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徒然草/1<1~10段> 
 
         
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 徒然草とは?   徒然草とは?  1~   34
      (/・・・冒頭文)  35~  40
  第一段   いでや、この世に生まれては・・・  41~  52
  第二段   おろそかなるをもてよしとす・・・  53~  77
  第三段   よろづにいみじくとも・・・  78~  102
  第四段   後の世の事、心にわすれず・・・  103~ 106
  第五段   不幸に愁にしづめる人の・・・  107~ 124
  第六段   子といふ物なくてありなん・・・   125~ 139
  第七段   あだし野の露きゆる時なく・・・   140~ 165
  第八段   世の人の心まどはす事、色欲にはしかず・・・   166~ 192
   第九段   愛著の道・・・  192~ 210
  第十段   家居のつきづきしく、あらまほしきこそ・・・  210~ 361

 

2022年 2月             上から・・・下 へ          
 2月  15日

岡田健吉‏@zu5kokd1                                                                               星野 支折       里中 響子                                                              

支折の・・・徒然草(つれづれぐさ)・・・(1)

徒然草とは? ・・・(1)


「ええ…」星野支折立ち上がり、窓辺視線を向けた。

窓の外猛烈吹雪いていた。粉雪ガラスに張りつき、は何も見えなかった。

作業テーブルには…

里中響子の他に、《My Weekly Journal》/ 編集長・津田真が、来ていていた。ポン

が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
   
 
 
                                                津田 真

《 支折の・・・徒然草 》・・・(2)

【 徒然草とは? 】・・・(2)


コーヒーカップを片付けていた。

支折が、視線インターネット正面カメラに向けて、一礼した。

2月…」支折が言った。「旧暦/如月(きさらぎ)の半ばで、猛吹雪ですね…

まだ、冬籠(ふゆごもり/冬の寒い間、人や動植物が活動をやめて、家、巣、土中などにこもってしまうこと。)季節

すが、徒然草考察を始めます。

ええと、まず…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/吉田兼好            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(3)

【 徒然草とは? 】・・・(3)


徒然草 というのは…

そもそも、どの様な書物なのでしょうか。響子さんも、同様という事ですが、私達

然草 に関しては、学校教科書で学んだ程度知識しかありません。あとは、それ以後、

(うわさ)にした程度ですね。

ええ…今回は…

《My Weekly Journal》/ 編集長・津田真さん に、参加していただいたのですが、

集長は、どうなのでしょうか?」

「ああ…」津田が、インターネット正面カメラに、片手を上げた。「よろしくお願いします…

そうですねえ…

文科系人間ですから、友人国文学者になったヤツがいます。そいつが、から、

徒然草 が、どうのと言っていましたねえ。まあ、聞き流していたわけですが、承知

ています。支折さん同じですね。

そんなわけで、ここで、徒然草 をやるというので、それじゃあと思い、参加してみました」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
                                              『徒然草』/兼好法師      (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(4)

【 徒然草とは? 】・・・(4)


「はい…」支折が、をすぼめ、微笑した。「うーん、同類ですね…

でも、国文学者友人がいるなら、よりも、濃度濃い様ですわ。ともかく、3人とも、

徒然草面白そうだと、では知っているわけです。さあ、それでは、徒然草

のぞ)いてみましょうか」


支折が、スクリーンボードコントローラーを取り上げた。

「ええ…」支折が言った。「まず…

平安王朝鎌倉幕府、そして、室町幕府時代に…

を詠み、文章を書いていたのは、ほぼ、王朝貴族周辺の人々か、僧侶だけだったのでは

ないでしょうか。

庶民文化というものは…


 2月  16日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             吉田兼好                   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(5)

【 徒然草とは? 】・・・(5)


仮に細々と存在したとしても、組織財力もなく、従属的な立場で、記録として保存され

ることは無かったわけですね。貴族僧侶も、あえてそれを庶民文化として、編纂(へんさん)

する事はしませんでした。

<文盲(もんもう/文字の読み書きができないこと) というのは、歴史的にも、世界中存在します。

庶民生活には…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                    <関ヶ原の戦い・・・1600年10月21日>       (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(6)

【 徒然草とは? 】・・・(6)


文化傾注する精神的ユトリは無く、むしろ動物的生活に、近かったのでしょうか。

生活ユトリが出て、その精神的ユトリから、文化というものは育まれて来ます。そして、

そこから、芸術的価値観創出されて来るわけです。

ええと…

鎖国下日本に、庶民文化発達して来るのは…

関ヶ原の戦い・・・1600年10月21日(安土桃山時代/慶長5年9月15日) …が終わり

<徳川幕府/江戸幕府の・・・参勤交代による幕藩体制・・・> 固まった頃<芭蕉

の活躍した・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
杉山 杉風(すぎやま・さんぷう) 蕉門十哲・幕府御用の魚問屋/鯉屋・・・芭蕉庵は鯉屋の番屋でした。 (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(7)

【 徒然草とは? 】・・・(7)


・・・江戸時代・初期/元禄文化の頃・・・> からに、なるのでしょうか。

<芭蕉> の場合は、農民出身ですが、扈従(こしょう/貴人に付き従うこと。また、その人。)として

分の高い武家出仕し、その縁俳諧を学んでいるわけですね。庶民として、俳諧を学ん

でいるわけではありません。

でも…

<蕉門/・・・芭蕉の門人達> は、庶民の中もで、生活ユトリのある、裕福商人

ですよね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
       女を右手に抱えている暁台・・・頭を丸めて法体にしている士朗・・・片手を挙げて踊っている蕪村が描かれている。

       「雪楼」というのは、蕪村行きつけの料亭で、この画から、暁台が色好みであったこと、法体の士朗は医者であった

       こと。そして士朗/羽織を付けた蕪村自身も、その表情から、やはり色が嫌いではなかったことが分かります。

                                            戯画/『蕪村写於雪楼中』  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(8)

【 徒然草とは? 】・・・(8)


そして…

いわゆる、庶民派の、<与謝蕪村> <小林一茶> が、日本文化活動参入して

来るのは、<江戸時代の、中期 ~ 後期/・・・化成文化の頃(/・・・文化文政の時代は、1804

年 ~ 1830年)に、なる様ですね。

この頃になると…

東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅう・ひざくりげ/十返舎一九(じっぺんしゃいっく)/・・・弥次郎兵衛、喜多八の二人

連れが、失敗をくり返しながら東海道を上り、伊勢神宮参拝を果たして、京都、大坂に到る道中記。) や、東海道五

十三次(/東海道の宿駅を中心とした景観や習俗を描いた、浮世絵木版画。代表的な作品としては天保5年(1834年)

頃に、保永堂から版行された歌川広重の 『東海道五拾三次之内』 があります。)代表される様に、庶民レベ

でも、へのロマンがかき立てられ…



 2月  17日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             防人(さきもり)         (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(9)

【 徒然草とは? 】・・・(9)


真に庶民文化隆盛して来るわけでしょうか、」

「あ…」響子が、を立てた。「例外として…

万葉集 に…

<防人歌(さきもり・うた/・・・<防人> は、663年に、朝鮮半島の百済(くだら)救済のために出兵した、倭軍が・・・

 <白村江の戦い> において、唐・新羅の連合軍に大敗したことを契機に、唐が攻めてくるのではないかとの憂慮から、九州

沿岸の防衛のため設置されました。防人が東国から徴兵された時期には、その規模は、2000人程度、を数えました。)

が、収録されていますわ。

<防人歌> は、庶民の歌ですが、かなり多く(と)られています。万葉集

しているので、準備がなくても多少の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                              <防人歌>                        (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(10)

【 徒然草とは? 】・・・(10)


知識・データがあります」

「あ、お願いします…」支折が、ニッコリとうなづいた。

「そうですね…」響子が、モニタークリックし、スクロールした。「ええと…

万葉集 は…

全20巻で・・・4500首以上の和歌が収録された・・・最古の和歌集であり・・・最大

の和歌集・・・ですが…

<巻13> <巻14> に、<防人歌> が含まれています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                              東 歌>                           (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(11)

【 徒然草とは? 】・・・(11)


そして <巻20> に、最も多く含まれている、という事ですわ。

<巻20の・・・防人歌> は…天平勝宝7年(/755年)に…

<大伴家持(おおともの・やかもち/・・・大伴旅人(/大宰府の、旅人の館で・・・初春の月 気淑しく 風らぐ・・・

の、<令和> の元号が採られている。・・・大宰帥(ださいのそち/大宰府(九州筑紫)の長官)の子です。

官位は従三位・中納言。三十六歌仙の1人。小倉百人一首』 では中納言家持。万葉集 の編纂に関わる歌人として取

り上げられることが多いわけですが、大伴氏は大和朝廷以来の武門の家。祖父・安麻呂、父・旅人と同じく、律令制下の高

級官吏として歴史に名を残し、延暦年間には中納言にまで昇っています。) が、収集して撰集し、手を加えた

で、掲載されたもの、という事です。

うーん…

<東歌(あずまうた) というのは…

万葉集 に収められた…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                              <東 歌>                       (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(12)

【 徒然草とは? 】・・・(12)


<防人および・・・防人の家族たちの歌> という事ですね。これらは、古代東国の

・・・民衆の歌 として、貴重な・・・作品群となっている と、いう事です。

この <東歌> は…

<巻14> に見える、という事です。この巻全体が、230首東歌で占められている様で

すが…



 2月  18日

岡田健吉‏@zu5kokd1 <シャンプ
                                    万葉集/・・・里中 響子

《 支折の・・・徒然草 》・・・(13)

【 徒然草とは? 】・・・(13)


…私としては、チェックをしていないデータですね。これを見て、当時の事を思い出していま

す。

ともかく、万葉集 は…

<膨大なボリュウムの・・・国家事業の和歌集・・・> で、後の <勅撰和歌集(ちょくせん・

わかしゅう/天皇や上皇の命により編纂された歌集) とは、一線を画している様です。私如(ごと)が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                             古代の地図             (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(14)

【 徒然草とは? 】・・・(14)


生齧り(なまかじり/物事を表面的に少しばかり知っただけで、十分に理解していないこと)で調べるのは、およ

不可能シロモノです。どうぞ、お察しください。

あ、ここに…

<東歌の・・・範囲> という、データがありますね。

これによると…

遠江(とおとうみ)より東の、駿河(するが)伊豆(いず)信濃(しなの)相模(さがみ)武蔵(むさし)上総

(かずさ)下総(しもうさ)上野(うえの)下野(しもつけ)常陸(ひたち)陸奥(むつ)の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                              <防人歌>         (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(15)

【 徒然草とは? 】・・・(15)


12ヵ国に及ぶようです。

<防人歌> としては…

総数は…98首、そのうち97首短歌で、1首長歌の様です。

うーん…

ともかく、万葉集成立は、奈良時代・末期推定され、<編纂当時の・・・原本> は、

すでに失われています。<防人歌> は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         

《 支折の・・・徒然草 》・・・(16)

【 徒然草とは? 】・・・(16)


徒然草 の中で、幾つか紹介できると思います」

「はい…」支折が、うなづいた。「そうした…

<民衆の歌> が、万葉集評価を、高めてもいるわけですね。貴重庶民の声にな

るのでしょうか。

ともかく、こんな私達ですが、例によって


 2月  19日

岡田健吉‏@zu5kokd1         

《 支折の・・・徒然草 》・・・(17)

【 徒然草とは? 】・・・(17)


徒然草 を、読み進めて行きたいと思います。

ええ、響子さん…改めて、よろしくお願いします」

「はい…」響子が、うなづいた。「こちらこそ…

は、息抜きのつもりでやって来ています。今回は、津田・編集長参加していますから…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         

《 支折の・・・徒然草 》・・・(18)

【 徒然草とは? 】・・・(18)


安心して息抜きが出来ますわ」

「はい…」支折が、をすぼめた。「響子さんには、随意(すいい/束縛や制限を受けないこと。思いのま

まであること。)コメントをお願いします。編集長も、自由コメントを入れて下さい」

「分かりました…」津田が言った。「その辺りは、心得ています」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(19)

【 徒然草とは? 】・・・(19)


「あ、そうですね…」支折が、うなづいた。「よろしくお願いします。


                


では…

始めます

まず、徒然草 とは…

作者である 兼好法師(けんこう・ほうし) が、自身経験から得た考えや、逸話(いつわ/世

間や世人にあまり知られていない興味深い話、世人の目から逸した(逃れた)話のこと。)などを、書きつづった…

244段から成る・・・随筆集・・・ という事です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(20)

【 徒然草とは? 】・・・(20)


ええと、改めて説明しますが…

“随筆” とは、“自分の考えなどを・・・ありのままに書く・・・文章・・・” の事ですね。

<清少納言> 枕草子<鴨長明> 方丈記 と並び、徒然草 は、<古典

日本・・・三大随筆・・・> の、1つ数えられています。

ええ…

<兼好法師> ですが、本名卜部兼好(うらべ・けんこう) と言います。



 2月  20日

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                              吉田兼好              (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(21)

【 徒然草とは? 】・・・(21)


<兼好> という名前は、<出家後の・・・法名(ほうみょう/出家受戒の時、俗名を改めて授けられる名。

戒名。死者におくる名。)・・・> という事です。

それから…

<吉田兼好> とも言われますが、これは兼好死後同族改姓したもので、当時

名字とは言えない様です。うーん、でも、私達吉田兼好と習って来ましたよね。

ええ、ともかく…

兼好は、和歌才能もあって、和歌四天王の1人にも数えられ、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                              吉田兼好              (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(22)

【 徒然草とは? 】・・・(22)


家集(かしゅう/個人の歌集。勅撰集に対して平安朝の私家集をいうことが多い。)も、残している様ですね。

兼好足跡については…

も、研究が続けられていますが…

兼好が誕生したのは、1283年(弘安6年)・・・

    死没は、1352年(正平7年・文和元年)・・・享年70余歳と推定・・・ と、されています。

ええ…

<兼好の家系・・・卜部氏(うらべ・し)は神道界の・・・名門・・・> でした。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(23)

【 徒然草とは? 】・・・(23)


吉田神社(/京都市左京区吉田神楽岡町にある神社。吉田山に鎮座している。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁

の別表神社。)を預かる支流に生まれ、兼好幼少期から恵まれた環境で育っています。

一応、その略歴を述べて置きます。


兼好の・・・略歴

10代後半・・・内大臣堀川具守に諸大夫(しょだいぶ/事務管理職)として仕える。

19歳・・・後二条天皇(/第94代天皇)に仕え、六位の蔵人(くろうど/秘書官)になる。

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(24)

【 徒然草とは? 】・・・(24)


★ 25歳・・・左兵衛佐(さひょうえ・の・すけ/左兵衛府の次官・・・左兵衛府と右兵衛府の2つが存在しました。)

  に昇進。

★ 26歳・・・後二条天皇が崩御。

<☆ 数年後に出家・・・>

★ 30代・・・修学院や小野、横川で遁世(とんせい/世を捨てること)生活。

★ 40代・・・徒然草の執筆。

★ 50代以降・・・古典研究や作歌活動に励む。70余歳まで生きた。


うーん…

この様生涯の中で…



 2月  21日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
         定子が他界し、清少納言は宿下がり・・・中宮彰子のもとで、紫式部が活躍します。   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(25)

【 徒然草とは? 】・・・(25)


40代で 、徒然草 を書き始めたわけですか。

<清少納言> は…

平安時代・中期/…若い娘の時に…

<第66代/一条天皇の・・・皇后/中宮定子> (つぼね)として出仕し、その最初の

感動を綴(つづ)った随筆が、有名ですね。

<鴨長明> の場合は…

鎌倉時代・前期/出世望みが断たれ

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                          
  方丈記 (ほうじょうき)・・・鴨長明 』      (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(26)

【 徒然草とは? 】・・・(26)


京郊外鴨川(/淀川水系)のほとりに、<方丈/一丈(約3.03 m)四方の・・・小庵(/四畳半の

広さ) を結び、隠棲(いんせい/俗世間から離れて、静かに暮らすこと。)した時に書かれた随筆ですよ

ね。

<吉田兼好> の場合も…

鎌倉時代・後期の人なですが、今回この略歴を見て、初めて、その時代背景人間的背景

が、にも分かって来ました。出生は、<吉田神社> を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
                               鴨長明             (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(27)

【 徒然草とは? 】・・・(27)


…あずかる家系支流で、恵まれた環境と言うことですね。

あ、鴨長明の場合も…

その名前の通り、<加茂神社(/京都の賀茂神社と呼ばれる、賀茂別雷神社(上賀茂神社)と、賀茂御祖神社

(下鴨神社)血脈の人ですよね。出世断たれても、家系豊かであり、随筆を書きなが

ら、暮らして行けたわけです。

そして、清少納言も…

<中流貴族/清原元輔(きよはらの・もとすけ)・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                       小倉百人一首・・・42/清原元輔  <ジャンプ>   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(28)

【 徒然草とは? 】・・・(28)


・・・三十六歌仙の1人、梨壺の五人(なしつぼの・ごにん/・・・<第62代・村上天皇> の命により、宮中の

梨壺(昭陽舎)に、<撰和歌所> が設けられて、別当に藤原伊尹(ふじわらの・これまさ)、寄人(よりゅうど) に大中臣能宣

(おおなかとみの・よしのぶ)、清原元輔(きよはらの・もとすけ)、源順(みなもとの・したごう)、紀時文(きの・ときぶみ)、坂上

望城(さかのうえの・もちき)が任ぜられ、万葉集 の読解と、第2の勅撰和歌集/後撰和歌集 の撰集とを行った。この

寄人5人を <梨壺の五人> と言います。)の1人> で、恵まれた環境で、随筆を書いています。

つまり…

最初言及した様に、古代・中世の時代を詠み、文章を書ける環境にあったのは、

朝貴族周辺の人々か、僧侶に限られていた様です。

あ、それから、非常に貴重でした。紫式部でさえ、栄華を極めた藤原道長娘/中宮

彰子出仕し、ようやく不自由なく、源氏物語 が書けた様ですね。

ええと…

<吉田神社> <加茂神社> も…



 2月  22日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(29)

【 徒然草とは? 】・・・(29)


<神仏習合(しんぶつ・しゅうごう/日本土着の神祇信仰(/神道)と仏教信仰(/日本の仏教)が融合し、1つの信

仰体系として再構成(/習合)された宗教現象)/= 神仏混淆(しんぶつ・こんこう) 時代ですから、神主

同時に、でもあったわけですね」

神仏習合は…」響子が言った。「確か

<第40代/天武天皇の・・・国造りの一環> で、行われたのだと思います…

万葉集 の折に考察しました。<聖徳太子(/・・・第33代/推古天皇の下で、遣隋使を派遣、官位十二

階、十七条憲法、制定。)少し前から、日本仏教が伝わり始めていて、聖徳太子はそれを

推進しました。

そして、<蘇我馬子(そがの・うまこ)が・・・仏教推進の側> につき、<物部(もののべ)氏が・・・

神道保護の側> に立っていました。この争いは、最終的には蘇我馬子勝利し、日本

仏教繁栄して行く事になります。

以後、日本で、熾烈(しれつ/勢いが盛んで激しいこと)宗教紛争というものが起こらなかったのは、

天武天皇施政が、神仏習合を・・・強く推進・・・ したから、と言われています。

いわゆる、<天武天皇の・・・国造り> で…

<八色の姓(やくさのかばね/・・・八つの姓の制度)氏姓制度再編し、<律令制の導入>

進めたわけですね。<藤原京の造営>日本書紀 古事記編纂は、天武天皇、

始めて、その死後に、完成した大事業ですね」

「はい…」支折が、を下げた。「有難うございます…

ええ、をすすめます…

兼好は、いわゆる法師(ほうし/・・・出家して仏道を修行し、仏法に精通して、衆生を正しく導く師となる者。)

乗っていたわけですから、僧籍(そうせき/僧尼として認められた身分)にあった事は、間違いないです

よね。

ええと…

つまり、<古典日本三大随筆の・・・筆者達・・・> は、3人とも、裕福な家に生まれ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                             (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(30)

【 徒然草とは? 】・・・(30)


将来嘱望(しょくぼう/期待すること )できる立場にあった、エリートだったわけです。

そして、紙自体が非常に貴重品であり、そうした人達文字しか、歴史荒波の中で残ら

なかった様ですね。

ところで…

<☆ 兼好の・・・出家の理由・・・> ですが…

これは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                              第94代/後二条天皇        (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(31)

【 徒然草とは? 】・・・(31)


第94代/後二条天皇の崩御/・・・政権交代により、出世に影がさした> とか…

<兼好本来の・・・性格によるものか?> などの、がありますが、ハッキリとした理由

分かっていない様です。

<出世に・・・影がさした>

というのは、<芭蕉> が、俳諧宗匠(はいかい・そうしょう)を志した状況と、よく似ていますね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(32)

【 徒然草とは? 】・・・(32)


<芭蕉> も、人生において、第2の選択を迫られ、俳諧身を立てる道を選び、歴史

を残したわけです。<本人の・・・性格によるものか?> という所も、よく似ていると思い

ます。

ええ、ともかく…

<兼好法師> 妻子もなく…鴨長明同様に…

出家後は、一人静か遁世生活を送っていた様です。その兼好生きた時代は…



 2月  23日

 天皇誕生日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                            南北朝時代    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(33)

【 徒然草とは? 】・・・(33)


…まさに、<鎌倉幕府> から <室町幕府> に変わるまでの、動乱期でした」

その間には…」響子が言った。「<南北朝時代(/始期は・・・

<建武の新政/建武の中興・・・元弘の乱で鎌倉幕府を打倒した後醍醐天皇が、親政を開始したことにより成立した・・・建武

政権の新政策> の崩壊を受けて、<足利尊氏> が京都で新たに <光明天皇・・・北朝・持明院統> を擁立したのに対抗し

て、京都を脱出した <後醍醐天皇・・・南朝・大覚寺統> が、吉野行宮に遷った、1337年終期は、南朝第4代の後亀山天

皇が北朝第6代の、後小松天皇に譲位する形で両朝が合一した1392年。始期を、建武の新政の始まりである1333年とす

る場合もあります。) が、ありましたよね?」

「あ、はい…」支折が、うなづいた。「広義には…

室町時代に含まれますが、南朝北朝で争った時代がありました。ともかく、そんな激動

距離を置き、兼好は、徒然草執筆に励んだ様ですね。

そして、この方は…

<藤原定家(/小倉百人一首 の編者、明月記 の筆者) 若い頃<平安時代・末期/・・・

源平騒乱の激動・・・> に、を向け…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                              藤原俊成               (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(34)

【 徒然草とは? 】・・・(34)


<藤原俊成(ふじわらの・しゅんぜい/藤原北家・御子左流(みこ・ひだりりゅう)。歌道の家柄を創始し、血筋に・・・

二条家・京極家・冷泉家(れいぜいけ)がある。千載和歌集 の撰者。) として、ひとり歌道に励んでい

姿連想させないでしょうか。あ、(つたない/ 能力が劣っている、ふつつか)の、知識範囲

のことですが。

さあ…

前置き/予備知識は、このぐらいにして、徒然草本文に入りましょうか、」

「はい…」響子が微笑し、を傾げた。「いよいよ、ですね…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》・・・(35)

<序(/・・・冒頭文)

【 原文・・・1/1 】


つれづれなるままに、日暮らし、硯
(すずり)に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、

そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (36)

【 現代語訳・・・1/1 】


孤独にあるのにまかせて、一日中、硯と向かい合って、心に浮かんでは消える他愛の

ない事柄を、とりとめもなく書きつけてみると、妙におかしな気分になってくる。



 2月  24日

岡田健吉‏@zu5kokd1         

《 支折の・・・徒然草 》 (37)

【 序/支折の言葉・・・1/1 】


「はい…」支折が言った。「ええ…

徒然草冒頭言葉は、何故も、<原文> のまま覚えています。すごく、懐かし

い感じがします。


<つれづれなるままに・・・

日暮らし、硯(すずり)に向かひて・・・

心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしう・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (38)

【 序/支折の言葉・・・1/2 】


・・・こそものぐるほしけれ>


ホホ…

学生の頃、何度も読んで、暗記してしまったのでしょうか。ともかく、<現代語訳> よりも 、

<原文> の方が(おもむき)がありますよね。

うーん…

兼好法師は、物語創作する様に、勢い込んで書き始めたのではなく…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                             (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (39)

【 序/支折の言葉・・・1/3 】


<・・・心にうつりゆくよしなしごとを・・・そこはかとなく書き・・・> 始めた、様ですね。

ツリポツリ吟味し、を飲み、を眺めながら。

そう言えば…

枕草子清少納言も、方丈記鴨長明も、(すずり)にむかって、心に浮かぶままに

素直を走らせた様ですね。もちろん千年後まで、こんなに愛読される…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         

《 支折の・・・徒然草 》 (40)

【 序/支折の言葉・・・1/4 】


…とは、にも思わずに…」

「そうですねえ…」津田が、うなづいた。「心静かに…

(すずり)に向かえた、(いにしえ)(しの)ばれます。本質的には、現代人我々と、

少しも変わらなかったのですねえ。まあ、我々先祖なのですから、当然なのですが…」

「そうですね…」響子が、うなづいた。



 2月  25日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (41)

