を侮り、ムチャリンダ側に寝返らないとも限りません。」

「だが、シュリー。この前の戦いでは野に出て戦って一敗地にまみれた。今また野に出て戦うとして、どのように戦うのか。」 

「この前の戦いでは、城を守るため多くの兵を城に残し、そのため、野戦の兵力で劣っていました。次の戦いでは、城の守備兵を減らし、野戦の兵力を増強します。わが軍は使命感に燃え、士気も高い。必ず道は開けます。」

 このシュリーの言葉に、バルマン師は、

「それはあまりに危険すぎる。」

と言ったが、シュリーは反論して言った。

「事前にあらゆる事態を危惧し、懸念されるすべてを考慮して行動すれば、事が成るというものではないはず。むしろ、それでは結局も何もできずに終わってしまうものです。大胆に決行し、懸念される危険の半ばを甘受することによってこそ、道は開けるものではありませんか。成功するか否か、それを確実に知ることは神といえどもできません。だとすれば、成功は断行する意思を持つ者のみが授かれるのであり、あれこれと逡巡する者には成功はやってこないのです。」

 この言葉に、ランビニーもシュリーを支持し、最後にヴァーサヴァが言った。

「この戦いではシャリーを総大将に任じた。ウトゥもユビュも行方不明で、ナユタは頼るに足りない。頼みはシュリーとバルマン師のみだ。このふたりが協力することなくしていかなる勝利が得られよう。バルマン殿には異論もあろうが、ここは総大将であるシュリーの決断に従ってはもらえないか。」

 こうしてヴァーサヴァ軍は城を出て戦うことが決まった。

 

 ヴァーサヴァ軍が城を出て布陣しているとの知らせを受け、ムチャリンダも軍を整えて進軍しつつ、敵情を視察させた。

「ヴァーサヴァの軍勢は三つの軍団で陣をひいています。中央にはシュリー、右翼にはバルマン、左翼には部将のライリーが陣取っています。兵力は前回の約二倍です。」

という斥候の報告にムチャリンダはほくそ笑んだ。

「城に籠もらず、出て戦ってくると浅はかな。城の守備隊まで繰り出してきたのだろうが、総兵力はなおわが軍が優っている。一気に揉み潰してくれよう。」

 ムチャリンダは指示を出した。

「シュリーにはヤンバーが、バルマンにはイムテーベが当たってくれ。左翼のライリーにはおれ自身が向かう。だが、一つだけ言っておくことがある。シュリーは倒してよい。だが、バルマンは創造の火とともに捕らえるのだ。そして、ヴァーサヴァは捕らえてもならない。いかに今回のことでヴァーサヴァに非があるとはいえ、神々の中で信望が厚く、神々の会議を主催しているヴァーサヴァを捕らえるとかえって後がめんどうだからな。」

 こうして、ムチャリンダの軍勢はヴァーサヴァ軍に迫った。地上にはごうごうと砂塵が舞い、車の軋みが耳をつんざくばかりだった。

 かくして再び戦いが始まった。シュリーは決死の覚悟で陣を敷き、容易に引き下がらなかった。ヤンバーとの戦いは熾烈を極めた。弓弦の響きはあたかも山崩れのように天地をどよもし、飛び交う矢は空を真っ黒に染め、戦車が戦場を駆け巡った。

 シュリーはブルーポールを掲げ、ヤンバーを倒さんものと中央突破と試みる。ブルーポールの威力は絶大だった。先頭を駆けるシュリーは次々に敵を打ち倒し、シュリー軍の戦車がそれに続いた。前回の戦いとはうってかわって、シュリーの勢いにヤンバーもたじたじだった。

 一方、イムテーベはゆっくりとバルマン師に迫った。神器ヒュドラを振りかざし、イムテーベは大音響を上げて叫んだ。

「ご老体。無理して出てこられることもあるまい。城に引き上げられよ。さすれば、我らとて、バルマン師に弓矢を向けようなどとは思わぬ。」

 バルマン師も大声で応じた。

「情けは無用。我らはヴァーサヴァの命に従ってここに陣をひいておる。おまえごときの力でわしを引き下がらせることはできまいぞ。」

 イムテーベは戦闘を開始したが、バルマン軍の反撃も凄まじかった。バルマン師がブルーポールを掲げて戦車を走らせると、次々に道が開け、そこにバルマン軍の戦車が殺到してイムテーベ軍を粉砕してゆく。しかし、イムテーベも慌てなかった。イムテーベはヒュドラを掲げて巧みな離散集合を繰り返し、バルマン師の奮戦によっても陣形を崩されない。こうして、一進一退の戦いが続いていった。

 ムチャリンダの直接の攻撃を受けたライリーは苦戦を免れなかった。ライリーは部将として評判が高く、今回ヴァーサヴァ側に集まった神々の中では、最も勇敢な戦士として信頼を集めていた。しかし、ムチャリンダ自身の激しい攻勢は、ライリー軍の戦車を次々に打ち壊し、ライリーの軍からは離脱者が続出した。

 ライリーは必死に声をふり絞って味方を鼓舞し、獅子奮迅の働きでムチャリンダ軍の攻撃を受け止めたが、形勢はムチャリンダ側が圧倒的に優勢だった。ライリーは何とか軍の崩壊を防ぎ、戦線を維持するのが精一杯だった。

 同じころ、ナユタは仲間たちを丘の上に残したまま、ユビュとふたりでブルーポールのある場所に向かった。ムチャリンダ軍の姿はなく、遠くで戦闘が始まっているのが見て取れた。

「あそこです。あの岩の間に突き立ててあるのが、ブルーポールです。」

とユビュが指し示した。

 ブルーポールはほこりにまみれ、輝きを失っていたが、まぎれもなく七本目のブルーポールだった。ナユタはそれを引き抜こうとしたが、ブルーポールはびくともしない。渾身の力を振り絞っても、ぴくりとも動かない。

「父ヴァーサヴァの呪文による封印がなされているのです。どうやってそれを解けば良いのかは、私にも分かりません。バルマン師も教えては下さいませんでした。」

 ナユタは考え込んでいたが、つぶやくように言った。

「魔法陣を描いてみよう。」

「魔法陣?」

「かつて、四十三億二千万年前の業火で世界が焼き尽くされたとき、時空の裂け目にいた私にもその業火は迫ってきました。もはや火の中で燃え尽きるのみと思ったとき、ナタラーヤ聖仙が現れ、『バルマンの祈りが届き、やって来た。究極の魔法陣を授けよう。この魔法陣は、二つの極のエネルギーを魔法陣の中央でぶつけあい、その力によって驚異の力を得るものだ。ただし、この魔法陣は三度しか使えない。』と言われました。そして、ナタラーヤ聖仙が一方の極に立ち、私がもう一方の極に立って、超宇宙的な力を呼び覚ますことができたのです。すると魔法陣の中心に巨大な渦が巻き起こり、その力で私は、あの業火から脱出することができました。今こそ、その魔法陣を使うべきと悟りました。」

 ユビュが同意すると、ナユタはブルーポールを中心に円形の魔法陣を描き、ブルーポールを挟んでユビュを一方の側に座らせ、自分は反対側に座った。

「ブルーポールは今、宇宙の臍に位置しています。そして、あなたは一つの極、そして私は別の極です。意識をブルーポールに集中するのです。」

 そう語るとナユタは全身全霊をブルーポールに集中させた。ユビュも必死だった。そしてナユタから投げかけられた波動を反射し、ブルーポールに照り返すと、そこには大きなエネルギーの極が生じた。

 ナユタはナタラーヤ聖仙から授けられた呪文を唱えた。突如として巨大な振動が魔法陣の中に沸き起こり、大きな場の渦がブルーポールを取り巻き、一瞬すべての視界がかき消された。

 ユビュには何が起こったのかかいもく分からなかった。だが、視界が晴れると、そこには一本になった真っ青なブルーポールがあった。神々しいまでに青い、透明な光を放っていた。

 ナユタはそのブルーポールを手にし、ユビュに感謝した。

「あなたの導きと協力がなければ、このブルーポールは手に入らなかった。」

「このポールはあなたのものです。本来そのはずであったものです。でも、すべてはこれから始まるはず。まだ、始まったばかりなのです。」

「そのとおり。戦いも始まった。私は幕舎に戻って戦況を観察することにします。ユビュ、本当はあなたにはそばにいて欲しい気持ちもあるが、できればウダヤ師とマーシュ師を訪ねてはもらえまいか。この創造を手掛けたふたりの偉大な聖者のお力をどうしてもお借りしたいのです。」

