西吉見条里2遺跡・・・2


左の写真は河道付近の遺構群で、道路跡を西から東に向かって撮影しています。写真左端の窪んだ部分が河の流れのあとと思われます。写真中央部に橋脚跡と思われる木材が集中しています。手前青シートの左に敷かれている石は路肩の付近と思われます。

検出された道路の路面には、長期間に渡る使用を裏付けるよううに、道路方向に並行して細長く浅い窪みが複数残されていて、荷車などの往来によって刻まれたと思われています。

古代の道が低湿地帯に築かれた遺構は大変少なく東山道武蔵路では国分寺市の恋ヶ窪谷に礫敷版築遺構の例が一部見られますが、これだけ高度な土木技術の検出は関東では初めてといいます。発掘された古代の橋としては滋賀県の勢多橋があり、3つの橋を構成する橋脚が発見されています。

右の写真は遺跡を見学する人達と、後方の丘陵は松山城跡です。


上の二つの写真は道路と河道が交差する地点付近の橋脚と思われる角材状の物と、その付近に沢山の石が敷かれていて土壌改良がなされた跡の遺構群です。橋脚と思われる角材状の柱は一辺が15センチ程度のもので、中には2本で1セットと理解されるものが存在するそうです。

詳細は現在調査中のため不明だそうですが、柱の位置関係や形態、樹種、周辺の土層と出土遺物の状況から、7世紀末と8世紀後半の最低2時期に重複して構築されていたことが考えられるといいます。

左の写真は出土した墨書土器です。書かれている文字は私にはわかりません。

橋脚と思われる遺構が確認された付近の河道中から、木製の柄が付いた鉄の刀子、鉄鏃、木製櫛や多数の墨書土器が出土していて、橋の周辺において何らかの祭祀行為が行われていたものと思われるということでした。


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