<第一段 いでや、この世に生まれては・・・>

【 原文・・・ 2/1 】


いでや、この世に生まれては、願はしかるべき事こそ多か(ん)めれ。

御門(みかど)の御位(おおんくらい)はいともかしこし、竹の園生(そのふ)の末葉まで、人間の

種ならぬぞやんごとなき。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (42)

【 原文・・・ 2/2 】


一の人の御有様はさらなり、ただ人(うど)も、舎人(とねり)など賜はるきはは、ゆゆしと見

ゆ。その子、孫(むまご)までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下(しも)つか

たは、ほどにつけつつ、時にあひしたり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、い

とくちをし。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (43)

【 現代語訳・・・ 2/1 】


いったい、この世に生まれてきては、人として願わしいことが多いようだ。帝の御位は

たいそう恐れ多い。子々孫々に至るまで、天皇家の人々は人間の子孫でなく神の子

孫であることが尊い。摂政・関白は言うまでもない。摂政・関白以外の普通の貴族も

・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (44)

【 現代語訳・・・ 2/2 】


・・・帝から舎人(とねり)など賜るほどの身分の方は、立派に見える。その子、孫までは、

たとえ落ちぶれても、なお優雅さがある。それより下の身分の者は、程度によって、た

またま時の勢いに乗ることはあって得意顔をしているのも、本人は立派と思っている

のだろうが、実につまらないものだ。



 2月  26日

岡田健吉‏@zu5kokd1  

《 支折の・・・徒然草 》 (45)

【 支折の言葉・・・2/1 】


「ええと…」支折が言った。「次の言葉は、何処か聞いた記憶がありますよね…


< 御門(みかど)の御位(おおんくらい)はいともかしこし・・・竹の園生(そのう)の末葉まで、人

間の種ならぬぞやんごとなき >

つまり

<天皇家の人々は・・・人間の子孫でなく、神の子孫であることが尊い・・・ > と、言う

所ですが。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                             王権神授説          (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (46)

【 支折の言葉・・・2/2 】


<王権神授説(おうけん・しんじゅせつ/・・・ヨーロッパの中世から近代初期にかけて、王の権力をキリスト教によって、

補強する役割を演じた観念。王の統治権は人民の委託によらず、神の特別な恩寵に基づくとするもので、帝王神権説とも呼ば

れる。) というのは、西欧文明にもありますし…

中国でも、皇帝 <天子(てんし/・・・中国の皇帝や、日本の天皇の呼称。 中国では、天の命を受けて徳

をもって人民を支配する王者。) と呼んでいますよね。

それは、意味として分かるのですが…

<竹の園生(そのう)の・・・末葉まで・・・> というのが、何処か一度ならず、聞いていると

思います。あるいは、何かの資料で見たのでしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                     巨福呂坂切通し 『一遍聖絵伝』  (画像出典: 詳説日本史研究)  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (47)

【 支折の言葉・・・2/3 】


それとも、<兼好法師> 自身が、何処ぞから、引用したものなのでしょうか。

うーん…

ともかく、当時/鎌倉時代・末期は、現在の様な科学技術基盤社会ではなく、より親身

ら、そう思っていたのかも知れませんね。そして現在と比べ、社会全体過疎(かそ/極度にま

ばらなこと)で、コンパクト時代

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 第96代/後醍醐天皇(ごだいご・てんのう)/南朝初代天皇・・・<建武中興(けんむの・ちゅうこう)> (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (48)

【 支折の言葉・・・2/4 】


…でもありました。

ええと…

ここにある資料によれば、当時日本人口は…


鎌倉幕府が成立した、1192年・・・日本の人口は・・・  757万人・・・>

室町幕府の成立した、1338年・・・日本の人口は・・・  818万人・・・>

江戸幕府の成立した、1603年・・・日本の人口は・・・ 1227万人・・・>


…と推定されています。



 2月  27日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                             (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (49)

【 支折の言葉・・・2/5 】


江戸時代でも、現在のわずか1/10ほどの人口でした。ですから、京/都(みやこ/・・・宮処(み

やどころ、みやこ)から転じた言語で、天皇の宮殿(皇居)が所在するところを指す。)人口も、幕府の置かれてい

鎌倉人口も、現在市町村のレベル人口規模だったのでしょうか。

他は、鬱蒼(うっそう)とした山岳原野でした。つまり当時は、下々までも、名前も見える

イズ社会でした。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                            鴨長明 (菊池容斎・画/・・・明治時代) (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (50)

【 支折の言葉・・・2/6 】


ですから…

天皇行幸(ぎょうこう/・・・天皇が内裏から他所に移動すること。幸(みゆき)とも言います。天子の行く所、万民が幸を

受けるという意味です。目的地が複数ある場合は、特に巡幸(じゅんこう)と言います。)すれば、沿道何度も、その

行列を見る事もできたわけです。

また、鎌倉で暮らしていれば、(とも/主人に仕え、つき従う人)を従えた頼朝一行が、闊歩

(かっぽ)する姿も、何度も見かけたと思います。

そうした世界で、鴨長明出世が破れ、鴨川のほとりに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                             比叡山/延暦寺  横川中堂     (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (51)

【 支折の言葉・・・2/7 】


方丈小庵を建てて隠棲し、方丈記 を書いたわけですね。こうした隠者は、歴史的

に、少なからず存在したのでしょうか。昔話によく出てきますよね。

<兼好法師>僧籍にあり、鴨長明と似ているわけですが、シャンとしている様子ですね。

あ、それは印象です。これから兼好法師世界を、探検していく事になるわけですね。

ええと…

兼好法師は、比叡山/横川(/・・・延暦寺のあるあたり?・・・)などで、隠棲した記録がありますが、

何処 徒然草 を書いたのでしょうか?あ、これは、読み進めて行くうちに分かると思い

ます。課題として置きましょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                           吉田兼好  『前賢故実』/ 菊池容斎・画/明治時代  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (52)

【 支折の言葉・・・2/8 】


ともかく…

現代から見れば…

(いにしえ)の、“王朝貴族の・・・狭い・・・開放系システムの社会・・・” の中で、<御門(みか

ど/帝)の御位(おおんくらい)は・・・神の子孫であるから、尊い・・・> などと、言っているわけ

ですね。

<神々しく・・・尊いと同時に・・・身近に存在している・・・> わけであり、言葉にも迫力

あります。現在の様に、<バーチャル(/実体を伴わないさま。仮想的。)で・・・AI(artificial intelligence

/人工知能)で・・・> という状況とは、真逆の世界です。

あ….下らない事を言っていないで、先に進みましょうか、」



 2月  28日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (53)

<第二段 おろそかなるをもてよしとす・・・>

【 原文・・・ 3/1 】


いにしへのひじりの御世の政(まつりごと)をもわすれ、民の愁(うれへ/うれえ)、国のそこなは

るるをも知らず、よろづにきよらをつくしていみじと思ひ、所せきさましたる人こそ、うた

て、思ふところなく見ゆれ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (54)

【 原文・・・ 3/2 】


「衣冠(いかん)より馬・車にいたるまで、有るにしたがひて用ゐ(い)よ。美麗(びれい)をもと

むる事なかれ」

とぞ、九条殿の遺カイ(言+戒)にも侍(はべ)る。順徳院(じゅんとくいん)の、禁中(きんちゅう)

事ども書かせ給(たま)へるにも、

「おほやけの奉り物は、おろそかなるをもてよしとす」

とこそ侍れ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (55)

【 現代語訳・・・3/1 】


醍醐・村上といった昔の聡明な帝の御世の政治をも忘れ、民の愁い、国が衰退してい

くことをも知らず、あらゆることに贅沢(ぜいたく)を尽くしてそれがいいことと思い、所せま

しと威張り散らす人こそ、ひどく思慮が浅く見える。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (56)

【 現代語訳・・・3/2 】


「衣冠から馬・車に至るまで、ありあわせのものを使え。贅沢を求めるな」

と九条殿と言われた藤原師輔(もろすけ)が子孫に訓戒した書の中にもある。順徳院が

宮中のことをお書かせになった書物の中にも

「天皇・皇族のお召し物は、質素なのがよい」

とある。



 3月   1日

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《 支折の・・・徒然草 》 (57)

【 支折の言葉・・・3/1 】


「ええ…」支折が言った。「兼好法師は…

かつては官僚であり、<蔵人(くろうど)/・・・天皇の秘書官で、蔵人所に所属・・・> を、

めたほどのエリートだったわけです。だから、政治世情を、公平に見る眼力もありました。

またそれを、文章に書き起こす力量もあったわけですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                             明代の科挙の様子           (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (58)

【 支折の言葉・・・3/2 】


ええ…

<鎌倉時代・末期> は…

武家社会でしたが、王朝貴族色彩も、色濃く継続していたわけです。そして、天皇一定

の権力保持していました。兼好は、そうした時代の、第94代/後二条天皇に仕えていた

わけですね。

日本は…

中国 <科挙(かきょ/中国の隋に始まり、唐で発展し、宋で変質しながら、元での一時的停止を挟み、明・清まで継

承された官吏登用制度。) 制度は、導入していません。ですから、官僚全員が、優秀だった

わけではありません。貴族子弟には、腕白者(わんぱくもの/いたずらっ子。腕白な子ども。また、無理

難題をふっかけて手におえない者。)も居たのでしょう。

天皇は…

そうした人々権威で治め、身分相応に遇し、まとめて面倒を見てきたわけです。それが、

王朝貴族社会でした。それでも、政治秘書官には、優秀人材必要だった…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                            第94代/後二条天皇・・・兼好が仕えた天皇   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (59)

【 支折の言葉・・・3/3 】


…わけですね。そして、そうした秀才を頼りにし、周囲も認めて仕事を任せ、出世もしていっ

たわけでしょう。

ところが…

仕えた天皇崩御し、御世(みよ/天皇の治世。また、その在位の期間。)一変すれば、取り巻きも変

わります。当然、大多数官僚は残るわけですが、天皇代替わりしたら、出世望めな

くなる人々も、出て来るわけです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
    
  随筆/『枕草子』 の作者/清少納言  ( 『御簾を掲げる清少納言』 /上村松園作 )   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (60)

【 支折の言葉・・・3/4 】


枕草子
を書いた清少納言も、中宮定子他界すると宿下りをしています。兼好法師

場合は、事情大分異なると思いますが、辞していますよね。詳細は、分かりません

が。あ、芭蕉もそうでした。

さて…津田・編集長

鎌倉時代・末期政治状況も…現在/昨今の…日本政治状況も、非常に…



 3月   2日

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《 支折の・・・徒然草 》 (61)

【 支折の言葉・・・3/5 】


似てはいないでしょうか。

政治家官僚威張り散らすばかりで、本当の仕事をしているのは、ごく一握りとも聞きま

す」

「はは…」津田が、アゴを当てた。「そうですねえ…

今も昔も、変わりませんねえ。現在日本官僚は、<非常に硬直化し・・・悪事を、誰も

悪事とは指摘できない・・・> 様子ですねえ。

<国家上流域/国家三権(司法・立法・行政) ばかりでなく…

まさに、第4の権力揶揄(やゆ/からかうこと)される、<公共放送・NHKを含む・・・マスメデ

ィア> までが…

経済原理モラルハザード硬直化し、<戦後民主主義の・・・黎明期(れいめいき)の良き

日本の姿> 忘却させ、<愛国心> までも、喪失させようとしていますねえ。自浄作用

も、喪失しているのでしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                           (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (62)

【 支折の言葉・・・3/6 】


うーむ…

<災害対策> 等でも、真剣さが欠如していますねえ。様々検討は重ねても、結局、<根

本対策は・・・何もしない・・・ルーティーン(/決まった手順) に入るという、自己矛盾に陥っ

ていますねえ。

<毎年の・・・豪雨・土砂災害> でも…

<結局・・・誰も、責任を取らない・・・> という事でしょう。しかし、まあ、国会答弁におい

ても、“議論する!”“検討する!”、という言葉多用され、議論はしても、<結局・・・何

もしない・・・ルーティーン> に入るわけで、お茶濁しています…」

「うーん…」響子が、ユックリと、うなづいた。「そうですね…

結局<令和臨調(れいわ・りんちょう/・・・日本生産性本部は、今年6月に、経済界、労働界、学者などをメンバー

とする、国民会議 「令和臨調」 を発足する、と発表しています。) 発足し、<国土交通省が・・・決断の

出来ない・・・日本列島/災害列島の・・・インフラの再構成・・・> も、提言していく様で

すね。

私達は…

 <日本版/ニューディール政策・・・大公共事業による、日本列島のインフラのバー

ジョンアップ> を、長年提唱して来ました。“実際に・・・何をするのか?”注視して行きた

いと思います。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                             国立感染症研究所           (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (63)

【 支折の言葉・・・3/7 】


それから…

<コロナ禍> における、<厚生労働省・・・テクノクラート/技術官僚・・・> も、非常

問題があります。連日マスコミでも批判され続けていますが、これは一体、どうなっている

のでしょうか?

<直接・・・国民の命に係わる省庁で・・・何が混線・・・> している、のでしょうか?

さらに…

教育文化掌管している、<文部科学省> も…

現在の・・・日本文化の衰退状況眺めれば、一目瞭然・・・ ですわ。<財務省/財

務官僚> も、現在大きなスキャンダルを抱えていますが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (64)

【 支折の言葉・・・3/8 】


それとは別に…

日本の・・・1000兆円を超える・・・膨大な赤字国債・・・ は、他国を見ません。

一体、どうなっているのでしょうか?まさに一大事ですが、 国民に対して、十分に納得のい

く、説明がありませんわ。

もちろん…

<官僚組織は・・・内閣の管理下/政治の管理下・・・> にあるわけですが…

国会議員は、3割の議員しかマトモな仕事をしていないとも聞きます。あとの、7割の議員

は、自分選挙運動や、関連の雑事中心という事なのでしょうか。そんな日本の、政治

状況であれば、当然…



 3月   3日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                            国会での、首相の虚偽答弁・・・茶番劇 ・・・??・・・ (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (65)

【 支折の言葉・・・3/9 】


エリート専門集団官僚組織に、大きな責任が有りますわ」

「まあ…」津田が、を当てた。「<立法府/・・・政治・政治家> の方では…

安倍・元首相が…

<国会答弁で・・・100回以上もウソをついたと・・・公言され・・・> て、国会がこれに、

権威を持って対処ができず…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                             国会の虚偽答弁 ・・・??・・・     ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (66)

【 支折の言葉・・・3/10 】


<国家上流域/・・・国家三権(/・・・司法・立法・行政) + マスメディア・・・> も、これを

していますねえ。

《 My Weekly Journal 》/政治担当・青木昌一は、こんな日本政治状況(さじ)を投

げ、アメリカ政治研究渡米してしまいました。まあ、アメリカ政治の方も、壊れ始めてい

様子ですがね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
  ハリコフ/・・・首都キエフに次ぐ都市・・・破壊されたロシア軍の装甲車 「ティーグル」 (2月28日)  (ネットより画像借用)   

《 支折の・・・徒然草 》 (67)

【 支折の言葉・・・3/11 】


しかし…

こうした、<民主主義の・・・劣化> 以上に、喫緊大課題は…

<ロシア正規軍の・・・隣国/・・・ウクライナへの侵攻・・・> でしょう。これは、狂気の

沙汰(さた/元来は…物を選りわけること、淘汰の意味)ですねえ。

歴史的大犯罪であり…

<インターネット時代/ ・・・情報化社会の中で・・・リアルタイムで、全人類が目撃>

しています。現在ウクライナ首都/キエフ徹底抗戦の構えですが、まさに言葉を失っ

ています。

これは…

<ウクライナ国民> はもちろんですが、<ロシア国民> にとっても、大きな悲劇になりま

すねえ。こんな事が、現代社会の中で、起こっている、わけです…」

「はい…」響子が、うなづいた。「ええと、その事ですが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                           1962年10月の・・・キューバ危機      (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (68)

【 支折の言葉・・・3/12 】


私は、《危機管理センター》 に、戻ろうと考えています。

<コロナ禍/・・・パンデミック・・・> だけなら…

その方面専門家である、厨川アンの方が適任でしたが、<核兵器のからむ・・・未曽

有の・・・輻輳的な危機に発展・・・> する、可能性がありますわ。

1962年10月の・・・キューバ(ミサイル)危機(/旧ソ連が、キューバに核ミサイル基地を建設してい

ることが発覚し、アメリカ合衆国が、カリブ海でキューバの海上封鎖を実施。米ソ間の緊張が極度に高まり、核戦争寸前にま

で達した、一連の出来事。・・・第35代/ケネディー米大統領の時代。) 以来

60年ぶりの・・・深刻な・・・核弾頭危機・・・ が、勃発(ぼっぱつ/急に起こること)する可能

があります」

「うーむ…」津田が、うなづいた。「《My Weekly Journal》 では…



 3月   4日

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《 支折の・・・徒然草 》 (69)

【 支折の言葉・・・3/13 】


軍事・戦略担当の、大川慶三郎 《危機管理センター》 に入っていますが、の方は

《My Weekly Journal》 の方に、復帰しようかと考えています」

「あ…」響子が言った。「国際部の、北原和也さんも…

《危機管理センター》 の方に入っている様子です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                              <コロナ禍・・・パンデミック・・・・>         (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (70)

【 支折の言葉・・・3/14 】


《危機管理センター》 の方が、機材充実していますから…」

「はは…」津田が笑った。「最近北原は、《危機管理センター》 に入り浸りですねえ…」

「ホホ…」響子が、をやった。

「うーん…」支折が、を揺らした。「<ポスト・コロナ禍> 段階に入り…

世界中で、経済の立て直しが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  

《 支折の・・・徒然草 》 (71)

【 支折の言葉・・・3/15 】


急務と思われていますが、<中国と、ロシアの・・・覇権主義の暴走・・・> で、大変

状況になっていますね。

<地球温暖化/・・・北方林(/カナダ・アラスカ・シベリア・スカンジナビアなど、北緯45〜70度に分布する亜寒

帯林。総面積約は1300万平方キロメートルで、世界の森林面積の3分の1を占める。)の落雷による大火災 ・ ツ

ンドラ(/高緯度地方に広がる凍結した大平原。ヨーロッパとロシア北部、シベリア北部、アラスカとカナダ北部、グリーンラ

ンドなどに分布。冬は長く氷雪におおわれ、夏はごく短い。地下に永久凍土層が存在。)地帯の・・・永久凍土の融

解> で、地球生態系的危機・・・文明的な危機・・・が迫る中・・・ で、ですわ。

私達は…

<コロナ禍/・・・新興感染症の、世界的大流行・・・> に対しても…

基本的スタンスは…〔万能型・防護力・・・//・・・人間の巣・未来型都市・千年都市〕

の、全国展開/世界展開で、総合的対処するべきだ、と提唱して来ました。背後に、

地球温暖化・・・食糧危機> が、あるからですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
        ウクライナ/・・・ロシア軍の、ウクライナ侵攻1週間・・・ プーチン氏、核戦力を誇示!    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (72)

【 支折の言葉・・・3/16 】


そして…

現下人為的な危機・・・戦争ゴッコ/覇権ゴッコ・・・ウクライナ危機・・・> に対し

ても、〔万能型・防護力・・・//・・・人間の巣・未来型都市・千年都市〕世界展開で、

対処、できるわけですよね?」

「はい…」響子が、大きく、うなづいた。「そういう事ですね…



 3月   5日

岡田健吉‏@zu5kokd1  

《 支折の・・・徒然草 》 (73)

【 支折の言葉・・・3/17 】


ええ…

私達長年にわたり…

〔万能型・防護力・・・//・・・人間の巣・未来型都市・千年都市〕 の、全国展開/世界

展開提唱して来たわけですが、この <ロシア軍の侵攻/・・・ウクライナ危機・・・>

もまた、それが急務実感しています。

<核シェルター> 、凌駕(りょうが/他をしのいでその上に出ること)する防護力ですし、輻輳(ふくそう

/様々な物が1箇所に集中し、混雑している状態)している <感染症パンデミック> <激烈化する

気象災害> からも、〔世界市民〕 防護して行きますわ。今後も…

ええ…

ようやく、になりましたが…

また、<雨季/集中豪雨と、土砂災害・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
        大雨で田んぼや道路が冠水・・・熊本県益城町の赤井地区 2019年6月30日午後0時1分  (/ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (74)

【 支折の言葉・・・3/18 】


・・・猛暑/酷暑の夏・・・> が、やって来ます。

今年こそは、<日本列島の・・・旧式化した社会インフラの・・・本格的バージョンアップ

・・・> に、着手するべきです」

「うーむ…」津田が言った。「そうですねえ…

そうしないと、また莫大予算が、既存インフラ砂漠に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《 支折の・・・徒然草 》 (75)

【 支折の言葉・・・3/19 】


消えて行きますねえ。いずれ、<旧式インフラ/・・・旧式システム> は、廃棄せざる

を得ないのです。<ポスト・コロナ禍> では、状況をよく判断し、無駄投資はしない事で

す」

「はい…」響子が、コクリとうなづいた。

「ええと…」支折が、を傾げた。「響子さん

以後、このページは、どういう運びになるのでしょうか? 響子さん編集長も、本来任務

復帰するという事ですし、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

《 支折の・・・徒然草 》 (76)

【 支折の言葉・・・3/20 】


「あ、そうですね…」響子が言った。「ええと…

私達も、すぐに何か稼働できるわけではありません。色々準備もありますわ。従って、こ

ページは、このまま継続して欲しいと思います。

うーん…

また、高杉・塾長 に来てもらいましょう。ボス(/岡田)の所で、手料理などをしながら休養

ている様ですから、」



 3月   6日

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《 支折の・・・徒然草 》 (77)

【 支折の言葉・・・3/21 】


「はい…」支折が、嬉しそうにうなづいた。「いつの間にか、居なくなって、また来るわけです

ね…」

マチコさんにも…」響子が言った。「ヒマそうにしていたら、をかけて置きましょう、」

「お願いします…」支折が言った。「最近は、すぐにスタッフが居なくなりますから、大勢いた

方が安心ですわ、」

「はは…」津田が笑った。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (78)

<第三段 よろづにいみじくとも・・・>

【 原文・・・ 4/1 】


よろづにいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵(さかづき)の底なき心

地ぞすべき。

露霜にしほたれて、所さだめずまどひ歩(あり)き、親のいさめ、世のそしりをつつむに

心のいとまなく、・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (79)

【 原文・・・ 4/2 】


・・・あふさきるさに思ひ乱れ、さるはひとり寢がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。

さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらま

ほしかるべき業(わざ)なれ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (80)

【 現代語訳・・・4/1 】


どんなにすばらしくても、恋を知らない男は非常に物足りない。みごとな玉製の盃の底

が抜けたように、見かけだけで男としての魅力が欠けている。

早朝から深夜まで露・霜に濡れながら恋人たちを渡り歩き、親の説教や世間の避難を

かわすために神経を・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (81)

【 現代語訳・・・4/2 】


・・・すり減らし、あれこれ気をもんでいる。そのくせ実際にはひとり寝が多く、恋人と共

寝する夜の少ないのはなんともおもしろい。

とはいえ、恋に夢中だからといってがつがつすることなく、女性にいつも好感を持たれ

るように節度をもって行動するのが理想的である。



 3月   7日

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《 支折の・・・徒然草 》 (82)

【 支折の言葉・・・4/1 】


「ええと…」支折が言った。「まず…

響子さんと、津田・編集長が、本来業務への復帰で、いなくなりました。

そして、高杉・塾長と、マチコさんが来てくださいました。それから、マチコさん高校時代

からの親友/《 M E N U 》・担当/白石夏美さんも、初めて参加してくださいます。

ええ、有難うございます!

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         
                         星野支折   ポン助      白石夏美       折原マチコ      高杉光一

《 支折の・・・徒然草 》 (83)

【 支折の言葉・・・4/2 】


夏美さんは…

普段は、《資源・エネルギー・未来工学》 の、堀内秀雄さんアシスタント担当してい

るわけですが…昨年イギリスでの <COP26> へ行っていますね。

夏美さん

<グラスゴー/・・・COP26> は、どうでしたか?グレタ・トゥーンベリさんとは会えました

か?」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                            <COP26>                   (ネットより画像借用)   白石夏美

《 支折の・・・徒然草 》 (84)

【 支折の言葉・・・4/3 】


「ええ、それはもう…」夏美が言った。「ただ…

<COP26> は、グレタの言うように、<ブラ・ブラ・ブラ (blah blah blah/ なんとかかんとか、ホニャ

ララ、) という感じですね。大人は、何を考えているのでしょうか?」

「うーん…」マチコが言った。「そして…結局

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                 ロシア軍の・・・ウクライナ侵攻1週間/民間人の死者 2000人超・・・   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (85)

【 支折の言葉・・・4/4 】


<アメリカと・・・中国の覇権争いが・・・激化・・・> していてさあ…

現在…<ロシアが・・・ 一方的に・・・ウクライナに侵攻・・・> しているわけよねえ。

に、何を考えているのかしら?」

「そうですね…」夏美が、コクリとうなづいた。「ともかく…



 3月   8日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                   (ネットより画像借用)      白石夏美

《 支折の・・・徒然草 》 (86)

【 支折の言葉・・・4/5 】


プーチンさんの様な人を、リーダーとすると非常危険です。でも、その判断難しい

思います。ロシア核大国で、軍事力だけが突出した国家だという事が、問題です。

プーチンさんは…

<ナチズム> 非難していますが、結果的自分自身同様に、ロシアという国家

取りを誤っています。しかも、国家全体異常情報管理下において、国民管理していま

す」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《 支折の・・・徒然草 》 (87)

【 支折の言葉・・・4/6 】


「はい…」支折が、深くうなづいた。「ええ…

ともかく、その分析は…響子さんや、津田・編集長たちに譲りましょうか…

ええと、塾長、また、お願いします!