 このナユタの言葉にユビュは素直に答えた。

「分かりました。バルマン師はこの後のことはあなたとよく相談するといいと言われました。ウダヤ師とマーシュ師は私も尊敬する偉大な神。これからすぐにでも出発して、おふたりに援助を頼むことにしましょう。」

 こうしてユビュはひとり旅立った。

 

 その日、ヴァーサヴァ軍とムチャリンダ軍の戦いは結局決着がつかず日暮れとなった。ヴァーサヴァの軍勢は城中に引き上げ、ムチャリンダ軍も兵を引いて宿営した。

 ムチャリンダが夕食をとっていると、がやがやと騒がしい声が聞こえた。

「何事だ。」

ととがめると、

「野に突き立てられたブルーポールがなくなっている。」

ということで騒いでいるのだった。

 ブルーポールが引き抜かれたことは、陣中に少なからぬ動揺を引き起こしていた。ルガルバンダがやって来て言った。

「やっかいなことになりました。ナユタが引き抜いたのです。いかなナユタとて呪文によって封印されたポールを力で引き抜くことはできますまいから、きっととてつもない霊力を用いたに違いありません。そのことを陣中の者たちもみな感じとっています。それほどの霊力をもった者が控えているということに多くの者が脅えています。」

 ルガルバンダが指し示すナユタの幕舎からはブルーポールのものと思われる青い輝きが空を照らしていた。

 イムテーベはくやしそうに言った。

「今にして思えば、ブルーポールの場所を守備しておかなかったのは大きな失敗だった。誰もどうせ引き抜けないのだからとたかをくくっていたのだ。ナユタが折ったブルーポールは、もともとヴァーサヴァが持つためのものであったことを考えると、七本のブルーポールの中でもとりわけ重要な一本と思われる。そのブルーポールをナユタが手に入れたとなるとことはやっかいだ。このことを十分意識しておかねばならん。ナユタがブルーポールの威力を頼みに攻め寄せて来たら恐ろしいことになりかねない。」

「どうすれば良いか。」

と言うムチャリンダに、ルガルバンダが答えた。

「イムテーベ殿の言われる通りかもしれませぬ。ブルーポールを決して軽んじてはなりますまい。ヴァーサヴァが創造を開始した時、そもそもブルーポールは創造を擁護するためのものであったかもしれませんが、戦いの場でも大きな威力を発揮することは今日のシュリーやバルマンの戦いでも思い知らされました。一方、今、我が軍にあるブルーポールはウトゥ殿の一本だけ。第二、第三のブルーポールを手に入れる手立てを考えるべきかと存じます。」

「敵のブルーポールはシュリーとバルマンがもっている二本だ。それをどのように奪うかか。」

 そう問い掛けるムチャリンダに、ルガルバンダがすかさず答えた。

「まずはバルマンのブルーポールを狙ってはどうでしょうか。ウトゥ殿にバルマンに対していただき、ブルーポール対ブルーポールの戦いとなったとき、ムチャリンダ殿の神器ジャイバによってバルマンのブルーポールを奪うのです。」

 そう言って、ルガルバンダが具体的な作戦を説明すると、ムチャリンダは納得し、自信をみなぎらせて言った。

「よし、分かった。ジャイバは敵を倒すことはできぬが、いかなる敵、いかなる武器と戦っても決して敗れることはないとヴィカルナ聖仙が授けて下さった神器。明日は、わしとウトゥ殿とでバルマンに向かう。必ず、ジャイバによってバルマンのブルーポールを奪うとしよう。」

 そう大きな太い声でムチャリンダは宣言し、立ち上がった。並み居る者たちすべてが立ち上がり、明日の勝利を誓い合った。

 

 次の日、ムチャリンダとウトゥの軍はバルマン師の軍団に向かった。

 ヴァーサヴァの陣営では、ムチャリンダ側が陣形を変えて来ているのに驚いた。ムチャリンダ自身が、バルマン師の陣に攻め寄せて来たからだった。しかもムチャリンダの勢いは、前日のイムテーベとは比べものにならなかった。ムチャリンダの軍勢は怒涛のような迫力で押し寄せる。しかしバルマン師はあわてることなく大声で叫んだ。

「ムチャリンダ、おまえは破壊の神かもしれぬが、わしの陣形は変幻自在。おまえには破れまいぞ。」

 バルマン師は陣を左右に分けたかと思うと、また合体させ、変幻自在の戦術でムチャリンダの軍を翻弄し、優勢に立ち回った。矢が飛び交い、槍が交錯する中、ブルーポールを掲げるバルマン師の獅子奮迅の活躍が目立った。

 しかし、そのとき、突如、ムチャリンダ軍の中から青い輝きが放たれた。ウトゥのブルーポールだった。ウトゥはブルーポールをかざし、毅然として戦車を進めた。ブルーポールの出現に、バルマン師の陣営は動揺した。

「あれはウトゥではないか。なぜ、奴があんなところにいるのか。」

「裏切り者のウトゥを倒すのだ。」

 驚きの声、ウトゥを非難する声がバルマン師の軍勢のいたるところから起こったが、ブルーポールの威力はすさまじかった。ブルーポールを掲げるウトゥの突進はすさまじく、ウトゥを遮ることのできる者は誰もいなかった。ウトゥのブルーポールを先頭に、ムチャリンダの軍勢は勢いを取り戻し、無人の野を行くようにバルマン師の軍勢を寸断した。

 しかし、バルマン師も負けてはいない。バルマン師が味方を集結させ、改めてブルーポールを右手に高く掲げると、ウトゥのブルーポールよりもさらに青い一条の光が空に放たれた。

 遠くから戦況を見ていた神々の誰もが、そのとき、バルマン師とウトゥのブルーポールから放たれた二条の青い光が青空の中に激しく交錯するのを目にしたという。

 バルマン師のブルーポールは、味方に大きな勇気を与えた。敵に背を見せていた戦士たちが立ち止まり、ブルーポールの光によって勇気を吹き込まれた。

 しかし、ムチャリンダはそのときを待っていたのだった。激しい混戦の中でバルマン師が改めてブルーポールを掲げた次の瞬間、ムチャリンダは戦車をバルマン師に向かって走らせ始めていた。ムチャリンダの右手には、ジャイバがしっかりと握られていた。

 ウトゥを目がけて目を怒らすバルマン師に、ムチャリンダは疾風のごとく戦車を走らせる。ムチャリンダには宇宙の永遠の時間が停止したかのように感じられたことだろう。

 ムチャリンダが近づいてくるのに気づいたバルマン師は、はっとしてブルーポールで身構えた。そのバルマン師のブルーポールにムチャリンダはジャイバの一撃を加えた。勝負はあっけなく決まった。次の瞬間、ブルーポールはバルマン師の手を離れ、宙を舞っていた。宇宙一の聖仙ヴィカルナ聖仙より授かったジャイバがヴァーサヴァのブルーポールに負けるわけなどなかった。宙を舞い、地に落ちたブルーポールにムチャリンダは一目散に駆け寄り、ブルーポールを拾い上げて叫んだ。

「バルマン。ブルーポールはいただくぞ。そして今日がおまえの最期だ。」

 バルマン師は一瞬のできごとに驚きつつも、叫び返した。

「ムチャリンダ、よくも。だが、わしにはブラーマンがある。」

 そう言うとバルマン師は戦車の上で両手を胸の前で組んで呪文を唱えた。そしてブラーマンを呼び起こし、右手を大きく縦に振り下ろした。稲妻のようなブラーマンがバルマン師の手を離れ、ムチャリンダに向かって飛んだ。しかし、ムチャリンダはそれをジャイバで防いだ。

「ジャイバはヴィカルナ聖仙から授けられた神器。いかなる武器もこれを破ることはできない。」

 そう叫ぶと、ムチャリンダは、バルマン師のブルーポールを握り締めたまま去っていったのだった。

 バルマン師は歯ぎしりしたが、こうして、ムチャリンダ陣営は二本目のブルーポールを手に入れることになった。この日の戦いは、ムチャリンダ側の圧勝だった。バルマン師の軍勢は大きな被害を受けていた。それにも増して、ブルーポールを奪われたことが、大きな痛手だった。

 ブルーポールを失ったバルマン師の落胆は激しかった。バルマン師は戦闘を終えて城塞の中に帰ると、誰とも口をきかず、長い間自室に閉じこもったきりだった。裏切ったウトゥに対する失望も大きかった。ヴァーサヴァ側の結束の崩壊が命取りになりかねないとバルマン師は嘆いた。

