三島市箱根路西坂に残る平安鎌倉古道

静岡県三島市にある箱根路西坂の京鎌倉往還と推定される道

平成14年1月・3月


鎌倉街道というと関東平野を南北に縦断する上道や中道が真っ先に思い浮かびます。しかし、鎌倉に近い関東平野にだけ鎌倉街道があったわけではありません。鎌倉時代に於いても、やはり都と幕府のある鎌倉を結ぶ道が一番重要な交通路線であったと思われます。鎌倉時代の京鎌倉往還は東海道を通っていました。東海道は箱根越えという難所が存在します。古代の箱根越えは足柄峠を越えていたといいますが、では鎌倉時代の箱根越えはどのようなルートをとっていたのでしょうか。現在では湯本から湯坂山に上る尾根道(湯坂道)を通り元箱根に出て、その後は海ノ平の付近を越え元山中を経て三島大社の前へと山を下るルートが推定路線とされています。そしてこのルートの箱根路西坂に5キロに及ぶ街道遺構が残されているのです。


三島市箱根路西坂・平安鎌倉古道その1 地図はこちら

芦ノ湖スカイラインが箱根峠から海ノ平を通り箱根外輪山上に走っています。そこの海ノ平から南西の一段下った付近に芦ノ湖高原別荘地があります。その別荘地の西端辺りには左の写真の「推定平安鎌倉古道」と書かれた小さな石碑が建っていて、ここがこれから歩く箱根路西坂の古道口なのです。ここまでは箱根峠付近の芦ノ湖カントリー入口から歩いて30〜40分位です。

上の写真の石碑があるところから尾根上を南西に下って行き、三島大社の東側まで直線的に続く、12キロほどの古道が今回ご紹介する道なのです。

さっそく石碑のあるところから入っていくと、一軒の別荘の脇を抜け送電線の鉄塔横を通り右の写真の馬の背のような尾根上に出ます。この馬の背のような痩せ尾根道が古道とは思われませんが、鎌倉古道と呼ばれる山道にはよく見られる光景です。先へ進みます。

馬の背のような道の後はヒノキの植林帯の薄暗い中を行きます。道は狭く両側が尾根の斜面に挟まれた谷底のような道です。しばらくすると上写真右の「推定平安鎌倉古道」と書かれた指導標があります。行き先が「元山中」で手前が「箱根海ノ平」となっています。これと同じ指導標と古道の入口に建てられていた推定平安鎌倉古道の石碑は、この先にも幾度も建てられています。

※追記 平成21年5月17日
平安・鎌倉古道を芦ノ湖高原別荘地から下りはじめた上の写真付近に城跡が発見されたことを平成20年にある城郭を紹介しているホームページで知りました。その後その城跡を確認するためにまた一度ここへ訪れてみたいと思っていました。翌年(平成21年)の4月に箱根峠の城跡(ここで発見された城跡)の見学と平安・鎌倉古道を歩く集いがあり、ホームページ作者も参加させていただきました。当日、ご同行された方は20数人で、ほとんどの人は歴史、考古学、城郭研究者などの人ばかりでした。これだけの人数の専門家の方々と古道を歩くのは初めてで緊張しました。馬の背のような細い尾根の先は土橋になっていると説明され、そこを渡るとちょっと古道が広くなる空間があり(上の写真左側)、そこの尾根側と谷側に郭が沢山みられるということでした。尾根の上には二重の堀切も確認でき、確かに人工的に造られた地形が周辺には散在しているようです。この辺りは初めて訪れた時から下の写真の説明にも書いたように、「何か異様な雰囲気が漂う不思議な光景で」「その辺に妖怪が隠れているような、そんな錯覚を覚える」場所だったのは、後にして思えば、この付近が城跡であったからなのかも知れません。当日は専門家の方々に古道の所々を説明しながら三島大社まで歩きました。平安・鎌倉古道の全行程を通して歩いたのもこの時が初めてでした。皆様、お疲れさまでした。

道は左写真のような狭い谷底状のところを下りて行きます。ヒノキ林で空は覆われ、両脇が壁のように迫っていて圧迫感を感じます。所々に木材で造られた階段になっていて、あまり歩きやすいとはいえません。

この道は一見、普通の山道のようにも見えますが、何か異様な雰囲気が漂う不思議な光景です。

ところどころに道の方側が沢の流れのようになっています。そのようなところではやや広くなっていて狭い圧迫感から抜けられますが、依然としてヒノキ林の薄暗い中の道です。これは古道なのでしょうか。何だかその辺に妖怪が隠れているような、そんな錯覚を覚えます。

左の写真のような、やや広めのU字谷のようなところが随所に見られます。どうやらこれが本来の道のようでもあります。そうするとこのU字谷こそが鎌倉街道の特徴である堀割状遺構ではないのかと、そう思えてきます。もしこれが堀割状遺構だとすればかなり幅広の道で、こんな山の中に人手により造られた地形としてはかなり規模の大きなものということになりそうです。

この先、どこまでこのような道が続くのかはわかりませんが、このU字谷のようなところが堀割状遺構だというのならば、これはものすごい道のようです。しかも良く観察すると道の両側の所々に側道と思われる削られた窪地が確認できるのです。これは明らかにかって相当な交通量があった跡と思われる地形です。どうやらこの道は私が今までに見たことがないような街道遺構なのかも知れません。

左の写真の右側の谷のような深い窪地が道跡と思われるところで、左の浅い窪地が現在使用されている道です。この写真の付近では側道跡が歩かれているところということになりそうです。中世以前の道は山岳地帯でも比較的に直進性を保っています。右の広い窪地は直進的で、左の道はこの先でS字を描いて旧傾斜を下りています。

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