立花ハジメ
元「プラスティックス」のメンバー。グラフィック・デザイナーとしても活躍し、ADC賞(で当ってます?)受賞経験も。現在でも、断続的にアルバムを発表したり、ライヴを行なったりしている。84年には、高橋幸宏のライヴのバック・ミュージシャンをつとめた。「サウンド・ストリート」に幸宏氏と出演したとき、
ハジメ「俺、幸宏のアルバムに参加したことあったっけ?」
幸宏「『ニューロマンティック』の時に…(ごにょ、ごにょ)」
ハジメ「教授のアルバムには?」
教授「……」
ハジメ「どうせ、俺って、ミュージシャンとして認められてねーんだ」
と拗ねる一幕があった。(しでお)
  ★今まで立花ハジメさんを載せていなかったとは。。。m(_ _)m 今や、グラフィック・デザイナーとして、世界的に知られる人ですよね。91年にADC賞最高賞を受賞しています(ADCは「東京アートディレクターズクラブ」の略称)。上の「サンスト」のシーン、面白いですね。そう言えば、幸宏さんが何のラジオ番組でしたか、「このライブでの最年長はじつはハジメくんです」というようなことを言っておられたような記憶があります。意外と、立花ハジメさんって、幸宏さんや坂本さんより年上なんですよね。「Low Powers」のセンス大好きです。Discographyを書き出すと、けっこうな数になるのではないでしょうか。(nakanaka)

泰安洋行(Bon Voyage co)
細野氏の3rdソロアルバム。名前は長崎の新地中華街にある雑貨屋さんからとったらしい。 このアルバムと「トロピカル・ダンディ」「はらいそ」の3作は「トロピカル三部作」と呼ばれており、いずれも日本の音楽史上に残る名盤である。
聞いてない方は、ぜひ聞いていただきたい。細野氏が「音楽王」といわれる所以が、ここにはある。(七篠権平)
  ★『泰安洋行』は紛れもない名作だと思います。今でも大好きで、トロピカル三部作は私が死ぬまで私の中に生き続けてくれるでしょう。改めて細野さんに感謝したいです。(nakanaka)

高橋エンディング
●(1)オールナイトニッポンで、高橋幸宏氏の曲のエンディングは「高橋エンディング」が多いと、ゲスト出演していたステ坊(スティーヴ・ジャンセン氏)が発言して、その場のメンバー全員が納得していた。
 高橋エンディングとは、曲の終わりがフェードアウトするのではなく、切のいい部分で終わる事。例として BEHIND THE MASKやCUE、LIMBOなど。独特のタイミングで曲が終了する事。高橋幸宏氏が作曲した曲以外にも大変多く、YMOの特徴の一つである。(ぷ〜)
  ★「YMO終わり」とも関係しますね。そうでしたか。そういうことがあったのですか! 私の記憶を思い起こしますと、ロドニー・ドラマーさんというベーシストが「Very famous Yukihiro ending!」と(幸宏さんいわく「嬉しそうに」)言ってからだったのかと思っていました。ロドニー・ドラマーさんは、『Once A Fool...』の頃、よく幸宏さんと演奏していた方です。私の記憶違いがあるのかもしれませんね。ただ、「ドラマーという名前なのにベーシストなんです」と、嬉々として(?)幸宏さんが話しておられたのを覚えています。(nakanaka)
●(2)何かのラジオ番組で(サンストだったかな)幸宏さんが高橋エンディングについて話してました。コンピューターに打ち込むとき高橋エンディングにした方が簡単なんだもん というのが理由だったと思います。(あきら)
  ★そ、そんな安易な……。(笑)幸宏さん独特のジョークかもしれませんけど。。。(「独特」と書くと、竹中直人さんの「ドクトクくん」を思い出します。あ、竹中さんも、まだキーワードに入ってないですね(^^;汗 『メルシィ・ボク』というアルバムを竹中さんが出した頃、「ドクトク」というのが、二人で流行っていたんですよね(^ ^) 竹中さんのライブ・アルバム『メルシィ・ボク・アンプー・ボク』に、幸宏さんも出演されてます。この頃、竹中さんは「チャーリー・ボブ彦」、幸宏さんは「ジャッキー・テル彦」としてコントをしてました。笑えます。当時大阪では深夜に、その二人組で出る番組が放送されてました。あー、番組のタイトルが今、出てこない!m(_ _;)m)(nakanaka)

