山本耀司
yoji yamamotoのデザイナー。天才的な素材のカッティングの感覚を持つ。
TECHNODONの初期レコーディングにプライベートスタジオを貸している。高橋の個人的な友人であり、PradaやWim Wendersの友人でもある。(kazippy)
  ★ファッションのことは全く分からないんですが、山本耀司さんといえば、黒っぽい印象が強いです。むかしデパートでかっこいいコートを見つけたら、yoji yamamotoでした。とてもとても、手が出ませんでした・・・。(^^; ミュージシャンでもあるんですよね。何枚かアルバムを出しておられます。一度だけライブをきいたことがあります。すごく渋い声でした。(^ ^) 偉大な芸術家って、どうして一分野にとどまらない活躍をするのでしょうね。(nakanaka)

矢野顕子
たぐい稀な歌唱法で、世界中でただ一人しかいないシンガー・ソング・アーティスト。東京生まれ青森育ち。3才からピアノを始め、高校時代よりジャズ・スポットやティンパンアレイを含めたセッション・ミュージシャンとして活動。1976年『JAPANESE GIRL』でソロ・デヴュー。YMOのワールド・ツアーでは、無機的に演奏するYMOの中で自由に飛び跳ねて演奏する姿は、海外でも評判が高かった。数多くのオリジナル・アルバムの発表の他に、ピアノのみによるカヴァー集の製作、全国ツアーの敢行と並行して行なわれた「出前ツアー」、数え切れない程のセッション、楽曲提供、『月刊カドカワ』における「月刊アッコちゃん」の編集長就任、映画音楽および声優など、その活動範囲は枚挙に暇がない。1990年よりNY在住。緻密なアレンジメントの上に感情の発露を上書きした闊達なピアノ演奏の他に、独自のコーラス唱法にももっと注意がいっていいと思う。あるアルバムで、special thanksが子供たちと飼い猫、神様だけになったときから予感していたけど、日本のポップス界で恋の歌が氾濫している中、唯一愛について歌い続けてきたアッコちゃんに、みんな元気と勇気をもらっているんだからね。アッコちゃんが楽しんで歌っていると、僕たちもそれだけでうれしい。(しでお)
  ★矢野さんは、ご本人は嫌がられるかもしれませんが、天才という形容をしてもよい方だと思っています(今まで「YMO豆事典」に入ってなかったとは……m(_ _)m)。ケイト・ブッシュさんと声が似ているとよく言われますが、お二人とも無二の方ですね(私はケイト・ブッシュさんの音楽は余り聴かないのではありあますが…m(_ _)m)。
 矢野さんにかかると、どんな曲でもまるで魔法のように矢野さんの音楽になり、矢野さんの声とピアノが曲の中に少し入るだけで、聴いている者の世界が変わるかのようです。奇跡的な感覚さえ覚えます。まさに世界でただひとりです。
 矢野さんがおっしゃっていたこと、「月刊アッコちゃん」だったかどうか?覚えていないのですが(曖昧ですみません)、「セックスと暴力はうたわない」とおっしゃっていた言葉は今でも印象に残っています。矢野さんの音楽はやさしい。広い、大きい。聖書の「コリントへの手紙1」13章4〜7節に、愛について書かれた箇所がありますが、それを思い起こさせるような音楽を送って下さいます。あ、私はクリスチャンではないですけど…。(^^;(nakanaka)

ヤザワのアルバム
写真集『ピリオド』のマンガに書かれている教授が参加している矢沢永吉のアルバムは『ゴールドラッシュ』と『キス・ミー・プリーズ』です。
因みにユキヒロ氏は『スター・イン・ヒビヤ』(サディスティックスとしてツイン・ドラムを演奏)、『ドアを開けろ』に参加しています。
興味のある方は聴いてみてください。(M-37)
  ★M-37さん、ありがとうございます。メールアドレスの記載がありませんでしたので、ここで御礼申し上げます。矢沢さんのアルバムに参加してたんですねえ。ピリオド持っているのに、忘れていたのでしょうか(^^; そう言えば、矢沢永吉さん(キャロル時代)は当時、サディスティック・ミカ・バンドを、特に好なバンドとおっしゃっていたようですね(^ ^)(nakanaka)

