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2005.2.13
野静明「絵画以前の問いから」を読んだ。生の燃焼をゴッホの色彩と形に私たちはいつも見ているだけでなく、破壊と生成の力が露になっていることに気づいている。ゴッホが描こうとしたミレーの絵画が与える「安息と眠り」からは遠く、「休むことのない不安」の色彩とその動きに画布は崩れそうである。誰もが受ける強い衝撃とは、そんなクリティカルな出来事がまさに今起こっていることへの認識であり、私たちの世界に繋がるとともに、現在を批判しうる絵画という出来事を体験することに関わっている。
 小林秀雄は、「ゴッホの手紙」によってゴッホの精神、手紙の文章、絵画という緻密な構図を、経験という演算子によって作り上げた。「絵のモチフは、人生のモチフより決定的に遅れてきた」という小林秀雄の言葉にあるように、絵画の自我への従属を意味すると同時に、絵画と自我との隔たりに注ぎ込まれた小林秀雄の思索でもあった。ゴッホの手紙によってゴッホの精神を際立たせることで、一気に絵画になだれ込んでいくという読みである。矢野氏は、図案化され観念的ということで小林秀雄が駄作と断定した「悲しみ」という初期の作品に、ゴッホの在り方の半分以上が描かれて重要であると指摘している。「ゴッホは誰よりも無力であり、無力であることをそのままに生きた人間であった。力なきものの傍に同じ力なきものとして寄り添う、それだけがゴッホのなしえたことであり、敢えて言うなら、それだけがゴッホの持っていた唯一の力であった。ゴッホの感覚も認識も全てがそこから発している。力なきものの姿は、同情の対象ではなく、ゴッホにとって、自分がそこに存在している姿そのものであった。彼の絵が強靱であると言うなら、それは力なきものの力である。無力であるものが力を獲得したというのではなく、無力であるそのことの姿なのである」。ここで言う無力とは、誰の役にも立たないというゴッホの社会的立場のことを言っている。しかしたとえば経済的に恵まれればその無力さは霧散してしまうものではなく、その無力さこそが絵画の成立に深く関わってゴッホをゴッホにしてしまっているものだと、矢野氏は指摘していると思う。力なきものは、力によって救われるかどうかは問題ではないくらいさまざまなところに存在していて、それはゴッホの姿にほかならなず、描くことと等価なことであった。その姿であり、描かれたものは悲しみだった。しかしゴッホにとって唯一の真実であり、描くに値するものであった。生の燃焼という主体的な構造がもつ強さではなく、主体の最低限の成立条件を差し引いた後に残る存在の場に自らの絵画を生成させようとした。絵画とゴッホは小林秀雄的自我の対極に位置しながら、けっしてそれを脅かすことはないだろう。自画像、クローの眺めや、アルルの寝室、ひまわり、あるいはムーラン夫人は、描かれることで無力なものの力を獲得していると言えるだろう。「休むことのない不安」と「悲しみ」が色彩と形との間隙に入り込んでいる。
 具象画家のF・ベーコンはゴッホの厚塗りの絵の具を通して新しいリアリティーをもたらしたと語っている。草も生えないクロー平原を生き生きとしたもの描くことに驚いている。矢野がいうように、ゴッホのニューネンまでの無彩色の色づかいは、パリ時代を経てアルルでの明るい色彩に変化していったと見るべきではなく、無彩色の世界がゴッホの社会性と絵画のモチーフ(無力なものの力)を刻印している。物質的かつ生産労働的な側面が、無力なものの力を作品に変換させる通路になっていることを見逃してはならない。ゴッホの精神と絵画を繋ぐのは、観念的な表現や記号ではなく、ペンによって書かれた文章であり、さらに気の遠くなる精妙な根気の要る作業としての身体なのである。
 「デッサンするとはどういうことだろう。どのようにして身につければいいのだろう。これは、感じられることとなしうることとのあいだにある眼に見えぬ鉄の壁を通りぬけるような仕事なんだ。この壁を、どのようにして通りぬけるべきだろう。なぜといって、この壁をどんどんたたいてみたって、なんの役にもたたないんだからね。この壁にゆっくりと穴をあけ、やすりを使って、ゆっくりと、忍耐づよく通り抜けなきゃならないんだという気がする。」この文章はアルトーの「ファン・ゴッホ」に引用されているゴッホの言葉である。アルトーのあの不器用さによる反デッサンというべき作品にもあてはまることではあるが、器官なき身体への書き込みである。知覚と絵画との間の鉄の壁、さらに制作行為はやすりで穴をあけて通りぬけるという、奇妙な表現である。見ることは自分自身の身体にもうひとつの穴をあけることに等しく、描くことはその穴の通過である。どこにも自己はなく、厚塗りのタッチで捉えられた形に変換されていくことが、ゴッホという精神であり、無力なものの力であるように思えた。すると絵画以前の問いは、ゴッホにとっては倫理的な問題であるとともに、友愛の過程であったと言えるかもしれない。もう少し広く作品以前の問いは?とするならば、私にはすぐには答えられない。