高橋悠治
●(1)坂本龍一と親交のある音楽家(ピアニスト)。共著で「長電話」という(対談の)本を出している(本本堂、冬樹社、1984)。高橋悠治の「Piano Works Of Viennese School」において坂本龍一がピアノでサポートしている。(恐らく)現代のかなり重要な音楽家の一人(というイメージを持っています、私は)。(nakanaka)
●(2)この方の身近な例としては「千のナイフ(アルバム)」の「グラスホッパーズ」にて一緒にピアノを弾いてらっしゃいますね。(ひらかわふみあき)URL=http://www.interq.or.jp/uranus/nai/F,HilaHP/F,Hila-index.htm
  ★高橋悠治さんはクセナキスさんに師事されていたことがあったかと記憶してます。(未確認ですf^_^;)(nakanaka)

TAMA-215P
●(1)高橋幸宏モデルのドラムスティック。昔、TAMAのパンフレットにそう書いてあった(はずだ)。(gonsi、nakanaka)
●(2)カタログの記載は判りませんが、現物を持っています。TAMA YUKIHIRO TAKAHASHI MODEL と書いてあります。で、チップ部分(先端部分)が細めですが、当時のどのスティックよりも「重く」作られています。もちろん、持って感じるほどではなく「振った感じ」です。(Tackmix)HP=「Tackmix's Room」
  ★そうなんです。昔、パンフレットを持っていたのですが、どこにいったのか分からなくなってしまいました。私もTAMA-215Pのモデルは持っていて、たまに(あ、「TAMA」とかかってますね。・・・くだらないですね。。。m(_ _)m)ドラムを叩くとき使っているんですが、「YUKIHIRO TAKAHASHI MODEL」という記載はないのです。(T_T) 確かに先端は細目ですよね。すごく振りやすいスティックだと思います。貧乏だった私は(今でも貧乏ですが(^^;)、このモデルを手に入れたとき(スティックってそんなに高いものでもないんですが(^^;)非常に嬉しかったです。今は、初めて買ったスティックは記念に残して、新しく買った同モデルのスティックをたまに使っています。初めて買ったスティックは、それでも「叩き跡」(?)が生々しかったり、効果はあるのか知りませんが、スティックを強化しようとしてガラス瓶でこすったりした痕跡もよく見ればあったりして、懐しさを蘇らせてくれます。(^ ^)(nakanaka)
●(3)TAMA-215P についてですが、思い出しました。。。。
確か、ユキヒロとの契約が切れてしまって、ユキヒロモデルと言えなくなってしまったんです。それで、後に TAMA-215P という形になっちゃうんですね。(Tackmix)
  ★ははあ、そうでしたか。なるほどー。です。(nakanaka)

谷口六三商店
●(1)TBSで放送されたドラマ。YMOが主題歌を担当。劇中、細野さんが作曲した演歌も使われた(作詞はさくらももこ)。(gonsi)
●(2)ちなみにこの主題歌は、『TECHNODON』に収録の「ポケットが虹でいっぱい」だった。(MSY)
  ★補足説明と申しますか、いただきまして、まことにありがとうございます。m(_ _)m ドラマの内容はすっかり忘れてしまいましたが、何かほのぼのとした感じが浮かんできます。(^ ^)(nakanaka)

Techno Circus
YMOに多大な影響を受けて発足したテクノ系インディーズ・ レーベル。1997.4現在4枚のCDをリリースしている。(m-ki) 「Techno Circus」

