裁判のレトリックと真相

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どうやら一々、実務の教科書の逆を行ったようである


紛議調停の成立

 
弁護士が依頼人等との関係で、不正を働いたような場合に、依頼人等が所属弁護士会に申し立てることのできる手続が、懲戒及び紛議調停の申立てである。
 いずれも所属弁護士会において互選される弁護士を構成員とする委員会が手続を進める。
 懲戒請求が刑事事件に相当し、極めてハードルが高い。暴言を吐かれたとか、不正な料金請求であるなど、明白な証拠に基づく必要がある。所詮、同じ弁護士会に所属する弁護士仲間のことであり、弁護士側に有利に働きやすい。「営業」とは無関係なところで同業の恨みを買いたいと思う者はいない。
 これに対して、紛議調停は、弁護士と依頼人との紛争について、やはり同じ弁護士会所属の複数の弁護士が間に入って調停手続を進めるものである。
 原告は、大学との事件において代理人となった大阪弁護士会所属の弁護士に関し、同弁護士会に対して懲戒請求を行ったが、手間取っていたので、その手続の進行中に紛議調停の申立てもした。原告自身が紛議調停申立書を作成し、必要な証拠類をまとめて提出した。その結果、平成28年3月7日付けで調停が成立した。

 原告としては、Y弁護士のマルプラクティスに基づく敗訴により損害を被ったので、その賠償を求める訴訟提起も考えてはいた。なぜなら、Y弁護士との訴訟において、別の裁判官が、大学との訴訟に関する訴訟手続の経過を逐一たどることで、大学との裁判を実質的に再審査してもらえると思ったからである。



民事で再審は、事実上できない。

 
しかし、紛議調停の成立を急いで、大学との次なる訴訟提起を準備することを優先することにした。前訴で敗訴し、昇任手続が開始されないままであったため、次の裁判が可能な状況となっていたからである。ここでも、昇任というのがむしろ口実であり、原告の目的は、ハラスメント事件における、大学の嘘や隠蔽工作を広く社会に曝露することにあった。

 もっとも同一事件を再度訴訟提起しても、前訴既判力により、前訴控訴審口頭弁論終結時点(基準時)までの一切の事実関係について、主張を封じられる。どんなに前訴判決が間違っていたとしても、刑事犯罪が関係した場合など、再審の方途は極めて限られている。前訴の後に相談した弁護士によると、むしろ民事事件においては再審ということはほぼ考え得ないのだそうである。従って、基準時点までの事実関係について、新たな証拠が発見されたため、判決が不公平であったことが判明したとしても、その故に再審につながることがない。



大学との次なる裁判−戦略−訴訟物と基準時

 そこで、(前訴)原告の戦略は、前訴基準時点の後に生じた事実関係として、新たなハラスメント調査(第2回目調査大学の頁参照)の問題を加え、更に、次の時点での明白な昇任差別の存在を立証するというものであった。

 やや込み入った話になったかもしれないので、整理すると、前訴が基準時点(平成26年6月5日)までの、昇任拒絶と前回ハラスメント調査の不適切・不公平ゆえの違法を争った事件である。そこで、前訴既判力により、この事実関係を再度争うことができない。

 次に予定すべきは、その将来時点での昇任拒絶と新たなハラスメント調査の違法である。前訴が採用時から18年目の昇任拒絶を中心としているなら(法律上正確には控訴審口頭弁論終結時までの24年間ほど)、今度の裁判は、採用時から24年目以降の昇任拒絶を理由とすることになる。これで、前訴とは別事件となるが、新たな裁判でも、同じく昇任拒絶及びハラスメントを理由とするので、24年目までの事由は前訴の既判力を理由に、新たな証拠があっても一切の主張を阻まれる。前訴認定事実を前提されるのである。従って、その後の事実関係を主張立証するほか無いことになる。以上を法律用語で表現すると、同一訴訟物であって基準時が異なる場合の処理である。

 これに対して、同一の事実関係でも、例えば、前訴がAを原告、Bを被告として、Bのアカデミック・ハラスメントを訴え、Aが敗訴していたとする。その基準時までの事実関係に基づき、AがBに対して同一の訴えを再度提起することは既判力によって阻まれる。しかし、Aが同じ事実関係を社会に告発する書籍を刊行した場合に、今度はBがAに対して名誉毀損を理由に損害賠償を求める訴訟を提起したときは、全く反対の事実認定がなされ得るのである。前訴が、ハラスメント理由とする損害賠償請求であるのに対して、後訴は、当事者が逆転して、名誉毀損を理由とする損害賠償請求であるので、これは訴訟物が異なるからである。そこで、前訴では、Bのアカハラ行為が認められないという認定であっても、後訴では、Bのアカハラ行為に関する記述が真実性を有するという認定になり得るのである(参照、大阪高裁平成17年8月25日判決・判時1982号82頁)。これが訴訟物が異なる場合の処理である。以上が、わが国の実務上の取扱である。

 ここからも、民事裁判における事実認定は、その事件限りのものであることが分かる。そもそも法理の上からも、それが真実であることの保障がないのである。

 もっとも、原告が平成29年4月1日付けで准教授に正式昇任したので(名称付与では無く、俸給表の変更を伴う)、この戦略は、准教授昇任に絡めたハラスメント裁判としてはもはや取り得ない。むしろ、原告はほぞを噛む思いであった。ハラスメントのみを争う場合、その立証はそれほど困難である。



弁護士の訴訟遂行の問題点

紛議調停の結論

 
Y弁護士との紛議調停に戻る。結論的に、Y弁護士が金五四万六〇〇〇円を原告に返還し、更に、当該のY弁護士が控訴審及び上告手続を遂行していたところ、これについての旅費、日当、報酬を放棄する(この時点で未だ請求されていなかった)という内容であった。返金の内容としては、地裁手続に関する日当(弁護士報酬)と控訴審着手金のいずれも全額である。従って、Y弁護士は、地裁手続のための着手金と交通費のみを得たということになる。訴訟遂行に関してはただ働きとなったという結論である。原告の調停申立ての内容から、ほぼ全面的な勝訴といった具合である。

