Cafe Lotus
TV番組「音楽の旅はるか」(毎日放送、1985)の中でオンエアされた坂本龍一の曲。この番組で坂本龍一のバリ島を訪れた模様が、2週に渡って放送された。バリ島滞在中の友人YAS-KAZを訪ね、二人で各地を見て回るという構成。音楽を中心に紹介されたバリ島は非常に魅力的だった。「Cafe Lotus」ではリズムの主要部分として「ケチャ」のサンプリング音が使われている。またもう一つ「Cat Nap」という曲もYAS-KAZと共演されている。(nakanaka)

CAMOUFLAGEの詩と声
「CAMOUFLAGE」の歌詞は、
  A SECRET BEYOND THE DOOR 
   (FALLING INTO IT NOW) 
  RELEASE IN CAMOUFLAGE 
  FLAMING DARKNESS IN THE DISTANCE 
として、『YMO GO HOME』等、幾つかのCDに付いている冊子、あるいはYMOに関する書籍にも掲載されているが、曲の途中、3分10秒あたりから幸宏さんの“声”が聞こえる。そこでは、次のように言われている。
  変わり目の中を静かに動いているんです・・・
  自分を偽る事が必要だったんです・・・
  だからたった今、僕はそこへ落ちていくんです
  自分の声が自分を追いかけてくるんです
  自分の声が自分を追いかけてくるんです
  自分の声が自分を追いかけてくるんです
  だからたった今、僕はそこへ落ちていくんです
非常に聴き取りにくいが、この声が曲を、いっそう深みのあるものとしている。幸宏さんの心の叫びのように聞こえる。神経症に悩まされた彼だからこそ書ける詩、なのかもしれない。
(ただし、上の詩(声)は公式に発表されたものではなく、楽曲から聞き取りをして書き起こしたものである。)(R・R、nakanaka)

キャラメルママ/ティン・パン・アレー
●(1)1973年、はっぴいえんど解散後に結成されたバンド。メンバーは、細野、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆。所謂バンドというよりは、優れたアレンジャー&プレイヤ集団というイメージか。その活動の殆どはスタジオワークだった。
初めてのセッションは細野の1st「HosonoHouse」。そして「吉田美奈子『扉の冬』」「南佳孝『摩天楼のヒロイン』」「荒井由実『ひこうき雲(デビューアルバム)』」などをプロデュース。1974年から名前を「ティン・パン・アレー」に変えた。
しかし、個別活動の増加につれ、1977年に自然消滅。(gonsi)
●(2)京都市内に同名のバ−があります。
オ−ナ−が大のユ−ミン好きなんだそうで、店内でかかっている曲、ドリンク、すべてユ−ミンの曲。一度だけ行ったことありますがとてもいい感じのお店でした。あまりYMOと関係ないですね。ごめんなさい。(YOKO)
  ★いえ、ありがとうございます。行ってみたいです〜。(nakanaka)
●(3)「ティン・パン・アレー」とはもともと、ニューヨークの音楽出版社が集まっている地域を指す。ここから生まれた20世紀前半のポップ・ミュージックに細野が傾倒していたため、そう名付けられた。「北京ダッグ」あたりにその影響がよく表れているように思われる。
 YMOのメンバーとしては当初、ティン・パン・アレーのドラマーだった林立夫と、レコーディングに参加したりしていた佐藤博がリストアップされていたが、彼らが違うことをはじめたため、坂本、高橋に決定したらしい。もし、林、佐藤だったら、YMOはもっと細野独裁色の強いバンドになっていたかもしれない。(ブロイラー)HP=「モフモフ〜モスモスのまねまねサイト」
  ★そう言えば、もしYMOが細野さん、林さん、佐藤さんだったら、というのは私も考えたことがあります。きっと全然違ったでしょうね。(^ ^) 歴史(?)というのは面白いですね。YMOがあれほどヒットしていなかったら、私もファンになってたかどうか、というよりYMOをリアルタイムで知っていたかということ自体、分からないです。すると私の人生は、、、随分変わっていたでしょう。(nakanaka)
●(4)初セッションは細野氏の『HOSONO HOUSE』(73年5月)とされているが、実は『HOSONO HOUSE』から遡ること半年前に大滝詠一氏の1stアルバム『大瀧詠一』(72年11月)にて中心メンバー4人(細野・鈴木・松任谷・林)が集結している。
 よってこれが「本当の初セッション」であるという考え方もあるようだ。しかし、この頃はまだはっぴいえんどの活動が続いているのでこのアルバムのことは除外されているようだ。(七篠権平)
  ★いやー、そうなんですか。ありがとうございます。そう言われますと、はっぴいえんど と、ティン・パン・アレイの関係はちょっとばかりややこしくなりますね。はっぴいえんどが続いているなら、その一環として扱われてもおかしくない、、、という訳でしょうか(^ ^) (nakanaka)