 一方、城内ではウトゥを非難する声がいたるところで上がり、大きな騒ぎになっていた。特に、シュリーの怒りは激しく、誰かれとなく当たり散らした。みんなが集まるとシュリーは語気を強めて言った。

「父ヴァーサヴァの聖なる創造をもり立てるべき長男のウトゥがムチャリンダ側に寝返るとは何という恥知らず。しかも、そのブルーポールの威力のために、我らが心の支え、バルマン師のブルーポールまでも奪われるとは。ウトゥに出会ったなら、八つ裂きにして、宇宙の八本の川に投げ捨ててくれよう。」

 ライリーも目を吊り上げて叫んだ。

「我ら、ヴァーサヴァ様を支持する者たちがここに結集し、決死の思いでムチャリンダの攻撃を防いでいる今日この日に、よりによってヴァーサヴァ様の長男であるウトゥが裏切るとは。だが、こんなことでへこたれてはならない。シュリー様、バルマン師をもり立てて、ムチャリンダを撃退するまで戦い続けるのだ。」

 ヴァーサヴァはウトゥの裏切りに心痛め、しかも、バルマン師のブルーポールが奪われたことに落胆を隠せなかった。

「創造に敵対する神々がここまで多いとは。」

 ヴァーサヴァはそうひとりため息をついていたが、気を取り直して兵士たちの前に姿を現すと、次のように宣言した。

「わしの長男ウトゥの裏切りは聞いていよう。わしとしても断腸の思いだ。わしの不徳として皆にはほんとうに申し訳なく思う。しかし、ウトゥの行為は決して許すことのできるものではない。いかなる方法を用いてかまわぬからウトゥを宇宙の外に葬り去るのだ。バルマン師のブルーポールは奪われたが、シュリーはまだブルーポールを保持しており、創造の火もバルマン師が燃やし続けている。困難を乗り越え、ムチャリンダを撃退すれば、我々には高貴な創造の広野が開けるのだ。」

 

 そのころ、ユビュは単身、ウダヤ師のもとへ向かっていた。ウダヤ師はユビュを温かく迎え、

「こんな遠くまでやって来てくれて、うれしいよ。」

とユビュを招き入れた。

 ユビュは涙を浮かべながら、ヴァーサヴァの館でのムチャリンダとの戦いについて説明した。

「すべてが一変してしまいました。平和に花の咲き誇っていた野は、殺伐とした戦場に変わりました。鳥の楽しげな歌声に変わって、飛び交う矢のうなりや、戦いの雄叫びが大地を支配しています。父ヴァーサヴァは短気になり、母ランビニーは平静を欠き、シュリーは戦いに目を血走らせています。」

「そうか。ウトゥとバルマン師はどうしておいでかな。それとナユタのことも聞きたいが。」

 ユビュはまだウトゥの裏切りは知らなかったので、次のように言った。

「ウトゥは戦いには出ず、引きこもっています。創造に懐疑的な心を抱き、心を閉ざしたままです。バルマン師は父ヴァーサヴァのために、創造の火を守り、必死になって戦っておられます。」

 ユビュはさらに、バルマン師の指示でナユタを訪ね、野に突き立てられたブルーポールを引き抜いたこと、ナユタの依頼でこうしてウダヤ師を訪ね、さらにはマーシュ師を訪ねようとしていることを説明した。

「そうか。ナユタの依頼でここに来たか。おそらくこの危難を救えるのはナユタをおいて他にはあるまい。バルマン師もそのことをよくご存じのはず。だからこそそなたをナユタのもとへ行かせたのだろう。しかし、地球の状況を放っておいて神々同士の争いをしておるとは困ったものだ。地球の状況を知っているかね。地球では大変な混乱が起き、悲惨な状況が生じておる。わしにはムチャリンダとの戦い以上に、地球のことが気にかかってならない。地球では、人間が誕生したが、いまや徒党を組み、それぞれの都市が国家を作って争っている。軍隊の力を競い、憎しみと欲望によっていたるところで戦いが起こっている。すきあらば、隣国を滅ぼし、破壊と略奪を欲しいままにしようと、すべての都市が虎視眈々と機会を狙っている。戦いのたびに、無数の悲鳴が空を焦がし、うめき声が大地を覆っている。ちまたには神を呪う声が溢れておる。このような世界を作った神を呪う声がな。」

「地球に行ってみることはできませんか。」

 ふとそう言ったユビュにウダヤ師は驚いたようなまなざしを投げたが、落ち着いてこう答えた。

「行ってもいいが、あそこは、そなたのようなたおやかな乙女が行くところではない。多くの都市では人々が汚物の中で生活し、喧噪と殺しあいが頻発している。都市ごとに異なる神を崇め、その神を巡って際限のない争いが沸き起こっておる。」

「でも、この創造がどんなことを引き起こしているのか、ぜひ自分の目で見てみたいのです。それなしにはこの創造の意義を本当の意味で見極めることはできないのではないでしょうか。」

 ユビュのこの真摯な言葉はウダヤ師の心を打った。

「良いだろう。ただし、神であることを隠して行かねばならんからな。」

 そう言うと、ウダヤ師は準備を整え、ユビュを連れて地球へと旅立った。

 地球では、壮大な建築が始まっていた。

「王の葬祭殿を作っておるんじゃ。一人の王が絶大な権力を掌握し、無数の奴隷を使い、何十年という年月をかけてこの葬祭殿を作るのじゃ。」

 そうウダヤ師は説明した。

 断崖を背に建築が進む葬祭殿は三層構造の壮大な姿を現しつつあり、幅の広い斜面の参道の上には、王や神々の刻まれた二十数本の列柱が並ぶ広大なテラスが見てとれたが、その現場では下っ端の役人が鞭を振るい、ぼろぼろの腰布をまとっただけの奴隷たちの背中は腫れ上がり、血がにじんでいた。奴隷たちはやせ細り、顔をこわばらせ、喘ぎながら黙って働き続けていた。そして、監督官らしき役人は、日除けのテントの下に座り込み、給仕が差し出す菓子や飲み物を不機嫌そうに口に運んでいるのだった。

 そこから砂漠の方に目を向けると、三基の大きなピラミッドが並んでいた。ウダヤ師がピラミッドを指さしながら言った。

「あのピラミッドが作られた時代、人民は言語に絶する苦難に沈んだということじゃ。だから、人民はいまでもあのピラミッドを作った王の名を口にしたがらない。どうしてもピラミッドのことを語らねばならないときには、当時このあたりで羊を飼っていたある牧夫の名で呼ぶんだそうだ。」

 ユビュはその言葉をうつむいて聞かざるを得なかった。

 その場所を離れて都市に行くと、そこには巨大な神殿がそびえていた。その壮大な神殿では、聖なる神官たちが高位の身分を示す衣を身に纏って王の御世の繁栄を祈り、神を称え、さまざまな生贄を捧げていた。その壮麗なさま、そして宮殿の豪壮さは、神々の世界をしのぐほどであったが、同時にその柵外の貧困ぶりも並外れたものだった。

 壮麗な建物の周囲には貧民の泥小屋が密集し、蠅がぶんぶん飛び回り、さまざまな異臭や悪臭が立ち込めている。汚物がいたるところに散らばり、商人の甲高い声、女たちの金切り声がかまびすしい。裸足の子供たちが路地を走り回わり、やくざな連中が徒党を組んで街を練り歩いて善良な市民をこづきまわしている。貧しい人々が圧倒的に多く、一部の富める者たちが彼らを威圧している世界だった。

 ユビュのまなざしは悲しみに沈み、体がぶるぶると振るえていた。

「王や貴族はこれを繁栄と呼んでいる。国が強大になり、一部の特権階級はますます富んでゆくが、下層の者たちはただあえぎ続けるだけだ。それでも、戦争で負けた国の者たちよりはましというもの。戦いで負けた都市では、恐ろしい略奪が起こり、金銀財宝は持ち去られ、男たちは皆殺しにされ、女たちは凌辱され、子供たちは奴隷として売り飛ばされてゆく。地球に来たからには、戦いの場に行ってみなくてはならんな。」

 そう言って、ウダヤ師はユビュを戦場へと導いた。ウダヤ師は両軍が睨み合う平原から少し離れた丘の上にユビュを連れて行った。たくさんの戦車、たくさんの旗、そしてたくさんの兵士が戦いの前の緊張を強いられていた。

 ラッパが鳴り響くと両軍が動き出し、すさまじい衝突が起こった。激しく砂塵が舞い上がり、死闘が繰り広げられた。戦いがすんで両軍が引き揚げると、ウダヤ師は戦場へとユビュを導いた。そこには、多数の死体が散乱していた。腹を突き刺された死体、首を切られた死体がごろごろしていた。槍や矢が散乱し、壊れた戦車が放置されていた。大地には血の川ができ、上空でははげたかが舞っていた。