 この弁護士の手続遂行は、それほど酷かった。酷いの一語に尽きる。ただやる気が無いという以上の、巧妙に敗訴に導いていると言っても過言では無い。紛議調停に提出した事実関係は、主として、控訴審に関するものであった。従って、控訴審以降の訴訟遂行に対して、上記のような結論となったのである。実は、第1審に関しても、奇異な訴訟遂行がなされた。

 以下に、その例を示す。



第1審の問題点

証拠説明書の書き方立証趣旨

 裁判所の事実認定が自由心証主義に基づき、ほぼ無制限の裁量であると、裁判所の頁で述べた。無制限と言っても法的な限界はある。事実の判断についても、根拠を明らかにしなければならない(この辺り、分かりやすい解説として、民事訴訟法の教科書を参照されたし。例えば、中野貞一郎・松浦馨・鈴木正裕編『新民事訴訟法講義[第2版]』三四六頁(2005)など(これについて、更に後継の版あり))。すなわち、判決において、証拠と認定が有機的に結びついていないといけない。特定のどの証拠から、その事実が推定されるということが合理的に説明できていないと、上訴及び上告の理由となり、判決が覆される。ある証拠aからある事実Aを推論できる蓋然性が高いということが、経験上明らかである(経験則という)という必要があるということである。この点が、裁判官が判決を書くときに注意することなのである。

 無制限の裁量というのは、経験の豊かな裁判官がこのルールを踏み外すような書き方をしてしまうということが実際には余り考えにくいという意味である。

 そこで、確かに、当事者側の説明に依拠する必要は無いが、裁判官としても、まずは当事者の提出した証拠の意味を当事者の説明に則して検討するに違いない。その主旨で、当事者が証拠と共に提出する、証拠の理由を説明する一覧表が意味を持つのである。そこに立証趣旨を説明する欄がある。

 原告の事件において、代理人のそれが、多くの場合に証拠物そのものの内容の羅列であり、そこから何を立証したいかというまさに立証の趣旨を全く述べていない。例えば、事実の主張として、「原告の研究業績が優れている」という事実主張を行う場合に、その証拠として、研究業績(論文の本数など)の一覧表を提出すると仮定する。その立証趣旨は「そんなに業績数があるので研究能力が優れている」とか、「他の特定の教員より何本上回るので優れている」ということであるはずであるが、このY弁護士による立証趣旨の書き方が、「原告の業績」とだけある。確かに、準備書面においては、事実として主張したい内容が淡々と述べられており、その証拠として引用されているものの、事実主張と証拠との結び付きの説明が証拠説明書における立証趣旨の中に含まれていない。この点が、大学側代理人のそれと大きく異なっていた。一つ一つの証拠毎に、立証趣旨の欄に明確にその趣旨がまとめられていたのである。




「準備書面というのは事実を淡々と述べるものです」?


 
Y弁護士の準備書面における事実主張が淡々としている上に、証拠との結び付きも曖昧であり、全体として極めて印象の薄いものとなっているという感は否めない。この点の巧拙は、実務を知らない研究者が確言することはできない。それがY弁護士の個性であり、準備書面の方で、論理的に主張が組み立てられていさえすれば、証拠説明書のそのようなやり方も有り得ると説明されるかもしれない。実際、Y弁護士が次の様に言ったのである。「準備手続における準備書面はこれで良い」。「準備書面というのは事実を淡々と述べるものですから」。その後、本格的な論戦が始まる、という意味に少なくとも原告は受け止めた。
 しかし、他の弁護士によると、それは司法研修書の教科書の説明であって、実務の現実は異なるという。実際、準備手続が終わると、後は、証人尋問のただ一回の期日で結審した。この後に、論戦などはない。

 以上は、まだ良いとしても、原告が更に驚いたのは、次の点である




Y弁護士による大学側勧告文の扱い−訴状との関係−糸の切れた凧
 講座、学科の「勧告文書」が存在した。原告がこれを証拠として提出した。その立証趣旨が、「作成者らが原告に対し、諸会議に欠席している等として注意勧告したこと」となっている。作成者とは、原告所属学科及び講座である。講座の作成した文書は、配達証明郵便で当時原告の住んでいた大学官舎宛て郵送され、学科作成文書は、鍵も付いていない、学生らも通りかかるようなオープンスペースに存した教員用ロッカーの中に置いてあった。「注意勧告したこと」では、昇任遅延を争う相手方大学の証拠になってしまう。大学のとびきりの証拠である。

 この勧告文書は、訴状に添付された。すなわち原告の証拠とされながら、しかも訴状にはこれに対応する何らの事実主張が存在しない。つまり、対応する主張の無い、そのままでは原告に絶対に不利な内容の文書を説明も無く裁判所に提出したのである。相手有利な、決定的ともなり得る証拠を、糸が切れた凧のようにふらふらと、何の説明も無く原告が提出した。

 原告はY弁護士に促されて、期日には(準備書面の提出)、裁判所に毎回出廷していた。実務については弁護士に完全に委ねるべきであると考えていたので、原告は率直に従っていたが、このことも通常ではないらしい。期日になると、裁判所1階のロビーで待ち合わせ、Y弁護士に伴われて、所内の一室に案内された。小型の会議室ぐらいの落ち着いた感じの部屋に、大きなテーブルが一つ置いてあり、Y弁護士からこちらにどうぞと示されたまま、Y弁護士の隣の大きな椅子に腰掛けていた。そうすると、原告がまるで弁護士の一人であるかのようでもあり、裁判官もよく原告の方に向かって話しかけていた。大学側の傍聴は大学本部から人事課副課長と原告の所属学部の総務担当者であり、こちらはテーブルから離れた壁際のベンチに座った。

 部屋の前方に裁判官の通用口があり、そこから裁判官が入室する。裁判官の前に、電話会議用の電話があった。当初、原告代理人は、原告側被告側が交互に電話会議システムを用いるので、次回は原告側の代理人が大阪から参加すると説明していたが、結局、大学側代理人が常に大阪から電話で応答し、原告側Y弁護士が松山まで来ていた(要するに、経済的により弱者の方である原告に交通費の負担が増える)。