CATCH UP FUSION!
YMOの1stアルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」の日本語版のオビに書かれていたコピー。フュージョン・・・時代を感じます。
 ちなみにオビにはでかでかと「細野晴臣」と書いてあった。内容的にも細野ソロの延長線上という感じだし。(ブロイラー)HP=「モフモフ〜モスモスのまねまねサイト」
  ★オビのコピーが「フュージョン」だったのは覚えています。確かに、フュージョン色が強いとも言えるアルバムですね。時代的にも、坂本さんや高橋さんもフュージョンに非常に近いところで活躍していましたし、細野さんもそうと言えばそうでしたよね。時代的にフュージョンが力のある時代だったのでしょうね。それに、これはよく言われることかと思いますが、実際、YMOのコンセプトを理解するような人はレコード会社にはいなかったのではないでしょうか。クラフトワークとポップスをミックスさせるような発想とか。。。内容についても、そうですね。アルバムも「細野晴臣とイエロー・マジック・オーケストラ」というクレジットだったと思いますが、一枚目のアルバムは、細野さんのソロの延長にあるバンドのものに違いなかったのでしょう。(nakanaka)
  ★1stアルバムの名義を、勘違いして「細野晴臣とイエロー・マジック・バンド」と書いておりましたが、上、訂正いたしました。また、「ちなみに『はらいそ』の名義が「ハリー細野とイエロー・マジック・バンド」です」とご指摘いただきました。訂正してお詫び申し上げます。ご指摘まことにありがとうございました。(nakanaka)

CD帯
◯ル◯ァーレ◯ードが苦手とするもの。例)テビッド=パーマー→テビッド=パーアー。このことが関係あるのかないのか、昨年の2400円版から一切余計なことが書かれなくなった。(ringmoon)

CD裏ジャケ
CD裏ジャケ、◯ル◯ァーレ◯ードが苦手とするもの。例)JINGLE YMO → JANGLE YMO , WILD AMBITIONS → WIND AMBITIONS (ringmoon)