 ユビュはそれまで目にしたこともないあまりにおぞましい光景に身震いし、悲しみに目を伏せて、つぶやいた。

「これが創造の結果なのですか?」

 ウダヤ師は静かに、諭すように語った。

「その通り。これがヴァーサヴァ様の創造の結果だ。だが、ユビュ、だからこの世界を破壊してしまおうなどと考えてはならんぞ。それは創造を司る者としての正しい態度ではない。この創造を破壊するのではなく、正しい道に導くことこそ、我らの使命のはずだからな。」

 そう語るとウダヤ師はユビュを平和な草原へと導いた。ユビュはなおもうなだれてとぼとぼと歩いていたが、そのとき、歌声が聞こえて来た。ユビュが顔を上げると、ウダヤ師は丘の方を指さした。

「羊飼いじゃ。行ってみよう。」

 羊飼いの老人はたくさんの羊と山羊を連れ、歌を歌いながら歩いていた。ウダヤ師は陽気に声をかけた。

「やあ、元気かね。山羊の具合はどうだい。」

「ああ、お陰様で。おれの山羊はみな元気で乳の出も良いし、すべてはおてんと様のお陰だで。ところでおまえさん方はどうしてこんな所をうろうろしていなさる。」

 そう言うと、ふたりをまじまじと見つめた。とりわけ、うら若いユビュがこんな所にいるのがさも不思議だといわんばかりの表情であったが、

「まあ、まずは、山羊の乳でも飲んでいくかい。」

と気安く言った。

「ああ、ありがとう。ごちそうになるよ。」

 そう言ってウダヤ師は岩の上に腰を下ろした。ユビュも腰を下ろすと羊飼いの老人は乳を搾り、ふたりに振る舞った。乳は搾りたてで暖かく、ユビュは心慰められた。

 ウダヤ師は乳を飲み干すと、語り出した。

「実はわしは医者でな。この国の都から招かれてな。これから都へ向かうところなんじゃ。」

「ほう、お医者様でいなさるか。それはそれは。それで、どこから来なさったかね。」

「わしらの住処ははるか東方の国でな。こちらの国の医術を学びたいと思っておるのじゃよ。ところで、いつもこのあたりで山羊を放すのかい。」

 老人は陽気に答えた。

「いや、いつもはもっと遠くに行くがな。なんでもここしばらくは戦さがあるといううわさがあるで、そげえ遠くまでは行かんでおるがな。」

「戦さはおまえさん方には影響はないかね。」

 老人は屈託なく笑った。

「あるわけないわさ。わしらは羊と山羊を放牧しているだけ。戦さなんざ、お上どうしで勝手にやっていることさね。どうだね。わしらのテントに来ないかい。わしはチャンダと言うんだ。」

 ウダヤ師は礼を言い、羊飼いについて行った。テントに着くと羊飼いのチャンダは二人の妻を呼んで命じた。

「今日はお客様だ。なんでも東方の国から招かれた偉いお医者様だそうだ。最高のおもてなしの準備をしてくれ。」

 チャンダはウダヤ師とユビュをテントに案内し、二人の妻と三人の息子、それに息子の妻たちを紹介した。しばらくすると、料理と酒が運ばれてきた。

「お二人は遠い東方の地よりここまで無事旅をしてこられた。神の恩寵があったに違いありません。お二人の未来に平安を。」

 チャンダがそう言って杯を掲げた。

「ありがとうございます。このようなおもてなしをしていただき、感謝のしようもありません。それにしても、このような良い土地で平和に暮らしておられる。まさに、あなた方の神様のご加護があってのことでしょうな。」

 ウダヤ師がそう言うと、チャンダがその通りという表情を見せて言った。

「私どもは神の導きによってこの地にたどり着いたのです。言い伝えに拠れば、私から遡ること十数代前の祖先のバセルのとき、神の声に従って一族もろともすべての財産、家畜や銀や金などを携えて生まれ故郷のマリを出てこの地に辿り着いたと言われています。ときに、バセルは七十五歳だったそうです。」

「七十五歳とは、相当な高齢ですね。」

 ユビュがそう口を挟むとチャンダは大きく笑って言った。

「いえいえ、当時は今よりずっと長生きだったのですよ。たいていは、二百歳から三百歳まで生きています。だから、七十五歳は若いのですよ。」

「まあ、たしかに、昔は長生きだったようですな。」

 ウダヤ師はさもありなんという表情で答え、運ばれてきた料理に舌鼓を打ち、場に溶け込んだ。さらに、ウダヤ師は遠い国の話をたくみに聞かせて場を盛り上げた。

「東の国は海に面しておりましてな。海にはたくさんの島々が浮かんでおりますよ。」

「海というのは聞いたことはあるが見たことのある者はおりませんでな。ぜひ、どんなものか教えていただきたいものじゃ。なんでも、水がしょっぱいそうですな。それに、島が浮かんでおるということですが、塩水の上では島が浮かぶものなのでございましょうかな。」

 こう問いかけられて、ウダヤ師は笑って答えた。

「いやいや誤解をさせるようなことを申して申し訳ない。島が浮かんでおるというのは、そのように見えるというだけで、実際に浮かんでおるのではありません。だが、水が塩水というのは本当ですぞ。ですから、向こうでは、塩は海の水から作るのです。」

「えっ。塩は山から切り出してくるのではないのでございますか?」

「ええ、塩は海で作るのです。それから、海の高さは日に二回上がったり下がったりするのです。」

「そんなふうに水の高さが変わってはいろいろと不便でしょうな。」

 この問いかけにもウダヤ師は笑って答えた。

「まあ、たしかに、不便な面もあるかもしれませぬが、それに対するいろいろな工夫もありますのでな。それに、水の高さが変わることを潮の満ち引きと呼んでおるが、それはそれで、海産物を取るのに好都合でもありましてな。」

 この言葉に、席の端の方に座っていた若者が問いかけた。

「私のような者が問いかけてよろしいかどうか分かりませんが、ふと疑問に思ったことがあります。海の水の高さが変わるとなると、海が低くなるとき、その水はどこに行っておるのでございましょうか。また、逆に、海が高くなるとき、その水はどこから来ているのでございましょうか。」

 ユビュはウダヤ師がなんと答えるのだろうとウダヤ師の方を振り向いたが、ウダヤ師は考え深げな表情で答えた。

「それは難しい問題ですな。王家に使える博士どもがさまざまな方面から探求しておるが、さまざまな説が唱えられておるようです。例えば、海の果てに棲む怪物が水を飲み込むと引き潮になり、吐き出すと満ち潮になるという者もおるようです。これはなかなか信じがたいのですが、もう少しましな説としては海の遠いところで雨が降れば満ち潮になり、雨が上がって海水が蒸発すると引き潮になるというのもあります。潮の満ち引きは一日に二回起こるので、そんなに都合良く雨が降るものかどうか疑わしいですがな。ともかく、こんな具合で、未だに答えは出ておりません。まあ、およそ、この地上と天空のことで、人知の及ばぬことが多々ある世界でございますからな。」

「そうですか。ウダダ様はずいぶんと博識のご様子ですが、ウダヤ様にも分からぬことがおありなのですな。」

 そう言ったチャンダに、ウダヤ師は大きく笑って、

「そのとおりでございますよ。すべてをお見通しなのは神様だけでございましょうからな。」

と答え、右手で印契を切った。

 それを見てチャンダが言った。

「今のはまじないか何かなのですか?」

「そうですな。私どもの国では、神様のことを口にしたときにはこうして印契を切るのですよ。もしも自らの言葉に不敬が含まれていたとしても悪魔からの災いがやってこないようにするためですよ。また、神様のご加護がありますようにという意味もありましてな。」

 こうして、楽しい宴が夜遅くまで続いた。チャンダも久しぶりの客人を迎え、しかもウダヤ師が面白い話を次々に披露してくれたこともあり、すっかり上機嫌であった。

 だが、宴も終わり、皆が満ち足りた思いで寝静まったころ、テントの外が突然騒がしくなった。ウダヤ師とユビュが何事かと起き出してみると、外からチャンダが飛び込んで来た。チャンダはウダヤ師を見ると、今にも泣きそうな表情で言った。

「ウダヤ様。三男の嫁のイリアが急に産気づきましてな。生まれるのはまだまだ先と思うておりましただ。しかも、ひどい難産で、このままでは子供はおろか、母親も危ないですだ。お願いでございます。どうか母親と子供を救ってやってくだせえ。」

