多摩丘陵に残る町田市相原の御殿峠古道

東京都町田市相原町から八王子市境への丘陵越えの古道

平成13年11月・14年1月


町田市の西部の相原町に八王子市から多摩丘陵を越えて南下してくる国道16号線があります。この国道が丘陵を越える峠が御殿峠と呼ばれていて、峠道は昔からの古道でした。この峠付近の地図を見てみると、町田市側の市境界が八王子市側の峠付近まで細長くくい込んでいて奇妙に感じられます。その細長く峠付近まで延びている市境界の中央に昔のままの古道が奇跡的に残されているのです。車社会となってしまった現在では中世の鎌倉古道の残存を見つけるだけでも大変なことです。よく鎌倉街道の跡として堀割状遺構という言葉を私はよく使います。その堀割状遺構が400メートルほど良好な状態でこの峠の古道には今も残っています。かって戦国武将達が通り抜けていった歴史ロマンの道をご案内いたします。


多摩丘陵・町田市相原の御殿峠古道その1 地図はこちら

現在残る御殿峠古道は、国道16号線や八王子バイパスの西側の尾根上に南北に峠道が通っています。私が初めてここを訪れたのは平成13年の11月後半でした。晩秋の小春日和の中を枯れ葉を踏みしめながらの古道散策は私にとってこのうえない喜びです。町田市の相原駅方面から峠を目指して行くのですが、なかなか古道への道がわからず、付近を随分と彷徨いてしまいました。ようやく辿り付いたのが上左の写真のところです。道なりに進むと左の方へ行ってしまいそうですが、峠への古道は白い車止めがあるところを直進して行きます。この古道へは年が明けた1月後半にも訪れていて、写真は2度訪れた時のものが混ざっています。写真の右は車止めから中にはったところで、この辺りはやたらと木の杭と針金で柵がもうけられています。この柵、不法投棄防止用といったところでしょうか。

道の左手の柵がなくなるとそこには古道の跡が歴然と現れていました。左の写真はしばらく進んで振り返って撮影したものです。写真の左の道は現在の峠への道で、右側の窪んだ城跡の空堀のようなところが本来の古道跡です。

鎌倉街道では峠道の西側のような窪んだ地形を堀割状遺構といいます。峠への古道に辿りついたら、いきなりの堀割状遺構が現れてビックリいたしました。しかもこの先へ直線でずうっと続いています。現在の峠道の西側のこの堀のような地形が、信長や秀吉の時代より古い道の跡であるといって、人はどのように思うのでしょうか。

左の写真は現在の峠道です。普通だいたいの人はこの道が古道と思われるのはないでしょうか。この道も静かな雑木林の中の道で実に感じの良い道ですが、本来の古道は西側の堀状の窪地なのです。

御殿峠への道は現在では本来の堀割道の東側に別の峠道となって使用されているのでした。私は今までに多くの鎌倉街道跡と呼ばれるところを見てきましたが、古道が山道や峠道などを通るところにはよく本道と並行する測道の跡が認められるところがあります。それはその辺りが昔から交通量が多かったことを物語ります。ここ御殿峠の道も長い間、盛んに使用されたことが伺われます。

左の写真は峠道の西側の堀割状遺構です。こちらは現在では道として使われていないために廃道となっています。廃道というよりも一般の人は現在の峠道が東側にあるのに、この窪地がどうして道の跡なのかと思われる方も居りましょう。そしてこの窪地はよいゴミ捨て場とばかりに所々に不法投棄と思われるゴミが散乱しています。

右の写真は現在の峠道です。この写真の付近の東側一帯は広葉樹の林になっていますが、比較的広い平らな土地になっていて館か何かの跡地ではないかと考えられているようです。横山党の武将、藍原孝遠の館跡とか、京の都からやって来た按察使大納言の邸宅跡の伝承があるようです。

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