「うむ…」高杉が、うなづいた。「ま、一言、言わせてください…

ともかく、ウクライナ大変なコトになって来ました。着地点が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
  国連安保理が、ロシア非難決議を否決・・・ロシアは拒否権行使・・・中国、インド、UAE、が棄権  (ネットより画像借用) 

《 支折の・・・徒然草 》 (88)

【 支折の言葉・・・4/7 】


見えないコト問題ですねえ。これでは、<核ミサイル> 振りかざせば、どんな非道

なことも、できる世界になってしまいますねえ、」

紛争は…」マチコが言った。「現在、まさに進行中だけどさあ…

終わった後の、後始末大変よねえ。それから、結局<国連/・・・安全保障理事会>

は、<紛争解決には・・・役に立たない ことが、ハッキリしたわよねえ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                (ネットより画像借用)  

《 支折の・・・徒然草 》 (89)

【 支折の言葉・・・4/8 】


ヤッパリさあ…

〔世界市民レベルが・・・ネットで力を結集して・・・地球政府/地球連邦政府・・・〕 の、

創設をする事が、不可避時代なのかしら。

政治家軍隊は、<地球温暖化> を、放っておいてさあ、<戦争ゴッコ/覇権ゴッコ>

を、しているわよねえ…」

「うーむ…」高杉が、ため息をついた。「我々は…

<地球政府/・・・地球連邦政府・・・>方向性支持しますが、まあ、ここは、担当/

北原和也に任せましょう、」



 3月   9日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                              仏道の求道者             (ネットより画像借用)  

《 支折の・・・徒然草 》 (90)

【 支折の言葉・・・4/9 】


「そうですね…」支折が、うなづいた。「さあ…

私達は、徒然草 の方に入りましょうか。

ええ…

世の中には…

様々価値観の人が居ますよね。特に古代においては、純粋 <仏道の・・・求道者>

や、<修験道(しゅげんどう/山へ籠もって厳しい修行を行うことで悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰。 仏

教に取り入れられた、日本独特の宗教でもある。)の・・・行者> も多かった様です。

<比叡山> <高野山>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             修験道                  (ネットより画像借用)  

《 支折の・・・徒然草 》 (91)

【 支折の言葉・・・4/10 】


<千日回峰行(せんにち・かいほうぎょう/奈良県吉野の大峰山で、往復48キロ、高低差1300m以上の山道を、

1日16時間かけて、1000日間歩き続ける修行。)の・・・吉野山>、それから <越前の・・・永平寺>

なども、修行の場でした。

元来、そうした所は、かつては <女人禁制(にょにんきんせい/女の立ち入りを禁止すること。 特定の寺院

や霊場で、信仰上女性をけがれ多いものとして、はいるのを禁止した制度のこと。 また、その地域。 女人結界。) だっ

たのでしょう。

には、詳しいことは分かりませんが、当時 <出家して・・・仏道修行に命をかける者

や、人里を離れて、<隠遁生活し・・・生涯を全うする者> も…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                            女人禁制             (ネットより画像借用)  

《 支折の・・・徒然草 》 (92)

【 支折の言葉・・・4/11 】


多々存在していた様ですね。

一方…

<裕福な・・・貴族社会> においては…

まさに、ここで <兼好法師> 言及している様な、放蕩(ほうとう/自分の思うままに振る舞うこと。や

るべきことをやらず、飲酒や遊びにうつつをぬかすこと。)息子が、多々存在したと言うことでしょうか。

また、そうした男性同様境遇の、女性も居たわけでしょう。短命時代で、疫病で、

夫を亡くす女性も多かったと思われます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                             スイーツ            (ネットより画像借用)  

《 支折の・・・徒然草 》 (93)

【 支折の言葉・・・4/12 】


ところで…

<兼好法師> のいう、放蕩息子・遊び人は、社会豊かになった、現代の方が多いのか

も知れません。<世の中の・・・美味(おい)しい所> だけを、食べ歩き<それが・・・人生

と、思っている人達です。

この世界の、<深遠な・・・深さ> も、<広大な・・・広がり> も知りません。そうした、

イーツだけを追求していると、結局、何も残らない、という事ですね。兼好法師は、そういう

人達を、批判しているわけです。

うーん…

でも、こうした放蕩男というのは、元官人である兼好法師仲間にも多くいて、そこから来る

感性なのでしょうか。



 3月  10日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                            蔵人麴塵袍(くろうど・きくじんの・ほう)の冬の衣冠

蔵人は・・・六位でも昇殿を許され、常に天皇の側近にあるので、六位の蔵人で極﨟といわれる、第一の序列のものにも、天

皇が平常に召される麴塵(きくじん)の御袍(ごほう)を、特に下賜されることがあった。          (ネットより画像借用)  

《 支折の・・・徒然草 》 (94)

【 支折の言葉・・・4/13 】


自分も、そうした生き方の出来る身分だったけれども、深い感性を持ち合わせていて、そう

はしなかったという立場…なのでしょうか?如何にも、元官人らしいロジック(logic/ 論法。論理

。)ですね?」

「なるほど…」高杉が言った。「単なる、放蕩息子ではなく…

漢文素養があって、も詠める教養人でも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                            第94代/後二条天皇・・・兼好が仕えた天皇   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (95)

【 支折の言葉・・・4/14 】


そうした女性2人3人は、普通養っていたわけですか。それが当時の、貴族社会

という事ですか。放蕩息子というのは、それとは少し違う様ですねえ。

うーむ…

<兼好法師> は、仕えていた後二条天皇崩御し、出世の道を諦めたと、推測されるわ

けですね? そして家業の、神社/神仏習合仏門に入ったわけですか。

<吉田神社/京都市左京区吉田神楽岡町にある神社。吉田山に鎮座している。二十二社(下八社)の一社。)

血脈であれば、仏道に入るのはごく自然とも思われますねえ。しかし、一体、に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                           第52代/嵯峨天皇・・・蔵人頭(くろうどの・とう)を設置しました。

     嵯峨天皇は・・・牙を剥いた平城・太上天皇に対して、情報漏洩で強い危機感を持ちました。 (ネットより画像借用)  

《 支折の・・・徒然草 》 (96)

【 支折の言葉・・・4/15 】


俗世の時/蔵人だった時代に、何事があったのですかねえ…」

「はい…」支折が、コクリとうなづいた。「これから…

読み進めていけば、少しづつ分かってくるのではないでしょうか。こんな事を、ツラツラ書く

ということは、そうした俗世間を、完全断ち切っているわけでも…なさそうですよね?」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                              吉田兼好              (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (97)

【 支折の言葉・・・4/16 】


「ふーん…」マチコが、を当てた。「そうよねえ…

俗世間の、私達が読んでもさあ、関心を寄せる様な随筆よねえ。あ、だから、<古代日本

・・・3大随筆・・・> に、なっているわけだけど、」

「ともかく…」支折が、両手を組んだ。「兼好法師が…

徒然(つれづれ)なるままに…(すずり)に向かっていた時の…



 3月  11日

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《 支折の・・・徒然草 》 (98)

【 支折の言葉・・・4/17 】


スタンス/心境というものが、如実に述べられています。どんな事関心があり、どう思

っていたのか…つまり、それを書いた随筆ですね。

夏美さんは、徒然草 は、どんな感触でしょうか?」

「はい…」夏美が言った。「も、古典教科書で…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
  藤原冬嗣は・・・蔵人頭に抜擢されるほど、嵯峨天皇から深く信頼され、嵯峨天皇の下で大出世。  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (99)

【 支折の言葉・・・4/18 】


…読んだけですが、吉田兼好天皇に仕えた官人だったのですね。現代で言えば、宮内

OB (Old Boy/その学校の卒業性、の和製英語。会社、政界などでも使う。)かしら?」

「うーん…」支折が、を傾げた。「<蔵人所(くろうど・どころ/蔵人所は事務を行う場所のことで、内裏校

書殿の北部に置かれた。)<蔵人(くろうど/律令制下の令外官の1つ。天皇の秘書的役割を果たした。組織は、

別当、頭、五位蔵人、六位蔵人からなり・・・天皇の膳の給仕等、秘書的役割を果たしました。六位蔵人は、重要な出世コー

スでした。) ですから、そんな所でしょうか。

<鴨長明は・・・賀茂神社(かもじんじゃ/京都府京都市にある賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下

鴨神社)の2つの神社の総称。)<吉田兼好は・・・吉田神社(/京都市左京区吉田神楽岡町にある神社。

吉田山に鎮座。二十二社(下八社)の一社。)…で、いずれも神職(しんしょく/神社に仕えて神事を執り行う職に

ある者の総称。この当時は、神仏習合でした。)の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
             西行・・・ ★ 願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (100)

【 支折の言葉・・・4/19 】


血脈の人ですが、非常身分が高かった様ですね。天皇お側の、秘書官/蔵人にな

れたわけですから、」

「はい…」夏美が、うなづいた。「<西行法師(/平安後期の歌人・僧。俗名は、佐藤義清(さとう・のりきよ)

。法名、円位。鳥羽院に北面武士として仕えたが、23歳で出家。) は…

<北面武士(ほくめんの・ぶし/・・・院御所の北面に伺候して警固にあたった武士。 白河上皇が下級の廷臣を御座所

に近い北面(きたおもて)に伺候させ、雑事を勤仕させたのが始まり。それに武士を加えて、上皇の身辺の警固にあたらせ、さ

らに御幸(ごこう)の供奉(ぐぶ)・警衛を命じ、ときには僧兵の鎮圧にも動員した。) で、非常身分の高い武士

という事ですが、<兼好法師> も、身分高い人だったのですね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                           西行法師・・・子供に銀猫を与ふるの図   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (101)

【 支折の言葉・・・4/20 】


「そうですね…」支折が、うなづいた。「うーん、<西行法師> ですかあ…

吾妻鏡(あづまかがみ/鎌倉時代に成立した日本の歴史書。鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王

まで6代の将軍記という構成で・・・治承4年(1180年)から文永3年(1266年)までの幕府の事績を編年体で記す。成立時

期は鎌倉時代末期の正安2年(1300年)頃。編纂者は幕府中枢の複数の者と見られている。) によれば…

西行晩年2度目の奥州/平泉の旅の往路で…

西行は、鶴岡八幡宮(つるがおか・はちまんぐう/神奈川県鎌倉市雪ノ下にある神社。別称として鎌倉八幡宮とも呼

ばれる。武家源氏、鎌倉武士の守護神。鎌倉初代将軍/源頼朝ゆかりの神社。)で、偶然頼朝と出会い…鎌倉

御所(/鎌倉幕府の将軍。また、その邸宅。・・・当時はまだ、幕府は開闢していません・・・)招かれていた様です

ね。有名歌人ですから。

少し、吾妻鑑引用してみましょう…


<簡訳
(かんやく/事柄や文章などの、長くて複雑なものをわかりやすく短くすること。)

十五日、頼朝公が、鶴ヶ岡八幡宮に参拝なさっていると、鳥居のあたりに怪しい老僧

が徘徊している。これを梶原景季が問いただした処、西行法師だった。頼朝公はこれ

を御所に招いて歓談に及んだ。歓談は夜遅くまで続いた。

翌日午前十一時、西行法師は、引き留められたけれども、退出なさった。頼朝公は、

お礼に銀の猫を西行法師に賜った。ところがこの猫について通りで遊んでいた幼子に

与えて去ったということである。

西行法師の今回の旅に付いては、重源上人のお願いを引き受けて東大寺の沙金勧

請のために奥州に向かうためだということだ。その途中で鶴ヶ岡八幡宮に寄られてよ

うだ。何んと言っても陸奥守秀衡公は、西行法師の遠戚の一族である。>


ええ…

西行は、褒美(ほうび)銀の猫を賜(たまわ)り…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                              弁慶の最後              (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (102)

【 支折の言葉・・・4/21 】


…それを惜しげもなく門外童児にくれてやったとかとか。

その後…

<義経・弁慶主従の・・・最期・・・(/藤原泰衡は・・・再三の鎌倉の圧力に屈して、「義経の指図を仰げ」 とい

う父/秀衡の遺言を破り、閏4月30日、500騎の兵をもって、義経主従を藤原基成の衣川館に襲った。) があり…

頼朝奥州/平泉平定があって、<鎌倉幕府の・・・開闢(かいびゃく)・・・> になります。

<西行法師> は、2度目奥州の旅の後、間もなく、他界しています。ですから、<平安

時代・末期の・・・歌人> だった、わけですね。

西行は、<藤原定家> と、同時代歌人ですが、定家鎌倉時代を生き、新古今和歌

を、編纂して、<承久の乱> で、後鳥羽上皇隠岐に流された後、出世して行きます

よね。それから、小倉百人一首 を、選集(/多くの中から抜き出して、一つ所に寄せ合わせる。編集して

書物をつくる。)して行くわけですね。


 

 3月  12日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (103)

<第四段 後の世の事、心にわすれず・・・>

【 原文・・・5/1 】


後の世の事、心にわすれず、仏の道うとからぬ、こころにくし。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (104)

【 現代語訳・・・5/1 】


来世のことを心に忘れず、仏の道を疎遠にしない。そういう人は、奥ゆかしい。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《 支折の・・・徒然草 》 (105)

【 支折の言葉・・・5/1 】


「うーん…」支折が、を当てた。「<第4段> は、ほんの一言なんですね…

に向かい…が、それほど滑らかではなかった様子ですね。

あ、ともかく…


後の世の事、心にわすれず、仏の道うとからぬ、こころにくし。


…という事ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                              吉田兼好              (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (106)

【 支折の言葉・・・5/2 】


ふーん…

当時の、人々の信仰心神仏への帰依の姿が、どの様なものだったのか…

少し垣間見える気がします。そしてまた、兼好法師があえて墨書(ぼくしょ/墨で書くこと)すると

いうことは、つまり、<奥ゆかしい・・・とは言えない人・・・> も、多々存在した様です

ね?」

「なるほど…」高杉が、苦笑し、うなづいた。「透かして、読み取れば、そういう事ですか…

まさに、今も昔も変わらない姿ですねえ。まあ、遠いご先祖様の、お姿ですが…」



 3月  13日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (107)

<第五段 不幸に愁にしづめる人の・・・>

【原文・・・6/1 】


不幸に愁(うれい)にしづめる人の、頭おろしなど、ふつつかに思ひとりたるにはあらで、

有るかなきかに門さしこめて、待つこともなく明し暮したる、さるかたにあらまほし。

顕基(あきもと)中納言の言ひけん、配所の月、罪なくて見ん事、・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (108)

【原文・・・6/2 】


・・・さも覚えぬべし。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (109)

【 現代語訳・・・6/1 】


不幸にあって悲しみ沈んでいる人が頭をおろして出家するなど、軽率に思いこんでや

ったのではなく、いるのか、いないのかわからない様子に門をとざして、世の中に期待

することもなく明かし暮らしている。そういうあり方こそ、好ましい。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (110)

【 現代語訳・・・6/2 】


顕基中納言(=源 顕基(みなもとの・あきもと)/・・・醍醐源氏。 安和の変で失脚した源高明の孫で、権大納言・源俊賢

の子。後一条天皇の側近として仕えるが、後一条天皇崩御にともない出家。大原山・横川・醍醐に隠棲する。法名円照。朝夕

琵琶を弾きつつ、配所の月を流されていない身の上で見たい、と歌ったという。)が言ったという、配所の月を、

罪の無い身の上で見たいという事。そんなふうに思われることだ。



 3月  14日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                            第94代/後二条天皇・・・兼好が仕えた天皇   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (111)

【支折の言葉・・・6/1 】 


「ふーん…」支折が、両手を組んだ。「もう、<第五段> ですか。でも、少しづつ、<兼好法

師> 周辺が見えて来ました。

ここに出てくる、<顕基(あきもと)中納言> という人は、調べてみると、<第68代/後一条

天皇> に、仕えていた官人した。<第94代/後二条天皇> に、仕えた兼好法師に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                           第66代/一条天皇像 (真正極楽寺蔵)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (112)

【支折の言葉・・・6/2 】 


出家道標となる様な人物が、存在したわけですね。ええと、26代前天皇に仕えてい

官人になりますね、」

「うーん…」マチコが、を傾げた。「後一条天皇は…

一条天皇というコトよねえ。後二条天皇は、その26代後天皇なんだあ…」

「そうですね…」支折が、うなづいた。「一条天皇第2皇子が、後一条天皇の様ですね。

そもそも…

まず、<第66代/一条天皇> が、存在するわけです。有名天皇ですよね。

<皇后/中宮定子(ちゅうぐう・ていし)に・・・清少納言が、仕えていて・・・>枕草子 が、

書き進められた時代です。

さらに、遡りますが…

平安時代(/桓武天皇が、京都/平安京に都を移してから、鎌倉幕府が成立するまでの約390年間。)は…

<第50代/桓武天皇(かんむ・てんのう)から始まっていて・・・第80代/高倉天皇 →

81代/安徳天皇(/・・・高倉天皇の第一皇子。歴代の天皇の中で最も短命だった天皇。戦乱で落命したことが記

録されている唯一の天皇。母は、平清盛の娘/徳子(後の、建礼門院) → で、壇ノ浦で入水(じゅすい/・・・最

期を覚悟して、神璽と宝剣を身につけた母方祖母・二位尼(平時子)に抱き上げられた安徳天皇は、壇ノ浦の急流に身を投じ

ました。))・・・> で、終わるわけですから…

<第66代/一条天皇> は、平安時代・中期天皇という、位置づけになるでしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                        <御堂関白(みどう・かんぱく)と言われた・・・藤原道長>   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (113)

【支折の言葉・・・6/3 】 


ええと…

うーん…オサライ意味もこめて…

もう一度、確認しながら、整理しておきましょうか。

枕草子 の、書かれた時代というのは…

<第66代/一条天皇の御代(みよ) であり、やがて藤原氏大繁栄する中でも、栄華

極めたといわれる、<藤原道長> 台頭して来る時代です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                         中臣鎌足/藤原鎌足・・・『藤原鎌足肖像』 菊池容斎・画  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (114)

【支折の言葉・・・6/4 】 


この…

藤原氏の、初祖は…

<中大兄皇子(なかの・おおえの・おうじ)/・・・後の第38代・天智天皇> と共に、<乙巳の変

(いっしのへん/蘇我入鹿を宮中にて暗殺して、蘇我氏(蘇我宗家)を滅ぼした政変) → 大化の改新> 断行

た、<中臣鎌足(なかとみの・かまたり)が・・・藤原姓を賜わり・・・成立・・・> したわけですね。

そして、栄華極めて行く

<御堂関白(みどう・かんぱく)/・・・藤原道長・・・> は…

<娘/中宮彰子(ちゅうぐう・しょうし) を、女御(にょご)として内裏に送り込み、一時内裏には、

中宮定子中宮彰子が、2人並び立つ



 3月  15日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
    
  随筆/『枕草子』 の作者/清少納言  ( 『御簾を掲げる清少納言』 /上村松園作 )   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (115)

【支折の言葉・・・6/5 】 


状態になった様です。道長が、藤原氏権勢をいい事に、強引に送り込んだわけです。

さらに…

<中宮定子> 出産に絡んで他界し、<清少納言(/小倉百人一首・・・62番/清少納言

ジャンプ> も、(つぼね/宮中や貴人の邸宅などで・・・主として、そこに仕える女性の住む私室として、仕切りへだ

てた部屋。大きな建物の中で、臨時に簡単な仕切りをつけてしつらえた部屋。貴人などが・・・社寺に参籠、通夜するおりの仏

堂内の仕切りなどもいう。)をたたんで宿下りします。

そしてついに、<御堂関白/道長と・・・娘/中宮彰子の時代> に、変わって行きます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                            藤原道長が詠んだ・・・有名な一句      (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (116)

【支折の言葉・・・6/6 】 


あ、もちろん、一条天皇健在です。

でも、中宮彰子皇子が産まれると、道長天皇家外戚(がいせき/皇后や妃の一族。皇后や妃

を介して政治に介入し、権力を握ることが多い。)として、益々、権勢を強めて行き、<並ぶ者無し>

言われる程に、なって行きます。

また…

その、中宮彰子の下で…

<局達(つぼねたち/・・・局を与えられた、女房・女官たち)による・・・女流文学が開花し・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                         小倉百人一首・・・56番/和泉式部  <ジャンプ>  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (117)

【支折の言葉・・・6/7 】 


・・・華麗な文芸サロンが形成された・・・> 様ですね。いわゆる <民衆発生の・・・庶民

文化> ではなく、<王朝庇護の・・・宮廷文化・・・> です。

ええと、主な女性は…

源氏物語 の・・・紫式部小倉百人一首・・・57番/紫式部 <ジャンプ> <歌人の・・・

和泉式部小倉百人一首・・・56番/和泉式部 <ジャンプ><歌人で・・・和泉式部の一人

娘・・・小式部内侍こしきぶの・ないし/小倉百人一首・・・60番/小式部内侍 <ジャンプ>

<歌人で・・・栄花物語(えいがものがたり/・・・作者不詳。 40巻。初めの30巻を正編、残り10巻を続編と呼ぶ。

正編は、第59代/宇多天皇から、後一条天皇の万寿5年 (1028年) まで。宇多、醍醐、朱雀の3代は系譜のみで、六国史

を継ぐ体裁をとるために加えられた様です。★ 中心は、藤原道長の生涯を賛仰するところにあり、彼の一家の栄華を記し、儀

式、仏事、遊宴などを詳述しています。 の作者と考えられる・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                         小倉百人一首・・・61番/伊勢大輔  <ジャンプ>  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (118)

【支折の言葉・・・6/8 】 


・・・赤染衛門(あかぞめ・えもん小倉百人一首・・・59番/赤染衛門 <ジャンプ> <歌人で、

栄花物語・続編 の作者と考えられる・・・出羽弁(でわの・べん/一条天皇の中宮彰子、その妹で後

一条天皇の中宮威子、その娘/章子内親王に仕えました。1033年(長元6年)には源倫子の70歳の祝賀で屏風歌を進詠

したほか、多くの歌合で活躍しました。)

<歌人で・・・紫式部の一人娘の・・・越後弁(えちごの・べん)/大弐三位(だいにの・さんみ)/後

冷泉天皇の乳母小倉百人一首・・・58番/大弐三位 <ジャンプ> <歌人の・・・伊勢大輔

いせの・たいふ小倉百人一首・・・61番/伊勢大輔 <ジャンプ> など、小倉百人一首 に、

られるほどの歌人達が、大活躍した様です。

そして…

を戻しますが…



 3月  16日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                               (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (119)

【支折の言葉・・・6/9 】 


<第68代/後一条天皇> は、<第66代/一条天皇> の、2代後天皇という事で

す。父親一条天皇母親中宮彰子です。

その間の、<第67代/三条天皇(第65代/花山天皇の異母弟。 小倉百人一首・・・68番/三条院

<ジャンプ> は、第63代/冷泉天皇第2皇子です。その先代は、<天徳内裏歌合(て

んとく・だいり・うたあわせ/その典雅さなどで、後世の歌合の手本となる。) 有名な、第62代/村上天皇

ですね。

ええ、つまり…

徒然草/・・・第五段・・・ で、<兼好法師> 言及している <顕基中納言> とは、

この <後一条天皇> に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                           小倉百人一首・・・68番/三条院  <ジャンプ>  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (120)

【支折の言葉・・・6/10 】 


…仕えていた、人物/官人という事になります。

そして…

兼好法師が仕えたのは、<第94代/後二条天皇> ですから、26代後天皇であり、

<一条天皇> からは28代後になりますが、何故<後二条天皇> を、名乗ったのでし

ょうか?

そして兼好法師も、何故、遠い昔の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《 支折の・・・徒然草 》 (121)

【支折の言葉・・・6/11 】 


<顕基(あきもと)中納言> の、足跡問題にしているのでしょうか。やはり、何か、特別

関連がありそうですよね。ええ、それは、今後宿題にしておきましょうか…」

「うーむ…」高杉が、マチコの方を見た。

マチコが、夏美を見た。

「はい…」夏美が、うなづいた。「“後” の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                              吉田兼好              (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (122)

【支折の言葉・・・6/12 】 


…つく、名前天皇は多いですね。

でも、<後一条天皇> 分かるとしても、<後二条天皇> は、どういう事なのかしら?

