サディスティック・ミカ・バンド(Sadistic Mika Band)
●(1)伝説的ロックバンド。高橋幸宏が在籍していた。1972、加藤和彦、ミカ、つのだひろ、高中正義、小原礼の5人でサディスティック・ミカ・バンド(SMB)結成。すぐにつのだひろが抜け高橋が参加。後に今井裕も参加。1975、小原礼が辞め(4月)、後藤次利が参加(7月)。同年末、バンド解散。
1976、高中、今井、後藤、高橋で「サディスティックス」結成。1978年8月、自然消滅。尚、高橋はこの頃に「イエロー・マジック・オーケストラ」のレコーディングを行っていた。(春頃結成、7月よりレコーディング)
1988、再結成。ヴォーカルは桐島かれん。
「All Together Now」(1985@国立競技場)でも「サディスティック・ユーミン・バンド」(坂本龍一、松任谷由美参加)として復活している。(gonsi、nakanaka)
●(2)あるENOのLPのbackにサディスティクミカバンドのT-シャツを着たENOがいるそうですが、当時コネクションが両者の間であったのでしょうか (もちろんブートです)。YMOではあったのは知っているのですが 。是非知りたいです!(TERRI)
●(3)70年代ミカ・バンドはロキシー・ミュージックのライヴで前座をしてます。 その縁でENOとも知り合ったのでしょう。
 ENOがロキシーを脱退した後もその親交は続き、加藤和彦氏は彼がソロ・アルバム制作しているスタジオに遊びに行き、サンドウィッチを差し入れしたとか。(壊れたリズム・ボックスのスイッチを押さえる手伝いをさせられたというエピソードもあった様な)
 因みに名盤「黒船」のプロデューサーであるクリス・トーマス(ジョージ・マーチンの弟子として余りにも有名)はロキシーの初期〜中期のアルバムを手掛け、そのサウンドへの貢献度はかなり高いです。「黒船」でのオファーもそのあたりが影響しているのでしょうね。(SOULY)
  ★SOULYさん ありがとうございます。<(_ _)> そうですね! ミカ・バンドはロキシーと一緒にツアーをまわっていましたでした。ロキシーといえば、ブライアン・フェリーの個性と、ブライアン・イーノの個性が余りに強すぎた(イーノの脱退前のことを言えば・・・)という印象がありますが、実際どうだったのでしょう。(nakanaka)

再生
●(1)1993年、YMOは再生したのだ。2月5日の読売新聞夕刊で正式に報道されるまで、僕は半信半疑といった気持ちだった。ちょうど家は読売新聞を取っていたのでよかった、よかった? アルバム「テクノドン」については、当時は否定的な評価の方を多く耳にしたと思う。(僕はリリース時から結構好きです。最近思うのですが、「テクノドン」はアンビエント・テクノ・ポップというような雰囲気がして、あまり巷にない音ではないか、と。個性的でいいアルバムではないか、と)。(nakanaka)
●(2)3人が再生の発表記者会見の際、記者の前にカーテンがかかっており、カーテンを開けると大きいベットに三人が川の字に寝ころがって登場し、記者たちの失笑を買っていた。
ちなみにこのとき特別司会(?)をしていたのが、あの伝説の「オジンガーZ」だった。
僕的にテクノドンの内容はかなり好きです。僕の中では「『テクノドン』はトランスというジャンルの始まり」的なイメージを持ってるのですが、どうなんでしょうか。(七篠権平)
  ★懐しいですねー。たしか、手錠もしていませんでしたでしょうか。NHKの7時のニュースでも取り上げられたんですよね。記者会見の様子については、当時TVで流されると知ったらビデオを用意して待ち構えていましたが(^ ^) どこかで長めの放送があったのでしたか、ビデオに録画しているはずです。ラジオでも長めにその様子が流されて、そのテープを見つけたら聞いてみたいです(どちらも実家に置いてあると思われます)。
ちなみに、「オジンガーZ」はダウンタウンのバラエティ番組(名前を忘れました)に登場していた、謎の(?)おじいさん、だったように思います。
トランスについては、テクノ全般に弱い私ですので、詳しいことは分かりません。ただ、寧ろトランスという言葉は既に存在していて、「テクノドン」の中の「CHANCE」を、坂本さんがトランスを前景的にイメージして作ったと記憶しています。当時は、90年代“テクノ”とそれ以前の“テクノ(ポップ)”の隔絶性といったことが問題にされていたりして、YMOは“テクノ”ではない、というような評も、幾つか読んだように覚えています。
今思うと、「テクノ」とかそうでないとかというのは、ちょっとこだわり過ぎだったような感じがします。誤解されるかもしれませんし、多少無理を言うきらいがあるかもしれませんが、テクノもロックである、と言っていいと感じています。そして、それ以前に「音楽」であり「音」であるという大きな前提が見えなくなってしまっては、その方が音楽を聞くにあたって、私にとっては、弊害の方が多いと思います。しかし、こういうことを書きながら、依然テクノという言葉に自分自身こだわっているんですよね。(^ ^) うーん、やっぱりテクノというのは方法論を指すのではなく、何かの精神的な在り方を指すと考えたほうが適切なのだろうなあとは思います。
すみません。m(_ _)m 話がずれてしまっています。失礼いたしました。それから、この話(後半)は、七篠さんへのレスというより、私のモノローグというべきです。誤解されませんようにお願いいたします。m(_ _)m(nakanaka)