YELLOW M......
モンキーだったりするある意味YMOファンの敵(?)。まぎらわしい。(松本 弘毅)
  ★松本さん、メールありがとうございました。(メールアドレス無しということですのでここでお礼申し上げます。)(nakanaka)
  ★naoさんより、「イエローモンキー」は、正式には「THE YELLOW MONKEY」と「the」が付くとご指摘を受けました。ありがとうございます。(nakanaka)
  ★確かに、名前は似ていますが、バンド名はそれぞれ思いがあって付けるものでしょうから、敵ということはないですよね。皆、音楽家です。そうそう、「MJQ」といえば、「Modern Jazz Quartet」の方が有名でしょうか? 「Manhattan Jazz Quintet」というバンドの略称でもあるのですが、私は後者が好きだったりします。(nakanaka)

¥ENレーベル
 細野晴臣と高橋幸宏によって、作られたレーベル(1982年)。これは、ほら、有名なホームページがあるのです。(gonsi、nakanaka)

YMB
YMBというのをご存知ですか。
YMOができる前に存在した、Yellow Magic Bandという団体らしいのですが。メンバーがYMOの方々にさらにすごい人たちがそろっていたそうで、LP1枚出していたそうです。すごく聴いてみたいんです。情報を教えて下さい。(にこ)
  ★にこさん、はじめまして。「にこ」というと、「Velvet Underground」を思い出しますね。(^ ^) さて、これは、コメントというより「質問」のようですが、私が「YMB」と聞いて思い出すのは、細野さんがしていた活動としての、「細野晴臣とイエロー・マジック・バンド」というクレジットです。細野さんの『はらいそ』はそうだったと思います。YMOのファースト・アルバムのクレジットは、たしか、「細野晴臣とイエロー・マジック・オーケストラ」でしたよね。つまり、それがそのままYMOの流れ、というか。。。それ以外は、、、分かりませんですm(_ _)m(nakanaka)

Y.M.O.
同略称の別団体
<鉱物科学若手の会>(Young Mineralogist Organization)
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9020/
<YMOツアーズ>(Young man Market Office):旅行会社
http://www.koyo-g.co.jp/YMO.html
<Y.M.O>:保険代理業、生命保険相談
http://www.karadaniiimono.co.jp/ymo.htm
(松本 弘毅)
  ★ありがとうございます。m(_ _)m これは面白いですね! YMOといっても色々あるのですね。「YMO」という文字を見るとドキッとする癖がついてしまいましたが、楽しいものです。昔、「Young Men & Olds」=「YMO」というジャズバンドをテレビでみたことがあります。(nakanaka)

YMO弁当
'78〜'81年位までのYMOに関する雑誌ページのコピー集といった感じで、A4横判、40〜45ミリの厚さです。或レコード店の開店の際、アルファーレコードの方が、開店祝いにと下さった非売品。
当時、浦和市に住む順子さんが、そのレコード店の店長さんより頂いたものです。その後、順子さんよりお借りして拝見することができました。なんと幸運なんでしょう!
順子さんとは、YMOのファンクラブで知合って、お手紙を頂いた時に、“必ず返してくれるなら貸してあげましょう”と当時中2の私に快く貸してくださいました。
内容は、ぜーんぶYMOの雑誌記事なのですが、コピーのコピーを繰返し、縮小されているような印刷で、写真などは版画のようで、虫眼鏡がないと細かい文字が読めませんでした。もう16年前に拝見したきりなので、よく覚えてないのです。
印象深く覚えているのが表紙のカラー写真。駅弁によくある幕の内弁当で、ご飯には、ごまがふってあり梅干も添えてあります。おかずには、鮭、卵焼き、煮物、佃煮があったみたい。
お弁当箱は、外側が木目で、内側が銀色の紙製です。
さあ、いただきます!といった感じ。
裏表紙では、弁当箱に残されたご飯粒、梅干の種、鮭の骨、そして割られた割箸の写真。
“ごちそうさま!”と聞こえて来るようです。