28代も離れると、意味不明ですね、」

「はい…」支折が、コクリとうなづいた。「ええと…

うーん…を、進めましょう…


<顕基中納言の言ひけん、配所の月、・・・



 3月  17日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
        『菅公(かんこう/すがわらの・みちざね)配所之図 』  武将浮世絵・・・小林清親・作   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (123)

【支折の言葉・・・6/13 】 


・・・罪なくて見ん事、さも覚えぬべし。>

つまり…

<顕基中納言が言ったという、配所の月を、罪の無い身の上で見たいという事。そん

なふうに思われることだ。>


…という事ですね。<顕基中納言> は、どんな罪を負い、何処に、配流になっていたので

しょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                            『 十訓抄 』 ・・・ 東京国立博物館 画像検索   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (124)

【支折の言葉・・・6/14 】 


これは、調べてありまます。

十訓抄(じっくんしょう/鎌倉中期の教訓説話集。「十訓」・・・こと十ヶ条の教誡を掲げ、古今和漢の教訓的な説話/約

280話を通俗に説く。儒教的な思想が根底を流れる。年少者の啓蒙を目的に編まれ、その後の教訓書の先駆となった。)

には…

後一条天皇崩御した際に、顕基は、<・・・忠臣二君に仕えず・・・> として、出家して

しまった、という逸話がある様ですね。

また、徒然草 によれば、顕基無罪ながら、流罪にされたという、という事です。これに

関しては、徒然草 読み進めて行けば、見えて来るのでしょうか、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (125)

<第六段 子といふ物なくてありなん・・・>

【 原文・・・7/1 】


わが身のやんごとなからんにも、まして数ならざらんにも、子といふ物なくてありなん。

前中書王(さきの・ちゅうしょおう) ・ 九条太政大臣(くじょうの・だじょうだいじん) ・ 花園左大臣(はなぞの

の・さだいじん)、みな族(ぞう)絶えん事をねがひ給(たま)へり。染殿大臣(そめどのの・おとど)も、

「子孫おはせぬぞよく侍る。末のおくれ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (126)

【 原文・・・7/2 】


・・・給へるはわろき事なり」

とぞ、世継の翁の物語にはいへる。聖徳太子の、御墓をかねて築(つ)かせ給ひける時

も、

「ここを切れ、かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり」

と侍(はべ)りけるとかや。



 3月  18日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (127)

【 現代語訳・・・7/1 】


わが身が尊い高貴な人でも、まして物の数でもない低い身分の者でも、子というもの

はいないほうがいいようだ。

前中書王・兼明親王も、九条太政大臣・藤原信長も、みな子孫が絶えることを願いな

された。染殿大臣・藤原良房も、

「子孫がいらっしゃらない・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (128)

【 現代語訳・・・7/2 】


・・・のがよい。子孫が落ちぶれるのは、ひどい事だ」

と、世継の翁の物語といわれる 大鏡(おおかがみ/平安時代後期の、白河院政期に成立したとみられる、

紀伝体(きでんたい/東アジアの歴史書の書式の1つ)の歴史物語) の中で言っている。

聖徳太子が、御墓を生前に作らせなさった時も、

「ここを切れ。あそこを断て。子孫がいなくなればいいと思うのだ」

とおっしゃったとかいうことだ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《 支折の・・・徒然草 》 (129)

【支折の言葉・・・7/1 】 


「うーん…」支折が言った。「この…


<子といふ物なくてありなん/= 子というものはいないほうがいいようだ>


…と言うのは、ダイレクトには、違和感を感じますよね。だからこそ、徒然草 は、精読/

深読みする必要がある…と言う事でしょうか?」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                            『正法眼蔵』 を書いた・・・道元禅師   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (130)

【支折の言葉・・・7/2 】 


「うーむ…」高杉が、傾げて、うなづいた。「そうですねえ…

<座禅の・・・書物> や…

道元禅師の、正法眼蔵 などを読んでいると…

<精読・深読みのレベル> 超えて<長い修行・・・研鑽(けんさん/学問などを深く究めること)

・・・> を経て、ようやく、ごく・・・単純な言葉の・・・深淵な意味と、広大さ・・・> を、

自分自身体得する…



 3月  19日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                            お釈迦様                       (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (131)

【支折の言葉・・・7/3 】 


…という事を経験します。

そして、<その悟りの上には・・・さらに上の悟りの風景がある・・・> とも、言われてい

ます。

したがって…

この兼好法師言葉も、単に常識的立場の話をしているのではなく、出家・隠遁生活者

感性と、深い人生経験の上での、吐露(とろ/心に思っていることを、包み隠さないで、全部打ち明けること

。)なのでしょう。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                             伝教大師/最澄(さいちょう)  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (132)

【支折の言葉・・・7/4 】 


まあ…

我々はまだ、兼好法師コトは、ほとんど何も知らないわけですがね。

しかし…

<最長/伝教大師・・・比叡山/天台宗> や、<空海/弘法大師・・・高野山/真言

宗> や、<道元・・・永平寺/日本曹洞宗> のような、日本仏教宗派開祖ではなく、

俗世間片足を置いているのが、面白そうですえ。庶民同じ目線にある様子ですから、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                             弘法大師/空海          (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (133)

【支折の言葉・・・7/5 】 


「はい…」支折が、神妙にうなづいた。「それにしても…

“わが子や・・・子孫が居ないというコト” が、そんなに、“いいコト” なのでしょうか? これは、

確信犯的意味を込めた、墨書(ぼくしょ)ですよね?」

「うーん…」マチコが、コクリとうなづいた。「ボス(/岡田)なんかも、さあ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                            道元禅師              (/ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (134)

【支折の言葉・・・7/6 】 


<俗世間を離れて・・・隠遁生活をして・・・ひとりパソコンに向かって・・・日々、徒然な

るままに・・・よしなしごとを書いているけど・・・> さあ…

“わが子や・・・子孫が居ない方がいい” なんて事は、一言も、書いていないわよねえ、」

「はは…」高杉が、ほくそ笑んだ。「言われてみれば…

ボスは、兼好法師共通点多いようですねえ…



 3月  20日

岡田健吉‏@zu5kokd1  wpe73.jpg (32240 バイト)    

《 支折の・・・徒然草 》 (135)

【支折の言葉・・・7/7 】 


仏道修行を好み、隠遁生活をして、ひとりパソコンに向かって、猛烈なスピードで書いてい

ますからねえ。違うのは、ボスの場合は、多方面専門分野のことまで聞き齧(かじ)って

いていることです。情報過多時代ですから、そうなるのでしょう。

しかし…

マチコさんの言うように、“自分の子供や・・・子孫のこと” などは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《 支折の・・・徒然草 》 (136)

【支折の言葉・・・7/8 】 


…そもそも存在しないので、まるで、書く気もないようです」

「そうよね…」マチコが、うなづいた。「ひとり、隠遁生活をしていてもさあ、この問題は、ボス

に聞いても、参考にはならないわねえ…

あ、でも…

ボスも、<吉田兼好/・・・兼好法師・・・> をならい…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 wpe73.jpg (32240 バイト)     

《 支折の・・・徒然草 》 (137)

【支折の言葉・・・7/9 】 


<岡田健吉/・・・健吉法師・・・> を、名乗れるんじゃないかしら。進言してみようかし

ら?」

「まあ…」高杉が笑った。「何を名乗ろうが、ボスの決めることです。

うーむ…

この <第六段 子といふ物なくてありなん・・・> は、ひとまず、聞き置く、という形にして

おきますか、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                              吉田兼好              (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (138)

【支折の言葉・・・7/10 】 


「はい…」支折が、うなづいた。「そうですね…

でも…

“子供がいるという、喜びや幸福・・・煩わしさや、不安をテーマ・・・”に、全人生体現(たい

げん/思想・観念などを、具体的な形であらわすこと。身をもって実現すること。)している人達も、大勢いますわ。

そして…

逆に、“その煩わしさから・・・逃避したいという人達・・・” も、多々存在するわけです。まさ

に、兼好法師が取り上げて、言及しているように…


 3月  21日

  春分の日

岡田健吉‏@zu5kokd1 wpe73.jpg (32240 バイト)  

《 支折の・・・徒然草 》 (139)

【支折の言葉・・・7/11 】 


そして…

そもそも、そうした事関心を持たない人達もいる様ですね。

芸術学問没頭しているとか、会社経営や、何かのミッション没頭しているとか。ある

いは、そうそう、ボスのように、隠遁生活をしている人も居ました。

でも、そういう人達でも…

いえ、そういう人達だからこそ、なおさら、一杯コーヒーを飲みながら、人生深淵を、

じているのかも知れませんね。

ええ…ともかく、先へ進みましょうか…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (140)

<第七段 あだし野の露きゆる時なく・・・>

【 原文・・・8/1 】


あだし野(仇野・徒野・化野/・・・京都市右京区嵯峨、小倉山のふもとにあった葬送の地。火葬場があり、東山の鳥辺山

と併称されました。)の露きゆる時なく、鳥辺山(とりべやま/・・・京都市東山区、東山の西腹の地名。鳥辺野と

も称し、平安時代中期ころから火葬場、墓地となった。)の烟(けぶり/けむり → 煙 )立ちさらでのみ住みはつ

るならひならば、いかにもののあはれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ。

命あるものを見るに、人ばかり久しきものはなし。かげろふの夕を待ち・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (141)

【 原文・・・8/2 】


・・・夏の蝉(せみ)の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮らすほどだにも、こ

よなうのどけしや。あかず惜しと思はば、千年(ちとせ)を過(すぐ)すとも一夜(ひとよ)の夢の

心地こそせめ。

住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて何かはせん。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (142)

【 原文・・・8/3 】


命長ければ辱(はじ)多し。長くとも四十(よそじ)に足らぬほどにて死なんこそ、めやすか

るべけれ。

そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出でまじらはん事を思ひ、夕の

(ひ)に子孫を愛して、栄(さか)ゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼ

る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。



 3月  22日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (143)

【現代語訳・・・8/1 】

あだし野の露が消える時なく、鳥辺山の煙がいつまでも上がり続けるように、人生が

永遠に続くものならば、どうしてもののあはれなど、あるだろう。人生は限りがあるか

らこそ、よいのだ。命あるものを見れば、人間ほど長生きするものは無い。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (144)

【現代語訳・・・8/2 】


かげろうが朝生まれて夕方には死に、夏の蝉が春や秋を知らない例もあるのだ。しみ

じみ一年を暮らす程度でも、たいそうのんびりした時を過ごせるものであることよ。

満足できない。もっともっとと思ったら、千年を過ぎても一夜の夢の心地がするだろう。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (145)

【現代語訳・・・8/3 】


どうせ永遠には生きられない世の中に、長生きした末に醜い姿を得て、それが何にな

るだろう。

長生きすると恥も多くなる。長くても四十未満で死ぬのが見苦しくないところだ。その

あたりの年を過ぎると、醜い容貌を恥じる気持ちも無くなり・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (146)

【現代語訳・・・8/4 】


・・・人に交わることを欲して、老いさらばえて子孫を愛して、子孫が立身出世する末を

見届けるまでは生きよう、などと期待し、ひたすら世をむさぼる心ばかり深く、ものの

あはれもわからなくなっていく。あさましいことだ。


 3月  23日

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                              吉田兼好              (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (147)

【支折の言葉・・・8/1 】


「うーん…」支折が、深呼吸をして言った。「一語一語に、含蓄のある文章ですね…


<世はさだめなきこそいみじけれ・・・

                    /= 人生は限りがあるからこそ、よいのだ・・・>


…などは、達観(たっかん/広く大きな見通しをもっていること。遠い将来の情勢を見通すこと。)ですね。

でも、<人が・・・永遠に生きること・・・> ができたら、あらゆる価値観基準を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                            価値関数グラフ/・・・1万円で考察  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (148)

【支折の言葉・・・8/2 】


再構成しなくてはなりませんよね。非常に難しい、ややこしい作業になりますわ。

あ、それとも…

そうした、<人が永遠に生きる・・・パラダイム・・・> では…

そもそも、<価値関数(/「横軸に、人間が感じる損失や利得の程度」 「縦軸に、価値の大きさ」 を設定して、それ

をグラフ化したもの。 グラフ化したものの中心には、参照点が置かれます。 参照点とは、損得に関係なく、物事を考える際、

基準を置くために参照する点です。) などは成立するのでしょうか?

私達は、永遠に生きたいなどと、簡単に言いますが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                            座禅修行                  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (149)

【支折の言葉・・・8/3 】


…元々そんなパラダイムには、<人間的な・・・意味体系(/生物個体の中で細胞が新陳代謝し・・・

社会の中で人間が新陳代謝し・・・生態系の中で種が新陳代謝して行く・・・階層的な光景における、人間的な価値観世界

は、そぐわないのかも知れません、」

「はは…」高杉が、を和ませた。「支折さんも、私の考え方と似て来ましたねえ、」

「あら…」支折が、を見せて笑った。「もちろんですわ…

は、<禅の修行> においては…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《 支折の・・・徒然草 》 (150)

【支折の言葉・・・8/4 】


塾長孫弟子ですから、思想的似てきても、当然ですわ。

響子さんは、共に塾長姉妹弟子だと言い張っていますが、直接指導を受けている

のは、響子さんですから、」

「まあ…」高杉が笑った。「それなら、そう言う事にしておきましょう…」

「ええと…」支折が、モニターを落とした。「長寿になり…



 3月  24日

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                            吉田兼好/享年68で・・・自分はけっこう長生きです。 (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (151)

【支折の言葉・・・8/5 】


文明発達し、物が豊かになった現代においても、結局、私達永遠には生きられない、

という事ですね。

あ、でも…


<長くとも四十(よそじ)に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ・・・

           /= 長くても、四十未満で死ぬのが、見苦しくないところだ・・・>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                            南北朝時代                         (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (152)

【支折の言葉・・・8/6 】


…と、言うのはどうなのでしょうか。そう言う兼好法師は、享年(きょうねん/人が天から享(う)けた年

数 → この世に存在した年数。年齢。)68という事ですから、当時としては長寿とも言えるのではない

でしょうか。

ともかく、40歳未満というのは、現代人としては少なからず、違和感があると思います。

こんな事を言ったら、ネット袋叩きに、なってしまうのでしょうか?」

「ふーむ…」高杉が、コブシを当てた。「鎌倉時代・末期人々の、平均寿命が、ちょう

40歳ぐらいだったのでしょうか。

鎌倉時代・末期は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
      南北朝時代の合戦の場面・・・ 『太平記絵巻』/・・・「青野軍事付嚢沙背水事の場面」    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (153)

【支折の言葉・・・8/7 】


疫病・飢餓・戦争・怪我等で、簡単コロリ死んで行ったのでしょう。そうした意味

は、野生動物大差ない生活ですね。40歳というのは、案外と、相応の寿命だったのかも

知れません」

「ふーん…」マチコが、うなづいた。

当時の…」高杉が言った。「まだ…

<野生の大地/・・・大地の体臭のかおる・・・人生観・・・> なのかも知れませんねえ。

生活の中に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                             鳥辺山  『拾遺都名所図会』               (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (154)

【支折の言葉・・・8/8 】


身近小動物も含めて、大量に、社会生活織り込まれていた時代でしょう。

身近にあるからこそ、<あだし野> <鳥辺山> の事が、気にかかるわけです。

現代社会/現代人のように…

意識することもなく、<死に際しても・・・社会から、徹底的に隔離された状態・・・>

でも、なかったわけですねえ、」



 3月  25日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《 支折の・・・徒然草 》 (155)

【支折の言葉・・・8/9 】


「でもさあ…」マチコが言った。「千年近く昔の人なのに、私達同じ感覚よねえ…

昔の人もさあ、そんなに深く人生を考えていたのかしら?」

「いや…」高杉が、2度を振った。「それは、違います

<昔の人の方が・・・はるかに真剣に・・・生と死/・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                               お釈迦様                     (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (156)

【支折の言葉・・・8/10 】


・・・つまり、人生と対時・・・> していました。

<釈尊は・・・紀元前5世紀頃の人・・・> ですが、未だに双肩し得る宗教者出現して

いませんねえ。そして…

<まさに・・・紀元0年に誕生した・・・イエス・キリスト・・・> も、そうですね。文明高度

発展して来ても…

あの <大宗教時代・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
          『カルヴァリオ(頭蓋骨)の丘』 ジョヴァンニ・ベッリーニ作 (1465~1470年)、 パリ、ルーヴル美術館・蔵

磔刑(たっけい/はりつけの刑)の場面には、ほぼ必ず描かれている人物がいます。ここでキリストの両側に立つ2人です。左

が母マリア、右が使徒ヨハネです。使徒ヨハネは、ペトロと同様最初の4人の弟子の1人。「十二使徒」の最年少と考えられて、

キリストから死の間際、母マリアを託されます。                                 (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (157)

【支折の言葉・・・8/11 】


・・・世界3大宗教の・・・出現して来た時代・・・> は、再来していないわけですねえ。そ

れが、<絶対者による・・・ 1神教(/・・・キリスト教、イスラム教)/排他的な宗教・・・> だとし

ても、全体を俯瞰(ふかん/高い所から物事を見下ろすこと)すれば、不思議です。

例えば…

<標準モデル・・・素粒子物理学の標準理論> は、<対称性の破れ(/・・・物理学で、ある

対象に、ある変換を行ったとき、法則が変わってしまうこと。) から、<標準モデルを包含し・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                             (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (158)

【支折の言葉・・・8/12 】


・・・超越するような大理論・・・> 模索されていますが、<宗教においては・・・3大宗

教を包含する様な・・・宗教的真理・・・> は、模索されていませんねえ、」

「うーん…」マチコが、うなづいた。「そうかあ…」

「ともかく…」高杉が言った。「(いにしえ)の人々は…

日常の中にあり…



 3月  26日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                                   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (159)

【支折の言葉・・・8/13 】


<会うも別れも・・・一会一期(いちえ・いちご/・・・ふつうは、一期一会 を使い、茶道に由来する日本のこ

とわざです。茶会に臨む際には、その機会は二度とくり返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、

亭主・客ともに、互いに誠意を尽くす心構えを意味します。)の心境・・・> をし、一時一時一歩一歩

を、大切に過していたのでしょう。

かつては、村や町を出る小旅行さえも、非日常的冒険だったのでしょう。そして、

も、ロマンをかき立てるものです。

しかし…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (160)

【支折の言葉・・・8/14 】


<科学技術文明/・・・還元論的な機械文明が・・・異常な形態で発達・・・> し…

生態系が、大きくバランスを崩し、<グローバル化・・・地球温暖化が進行・・・> して…

ロマンも、限界も見えて来ましたねえ。

<巨大な生態系/地球生命圏の・・・ホメオスタシス/恒常性・・・> バランスが崩

れ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                             人新世(アントロポセン)とは?            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (161)

【支折の言葉・・・8/15 】


<新人世/アントロポセン> 浮上し…

<新生代/第4紀/冠新世の終末・・・新人世・・・種の大量絶滅・・・> も、迫って来て

いる様ですねえ、」

「うーん…」マチコが言った。「そんなコトが、言われているわねえ…

それなのに、ロシアウクライナに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                       クリミア半島の幹線道路を走行するロシア軍=18日/AP     (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (162)

【支折の言葉・・・8/16 】


侵攻したりしてさあ。1番大問題は、<地球温暖化・・・海洋の酸性化> よねえ。

を考えているのかしら?

ともかく、昔の人は、こんな心配は、全く無かったわけよね。地球は、ともかく、無限大き

かったわけよねえ、」

昔の人は…」夏美が言った。「現在の、私達のように…

何処にいるか、全く分からないけど、携帯電話1本で繋(つな)がっている…



 3月  27日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                            <COP26>                   (ネットより画像借用)   白石夏美

《 支折の・・・徒然草 》 (163)

【支折の言葉・・・8/17 】


…という安心感は、なかったわけよね。

は、去年

<COP26(/国連気候変動枠組条約・第26回締約国会議)参加して、イギリス/グラスゴーから

電話したんだけど、マチコと同じように、お土産(おみやげ)頼まれただけでした。

もし、死んでしまったら、仕方ないということかしら。も…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                              (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (164)

【支折の言葉・・・8/18 】


…むやみに心配されるのは好きではないし、そんな母好きですわ、」

「うーん…」マチコが、うなづいた。「そうそう…

家出してさあ、新宿/歌舞伎町(しんじゅく・かぶきちょう/東京都・新宿区の町名・・・飲食店・遊技施設・映画

館などが集中する、日本最大の歓楽街。札幌のすすきの、福岡の中洲と並んで <日本三大歓楽街> と称されます。)あた

りをウロウロしていても、子供のことを、あまり心配していないわねえ、」

「うん…」夏美が、うなづいて…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《 支折の・・・徒然草 》 (165)

【支折の言葉・・・8/19 】


を当てた。「心配しているとは思うけど…

あまり心配していないわねえ。なんだかんだと言っても、日本が、平和だからかしら?」

「そうですね…」支折が、微笑した。「さあ、また脱線しないうちに、に進みましょうか…

ええと…次は <第八段> になりますね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (166)

第八段  世の人の心まどはす事、色欲にはしかず・・・>

【原文・・・9/1 】


世の人の心まどはす事、色欲にはしかず。人の心はおろかなるものかな。匂ひなどは

かりのものなるに、しばらく衣裳に薫物(たきもの/香をたいて、その香煙を衣服、頭髪、部屋などにしみこ

ませること。)すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ずときめきするものなり。



 3月  28日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (167)

【原文・・・9/2 】


久米の仙人(/大和の久米寺の開基。伝説的人物。生没年未詳。『今昔物語集/・・・12・24』 などに、逸話がありま

す。洗濯女の足に欲情して神通力を失い、その女を妻としたが、後に回復して都の造営に力を貸したという事です。)の、物

洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て、通(つう)を失ひけんは、誠に手足・はだへなどのきよら

に、肥えあぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (168)

【現代語訳・・・9/1 】


世の人の心をまどわすこととしては、色欲以上のものはない。人の心はおろかである

なあ。匂いなどというものは、かりそめのものなのに、一時的に衣裳に薫物(たきもの)

たきしいているだけと知りながら、何ともいえない匂いには、必ず心ときめいてしまう

ものだ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (169)

【現代語訳・・・9/2 】


久米の仙人が、洗濯していた女の脛が白いのを見て、神通力を失ったのは、まったく

手足・肌などの清らかで、肥えて色艶がいいのは、薫物でつけた人工的な匂いなどと

違って肉体本来の持つ魅力だから、なるほど久米仙人が神通力を失ったのももっとも

と思われる。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                              吉田兼好              (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (170)

【支折の言葉・・・9/1 】


「ふーん…」支折が、をすぼめて微笑した。「<兼好法師> も…

出家の身ながら、女性色香には手を焼いていた様子ですね。問題にしているのは、

社会的/文化的男女問題ですが、そもそもこれは、生物学的生殖における雌雄

発現から来ていますよね?」



 3月  29日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
地質年代/冥王代(めいおうだい) 半分は青い海をたたえ、半分は火の海が広がっている地球の姿。 (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (171)

【支折の言葉・・・9/2 】


「はは…」高杉が、アゴを当てた。「随分と遡りますねえ…

そういう意味では…

原初・地球生命体形成時期における…

<生命体の覚醒・・・

生きる、存続するという動因/・・・ベクトル(力と方向性)・・・分化・複雑化・多様性・・・巨

大な生命潮流の惹起(じゃっき/事をひきおこすこと)・・・>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                           地質年代/太古代(たいこだい)      (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (172)

【支折の言葉・・・9/3 】


…その中で、発現して来た、<さらに・・・大きな謎/神秘・・・> という、わけですかねえ。

ここが…

あって、初めて…

<ホモ・サピエンスの・・・

“種の・・・共同意識体”も形成されるわけであり・・・その中で、壮大な人間原理空間ス

トーリーが、豊かに時空間認識の座標に織り込まれ・・・波束の収束で析出?・・・歴史

性が結晶化・・・?>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
    地質年代/太古代(たいこだい) シアノバクテリア/ラン藻が、光合成で酸素を生産していた。 (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (173)

【支折の言葉・・・9/4 】


…している、わけでしょうかねえ。

ま、全ては…

<冥王代(めいおうだい/地質時代の分類の1つ。地球誕生から40億年前までの5億年間を指す。<太古代> の前の

時代。)・太古代(たいこだい/40億年前(/または38億年前)から25億年前までの間を指す。最初の生命が誕生した

と考えられる冥王代の次の時代。原核生物から真核単細胞生物が現れるまでで、<原生代/25億年前〜約5億4,100万

年前> の前の時代。かつては、英語のArcheozoicの直訳から、<始生代> と呼ばれていた。) に…

原初の、地球生命体が緩やかに育まれて…

それから…<シアノバクテリア(/ラン藻とも呼ばれます。酸素を発生する光合成(酸素発生型光合成)を行う原

核生物です。 酸素発生型光合成は、植物の光合成と基本的に同じものです。 シアノバクテリアの祖先は30~25億年前に

地球上に出現し、初めて酸素発生型光合成を始めました。)が・・・大量の酸素を地球に供給> され…

古生代/カンブリア紀の・・・生物種の爆発的な大発生> が、あったわけですかね。

そして…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
地質年代/冥王代 → 太古代 → 原生代(25億年前〜約5億4,100万年前)・・・エディアカラ生物群   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (174)