 ウダヤ師は、チャンダの肩に手を置くと、こう言った。

「ご心配さなるな。私たちに任せなさい。私はこれまでにもたくさんの難産の母親と子供を救ってきた。夕べはたいへん歓迎していただき、こうして宿まで提供いただいておる。どのようにして恩返ししようかと思案しておりました。お力になりましょう。」

 この自信に満ちた言葉にチャンダは勇気づけられ、

「そうでございますな。都に呼ばれて旅をなさっているあなたさまに見ていただけば、きっと大丈夫でございますな。」

と言って、ふたりを先導した。

 ウダヤ師はユビュにそっと、

「これも何かの運命だろう。我々は常に、とてつもなく強い力によって翻弄される。その力に逆らうことは何者にも許されない。」

とささやき、ブルーポールを用意するように言った。

 案内されたテントの中では、三男の妻イリアが苦しみ、その回りを女たちがおろおろと立ち回っていた。ウダヤ師は、落ち着いた威厳に満ちた態度で、語りかけた。

「イリア。分かるかい。私だ。もう大丈夫だ。」

 イリアはかすかにうなずいた。ウダヤ師は、

「大丈夫。私たちに任せなさい。心配しなくていい。外に出て待っていなさい。」

と言って皆を外に出させた。

 ユビュとふたりだけになると、ウダヤ師はささやいた。

「こんな早産では、ふつうなら子供は助かるまい。母親の命も危ういだろう。この子を救うにはブルーポールしかない。」

 ウダヤ師はブルーポールを母体にかざし、ユビュもそれにあわせて同じようにした。二本のブルーポールが交わると、ブルーポールは青い光を放ち始め、その青い光線が母体を包みこんだ。イリアの顔からはみるみる苦痛の色が消え、穏やかな安らいだ表情になった。

 しばらくすると分娩が始まった。しかし子供の泣き声は起きなかった。

「やはりだめです。子供は死んでいます。」

 ユビュは悲痛な声で言った。しかし、ウダヤ師は、

「自分の力を信じるのだ。そしてブルーポールの力を信じるのだ。」

と言い、子供の両の腕にブルーポールを抱かせると、宣言した。

「ブルーポールはその偉大な力によって、人類の礎を開く偉大な勇者の出生を司るだろう。いかなる死の王者も、ブルーポールの放つ光の前にはひざまずくだろう。」

 言葉がウダヤ師の意志を越えてひとりで発せられたかのようだった。

 ブルーポールの光は、子供を包み込み、子供の体にはしだいに赤みが差して来た。そしてついに、子供はおぎゃあおぎゃあと泣き出した。

 泣き声が始まると、ウダヤ師は急いでテントの外へ出て、テントの中に駆け込もうとするチャンダたちを制止して言った。

「大丈夫です。子供は無事生まれました。男の子ですぞ。母親も無事だが、今は眠っている。これから子供の体を洗い、産後の後かたづけをします。朝日が昇ったら、もう一度やって来てテントの中に入ってください。」

 ブルーポールの存在を隠すためにこう言ったのだった。

 朝日が昇ると、チャンダをはじめ家族がテントに入って来た。イリアも元気を回復しており、みんなが入ってくると、すやすや眠っている男の子を見せた。

 みんな大喜びで、ウダヤ師に抱きついて喜びを表し、ウダヤ師を讃えた。チャンダの妻もユビュの手を取り、涙を流して感謝した。チャンダは涙に濡れた顔をぬぐいながら言った。

「まるで奇跡を見たようですじゃ。これまでも何度かこのような早産を見聞きしてきましたが、一度として生きて生まれたことはありませんじゃった。ウダヤ様、ほんとうにあなた様はこの子の命の恩人ですじゃ。ひとつお願いがあるのですじゃが、どうか、この子の名付け親になって下さらんか。」

 ウダヤ師は、笑顔でうなずいて言った。

「この子は偉くなりますぞ。一度、死を克服したのですからな。大事に育てなさい。」

 そしてウダヤ師はその赤子にヨシュタという名を授けたのだった。

 

 その朝、ウダヤ師とユビュは都へ向かうと言って早々にチャンダの元を立ち去り、その足でマーシュ師の館に向かった。

 マーシュ師の小さな庵にふたりが着くと、マーシュ師がふたりを出迎えた。

「マーシュ様、お久しぶりです。」

 ほっとしたような笑顔を浮かべて挨拶したユビュに、マーシュ師は優しく語りかけた。

「ユビュ、待っておったよ。ウダヤ師が前もって知らせてくださったのでな。いつかいつかと首を長くしておったよ。それにしてもよく来てくれた。ここは宇宙の中でも辺境の地で近づく者も少ない。久しぶりの客じゃよ。それにしても、ユビュ、ちょっと見ない間にまた一段ときれいになったな。」

 マーシュ師はそう言って笑い、さらに続けた。

「ところで、小さいが新しい家を建てたよ。わしには古びたあばら家ひとつで十分だったんじゃが、まさかユビュをそこへ泊めるわけにもいかんでな。ウダヤ師にも新しい家に泊まってもらおうと思うておる。わしも明日にでもそちらに引っ越すよ。」

 マーシュ師はそう言うと、ふたりを新しい家に案内した。

「マーシュ様、私のためにそんなにまでしてもらって申し訳ありません。私などどんな家の軒先でもかまいませんのに。」

 ユビュはそう言ったが、ウダヤ師は笑って遮った。

「そなたはそうかもしれんが、客を迎えるマーシュ様としてはそうもいくまい。遠慮せずに新しい家に泊めてもらうとしよう。」

 新しい家はこざっぱりして気持ちが良かった。大きくはないが清潔で、新しい木の香りが家じゅうに満ちていた。窓からは明るい日の光が差し込んでいた。その明るさと清潔さとが、最近の幾多の困難をしばしの間、忘れさせてくれた。新鮮な風がユビュの心に吹き込んできた瞬間でもあった。

 ウダヤ師とユビュはヴァーサヴァの館の状況、ムチャリンダやナユタのこと、そして地球に行ったことなどをマーシュ師に語った。

「そうか。状況は抜き差しならぬものになっておるな。最初に懸念した通りのことが起ころうとしておる。ユビュ、おまえはこれからどうする。わしとしては、ここに留まることを勧めるがな。両親や兄弟のことも心配だろうが、あそこに戻ったとしてもおまえにできることは少なかろうし、危険でもある。思うに、きっとナユタも遠からずここにやって来よう。それまで、ここに留まってナユタを待つほうが良いと思うが。この家はおまえのためのものだからな。」

 ウダヤ師も同調して言った。

「ナユタもマーシュ師を頼りにしておろう。ここで待つのが良いとわしも思う。」

 ユビュは素直にうなずいて答えた。

「おふたりのお勧めに従います。」

 その夜、ウダヤ師とマーシュ師は遅くまで語り合った。

「それにしても、困難なことになったものだ。やはり、最初に、ヴァーサヴァを押し止めるべきだった。」

 そう嘆くマーシュ師に、ウダヤ師も同意して言った。

「たしかに。だが、ヴァーサヴァの意志は堅く、覆すことはできなかったろう。宇宙の主催者たる彼が創造を開始するという以上、誰もそれを止めることはできますまい。」

 このウダヤ師の言葉にマーシュ師もうなずいて言った。

「ユビュにはかわいそうで言わなかったが、今回の戦いは、ムチャリンダが勝つだろう。シュリーやバルマン師がいるとはいうものの、ヴァーサヴァ側に勝ち目はあるまい。」

「ある意味では、ナユタは早くここに来て、戦さの準備を進めた方が良いかもしれぬな。ムチャリンダの暴虐に苦しんできた者たち、その横暴さを苦々しく思っている者たちは、きっとナユタのもとに参集してくれよう。わしは明日にもここを発って、ナユタの元に行き、早くここに来るように伝えるとしよう。」

「そうしてくださるか。ありがたい。わしはここで、ナユタを迎え入れる準備を進めておこう。多くの神々を迎えるための館も準備しておこう。」

 

 ウダヤ師は次の日、朝早くマーシュ師の館を発ってナユタの元に赴いた。

 ナユタはウダヤ師の姿を見るとびっくりしたが、

「こんなところにわざわざ来てくださるとは。」

と、喜んだ。

「ナユタ、わしが来たのはほかでもない。今、ユビュはマーシュ師のもとに来ておる。わしはおまえにもマーシュ師のところに来て欲しいと思うてな。マーシュ師も喜んでおまえを迎え入れる準備を進めておられる。そのことを伝えようと思って来たんじゃ。」

