再訪 |(えころじぃ童話)| (分子状基質の張力)|

再訪



塚田高行
春になりましたね
最近めっきりお会いする機会が少なくなってしまったけれど
この日々のめぐりに
しきりにあたなを思いだします
陽の暖かくなる頃
いかがお過ごしですか。
青磁の茶器に花を浮かべ
まだ鳥の鳴くまえの曉暗に
深くゆっくりと呑みほす
あなたからの手紙の ここちよいシラブルに
耳朶をいくらか明るませ
しずかに しずかに
あなたの唇の触れてくれた時の
感触を甦らせつつ
ゆくりなくうすひかりする茶器の縁の
濡れた光沢をたのしむ

『旅の重さ』『分水領』『椿の海の記』
上棚に置かれた本の背が判読可能にる
読みこまれた一字一字に光りがあたりはじめると
字は個々に向きを変え 浮沈を繰り返す
その一つの画数の少ない漢字に沁がついている
この部屋に今年あなたはまだ来ていないのだから
本当はあり得ないはずのことなのだが
風が吹きはじめた夜明けに
そのうす紅はことさら鮮やかだ

或る日
西側の壁に小窓が穿たれた
あなたの声よりも早く
枝をつたい花びらが入ってくる
キララかなあなたの声よりももっと薄く
わたしの肩には止まらず 無地の封書の脇におちる
何処かで犬が鳴きはじめる 
が わたしの前にある地図は開かれない
あなたの声からも 花びらからも
世界はみえてこない
例えば棚の節目の亀裂 ひすいの斜光
数年前の夏
夕日が芝草にはぜている庭で
あなたはよく
「あたしの首筋が あなたも あたしたちの空間も
支配しているのよ こうして立っていると
石も虫も風も あたしの首筋をとおりぬけて
彼方へ 貝がらのようにふるえている夜の波の彼方へ
去っていくの そこはあるいは浄土であり
彼岸と呼ばれている所かもしれないけど」
と言っていた
澄んだ声で しかもいくらか椰揄的だったが
力はよわかった
蛙が水呑み場に近づいて また葉蔭にきえた

今 小窓から空は青く見える
枝もしっとりと黒くなってきた
いくつかの花が咲き 夏がまためぐってくるだろう
ぼくたちはたしかに間違っていなかったかもしれない
雨の日が続き 菖蒲が茎から腐るころ
髪は長かったか 転生しても気配だけはこの世にのこる
あたなからの時候の便りがまた来る
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