『TECHNODELIC』のジャケット
●(1)当初、『TECHNODELIC』のジャケットは、ロシア・アヴァンギャルドの作風を下敷きにした、農婦が呈されたデザインでいく予定であったが、そのことを知ったアルファ・レコードのおエラいさんに、「YMOの3人が表に来ないと、売り上げが露骨に落ちるので、後生だから3人を全面に出したものにしてくれ」と哀願され、YMOや奥村靫正はぶーぶー文句を垂れ抵抗していたものの、結局はポラロイドで撮った3人へコンピュータ処理を施した型のデザインのものに、不承不承ながら妥協し変更する運びとなった。しかし、やがてCD時代を迎え、『TECHNODELIC』もCDとして再販されるに際し、積年の怨みを晴らすかの如く、初発の農婦ものに戻して発売へと踏み切ることに至った。(しでお)HP=「MONZEN NO KOZOH」
●(2)しでおさんの説明文について。正確には、ポラロイドジャケは初回盤のみで、レコードの時代も初回以降はいわゆる「民族ジャケ」だったと記憶しているのですが。 CD化されたときには「民族ジャケ」で再発。(ブロイラー)HP=「モフモフ」
  ★色々な経緯があったんですね。私は単細胞なことに、レコードを買ったときに3人の顔が入っていたというだけで喜んでいました。(^^; その後、CDを買ったときに農婦のものだったので、ああ、これで両方揃ったぞー、みたいな単純にことを考えてました。(^^;(nakanaka)

テクノポリス
●(1)「ヒット曲とはどういうものだろう?」という坂本龍一の非凡振りから生まれた「なるべくしてなった」名曲。
どこかで「テクノポリスはカラオケだ」という話を聞いたが、そういう積もりで聞くと、なるほど、これは良く出来た歌謡曲だった。
つまりこの曲には未来思想はあまりないが、過去を踏まえ、リッパな「これから」と示唆していたのだ。
因みにシングル「Technopolis」はアルバムとはミックスとテイク違いです。当時CMに使われていたことから、「モノラル音質」を意識していたと思われます。
しかし、シングルでのミックス違いは厳密にはこれ一枚となりました。これも殆どのライブで演奏されているが、「ウインターライブ」の異色さが私は気に入っている。「とーきょーッ!!」(笑)(ひらかわふみあき)HP=「無名の家路」
  ★この曲が売れたから、当時小学生だった私の耳にもYMOが届いてくれたのでしょう。そう思うと感慨深いです。けっこう鮮明に「衝撃」を受けたのを覚えています。ある日の午後、ラジオから「テクノポリス」が流れてきました。私は、「何!? 何だ!?」と、その今まで聞いていた音楽からすると異質な響きに、非常な衝撃を感じながら、急いで出かけなければならなかった(笑)にも拘らず、足を止めて聴き入ってしまったのを覚えています。
 そんな私ですが、「テクノポリス」のシングルバージョンとか、そういうものがあるのを知ったのは、後になってからです。(^◇^;) 最初はずっと「マルティプライズ」ばかり聞いていました。小学生の時は「バージョン」という概念がなかったのでしょう。(nakanaka)
●(2)元々この曲は「ピンクレディーに歌わせたらハマりそうな曲」ってんで作ったらしい。つまり筒美京平氏への強力なアイロニーがモティヴェイションと言うトコか。教授が膨大な「筒美京平作曲」の手法を構造解析して作り上げたとのコト。当然、実は教授のYMO時代の曲にしては、あまり「教授臭く」ない。(Prophet5&MC4)

テクノポリス2000-20
●(1)YMOので唯一商品化されていないツアー。(ただし、TV-YMO中のテクノポリス〜ライディーンが同ツアーと同じアレンジ)メンバーが女装して登場とかいろいろ聞いているが何分私はYMOと同い年の上、YMOを知ったのは1996年なのでよくわからない。もし、使える音源が無いのなら、某テレビ局にすらフィルムが残っていない昔のドラマをビデオ化したときに、視聴者が個人的に録画したものを使用した例があるので、私としてはエアチェックされていた物でもいいから商品化(できればSACD、DVD-オーディオで希望。これは他のアルバム、ビデオでも言えることだが)してもらいたい。(松本 弘毅)
●(2)2000−20はどう読めばいいのだろうか。
引いて1980(ツアーが行われた年)になるのは知ってはいるが。(松本 弘毅)
  ★そうか、2000-20=1980・・・なるほど・・・。(^^; 「テクノポリス2000-20」名前はよく聞くのですが、内容はよく分かっていない私です。商品化されていないのだから、なかなか分からないわけですね。私も、エアチェックされていたものでもいいから、商品化していただきたいです。リアルタイム世代でも、当時は小学生とか中学生で、とてもじゃないがレコードやら本を購入したり、テレビやラジオを録音したりできなかった人が多いのではないでしょうか。また、解散後にYMOをきいている人も多いと思います。せめて、音楽の本分である「演奏」の音源だけでも、公式の形で残していただければ嬉しいものです。(本当は本とか映像も欲しいんですけど・・・。)(nakanaka)