サンディ
久保田麻琴夫人にしてフラダンスの先生。
映画「ナイル殺人事件」主題歌が世界ヒット後、縁あって(?)細野晴臣プロデュースのアルバム「イーティング・プレジャー」をリリース(同アルバムの「DRIP DRY EYES」は、高橋幸宏のそれと趣きが異なり艶かしい。ガムランぽいもの、お経っぽいものありのナイスなアルバムです)。
後に、久保田麻琴と夕焼け楽団の後身サンディー&サンセッツで活躍。映画「熱海殺人事件」の主題歌を歌ったこともあり。(ヤブロック)
  ★サンディさんって、いつまでも美しくてセクシーですね。(^ ^) サンディー&サンセッツは外国では入管でも顔パスくらい有名(特にオーストラリアでの知名度は高い)と聞いてますが、日本ではなぜかマイナーな感じですね。クオリティの非常に高い貴重な方々だと思います。(nakanaka)

散開
1983年、YMOは散開したのだ。「事実上の解散」などと雑誌に書いてあるのを見てショックを受けた記憶がある。当時すでにかなり好きになっていたので。(nakanaka)

世界のサカモト
坂本龍一がワールドワイドに活躍していることから、しばしばこう形容される。出所はおそらくダウンタウンの二人ではないかと思われる。『土曜ソリトンSIDE-B』に坂本龍一が出演した際、司会の高野寛が「最近ダウンタウンの番組で彼らが坂本さんのことを『世界のサカモト』って言うもんだから、それを観た小さい子供たちが、坂本さんのことを『世界のサカモト』っていう芸名の人だと思い込んでるらしいんですよ。」と笑いながらにコメントしていた。それに対し坂本は、似たような芸名の芸能人としてジミー大西とそのまんま東を引き合いに出して、スタジオの笑いを誘っていた。(MSY)
  ★「世界のサカモト」という言い方は、もう定着してしまった感がありますね。でも、出どころは、どうなんでしょうね? ダウンタウンの番組に出る前から、そういう呼び方がされていたように思うのですが。。。ただ、これを広めたのは、やはり「メジャー」な存在であるダウンタウンの影響が大きいかもしれませんね。(nakanaka)

世界陸上
坂本龍一が、1991年、東京で行われた「世界陸上」の開会式の音楽を担当。この模様は日本テレビ系で放送された。しかし、式の最中における、某司会者の喋りがうるさくて、音楽はよく聞けなかった。(gonsi)

赤道小町ドキッ
山下久美子の歌で、1982年のヒット曲。彼女は殆どの作品を自ら作詞作曲をするのですが、この曲は山下久美子自身が作った曲ではありません。
この曲を作った面々は、作詞:松本隆氏、作曲:細野晴臣氏、編曲:大村憲司氏です。(SL500)
  ★この曲の音源を手に入れたのは、じつは随分あとになってからなんです。山下久美子さんのベストアルバム(CD)からでした。TBSの「ザ・ベストテン」で象(本物)に乗って歌っていた久美子さんを、思い出します。(nakanaka)