注:あくまでも私の記憶ですので、現在持っていられる方、昔見たよという方、間違ってましたらご指摘お願い致します。なんせ、昨日の記憶も怪しいのですから…

順子さんへ
その節は本当にありがとうございました
お父上の実家にいらした時にはご連絡くださいませ(ZUZU)

YMO終わり
●(1)楽曲の最後で、徐々にFD(フェイド・ダウン)していかず、録音テープを切ったかのように、唐突に曲を終わらせる技法をこう呼んだ。『BGM』『TECHNODELIC』に顕著。(しでお)
  ★『BGM』の収録曲の演奏時間が4:30と5:20(でしたよね)で統一されているのを見たときには驚きました。これは「高橋エンディング」とも関係が深いのでしょうね。。。(nakanaka)
●(2)(David Palmerのリクエストした曲が唐突に終わったのを受けて) 坂本「いきなり」 全員「(爆笑)」 細野「突然終わって…YMO終わりな感じ(笑)」 高橋「すごい終わり方だよねえ(笑)」 坂本「YMO終わりと云いますね、これでね。いきなり終わってしまうと云うね。テープちょん切ったみたいなね」 (1983年12月13日「サンスト」YMO FM散会式)
(しでお)
  ★(笑)(笑)いいですねえ。(^ ^)(nakanaka)

横尾忠則
日本を代表する美術家。1960年代よりグラフィック・デザイナーとして活躍し、1981年画家に転向。日本のみならず世界中での個展の開催、賞の受賞は数知れず。本好きで数多くの著作物の装丁を手がける他、横尾自身による著書も多い。1978年に細野晴臣とアルバム『COCHIN MOON』を共同プロデュース。『COCHIN MOON』は、細野さんと横尾さんのインド旅行体験が下敷きになっている(このとき細野さんが下痢に苦しめられたのは有名)。それ以前も、舞台芸術、役者、映画主演などと活動してきたが、元来横尾忠則は、YMOに加入する予定であった(さらに云えば、最初の細野さんのプランではYMOのメンバーを3人に固定せず、随時人数を増やすつもりだった)。絶えず作風や関心を変化させる横尾忠則は、キッチュとストイックが同居した人である。たとえば、精神世界といったラヴェルなどは一切無視して、個展に行った時は、直観的に気に入った絵の前で何分間も佇んだり、何も感じなければ素通りする、といった見方をされるのが、横尾さんも本望だと思います(この間(2002年)開催された「横尾忠則森羅万象」展の時も、ひたすら美術史上のカテゴリーに分類した批評を朝日新聞に掲載していた阿呆な美術評論家がいましたが、そんなのは全部無視して、横尾忠則の作品と接する時は、無心に作品から横溢するエネルギーに浴すればいいと思われます)。(しでお)
  ★世界的な方ですね。細野さんとの関係で面白いことがあります。お二人の名前をローマ字にすると、それぞれ Hosono, Haruomi、Yokoo, Tadanori となりますが、母音の所だけを見ると非常に近く、一字違いになります(実は、これは細野さんがおっしゃっていたことなんですが)。新聞といえば、前に読売新聞で連載されていた小説(タイトル等が思い出せませんm(_ _)m)に、挿絵を描いておられたことがあります。私はそれを切り抜いてコピーしものをファイルに綴じていたのですが、そのファイルをまた見たくなりました。(nakanaka)