 そこで、原告自身が裁判官と弁護士とのやり取りを直接見聞きしたのである。訴状添付の証拠について、証拠説明書が未提出であったので、裁判官が強い調子で、原告Y弁護士に対して提出を促していた。その直後に提出された証拠説明書で、むしろ相手方の証拠となるような趣旨説明がなされたのである。裁判官が原告側の証拠とした意図を図りかねているとすれば、被告側に心証の傾く強い予断を与える行為である。

 案の定、その次の被告大学側の答弁において、原告が提出したこの「勧告文書」により、原告の証拠説明書にあるその立証趣旨の通りの主張がなされた。漸く、この大学側主張に対応する形で、原告側準備書面において、勧告文の内容が虚偽であり、文書の伝達方法が不適切であることの主張がなされた。そして、実際の裁判所による認定が、原告側の意図ではなく、大学側の主張の通りとされた。判決において、その証拠が原告提出の勧告文として引用されている。再度、Y弁護士の書いた原告側主張を読み返してみても、勧告文の内容及び伝達方法の不適切についての記述が量的にも少なく説得力が無い。原告が伝えた事実関係の核心を述べていない。
 原告自身が意図した、大学側の勧告文による立証の趣旨は次の通りである。原告は研究助手として採用されたので、学内行政の意思決定機関の一つである委員会委員の就任は認められていなかった。また、学科会議の開催通知を受け取っていないし、少なくとも講座会議の開催連絡がされていなかった。勧告文では、原告が恣意的に委員会委員の業務を行わず、諸会議に欠席しているとされていた。採用後3年ほどの早い時点において、あからさまな虚偽の内容によって、それを証拠化する意図をもってなされたのである。原告陳述書において、これを証拠の騙取であると述べている。今後一切、昇任は無いものと思えという引導を渡されたのである。そのような内容の虚偽性と、伝達方法の不適切及び不自然さを主張するべきであった。このような強力な主張を先にぶつけて、その後、大学側の反論を待つべきだった。





原告の強い意向を無視して、訴状にハラスメントの記載がない。


 
裁判は裁判所に対する訴状の提出から始まる。そこでは、原告及び被告である当事者の名称及び住所、裁判で何を求めるか、その理由を述べる。この裁判は、相手方が愛媛大学であり、原告が被った精神的苦痛に基づく損害賠償を求めるものである。

 問題は、更にその原因である。原告がY弁護士から送られていた当初の訴状の案文では、原告の職歴(採用年月日と昇任履歴など)と助手・助教から講師への昇任遅延、及び准教授昇任の拒絶が理由として記述された後に、「その他」という項目が記載されていた。ところが、実際に裁判所に送られた訴状では、この「その他」が削除されていたのである。

 原告は、Y弁護士に対して、原告の本心としては、昇任の問題では無く、長年月に渉るハラスメントを訴えたいということを強く申し入れていた。しかし、Y弁護士はこれを聞き入れず、「必ず後で問題にしますから」の一点張りで、結局、昇任問題のみの訴状となったのであった。しかも、当初あった、「その他」の項目が消えている。このことは、訴訟手続において相当の意味がある。つまり、その後に何か理由を追加する場合に、訴えの追加・変更の手続が必須となるかどうかに関わるのである。後者となると、理由追加が訴訟手続の遅い段階である場合に、認められない可能性がある。

 実際に、裁判で、ハラスメント関係の主張や証拠がなかなか出なかった。訴状提出が平成23年2月であった。主張及び反論などを記載した書面を、原告、被告の双方が裁判所に提出し、裁判所から、これが対立する相手方に送付される。この間、大学側は採用後数年間(提訴の20年ほど前)の原告の「異常性」を主張し、及び原告が大阪に住居を構え、愛媛大学には数カ月に一度しか出校していなかったとする(大学はこれを「出勤が無い」と呼ぶ)、大学側の主張及び証拠が提出された。訴状を含めて3回目の文書(準備書面(2))のやり取りが同年9月にあったが、このときまでハラスメント関係の主張が出ないのである。

 業を煮やした原告が、Y弁護士に対して、ハラスメント関係の主張証拠などを提出するように強く要求した。Y弁護士宛メールで、学内において、「原告側の代理人がおかしい」との風評が立っているとした上で、原告が依頼した大学によるハラスメント調査が不適切極まりないことを主張し、その証拠を提出すること、及び、大学における在勤年数別教員構成の統計表(大学発出のもの)を証拠として提出することを求めた。

 後者は、各学部・部局毎にまとめられた在勤年数別の教員数の表であり、原告の飛び抜けた昇任遅延が一目瞭然となる資料であった。提訴以前よりY弁護士に渡していたにもかかわらず、このときまで提出が無かった。

 ハラスメント調査の申立ては提訴の1年ほど前に行われたものである。ハラスメントの存在を否定した結果に対して、Y弁護士が、大学に、否定の理由について二回にわたり釈明を求め、大学側が回答した文書が、ここで始めて提出された。大学の頁で述べた、極めて問題の多い大学による人権調査に関するものであり、提訴以前(求釈明は半年ほど前)に存在する。原告に対するアカデミック・ハラスメント(パワーハラスメント)が長年継続していること、及びその調査の不十分、不適切について、平成23年12月27日提出された原告側準備書面(3)において、始めて主張されたのである。

 この文書のやり取りのあった期日のことである。いつものように原告が傍聴していた。裁判官が傍らにいた裁判所事務官に対して、原告側の準備書面について、「これは訴えの変更になりますかね」と問いかけたのである。裁判官が事務官の様子をうかがいながら、原告の顔を見て、「ならないでしょうね」というと、それが結論となった。大学側代理人より電話の向こうから、時機に遅れたものとしての抗議が一応なされたが、それで了承された。

 このときの裁判官は、提訴以来、原告に好意的であった。そのような印象が与えられたというべきであろうか。裁判官はちょうど4年毎に転勤するので、この裁判官(総括判事)は最初の和解期日の後、東京高裁に転勤した。判決を執筆した裁判官とは異なる。