【支折の言葉・・・9/5 】


いいですか…

その過程で、<真核細胞の生物種は・・・生殖細胞を獲得・・・> し…

<雌雄に分離した個体は・・・さらに相補的(/互いに補い合うような関係にあること、相補するような関

係にあること。)に進化・・・> しながら…同時に、<意識体としての・・・自我をも獲得/覚

醒・・・> して、来たのでしょうか。

つまり…

この世界は…

<自我/主体・・・1人称の光景> として、覚醒され…


 3月  30日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
動物の、爆発的な多様化事象として知られる  <古生代・・・カンブリア爆発後の・・・海の様子>   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (175)

【支折の言葉・・・9/6 】


<この世・宇宙の/・・・認識世界が晴れ上がり・・・自己/自我に対する・・・他者とい

う対象性が構造化され・・・複雑な関係性の流れが、時空間ストーリーとして紡がれて

行き・・・>

その中に…

<性差/雌雄の関係性が・・・フェロモン(/動物・植物・微生物において、体外に分泌され同種の他個体

に作用して、ある特定の行動や生理的変化を起こす化学物質)・視覚・聴覚・潜在意識・等で・・・多様な関

性が・・・喜び・快楽・ ・・・ 

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
       
       ヒト/人間の意識・・・< 顕在意識 ・ 潜在意識 ・ 集合的無意識 > とは?  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (176)

【支折の言葉・・・9/7 】


・・・感動等で誘導され・・・ 一方、その反動として、多様な悲劇・不幸・艱難(かんなん/

困難に出あって苦しみ悩むこと)・等・・・> が、描かれて行く様ですねえ。

従って…

<兼好法師> は…

<ホモ・サピエンスの・・・種の共同意識体の座標に描かれて行く、フローチャート(/

flowchart /流れ図・・・プロセスの各ステップを箱で表し、流れをそれらの箱の間の矢印で表すことで、アルゴリズムやプロ

セスを表現する図。)について考察・・・> して、墨書コメントを加えていた、わけですねえ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
    
喜多川歌麿/浮世絵  『婦女人相十品 ポッピンを吹く娘』 大判錦絵 江戸時代 (18世紀)  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (177)

【支折の言葉・・・9/8 】


さて…

そこで、<色欲(しきよく)・・・とは?> という事になるのでしょうか、」

「うーん…」支折が、を傾げた。「そこまで…

大きく俯瞰(ふかん)してしまうと、男女機微(きび/表面にはあらわれない、微妙なおもむき。)も、何処か

へ消えてしまいますよねえ、」

「でもさあ…」マチコが言った。「そこを、省略してしまうと…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                          
  将棋盤                 (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (178)

【支折の言葉・・・9/9 】


私達は、一体、何者なのか、という事よねえ…

私達は…

将棋の駒(こま)の様に、すでに意味付加されていて…将棋盤の上に並べられているのよ

ね。<さあ・・・動け!・・・> と、言われているみたいに。<ハッと・・・自我が、覚醒して

みたら・・・そういう事なっている・・・> わけよねえ。



 3月  31日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                            
AI ロボット                (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (179)

【支折の言葉・・・9/10 】


<我/自己いう・・・かけがいのない存在・・・> はさあ、すでにココにあって、稼働状態

にあったワケよね。

<AI ロボット> も、頭脳内側から見れば、こんな感じなのかしら。意識無い、という

事になっているけどさあ、それは分からないわよね。条件は、そろっている様だし、」

「うーむ…」高杉が、アゴをひねった。「AI は、また別の機会に考えるとして…

昔の人は、<神は・・・実在する・・・> と、心底から信じていたわけです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                            
ガリレオ・ガリレイ        (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (180)

【支折の言葉・・・9/11 】


従って、そんなに複雑問題は、存在しなかったわけですねえ。近代科学と言われる、

<デカルトも・・・神の存在を信じていた・・・> わけです。

いや、待て…

<近代科学の父> と、呼ばれたのは、<ガリレオ(ガリレオ・ガリレイ・・・1564年~1642年/・・・イ

タリアの物理学者、天文学者。近代科学的な手法を樹立するのに多大な貢献をし、近代科学の父と呼ばれる。また天文学分

野での貢献を称えて、天文学の父、とも呼ばれる。) だったな。

<デカルトは・・・近代哲学の父/合理主義哲学の祖(/1596年~1650年は、フランス生まれの

哲学者、数学者。合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖。)・・・> と…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                            
ルネ・デカルト          (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (181)

【支折の言葉・・・9/12 】


…呼ばれていたのだったな。

まあ、ともかく…

ルネ・デカルト氏が、<この世を・・・物の領域と、心の領域に分断した・・・張本人・・・

です。そのくせ、自分チャッカリと、<神を信じていて・・・細目に関する、矛盾はな

かった・・・> わけですねえ、」

「あ…」マチコが言った。「<アインシュタイン> も、さあ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                   アインシュタイン        (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (182)

【支折の言葉・・・9/13 】


<サイコロの嫌いな(/アインシュタインは、“神は、サイコロを振り給わず” と言い、量子力学のコペンハーゲン解釈

と対立しました。)・・・神の存在を、信じていた・・・> と、言うわよねえ。本当に、<神様は・・・

実在・・・> するのかしら?」

「はは…」高杉が、を見た。「そうですねえ…

ま、しかし…

我々現代人の様に…

<神の存在> を、信じなくなってみると、様々な複雑課題を、説明しなければ…



 4月  1日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                                (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (183)

【支折の言葉・・・9/14 】


…ならなく、なるわけですねえ。

<暗黒物質/ダークマター・・・> がどうの…

<暗黒エネルギー/ダーク・エネルギー・・・> がどうの…

<宇宙定数・・・マイナスの重力/斥力・・・加速膨張宇宙の観測・・・> がどうの、と。

そして、最大の謎である…

<今、まさに現在・・・思惟している・・・自我/1人称の意識・・・の発現と・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                          ダークマターの観測結果と、理論の間に、予想外の不一致   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (184)

【支折の言葉・・・9/15 】


・・・相互主体性世界の、ストーリー性の流れ ・・・人間原理空間ストーリーの謎・・・>

ですねえ。

<自我/・・・意識は・・・

あまりにも身近過ぎて・・・外部からの観測は不可能・・・> なのでしょうか。<この世

/この世界の・・・全てを見渡す特異点であり・・・その壮大な心の重ね合わせが・・・

ホモサピエンスの種の共同意識の内部に・・・相互主体性の、夢の世界を構築・・・>

している、様子ですねえ。

まあ…

<神の存在> を信じるなら、<不思議な事は万事・・・神に任せればいい・・・> わけ

ですがね。アインシュタインも、最後の・・・拠り所 に、したようにです。

ちなみに…

<神が・・・サイコロを振るか/・・・ギャンブルが好きかどうか?> も、“まさに・・・神の

みぞ知る” ですが…」

「そうですね…」支折が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                   胎蔵界曼荼羅 (たいぞうかいまんだら)   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (185)

【支折の言葉・・・9/16 】


ユックリとうなづいた。「<曼荼羅(まんだら/密教で、仏の悟りの境地である宇宙の真理を表す方法として、

仏・ 菩薩 ぼさつ などを体系的に配列して図示したもの。 胎蔵界曼荼羅、金剛界曼荼羅、四種曼荼羅などがある。 転じて、

浄土の姿を図示したものなどに もいう。) は、そこを、うまく説明していますよね。曼荼羅の事に、

しいわけでは、ないのですが、」

「そうですねえ…」高杉が、を閉じて黙思した。「まあ…

この、眼前している…

<人間原理空間/・・・相互主体性世界・・・豊かで、儚(はかな)い・・・無限連鎖の夢の

結晶世界・・・> も…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                                 (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (186)

【支折の言葉・・・9/17 】


量子力学によれば・・・情報は必ず保存・・・ される、のでしたねえ。

膨大生命活動と共に、“意識の発現が・・・醸(かも)し出す・・・夢の世界・・・” は、無限に

増大・蓄積して行くのでしょうか?何処かへ・・・喪失する” という事は、無いのでしょうか

まあ…

<宇宙空間は・・・加速度膨張・・・> していて、その、<増大していく・・・真空の宇宙

空間は・・・



 4月  2日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                                  ブラックホールのイメージ         (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (187)

【支折の言葉・・・9/18 】


量子力学 において、巨大な謎になっているわけですねえ。

<真空> というのは…

かつては、<エーテル(/光の波動説において宇宙に満ちていると仮定されるもので、光が波動として伝搬するた

めに必要な媒質を言う。特殊相対性理論と光量子仮説の登場などにより、エーテルは廃れた物理学理論だとされている。)

と呼ばれたり…

<ディラックの海(/相対論的量子力学において、真空状態が負のエネルギーを持つ電子によって完全に占められ

ている状態であるというモデル。ディラック方程式の解が、負のエネルギー状態を持つことによって生じる問題を回避すべく、

英国の物理学者ポール・ディラックが空孔理論の中で提唱した。) と呼ばれたりして、いわゆる、<真空

= 無/虚無> 状態ではない、わけです。

そんな真空宇宙空間が…

加速度膨張していると、観測されているわけです。まあ、物理学的は、物理学者

であり、飯の種ですからねえ。しかし、に言わせれば、<そろそろ・・・物の領域と、

心の領域の・・・融合現象・・・> も、疑ってみる時期だ、という事です」

「あ…」マチコが言った。「そうかあ…

《 ブラックホールの・・・情報消失問題 》 で、やりましたよねえ。情報は、ブラックホール

に吸い込まれても、絶対に、失われてはいけない、わけよねえ。<ホーキング放射>

も、情報は失われずに、残るはずだと、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                                    ブラックホールの構造(M87銀河の場合)   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (188)

【支折の言葉・・・9/19 】


「そうです…」高杉が、うなづいた。「ここでも…

<物の領域> <心の領域> の、分断問題顕在化して来たと、疑って見るべきで

す。<物理学の・・・限界・・・> が、<文明の第3ステージ・・・意識・情報革命の時代>

を、切り開いて行くのかも知れません。

まあ…

物理学/・・・量子力学 は、<物の領域> のみを扱っているわけですから、これでい

い様にも、思えるのですが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
       
       ヒト/人間の意識・・・< 顕在意識 ・ 潜在意識 ・ 集合的無意識 > とは?  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (189)

【支折の言葉・・・9/20 】


<情報とは・・・そもそも、何なのか?・・・> と、いう事ですねえ。

<情報> とは…

インターネットの中に大量に飛び交っている様に、物質のみに付加しているわけではない

様です。意識も、情報なのでしょう。<心の領域・・・意識/自我は・・・全体が情報?>

なのでしょうか?」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                                                       (ネットより画像借用)     白石夏美

《 支折の・・・徒然草 》 (190)

【支折の言葉・・・9/21 】


「それでは…」夏美が、を当てた。「逆に…

<物の領域> も含めて、 <この世/・・・世界全体が・・・情報・・・> という事は、ない

のかしら?何処かで、聞いた気がします。<この世は・・・全て夢の世界・・・> だと、」

「まあ…」高杉が、を組み上げた。「確かに…

<この世/この世界全体が・・・夢の世界・・・> なのかも、知れませんねえ。そこで…



 4月  3日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                            
ルネ・デカルト          (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (191)

【支折の言葉・・・9/22 】


…また登場してくるのが、<デカルト(René Descartes、1596年3月31日~1650年2月11日/・・・54歳

です。

<この世/この世界> には、何もかも、確かなものはなく、全てが疑わしい世界だが…

1つだけ・・・確かなものを発見・・・> したのです。

それが、つまり…


我思う・・・ゆえに我あり・・・


…という、<哲学史上で・・・最も有名な命題の1つ・・・> と、言うわけです。

それを、この世界に下す(いかり)として、そこに <自我/自己・・・という小舟> を結び、

ああ、<自己が・・・確かに存在・・・> するなら、桟橋も、確かに存在し、向こうに見

えるも、確かに存在し、教会の屋根も、実在するのだろうと、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                       クリスティーナ(左) と デカルト(右) (ネットより画像借用) 

デカルトは、スウェーデン女王クリスティーナから招きの親書を3度受け取る。そして、4月にはスウェーデンの海軍提督が、軍

艦をもって迎えにきた。1650年1月から、女王のために朝5時からの講義を行う。2月に、風邪をこじらせて肺炎を併発し、死

去した。   

《 支折の・・・徒然草 》 (192)

【支折の言葉・・・9/23 】


「うーん…」マチコが、を当てた。「デカルトはさあ…

色々な事を考えたわけだあ。17世紀頃フランス人よねえ。そんなコト発見して、大喜び

していたわけかあ。

そして…

<この世/この世界を・・・物の領域と、心の領域に・・・分割・・・> して、より考察を深

めたりして。でも、54歳で、スウェーデン死去しているわねえ…」

「ええと…」支折が、マチコの方を見た。「そろそろ、徒然草に、戻りましょうか…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (193)

第九段  愛著の道・・・>

【 原文・・・10/1 】


女は髪のめでたからんこそ、人の目たつべかめれ。人のほど、心ばへなどは、もの

言ひたるけはひにこそ、ものごしにも知らるれ。ことにふれて、うちあるさまにも人の

心をまどはし、すべて女の、うちとけたるいも寝ず、身を惜しとも思ひたらず…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (194)

【 原文・・・10/2 】


…堪(た)ゆべくもあらぬわざにもよく堪へしのぶは、ただ色を思ふがゆゑなり。

まことに、愛著(あいぢゃく/・・・愛し執着すること。特に男女の気持ちを否定的に言う、仏教用語。)の道、その

根深く、源遠し。六塵(ろくじん/・・・六根…6つの感覚器官(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって、知覚される6つの刺

(色・声・香・味・触・法)。人間を汚す外界の刺激。)の楽欲(ぎょうよく/欲望)多しといへども、皆厭離(みな

・えんり)しつべし。その中に、ただ、かのまどひのひとつやめがたきのみぞ、老いたるも

若きも、智あるも愚(おろ)かなるも・・・



 4月  4日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (195)

【 原文・・・10/3 】


・・・かはる所なしとみゆる。

されば、女の髪すぢをよれる綱(つな)には、大象(だいぞう)もよくつながれ、女のはける

足駄(あしだ/雨の日などに履く、高い歯の下駄 。歯は差し歯で、磨り減ると差し替える。高下駄。)にて作れる笛

には、秋の鹿、必ずよるとぞ言ひ伝へ侍(はべ)る。自ら戒めて、恐るべく慎むべきは、

このまなどひなり。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (196)

【現代語訳・・・10/1 】


女は、髪が美しいのが人が目を止めるもののようだ。人柄、気立てなどは、ものを言

う気配に、物を隔てていても知ることができる。何かにつけて、何でもない人目を気に

しないようにしていても女は人の心を惑わし、すべて女は、落ち着いて寝ることもせず

・・・

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (197)

【現代語訳・・・10/2 】


・・・身を惜しいとも思わず、堪えられないようなこともよく堪えしのぶのは、ただ愛され

ようと思うがためである。

まったく、愛し執着する道は、その根は深く、その源は遠い。外の世界にはさまざまな

欲望をかきたてるものが多いが、皆厭(いと)い遠ざけることができる。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (198)

【現代語訳・・・10/3 】


その中に、ただ、あの情欲という惑い一つだけは、老いも若きも、知恵ある者も愚か

者も、一様に苦しめられるものと見える。

なので、女の髪筋をよった綱には、大きな象もよくつながれ、女のはいた履物で作っ

た鹿笛には、秋の牡鹿が必ず寄ってくると言い伝えるのである。自ら戒めて、恐れ慎

むべきは、この情欲という惑いである。


 4月  5日

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                              吉田兼好              (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (199)

【支折の言葉・・・10/1 】


「うーん…」支折が、を傾げた。「<兼好法師> は…

女嫌い主張しますが、それにしては、色事女性のことに、幾度言及していますよね。

これは、元官人らしいスタンス、という事なのでしょうか。嫌いではあっても、関心があり、

一言いいたいと…

古の社会では、現代のような、<情報過多社会/・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                            蔵人麴塵袍(くろうど・きくじんの・ほう)の冬の衣冠

蔵人は・・・六位でも昇殿を許され、常に天皇の側近にあるので、六位の蔵人で極﨟といわれる、第一の序列のものにも、天

皇が平常に召される麴塵(きくじん)の御袍(ごほう)を、特に下賜されることがあった。          (ネットより画像借用)  

《 支折の・・・徒然草 》 (200)

【支折の言葉・・・10/2 】


・・・娯楽過多社会> と違い、話題性も乏しかった様ですね。そこで女性問題は、一大

テーマだったのでしょうか?

そうは言っても、出家者には膨大修行があり、僧籍にある者には、衆生済度(しゅじょうさいど

/仏や菩薩が、現世で苦しみ悩んでいるすべての者を救済し、悟りへと導くこと。)責務もあったはずですよね。

<兼好法師> は…

裕福吉田神社血脈であり、官人/蔵人(くろうど/蔵人処に所属する、天皇の秘書官)経歴もあ

り、いわゆる…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                            道元禅師の最初の弟子・・・永平寺2世・懐奘(えじょう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (201)

【支折の言葉・・・10/3 】


僧坊(そうぼう/僧尼が居住する寺院付属の坊舎のこと。僧房とも書く。)で暮らす集団修行僧や、として

出世するエリート僧とも、違うというコトでしょうか。

自らの財力で、結んでいるわけですよね。鴨長明もそうでした。もっとも、当時土地

所有概念も薄く、邪魔にならない所なら、を結んで住んでも、文句は出なかったのでし

ょうか。

でも、それなら洞窟と同じで、誰でも入って来ます。多少の生活用具も、置いておけません

よね。したがって、いわゆる庵でも、粗末生垣ぐらいは、あったのでしょうか?」

「まあ…」高杉が言った。「そうですねえ…

<道元禅師> も、入宋修行(にっそう・しゅぎょう/・・・中国/宋に渡っての修行)を終えて帰朝し、京都

/建仁寺に入りますが、その後、京都深草(/京都市伏見区の北部に位置する地名。)を結び、と

書物には記されています。この庵で、懐奘(えじょう)弟子入りも、許しているわけですねえ。

そして、ここで…正法眼蔵 <第1巻目・・・弁道話> も、書き始めいます…」

「そこは…」支折が言った。「後に、宇治/興聖寺(こうしょうじ)になるわけですね?」

正確なことは…」高杉が言った。「分かりませんが…まあ、そんな所だと、思っています」

うーん…」支折が言った。「かつては…

<上皇が落飾(らくしょく/高貴な人が髪をそり落として仏門に入ること)して・・・僧籍になって・・・法皇

・・・> になるのをはじめとして、高貴な人々も、多く出家していていました。そういう人達

は、僧坊なんかには、入りませんよね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                             (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (202)

【支折の言葉・・・10/4 】


あ、申し訳ありません。余りにも、知識不足ですね。でも、その辺りも、気にかけていれば、

少しづつ、にも見えて来ると思います。

ええ、塾長は…

<第九段・・・愛著の道> は、どう思われるでしょうか?」

「うーむ…」高杉が、を傾げた。「そうですねえ…



 4月  6日

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                              吉田兼好              (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (203)

【支折の言葉・・・10/5 】


女性に対しては、“兼好法師の・・・抜群の評・・・” に、異論はありません。支折さんが、自

らの知識不足白状しましたが、もこの方面は、余りにも知識不足ですね。

しかし…

前に、言及しているように…


<自ら戒めて、恐るべく慎むべきは、このまなどひなり・・・/

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                             (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (204)

【支折の言葉・・・10/6 】



= 自ら戒めて、恐れ慎むべきは、この情欲という惑いである。>


…と言う <情欲> は…

生命進化過程で、生物個体生殖細胞システム獲得し…

雌雄生殖細胞合体という方法で、精密複製増殖システム確立した事から、いわ

ゆる、<情欲> というものも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                           (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (205)

【支折の言葉・・・10/7 】


発現しているという事です。

この生殖細胞による、個体複製増殖システムは…

生命体根源的条件1つで、<新陳代謝 → 構造化・進化・・・> 流れの中に、深く

組み込まれています。まさに、<神秘の・・・1つの果実/1つの領域・・・> を、形成して

いますね。

ともかく…

この<強力な動因・・・複雑化のベクトル/・・・力・方向性が・・・膨大な地球生命圏

を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                             世界樹                            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (206)

【支折の言葉・・・10/8 】


形成し、<情欲> も含めた壮大なさざめきと、食物連鎖起因する、無限連鎖野生

喧騒をもたらしています。いわゆる、人類文明競争型社会原型も、ここから来ていま

すね。

一方…

その、<生命潮流の中に・・・優しさや 、思いやりや 、愛情・・・真理の覚醒/悟り・・・

をも、もたらしている、という事です。おそらく、知的生命体獲得した…



 4月  7日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                           (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (207)

【支折の言葉・・・10/9 】


この、<野生の・・・食物連鎖の喧騒(けんそう)/・・・競争社会の貪欲(どんよく)・・・> を、

超えた、<生命潮流の新段階・・・人類文明の第3ステージ/意識・情報革命・・・>

と、重なって来るのでしょうか?

それにしても…

<現在/・・・21世紀の国際社会> 直面しているように…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
        ウクライナ西部のシウルテ村/・・・退役軍人組織が実施する民間人向けの軍事訓練。  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (208)

【支折の言葉・・・10/10 】


まだ、<ロシアの・・・ウクライナ侵攻のような・・・20世紀型戦争/・・・核戦争の脅威

・・・> が、容易復活している、わけですねえ、」

去年…」夏美が言った。「<COP26・・・イギリス/グラスゴー> 行った時には…

突然、こんな、<メチャクチャで・・・デタラメな戦争危機・・・> が、やって来るとは、まる

想像もしていませんでした。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
        <COP26・・・イギリス/グラスゴー> 中央は、グレタ・トゥーンベリさん  (ネットより画像借用)   白石夏美

《 支折の・・・徒然草 》 (209)

【支折の言葉・・・10/11 】


これで、<地球温暖化> がいっそう進み、この分だけ、<地球温暖化による・・・輻輳

危機・・・21世紀・大艱難(だいかんなん) は、深刻になる、という事でしょうか?」

「うーむ…」高杉が、うなづいた。「そういう事ですねえ…

とりあえず…

我々は、北原和也提唱して来ている、〔世界市民 = 連帯〕 の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                           世界滅亡後の未来は、どうなるのか?         (/ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (210)

【支折の言葉・・・10/12 】


創設や、〔地球政府/・・・地球連邦政府・・・〕創設の、胎動注視しましょう。それ

が、この事態反動実現されれば、<地球温暖化対策・・・パリ協定・・・> 遅れは、

挽回できる可能性があります。

人類が…

<地球政府/・・・地球連邦政府・・・> のもとで、貧富を正し、平等管理され…

<既得権や・・・有害な・・・戦争ゴッコ ・ 経済ゴッコ ・ 覇権ゴッコ・・・> 排斥して…

<究極的な・・・地球温暖化対策・・・//・・・人間の巣のパラダイム・・・> に、集中

る事が、出来ればですが…」



 4月  8日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (211)

第十段  家居のつきづきしく、あらまほしきこそ・・・>

【 原文・・・11/1 】


家居(いえい/家にいること)のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮の宿りとは思へど、興ある

ものなれ。よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、一(ひと)

はしみじみと見ゆるぞかし。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (212)

【 原文・・・11/2 】


今めかしくきららかならねど、木だちものふりて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、

簀子(すのこ/寝殿造りの庇の外側に張り出した縁。隙間を開けて、雨がたまらないようにしてある。)・透垣(すいがい

/間をあけて竹や木で組んだ垣根。)のたよりをかしく、うちある調度も昔覚えてやすらかなるこ

そ、心にくしと見ゆれ。

多くの工(たくみ)の心をつくしてみがきたて・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (213)

【 原文・・・11/3 】


・・・唐(から/・・・中国・唐王朝)の、大和(やまと/旧都の奈良)の、めづらしく、えならぬ調度ども並

べ置き、前栽(せんざい/植え込み)の草木まで心のままならず作りなせるは、見る目も苦し

く、いとわびし。

さてもやは、ながらへ住むべき。又、時のまの烟(けむり)ともなりなんとぞ、うち見るより

思はるる。大方は・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (214)

【 原文・・・11/4 】


・・・家居(いえい)にこそ、ことざまはおしはからるれ。

後徳大寺大臣(ご・とくだいじの・おとど/後徳大寺実定。藤原実定(1139~1191年)小二位左大臣。祖父の実能

が徳大寺実能とよばれるので区別して、後・徳大寺実定とよばれる。)の、寝殿に鳶(とび)(い)させじとて縄

をはられたりけるを、西行(西行法師/・・・西行の佐藤家は、徳大寺家に代々仕えていた。)が見て、


「鳶のゐたらんは、何かはくるしかるべき。此の殿の御心
(みこころ)、さばかりにこそ」


とて・・・



 4月  9日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (215)

【 原文・・・11/5 】


その後は参らざりけると聞き侍(はべ)るに、綾小路宮(あやのこうじの・みや)のおはします小

坂殿(こさか・どの)の棟に、いつぞや縄をひかれたりしかば、かのためし思ひいでられ侍

りしに、誠や、・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             『徒然草』/兼好法師            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (216)