吉本隆明
 文芸評論家、思想家。その著「共同幻想論」(河出書房版、1968)はかなり有名だ。坂本龍一との仕事としては「音楽機械論」(トレヴィル、リブロポート、1686)を共著(対談)。(nakanaka)

YOU
●(1)NHKで放送されていた番組。タイトル曲を坂本龍一が担当。(gonsi)
●(2)「NHK教育で空前絶後の視聴率5%をとった。この系統で脈々と番組があって、こないだのソリトンsideBなんかすごく良かった」という趣旨のメールを頂きました。確かに「ソリトンsideB」は大変面白かった。(nakanaka)
●『若い広場』(山際淳司司会。ここから、『若いやまびこ』のパロディが生まれたものと思われる)の後を受けて、1982年から87年まで放映された、いわゆる若者番組。当初、10時45分から11時30分までの45分番組であったが、後に「青春プレイバック」(進行:笑福亭鶴瓶)のコーナーが接ぎ木され、10時半スタートの1時間番組になった。初代MCが、糸井重里。その後、三田寛子、日比野克彦へと受け継がれたが、糸井が最も長かった。オープニング・テーマとエンディング・テーマを、教授が担当(あと、記憶が正しければ、オープニング・バック・イラストを、江口寿史が担当)。当時のNHK教育では斬新的で、80年代を賑わせた様々なジャンルの人たちが、数多くゲストに呼ばれた。教授も複数回出演し、エンディング・テーマをスタジオで演奏したこともあった。「YOUのテーマ」の出だしの教授の生ドラは、何度聴いても好き(ちなみに、教授のドラムのファンは、大貫妙子、鈴木さえ子など、「私好き」「かわいい」と、女性ミュージシャン受けが良い)。(しでお)hp=「MONZEN NO KOZOH」
  ★そうそう、オープニングのイラストは江口さんだったと思います! 当時は若すぎて、今思えば、あんなに楽しい番組は本当に珍しかったなあと振り返っております。(^^; 最近はテレビを余り見なくなりました。もう80年代後半から、過剰な充溢(?)といった感覚に疲れるようになったのかもしれません。。。(-_-;)(nakanaka)

YOU 100回記念
COMMENT=この記念すべき回(1984年7月9日土曜日放映)、同じハコ(NHK)のよしみで、「サンスト」(同年6月9日火曜日放送)と相互乗り入れして両番組が収録された。サンストのゲストは、中沢新一。その他に、随時『YOU』のアシスタントやゲストである、河合美智子(アシスタント)、新井素子、鴻上尚史、糸井重里(司会)、高橋さん(「乱」というタイトルで、どこぞの新人賞を受賞した19歳の脚本家)、原田知世、藤田さん(アシスタントらしい)、糸井、荻野目慶子、遠藤雅伸が、入れ替わり立ち替わり乱入。YOUの収録スタジオの隅に、ガラス張りのブースが設置され、サンストが録音された。この日のサンストのテーマは、行き詰まりについて。だが、ハイテクと無意識、素人の時代、受け手と送り手など、ころころ変わっていった。2度目の糸井の部分から、両番組の司会が交代したりする余興もあり。互いの番組は収録中、何を話しているのかまでは聴き取れないものの、始終YOUの観客の笑い声がブースに漏れ、「完全に駄目。向こうに持ってかれる」(教授)と、散々な段取りに。鴻上の「ここ暗いですね」のダメ出しで、撃沈した。(しでお)hp=「MONZEN NO KOZOH」
  ★か、かすかに記憶が蘇ります。。。(笑)(nakanaka)

YOU DO ME
●(1)1990年頃、N社ノートパソコンのイメージキャラクターとして坂本氏が起用される。その際、ハガキでクイズ(?)に答えた人の中から抽選で、特別賞(?)として"YOU DO ME"のCDシングルが貰えた。私は気付いたら応募期間が過ぎていたので内容は不明(誰か教えて下さい) (L.I.氏)
●(2)友達にプロモ−ションビデオ(?)を見せてもらいました。名前は忘れてしまったけどセクシ−な外人女性がヴォ−カルです。坂本氏も出ています。(YOKO)
  ★私もプロモーションビデオ見たことあります。かっこよかった〜。(nakanaka)