戦場のメリークリスマス(Merry Christmas Mr. Lawrence)
1983年に公開された、英日合作、大島渚監督による映画。主演はビートたけし、坂本龍一、デヴィッド・ボウイ、トム・コンティ。舞台は1942年、第二次世界大戦下のジャワ島の日本軍の捕虜収容所。極限状態における敵国軍人同士の間に芽生える友情が描かれている。ラストシーンは必見。
この映画で坂本龍一は捕虜収容所長のヨノイ大佐を演じ、また音楽も担当。この映画がカンヌ映画祭に出品された際、ベルナルド・ベルトルッチ監督(『ラストエンペラー』『リトル・ブッダ』)と出会い、この出会いが、その後坂本龍一が世界へ活動の場を広げるきっかけとなった。 また、大島渚、ビートたけし、坂本龍一の三人は、1999年の映画『御法度』で再び共演することとなる(坂本は音楽を担当)。(MSY)
  ★もう、この作品は大好きで大好きで。。。何度泣いたことか、なのです。(T_T)(nakanaka)

S.E.T
スーパーエキセントリックシアター。三宅裕司(漢字あってる?)率いる劇団。
アルバム「SERVICE」にて「増殖」のスネークマンショウのような参加をしている。良くも悪くも毒のない、アルバムとマッチしたギャグを提供している。B面1トラックではYMOの三人も参加、それぞれが良い味だしている。
後に¥ENから「二ッポノミクス」というアルバムを発表している。プロデュースはユキヒロ。なんとユキヒロが演歌(?)を作詞作曲している。 (平川史明)

渋リク
●(1)「渋いリクエスト」の略。サウンドストリートでそういうコーナーがあった。(tatsu)
●(2)何をかくそう私、サンストで一番好きな特集でした。特集の合間に企画に煮詰まると渋リクだったような? ローリーアンダーソンとTレックスと小田和正が同じ土壌でかかる番組は当時としては支離滅裂であり、画期的であったと思います。でも今思うと坂本色のある共通項が見受けられる。こういう番組は細野さんの方が得意じゃないかなぁ。マニアックな選曲は絶対期待できるよね!(ぴろ)
サウンドストリート参照。
  ★支離滅裂さは大切ですよね。私は渋リクで、もっと自分の音楽の世界を広げられていたらよかったなと思います。色々な音楽を若い時に沢山たくさんきいておくのは(いえ、音楽に限らずいろんなアートにふれるのは)、その人の感覚を広げてくれるでしょう。アーティスティックな雰囲気の人って、年齢なんて関係なく若い!ですもんね。細野さんの「渋リク」って、ほんと〜に渋そう。(nakanaka)

シーナ&ザ・ロケッツ
鮎川誠率いるロックンロールバンド。
アルバム「真空パック」を細野晴臣がプロデュース。高橋幸宏作品「RADIO JUNK」オリジナルは同アルバムに収録されている。(ヤブロック)
  ★ちょっと曖昧な記憶ですが、メジャーデビューのきっかけは、細野さんがライブハウスで彼らの音楽に感銘を受け声をかけたこと、という話を聞いたことがあるんですが、本当でしょうか。
 それはともかく、素晴らしくかっこいいバンドですね。鮎川さんには憧れますよー。ロックをずっとしている方は日本にも沢山おられますが、鮎川さんは何をしてもしびれるという感じです。(^ ^) 博多時代(?)の頃からあんな感じだったんですよね。「You may dream」(細野さん作曲)が大ヒットしました。内田裕也さんとも細野さんとも仲がいいみたいで、人間性・音楽性の広さがうかがえますね。(nakanaka)