【 原文・・・11/6 】


・・・


「烏(からす)のむれゐて池の蛙(かえる)をとりければ、御覧じて悲しませ給(たま)ひてなん」


と人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覚えしか。徳大寺にもいかなる故か侍りけん。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (217)

【現代語訳・・・11/1 】


住居がその人にふさわしく、あるべき姿であるのは、生きている間だけの仮の宿だと

は思っても、興が深いものだ。

身分・知識・品格などが立派な人が、のどかに住みなしている所は、さし入る月の色

も、ひときわしみじみと見えるものだ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (218)

【現代語訳・・・11/2 】


現代ふうにきらびやかではないけれど、木立が何となく昔めいた感じで、手を加えな

い自然な感じの庭の草も心ある様子で、簀子(すのこ)・透垣(すいがい)の配置も趣深く、何

気なく置いてある道具類も古風に思われて心が安らぐのは、奥ゆかしいものと思われ

る。



 4月  10日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (219)

【現代語訳・・・11/3 】


多くの職人が心をつくして磨き立て、中国の、日本の珍しく、並大抵でない道具類を

並べ置き、庭の植え込みまで自然のままでなく人工的に作っているのは、見た目に

も苦しく、たいそうわびしい。

そんな状態のままで、いつまでも住んでいられようか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (220)

【現代語訳・・・11/4 】


住んでいられるわけがない。また、火事によって焼けてしまい、烟(けむり)ともなるだろ

うと、見るとすぐに思われる。

だいたいは、住居にこそ、人となりは推し量られるものだ。

後徳大寺左大臣が、屋敷の正殿に鳶(とび)をおらせまいとして縄をお張りになったの

を・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (221)

【現代語訳・・・11/5 】


・・・西行が見て、


「鳶がいるのが、どうして不都合があろうか。この殿の御心はこの程度か」


といって、それ以後参上しなかったと聞いていましたので、

綾小路宮/性恵法親王(あやのこうじの・みや = しょうえほう・しんのう/亀山天皇の皇子性恵法親王。妙法院

延暦寺別院)門跡。綾小路に御所があった。)がお住まいの小坂殿(こさかどの/妙法院は綾小路の東にあったの

で、妙法院の別名と思われる。)の棟に、いつだったか縄をお引きに・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            吉田兼好/卜部兼好(うらべ・けんこう)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (222)

【現代語訳・・・11/6 】


・・・なっていたので、西行の例を思い出してありましたら、まあ、なんということでしょ

う。


「烏が群をなして池の蛙を取るので、宮さまは御覧になって悲しまれたからなのです」


と人が語ったのこそ、何と素晴らしいと思ったことでした。徳大寺のお屋敷に縄を張っ

ていたのも、どんな理由があったのでしょうか。



 4月  11日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《 支折の・・・徒然草 》 (223)

【支折の言葉・・・11/1 】


「ええ…」支折が言った。「<第十段> は、随分長いですね…

でも、ようやく、<兼好法師の・・・随筆/社会批評の・・・本質> というものが、(ほの)

見えて来た様ですね、」

「そうですねえ…」高杉が、明るい窓から入って来る…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                             (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (224)

【支折の言葉・・・11/2 】


春の風を受けながら言った。「うーむ…

冒頭の…


<家居(いえい)のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮の宿りとは思へど、興あるものな

れ。

/= 住居がその人にふさわしく、あるべき姿であるのは、生きている間だけの仮の

宿だとは思っても、興が深いものだ。>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                             紙本淡彩 一休和尚像/・・・ 一休宗純   (重文)  (ネットより画像借用)   

《 支折の・・・徒然草 》 (225)

【支折の言葉・・・11/3 】




という…

<この世は全て・・・現生の仮住まい・・・> という考え方は、仏教思想から来るものです

が、当時広く流布していた、<流行語/・・・流行思想・・・> だったのでしょうか。西方

浄土(さいほうじょうど/・・・阿彌陀仏の浄土。 この娑婆世界から西方に十万億の仏土を隔てたかなたにあるという安楽の

世界。 極楽浄土。)へ行くのか、地獄(じごく/・・・悪行を為した者の霊魂が、死後に送られ罰を受けるとされる世界。

厳しい責め苦を受けるとされる。 素朴な世界観では、地面のはるか下に位置することが多い。)へ行くのか、知りませ

んがね。

<一休禅師/一休宗純(いっきゅう・そうじゅん/1394~1481年/・・・室町時代の臨済宗・大徳寺派の僧。詩

人。説話のモデル。) 詩偈(しげ/・・・偈は、仏典における詩のこと。)にも…


      有漏路(うろじ/・・・迷い、囚われている姿)より・・・

      無漏路(むろじ/・・・悟りの姿)へ帰る・・・

      一休み・・・

      雨ふらば降れ・・・

      風ふかば吹け・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                             一休宗純               (ネットより画像借用)   

《 支折の・・・徒然草 》 (226)

【支折の言葉・・・11/4 】


    <  意 味  >

      人生というのは・・・

      この世からあの世へと向かう・・・

      ほんの一休み・・・

      雨が降ろうが、風が吹こうが・・・

      気にしない、気にしない・・・


…と言うものが、あります。

一休宗純は、兼好法師よりも…



 4月  12日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                             (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (227)

【支折の言葉・・・11/5 】


100年以上も後の、室町時代臨済宗・大徳寺派ですが、この世というのは…

<ほんの・・・ 一休み/一休(いっきゅう)・・・> と言っています。

現代人は…

知識として、徒然草・・・第十段 も、知っていますし、<一休禅師> 詩偈も知ってい

ます。しかし、その時代空気感というものは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                 西行(/平安時代) 宗祇(そうぎ/室町時代) 芭蕉(/江戸時代)   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (228)

【支折の言葉・・・11/6 】


…かすかに、想像してみるだけです。

そのための手段として、<随筆 ・ 和歌 ・ 詩偈 は・・・非常に貴重・・・> なわけですが、

今も言ったように、それらを通じて、かすかに、知る程度ですねえ、」

「でも…」支折が言った。「万葉集 以来

1000数百年の、王朝和歌華麗体系を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                            (ネットより画像借用)   

《 支折の・・・徒然草 》 (229)

【支折の言葉・・・11/7 】


…これ程、シッカリと、現代に残しているのは、世界中でも日本だけですわ。他国に、同様

な例は、無いと思います。

万葉集 <防人歌の・・・庶民の兵役の辛さ・・・> や、源氏物語 <古代長

編小説の・・・第1級・歴史資料・・・> は、現代生々しくその時代空気感を伝えて

来ますわ。

中国も、6000年歴史があると言いますが、日本和歌のようなものは無いですよね。

豊富にあった、儒教仏教関係遺物も…

<毛沢東(マオ・ツォードン/もう・たくとう/・・・中国共産党の創立党員の1人で、長征と日中戦争を経て党内の指導権

を獲得。日中戦争後の、国共内戦では蔣介石率いる国民党政府を台湾に追放し、1949年10月1日に中国大陸にて、中華

人民共和国の建国を宣言しました。1949年10月~1976年9月まで、同国の最高指導者でした。)の・・・文化大革

(/中華人民共和国で、1966年~1976年まで続き、1977年に終結宣言。これは、中国共産党・中央委員会主席・毛

沢東の主導による、文化改革運動を装った、奪権運動であり、政治闘争と言われています。

実際は・・・大躍進政策の失敗によって、国家主席の地位を、劉少奇・党副主席に譲った毛沢東・共産党主席が、自身の復権

を画策し、紅衛兵と呼ばれた学生運動や大衆を扇動して、政敵を攻撃させ、失脚に追い込むための官製暴動であり、中国共

産党内部での権力闘争だった、と言われています。) で、その多く喪失しています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                      文化大革命で・・・寺院は取り壊され、仏像は燃やされました。  (ネットより画像借用)   

《 支折の・・・徒然草 》 (230)

【支折の言葉・・・11/8 】


それは、日本にとっても大損失で、儒教仏教ルーツが、破壊された事になります」

「うむ…」高杉が、短くうなづいた。「アレは、大きな損失でしたねえ…

世界中文明遺物は、その多くは、戦争による破壊や、大自然風化喪失して来て

いますが、貴重文明遺産承知で、…



 4月  13日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
黒竜江省の省長/李范五氏・・・公の場で乱雑に頭髪を剃られ、毛沢東に対して何時間も頭を下げる。(ネットより画像借用)   

《 支折の・・・徒然草 》 (231)

【支折の言葉・・・11/9 】


…あえて、故意破壊されたものもあるわけです。

それが…

<毛沢東の・・・文化大革命による破壊・・・> であり、<アフガニスタンにおける・・・

巨大仏像の爆破/・・・バーミヤン大仏の爆破・・・> 等ですね。まあ、これらは、ごく

のもので、映像データは残っていますが、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
バーミヤン大仏、破壊前の貴重な写真。右足の上に数人の人。これが、さらに完全に爆破されました。 (ネットより画像借用)   

《 支折の・・・徒然草 》 (232)

【支折の言葉・・・11/10 】


「はい…」支折が、大きくうなづいた。「それにしても…

<この世の・・・仮住まい/住居・・・> も、ごく自然な、落ち着いた調和高く評価して、

唐物古都/大和遺物など、珍品をわざとらしく並べ立てるのを、兼好法師はひどく

キ下ろしていますよね。これは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                              吉田兼好              (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (233)

【支折の言葉・・・11/11 】


私達/現代人気分感覚と、同じですよね。まさに、私達もそう思いますから。

それとも…

私達のこうした感覚は、徒然草 を書いた <兼好法師> 感性が、ルーツになってい

るのでしょうか?」

「うーむ…」高杉が、ほくそ笑んだ。「案外…

兼好法師ルーツかも知れませんねえ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         

《 支折の・・・徒然草 》 (234)

【支折の言葉・・・11/12 】


ま、しかし、そうした批判精神は、美的感性良し悪しきも含めて、日本文化営々と育

んできたもの、という事でしょう」

「うーん…」マチコが、腕組みをした。「現代でも、あるわよねえ…

バカバカしいほどのお金をかけて、不似合いな並べたり身に付けたり食べたりして

さあ。

あ、でも…

自分お金で、勝手にやっているんだから…



 4月  14日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                           ビールの・・・泡        (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (235)

【支折の言葉・・・11/13 】


…それは、構わないけど。

それが、現代民主主義的価値観よね。かつてのバブル経済は、うーん…今もそんな

価値観だし…ビールの泡のようなモノだから…」

「それが…」夏美が、アゴを当てた。「現代的な、言い方かあ…」

「ええと…」支折が言った。「へ進みます…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                     『小倉百人一首/81番 → 後徳大寺左大臣』 <ジャンプ>   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (236)

【支折の言葉・・・11/14 】


<西行/・・・西行法師> の、が出てきますね…


<後徳大寺大臣(ご・とくだいじの・おとど)の、寝殿(しんでん/平安時代以後の公家の邸宅において、主人の

居所として中央部に設けられた施設。公家社会における儀式・行事の場所として中世・近世を通じて重要視された。)に鳶

(とび)ゐさせじとて縄をはられたりけるを、西行が見て、

「鳶のゐたらんは、何かはくるしかるべき。此の殿の御心、さばかりにこそ」

とて、その後は参らざりけると聞き侍るに・・・>


…という事ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                  貴族が居住した <寝殿造/しんでんづくり> の建物・・・中央が寝殿  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (237)

【支折の言葉・・・11/15 】


くり返しますが…

<兼好法師(/1283年~1352年頃) は、鎌倉時代” から…

“室町時代・前期” 範疇(はんちゅう/・・・区分、分類、カテゴリー)に入る、“南北朝時代” の人です

よね。

<西行法師(1118~1190年3月31日/・・・歌で予言したように、花/桜の下で他界・・・) は…

“平安時代・末期” から、“鎌倉時代・初期” の人であり、鎌倉幕府開闢(かいびゃく)する

<源頼朝> に、屋敷/大倉御所に招かれ、銀の猫を賜(たまわ)っていますよね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                           第74代/鳥羽天皇         (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (238)

【支折の言葉・・・11/16 】


それを直ぐに、近所で遊んでいる子供に、くれてやったとか。

ええ…

私メ(奴/メ・・・は、卑下する言葉。人や動物をののしり、卑しめたりする時に用いる。)の…

稚拙(ちせつ/幼稚で未熟なこと。)で、知識ですが、ここで <西行法師> に、少し触れて

きましょうか。

<西行> は、出家前は、<鳥羽上皇(/第74代天皇)の・・・北面武士(ほくめんの・ぶし/院御所

の北面(北側の部屋)の下に近衛として詰めて、上皇の身辺を警衛、あるいは御幸に供奉した武士のこと。)で・・・佐藤

義清(さとう・のりきよ)・・・> 名乗り

元々、佐藤家は…

ここに出て来る、<徳大寺家(/・・・後徳大寺大臣/後徳大寺実定・・・藤原実定(1139~1191年)小二位左

大臣。祖父の実能が徳大寺実能とよばれるので区別して、後・徳大寺実定とよばれる。歌人としても知られ、 『小倉百人一首

/81番 → 後徳大寺左大臣 としても、採られています。徳大寺は、京都北山の邸宅。) に、代々仕えていま

した。



 4月  15日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
      
西行(さいぎょう/平安後期の歌人・・・ 西行法師 (・・・菊池容斎画/江戸時代)   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (239)

【支折の言葉・・・11/17 】


つまり…

この 【 原文・・・11 】西行は…

<徳大寺家> 代々仕えていて、屋敷出入りしていた時のですね。あ、その後は、

行かなくなったとありますから、出家して自由の身となった、その後の話になるのでしょう

か。

さて…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                            西行法師                   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (240)

【支折の言葉・・・11/18 】


その若き日の、<西行法師/・・・佐藤義清(さとう・のりきよ) は…

北面武士として、<鳥羽院> に仕えていました。この鳥羽院は、崇徳(すとく)・近衛(このえ)

・後白河天皇の、3代/28年にわたり、<院政(いんせい/・・・天皇が譲位して上皇(太上天皇)となり、

政務を天皇に代わり直接行う形態の政治。摂関政治が衰えた平安時代末期から、鎌倉時代/武家政治が始まるまでの間

に見られた政治。ちなみに、天皇が皇位を譲ると上皇となり、上皇が出家すると法皇となりますが、上皇は <院> とも呼ば

れたで、<院政> と言います。) を行っています。

その…

<第74代/鳥羽天皇> には、 <徳大寺家から出た・・・中宮/璋子(しょうし、たまこ/・・・

崇徳・後白河、両天皇の母。) が、いたわけです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
  静嘉堂本 ・ 彰子行啓(ぎょうけい/・・・三后、皇太子、皇太子妃、皇太孫の外出をいう尊敬語。)  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (241)

【支折の言葉・・・11/19 】


中宮皇后の事ですね。そして、鳥羽天皇譲位して上皇になると、佐藤義清北面武

として、身近に仕えたわけです。

北面武士は…

警護に当たると共に、上皇御幸(ごこう、みゆき)の時は絵巻にある様に、装束を整えて、付

き従います。

天皇お出かけは、行幸(ぎょうこう・みゆき/・・・天皇が外出すること)・巡幸(じゅんこう/・・・天皇が各地をま

わること)と言いますが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
        待賢門院(たいけん・もんいん)・像/藤原 璋子・・・第74代天皇后  (法金剛院蔵)   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (242)

【支折の言葉・・・11/20 】


御幸(ごこう、みゆき)は、上皇・法皇・女院(にょいん/・・・三后(太皇太后・皇太后・皇后)や、それに準ずる身

(准后、内親王など)の女性に宣下された称号を指し、平安時代中期から明治維新まで続いた制度)の時に、使われ

る様です。

ええと、さあ…

<鳥羽天皇> が、譲位して上皇になると、身の回り格式も緩くなったのでしょうか。

中宮/待賢門院(たいけん・もんいん)・璋子> にも、義清親しく接する事が出来るようにな

った、と思われます。

代々…

大徳寺家に仕えていた…



 4月  16日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
        待賢門院(たいけん・もんいん)・像/藤原 璋子・・・第74代天皇后  (法金剛院蔵)   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (243)

【支折の言葉・・・11/21 】


佐藤家佐藤義清は、璋子とは子供の頃からの顔馴染みで、彼女にも可愛がられてい

少年だったのでしょうか?

ともかく…

西行待賢門院・璋子とは、17歳の年の差があった様ですね。でも、西行年上璋子

に、恋こがれ想いが叶(かな)わぬ、と知ると…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                             (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (244)

【支折の言葉・・・11/22 】


23歳、北面武士を辞して出家しています。でも、それでも想いが断てず、“彼女が・・・

亡くなるまで・・・慕い続けた・・・” 様ですね。

ええ…

小倉百人一首・・・86番/西行法師 は…


★ 嘆けとて 月やは物を 思はする 

             かこち顔なる わが涙かな  <ジャンプ>

 

         嘆け、と言って・・・

               月が私に、物思いをさせるのか・・・

                      いや、月は無心に照るばかり・・・

                   月にかこつけ、流れる出る・・・

                          私の、恋の涙なのだなあ・・・


…ですね。

この歌は、出家した後も、待賢門院(たいけん・もんいん)/璋子(しょうし、たまこ)を見たことか

ら…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                             藤原定家 (/伝・藤原信実・筆 ・・・鎌倉時代)   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (245)

【支折の言葉・・・11/23 】


作ったと言われています。流れ出る涙を、月のせいにせずにはいられないという、定ま

らぬ気持ちを、巧みに表している、と言われています。

ええと…

小倉百人一首 はご存知の様に、<藤原定家> 編集した、“百首に限定した歌集”

ですよね。西行法師は、その父親で…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                              藤原俊成              (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (246)

【支折の言葉・・・11/24 】


<歌道の家柄(/代々歌人や歌学者を生み、歌道の伝統を受け継ぎ伝え、歌界の指導的役割を果たした家柄。鎌

倉以後、藤原俊成・定家・為家の御子左家の子孫で、師範家となった為氏の二条家、為教の京極家、為相の冷泉家などをい

う。)・・・御子左家(みこ・ひだりけ)を創始した・・・藤原俊成(ふじわらの・しゅんぜい)・・・> とも、

のある、有名歌人でした。

<御子左家とは・・・

藤原北家・嫡流(ちゃくりゅう/本家の血筋)/御堂関白(みどう・かんぱく)・藤原道長の六男・・・権

大納言/藤原長家を祖・・・> とする、藤原氏系流ですね。

この御子左家で…



 4月  17日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                   源平合戦 「一の谷古戦場」 と悲話 「平敦盛と青葉の笛」 一の巻  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (247)

【支折の言葉・・・11/25 】


“平安時代・末期” から “鎌倉時代・前期” にかけて、著名歌人である <藤原俊成・藤

原定家・・・父子> 現れ、以来、<歌道の家柄(いえがら/・・・先祖から受け継いでいる家の格式。

その家に対する社会的評価を伴う。) として確立されています。

西行は…

この藤原俊成とも交流があり、当然、<源平の争乱(/古代末期に登場する清和(せいわ)源氏と、伊勢

(いせ)平氏との一連の対立・抗争事件。保元(ほうげん)の乱、平治(へいじ)の乱を経て平氏政権が誕生し、治承(じしょう)・寿

(じゅえい)の内乱後、源頼朝による鎌倉幕府開設に至ります。単に2氏の抗争ではなく、諸国に登場する開発領主、後の

地方豪族等による、全国的規模の武力抗争(/・・・内乱状況)。) に、“脇目も振らず・・・歌道に没頭・・・”

していた…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
      
西行(さいぎょう/平安後期の歌人・・・ 西行法師 (・・・菊池容斎画/江戸時代)   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (248)

【支折の言葉・・・11/26 】


定家とも、交わっていたはずです。

そして…

<定家> の方も、<式子内親王(しきし・ないしんのう)との・・・実らぬ恋・・・> 抱えていて、

<西行法師の様な・・・出家・放浪生活> にも、憧れたていたのでしょうか…?」

年齢が…」マチコが言った。「近かったのかしら?」

「うーん…」支折が、を傾げた。「西行は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
       
                    隠岐島の後鳥羽上皇          (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (249)

【支折の言葉・・・11/27 】


2度目 <奥州/平泉への旅(/東大寺再建の勧進のために、2度目の奥州行き。源氏が平氏を打倒し、頼

朝は天下平定の総仕上げとして、奥州・平泉/藤原氏の平定に、軍勢を差し向ける前夜でした。その途上、西行は鎌倉で、

頼朝と会っています。西行にとって、親戚筋の奥州・藤原氏には、いい土産話でした。日本海ルートで平泉に到達した、義経・

弁慶の一行とは、ニアミスですれ違ったのでしょうか・・・?) の後…

間もなく、“歌に詠んだ・・・望みどうりに・・・花の季節に他界・・・” していますよね。

定家の方は…

“鎌倉時代” に入って…

<後鳥院・院宣(いんぜん/上皇からの命令を受けた院司が、奉書形式で発給する文書。天皇の発する宣旨に相当

する。) の、新古今和歌集編纂し、<承久の乱> で、その <後鳥羽院/・・・後

鳥羽上皇> が、隠岐(おき/隠岐の島)配流(はいる/島流し)になった後も、出世しています。

やはり、西行父/藤原俊成の方に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                       小倉百人一首・・・89番/式子内親王 <ジャンプ>  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (250)

【支折の言葉・・・11/28 】


年齢が近かったんじゃないかしら?」

「そうかあ…」マチコが、両手を組んでを見た。

「あ、ついでに…」支折が、モニターをのぞいた。「<定家の・・・恋・・・> のことにも、少し

触れて置きましょうか…

<定家と・・・式子内親王(しきし・ないしんのう)の親密さ・・・> は、当時からウワサを立てら

れるほど…



 4月  18日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
  紫野斎院旧跡 (賀茂斎院)・・・櫟谷(いちいだに)七野神社  斎院跡石碑と、拝殿、および本殿  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (251)

【支折の言葉・・・11/29 】


…だった様です。事情を知る父/藤原俊成も、心配するほどだった様子です。

そもそも…

式子内親王 は…

第77代/後白河天皇第3皇女で…

後に、<賀茂斎院(かもさいいん/・・・斎院(さいいん)は、平安時代から鎌倉時代にかけて、賀茂御祖神社(下鴨神

社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の、両賀茂神社に奉仕した皇女で、伊勢神宮の <斎宮/さいぐう> と併せて斎王(斎皇

女)という。斎王の御所を指すこともある。賀茂斎王、賀茂斎院とも称する。)

<新三十六歌仙(/後鳥羽院より藤原秀能まで、新古今期以降鎌倉時代中期までの代表的歌人36人を挙げ、そ

の秀歌を10首ずつ選んだもので、通常 「新三十六歌仙」 といえば、これを指します。)

<女房三十六歌仙(/鎌倉中期に成立した 『女房三十六人歌合』 に歌を採られた女性歌人36人を指します。当該

歌合は・・・藤原公任の 「三十六人撰」 に模倣して作られ、左方に小野小町から相模までの中古歌人を、右方に式子内親王

から、藻璧門院少将までの中世初頭の歌人を配し、一人三首ずつ番わせた紙上の歌合。) の、1人になります。

彼女若い頃

皇女(たしな)として、<定家の父/藤原俊成> から…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
 小倉百人一首・・・89番/ 式子内親王  小倉百人一首・・・97番/権中納言定家  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (252)

【支折の言葉・・・11/30 】


和歌の教えを受けていました。そのつながりで、定家とも親しく話すようになった、と考え

てられています。

2人の恋は…

何故不毛(ふもう/土地がやせていて作物などが育たないこと。そこから、何の進歩も成果もないことのたとえ。)

実らなかった…のかと言うと、内親王天皇の血縁だったからですね。その高貴血筋

えに、異性と親しくなる事は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
        
                                              (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (253)

【支折の言葉・・・11/31 】


厳禁だったのです。むやみに血が混じると、天下騒乱元凶にもなります。皇室/天皇

の、最も嫌う所です。

の…

(つたな)い知識ですが…

<内親王/・・・天皇の姉妹 、および皇女(こうじょ/天皇の娘) が、結婚を望むのであれ

ば、皇籍を離れて、天皇許可する人物と、結婚する事も、可能だった様です。そして

に、豊かなの村落などの領地が与えられて…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
       
           土佐日記  大湊から奈半の地図 <ジャンプ>   紀貫之  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (254)

【支折の言葉・・・11/32 】


…そこに、末永く根を下ろした、のでしょうか。

土佐日記 ・・・<ジャンプ> にも、出てきますが…

京/都から赴任する <国守(こくしゅ/・・・国司(こくし)の長官。国司は、(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目

(さかん)/・・・中級貴族> は、年貢管理と同時に、こうした皇籍離脱した高貴な家柄

の、守護任務もあった様ですね。

国守庇護する事によって、都/朝廷とのつながりも、保障されたわけです。



 4月  19日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                       小倉百人一首・・・89番/式子内親王 <ジャンプ>  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (255)

【支折の言葉・・・11/33 】


でも…

式子内親王もそうですが、結婚しない内親王も多かったのでしょうか?他にも、内親王

悲恋話が伝わっていますよね。内親王は、高貴血筋ゆえに、天皇制/皇統維持犠牲

になって来たのでしょうか。でも、その運命なりに、シッカリと生きているわけですが。

ええ、ともかく…

<式子内親王の方が・・・定家より、一回りほど年上・・・> の様ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
        待賢門院(たいけん・もんいん)・像/藤原 璋子・・・第74代天皇后  (法金剛院蔵)   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (256)

【支折の言葉・・・11/34 】


<徳大寺家の・・・待賢門院/璋子・・・> 同様に…

<第77代/後白河天皇の・・・第3皇女/式子・・・> も、高貴であり、歳上であり、

れの女性イメージ…なのでしょうか?