代々木アニメーション学院
 細野晴臣はなんとここの特別講師をしています。授業は直接教えていないようです。しかし代々木アニメーション学院の音楽科の入学説明会に行けばタダで細野氏本人の講演を生で、さらに至近距離で聴くことができ、おまけに記念撮影までします。あの雰囲気に耐えられればですが。(川崎)

Yセツ王
EroMagicOrchestra〜Yセツ王〜

ユキヒロコレクション
 私の実家、名古屋へ帰郷したとき、名古屋パルコのメンズコーナーにて高橋幸宏さんのブティックを発見しました。以前、「ファッション通信」で紹介されて、耳にはしていましたが、実際見てみますとセンスのよい小物類から、カジュアルなもの、スーツなどいろいろディスプレイされていました。若い人から、幸宏さん世代まで、幅広い年齢層に対応してそうな感じでした。自分だけでなく、おとうちゃんもユキヒロブランドで改造してみては?(CHIKA)hp=「chika de poo/index」

幸宏唱法
●(1)最初に歌ったメロディラインを一切変えず、同じ音程で同じメロディラインを辿って重ねる、幸宏氏が発明した歌唱法。今までのアルバムを全部CDで買い直していないので、いつその方法を開発したのかは不明。(しでお)
  ★あの歌い方は独特ですよね。他に聴いたことがないような。。。曲の一部でそういう歌い方をする人はいても、幸宏さんみたいに、それが自身の唱法になっているというのは独特ですよね。記憶だけで辿ってみますけれど、『サラヴァ!』ではまだ、、、ですよね。うーん、『音楽殺人』は、、、入っていますねえ。。。『ニウロマンティック』では随分出てきていますよね。えーっと、YMOでは、、、どうなのでしょう。うーん(-_-;)......(nakanaka)
●(2)へえ、それって幸宏唱法って言うんですか? でも開発したのは幸宏氏かどうかは分からない。
と言うのも、例えば矢野顕子さんがデビューアルバム『JAPANESE GIRL』に収録されている「電話線」で既に同じ事をやっているからです。聴いてみてください。(Prophet5&MC4)
  ★Prophet5&MC4より、「幸宏唱法?」と疑問符つきでコメントいただきました。いま、「電話線」をかけながら書いてますけど、たしかに同じようにメロディラインを母音で重ねて歌っておられますね。それにしても……矢野さんの歌いいなあ〜(T_T)
それから、掲示板より。
「しでおさんの書かれた「幸宏唱法」拝見しましたが、同じ音程でメロディーラインを重ねる方法は、サザンの原坊がヴォーカルをとるときにいつも使うそうです。
どちらが先かはわかりませんが、多分幸宏が先でしょうか。 まぁ、原坊(というか、多分桑田)は独自にやったのでしょうけど。」
という書き込みもいただいております。
原坊のほうは、私はほとんど存じませんので何とも申し上げられませんが、そうなんですねー。(^ ^)(nakanaka)
●(3)この話について、Tackmixさんからコメントをいただきましたので、ご紹介します。
「まず、幸宏唱法は、独特のうねうね感のある歌い方のことです。
例えば、君に胸キュンの