訴状と大学勧告文との関係
−再論

 前述の勧告文に戻る。それだけでは大学側の決定的な証拠ともなりかねない。しかし、原告の立証趣旨は、勧告文自体がハラスメントに相当するというものであり、また、原告の意図としては、当時、大学内に存在したパワーハラスメントとの関係を伺わせる資料としたかったのである。これが、ハラスメントの主張のない、単に昇任遅延・拒絶のみを訴える訴状に添付された。これでは、まさに大学側の証拠でしか無い。

 Y弁護士が、このことを意図的に行ったように思われてならない。単に、巧拙の問題であると言い得ようか。大学側に有利な観点からみれば、余りに巧妙かつ緻密である。

 勧告文は、平成5年1月8日付け講座文書(配達証明付き郵送)、及び同年6月15日付け学科文書(ロッカーに差置)である。その前年ころより、問題の裸の写真が、技術職員らによって、多数の学生らに閲覧させられていた時期にあたる。当時法学科教員らと技術職員らとの間に、結託、共謀ないし黙認の関係がある。これらの問題と切り離して主張してはならないのである。


相手方自白に対する寛容?

 大学側の準備書面は、強い調子で原告を攻撃していた。ところが、原告代理人は、相手方の自白に対しても寛容であった。ことに、大学側が提出した幾人もの陳述書その他の証拠書類に出てくる重要な自白が放って置かれた。逆に、大学側は原告の主張が変わったところで、枝葉末梢であっても、鬼の首をとったように大げさな表現で強調していた



和解におけるインストラクションの不適切

 初めての和解交渉があった期日のことである。
 この和解における原告側要求として、「事実を認めて謝罪する」を要求しないことを、Y弁護士に極めて強く求められた。この時点では、大学側が決して認めないからという。「絶対に出せない」と言われた。原告がこれに衝撃を受けたことは言うまでもない。仮に大学がこの要求を受け入れないとしても、和解における原告側要求の第一項目とするべきである。その後の被告側との交渉において、表現を緩和するとか、外すことがあったとしても、原告の最も強い欲求となってしかるべき事項である。大学が認めないだろうから、そもそも要求しないという理屈が、今となると、よく分からない。
  仕方がないので、大学側の非を明らかにするつもりで、教授要求を出すことにした。准教授拒絶を問題にする訴訟であるから、本来、准教授要求とするべきところ、一段階飛ばしの要求をしたことになる。また金の話は裁判官が嫌う。金のために裁判をするのかと思われるから。金は最後に致し方がないというところで出すべきである。早い段階では、裁判官の心証を害しかねない。この代理人はこれを平気でさせた。そして、教授要求と金銭要求を、裁判官の面前で申し入れたところで、その後の打合せにおいて、「これが和解の上限設定になる」と言い渡されたのである。この後にはこの条件を巡る交渉となり、今言っていないことはこの先、二度と持ち出せないと言う。原告は、再度、衝撃を受けたが、「事実を認めて謝罪する」を必ず突きつけてやると、心に誓った。Y弁護士は、訴訟遂行の具体的方法については代理人が行うので、当事者の好きにはさせないということなのであろう。しかし、和解を受け入れるか否かは、当事者が決められる。もはや勝敗は二の次であった。 参照・裁判所の頁



陳述書の書き方に関するインストラクションの不備

 原告「陳述書とは何を書くものですか?」
 Y弁護士「何でも構いません。好きなように何でも書いて下さい」。

 以上がインストラクションの全てであった。

 陳述書の提出は、時間的には、前述の和解交渉より前のことである。原告は、それではとにかく書こうということで、集団的ハラスメントの原因と態様など、採用時からそのとき現在までのそれを、具体的詳細に実名を入れて記述した。大学側書面に反論した部分もあり、原告が指摘してもなぜ原告側準備書面に入れてくれないのかと不満のあったことも含めた。出勤の意義についての、相手方書証の矛盾を突き、新たな証拠を付加した。相当大部のものとなった。

 Y弁護士に対して、「書き方が分かりませんから、たたき台としてお渡しします。どのように手を入れられても結構です。いつでも打合せに応じます」という内容のメールとともに送付した。夏期休業を利用できる時期でもあり、大阪での打合せ連絡などあるものと思い込んでいたが、一向にそれがなかった。原告陳述書として相応しいものであるか否か、見当も付かない。結局、何ら連絡も無いまま、Y弁護士が、強調部分を太線にするという対応のみを行い、原告の記述したものをそのまま提出した。

 期日に裁判所ロビーで会ったとき、Y弁護士に対して、あれで良かったのですかと問うと、「全体として一つのものですから」と言う。原告はY弁護士の言っていることが分からなかった。

 恐らくは、陳述書としては良くない点が多々あったのではないかと思われる。不要な反論の繰り返しが、裁判官の心証を害することも有り得たであろうし、全体としてまるで判決文を読むようだと、他の弁護士に評されたように、言葉遣いや態様に問題があったかもしれない。「これが、訴状であれば良いのです」。「こんな大部なもの、裁判官は読みませんよ」と、言われた。裁判官も中年以降となると、老眼気味になっていることが多く、細かい字が沢山並んでいるものを嫌う。そのように大部な陳述書にはうんざりするのだろう。

 むしろ、精神的苦痛を訴える裁判というのは、原告の陳述書と証言以外に有効な証拠がないと言われるほどに重要なものである。原告が後で知ったことであった。どれほどの苦痛があったか、受けた心の傷を如実に現すような、その程度を測れるように、主観的で、感情を表す文章が必要となる。ところが、原告は法学者である。通常の仕事として、判例評釈などを行っている。当事者の感情をくみ取るというよりも、冷徹に判決の論理を読み解き、批判の対象とする。このことを業としているものである。主観的、感傷的文章で、自分の心情を吐露するなど、考えにくい。この場合、それが必要だったのである。先の陳述書は、客観的で乾いた文章となってしまった。