定家の場合は…

自身の日記/・・・

明月記(めいげつき/・・・藤原定家の日記。治承4年~嘉禎元年(1180年~1235年)までの56年間にわたる克明

な記録。2019年に、日本天文遺産にも選定されています。『明月記』の天文記録としては・・・<かに星雲を生んだ超新星

爆発(SN 1054)の記述>・・・ があることが有名です。これは定家の出生以前の出来事であり、陰陽師(おんみょうじ)

報告した過去の記録が、日記に残されたものです。) に、第一級歴史的資料と共に、これらのエピソ

ードも、残っている様です」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
        
                   『明月記』/藤原定家の日記・自筆本 ・・・ 国宝    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (257)

【支折の言葉・・・11/35 】


明月記 は、さあ…」マチコが言った。「何度も、聞くわよねえ…」

「そうですね…」支折が、うなづいた。「ええと、を戻しましょうか…

ともかく…

<北面武士/佐藤義清(さとう・のりきよ) は、左兵衛尉(さひょうえの・じょう/左兵衛府の第3等官。

大・少尉がある。)となりましたが…

保延六年(1140年)<23歳で出家し・・・東北や四国など・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                  『新古今和歌集』 巻1 春歌上 源通具・藤原有家・藤原定家・藤原家隆・藤原雅経・寂蓮撰 

                                 1654年(承応3)刊  国立国会図書館所蔵  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (258)

【支折の言葉・・・11/36 】


・・・全国を、歌を詠みながら、放浪・・・> しています。<三大漂泊詩人・・・西行・宗祇

(そうぎ)・芭蕉・・・> の、先走り(さきばしり/先に立って走ること。他に先んじて、物事をすること。)ですね。

ええ…

<西行の歌は・・・約2300首> が伝わっています。勅撰和歌集(ちょくせん・わかしゅう/天皇や

上皇の勅宣によって編纂された公的な歌集。『古今和歌集』 『新・続・古今和歌集』 までの二十一代集。)では…

詞花集(詞花和歌集/しか・わかしゅう・・・八代集の第六にあたる勅撰和歌集。10巻、総歌数409首。) に、初出

で…1首

千載集(千載和歌集/せんざい・わかしゅう・・・『詞花集』の後、『新古今集』の前に位置し、八代集の第七である。一条

朝の正暦年間を上限に、代々の勅撰集に漏れた秀歌や、当代の歌人の作品を収める。選歌の方針は格調と抒情性を重ん

じ、藤原俊成が唱えた 「幽玄」 の心や、本歌取りなどの技巧を特色とする。先の 『詞花集』 に反して、当代重視主義に戻り、

同時代の入集歌数は全体の半数に及んだ。また、僧侶歌人の比率も2割と高い。20巻。約1290首) に…18首

新古今集(新古今和歌集/しんこきんわかしゅう・・・鎌倉時代初期に編纂された勅撰和歌集。全二十巻。いわゆる八

代集の最後を飾る。後鳥羽上皇の命で藤原定家・藤原家隆・寂蓮 (じやくれん) らが撰び、上皇の親撰。幽玄・妖艶・象徴的

ないわゆる新古今調をつくり、万葉・古今とともに三大歌風をなす。本歌取り、体言止め、三句切れなどが特色。1205年完

成。20巻。約1980首。) に…94首で、入撰数第1位



 4月  20日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
    
       『山家集類題』 西行歌集 版本 私撰和歌集 西行法師 六家集 和本 古文書  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (259)

【支折の言葉・・・11/37 】


<全・勅撰和歌集/・・・二十一代集> には…合計265首入撰しています。それか

ら、<家集( かしゅう/個人の歌集。勅撰集に対して、平安朝の私家集をいうことが多い。)には、山家集(さ

んかしゅう/約1560首を収録。増補本では300首余が増加。 正確な成立年は不詳ですが、治承・寿永の乱(源平合戦)

の最中か、その直後、と推定されます。 俊成・良経・慈円・定家・家隆ら、5名の家集とともに、<六家集> の1つ。) が、

ありますよね。

また…

新古今和歌集当時は、<・・・秋の夕暮・・・> という、結句(けっく/終わりの句)流行

ていた様ですが、それを含む3首名歌を、<三夕の歌さんせき・のうた と、言うそうで

す。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
        
      『小倉百人一首・・・70番/良暹法師(りょうぜん・ほうし) <ジャンプ>  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (260)

【支折の言葉・・・11/38 】


3首のうちに、西行も入っています。有名歌人実力もあるから、当然なのでしょうか。

あ、でも、<・・・秋の夕暮・・・> の、先走りは…

小倉百人一首・・・70番/良暹法師(りょうぜん・ほうし) の、の様です。


★ さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば

                    いづくも同じ 秋の夕暮

                                              <ジャンプ>

でも、この歌 新古今和歌集 ではなく、後拾遺和歌集(ごしゅうい・わかしゅう/八代集の第四、

『拾遺集』 の後継たるべく編まれた勅撰和歌集。勅命は白河天皇、撰者は藤原通俊。20巻、1218首)/秋・333

に、収録されています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
        
                                                    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (261)

【支折の言葉・・・11/39 】


三夕の歌
(さんせき・のうた/・・・『新古今和歌集』 所収の、「秋の夕暮れ」 を結びとした、3首の名歌)


寂しさは その色としも なかりけり

                   槙(まき)立つ山の 秋の夕暮

                            寂蓮法師/新古今和歌集 の編者の1人


★ 心なき 身にもあはれは 知られけり

                  鴫(しぎ)立つ沢の 秋の夕ぐれ

                                                 西行法師

                  
★ 見わたせば 花も紅葉も なかりけり

                   浦の苫屋(とまや)の 秋の夕ぐれ

                           藤原定家/新古今和歌集 の編者の1人


…ですね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
        
                   『小倉百人一首・・・87番/寂連法師』 <ジャンプ>  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (262)

【支折の言葉・・・11/40 】

 
「うーん…」マチコが、ユックリとうなづいた。「<三夕の歌> はさあ…

何処かに、書き留めて置いたわねえ…何処か、忘れてしまったけど…」

も…」夏美が言った。「<寂蓮(じゃくれん)法師> と…

<藤原定家> は、聞いた事があるわね。<西行法師> は、初めて…」

<寂蓮法師>の…」支折が言った。「<三夕の歌> は…

小倉百人一首とは、少し違うようですね。何句も作って、秀句2つあったわけか

しら?

 
  ★ 寂しさは その色としも なかりけり 槙
(まき)立つ山の 秋の夕暮   

                                                    <3夕の歌/寂連法師>

  ★ 村雨の 露もまだひぬ の葉に 霧たちのぼる 秋の夕ぐれ 

                                                 <百人一首…87/寂連法師>


…という、事だけど、」



 4月  21日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
        
                    寂蓮 (/歌川国芳・画)        (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (263)

【支折の言葉・・・11/41 】


寂蓮という人は…」マチコが言った。「この人も、僧侶なのかしら?」

「あ、そうです…」支折が言った。「<寂蓮> は…

<藤原俊成> 弟/僧・俊海です。確かな知識ではないんだけど、出家して子供

が育てられなくなり、久安6年(1150年)に、叔父/藤原俊成養子となっています。

寂蓮は、長じて…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                藤原俊成・・・『源氏物語』を読んでいない詠作者は、誠に残念である・・・  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (264)

【支折の言葉・・・11/42 】


従五位上・中務少輔(なかつかさの・しょうゆう/中務省(なかつかさしょう、は律令制における八省の1つ)の、次官。

定員1人。従五位上相当。)に至っていますが、30歳代同様出家しています。西行と似て

いますね。歌道精進するための、出家の様です。

<寂蓮は・・・御子左家の、中心歌人・・・> として活躍していています。<六百番歌合

(ろっぴゃくばん・うたあわせ/・・・鎌倉時代に藤原良経の主催でなされた歌合。 判者/藤原俊成の判詞/「・・・源氏見ざ

る歌詠みは遺恨の事なり・・・/『源氏物語』を読んでいない詠作者は、誠に残念である・・・」などで知られ、後の「千五百番

歌合」とならび、歌合の最高峰と評される。)での・・・

顕昭(けんしょう/・・・歌僧で、亮公(すけの・きみ)、亮阿闍梨(すけの・あじゃり)とも呼ばれる。『六百番陳状』 「六百

番歌合」の判者/藤原俊成への反駁文です。「千五百番歌合」などの判者も勤めている。)との・・・

独鈷鎌首論争(どっこ・かまくび・ろんそう/・・・「六百番歌合」 のとき、顕昭が独鈷杵(どっこしょ/・・・密教で用いる

法具)を手に持ち、寂蓮が首を鎌首のようにもたげて論争したのを、左大将藤原良経家の女房たちが、「例の・・・独鈷鎌首」

と、あだ名したという所から)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
        
                    独鈷杵(どっこしょ/・・・密教で用いる法具)   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (265)

【支折の言葉・・・11/43 】


…は、有名という事です。

ええ…

寂蓮は、建仁元年(1201年)に…

<和歌所寄人(わかどころ・よりうど/・・・寄人とは、平安時代以来、朝廷の官衙である記録所・御書所・和歌所、院文

殿(いんのふどの)、後院や、鎌倉幕府の公文所・政所・問注所、室町幕府の政所・問注所・侍所などにおかれた、職員のこと。

<和歌所寄人>・・・は和歌の選定をつかさどり、特別に召人(めしうど)と呼ばれましたが、それ以外の寄人は、事務能力に

熟達した者が選ばれ、庶務、執事などを担当した。) …となり、新古今和歌集撰者1人、となっ

ています。

でも、その歌集完成を待たずに、翌年/建仁2年(1202年)に、64歳で没しています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
        
              『小倉百人一首・・・80番/待賢門院・堀川』 <ジャンプ> (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (266)

【支折の言葉・・・11/44 】


それから…

ええと、小倉百人一首・・・80番/待賢門院・堀川 という(待賢門院・堀川/・・・ 一時期、前

斎院六条(さきの・さいいんの・ろくじょう)と呼ばれていた。女房三十六歌仙・中古六歌仙の1人。父は神祇伯/源顕仲。)

がいますが、待賢門院に仕えた、女房呼名ですね、」

「うーん…」マチコが、を傾げた。「なんか、男性名前みたいよねえ…」



 4月  22日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
        
              『小倉百人一首・・・53番/右大将道綱母』  <ジャンプ>  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (267)

【支折の言葉・・・11/45 】


「そうですね…」支折が、うなづいた。「中世(/日本の中世は・・・一般に、平安時代後期(11世紀後半)から

、戦国時代(16世紀)にいたる、およそ500年間をさしている。)では…

女性名前では、男女のいずれか分からないモノがありますね。<清少納言> や、<紫

式部> <赤染衛門(あかぞめえもん) や…

更級日記(さらしなにっき/『蜻蛉日記』 『紫式部日記』 などと並ぶ、<平安・女流・日記文学> の代表作の1つ・・・

東国・上総の国府に任官していた父・菅原孝標の任期が終了したことにより、寛仁4年(1020年)9月に上総から京の都へ

帰国するところから起筆。『源氏物語』 を読みふけり、物語世界に憧憬しながら過ごした少女時代。度重なる身内の死去に

よって見た厳しい現実。祐子内親王家への出仕。30代での橘俊通との結婚と仲俊らの出産。夫の単身赴任。康平元年秋

の夫の病死。子供たちが巣立った後の孤独の中で、次第に深まった仏教傾倒までが、平明な文体で描かれています。全1

巻。) の…

<菅原孝標女(すがわらの・たかすえの・むすめ/・・・<菅原道真> の5世孫にあたる菅原孝標の次女) や…

蜻蛉日記(かげろうにっき/・・・天暦8年(954年) ~ 天延2年(974年)の出来事が書かれており、成立は天延2年

(974年)前後と推定される。上中下の全3巻。

内容は・・・

夫である藤原兼家との結婚生活や、兼家のもうひとりの妻である時姫(藤原道長の母)との競争。夫に次々とできる妻妾につ

いて書き、また唐崎祓・石山詣・長谷詣などの旅先での出来事。上流貴族との交際、さらに母の死による孤独、息子藤原道

綱の成長や結婚。兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取った養女の結婚話とその破談についての記事。藤原道綱母の

没年より約20年前、39歳の大晦日を最後に、筆が途絶えています。

歌人との交流についても書いています。掲載の和歌は261首。なかでも 「★ なげきつつ ひとりぬる夜の あくるまは 

いかに久しき ものとかは知る 」 は、『小倉百人一首』 にとられています。女流日記のさきがけとされ、『源氏物語』 をは

じめ、多くの文学に影響を与えました。また、自らの心情や経験を客観的に省察する、自照文学の嚆矢(こうし)ともされていま

す。) の…

<藤原道綱母(ふじわらの・みちつなの・ はは/・・・平安時代中期の歌人/藤原倫寧(ふじわらの・ともやす)の娘。

『更級日記』 の菅原孝標女の、母の、異母姉に当たる。

『尊卑分脈』 に・・・「本朝第一美人三人内也/・・・日本で最も美しい女性三人のうちの一人である」 と書かれていますが、

尊卑分脈は間違いも多く、根拠は判然としない・・・) も、そうですね。

この時代は、女性実名を、明白にしない風習があった様です。

出仕している主人を明かし、下に候名(さぶらいな/・・・もとは 『源氏物語』 の帖名をとって命名したの

<源氏名/げんじな> という。宮中の女官には、<候名/さぶらいな><殿名/とのな><小路名/こうじな>

どの使用例があります。)を付けています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《 支折の・・・徒然草 》 (268)

【支折の言葉・・・11/46 】


またその候名(さぶらいな)も、父兄の官職とか、その娘とか、住んでいる場所とか、にしてい

る様ですね。

ちなみに、待賢門院・堀川も、待賢門院に仕えていました。父親は、神祇伯(じんぎはく

/従四位下相当)・顕仲(あきなか)で、神官たちを統率する役所の、長官ですね、」

「そうかあ…」マチコが言った。「だから、待賢門院・堀川は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
        待賢門院(たいけん・もんいん)・像/藤原 璋子・・・第74代天皇后  (法金剛院蔵)   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (269)

【支折の言葉・・・11/47 】


…この女房名に、前斎院六条(さきの・さいいんの・ろくじょう)と呼ばれていた時期があったわ

けかあ。斎院をやっていたわけよね?」

「うーん…」支折が、うなづいた。「その様ですね…

あ、ついでですから…

<西行> <待賢門院・璋子> 関係を、もう少し掘り下げて見てみましょうか。肖像

の様に、<待賢門院・璋子> は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
        
                   『小倉百人一首・・・77番/崇徳院』  <ジャンプ>  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (270)

【支折の言葉・・・11/48 】


永治2年(1142年)2月に、落飾(らくしょく/高貴な人が髪をそり落として仏門に入ること)しています。

に入ったわけですね。

実は、その前年に…

<第75代/崇徳天皇> が、皇位(お)われ退位しています。その事情は後で述べ

ますが、待賢門院はその我が子に殉(じゅん)出家した様です。あ、崇徳院は、小倉百

人一首 にも、採られていますよね。



 4月  23日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
        
                   第72代/白河天皇 (/上皇・法皇)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (271)

【支折の言葉・・・11/49 】


そして、待賢門院・堀川も、待賢門院殉じて出家しています。

女性も、主人殉じる(じゅんじる/・・・命をささげる、後を追う、)という事もあるわけですね。

あ、ええと…

<大徳寺家の・・・璋子(しょうし)/待賢門院(たいけんもんいん) は…

<第74代/鳥羽天皇の・・・中宮/皇后> なる前に、<第72代/白河天皇・・・白

河上皇・法皇の・・・養女・・・> として…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
        
                   第74代/鳥羽天皇(/上皇)        (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (272)

【支折の言葉・・・11/50 】


…育てられています。非常に美しい娘という事で、そんな運びになっていたのでしょうか。そ

して、<強力な院政を敷く・・・上皇・・・> と、情を通じているとのも立っていました。

所内で、そういう事になれば、周囲にも分かるわけです。

それから…

<鳥羽帝の・・・内裏・・・> に入って、中宮となり…

<第1皇子/・・・後の、崇徳天皇・・・> が、産まれています。こんな、人道的横暴が、

公然と為されていたのも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《 支折の・・・徒然草 》 (273)

【支折の言葉・・・11/51 】


<摂関政治(/御堂関白・藤原道長の栄華を頂点とする、摂政・関白による政治。)が弱体化し・・・上皇に

よる、院政の時代・・・> となり、上皇膨大権勢集中して、何でも思いのままだった

からです。

<鳥羽天皇> も、<院政を敷いていてる・・・父/白河院・・・> には、全く頭が上がら

に、白河院在世中は、コトを荒げる事もなく、<待賢門院との間に・・・多くの、皇子

・皇女> を、もうけています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
        
                   『小倉百人一首・・・77番/崇徳院』  <ジャンプ>  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (274)

【支折の言葉・・・11/52 】


そして…

第1皇子が、5歳になった時…

<白河院は・・・鳥羽帝を譲位させて・・・幼帝/崇徳天皇を・・・即位・・・> させました。

ここまでは、順調に、<絶対権力者/・・・白河院・・・> の、思いのままでした。

でも、やがて、崩じられると、一気問題噴出しました…」



 4月  24日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
  
        <日本古代史・最大の内戦・・・壬申の乱 (じんしんのらん)> 最後の 「瀬田川の戦い」   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (275)

【支折の言葉・・・11/53 】


「うーん…」マチコが、を揺らした。「<第38代/天智天皇> も、そうよね…

絶対権力者崩御すると、それまでの権力構造が、一気に瓦解するわよね。天智天皇

崩御でも、日本古代史における、最大の内戦・・・吉野出兵 → 壬申の乱・・・> とな

り、<第40代/天武天皇の・・・飛鳥浄御原宮(あすか・きよみがはらの・みや/・・・天武天皇と持統天

皇の2代が営んだ宮)での・・・国造り・・・> と…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
        
                   第72代/白河天皇 (/上皇・法皇)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (276)

【支折の言葉・・・11/54 】


進んで行くわよね、」

「そうですね…」支折が、を撫で下ろした。「<白河上皇> 場合も…

問題元凶は、<白河上皇/白河院の・・・理不尽な横暴・・・> です。そして、<天智

天皇> 場合も、<大海人皇子(おおあまの・みこ)/・・・後の、天武天皇の都落ち・・・>

から、始まっています。

でも…

当時、それは、天皇上皇決定した事です。間違い、という事では無いわけですね。

は、歴史については詳しくはないのですが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                <御堂関白(みどう・かんぱく)と言われ、栄華を極めた・・・藤原道長>   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (277)

【支折の言葉・・・11/55 】


白河院が…

<歴史的に・・・摂関政治(/藤原氏の、摂政・関白による政治を終わらせ・・・院政(/皇位を譲って上

皇となり、上皇が直接的に行う政治形態。摂関政治が衰えた平安時代末期から、鎌倉時代/武家政治が始まるまでの間に

見られた政治形態。)に変えた・・・> と、いう事なのでしょうか?」

「うーむ…」高杉が、アゴをひねった。「も、歴史は詳しくはないですねえ、」

「はい…」支折が、小さくうなづいた。「ともかく…

最初は、おとなしい天皇でしたが、やがて膨大な権勢掌握し、無意味暴走して行きま

すよね。<出家し・・・法皇となった身・・・> で、人間的器量が、露呈しています。

うーん…

どうなのでしょうか? <御堂関白(みどう・かんぱく)・藤原道長> や… 

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                              第21代/雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)      (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (278)

【支折の言葉・・・11/56 】


<江戸幕府/・・・8代将軍・徳川吉宗> の様に、最初権力とは遠い位置にいて、

運命の様にその座到達すると、大化けする権力者がいます。この白河院も、大化けした

のでしょうか??

ええと、だいぶ遡りますが…

<第21代/雄略天皇ゆうりゃくてんのう/考古学的に、実在がほぼ確定している最初の天皇。

允恭天皇(いんぎょうてんのう)の第5皇子・・・反抗的な地方豪族を武力でねじ伏せて、帝権を飛躍的に拡大させ、強力な専

制君主として君臨したとされます。

『日本書紀』 の暦法が、雄略紀以降とそれ以前で異なること・・・『万葉集』『日本霊異記』 の冒頭に、その名が掲げられ

ていることから、雄略天皇の時代が、歴史的な画期であったと、古代の人々が捉えていたことが窺えます。それまでの日本

列島は各地の有力豪族による連合体でしたが、雄略天皇の登場により大王による専制支配が確立され、大王を中心とする

中央集権体制が始まった、とする見方もあります。 や…

あげた <第38代/天智天皇> も、そうなのかしら?



 4月  25日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                                   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (279)

【支折の言葉・・・11/57 】


彼等場合は、元々が荒ぶっていて、即位邪魔存在を、次々に抹殺して行った、とい

う事なのでしょうか?」

「うーむ…」高杉が、アゴを当てた。「<絶対的な・・・権力者> になってみて…

“何でも・・・出来る・・・” というのも、案外、味気の・・・ないもの・・・ ですねえ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
         (ネットより画像借用)   第21代/雄略天皇の祖父・・・第16代/仁徳天皇  仁徳天皇・陵/世界遺産 

《 支折の・・・徒然草 》 (280)

【支折の言葉・・・11/58 】


<第38代/天智天皇> は…

<実弟/大海人皇子(おおあまの・みこ)の・・・妃/歌人/額田王(ぬかたの・おおきみ)・・・> を、

2人の間(/十市皇女・・・後の、大友皇子/第39代・弘文天皇の正妃。大友皇子は壬申の乱で破れています。

が、産まれているのにもかかわらず、召し上げて、自分としています。

これは、古代ロマンとして語られていますが、絶対権力を・・・弄(もてあそ)んでいる・・・ とし

か、思えませんねえ、」

「そうですね…」支折が、モニターを覗(のぞ)いた。「何度か…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
         現在の蒲生野  ★ あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (281)

【支折の言葉・・・11/59 】


考察していますが、おさらいをかねて、重ねて述べておきましょうか。

万葉集 にある…

蒲生野(がもうの)での有名な歌は、<額田王> も、<大海人皇子> も、まだ未練たっぷり

な様子です。これは、非常有名な歌ですが、小倉百人一首 には、採られていません。

<藤原定家> は、何故か、1番目の歌を・・・天智天皇 から、始めています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                    ★ あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (282)

【支折の言葉・・・11/60 】


そして、2番目の歌が・・・持統天皇 ですね。

あ、ええと…

万葉集 の、蒲生野(がもうの)は…


★ あかねさす 紫野(むらさきの)行き 標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る

                                               (額田王)


★ 紫草(むらさき)の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも

                                             (大海人皇子)


そんな関係2人を、天智天皇引き裂いて



 4月  26日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
        
                   『小倉百人一首・・・1番/天智天皇』  <ジャンプ>  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (283)

【支折の言葉・・・11/61】


額田王自分の妃にしてしまったわけですね。

“強大な天皇が・・・絶対権力を弄んでいる・・・” という事ですが、<その権威・権力が・・・

いかに常識外れで・・・膨大なものだった・・・> かを示す、よい例ですね。天皇上皇

によっても、実力異なるわけですわ、」

「うーん…」マチコが、を揺らした。「でもさあ…

暗い感じというより、“蒲生野の・・・2人歌・・・” は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
        
                   『小倉百人一首・・・2番/天智天皇』  <ジャンプ>  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (284)

【支折の言葉・・・11/62 】


ロマンチックで、いい歌よねえ…」

「そうですね…」支折が、微笑した。「一方で…

天智天皇は、実弟/大海人皇子に、自分の娘/皇女を、ええと…3、4人も、としてくれ

てやっていますね。だから、大海人皇子妃/額田王を取り上げる事も、案外、気を咎め

ことも、無かったのかも知れません。太っ腹(ふとっぱら)でした。

でも、大海人皇子の方には、恨みが残った様子です。時に暴れていますし、天智天皇

させ、中臣鎌足/藤原鎌足が、仲裁をしたりもしています。本当に、額田王愛していた

のですね。ふーん…

あ、ええと…

大海人皇子に、くれてやった皇女は…

筑紫/太宰府下向した時(/・・・朝鮮半島の、百済王国の救済のため、唐・新羅の連合軍と戦うために・・・(近

くで、指揮を執る目的で)・・・第37代/斉明天皇が、大宰府近くの朝倉宮に動座した時。斉明天皇は、その朝倉宮で崩御。

そうした暗雲の漂う中で、実力者/中大兄皇子・大海人皇子・中臣鎌足らは・・・白村江の戦に乗り出し・・・海戦・陸戦ともに

完敗して・・・九州一帯に水城を築き、防人を配置します。)の、大田皇女や、<鸕野讃良(うのの・さらら)

