上信国境の入山峠に残る古道跡

群馬県と長野県の県境にある入山峠に残る古代の東山道筋の古道跡

平成14年4


群馬県と長野県の県境にある峠で昔から関東の北の表玄関のように扱われてきたのが碓氷峠です。近世には中山道がこの峠を越え、現在では上信越自動車道や長野新幹線などの主な交通路線はやはり碓氷峠付近を通っています。

古い文献資料では『日本書紀』に日本武尊が東征のときに相模灘で嵐に遭い、日本武尊を救おと海神の怒りをしずめるため弟橘姫が海中に身を投じます。その妃を偲んで日本武尊は碓日嶺に登り「吾嬬者耶(あずまはや)」と叫んだという話がありますが、これに似た内容の話が『古事記』には碓日の地名ではなく足柄坂として出てきます。
古来より碓氷坂として文献などに登場する峠道は何処を越えていたのかは現在もハッキリしたことはわかっていないようです。

入山峠は峠の頂上に古い祭祀遺跡が存在することなどから最も古い碓氷越えの峠とも考えられていて、古代の東山道はこの峠を越えていたと考える研究者も多いようです。入山峠が鎌倉街道であるという資料は私が現在調べている中にはありませんが、峠の東西に残る道跡は深く大きな堀割状遺構が存在していて中世以前の道跡の特徴が良好な状態で残っています。入山峠道がなんで鎌倉街道なのかと疑問を持たれる方も居られるのではないかと思いますが、鎌倉街道探索の資料として見ることもできるのではないかと私は思っています。


上信国境の入山峠に残る古道跡1 地図はこちら

入山峠は群馬県松井田町と長野県軽井沢町の境にある峠です。峠の高さは1035メートルで、現在峠の頂部には碓氷バイパス(国道18号線)が通り、古い峠道は完全な廃道になってしまっています。しかし道跡のところどころに堀割状遺構が残り鎌倉街道の特徴を持った昔のままの道を見ることができます。

左の写真は松井田町入山部落の旧町道の道端に建つ庚申塔などの石仏群です。入山峠への道は上信越自動車道の橋をくぐってから碓氷バイパスと分かれて遠入川に沿って西進しているのです。

ここで一つ、おことわりして起きたいのですが、現在入山峠に上る旧町道は、車がやっと一台通れるほどの幅しかなく、また所々崖崩れの虞があり車の通行は不可能といえます。また旧町道から分かれる本来の古道は完全な廃道です。所々道跡はハッキリせず、沢を渡ったたり、峠直下東側の崖付近では落石、転落の虞が大いにあります。よほど山歩きに慣れた方以外は古道を辿ることはお薦めできません。事故に遭われても私としては責任は持てませんのでご了解願います。このホームページは峠の古道ハイキングのお勧めではなく、入山峠古道の現状をご案内したものです。

左の写真は上の写真と同じ付近にある旧町道端に建つ石仏です。この石仏のあるところは入山峠を群馬県側に下りてきた赤坂と呼ばれるところです。道側からこの石仏を見ると、ただの丸い石に見え石仏とは思われません。石に刻まれた像が磨耗しているのかと思いしや、裏側を見てみると写真のように大日像でしょうか、石仏であることがわかります。なぜ道を背にしているのか私にはわかりません。何れにしてもこの付近を古道が通っていたことを窺わせてくれます。

群馬県教育委員会で作成された『群馬県歴史の道調査報告書東山道』によると旧町道の遠入という付近では、旧町道の北側の尾根上を古道が通っていたように地図に書かれています。その付近を右写真のような小道が通っています。この小道が古道であるかは確信は持てませんが行けるところまで進んでみます。

小道には車のわだちが残り林業者の方などが小型車で入ってくるのかも知れません。ウォーキングには持ってこいの道ですが、進行方向左手に砂防ダムが見えた付近からこの道は尾根を右に大きく逸れて行きます。そこで砂防ダムの沢に沿って付けられたと思われる道跡を進んで行くことにします。枯れ枝が道をふさぎ大変進みずらいところです。最近人が通った気配はほとんど感じられません。引き返したくもなるような道跡です。

やがて沢沿いに近づき右写真のような沢に架けられていた橋跡があるところに出ます。確かに以前は橋があったと思われますが、今はこの道は使われていないためか壊れた橋跡だけが残っています。そして沢の対岸を見るとかなり古そうな堀割の道跡が確認できます。沢に下りて水飛沫を浴びて対岸に渡ると、道跡は直進して尾根上に上がる道跡と、沢沿いに遡行して行くものとに分かれていましたが、どちらを行っても道跡は尾根に上がった付近で再び合流するようです。

左の写真は沢を渡った後に直進で尾根に上がる道跡を撮影したものです。この付近の地形をよく観察すると写真のもの以外の場所にも道跡と思われそうな地形が幾つか見られます。ただ今回の入山峠道の取材は資料も少なく現地での聞き込みなどもできなかったために詳しい道筋が確認できていないため、この写真付近の道跡のように見られる地形が、実際の古道跡なのかどうかは私には断言できるものではありません。

右の写真は上の写真の付近から更に尾根上へ進んだ付近のものです。この先で大きな堀割状の地形となって急登で尾根に上がるようになっています。そして尾根に上がってからは峠直下の急坂付近まではそのまま旧町道に並行するように尾根上に道が付けられているようです。

尾根に上がってから少し進んだ付近で道跡が全く無くなるところがあります。その辺りは整地された平場のようで、以前に人家か何かがあった跡のようです。今まで見てきた道跡と思われる地形は整地される以前の古いものと考えることもできそうです。
左の写真は整地された平場の段丘に切通状で付けられている道を撮影したものですが、この道は先ほどの堀割地形の続きと見るこっとの判断はできません。

道跡が尾根に上がった辺りでは遠入川沿いの旧町道も尾根に上がってきています。右の写真は旧町道の脇に残る堀割道跡です。この写真の堀割は明らかに道跡と思われますが、今まで歩いてきた道跡に繋がるものではなさそうで、ルートの異なる別の道跡であるようにも思われます。

ここまで歩いてきた道跡が尾根上に上がってから更にしばらく進むと旧町道と合流します。そこから先は旧町道に沿うように随所に道跡と思われる地形が確認されます。

松井田町の横川から入山川と遠入川に沿った地域には縄文時代から古代にかけての遺跡や出土品がみられます。仁田・暮井遺跡では縄文時代と平安時代の住居跡が発見されているそうです。この入山川に沿って入山峠へ上る沿線は古い時代からの人々の生活の跡が見られるところようです。

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