Clapton, Eric(エリック・クラプトン)
いわずと知れた有名なギタリストですが、YMOとは直接関係ありません。しかし彼がYMOのナンバーをカバーしていたのです!
カバーしたナンバーは「ビハインド・ザ・マスク」 多少アレンジされていますが、ほぼ原型をとどめています。
YMOがボコーダーを使用していたコーラス部分もクラプトンとバックコーラスがしっかり歌っています。(但しボコーダーは使用してませんが。) CDタイトル『オーガスト』に収録されています。(SL500)
  ★そうそう、そうなんですよね。かのエリック・クラプトンが「ビハインド・ザ・マスク」をカバーしているんですよね。彼がカバーする前でしょうか(記憶が定かではありませんm(_ _)m) マイケル・ジャクソンからもカバーの依頼があったそうですね。あの売れに売れた『スリラー』に収録される予定があったという記憶があるんですよ。たしか「サンスト」で坂本さんがおっしゃっていたように思うのですが、その当時の録音テープ等がないので、確かめられません。m(_ _)m 私の曖昧な記憶では、そのカバーに対して支払われる金額が低すぎて、YMO側が断ったというような話だと思うんですが。。。でも、『スリラー』に入ってたら、世界のどれだけの人が「ビハインド・ザ・マスク」を耳にしたことだろう……と想像してしまいます。(曖昧な話ですので、余り信じないで下さい。m(_ _)m) ただ、坂本さんのミニ・アルバム『ビハインド・ザ・マスク』(スタジオ・ライブのアルバムでしたか)の作詞のクレジット、たしか、マイケル・ジャクソンになっていませんでしたか?? あれ、エリック・クラプトンの話が消えてしまいました。(^ ^)(nakanaka)
  ★改めまして、掲示板からです。8月5日にしでおさんが書き込みをして下さいました。
「私の記憶ですと、マイケルは、曲はすごく気に入ってたんだけど、Chris Mosdell の歌詞が気に入らず、改めてマイケルがオリジナルの歌詞を書き、オケも歌入れも完了していたんだけど、事務所サイドで折り合いがつかず、結局オクラ入りしてしまった、という経緯だった筈です。」
とコメントいただいています。
それから、Prophet5&MC4さんからも掲示板に書き込みいただきました。8月7日[402] の「 初めまして。」です。掲示板をご覧いただくとご参考になるかと存じます。(nakanaka)

コチンの月
「はらいそ」の次に発売されたホソノさんの「モアベター」なアルバム。当時のホソノさん(ハリー細野)ファンはさぞかし腰を抜かしたろう。今「アンビエント」というジャンルが確立されたご時世となっては「成る程、モアベターかもしれない」と理解もしとしお。早すぎた名盤というべきか。 (平川史明)

C.M.O(China Music Orchestra)
2004年7月にデビューした中国人3人組。
デビューアルバムで「Rydeen」「東風」と、教授の代表曲「Merry Christmas Mr.Lawrence」をカバーしている。
内容的な話をすると、懐かしの「YMOの時代」の音をベースに二胡、楊琴、笛などの中国の民族楽器で主旋律を奏でている。

しかし中華的な香りのする「東風」が本場の楽器で聴けるとは思わなかった・・・(七篠権平)
  ★旬な話題でしたのに、掲載が遅くなりすみませんでした。m(_ _)m 「女子十二楽坊」(でしたでしょうか)の流れに乗ってかもしれませんが、この話を聞いたときは驚きました。じつは、私は未だにきいていないのです。はやく、早くききたいです(^^;(nakanaka)

Compute Compute Compute
1987年、K社『サムライ』購入時に付いてくるハガキにて応募、当選した者だけが貰える。内容は全3曲。
1)COMPUTE COMPUTE COMPUTE
2)BEHIND THE MASK
3)FIELD WORK
(尚、2、3は同年のCDシングル"BEHIND THE MASK"と同内容)CD番号はMCD−4。(L.I.氏)

Consipio-Records
高橋幸宏の興したレコード会社。高橋幸宏の興したレコード会社。高橋幸宏ご本人のコンシピオへの移籍が決定したのは、97年春ごろだったか。"Yoji Yamamoto Collection"のシリーズは豪華な顔ぶれ。オフィシャル・サイトがある。(nakanaka,gonsi)

コズミック・インヴェンション
●(1)1980年のワールドツアー「FROM TOKIO TO TOKYO」の日本武道館公演の4日間のうち、12月27日の公演(富士写真フィルムによる招待公演の日)で「TECHNOPOLIS」を演奏した中学生5人組ちびっこバンド。YMO自らが日本公演のために探してきたバンドなんだとか。(MSY)
●(2)コスミック・インベンションは、YMOの前座をしたことがあります。 武道館ライブの時に、YMOのセットそのままを使って「Technopolis」を演奏しました。
この様子は、ビデオ発売されている1980LIVEの大元・テレビで放送されています。 ドラムが女性で、ビクターのヘッドセットマイクの宣伝キャラにもなりましたね。(Tackmix)
  ★私は、じつは彼らを見たことがないのです。ドラムは女性だったんですか。。。(nakanaka)