TELEX
テクノポップの四天王と言えばドイツのクラフトワーク、日本のYMO、アメリカのディーヴォ、そしてベルギーのTELEXを挙げるコトが出来る。この4つの内、クラフトワーク以外は全て78年デビュー組だ。(ディーヴォだけは結成は75年頃らしいが、ヴァージン/ワーナーでアルバムデビューをしたのは78年。)今回はTELEXに付いて。
TELEXは78年にベルギーでキーボーディスト、ダン・ラックスマンを中心に結成された3人組。元々、YMOと同じくクラフトワークにある種影響を受けて結成されたらしいが、YMOと決定的に違うのが、「プレイヤビリティに溢れるプロ・ミュージシャン」のグループではなく、言わば「ミーハー的なアマチュア精神」の元に結成されたグループである事。バンド編成もエンジニアが入ってたりして「今日的な意味」では革新的な編成と言えるかもしれないが、当時はイマイチ、ピンとこなかった。なんせ、このTELEXと言うグループ、結成から一回もライヴを行ったことが無いのだ。ここら辺が「今日のDTMを作業の中心としたアマチュアDJ」のスタイルとしては多分世界で最初の形と言っていいだろう。「自身テクノファン」であり、とことん「ミーハー精神」に溢れているのだ。
いきなりデビュー作に収録されている、クラフトワークの「ロボット」を彷彿させる楽曲「MOSCOW DISCOW」を大ヒットさせる彼らだが、前記の様な理由で実は全ての楽曲の程度はそんなに高くない。どっちかって言うと、単に「プレスリー的な伝統的ロックンロール」をシンセサイザーで置き換えただけ、と言う印象の曲が多く、クラフトワークみたいに「反復性の極限を追及する」とか、YMOみたいに「楽曲構成の質の高さを追及する」とか、ディーヴォみたいに「ロック構造をとことん解体する」等といったオリジナリティは見られない。結局、中途半端な印象だけをリスナーに与えるのだ。これも全て彼らの「素人くささ」に由来する。実際YMOはクラフトワークやディーヴォを相当意識したような発言は多々してるが、TELEXに付いてはほとんど相手にしてなかったようだ。
実際、YMOの細野晴臣氏は「僕はTELEXは嫌いだった」と述懐してる。ところがTELEX側は「僕らはYMOのファン」となんとファンレターを出す始末(笑)。「僕らはテクノデリックが一番好きです」と(笑)。ここでちょっと心がほぐれたのか、細野晴臣氏(笑)、コシ・ミハルさんのプロデュース業でTELEXとジョイントを組む事を決意、一路ベルギーへ旅立つコトとあいなるのであります。(Prophet5&MC4)

天外魔境ジライア(てんがいまきょうじらいあ)
ゲーム制作会社のハドソンソフトが、NECのPCエンジン(家庭用ゲーム機)用に制作したソフト。このゲームのオープニング、インターリュード、エンディングを坂本龍一が作曲した。なお、このゲームのオープニングに使用された曲は、アルバム「Beauty」に「A pile of time」というタイトルで収録されている。(菊岡"kazzkick"一美)

ティン・パン・アレー(Tin Pan Alley)
キャラメル・ママ/ティン・パン・アレーの項参照。(gonsi)

