腋臭 |(午前零時のドライブ)| (石の男)|

腋臭



塚田高行
 
廊下から自室への敷居が妙にざらついている
ニスが剥げたわけではないし
いつも靴下でこすっているので
埃が積もっているはずもないのだが
何故か足裏に対する感覚がよそよそしい
戸の開け閉めの時も何処かしらひっかかる
それはそれでいい それはそれでいいのだ
と 自分に言いきかせているのだが
今朝《さまよえるオランダ人》を聴くまえに
部屋から出ようとすると
いつもよりせり上がっていた
やむを得ず脚を高く上げて出た
入る時もせり上がっていたので
こんどは足で押し込んだ
ワーグナーは甘美だが激しすぎる
激昂した犬の鳴き声とまではいかないが
旋律にまとわる死の影が濃すぎるのだ
よどみのないディクテーション
つまり物語の誠実な進行は
突然切断され
肉体の痛みを持たない悪霊が現れる
おぞましい悔恨
いびつに歩きつづける人々
眼は硬く埠頭から沈んでいく
そして清澄になろうとする高音部
たらされたまま腕はさすられ
さすられるまま微熱を帯び
やがて きえる
茫とした真夏の正午
部屋は溶解され
私は私でないものにまぎれ
しだいに無化される
周囲に風は立たず
ただ腋臭のように
鼻孔を鼻毛がくすぐる
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