 しかし、必要ならそのように言ってくれれば良かったのである。文章の種類を切り替えれば良かった。若い頃、極めて多くの文学作品に接していたし、詩作を良くしていたので、私小説を書く気分にさえなれば、これができたと思われる。そして、そのような部分だけで良かったそうである。



証人尋問に関するインストラクションの不適切

 証拠として証人の証言を徴する証人尋問という手続がある。その原告側証人尋問の打合せが行われた。場所は大阪のY弁護士の所属事務所であった。Y弁護士が、「どうせ陳述書と同じことを言うのだから、裁判官は証人尋問など全く重視していない。裁判官は証人尋問を全く重視していない」、と繰り返し、「重要なところで相違が無ければ、細部については、裁判官も大目に見てくれますから、心配いりません」と、これも繰り返した。ここで、代理人が「陳述書と同じ事をいう」や「重要なところで相違がない」として、、陳述書と証言の一致を示唆しながらも、「裁判官が証人尋問を重視していない」、「大目にみる」という曖昧さや寛容さを繰り返している点に注意が必要である。

 打合せは小1時間ほどで終了した。一通り、原告本人に対する原告代理人による主尋問とこれへの返答を行った。練習というほどのことも無く、原告として回答しやすいものばかりで、原告が思うとおりに返答しただけであった。

 被告代理人による反対尋問を想定した練習は全く行われていないと言って良い。そこでは厳しい質問、答えにくい質問に遭遇するはずであるし、当事者では気づかない落とし穴もあるかもしれない。そのような質問として想定される内容の説明と、回答例のようなものや、そのために当事者として準備しておくべきことの説明が、一切無い。

 後に、懲戒請求に関して相談した大阪の弁護士によると、「そのインストラクションでは裁判に勝てない」のである。

 ハラスメント裁判のような精神的損害の賠償を求める事件では、原告に加えられた精神的苦痛の大きさの程度を測ることが重要であり、原告の証人尋問が極めて重視される。陳述書とその内容を証言する人証、この他に立証の手段がないと言っても過言では無い。心の傷を相手方に訴えることに正当性があり、その傷が深ければ損害賠償によってその傷を埋めるべきであるとの結論が得られる。

 証人の言葉使い、語気、表情や態度全てが証拠とされる。例えば、他人をひどく中傷しても、裁判官の心証を害し、反対の事実の証拠とされることもある。

 そして、陳述書と証言の厳密な一致が求められる。些細な不一致が陳述書全部の否定的認定につながりかねないからである。たった一つの嘘でも含まれていることが明らかとなった場合、その証言ないし陳述書の全てが疑わしいと感じられる、ということである。

 そこで、大学側証人の小淵氏は、前日自己の陳述書を何度も何度も繰り返し読んで準備したという。原告の方は、前述のY弁護士の言を信用して、ほとんど練習せず、途中まで一読したという程度であった。現に、原告の場合、証言と陳述書の、事件の本筋と異なる部分における小さな食い違いが命取りとなった。そのために、原告の提出した陳述書を悉く正反対に認定された。

 裁判官によっては、食い違いが一部に留まるとして、その部分のみ否定する場合もある。ところが和解拒絶によって、メンツを潰されたと思っている裁判官の心証が、そもそも原告不利に傾いていたので、大部の陳述書の全否定に通じたのである。どうしても原告は勝てないという裁判の結論が決まっているところで、裁判官は鵜の目鷹の目に原告のあらを探す。後は負け方の程度や態様の問題である。

 陳述書と証言の食い違いのあったのは、学部長面談の際に家族の話題が出たか否かという点であった。原告が陳述書を書いたときには、失念していたので、大学の書証に反論してこのことを否定していた。大学側書証では、その日の面談記録として、家族の問題を原告が登学して出勤できないことの理由としたことになっている。家族の問題は、勤務遂行の問題とは論理的に異なる。こんなことを理解しないはずがない。原告はその趣旨で述べた訳ではなかった。その理由として挙げたのが、大学構内及び官舎内でのハラスメントにより業務遂行が困難であることであった。それが証人尋問の際に、大学側代理人より質問を受けて、突然、このことを思い出してしまったので、家族のことについて話したと答えたのである。このただ一点の食い違いであった。

 Y弁護士のインストラクションに戻ると、巧妙に、後に正当化できるような仕掛けが用意されている事に気づく。一致への言及と、裁判官の不一致に対する寛容さを同時に述べている点である。Y弁護士としては、後に、陳述書と証言の一致の必要について助言はしたと言えるからである。所詮、弁護士事務所内の密室における、当事者と代理人との会話である。言った言わないの問題に過ぎず、立証の必要な当事者側が勝てないと踏んだのだろう。




証人尋問の様子


 これは実務としての巧拙の問題となり得るかもしれない。本来、この弁護士の頁では、誰が見ても不自然で、奇妙なことがなされていることの指摘に留めている。弁護士としての巧拙の問題は避けているつもりである。

 証人尋問では、原告本人の証人尋問が午後に、被告大学側小淵氏の尋問が午前に行われた。証人尋問の手続は、小部屋で行われる書面の交換ではなく、法廷が舞台となる。高い壇上の上に、裁判官席があり、その前に、事務官及び速記者の席がある。この事件では、速記が入った。Y弁護士が証言の直前に原告に教示したところによると、速記が入るということは、「裁判所がこの事件について慎重を期していることの現れである」、とのことであった。真ん中に証言台があり、その両脇に両当事者の代理人席がある。午前中に行われた小淵氏の証人尋問の際に、原告もY弁護士とともに代理人席に着席した。後方の傍聴人席でも良かったのであるが、弁護士がどうするか聞くので、原告が希望した。ひどいハラスメントの被害者であり(このことは小淵氏もよく知っている)、いわばケンカの相手が、証人席の直ぐそばにいることでプレッシャーを掛けられると考えたからである。以下は、原告の記憶に従っている。