戸川純
言わずと知れた個性派女優。
YENレーベル初期にアルバム「玉姫様」をリリース。同アルバムの「隣の印度人」という楽曲で細野さんはコーラス参加。当時TBSで夕方始まった「アップルTV」(だったと思う)で細野、高橋、戸川3氏が宣伝(兼司会だったかな?)出演。因みに「裏玉姫」というカセットのみで発売されたライブ盤も存在する。(ヤブロック)
  ★あの独特の高音のふるえ声(?)って、出そうと思っても難しいですよね。(zundoko)
  ★戸川さんって、いいですよね。(^ ^) 皆さんよくご存知と思いますが、タイトル曲「玉姫樣」は細野さんの作曲ですね。「個性派」と称されてても、そうでもない方がけっこうおられる中、本当に「個性的」という形容があてはまる方です。(nakanaka)

東京鶴亀磯釣り会(鶴亀フィッシングクラブ)
高橋幸宏氏は,無類の釣り好き。これはYMOファンの間では有名。鶴亀フィッシングクラブは高橋幸宏自ら会長を勤める釣りの同好の士の集まり。(ZenTouYou)
「SiteZTY」

東風は・・・・
この曲は「とんぷー(イントネーション「と」の部分)」だけれど、作者である当の坂本龍一は、よく「とんふー(イントネーション「ふ」の部分)」と呼んでた。中華料理屋から取った名前らしく、そう言及している(作りかもしれないけれどね)。
ご自分の作られた曲名を
「とんぷー、でしたっけ、とんふーでしたっけ」 などとボケをかますキョージュ。
たまりません。At SounSt.(「サウンドストリート」にて) (ひらかわふみあき)HP=「無名の家路」
 ★教授ってそんなボケを・・・。「東風」は日本語では「こち」とか「あゆ」と読むことができますね。「こち」はよく知られているようですが、「あゆ」は余り知られていないような気がします。(・・・と、こんなこと知っているのもこの曲のおかげですね)。(nakanaka)

トリオ・ザ・テクノ(Trio The Techno)
●(1)YMOの3人がお笑いグループとして結成したもの。(神栖)
●(2)当時空前の大ブームの火付け役的番組『THE・MANZAI』の中で異色お笑いユニットとして登場。確か教授は清志郎のモノマネ、ユキヒロはお父さんのマネ、そして細野さんは教授のマネをしていました。
 その他には、『文夫(高田)くんと民夫(景山)くん』なんかも出ていた。これをきっかけに、『ひょうきん族』等お笑い系番組にメンバーがちょくちょく出るようになった。(ひろ)
  ☆トリオ・ザ・テクノは、ビデオ『TV YMO』で見ることができますね。「ひょうきん族」では、坂本さんの「Steppin' into Asia」が印象に強いです。矢野さんと一緒に出ていたような・・・。『文夫(高田)くんと民夫(景山)くん』は分からないです。(・_・")?(nakanaka)