「ありがとうございます。しかし、ここでは戦局が緊迫しており、ウトゥがムチャリンダ側に寝返り、先日はバルマン師のブルーポールが奪われたばかりです。」

「なに。ウトゥが寝返った?」

「ええ、ウトゥはルガルバンダの軍を率いて戦いに加わり、ウトゥとバルマン師の戦いのさ中に、ムチャリンダがジャイバでバルマン師のブルーポールを奪ったようです。」

「そうか、そんなことがあったか。だとすれば、ますますもって一刻も早くマーシュ師の館へ行った方が良い。」

「しかし、はたしてこのまま、戦場を離れてマーシュ師のもとへ行っていいものかどうか。」

「たしかに、ここのことも気に掛かろう。だが、心配しても、今のおまえの力ではどうしようもあるまい。ヴァーサヴァはおまえを認めておらぬし、おまえ自身が引き連れている手勢はあまりにも寡兵だ。マーシュ師のもとへ行けば、ムチャリンダの横暴に怒る神々が数多く参集してくれよう。まず、マーシュ師のもとに行き、ムチャリンダに対抗する戦いの準備をした方がよかろうと思うが。」

 ウダヤ師のこの言葉に、ナユタも決心して言った。

「分かりました。近日中にここを立って、マーシュ師のもとに向かいましょう。」

「そうか。それが良い。この戦いは長い戦いになる。決して目先の戦いにばかり気を取られてはならん。わしは今夜ここを立って、一足先にマーシュ師に伝えておこう。」

 こうして、ウダヤ師は、マーシュ師のもとでの再会を約してナユタのもとを離れた。

 

 一方、二本目のブルーポールを手に入れたムチャリンダ陣営では、ヤンバーが激しい主戦論を唱えていた。

「いまや、ヴァーサヴァの軍勢は、バルマンのブルーポールを我らに奪われ、意気消沈しております。それが証拠に、我らのいかなる挑発にも応じず、あの日以来じっと城に閉じ籠もったきり反撃の兆しすら見せません。今こそ、城に総攻撃をかけ、一気に勝敗を決すべきときです。」

 多くの武将がうなずく中、しかし、イムテーベが異論を呈した。

「皆、戦さの常識が分かっておらぬのではないか。城に閉じ籠もっている敵を攻めるのは容易なことではない。たしかにこちらにはブルーポールが二本ある。しかし、ヴァーサヴァの側にもなおシュリーが一本保持しておる。ここは焦ることなくじっくり包囲を続けるべきだ。ムチャリンダ殿に攻められるまま、城に籠って反撃すらできない状態が続けば、ヴァーサヴァの権威はますます失墜し、堰を切ったようにヴァーサヴァから離反する神々が出てこよう。」

 イムテーベの威厳のある発言に一座はしんと静まり返ったが、そんな中、ルガルバンダが発言した。

「イムテーベ殿、貴神の軍略に関する造形の深さには常に感服しておる。たしかに、今ヴァーサヴァの城塞に総攻撃をかけるのは得策ではないかもしれぬ。しかし、もう一つ気になるのはナユタのことだ。ナユタについてはどう考えられる?」

「たしかに、ナユタのことは気にかかる。彼は寡兵でやってきているとはいえ、前回の創造が帰滅する際のナユタの活躍はどの神々の心にも強く刻み込まれている。そのナユタはヴァーサヴァとは相容れなかったとはいえ、一方で我らにもなびかず、七本目のブルーポールを手に入れ、丘の上に留まっている。たしかに見過ごしてよい状況ではない。」

「では、そのナユタを攻めてみるのはどうか。我らの軍をもってすれば、寡兵のナユタを蹴散らすことは難しくないはず。しかも、ナユタを倒せば、宇宙の神々の形勢も一気にムチャリンダ殿に傾こう。さすればヴァーサヴァの勢力はますます衰え、城塞に籠もっているとはいえ、あとは敗北を待つばかりとなるのではないか。」

 このルガルバンダの意見にヤンバーが即座に賛成した。

「たしかにそうかもしれぬ。ヴァーサヴァの陣営でもバルマンはなおもナユタに期するものをもっていると聞く。ナユタがいなくなれば、ヴァーサヴァ側の一縷の望みも絶たれるわけで、大勢は一気に我が方に傾こう。」

 このナユタを攻めようという案にはイムテーベも反対しなかった。ムチャリンダが決断した。

「よし、ナユタを攻めよう。ヤンバーはナユタの正面から攻撃を仕掛けてくれ。だが、決して深入りしてはいかん。もし、ナユタが反撃を試みて来たら、無理をせずに退却するのだ。ルガルバンダは、側面に位置し、もしもナユタが反撃のために丘を駈け降りてきたら、側面から奇襲をかけてくれ。イムテーベ、そなたはナユタの背後に回ってくれぬか。ナユタが丘を下りて攻め寄せて来たら、手薄になった丘の上を占領するのだ。そしてナユタを挟み撃ちにするのだ。」

 こうして、ついに、ナユタとムチャリンダの最初の戦いが始まることとなった。

 張りつめた大気に言いようのない緊張が走り、来たるべき未来への戦慄が大地からゆらゆらと立ち昇った。

 

 ムチャリンダ軍はナユタ軍に悟られないよう密かに未明に移動を開始したが、ムチャリンダ軍を警戒するナユタ軍はすぐにその動きを察知した。

 ナユタは僚友のシャルマを呼んで言った。

「ムチャリンダ軍が動き出した。いよいよ戦いだ。」

 シャルマは嵐の神テシュブを守護神にいだく天下無双の槍の使い手であり、その伎倆でシャルマに優る者は誰もいないという名手であった。早くからナユタの元に馳せ参じたシャルマはナユタがもっとも信頼する仲間でもあった。そのシャルマは答えて言った。

「そうだな。それでどのような作戦を。軍の数では我が方が圧倒的に不利だが。」

「ああ、分かっている。実はウダヤ師が来てくださり、マーシュ師の館へ行くように言ってくださった。だから、二三日中にもここを発って、マーシュ師の館に行こうと思っていた。ムチャリンダ軍との衝突を避けてマーシュ師の館に向かうことも可能だが、ここは一度ムチャリンダに一撃を加え、天地に正義の力を知らしめるべきと思う。おれは宇宙の涯てからやって来た。ブルーポールも手に入れた。運命の車輪は回転し始めている。地球で何が起こっているかを考えるだけでもじっとしてはおれない。ムチャリンダの軍を突破し、マーシュ師の館に向かおう。」

「で、具体的な作戦は?」

「作戦はただ、全兵力でまっすぐにムチャリンダに向かって突進し、ムチャリンダ軍を突き破った後、マーシュ師の館に向かう、それだけだ。丘の背後や側面の敵兵より速く行動することが大切だ。乱戦になっては寡兵の我が軍は不利だからな。」

 シャルマが答えて言った。

「よし、それではさっそく準備を整えよう。日の出前には、全軍の突撃準備を完了させよう。」

 東の空が赤く染まるころ、ヤンバーの部隊はナユタの陣取る丘の下に隊列を整え、戦闘の開始を待った。東の空に日が昇ると同時に、ヤンバーは全軍に号令した。

「攻めかかれ。隊列を乱さず、ナユタの陣に圧力をかけるのだ。」

 しかし、それを見たナユタは先頭に立ってヤンバーの軍に突撃していった。疾風のごとき速さでナユタは朝の空気を突っ切った。シャルマをはじめ、ナユタ軍の僚友たちが急いで後に続き、ナユタの軍は恐ろしい勢いで丘を駆け降りた。

 神器マーヤデーバを打ち鳴らすナユタの戦車がヤンバーの軍に迫ると、そのあまりの勢いにヤンバーの軍は恐れをなし、怖じ気づいた。

 前回の創造の際、宇宙を救おうと奔走するナユタにマーシュ師が授けたマーヤデーバが四十三億二千万年ぶりに宇宙にこだました瞬間だった。その響きはその昔の孤高のナユタの伝説をヤンバー軍の兵士ひとりひとりに思い起こさせた。

 ナユタ軍の突撃の前に、ヤンバー軍は早くも中央の一角が崩れ、ナユタは神器マーヤデーバの音も高らかにその一角から一気に突入していった。

 ルガルバンダは側面から奇襲し、退路を断つ計略だったが、ナユタのあまりに速い動きについて行けなかった。彼が動き始めたときには既にナユタはヤンバーの軍を突っ切り、ムチャリンダの本陣を目指していた。