2003.12.13
Oギャラリーで「吉見律子small voice展」を見てきた。3枚の平面作品が目を引く。やや遠くからは、濃淡がついた背景に色域が浮かび上がって見える。中央「きえいるまえに」は朱を背景に群青の色域がなびいて、右「はじけてとぶ」はくすんだ緑を背景に青の跳ねが覆っている。左「シュガードロップ」は黄色を背景に不定形な色域が斑点状に散在している。色域と見えたのは、厚いインクの層であり、木版リトグラフにさらにインクをプレスして出来上がるものだそうだ。モネの睡蓮の錯乱を与える色の奥行きと、琳派の装飾性、濃淡からくるリズム感が不思議な印象を与える。特に「シュガードロップ」が美しい。インクは紙をある持続をもつ表面であり、それをさらに際立たせる痕跡を黄色に見いだすことができるのだ。(同じような厚みと痕跡の表現であるキーファーの場合、そのグレーの共同体的な記憶の厚みは、アイロニーであるにしてもキナ臭くさく、壮大な記号の死体であった。)吉見の黄色の表面は、個の記憶を呼び起こすものである。花粉を敷きつめたヴォルフガング・ライプの作品で感じられる、あくまでも個でありながら圧倒的な輝きがここにもあるように思えたのであった。ただし、場所を形成するものではなく、持続するコンセプトの断面あるいは、アレンジメントであり、デルフトの眺望の小さな黄色に近いものと考えられる。