 被告側証人としては、当初、当時の学部長宮崎氏のほか、原告と同じ講座の竹内教授、氏は平成17年当時の官舎正代表であった、そして、平成4年ごろの大学側メモ作成に関わった本部事務部の官舎担当者が予定されていた。しかし、いずれも陳述書は出したものの、実際の証人尋問には出なかった。取りやめたのである。原告側が要求したのは宮崎氏であった。氏は、原告採用担当者であり、問題の騒動が起こったころ、官舎に住居を有していた。この頃の事情を聞くのに好適である。また、裁判当時の学部長であったので、当然、大学および学部を代表して証言して然るべきであった。証言予定となった後に、宮崎氏は系列(同じ大学の同一師匠の弟子である研究者をそう呼ぶ)を頼って、新たな就職先を探していたそうである。学部長としてまだ1年の任期を残していた。裁判をきっかけとして、自分は証言をせずに、その証人尋問のあった約一年後に大学を変わった。敵前逃亡である。もともと証人として誰も出たがらない。同氏と竹内氏が他の証人を説得した経緯があったので、同氏が就職を内々で決めた結果、他の者にも証言をしないでも良いと説明に回り、竹内氏と事務担当者が取りやめた。原告としては、宮崎教授にはどうしても証言して欲しかった。どうせ嘘をつくには決まっている。しかし、宮崎氏が学者の良心をかけて、原告の目の前で嘘をつきとおす。その姿を目に焼き付けておこうと思った。

 小淵港教授は、平成17年の学部長面談における詳細なメモの作成者であり、その後、学部長となった。平成2年の原告採用時には経済学科に在籍する助教授であり、官舎にも住んでいなかった。そのころの騒動については、いわば外野に居たので知らないと言える立場にある。

 被告側証人に対しては、被告側代理人が質疑を行い、その後、原告側代理人が尋問を行う。冒頭で、被告側代理人が原告に関する「同性愛などの噂を知っていますか?」と尋ねたところ、小淵氏が落ち着いて「知りません」と答えた。これは恐らく練習したシナリオ通りに実行した。このことが一つの要点であったと思われる。だからこそ、原告側の反対尋問で追求されるはずのことを、機先を制する形で反論させた。このことを認めてしまったら、大学側の敗北に通じる。

 被告側のその他の質疑応答が終わって、原告側尋問に移る。

 Y弁護士が、原告の出勤にまつわる一点の些末な問題に集中して質問を行った。質疑応答は堂々巡りの感を呈した。ハラスメント関係の質問は、ただの一つもなされない。私が、このやり取りの中で気づいたことをメモしていたのを見て、Y弁護士が、突然、原告に質問をさせると言い出したのである。原告は、何ら用意がなく当惑したものの、表面的には身動ぎもせずこれを受ける形で質疑を開始した。手続の最初に、尋問者は起立して名前を名乗った上で尋問を行うよう注意があったが、原告は自分は当事者であるから、構わないだろうと思って、座ったまま、名前も告げなかった。

 「あなたは本当に同性愛などの噂を聞いたことがありませんか?」
 目の前に居る小淵氏を睨み付けながら、大声で一喝した。
 「ありません」。小淵氏が一瞬顔を曇らせて、語気強く答えた。更に、
 「えぇっと。ただ・・」と続けようとしたとき、被告側代理人が、そこまでで結構です、とこれを遮ったのである。原告側の反対尋問の最中に、被告側代理人が不用意に発言することは本来あってはならない。小淵氏がその後何を言いたかったかは不明である。
 裁判官からは、何の注意もなされなかった。

 また、陪席の女性裁判官が、小淵氏に対して、原告有利とも思える釈明を行ったことがあった。そのとき裁判長裁判官が、直ちに、その趣旨を中立的かあるいは被告有利に説明し直した。裁判長は、強ばった表情で、押さえつけるような強い調子だった。判決の結論が決まっているのであれば、速記録を含めて、全ての証拠が、原告有利であってはならない。判断の安定を損なうからである。原審の準備書面及び証拠の一式と速記録等の裁判記録の全てが、上訴によって、控訴審に送られる。

 後から分かったことであるが、どうやら、証人尋問で、原告が失敗したようであった。大学側からは、有効な証言が得られていない。証人尋問の手続が終わった後、裁判所のロビーで、Y弁護士が原告に言ったのである。
 「大変良かったです」。
 そして、弁護士報酬の払い込みの方法を説明した。

 なお、一言しておくと、この項目の記述によって、原告の性的傾向について認めたと言う趣旨ではない。原告はそのような性的傾向による差別には反対である。絶対に有ってはならないと考えている。しかし、事実として、同性愛者ではない。



控訴審の問題点

上訴で覆すのは至難の業?


 第1審で敗訴した原告が上訴し、控訴審の手続に進む。

 第一審裁判所に提出された全ての主張証拠が判決と共に、控訴裁判所に送られ、控訴審裁判官はこれを読み返すことができる。日本の通常の民事裁判は三審制を採る。最高裁への上告を含めて三度の機会がある、という意味ではあるが、字義通りに受け止めてはいけない。

 まず、よく知られているように、上告が受理され、最高裁で審理される事件は極めて稀れである。通常、不受理、上告却下の門前払いとなる。

 次に、控訴によって第一審判決が覆ることは、統計上も、実際は相当稀である。第一審判決でその裁判官の心証が示されているので、これが控訴審裁判官の心証の基礎を形成するか、もう一つの強い証拠として作用する。従って、それを上回る反対の主張証拠が必要となる。

 実は、ここで裁判官の人間関係という要素が関係する。上訴で破棄されると、原審判決を書いた裁判官の人事上の覚えに関わってしまう。形式論が好まれる理由の一つが、上訴で覆らない隙のなさなのである。控訴審の担当裁判官も、第一審裁判官の名前を見ながら、例えば競争関係にある者であるとすると、少しでも隙があれば突いて、原判決破棄とすることができれば、競争相手に失点を与えることに通じる。逆に、恨みを買いたくなければ、原判決をそのまま認めれば良いのである。日本型の官僚システムである裁判所において、一般論としては、後者が好まれると予想される。従って、控訴して、原判決を覆すためには大変苦労することになる。単に第一審と同じ主張を繰り返しても、控訴審裁判官も原審裁判官と同様の判断過程を辿るだけに終わる。