 イムテーベは打ち合わせどおり、丘の上に押し寄せ、そこを占領したが、丘の上から戦況を見て顔をしかめた。

「何ということだ。ナユタの方が一枚上手だ。あのマーヤデーバの音がここまで響いてくる。私があそこにいれば、ムチャリンダ殿を守り通せるのだが。ナユタの勢いはすさまじく、まともに戦うと非常に危険だ。」

 そう言うと、イムテーベは翼をもつ神サヌートを呼んだ。サヌートはかつて神器ヒュドラをもっていたが、あるとき、イムテーベに神器ヒュドラを譲る代わりに、イムテーベが守護神ホルスより授かっていた二本の腕をどんなところへも意のままに飛翔できる翼に変える能力を譲り受けたのだという。もっとも、これには異説もあり、それによれば、かつてイムテーベがある邪神を退治した時、その邪神に仕えていたサヌートがヒュドラを差し出すことによって許しを得たということだった。その際、サヌートの守護神ガルダがサヌートに哀れみを感じ、二本の腕を翼に変える能力を与えたのだという。いずれにしても、それ以来、サヌートはイムテーベと固い絆で結ばれ、イムテーベが今回、ムチャリンダの元へ馳せ参じたときにも彼に従ったのだった。

「サヌート、いまやナユタの疾風のごとき勢いの前にムチャリンダ殿は危険にさらされている。軍を分散させたのは失敗だった。ムチャリンダ殿の本陣の兵はあまりに少ない。このままでは、愚かな創造を紂し、創造されたものを破壊しようとする我らの崇高な目的も朝露のように潰え去ってしまわないとも限らない。今すぐムチャリンダ殿の元に行き、危険を知らせるのだ。ナユタを避け、ウトゥ殿とともに難を避け、迂回してこの丘に来られるように勧めてくれ。くれぐれも危険を冒して、ブルーポールやジャイバを用いてナユタと戦ったりしないように伝えるのだ。」

 サヌートは腕を広げて翼に変えるとさっと空に舞い上がり、一目散にムチャリンダ目指して飛んで行った。

 サヌートからの知らせにムチャリンダは顔をしかめ、歯ぎしりした。

「ナユタに立ち向かえる者がいないとは。」

 ウトゥが勇み出て言った

「私がナユタを倒しましょう。ブルーポールによってナユタを打ち破り、この世界でナユタなどものの数ではないことを全宇宙の神々に知らしめましょう。」

 しかしサヌートは激しく叱責した。

「ウトゥ殿。それはまさしく匹夫の勇というもの。その勇ましさは命取りになりますぞ。そなたのような若造がかなう相手ではありませぬ。イムテーベ殿は、いかなることがあっても決してブルーポールを使わないようにと言われた。ムチャリンダ殿がブルーポールかジャイバによって戦うなら勝ち目がなくもないであろうが、今はそのような危険を冒すべきときではありません。今我が軍は分散しておりますが、ヤンバー殿、ルガルバンダ殿、イムテーベ殿の軍と一体になれば、ナユタとてそう簡単に手だしできるものではありません。ここはイムテーベ殿の忠告に従い、ナユタを避けて迂回し、丘の上に集結なさるのが良策です。もはや時間がありませぬ。一刻の猶予もなりません。すぐに兵を移動させるのです。」

 ムチャリンダは即座に同意した。しかし、そのとき既にナユタ軍は目前まで迫っていた。神器マーヤデーバを打ち鳴らしてナユタが迫るとムチャリンダの軍勢はあっと言う間に浮足立ち、あるものは右に逃げ、あるものは左に逃げ、大混乱に陥った。ナユタの軍勢はその中を縦横無尽に駆け巡り、ムチャリンダの軍勢を次々に壊滅していった。

 ナユタの兜が朝の澄んだ光に照り映え、大地の上を駆け巡るナユタの姿はまさに神々しいばかりだった。

 戦場にはマーヤデーバが高らかに鳴り響き、その響きにムチャリンダ軍の兵士は恐れおののき、ナユタ軍の兵士たちはますます勇気づけられて戦場を疾駆した。

 ナユタがブルーポールを高く掲げた。その光は朝日以上にまぶしく戦場を青く照らした。

「ブルーポールだ。」

「ナユタがブルーポールを掲げたぞ。」

 戦場では敵味方の兵士が口々に叫んだ。ブルーポールの光はまっすぐにムチャリンダとウトゥの姿を照らした。

「あそこにムチャリンダがいる。あそこに戦車を進めよ。」

とナユタは命じた。

 ナユタの戦車がムチャリンダとウトゥめがけてぐいぐいと迫ってくる。ウトゥは恐ろしさのあまり歯をがちがちと鳴らした。

 ナユタはムチャリンダに近づくと叫んだ。

「ムチャリンダ。おまえの非道を誅するためにやってきた。このブルーポールの威力を受けよ。」

 ムチャリンダは顔をこわばらせながらも、大声で叫んだ。

「ナユタ、思い上がるなよ。おれ様を倒すなど一千億年早いわ。」

 そしてムチャリンダが取り出したのはジャイバだった。ムチャリンダにとって頼るべきものはジャイバしかなかった。

 ムチャリンダは叫んだ。

「ナユタ、このジャイバはヴィカルナ聖仙より授かった聖なる神器。いかなる武器によっても打ち破られることはない。」

 ナユタもバルマン師のブルーポールがジャイバに打ち破れられたのを即座に思い起こした。それでもナユタは果敢にブルーポールで打ちかかった。しかし、ジャイバを破ることはできなかった。

 ナユタはムチャリンダを倒すことを諦め、ムチャリンダに向かって叫んだ。

「ムチャリンダ、おまえの横暴はいつかきっと誅される。非道が正義に打ち勝ったことなど宇宙開闢以来一度としてなかった。」

 ナユタはそう叫ぶと、次の瞬間には戦車の向きを変え、兵をまとめて去って行った。

 ムチャリンダは一難去ってほっと息をつき、イムテーベの待つ丘の上に合流したが、ウトゥは恐ろしさのあまり、丘に着いた後もしばらくひざの震えがとれないほどであった。

 

 一方、ナユタは戦場から抜け出ると、朗々と空間を突っ切っていった。ムチャリンダの軍勢を打ち破ったものの、ブルーポールはジャイバを打ち破れなかった。ジャイバのあるかぎり、ムチャリンダを倒すことは不可能だった。

 だが、無敗を誇ったムチャリンダをナユタが打ち破ったこの事件は、神々の間に大きな衝撃を走らせた。

「宇宙開闢このかた、マーシュ師の超人的な呪術によってムチャリンダを闇に葬った以外、いかなる神もムチャリンダを打ち破ることはできなかった。だが、そのムチャリンダをナユタが打ち破った。」

 その知らせは、あっという間に神々の間を駆け巡った。ムチャリンダを嫌う者たちは、祭壇を築いてナユタを賛美した。一方、ムチャリンダを信奉する者たちの間には言い知れぬ困惑が走った。彼らはこれまで、敗れることを知らぬ存在こそ、何よりも正義の証明と考えていたからだった。

 ナユタは宇宙を突っ切り、マーシュ師の住処にたどり着いた。マーシュ師はユビュとともにナユタを出迎えた。

「ナユタ、よく来たな。待っておったよ。実に、四十三億二千万年ぶりだな。おまえに再び会えてうれしいよ。ムチャリンダを打ち破ったという知らせは既に届いておる。だが、ムチャリンダは強大だ。ここでしばらく時を過ごすがいい。ユビュもこうして来てくれておる。ユビュの導きで折れたブルーポールを手に入れたことも聞いた。ともかく歓迎するよ。さあ、うちの中に入りなさい。これからはここを自分の家と思っていいのだからな。」

「ありがとうございます、マーシュ様。いただいたマーヤデーバの力によってムチャリンダを一度破ったとはいえ、単に緒戦の勝利に過ぎません。しかも、ムチャリンダの陣営には、まだ二本のブルーポールがあり、イムテーベ、ヤンバー、ルガルバンダというつわものどもが集まり、ウトゥもそれに加わっています。また、ムチャリンダのもつジャイバは敵を倒す力こそないものの、決して打ち破られることのない神器です。そして私は住処をもたぬ宇宙の流浪者。こうしてマーシュ様に暖かく迎え入れてくださり、本当に感謝します。」 

 そう言って、ナユタは深々と頭を下げた。

 