職業選択の自由
満員に近い上昇するオフィスビルのエレベーターの中で、OL役の仙道敦子が唐突に「職業選択の自由、A・HA・HA、職業選択の自由、A・HA・HA、じーゆう、じーゆう」と歌い出し、周囲が驚く中で、上司役(とおぼしき)の高橋幸宏だけが彼女に暖かい眼差しを送る、という内容のリクルート系のCM。おそらく男女雇用機会均等法に合わせて製作されたCMと思われ、施行された1986年4月以降にTVで流されていたものであろう。詞はコピーライターによるものでしょうが、メロディが幸宏氏のものかは忘れてしまいました(スミマセン)。だけど、今でも鮮明に思い出すことができる印象的なCMでした。(しでお)
  ★懐しいですね。(^ ^) この「A・HA・HA」を聞いて、「タイムマシンにお願い」を連想したものですが、実際はどこからこのフレーズが出てきたのか、よく分からなかったんですよねー。『夜のヒットスタジオ』に幸宏さんが出演したとき、加賀まりこさん(字あってますか?)が、これを「再現したい」と言って、幸宏さんが照れながら演っていたのを思い出します。仙道さん、きれいですね。(nakanaka)

SIMMONS
●(1)YMOの散開ツアーで幸宏が使用していたシンセドラム。ツアーではSIMMONSの音源とLinn2(ドラムマシン)を混ぜて使用していた。もちろん幸宏がボーカルをとっているステージにも使われていた(KAI-KOHやマッドマンなどで使用)。(Y.Sugai)
●(2)ちなみに機種はSDS−5。(tatsu)

親しみやすいメロディー
CD『テクノドン』や東京ドーム公演を観た(聞いた)人々のうち、再生YMOをマイナス評価した音楽ライター達が好んで用いた文節。つまり一般ファン(敢えてこう言おう)にとっては『ライディーン』や『君に胸キュン』こそがYMOである、ということらしい。(ringmoon)

白砂昭一
坂本龍一氏の恩師で、東京芸大講師だった方です。芸大で電子音楽の講座を持たれ、ご自分で半田ごてを握ってアナログシンセサイザーを自作されていましたが、それを見た教授は、「やってられない」と思って、先生の不在なときに忍び込んで音作りをしていたとか。電子工学知識と音楽家のセンスで音作りを切り開いていく手法は教授も多大な影響を受けたと思われます。私はこの方の電子音楽の講義に潜り込んだことがありますが、生活の中で耳にする音を電子音楽で表現する実習をされていました。(dsp)HP=「http://web.kyoto-inet.or.jp/people/hmtanaka/」
  ★私は詳しいことは分かりませんが、いわば日本における先駆者ですよね。著書も幾つか出しておられるようで、“名著”の扱いをされるみたいですね。実際の講義に潜り込まれた、とは楽しいです。いつの時代も、潜り込みたくなる講義というものはありますね。(^ ^)(nakanaka)

消火活動
1993年に突然再生を発表したYMO。
その記者会見の場で細野晴臣氏は
 「火種がくすぶっていたY.M.O.を終わらせるための再生」 と説明する。
 しかしその後の1999年のベストアルバム『YMO GO HOME』、2000年のライヴ・ベスト『ONE MORE YMO』、そして2003年の集大成ベスト『UC YMO』などのリリースやそれらをきっかけにしたCDの再発売という状況を見る限り、YMOの「火種」は、消えるどころかますます火力を強めている。(七篠権平)
  ★このコメントは、6月(2004年)にいただきました。掲載が遅くなり、申し訳ありません。最近では、「Human Audio Sponge」でしたか、また3人が集まることが多いようですね。10月には日本でもライブがあり、先日『News23』では「war and peace」の「日本語版」が放送と。。。(nakanaka)

スネークマンショー
●(1)これとYMOは切っても切れない関係にあると思います。
切ったら血がでます。(TAKE)
●(2)最近初めてスネークマンショーのCDを買いましたが、恥ずかしくて1回しか聴いてません。『愛のチャンピオン号』にはドキドキ! あれを音楽CD屋さんに置いてるのは、正しいのでしょうか? 許されるのでしょうか?(mayu)
  ★この投稿(2)は、1999年6月ごろのものです。アップが遅くなり、本当に申し訳ありません。m(_ _)m (nakanaka)