2002.5.4
木志朗康の「山北作業所」を見てきた。このFilmは、彫刻家海老塚耕一が、「浮遊する水-風との対話」という大阪の明治生命ビルのエレベータホールを地下から上の階までの壁面を飾ることになる彫刻を設置するまでの一連のプロセスを記録したものであった。鈴木志朗康の作品を見るのは初めてで、ビデオ作品になじみがなかったこともあり、さらにいきなり美術家との対話になって、映像よりも対話内容に興味が偏ってしまった。
 彫刻における、素材もしくは物質への海老塚氏の考え、そして鈴木氏が一生懸命に言葉がどのように関わっているのかを探るダイアローグがおもしろかった。むろん後半での、作業そのもの、完成して搬送されて現場に設置される映像も、非常にそつなく早すぎることなく、冗長でもなくほどよい、しかも固有の時間が感じられるいいものであったが、ダイアローグのギクシャクしたものからの出来事性なり、真実さと誠実さがより強力であった。海老塚さんにとって、素材は言葉の外にあって、素材を引き寄せつつ自らも出てゆくところが重要であり、その現場では言葉の力は、限定されたものになるだろう。素材を「カスタマイズ、削除する」行為には言葉の領域ではないところがあるだろうし、またそのような作業には直観的な発見があるのだと言いたいように見えた。彼は、美術作品を制作するというより、職人的な生産行為であることを強調していた。ただし職人のように、その生産行為での専門家ではない。つまり手順がきまった自動化された作業ではなく、物の抵抗、意識が介入したり、批判的プロセスによる「障害(prevention?)」を通路として、それによって変化する生産行為ともいうべきものと思われた。厳密なプラン=設計図をまず作り、それを実現化することを基本としている。にもかかわらず、海老塚さんの考えを具現化する過程での物との出会い、物の物質性を引き出す作業と戦い、制作する主体を中心にした過程よりも、どこか即物的な作業そのもの(生産)、あるいは対象ではなく他者としての物のほうを信じている。といっても物に耳を傾けるという状態を意味するのではなく、あるいは物から過剰ななにかを引き出すというのでもなく、物と海老塚さんとの間を往き来することで、物と自分自身からは「過剰なものを削除」することに見えた。
 Filmの前半での海老塚さんと鈴木さん+カメラとの彫刻についての議論は、制作するときの言葉の関わりはどうなのかという問いかけからはじまっていたが、言葉は海老塚さんから素材のほうに流れるもので、彫刻はそれらの力と流れが通過したものであり、再び私達見る人が自ら関与する余地を見いだす隙間であるとするならば、なにかが差し引かれることで、自立した存在になっているわけである。物質の削除には、物の露呈と造形という両面があるが、大きく言えば連続な自然からの切り取りまた、プラン=設計時には言葉がその機能を代用するはずである。ここで注意しないといけないのは、言葉は形を与えること、限定する機能をもつが、これは言葉のひとつの側面であって(知性というべきもの)、もうひとつの作用すなわち知性なり海老塚さんなり私達を移動させるものであるはずである。言葉の外は、そういう意味でも物質であり、さらには人である。海老塚さんの彫刻の円く削られた木塊は、そういった論理的な知性(人)であり、それらを関係付け流動化する見えない水=言葉が流れていると想像するのも楽しい。
 上映後の鈴木氏のお話で、彫刻家は若林奮が好きだが、彼とコラボレーションは気が重かったというようなことを言っていたが、もし若林奮が物自体の過剰な存在と彼の表現しようとする観念との共振で作品が成り立っているならば、制作行為への切り込み方は自ずと制約が多くなるだろうし、場に対する重要性が高いわけだから、映像が意味することが許容されないかもしれない。だから鈴木の作品には齟齬が大きいのかもしれない。実際海老塚さんは、今はたまたま山北のこの作業場でしているが、まったく場所は選ばないし、素材についてのこだわりもないと言っていた。ひとえに厳密なプランの存在のためであるようにおもった。そして、その設計図の存在は、素材の存在と釣り合うようになっている。設計図が出来上がれば彫刻を作らなくてもいいということにはならないのは、海老塚さんの言葉では仕事だからということになる。権利と義務という二つのことを言っているのだと思う。


2002.3.2
読 近松劇場「平家女護嶋」を見てきた。「平家女護嶋」は近松門左衛門の時代ものの一つだそうだ。治承1年鹿ヶ谷事件によって、平清盛に島流しにされた僧俊寛と少将成経、康頼は、都には絶望しながらも、生きることを模索する。一方都では、ますます横暴になる清盛に反感を強める反-平家は、源頼家の反旗になってゆくが、清盛に一時的には消し止められる。清盛は、頼家の首をとったことに有頂天になって、さらには俊寛の妻「東屋」にも言い寄るが、なびかぬままに清盛の甥に意図せずに、東屋は殺されてしまう。そのころ島の成経は、その島の女「千鳥」と恋いに落ちていた。俊寛は、そのことを祝い、私を父と思ってくれるように言う。そんなときに清盛の使者が赦免の知らせと「東屋」の悲劇を持ってくる。苦々しい気持ちながらも、都への船に乗ろうとする4人、しかし使者は3人だけで、千鳥はだめだと言い張る。俊寛は、使者と言い争ううちに、使者を殺してしまい。自分は残り、三人を船に乗せる。奇しくもその船は、厳島の沖合いで清盛の船に出会う。そこでは清盛が、邪魔になる後白河法皇を船から落としたところであった。それを見ていた「千鳥」は法王を助けるが、清盛の怒りによって「踏み殺される」。都に帰った清盛は、二人の女の亡霊によって悩まされ、熱病を伴い憤死することになる。というあらすじなのであるが、この群読は近松の原文で読まれたこともあり、言あげというか前口上的な部分は呪文のように聞こえ、人と人とのやりとりも様式化された作法、あるいは言語ゲームという印象があった。ある意味では、アスレティックな言語の運動であり、声は消えてゆく一時的な現象ではなく、まさに言語の身体を形成する実体としてあるように思えたのである。というわけで、舞台は確かにギリシャのコロスを思わせる音楽があり、舞台の上の読み手は、ひとつの波立ち展開し閉じる有機体になっていた。不思議なことに「かんばせ」があたかも器官なき身体を導入しているように思えたのは、わたしの錯覚だったのかもしれない。