 裁判官の競争関係というのは、例えば、次のようなことである。裁判官にとって、高裁裁判官として定着することが一つの目標である。裁判官は、地裁判事と高裁判事を往復する時期を経て、やがて高裁に定着する。地裁判決を書いた裁判官と、上訴を受理した高等裁判所の裁判官が、高裁「定着」のポスト争いの当事者であり得るのである。



控訴理由書の遅延と怠慢

 控訴では、控訴裁判所に理由書を提出しなければならない。

 なぜ、原判決がおかしいと考えるのかの理由である。控訴状に理由を書かない場合、控訴理由書は控訴状提出後50日以内に提出しなければならない。民訴規則に規定されているが、これは努力義務でしかない。控訴審裁判所は控訴理由書の提出が遅いとしてもそれを理由に控訴を却下することもできない。実際に、控訴理由書の提出が遅れることもままあるそうである。

 しかし、控訴審で新たな主張を展開し、新証拠を提出するような場合、期限内かそうで無くとも早い段階でなければならない。そうしなければ、時機に遅れた攻撃防御の提出として、裁判所が考慮してくれなくなるからである。

 ところが、Y弁護士は、全く理由なく、控訴審の期日直前まで作成していなかったのである。控訴提起が平成26年2月4日であり、原告(正確には控訴人であるが、全体の統一と分かりやすさを優先した、以下、原告と表記する)の問い合わせに対して、4月25日付けメールで、代理人Y弁護士が慎重に精査中であると返答していた。

 そして5月23日に、原告が手続進行を知らないまま、いつまでも何の連絡も無いので、電話でY弁護士に問い合わせた。このときまで、控訴審の第一回口頭弁論期日すら知らされていない。「体調が悪かったので、まだ作っていない。これから作る」。このとき第一回目期日を初めて聞いた。後のメールによって、「知らせたつもりで失念していた」とのことだった。控訴審第一回口頭弁論期日が6月5日であった。

 民事事件では、控訴審は通常書面審査が中心となる。控訴側の理由書の提出があって、相手方が答弁書の提出を行う。控訴審は一回目の口頭弁論期日で結審することも多い。

 Y弁護士が漸く作成したものが、わずか数頁の、第一審での主張の単なる要約であった。原告が新たな主張を展開したいと考えて、打合せの申し入れをしていたが、これにも取り合っていなかった。憤慨した原告が、何とか修正させたものの、原告の最初の企図とは全く異なる、中途半端で、曖昧な内容に過ぎないものとなった。ぎりぎりで間に合ったのであるが、このような説得力の無い理由書で、原判決が覆るはずもない。

 後に相談した弁護士によると、本気で争うつもりなら、問題のある原判決部分を詳細に引用しながら、精緻な議論を組み立てて、早い段階で理由書を提出するべきなのである。



控訴審で果たせなかった新たな主張

 原告=控訴人が主張の切り替えを企図してY弁護士に提案するつもりで、打合せを申し入れ、新証拠に当たるものを送付していた。

 原告側は、第1審から原告の出勤にあたるものがあると主張していたが、原告は、これに反対の主張が大学からなされることを予想していた。そこで第1審の中途段階から、以下のような仮定的主張(仮に出校がなかったとしてもという仮定を置く主張)を繰り出そうと考えていた。しかし、その観点を伝えていたにも関わらず、Y弁護士が全く取り合わない。その結果でもあり、完敗した。

 控訴審では、いよいよ異なる裁判所・裁判官の下で、ともかくこの主張を出して欲しいと、切にそう願った。どのような内容かを以下に説明する。

 原告が長年、出校していない。それにも関わらず、大学が出勤として評価している。言葉の問題でややこしいが、大学は出勤が無かったと主張しており、これが判決でも認められた。しかし、これを承知で、無断欠勤としての扱いが何らなされていない。すなわち減給、昇給停止はおろか注意処分すらない。この意味では、まさに出勤としての評価がある。全くの謎である。放置されている。おまけに、大阪にあるマンションの住宅ローン控除の手続きまでしてくれている。原告は正直に大阪の住所を大学に届けているのである。

 何故、欠勤ではないのか?

 とてつもなく不可思議である。

 あるいはこういう事なのかもしれない。まず、原告の周囲の教員らが実に寛容であり、困っている原告を手助けする意図があった。「人道的配慮」と説明されていたこともあったと聞いた。しかし、集団的ハラスメントをいつまでも継続して、原告の困惑を顧みない旧法学科教員らが、原告に好意的配慮をするとは到底思えない。また、事務部は、上記の矛盾を全く気づかないぼんくらぞろいなのか。そうとも思えない。

 原告の知る事実は以下の通りである。

 平成2年から6年に掛けて、法学科教員らと結びついた技術職員らの行為が目に余った。学内でも眉をひそめていた向きもあった。原告の意向も聞かず、父親からの影響という形で無理矢理、大阪に待避させた。これを一部教員が「緊急避難」などと称した。緊急避難とは、法律用語であり、殺人や傷害などの重大な被害を回避するために、第三者が加害を防止するための違法とも言える行為を行うことで、その第三者の行為を正当化する。これは日本法制史・法社会学専攻の矢野教授が言ったことなので、実定法としての正確性とは別に、事の本質を言い当てるという類いである。その第三者が矢野氏らだということを言いたいのである。所属学部執行部及び教授会がこれを黙認した。その後は、原告が、周囲の教員らの問題を指摘し、学内の環境の改善を求めても、一向に顧みず徒に放置した。

 理由は、技術職員らの性格によるもので、原告に対する違法行為が止まらない。原告が居ると、またこれを警察沙汰にする。いよいよスキャンダルが、殊に写真を巡る問題が表に出かねない。これに動機を与え、あるいは法律の教員という立場でありながら、写真を見せられても、警告及び通報等の措置を執らないことで、幇助として共犯となる。遠くに置いて、様子を見る。「腫れ物に触らないのが一番だ」。教員組織が黙認を決め込むと、事務部は文句を言わない。一様に、自己保身と事なかれ主義に終始した結果である。

 単に、技術職員ら学内の無法者の粗暴な仕返しを恐れ、原告が詰問調で言い立ててくることにも疲れ、宗教団体の騒動にもうんざりしていた。もうやり過ぎていて、警察沙汰になったら、自分たちも関わらざるを得ないし、大きなスキャンダルとなり得る。自分らはどうしようも無かった、と。

 そうであろうか?