CUE
『BGM』集録。細野自らが「YMO後期の完成形」と語る。
2日くらいで作ったらしいが、完成した時には細野、幸宏の二人で紙に「CUE」と書いて記念撮影したというくらい達成感があったようだ。
ちなみに教授はこの曲には参加していない。YMOにしてはえらくコードが単純なのは教授不在だからか?
ウルトラヴォックスの「パッショネート・リプライ」まんまだと言われる(こちらを聴いてないのでなんとも言えず)。
『TECHNODELIC』収録の「KEY」は「CUE」の続編という位置付けらしい。そういえばそんな感じが。(ブロイラー)HP=「モフモフ」
  ★細野さん、幸宏さんはこの「CUE」には思い入れが強いみたいですね(特に細野さんかな?)。ウルトラヴォックスは、私も聴いたことがありませんので、何とも申し上げられませんです。(^^; 音楽番組「ミュージック・フェア」(でしたか?)での演奏が印象に残っています。坂本さんがドラムを叩いていましたね。(nakanaka)

CUE BOX
YMOやステージで使用していた銀色の箱です。よくメンバーの脇に置いてある、カラフルなつまみのついたアレです。
チャンネル数は8くらいではないでしょうか?
確かヒビノ社製のカスタム・メイドです。フロントにヘッドセット用マイクとヘッドフォンのインプットスイッチがあり、シンセヤエフェクターは後ろに入力するようになっている筈です。
メンバーはライブでこのキュー・ボックスを使って、MC-4等のクリック音と演奏のレベルをヘッドフォンでモニターしながら細かく調整していた訳です。
(TDS)

CZ
●(1)日本の家電メーカーCASIOが1985年(だと思う)に発表したシンセサイザー。ユキヒロさんがテレビCMに出演。デジタルのPCM音源を採用しながらも、アナログ的なパラメーターを用いることによって、簡単に音が作れるように配慮してあり、テクノ以外の分野でも数多くのミュージシャンが使用していた。ちなみにCZとはcreative zoneの略らしい。(Uozu Nobutaka)
●(2)高橋幸宏氏がCMに出ていただけでは無く、CZシリーズの監修も氏が行っていた。PDと呼ばれるシンセシス・システムを導入。(rYu-1)URL=http://www.bigfoot.com/~fluidjapan
●(3)CZシリーズの開発には富田 勲も監修していました。
余弦波(コサインウェーブ)発振回路によるディジタルシンセではあったが、DXなどの非整数次倍音発振では無かったため生音のシミュレーションをしたかった当時のユーザーの食いつきは悪かった。もっとも高価なタイプはモーグやEMUのタンスのような大きなものです。
サンプリングマシンやサンプリング音源とディジタル発振を組み合せたタイプの廉価なシンセが続々と登場したことも普及しなかった一因かと……。音作りの操作性はDXと同じく悪いです(笑)
P-MODELがライヴでオルガンやシンセベースとして使っていた時期もありました。(七田正毅)
●(4)CZそのものはPCM音源ではありません。オシレーター部分そのものが波形の位相を歪ませていく、という独特の音源方式を採用しています。(だからPD=Phase Distortion音源) ただ、フィルターでエディットする人の方が多かったと思います。当時はどのメーカーもデジタルフィルターを実用化してなく、これは世界初のデジタルフィルター搭載機でした。さりげなくカシオの技術力が光ります。因みに開発に関わってたのは富田勲氏。高橋氏の方は、後出されるドラム・マシンの開発に関わってました。(サンプリングされたドラムは高橋氏が叩いたものらしい)(Prophet5&MC4)
  ★CZというだけでも、色々とエピソードがありますね。(^ ^) さてさて、私には、音源の話にはついていけないです。情けないですけど。。。(^^; 読んでも理解できていないのです。分かる人には分かるのでしょうね。羨ましいです。(T_T) 頭がこんがらがってきました。(-_-;)(nakanaka)