2001.7.7
・サンスンの個展を見てきた。女のさまざまなポーズを木炭よる輪郭線だけで描いて、しばしばデフォルメされながら表情を感じさせるものになっている。その輪郭線は、正確にはうねる線の束になっていて、一本一本の線が区別できないくらい重なっている。線の束の濃淡と拡がりは、身体の輝きと悲しみを十分すぎるくらい伝えている。うねる線の束は、なにかの表象ではなく、あるいは物質でもなく、さらには幾何学的な構成される部分でもなく、人の内部によっても変化している、あるいは描くことによっても変化する、つまり場のなかで揺れ動く身体に、きわめて忠実に接近しようとする画家の格闘なのである。その動きのあるそして緊迫した空間は私達にあきらかに衝撃を与えた。いわば恐るべきリアリズムなのである。
 身体を表現する線束の反復と正確さが、白い画布を、女の身体に連動した激しい感情と、その時間の持続の現れる場に、変容させていた。ここでの空間は、絵画固有のものとして閉じたものではなく、見る人との関係のなかでも変化しうる場というものであり、今誕生したばかりの絵画との遭遇という喜びを与えてくれるとも言えるだろう。
 また、うねる線の束から雨のように垂直に落下する木炭の粒子が定着されている。途切れながら続く細い線は、生命そのものである線の束の運動の過剰さであるとともに刻々と崩壊してゆく生の様相とも見えた。うねる線の束から飛散してゆくものに思いを巡らしていた。
 この絵画はイメージに制約されている身体を線の拡がりによって、空間へと解き放つ作業であり、共有される場という形で誕生する可変的な空間なのである。線から空間への飛躍、線がひとつの可能的な空間を立ち上げるのである。そして、身体を通過して別の事物を生み出す一歩手前で揺れ動いている断続する細い線(粒子)が、生から差し引かれる無意識なのかもしれない。気迫に満ちた、そして瑞々しい絵画の前でしばらく呆然とせざるおえなかった理由はこのへんにあるように思えてならない。



12/14,99
ワード・ホークスのレトロスペクティブが行われている。いままでに「三つ数えろ」を見た程度であるが、蓮實重彦のスクリューコメディー論でその名は特権化され、ホークス論が待たれているようであったということ、あるいは金井美恵子が映画の記憶として最初のものとしているのが、「三つ数えろ」であるということもあるが、それ以上にバーバラ・スタンウイック、ルイーズ・ブルックス、ローレン・バコールといった女優にひかれた。「脱出」のローレン・バコールは、優美であった。「三つ数えろ」もいいが、「脱出」のどこか計算を放棄したところに、バコールのやるせない身のこなしが際立っていた。コメディータッチの演技は、ドキュメンタリーのように感じられたのであった。いずれにしても、予想以上の衝撃であった。「暗殺の森」のドミニク・サンダ以来か? 
パンドラの箱のルルは、「A Girl in every port」でもすばらしいとしか言い様がない。官能的なビノッシュかなと思った、あるいはしたたかな緒川たまきか? 
ブギを踊るバーバラ・スタンウイックにも目を洗われたが、「レディー・イヴ」の美しさが忘れ難い。
2000年、ミレミアムとうるさいこの頃であるが、ほんとうに1900年代が名残惜しく感じるのは、どうしたものか。 



11/24,99
亜矢子の写真展『暴走天使』を見てきた。ヤクザ風のお兄さんだったり、しゃがみ込んでいるおじさんだったり、通りを横切ろうとした妊婦だったり、あるいはいわくありげな装い着の男女であったり、マイクを握るおばさんだったりというある意味で体を張って生きている人のポートレートが、非常に柔らかい光で捕らえられていた。彼等は、不意にいつもの自分、敵意だとか、目的だとか、不快感という感情も、行おうとする行為、やらざるおえない行為もレンズの前でどういうわけか失っているのである。そういった意味でおもいがけない笑いがこぼれたり、逆に表情を失ったりするのである。物質の質量を蒸発させるように、人々の内面に風を通す。あるいは、空虚さを単に空虚として捕らえることによる効果が面白い。カラーコピーによる粗い粒子と全体が青みがかかった画面は、被写体を膜で覆うようである。この膜は、見る者に過去への憧憬を引き起こすのではなく、その厚みに時間の持続、不思議な流れの切断面を開くような気がした。