 こうして、ナユタはユビュと共にマーシュ師の館に逗留することになった。

 その夜、ユビュはナユタと別れてからのことを語った。ウダヤ師を訪ね、ともに地球を訪ねたことも語った。ウダヤ師が付け加えた。

「残念なことだが、地球では人間たちの限界がはっきりして来た。これも創造の開始以来の歪みによるものだ。人間たちは欲望と怒りに身を任せ、狭い了見で、大地に目を擦り付けるようなものの見方で生きている。よこしまな人間も増えた。彼らの行為は決して崇高な形では結実せず、儀式は空虚になり、礼儀は形式へと堕落している。理性は陰り、愚かしい情念と憎しみに満ちた激情が人々を叩きつけている。人は体も心も病に冒され、喧噪のうちに人生を過ごしている。」

 ナユタは答えた。

「この創造は当初から歪められていました。新たなものを生成するという使命を担った世界が、けれど、困難に向かう真の力を持たずにいるからです。静的な美しさを保持するだけならば、ヴァーサヴァの創造のやり方も成功したでしょう。しかし、新たなものを生み出すには、困難と闘い、真理への険しい道を登り、究極のものを極めるための崇高な力が必要です。存在の本質を見抜き、宇宙の根源に潜む深遠な真理を見つめる透徹したまなざしが必要なのです。しかし、この創造にはそのような力は十分には付与されませんでした。」

「たしかに、ブルーポールの力を頼って創造を始めたヴァーサヴァのやり方は、限界があるだろう。わしも創造の儀式に列席し、責任を痛感しておる。被造物そのものに真の力がなければ、ブルーポールの力だけではいかんともしがたかろう。今の人間界を見ても分かるが、人間たちはうまくゆかないことがあると、他の誰かのせいだと考え、自らを省みないこともしばしばだ。自分たちの真摯な努力よりも自分たちの世界の外の見えない力にも頼りたがる。自らを高めるのではなく、何者かによる救済を求め、存在の本質へ迫るのではなく、真理から目をそらすことによって心の平安を得ておる。すべては最初の歪みが原因であろう。」

 それから毎日のように、地球のこと、人間たちのこと、さらにはムチャリンダやヴァーサヴァのことが話し合われた。また、マーシュ師とウダヤ師はナユタとユビュにいろいろなことを教えた。ふたりはまさに宇宙の英知そのものであった。

 そして、その間にも、マーシュ師の館には、ナユタの支持者たちが続々と集まって来た。シャルマはもとより、カーシャパ、プシュパギリなど名だたる神々が集まった。

 カーシャパは、事実と真実以外は口にしたことがないと言われたマハーカーシャパを先祖に持ち、宇宙のあらゆる武器と戦略に通じた奇才であり、宇宙一の策士と言われた神であった。また、プシュパギリは宇宙一の弓の名手として名高く、その弓から放たれた矢で当たらぬ矢はないと言われるほどだった。こうした勇者らを束ね、シャルマは着々と戦いの準備を進めたのだった。

 

 一方、ナユタの去ったヴァーサヴァの館では、ヴァーサヴァとムチャリンダの睨み合いが続いていた。

 ムチャリンダの陣営では、ヤンバーだけでなく、ルガルバンダがいらだって主戦論を展開していた。

「このような形でナユタにしてやられるとは思ってもみなかった。たしかに、我々にとってはさほどの被害ではないし、ナユタが去って邪魔者がいなくなったとも言える。だが、問題はムチャリンダ殿の威信の失墜だ。寡兵のナユタに中央突破を許した事実は、多くの神々の離反を招きかねない。早急にヴァーサヴァの館に攻撃を仕掛け、威信を回復せねばならない。」

 主戦論者のヤンバーもすかさず同調した。この論議に賛同する者は多かったが、思慮深いイムテーベは反対意見を述べた。

「確かに、威信の失墜という面がなくはない。だが、我々は本当に負けたわけではない。ナユタは一撃を加えて去っただけだ。威信という面で言えば、より大きな失墜を招いているのはヴァーサヴァのはず。このように、館の近くに大軍勢で押しかけられていながらそれを撥ね返せないでいるヴァーサヴァの威信こそ失墜しかかっていると言えよう。多くの日和見の神々は、神々の父、宇宙の主催者と言われたヴァーサヴァの限界を悟り始めている。このままの状態が続けば、ヴァーサヴァはますます孤立無援となり、引き潮の水が引いてゆくように自らの勢力が衰えてゆくことを悟るであろう。そして、彼らとしては、そうなる前に勝負に出るしか道を開く手がないことを悟り、城外に出て決戦を挑まざるを得なくなる。そのとき、城外の決戦でヴァーサヴァを打ち破ればよい。逆に、今、城を攻めたとしても城に籠って防御を硬くしている敵を相手に城を落とすのは容易いことではない。むしろ、頑強に持ちこたえられると、ヴァーサヴァへの支持が再び盛り返さないとも限らない。それゆえ、敵が決戦のために城外へ出てくるまで待つのが妥当。敵は必ず動くはずだ。」

 ムチャリンダもうなずいて言った。

「よかろう。もう少し待とう。おれもシュリーは必ず出てくると思う。」

 

 ヴァーサヴァの城塞でも議論が続いていたが、バルマン師は、部屋に閉じこもって嘆いていた。

「ナユタがいなくなってしまった。唯一期待していた彼が去ってしまった。マーヤデーバの響きはもはや聞こえず、わしの心も落胆し、冷え切ってしまった。もはや、ムチャリンダに対して有効な手はあるまい。」

 しかし、シュリーはいきり立って言った。

「ナユタなど最初から何のあてにもしていない。この危難を切り抜け、尊い創造の火を守り通すことこそ我らの使命。ムチャリンダを討ち、宇宙に真の創造を回復するのだ。ナユタは去り、ウトゥは裏切り、ユビュは行くえしれず。だがそんな奴らは最初からあてにもしておらぬ。バルマン師、ライリーなど我らだけで十分だ。」

 籠城か決戦かを決める会議が開かれた。強硬に決戦を主張するシュリーにライリーは賛同したが、バルマン師はなおも籠城を主張した。

「ナユタなしに勝てるものではない。たしかに、シュリー、ライリーは頼もしいが、敵方には、無類の暴れん坊のヤンバーや思慮深い軍略家のイムテーベが控えている。ムチャリンダひとりでも我が方が互角に戦うのは困難な状況の中、これらの武将が後押ししているとなると、尋常の戦いでは勝機を見いだすのは難しい。籠城して時を待ち、ナユタがムチャリンダを倒すのを待つべきであろう。」

 しかし、ランビニーは感情的に遮った。

「ナユタは反逆児。今回にしても、我らの尊い創造を邪魔したばかりでなく、この城塞の側まで来ながら我らには何の力添えもせず、そればかりかブルーポールを奪い、まさに傍若無人のありさま。そんなやつを頼る必要などあろうはずもない。」

 ヴァーサヴァも言った。

「バルマン殿、戦さというものは運にも左右され、必勝の策というものなどあろうはずもない。ただ、正義を貫くためになさねばならない行為だけは厳然と存在する。バルマン殿のご心配は確かに理解できるが、仮に籠城したとしも、ナユタがムチャリンダを倒す保証はどこにもなく、そもそも彼が戦ってくれるかどうかも怪しいものだ。そうなれば結局は我ら自身で戦うほかはない。バルマン殿、納得できぬこともあろうかとは思うが、窮地の我らに力を貸してくだされ。」

 ヴァーサヴァに頭を下げられ、もはやこの言葉に従うほかないとバルマン師は覚悟を決めた。バルマン師の無言の同意を見て取ると、ヴァーサヴァはヴァジュラを取り出して言った。

「これは創造神トヴァシュトリから授かった神器ヴァジュラだ。わしがかつて邪神アシュラを討ち滅ぼしたときに授かったものだが、今こそ邪神ムチャリンダの暴挙を打ち破るためにこのヴァジュラをシュリーに授けよう。ヴァジュラは必ずや宇宙の秩序を乱す邪神どもを倒すだろう。」

 こうして、ヴァジュラがシュリーに授けられ、再び城外に撃って出て決戦を行うことで軍議は決した。陣の配置も、右翼にバルマン師、左翼にライリー、中央にシュリーという布陣で決まった。

 バルマン師は会議が終わって部屋に戻ると、窓を開けて天に向かってつぶやいた。

「満月が輝きを失い、大地には土ぼこりが舞い上がっている。禿鷹や烏が大挙して樹の梢に舞い降り、戦いの匂いを嗅ぎつけて不気味に騒いでいる。すべてが凶兆だ。ヴァジュラは雷鳴を轟かせるかもしれぬが、天地に平穏をもたらしはしないだろう。」

 もはや、後戻りはできないのだった。動き出したものは止めようがなかった。

 

2013年掲載 / 最新改訂版:2021311


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向殿充浩 / 神話『ブルーポールズ』第1巻-2