(謎の)ソノシート
1983年か4年、僕のうちに届けられてた一枚のソノシート。
ジャケットらしいジャケットは無く、袋に「YMO」とデザインされた印刷。裏面を見てみたら「過激な淑女(カラオケ)」とあって歌詞は掲載されてた。
「なんですと!?カラオケですと?」早速針を落としてみると以下ようなの出だし。
インタビュアー「龍一さん、YMOってどういうグループなんですか?」
坂本龍一「そうねぇ、YMOって、いいグループなんじゃないかなぁ」
ここでいきなり加工された声で(誰の声かわからない)
「おーい、地震が来るぞー」
そして、過激な淑女が始まるのだけどきっちり幸宏歌ってますぜ、あれ?? 裏面がカラオケなのか?(裏面見てみる)
・・・つるつるだ(なにも刻んでないって事)・・・なんだこれ・・・・?
皆さんはこのソノシートの正体知ってますか???(ひらかわふみあき)URL=http://www.interq.or.jp/uranus/nai/F,HilaHP/F,Hila-index.htm
 ★何なのでしょう(・_・")?(nakanaka)

Soultrain
今も米NBCテレビで生き長らえている長寿番組。あのドン・コーネリアスの低い声で70年放送開始以来、数多のスターが紹介され続けていた(NHK衛星で70年代の再放送を2年近くやってましたが)。YMOは80年11月2日に出演。例のYMOシャツで登場し、「タイトゥン・アップ(ロング・ヴァージョンの方)」「ファイアークラッカー」の2曲を口パクでプレイ。途中マネージャーの伊藤氏が極めて日本人の恰好で踊りだして(いでたちは『武道館1980』と全く同じ)、ドン・コーネリアスにからかわれていた。ちなみに「ユキ」こと幸宏がインタヴューに応じ、「ソウル・ミュージック好きか?」と聞かれ、「Of course」、逆に「我々はクラフトワークによく似てるって言われるけど、あんたクラフトワーク知ってる?」とやり返し、ドンも「Of course」と答えていた!(tatsu)

Soundall
●(1)学研から発行されていた月刊誌(伝説の雑誌?)。YMOの雑誌かといわれても仕方ないほどYMOとYMOに関係した人たちの事が載っていた(勿論、他のミュージシャンも載っていましたが)。実のところ僕は数冊しか持っていないので、誰か譲って頂ける方いないでしょうかねー。(nakanaka)
●(2)知る人ぞ知る。
でもYMO好きな人は、勿論知っている。
でもでも、世間ではかなりマニアックな月刊誌、しかも小学館!発行。
YMOばっかりカラー、表紙もYMO、アイドル紙を意識した、でも音楽マニア向け。高校1年生の時廃刊になった。
最後の懸賞プレゼントで、"YMO BOOK”が当たった。でも、もっていたから・・・。だけどうれしい。今も2冊大切に持っています。
YMOの本なんだけど、浮気なぼくら のあたりで発行されたもの。時代は、アイドル。そのせいか、かなりアイドルしてる・・・。記憶では・・・。
本は隣の部屋にある。でも、暑いので確認に行きたくない。すんません。(ZUZU)