 うわきぃなぁ、なあぁつうぅがぁー の 「つぅ ↑う ぐ↓ぅあ↑ぁ」といった感じで、しかも鼻濁音の「ぐ」(ngu)をはっきり「GU」と歌うこともポイントです。
ボーカルを重ねる手法は、かなり昔からある手法で、コーラスマシンを人力でやっているようなモノですね。コーラスマシンの場合は、ラジオなどで、モノラルになってしまったときにフランジャー効果が出てしまうので、この方法が良いんです。
確か、2トラックにボーカルを録ってしまったときにできた、偶然の産物でビートルズ時代にはあったかもしれません。」
 以上です。これについて、以前「掲示板」で少し議論(?)がありました。ちょっと紹介しようと思ったのですが、私のミスでバックアップをちょうど2003年8月初め頃のものを取っておりませんでした。すみませんm(_ _)m
そのとき、「ユニゾン」についてとか、専門的なお話もいただきました。私もそのとき書いたのですが、「幸宏唱法」と言えば、Tackmixさんのような感じで捉えていた旨を書かせていただきました。(Tackmixさんほど、詳しくは認識しておりませんですが。。。(^^;)(nakanaka)
  ★この話は少しややこしいですね。ちょっと整理してみます。同じメロディラインを重ねるのは「ユニゾン」という唱法で、非常に古くから使われている方法です。ただ、現在のような機械はなかったわけですから、複数の人が同じメロディを重ねて歌うことを意味します。これは「ユニゾンの合唱」のことですので、二人以上で同じメロディを歌えばよく、当然古くからあることになります。ですから、機械が発達して多重録音が可能になってから、同じ人間の声を重ねることができるようになり、それを始めたのは誰か、という話になります。これは可能性だけで考えると、20世紀の中頃にまで遡ることができるかもしれません。幸宏唱法というとき、その突出した特徴はやはり、母音を引き延ばし、さらにその母音の音程を変える、というところにあると思います。これも、古くからある手法ではあるのですが、幸宏さんが独特なのは、それを楽譜としては、恐らく表しておらず、例えば、幸宏さんが他人の曲をカバーしたとして、幸宏唱法で歌うと、原曲とは違った歌い方になる、ということを思い起こすと、分りやすいかもしれません。Tackmixさんも「君に、胸キュン。」から挙げていらっしゃいますが、この曲は分りやすいので(有名ですし(^ ^))私も挙げさせていただくと、例えば、
♪「さざなみの ラインダンス」
の部分を、文字で表すと、
♪「さあざあなあみいの らあいいんだあーんす」
という感じになるでしょう。特に「だあーんす」は特徴的で、「だ・あーんす」と、「だ」と「あーんす」の間に点を打ちたくなります。恐らく、あの歌い方を再現する必要がなければ、楽譜上は母音の音符指定までしなくてもよいでしょう。しかし、再現するには、楽譜もそれなりの指定が必要です。その二つの楽譜/音譜のメロディラインの表記は、違ったものとなるはずです。それにプラスして、機械的に自分の声を重ねるという方法を使うと(また更に、その声を機械処理したり音程を微妙に変えたりすると)、より幸宏さんらしくなるのではないかと思います。(nakanaka)