 警察に通報し、原告に事実を伝え、違法行為に対して大学として厳正に対処すれば足りる。

 従って、仮に、出校が無かったとしても、むしろ職場環境の安全を配慮する大学側の義務を果たしていない結果であり、その原因及び責任が大学にある。その間の出勤については、在宅研修の慣行に従う処理、もしくは黙示的な契約条件として、大学自身により正当化されていた。

 以上である。これを、今度こそ、大学側にぶつけられる。意気揚々として、控訴の手続に進んだのであった。それを無にされた、原告の悔しさは並大抵では無い。



和解の指示違反

 後で知ったのであるが、このような事件の場合、通常、控訴審でも和解勧試がある。第一回期日に当事者双方(代理人)が揃ったところで、裁判官が和解を勧めてみるのである。

 原告はこの期日に裁判の傍聴に行っていない。代理人に対して、和解を当初より拒絶するように指示していた。そして、代理人から、「和解する気が無いなら、原告(控訴人)が傍聴に来る必要がない」と言われたのである。もし意味があるなら行くとの意向を伝えて、問い合わせたところ、その返答であった。とにかく、その意思のある当事者に傍聴に来させないというのは異例だと、これも後で聞いた。

 この事件でも、第1回目期日において書面の提出を終えた段階で、裁判長より両当事者に対して、和解交渉が勧められた。

 何と、Y弁護士がこれに応じてしまった。依頼人からの指示に違反したのである。その上、その交渉において、和解に応じるための、原告側の条件として教授昇任を持ち出したのである。

 そもそも准教授昇任拒絶を問題視した事件であった。原告が、それより先に、控訴審では昇任を主張しないと何度も念押ししていた。パワーハラスメントの問題、特に、衆人環視の下の集団リンチの様相を呈した最初の段階からの、大学の責任のみを取り上げる様に強く言っていた。それにもかかわらず、その指示に反して和解のテーブルに着いた上、見当外れの条件を原告に確認もせずに呈示したのである。

 原審で圧勝しており、控訴理由書が説得力の無いものであることを確認済みである大学側が、その要求に冷淡であるのは当然である。

 原告(控訴人)の知らない間に、全く望まない和解交渉が行われ、予想だにしない要求を持ち出して、その和解が不成立に終わった。この和解不成立についても、原告側に問題があったことになろう。
 
 百歩譲って、和解交渉に応じたのが、代理人としての良心に従った結果であったと考え得ないでもない。しかし、そのような和解勧試が必然であると、実務家であれば当然予想するなら、なぜ、原告に傍聴の必要が無いとしたのであろう。原告が必要があれば行くと述べているにも関わらずにである。全く不可解なのである。

 実は、原告は、控訴審において、自分自身、証人としての出廷を強く望んでいた。新たな陳述書を書いたので、この陳述書に述べた内容について、証人としての証言を証拠として加えてもらい、一層強い証拠としたかったのである(大学の頁にある控訴審陳述書参照)。控訴審裁判官に自分を見てもらい、有利な心証のための補強的な証拠ともなる、と考えた。裁判官にとって、証拠とは、書面で提出する主張・証拠の他に、証人の容姿扮装、声や話し方、言葉遣いや態度など、全てを包括する。後に相談した弁護士からは、原告の容姿や話し方など、有利な証拠となり得るとされた。

 これに対して、代理人が、裁判所が原告の証人申請を受け入れるはずがないから、申請自体しないと回答した。原告がY弁護士に対して、証人申請を複数回申し入れたに対して、代理人が、裁判所に聞く前に、証人申請自体を却下してしまったのである。仮に、裁判所が拒否するとしても、何故、申請はしてみるということができないのか。裁判所にとって、申請自体が何らかの意味を持ち得ないでもない。不可解である。


 以上に述べた顛末、特に、控訴審以降の経緯については、松山在住の原告と大阪のY弁護士との間のメールにより明らかであり、大阪弁護士会における紛議調停申立書は原告自身がこれら証拠と共に調製して提出した。その結果が、上述の調停なのである。




どうやら一々、「実務の教科書」の逆を行ったようである

 そのY弁護士にはこの事件に至るまで一面識もなく、所属法律事務所にも関わったことがない。恨みを買った覚えは全くない。煮え湯を飲まされた。全く不可解である。

 原告は、弁護士を変えようと何度も思ってはいた。最も信頼する原告の友人に、過去何度か依頼したことがあった。しかし、松山への切り替え以前には退職を前提にしていたので、このことを心配されたのであるし、今回の裁判についても、おそらく昇任を優先するという立場から提訴に至らないと思われた。そこで大阪弁護士会の弁護士紹介によりY弁護士の所属する法律事務所に依頼したのであった。全く、原告を知らない方が、その利益よりも、大学に対して峻厳にも裁判を遂行してくれるという期待があった。控訴時には、松山の弁護士数人に依頼してみたが、地裁判決のあまりの完敗ぶりに、原告側の根拠が弱いと考えられたし、控訴期限が経過するまでの短い期間内に探すのには限界があった。地裁手続きに関与していない弁護士が控訴から入るのは、大部の訴訟記録を読み返す必要もあり、そもそも難しい。全てに断られた。仕方がないので、Y弁護士に再度、依頼した。それでも上訴せざるを得なかった。薄々、気づいていても、原告は実務を知らないので、後に整理して、上述のようにまとめられるようになるまでは、何とかやってもらえると信じていたのである。Y弁護士は、気弱な感じがした。そんな大それたことをするような人物にはとても見えなかった。

 このような場合、裁判所は、次の様に言うのである。「確かに、その弁護士は酷かったようだ。しかし、そんな弁護士に依頼したのは原告自身だろ。その責任は原告にあるのだから、負けても仕方がない」。