Sound Street
●(1)坂本龍一がDJを務めたラジオ番組。NHK-FM。
サウンド・ストリートに関して、未森さんという方が素晴らしいサイトを運営なさっています(>「未森幸月ページ」)。(gonsi,nakanaka)
●(2)あー懐かしや。サウンドストリート=サンスト。
当時私は小娘13歳、今や女盛りの30歳(おばさんじゃない)。時の経つのは早いもの。私もpcを自前でカエル身分になりました。お小遣いをねだらなくても、CDだって買えちゃう!
当時は、皆苦労してたよね。LP一枚2,800円、 勿論、消費税抜き。
あれもほしい、これもほしい、カセットテープにダビングしたんじゃなくて、LPが欲しい!! あーん、YMOも欲しいんだけど、ソロのも欲しい!!
皆さん、こころあたりがあるでしょう?
そんな時サンストが役に立つのです!
まず、毎週のエアチェックは、かかさない。ここで、何度も聴いて=試聴するのです。そこでのお話も聞き漏らしてはいけません。勉強になるのです=NHK FM 坂本龍一の音楽講座 。しかも無料!!  なんと贅沢なんでしょう!!!
いい時代だったんですね。未だにその時代を引きずってます。だって、まだまだ聴きたいのがあるんだもん!
サンストで、JAPANをハジメ、海外の音楽を知り、数々の素敵なアーティストの皆々様の音楽、本、演劇、難しい事、楽しい事、いろーんな事知りました。
おかげで、未だに興味のある方々の音楽を尽きることなく探しては、聴いてます(なかにはハズレもあるけれど)。
初期の頃は、坂本氏の“こ・こんばんは、サ・サカモトリュウイチデアリマス”のご挨拶に・・・。
こ・これがカサモトリュウイチ・・・? なんて思いながら聴いていたものです。
あー懐かし、懐かし。
もう戻れない13歳の私に・・・・。
あの音楽三昧の日々に・・・・。
でも、サンストのエアチェックのテープの交換で知合った大阪の“かずよ ちゃん”とは、今でもお付合いがあって、時々メールの交換してます。
PC購入前は、便箋5〜6枚?もっとかな? 近況や、他愛のない事、長電話するように手紙書いてました。
長い付合いよね、しかも女同士。未だ会った事がない! 電話で話した事もない! これも凄いよね。
“YMO結成20周年記念”の CD ROM 発売のチラシを見てから、体が "YMOモード”。残念ながらCD ROM は品切れで、まだ入手できてないのです。恥ずかしながら、発売も知らなかったのです。
忙しい毎日、YMOを忘れた生活・・・。
体に良くないです。
健康のためもっとYMOな生活しなくちゃ!(ZUZU)
●(3) ここではあの忘れ難き「デモテープ特集」がありました。不定期的に取り上げられた特集で、テイ・トウワが出てきた事で有名(確かその日「今すぐ東京へおいで。こき使ってやる」って言ってたような・・)。後に『デモテープ1』ってアルバムになったのだが(結局「2」とかはなかった・・・)、あそこに入っているものより面白いのがもっと一杯あったような気がする。因みにワタシも当時テープ送った1人です・・・。
それと、坂本が留守の時は矢野顕子が代役の時もありました!こういう時は何だかトクした気分になったんですがねぇ・・・。(tatsu)

スタインバーガー
細野氏が、1985散開コンサートで使用していたベースギター。ヘッド(弦を巻きつけるゼンマイ回しみたいなのが付いてる部分)がなく、ボディーもただの箱みたいなデザインで、散開コンサートの衣装やステージの雰囲気にピッタリ合っていた。(ぷ〜)
  ★私は機械、器材に弱いので、こういうお話は勉強になります。m(_ _)m あのベースはかっこいいですね。散開コンサートは全体的に、ドラムをシモンズで通したりと、ビジュアル面でも統一感がありますね。逆説的、あるいはアイロニカルとでも言うべきなのでしょうか、ファシズムのような雰囲気を作って。。。(nakanaka)

ステッピン・イントゥ・エイジアの歌詞
タイ語で歌われているこの歌詞はなんでもタイの昔話だそうです。 サンストに来たハガキ:「タイに行ってこの曲を聴かせたところ、内容が違うと言われた」そうです。
教授が推測するにタイの文部省(みたいなところ)がリリースしている内容と、世間に出回っている内容は違うんじゃねぇのか? と言ってました。 たしか、ギウという神様のいる場所が違っていたような気がする。 因みに教授は「文部省」バージョンを採用。(やるき)

スーパーボウル
1990年(?)、この年のアメリカン・フットボールのスーパーボウルの中継のゲストは坂本龍一氏だった。そして、この中継のCMにも教授が出演していた。BGMに「You Do Me」が使われていた。(gonsi)

スーザン・ソンダク
 細野氏の書いた本で(タイトルが思い出せない)スーザン ソンダク氏の何と言った言葉が好きと言っていたか...。
 中学生ながらも理解しようと何度も読み、そうか...と、その言葉が私のポリシーだったのに忘れてしまった。確か、「人は趣味の...」なんだったのか。
思い出せずに苦しんでるんです。教えてほしい!
 お願いします。(RIE)

Sylvian, David(デヴィッド・シルビアン)
坂本龍一と交流の深いミュージシャン。元JAPAN(1977〜82)のヴォーカリストだった。「戦メリ」メインテーマのヴォーカル入りバージョン「Forbidden Colours(禁じられた色彩)」でヴォーカルを担当。また、教授プロデュースによるN.M.L.の「ZERO LANDMINE」では作詞とヴォーカルで参加している。(MSY)