雪列車
●(1)前川清のポップス演歌。演歌ファンには邪道視される作品だが、それもそのはず、作曲&アレンジは教授、作詞は糸井重里、という黄金コンビ。ベースはどう聞いてもProphet5のシンセベースだし、多分ドラムは幸宏氏が叩いていると思われる。どう考えても演歌らしくないバック構成。しかし、演歌として見なければナカナカの出来の曲。と言うか教授の作曲のクセって言うか捻り方が良く出ている。(例えば、この曲は盛り上がりはあるんだけど、“サビ”とはっきり定義出来るようなパートが無い。つまり割とインスト曲っぽい作り方をしている。この辺りの“定型に嵌らないヒネクレ方”が教授の“歌謡曲”の特徴だと思う。他にも“くちびるネットワーク”なんかでも、定型パターンではサビの“くちびる”辺りでメロディ的には終わっても良さそうなところに“にネ〜ットワ〜ク“と言うようなしつこい“もう一押し”を捻り込んでる。教授のシングルG.T.と聴き比べてみればその“演出された”不自然さが良く分かると思う。さすが教授!と言いたい所だけど、ここら辺が“編曲者”として重宝されても“作曲者”としては歌謡曲界に重宝されなかった理由だろう。)
因みにこの「雪列車」と恐らく同時期に製作された教授自身のシングル「Front Line」を聞き比べてみると面白い。「Front Line」は歌詞が英語だけど紛れも無いポップス演歌。ひょっとしたらこれも前川清用のプロモだったのか?(Prophet5&MC4)
  ★Prophet5&MC4さん、鋭いご指摘をなさいますね。すごい〜。坂本さんは、たしかに歌謡曲の作曲家としてはヒネクレみたいな感じがあるようですね。またそれが私にとってはいいのですが。。。そう言えば、坂本さんいわく──僕は普通のロックとか、そういう作曲ができないんですよ──みたいな発言もあったかと思います。逆に、どうして歌謡曲……に限らずヒット曲では、いわゆるサビが重視されるんだろう?という疑問もわかなくもないですね。(^ ^) いえ、それが印象的で売れるのかもしれませんけど。心地よい音楽とか、必ずしもはっきりしたサビがあるとは限らないですよね。(nakanaka)
●(2)前川清氏もこの曲は思い出深く、コメントをテレビでも語っておりました。
この曲のドラムは教授が叩いています。スタジオで時間をかけて収録。
曰く、和太鼓のような音をドラムで表現したいと一生懸命叩いていたそうです。(その番組ビデオで録ったので間違いないです)
あと、「フロントライン」の発表は81年、「雪列車」は82年、この2年は大きく違うと思います。
「フロントライン」の時はYMOのストレスが最高潮のときで、教授がその想いを表現したく作った、と思います。
B面の「ハッピーエンド」はその最たるものではないかと。最高の皮肉ですね(細野氏への)。ですので、この時期を引き合いに出すのはちょっと、と思うのです。
82年は教授にとってのターニングポイントの年だと思っております。
YMO一時休業の時期でもありますし、2月にはいけないルージュマジック、8月には「戦メリ」撮影、あと多くのアレンジ、プロデュースの仕事があります。
自分の暴論を言わせて貰うと、「雪列車」は後の「戦メリ」の要素、ヒントの一つになったと思います。それは、アルバム『KIYOSHI』の一曲目の「他の男、別の女」にも表れています。エンデイングは「戦メリ」の様です。
また、教授は前川清を演歌と捉えてなくて、非常にうまい、ステレオタイプでない歌手だと、それが仕事をするきっかけになったと言っています。(吉本隆明との対談『音楽機械論』(トレヴィル、1986)で出ています)
つまり演歌でなくもっと広い枠の、将来でも歌っていける「青い山脈」みたいなものを目指したといいます。そういう意味では、演歌とか、歌謡曲とかの枠で捉えると違った印象になるのでしょうね。
あと、この時期の教授は気に入った曲、力の入った曲には自己表現を完全にする為、ギター等の楽器以外自分で演奏していました。大貫妙子の「色彩都市」、加藤登紀子のプロデュース、「いけないルージュマジック」、土屋昌巳の「KAFKA」など名作揃いです。
ですので、こういう流れでの「雪列車」であって、前記の曲を引き合いに出した方が時系列でも脈絡あるものだと思います。
すいません。私が教授にはまっていった時期が82年でとても濃い時期だと思っているので、こういう事を打たせてもらいました。(伊藤さん)
  ★ありがとうございます。勉強になります。勉強させていただいているばかりの管理人です。m(_ _)m この時期、余りYMOとソロ作品以外には手が延びておらず、“後追い”のような形で知ったことが殆どです。『音楽機械論』の発言については、私も読んだ記憶があります。幸宏さんが、坂本さんは「努力する鬼才」だと何度かおっしゃっていたと思いますが、坂本さんって、じつに「努力」をする方だなあと思います。きっと元々才能があり、その上で努力している彼は、色褪せない曲をこれからも作ってくれることでしょう。(nakanaka)