TR-808
●(1)ローランド社が、1980年に発表したリズムマシン。(gonsi)
●(2)このリズムマシンが最初に話題になったのは、YMOの武道館ライブでの1000KNIVESのアレンジでしょう。
 今までのリズムボックスと違っていたのは、従来のリズムボックスは「あらかじめプログラムされたリズムを選択する」物であったのに対して、全てのパートのプログラムが可能であったことでしょう。プログラム方法も画期的で、16個のボタンを1列に並べそれを1/16拍(16分音符)ととらえて、鳴らしたい拍のボタンを押すとランプがつくという、非常に判りやすいものでした。それと同時に、このリズムマシンからハンドクラップという音色が追加され、前出のライブで出てきたわけです。このハンドクラップは大流行になり、アマチュアバンドでもこの音だけのためにTR-808を買う人が出たくらいです。
 TRシリーズは、606という同様のコンセプトを持ったリズムマシンを発売しますが、ハンドクラップが無い分つまらなくなっていました。当時、808が\150,000-で606が\60,000-だったと思いますが、それほどクラップの影響は大きく、クラップだけの音を出すエフェクターが発売されたくらいでした。(Tackmix)HP=「Tackmix's Room」
  ★ありがとうございます。m(_ _)m そう言えば、606というのもあったと記憶しております。ハンドクラップがなかったんですね。クラップって、思ったよりかなりのインパクトを持った音ですよね。YMOの方々など、うまく使う人が使うと本当に効果的だなと思います。その後、例えば象徴的には「リンドラム」のような「リアル」であったり「高価」なマシンが出てきて、表現は嫌なものですけど、TR-808は廃れていきましたよね。でもまた、この音が出せない、出したいんだ! という人達がどんどん増えて、レアで重要な楽器として重宝されるようになったようですね。今のテクノ(といっても、余り詳しくないんですが、少なくとも90年代のテクノ)で808の音の重要性が再認識された・・・と言ってもいいのでしょうか。楽器って不思議なものですよね。いえ、「音」が不思議なものなんですね。「それ」にしか出せない音が集まって音楽ができている。だから、どれだけ(音、音楽の)反復可能性が高くなったとしても、絶対的な反復はできない、これは言えることですね。理論的には可能だとしても。うーん、でも、絶対的な反復ができない、差異が必ず存在するというのは、つまりこの私たちの住んでいる世界の特徴でもありますが。。。(-_-;)(nakanaka)
●(3)TR-808 は、どちらかというと音色よりもプログラム可能という点が重要視 されていました(今では当然のことですが)。その後、デジタル化していくのはリアルなドラムセットを「プログラムで演奏する」という意味では当然の方向だったと思います。
ただ、このクラップに関しても、YMOでは1000KNIVESとMUSIC PLANS でしか使われていないんですよね。もう既にYMOはサンプリングの世界に突入していてクラップ音のおもしろさなんて必要としていなかったのです。
というか、、、
MC-8の解説にもありますが、MC-8が無かったらYMOは無かったという記述はいろいろなところで目にしますが、それは断じて「違う」と思います。
例えば、クラフトワークというドイツのシンセバンドは、シーケンサーのみで楽曲作っていました。これは、道具・手法が先にあるのではなく、目的が先にあると言うことではないでしょうか? サンプラーにしても、808にしてもMC-8にしても、目的が最初にあって、たまたまその道具がそれだった・・と言うようなことだと思うんです。
MC-8自体もシンセサイザー自体も開発や発売はかなり古いです。しかし、その活用方法が判らず、ただの「自動演奏装置」とか、ただの「電子音作成装置」のような使われ方が最初でしょう。
パシフィックというアルバムのベースラインは、手弾きです。MC-8が無くてもその「発想」は有ったわけです。
テクノとは「意識」という言い方を誰かがしていますが、確かにそうだと思います。プラスチックスやジューシーフルーツがテクノと分類できる人の気持ちがわからないです。富田勲もテクノか?(笑)(Tackmix)
  ★メールの形でいただいたのですが、非常にまとまりがよく、コメントとして掲載させていただきました。
Tackmixさんは、重要な問題提起をなさっていますね。テクノは意識、、、これは細野さんも近い発想をとっていたように思います。特に「アンビエント」のときは、それを強調しておられましたね。
他の所でも書いたかもしれませんが、「テクノ」の語源は、ギリシャ語の「techne」、「アート」の語源は、そのラテン語訳の「ars」ですね。そこから、英語で書けばですが、「fine art」と哲学者などが言い出して(例えばドイツ語なら、今の「芸術」=「アート」という訳語が誕生します。fine artは、ですから、「美的技術」とでもいった訳語が、おそらく語源的には、雰囲気が一番よく表わされるのではないかと思います。つまり、アートはもともと「技術」の領域としての扱いがあり、それの「整合性」や「美」等々を特に強調して、アートとしての概念が生まれた、、、といううろ覚えの話を思い出しました。芸術・アートを考えるとき、この概念、またその概念を作る人間の「意識」を、どこかで取り上げないと、全体像は見えてこないのかもしれません。(以上、記憶を頼りに書きました。事実の部分で間違いがあれば、ぜひご指摘下さい。)(nakanaka)

Turbo Wheelchair
「ロックの生まれた日」というイベントがあったが、そのとき高橋幸宏、高野寛、ちわきまゆみが組んで結成されたユニット。演奏曲目は「I Saw The Light」「Helpless」「We Can Work It Out」(だったと思う)。「ロックの生まれた日でなく、ロックの死んだ日をやる」という高橋幸宏の言葉が記憶にあるわいな。このとき「SMI」として坂本冬美、忌野清志朗らも出演、「HIS」とつながる。(nakanaka)