10/31,99

びモレキュラーシアターを見てきた。立川のアミューでのGOZO OPERA『場所と分身』。吉増剛造の『「雪の島」あるいは「エミリーの幽霊」』『オシリス、石の神』をテキストにして、3人によるさまざまな音域での朗読?が行なわれ、港大尋作曲の断続的なピアノの演奏、そして24枚の矩形に区切られたフェンスになった木枠が舞台の前方と後方を仕切っており、その枠に23枚のプレート(一抱えくらいのおおきさの風呂敷で包まれたプレート)が取付けられたり、外されたりの繰り返しの動作がダンサーによってなされる。666秒を1セットとして、6回のヴァリアントとして反復するのである。23枚の可動プレートと残り1枚は秒数のデジタル表示板になっている。以上がプラージュであり、今回は最後にだけコロックがあった。さて期待?のコロックでは、まず豊島重之から今回の上演は「シャルダン効果」であることの経緯が話され、分身が人格や人物の分身ではなく、輪郭線が多重化される、(複数化された線、そういった線の運動)という意味での分身ということであると聞いて、なるほどと思いつつも、分身が線に還元されるものなのか?私の分身という概念と線の運動は切り離されうるものかとちょっと違和感を持った。<「分身は線から面への移行である」という命題が気に入っているのではあるが>というのもコロックでも「面」なるものを誰も口にしなかったが、分身はのっぺりとした面の出現と切り離せないのではないか?真実があたかも真実のように描かれる画布や書物の紙において、表象がそうであるように、分身は出現するのではないかと思ったわけである。この上演でも線としてのフレームも重要であるが、風呂敷で包まれたプレートと空隙の反復による「面」のヴァリアントのほうが、私には印象的であった。
確かに輪郭線は技法上捏造され、物には輪郭があるように思われており、シャルダンが物に接近する過程でその前提を踏み越えてしまったと思う。そこには単に輪郭をぼかすという平均化のそれではなく、鈴木了二がいうように静物を24コマ/secのフィルムで撮り、編集台で見ると輪郭線がぶれるという現象に内在するヴァリアントであり、ひとこまひとこまの差異の発生を集積する持続を見るべきで、そこにしか線との格闘はない。平均化によって物もしくは描かれたものにほどよく適応して支えあうものではなく、特異性としての線、存在の複数性に呪われている、もしくはそれへの信とによる絵画なり映像が恐るべきものである。とするとこれらの線は「面」なしにはありえない。虚構的もしくは二次的再表象的な場である面に移行することで、線の複数性が問題になるのである。面という人工的な虚構に空間なり人物を書き込むときに、面によって実体に対して遅れたものになっている。もし面がまったく意識されないならば、その絵画は近代以前のようなアウラをまとうことだろう。なにが言いたいかというと、線は真実とか現実なるものに直接している。線は極めて人間的な概念、つまり精神の運動を現わすものであるに対し、面は非人称であり、物質的な力を現わし、精神の舞台であると同時に精神の限界と精神の増殖=オリジナルなき表象のヒエラルキーがあるように思うのである。このあたりは、松浦寿輝の『平面論』に重なっている。絵画や詩では、不変や無限あるいは聖なるものという精神的なものの絶対性が、物質的な制約を越えていたが、ある時期から物質的な制約によって作品が作品たる意味を帯びることを指摘している。詩の場合では、マラルメによるところの言語の二重状態(報道で使われる貨幣的状態と置き換えができない黄金としての存在)への言及があり、言語の物質性によって表象空間からの過剰としての逸脱が試みられたと述べている。
今回の上演では、面を構成する枠と、その輪郭線についての考察があるのかもしれない。つまり面の支配を揺らがせる試みということになり、さらなる折り畳みであり、もうすこし現在に近いものであり、今のメディアの状況は、結局そこまで行き着いている。これは面の虚構性から出発して、優美な線を描くかもしれないし、むろん物質のあやふやさを指摘するだろうし、精神の残滓に依然として、ますますこだわることになるだろう。これは足枷でもないが、有用なものでもない。私はますます距離をなくして、しかし隔たって生成することだろう。つまり、問うことにこそ、場のあるいは関係の生成がなされると思う。
最後に、吉増剛造の声ではなく、吉増剛造の詩を読むことはかなり難しいように思えたのは、吉増剛造という優美な線があまりに強度が高いことから来ているのだろうか?それとも、、、


10/17,99

字列をスクロールするAppletに変更した。tinyScrollerという Chris Ricci氏によるものであるが、ダウンロードした状態でのクラスの張り付けでは動かず、コンパイルをやり直す必要があると見た。JAVAを扱ったのは久しぶりで、JAVA2も出たらしく、以前のJDKは使えないと思い、SUNのページにダウンロードしにいった。ところが、MAC用のがない! うーん?と捜すとAppleサイトにありました。SDKという名前になっていた。内容をあまり理解しないままにFTPからダウンロードしようとしたところ、なんだこの遅さは?2KB程度(平均では0.5KB)しか出ない。10Mあるので、これはダメと途中断念。仕方がないので、2年くらい前に入手したJDK1.0.2でやってみることにした。普段つかっていないハードディスクを立ち上げて(これが音がうるさい)、ソースコードをコンパイラしようとしたのだが、「JAVAがない」とのメッセージ????READ meをよくよく見ると、JAVAなるExtentionがインストールされることが書いてあった。G3のシステムにはコピーしてなかった!そんなこんなで(やはり古いバージョンのためか1行エラーが出てざっくり削除!)、なんとかコンパイラができて、HTMLに張り付けて、Explorer4で見ると、見えない!!。何度やっても見えない。やはりだめかとあきらめかけたが、気を取直してネスケでみるとちゃんと見える。どうやらオフラインではExplorerはキャッシュを更新できず、プロバイザーのサーバに乗せるとしっかり動くことが確認でき、やれやれというところで、苦労した訳文も日の目をみることができたわけである。
アルカディアの朗読会から帰ってから(最近は詩人にもインターネットが普及して、使っている人の半分はHPを持っているという感じです)、なんだかんだで4時間を費やした。JAVAはまだ絵を張り付けるようにはいかないなあと思いました。それからHP作成ソフトをAdobeのPagemillを使っているのですが、JAVAを使ったページでブラウザに切り替えるアイコンをクリックすると爆弾が出るんです。これもなんとかしてほしい。ほかのいいソフトを知っている人教えてください。Pagemillはリンクをはるのは便利ですが、行間の制御等で非常に不満あります。


レキュラーシアターの『Culture of Dust』を見てきた。豊島氏の演出で、映像化された写真とプロジェクター、ダンスパフォーマンス、朗読も交えて、「写真的な上演」がされていた。そういった「プラージュ」とパネリストによる討議「コロック」が4回繰り返えされた。カフカの「蠅の眼」と自動写真?を巡るテキストを下敷きにして、2台の可動台上のプロジェクターがあたかも蠅の眼のようになっていて、その2台の目玉がランダムに前後に動き、その前方には、固定されたブラウン管が蠅の目玉のように配置されている。さらに実際に眼のようなものが、プロジェクターによって、映像が映されているブラウン管に向かって、二重に映されている。いわば自己言及的に複数化がなされているわけである。古いラジオから聞こえてくるようなくぐもった声、音響、椅子に立った男の小さな声、ソプラノの女、声であるが、ほとんどノイズのような音になっている。手動で2個のプロジェクターは、それぞれは帯のように敷き詰められた抽象的な地図(豊島氏の説明ではLegend(凡例))の上を移動するのである。絶えまなく流れる声が何を言っているかを聞き取ることをしたが、音響として受け取るしかないように思われた。断片的に吉増剛造の螺旋歌からの一節が聞こえたりするのである。あるいは時折現われる字幕のような文字に注意が傾いたりした(たとえば、Anaerobic Culture この場所は地上に繋がっているが、希薄な空間を意図するという豊島氏の説明---希薄な空気を求めて高山に私も行っているわけだ)。単調なように見えて、同時多発的で、意外に見るべきことが多かったのである。コロックで稲川方人がある種の均衡が破れて「動き」に移行する場合、特異的で予感に満ちた時間を体験することを述べていた。蠅の眼には、均衡と動きの両面あって、そのようなところから特異的な時間を感じるというような内容だった。また次ぎのコロックでこの上演で「遍在する音」があると言っていたが、写真や映像といった視覚的なものより音への比重が高いというか、聴覚中心になっていたのである。その音が不思議に心地よいものであり、「やすらぎ」にもなっているようだ。

 宮岡秀行が映画には、物語を取り込んだものと、物質を提示するものがあり、現在は後者がなかなか見出せない状況であると言っていた。ジョナス/メカスの6コマの映像には存在が現われていて貴重だという話しがあった。そこに宮岡氏はポイエーシスがあると言っている。稲川方人は宮岡氏のポイエーシスの一般的概念=絶対化に違和感を持っていて、そうした創造があるにせよ、詩への問いかけによって、安易に詩がよるべき場所を決めることや、詩の神秘化をすることに抵抗せねばならないという内容の話をしていて、このあたりかなり難解で、たとえば1930年にアメリカ南部に写真を撮りに行った写真家の写真を現在いろんな語り方ができ、それは話法の問題である。しかし1930年のアメリカ南部の写真を撮る写真家の魂なるものは、話法の問題ではなく、いわば文語であるというわけだと思う。話法として解釈できるものではなく、かといって解釈できないものとして絶対化することでも本質を見落とす。不明なものが痕跡として残っていて、そこを取り落とすことは致命的だという内容の話しであった。確かに文語とはそのようなあり方であり、ディスコミニュケーションもそうであろう。木戸朱理が書いている「近代のまえにたたずむとき」いう稲川方人論でも、人物に対するそのような絶対化=神秘化に依存しているところがあって、そこは避けねばならないと述べていた。


楽坂での『キメラ』行ってきました。井本さんが来ていて、やあやあという感じでした。たまには行ってみるのも可なりでした。割合年輩の方が多い(私もそうか?)ようでした。会場での写真家とのコラボレーションはいまいちでした。事情で途中までしか居なかったのですが、朗読は、それぞれの個性が出ていて、つまりまるで違っていて飽きさせなかったというか、意図が見えなかった。青梅でやった最初の朗読会がういういしくて好感がもてた。ともかく、松原さんのデカローグならぬ連作10遍が、言語的もしくは心的なエクセサイズとして興味深かった。彼女は今年になってから毎日一遍詩を書くことを癒しとして自分に課していたという驚くべき実践から、これらの詩はできていた。興味深かったのは、実はこのことだけでなく、馬が出てきていたことである。実は先日「モンタナの風に吹かれて」原題The horse whisperer を見たのですが、というのは稲川方人の2000光年のコノテーションで、無人のヘブンとして召喚されるのが「モンタナ 傷ついた青空」なのです。しかも癒しの馬とくれば、やはり「われらを生かしめる者はどこか」でしょう。つまりその映画でモンタナが癒しの地と北アメリカでは信じられていることを知ったわけです。さらにNational Geographによれば、モンタナの空の大きさは格別であり、アメリカで最も北に位置するため開拓がもっとも遅れた土地であり、唯一の史跡がカスパー将軍の激戦の地というネイティブインディアンに逆襲され全滅した騎馬隊というものである。(映画でも母と子の激戦の地になっている)そして、なだらかな雪原を走る馬の逆光のスローモーションのシーンは、生なるものではなく、あきらかにスプリチュアルなものであり、わたしとしては稲川的な亡霊を想起したいわけなのです。ロバートレッドフォードの映画らしい(おそらく)詩情あふれる映像なのですが、ひとりの少女の受けた傷からの回復の物語(その事故で少女の馬もダメージを受けていて、馬のメンタルなリハビリを取り巻く人々なのであるが)とその実業家のエリート階級の母の不完全燃焼な恋の物語という筋もすっきりしないととろもあるのですが、割合現実的な結末に対して、幻想的なイメージがそぐわないような気がしたわけです。コネチカット?の冬の早朝の事故のときの馬、傷つき馬小屋の奥に潜んでいる狂った馬、とにかく馬の恐さが強烈でした。その母(Kristin Scott-Thomas)が松原さんに似ていたことを付け加えておきましょう。ところで、この詩集で死者としてのリチャード・パーキンズの名が反復するのですが、この名の出所を知っている人教えて下さい。
死んだリチャード・パーキンズ/ヘブンの石を/深い上着のポケットに握って/50年前の/モンタナへ帰る (99/2/13)
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