皇女/・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
★ 紫草(むらさき)の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも <大海人皇子の歌>  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (285)

【支折の言葉・・・11/63】


・・・持統天皇> も、そうですね。

あ、ここに資料がありました。ええと、4人ですね…


鸕野讃良(うのの・さらら)皇女 → 皇后/後に・・・第41代・持統天皇  (草壁皇子)

大田皇女 →    鸕野讃良・皇女の、同母姉  (大来皇女/伊勢斎宮 、 大津皇子)

大江皇女 →     鸕野讃良・皇女の、異母妹  (長皇子)

新田部皇女 →   鸕野讃良・皇女の、異母妹  (舎人親王)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《 支折の・・・徒然草 》 (286)

【支折の言葉・・・11/64】


…の4人ですね。

それほど、深く信頼し…自分右腕として重用し、太政大臣として…いずれは、皇位を譲

るつもりだったのでしょう。

ところが…

天智天皇は、重病に陥った晩年に、心変わりして、<自分の皇子/・・・大友皇子に、譲

位・・・> しよう決断し、アッサリと、大海人皇子取ろうとするわけです。

普通は、信じられない話ですが、ここでも、“強大な天皇が・・・絶対権力を弄ぶ姿・・・” が、

歴史を、動かして行きますよね。

これまでにも…

<中大兄皇子(なかの・おおえの・おうじ)/・・・天智天皇> は…

自分皇位継承障害になる、<古人大兄皇子(ふるひとの・おおえの・みこ/ 舒明天皇の第1皇子。

天智天皇の異母兄) や、<有間皇子(ありまの・みこ/第36代・孝徳天皇の皇子で・・・中大兄皇子の前に、皇

位継承権があった。) を、を着せて、誅殺(ちゅうさつ/罪をとがめて殺すこと)しています。

したがって…

大海人皇子誅殺、実行される可能性は、非常に高かったわけです。これは、こうなった

以上、自分(な)き後大海人皇子実力を、非常恐れたからかも知れません。また、

大海人皇子の、<国造りの・・・展望・・・> も、聞いていたのかも知れません。

でも、ともかく…

<大友皇子/・・・第39代・弘文天皇> 正妃は、十市皇女であって、彼女大海人

皇子と…



 4月  27日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
  
                  大海人皇子と、額田王の銅像・・・滋賀県竜王町/妹背の里公園    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (287)

【支折の言葉・・・11/65 】


額田王の間のです。この <落差・錯綜(さくそう/物事が複雑に入りくむこと) は、一体、どう

考えればいいのかしら?」

「うーん…」マチコが、を振った。「そこが、分からないわねえ…」

「ふーん…」支折が、を押し当てた。「ともかく…

歴戦練磨で、天智天皇比肩(ひけん/肩を並べること)しうる…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
        
                   大海人皇子(おおあまの・みこ)の像    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (288)

【支折の言葉・・・11/66 】


実力者/大海人皇子(おおあまの・みこ)は…

機敏危険察知し…太政大臣職務返上して…吉野隠棲(いんせい/ 俗世間を逃れて静

かに住むこと)すると奏上(そうじょう/天子に申し上げること)します。以後間髪を入れずに、動物の様

行動します。

素早く

自らの居館武装解除し、武具天皇武器庫返納して、二心の無い事を示し、介入

する糸間も与えずに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
        
              天武天皇と、鸕野讃良皇女(うのさらら・こうじょ/持統天皇)  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (289)

【支折の言葉・・・11/67 】


付き従うと決めた、妃/鸕野讃良(うのの・さらら)少数従者を従えて、吉野離宮都落

して行きます。

その途中…

機微(きび/表面だけでは知ることのできない、微妙なおもむきや事情。)を、知り抜いている大海人皇子

は、追手を非常に警戒します。最初宿泊地から、夜明け前川沿い身を潜めて、懐か

しい大和の地で、逃走開始します。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
        
                   吉野山地                     (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (290)

【支折の言葉・・・11/68 】


地理的にも、時間的にも、追手のかかる最も危険虎口(ここう/トラの口。非常に危険な事柄や場所

をたとえていう。虎穴(こけつ)脱出し、前後警戒しつつ、山岳地帯に入り、ようやく、一安心でし

た。

さらに…

しんがり(/後退する部隊の中で、最後尾を担当する部隊。)、斥候(せっこう/敵情、地形その他の諸種の状況を偵

察・捜索するため、部隊から派遣する小兵力の人員。)配置して、一行吉野離宮をめざし、落ちて行き

ます。“惨めな・・・それでも、油断のない・・・敗軍の将の姿・・・” ですね。

それから…

<大海人皇子の・・・長歌(ちょうか/万葉集 に多く見えるが、古今和歌集 の時点では、すでに作られなく

なっています。長歌は、柿本人麻呂において、その頂点に達したと言われます。) 詠まれている様に…幾重

もの山を越えて…都落ちして行くわけです。



 4月  28日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
  明日香村と、吉野の県境にある・・・芋峠山頂付近。看板の中で、この歌が紹介されています。    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (291) 

【支折の言葉・・・11/69 】


                                   万葉集 ・・・ 巻一/25

    <★ 詞書: 天智天皇重病時に剃髪(ていはつ)して吉野に入った時のこと >


   み吉野の 耳我(みみが)の嶺に

     時なくぞ 雪はふりける

        ひまなくぞ 雨はふりける

          その雪の 時なきがごと         

             その雨の ひまなきがごと  

               くまも落ちず 念ひつつぞ来し

                  その山道を


岡田健吉‏@zu5kokd1    
        
                 み吉野の 耳我の嶺に 時なくぞ 雪はふりける    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (292)

【支折の言葉・・・11/70 】


でも、この都落ちは…

結局、噂された様に…


<近江朝は・・・翼を持った虎を、野に放ってしまった・・・ >


…ことに、なって行くわけですね。

近江朝天智天皇重病になり、混乱に陥って行ったと考えられます。一方、吉野/吉野

離宮においては、威圧的近江朝廷側監視が、天智天皇崩御まで、続きます。

そして…

<・・・天智天皇/崩御・・・(享年/46歳)の、第一報が届くと…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
        
                   野生のトラ                      (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (293)

【支折の言葉・・・11/71 】


大海人皇子は…

近江朝側監視(すき)を突き、吉野離宮脱出します。一行少人数で、山道伊賀

へ抜けて行きます。その間、諜報活動組織した、<吉野出兵> 波動開始します。

味方の兵集まりはじめ、身辺警護も厚く固められ、大地蹄の音が轟ます。でも、そ

れは、味方蹄の音とは限らないわけですね。そうした緊張感の中で、騎馬兵を交えた

移動に囲まれつつ、<大海人皇子・鸕野讃良皇女・・・


 4月  29日

  昭和の日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
           
高市皇子(たけちの・みこ)  「本朝百将伝」 より/・・・国立国会図書館蔵    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (294)

【支折の言葉・・・11/72 】


・・・そして、何人かの皇子(/少なくとも、大海人皇子と鵜野讃良の子/草壁皇子は一緒にいたのでしょうか

・・・> は、ようやく監視から解放されて、野山集落の中を、戦の緊張感を感じながらも、

伸び伸びをしたのでしょうか。

やがて…

伊賀/名張(なばり)で、<大海人皇子の・・・長男/高市皇子(たけちの・みこ/天武天皇の第1皇

子。壬申の乱に際し、天武天皇を助けて活躍。皇太子/草壁皇子の死後、太政大臣。万葉集に3首の歌が伝わります。)

軍勢が、父の軍勢合流します。に残っていた、大海人皇子旧臣達を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
        
                   不破関の、およその位置を示した地図   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (295)

【支折の言葉・・・11/73 】


高市皇子が率いて来たのでしょうか。<都/大津京(/天智6年 (667年) ・・・天皇が諸人の反

対を押切って大和の飛鳥から移した都。その位置は現在の滋賀県大津市内の旧滋賀村一帯といわれます。)・・・近江

朝廷・・・> が、相当混乱していた様子が、うかがわれます。

<高市皇子(たけちの・みこ/・・・大海人皇子が、天武天皇になるまでは、皇子ではなく、王子です。)は…

<美濃国/不破関(ふわのせき/・・・古代・中世の関所。愛発(あらち)・鈴鹿とともに、三関(さんかん)の1つ。東山

道の近江(おうみ)・美濃(みの)の国境に置かれていた。現在の、岐阜県/不破郡/関ヶ原町 )・・・関が原> で、

海人皇子から <軍事の・・・全権> を委ねられて、大活躍した様です。

また、は、<持統天皇の即位後・・・持統朝> において、太政大臣(だじょうだいじん/)にな

っていますよね。

あ、ええと…

<・・・天智天皇/崩御・・・> から、数日間は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
        
                   近江大津宮・・・内裏正殿跡 (/錦織遺跡第2地点)  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (296)

【支折の言葉・・・11/74 】


<琵琶湖の湖畔・・・近江朝> は、騒然となり、機能不全に陥ったのでしょうか。だから、

密かに大海人皇子旧臣を、糾合できたのかもしれませんね。ともかく、人々は皆

知の仲で、味方色分けも、非常に難しかったのではないでしょうか。

うーん…

この資料では…

<・・・崩御・・・> の、直後の、<吉野出兵> には、なっていない様ですね。天智天皇

お隠れになって…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
        
                   <吉野出兵・・・壬申の乱> の地図     (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (297)

【支折の言葉・・・11/75 】


半年ほど経過した…

672年5月

大海人皇子のもとに、<大津京に・・・不穏な動きあり> 情報が、入ったとありますね。

そして、同年6月24日に、大海人皇子は、吉野をお発ちになって、不破へと向かい、大友

皇子との戦いに挑まれた…とあります。

うーん…

でも、<吉野出兵・・・壬申の乱> 日時は、確かなもの、と思われますから…

<・・・崩御・・・> 日時が、相当ズレているのでしょうか。如何に、古代でも、それほ

ノンビリとは、構えていないと思うのですが。



 4月  30日

岡田健吉‏@zu5kokd1       
        
                   <第122代/明治天皇>        (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (298)

【支折の言葉・・・11/76 】


ええ、ともかく、全般知識不足です。詳しい事情はよく分かりません。今後とも勉強

して行きますので、ご容赦下さい。

あ、でも…

この間に、<第39代/弘文天皇(こうぶんてんのう)の・・・即位・・・> が、あったのでしょう

か?

近代になり、<第122代/明治天皇(1870年(明治3年)に、弘文天皇と追諡(ついし/死後におくりなを贈

ること。)が、諡号(しごう/死後に贈る名。中国から8世紀初めごろ日本に伝わり、天皇や出家しない高官などに、諡

号が贈られました。和風諡号。 .)を送り、弘文天皇と… 

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
        
                   <大友皇子・・・第39代/弘文天皇>   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (299)

【支折の言葉・・・11/77 】


承認されていますよね。

そうだとすると、クーデター(/武力によって、非合法的に政権を奪取すること。)色彩も、より濃厚にな

るのでしょうか。でも逆に、何故千年以上もの間、天皇とは承認されず、大友皇子のまま

だったのでしょうか?」

「そうよね…」マチコが、うなづいた。「でもさあ、明治天皇がその問題に、決着をつけたわ

けよね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
        
                   <ナポレオン>                (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (300)

【支折の言葉・・・11/78 】


「そうですね…」支折が、スクリーンボードを眺めた。「ええ…

<吉野出兵> では…

わずか数日数万最終的には9万近くになるのでしょうか?これほどの巨大軍勢が、

希薄古代社会に、突然湧き上がったことは、確かですよね。世界戦史にも、例の

無い奇跡…と、言われているそうです」

ナポレオン(/フランス革命期の軍人。フランス第一帝政の皇帝に即位。)にも…」夏美が言った。「アレクサ

ンドロス3世(/マケドニア王国の王(在位前336~前323)。アレクサンダー大王とも呼ばれる。マケドニア、ギリシア、

エジプトを含むオリエント世界(/中東)、インドの一部に及ぶ大帝国を創建した。)にも起こせない、奇跡かしら?」

「うーん…」マチコが、うなづいた。「古代社会を、大震撼させた <壬申の乱> かあ…

あ、でも、その前には、九州/大宰府で、<唐・新羅の連合軍と・・・白村江(/朝鮮半島の白

村江/現在の錦江河口付近)の戦い・・・> を、やっているわねえ、」

「そうかあ…」夏美が言った。「大海人皇子は、その戦指揮していたわけですよね?」

「そうですね…」支折が、うなづいた。「第37代/斉明天皇が、朝倉宮崩御し…

中大兄皇子(/天智天皇)指揮し、大海人皇子中臣鎌足(なかとみの・かまたり/藤原姓を賜り、藤

原鎌足・・・藤原氏の祖)も、居ました。

この時点では、中臣鎌足すでに他界していましたが、そもそも、この老臣生存していたら、

大海人皇子都落ちも、無かったかもしれませんわ。

おそらく、額田王(ぬかたの・おおきみ)コトだと思いますが、それでゴタゴタとし、天智天皇

激怒して、“殺す” と言った時、“中臣鎌足が・・・取りなした・・・前例・・・” が、あったわけで

すね、」

「そうかあ…」マチコが、うなづいた。

「ええ…」支折が言った。「ともかく…

その、<吉野出兵の・・・古代の大軍勢・・・> は、<不破関(ふわのせき)・・・関ヶ原>

糾合(きゅうごう/・・・ある目的のもとに人々を寄せ集め、まとめること。)され…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
        
                   <アレクサンドロス3世>      (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (301)

【支折の言葉・・・11/79 】


<壬申の乱> となって、勃発(ぼっぱつ)します。<中世における・・・日本国内最大の

内乱・・・> は、大海人皇子圧勝でした。

<近江朝廷/総大将・・・大友皇子の・・・自死/自決(じけつ/自殺すること)に関しては、

ここではあえて、言及避けることにします。戦争常に悲惨ですね。多くの血が流され、

終結しています。

ところで…



 5月  1日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
        
                   <吉野出兵・・・壬申の乱> の地図     (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (302)

【支折の言葉・・・11/80 】


<吉野出兵・・・わずか数日で、数万もの兵力の糾合・・・> 奇跡は…

<大海人皇子の・・・カリスマ性(/・・・カリスマ(Charisma 元来Kharisma 「神の恩寵」に由来)とは、予言や奇

跡を行なう超能力。転じて、大衆を心酔させ、従わせる、超人間的な資質や能力。また、そのような資質をもった人。)・・・>

による、と考えられますよね。

そして、<一連の、軍事的勝利の奇跡が・・・さらに強烈な、カリスマ性を作り上げ・・・

日本の国造り・・・> へ、結実して行った、と言えるのでしょうか。

ええと…

ムダ話に、夢中になって…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
        
                      明日香の春の額田王  /安田靭彦・画伯       (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (303)

【支折の言葉・・・11/81 】


…しまいました。本筋に戻しましょう。

つまり…

何が、言いたかったのかと言うと…

<天智天皇> は、額田王(ぬかたの・おおきみ)自分の妃として召し上げたし…その行き違い

から、“何度か、本気で・・・大海人皇子(おおあまの・みこ)の首を取ろうとした・・・”、という事です

ね。現代では、考えられませんが、“権威・権力” “武人” の、荒々しい世界ですね。

<老臣・・・中臣鎌足/藤原鎌足・・・> 生存中は、2人仲裁をした事も記録にありま

す。でも、すでには、他界していたわけですね。

若き、中大兄皇子(なかの・おおえの・おうじ/後の、天智天皇)は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
        
                   <唐・新羅の連合軍との・・・白村江の戦い・・・>     (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (304)

【支折の言葉・・・11/82 】


<乙巳の変(いっしのへん/・・・飛鳥時代/645年に中大兄皇子・中臣鎌足らが、蘇我入鹿を宮中にて暗殺して、蘇

我氏(蘇我宗家)を滅ぼした政変。)<大化の改新(/・・・乙巳の変の後、中大兄皇子は体制を刷新して、大化

の改新と呼ばれる改革を断行。)断行し…

さらに、親交のある百済王国救済のために…

<唐・新羅(しらぎ)の連合軍との・・・白村江の戦い・・・

大敗北 → 海路で、太宰府から大和/飛鳥へ撤退 → さらに、反対を押し切って、

内陸の、琵琶湖湖畔/大津京に遷都・・・> し、上陸に備えます。

一方…

<唐・新羅の連合軍の・・・日本侵攻に備えて・・・筑紫/九州一帯に・・・水城(みずき/

福岡県太宰府市・大野城市・春日市にまたがり築かれた、日本の古代の城。1953年(昭和28年)に、国の特別史跡/「水

城跡」 に指定。)を建造し・・・

防人制度(さきもり・せいど/・・・任期は3年で諸国の軍団から派遣され、任期は延長される事がよくあり、食料・武器は

自前で準備。大宰府がその指揮に当たり、壱岐・対馬および筑紫の諸国に配備された。当初は、遠江国(とおとうみのくに/

静岡県西部)以東の東国から徴兵され、その間も税は免除される事はないため、農民にとっては重い負担であり、兵士の士

気は低かったと考えられている。徴集された防人は、九州まで係の者が同行して連れて行かれたが、任務が終わって帰郷

する際は付き添いも無く、途中で野垂れ死にする者も少なくなかった。防人が東国から徴兵された時期、その規模は2000人

程度を数えた。)を展開・・・> しました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
        
                    天智天皇  イラスト画・吉田義晃氏  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (305)

【支折の言葉・・・11/83 】


まさに、激動生涯でしたが、享年46歳ですから、意外早世(そうせい)ですよね。そして、

ここで、私達問題として来たのは…

“皇位継承をめぐり・・・そして天皇としての・・・絶対権力を弄(もてあそ)んだ・・・” という事で

すわ、」

「うーん…」マチコが、コクリとうなづいた。「天智天皇は…

実弟/大海人皇子に、自分娘/皇女を、として何人もくれてやったわけだけど…



 5月  2日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
        待賢門院(たいけん・もんいん)・像/藤原 璋子・・・第74代天皇后  (法金剛院蔵)   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (306)

【支折の言葉・・・11/84 】


は、額田王を・・・いつまでも忘れられなかった・・・ のかしら?」

「そうですね…」支折が、小さくうなづいた。「ええと…

さらに、<白河院> に、を戻します。

元々が、<西行法師> が、 <生涯恋し続けた・・・待賢門院・璋子> という女性が、ど

の様な生涯を歩んでいたのか…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
        
                   第74代/鳥羽天皇(/上皇)        (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (307)

【支折の言葉・・・11/85 】


…という事でした。

ともかく、彼女皇后として仕えた <鳥羽天皇> ではなく…

<藤原氏による・・・摂関政治> 終わらせた、<第72代・白河天皇・・・白河院 = 白

河上皇/法皇・・・> が、大問題でした。

<徳大寺家の・・・美しい・・・璋子・・・ は…

白河院養子となっていました。こうした事は、身分(はく/金属の薄片のこと。古くは金、銀、錫

(すず)などでつくられた。)を付けるための、慣例なのでしょうか。

でも、女性に関しては、白河院横暴を極めるようになります。予想外で手に入れた、“絶

大な権勢・権力で・・・内裏を踏みにじるように・・・弄(もてあそ)んだ・・・” と、いう事ですね。

最初

<中宮/賢子(/藤原 賢子(ふじわらの・けんし/かたいこ)・・・第72代白河天皇の中宮、第73代堀河天皇の国母。

太政大臣・藤原師実の養女。) とは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
        
                   第72代/白河天皇 (/上皇・法皇)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (308)

【支折の言葉・・・11/86 】


非常仲睦まじい様子でした。

賢子生前で、白河天皇関係を持ったと記録に残る女性は、女御(にょご)/道子の他は、

典侍(ないしのすけ/てんじ・・・内侍司(後宮)の次官(/女官)。単に 「すけ」 とも呼ばれた。)/藤原経子ぐらい、

という事です。

当時は、貴人子孫を残す目的で、別に側室を持つことは周囲承知していて、社会的

義務でもあったわけですね。<源頼朝の妻・・・北条政子> の様に、それに焼き餅を焼く

/嫉妬するのは、例外的ですわ。

でも、賢子死後は…

白河天皇は、正式皇后女御内裏(だいり)に入れず、側近に仕える多数の女官女房

らと…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
        
                   作家/瀬戸内寂聴の・・・小説/『祇園女御』 の表紙  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (309)

【支折の言葉・・・11/87 】


関係を持った様です。当然、多くの子女が生まれるわけですが、皇位を継ぐのは正嫡(せ

いちゃく/本妻から生まれた長子)だけですね。

晩年寵妃(ちょうひ/・・・寵姫、愛妾。君主や諸侯の、特にお気に入りの女。)となり、権勢を持った <祇園

女御(ぎおんの・にょうご/氏素性は未詳。女御の宣旨は下されなかったが、居住地にちなんで祇園女御、または白河殿と

呼ばれた。) などは、下級貴族の生まれでしたが、公然寵愛(ちょうあい)したという事です。

それに加えて…



 5月  3日

  憲法記念日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
第75代/崇徳天皇(すとくてんのう) 平安時代末期の <保元の乱> で敗れ、讃岐に配流。讃岐院。 (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (310)

【支折の言葉・・・11/88 】


<白河院> は、関係を持った女性を、次々自分自身寵臣(ちょうしん/寵愛している臣下。気

に入りの家来。)に与えてやった様です。関係者も、イヤと言うわけにもい来ません。当然、

統・血脈が、乱れるわけですが、あえて、こうした狼藉(ろうぜき/無法な態度や行為をすること。)をし

たわけですね。

そのため…

<第75代/崇徳天皇(すとくてんのう) や、<平清盛(/伊勢平氏の棟梁/平忠盛の嫡男・・・平氏棟

梁となる。<保元の乱> で後白河天皇の信頼を得て、<平治の乱> で最終的な勝利者となる。武士としては、初めて太政

大臣に任じられる。) などは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
        待賢門院(たいけん・もんいん)・像/藤原 璋子・・・第74代天皇后  (法金剛院蔵)   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (311)

【支折の言葉・・・11/89 】


<白河法皇の・・・御落胤(ごらくいん/身分の高い男が、正妻以外の身分の低い女性に産ませた子。おとしだね

。)・・・> という(うわさ)が、当時から、広く信じられていた様です。

に、説明していますが…

<第75代/崇徳天皇(すとくてんのう) は、<徳大寺家の・・・璋子/藤原璋子・・・>

白河院を宿した後に、予定していた鳥羽天皇中宮/皇后となり、その皇子は、鳥羽

天皇第1皇子として、認知されています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
        
                   第74代/鳥羽天皇(/上皇)        (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (312)

【支折の言葉・・・11/90 】


皇子
は…

白河院権勢で、早々に皇太子となり、間もなく鳥羽天皇譲位させられて、<数え歳で

5歳/・・・満3歳7か月で・・・第75代/崇徳天皇・・・> として、即位しています。

くり返しますが…

“全て・・・白河院の・・・絶大な権勢・権力のなせる業・・・” ですよね。鳥羽天皇は、無言

従い、<中宮/璋子も・・・沈黙・・・> します。そして、白河院実質的後見として、

守っている、わけです。

鳥羽天皇にとっては、祖父であり、中宮/璋子にとってはまさに、我が子です…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
        
                                           (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (313)

【支折の言葉・・・11/91 】


「うーん…」マチコが、に手を当てた。「ひどい話よねえ…」

支折が、モニターを覗(のぞ)いた。

「ええと…」支折が、モニターを覗きながら、言った。「白河院鳥羽天皇の間に…

鳥羽天皇父/<第73代/堀河天皇(ほりかわ・てんのう) が、いますね。

8歳で、立太子同日に、父/白河天皇から譲位され、即位しています。性格上品かつ

優雅であり、誠実な人柄は、宮廷社会人望を集めた、とあります。

<関白/藤原師実(ふじわらの・もろざね/藤原北家、関白・藤原頼通の六男。)・・・が摂政(せっしょう/君主

に代わって万機を執り行う者)・・・> となって実権を握り、摂関政治への回帰が見られます。

この時期には、師実上皇協調関係にあり、白河上皇院政を敷く意志は無かった様で

すね。

でも…

堀河天皇成人して、関白藤原師通(ふじわらの・もろみちに代わると、上皇政治関与

判的師通は、自ら政務を執ろうとする堀河天皇協力的でした。そして、この後、師通

急死して、院生成立した様ですね。

ええと…

この後で、鳥羽天皇即位し、白河院養子となっていた <璋子/・・・藤原璋子・・・>

が、内裏に入るわけですね…」

「あの…」夏美が、を立てた。「支折さん…

<有名な・・・平家/平清盛も・・・白河院の子/御落胤・・・> という、事なのでしょう

か?」

「ええ…」支折が、コクリとうなづいた。「そうです…

ここには資料がありませんが、当時から、広く信じられていた様ですわ。元々…



 5月  4日

  みどりの日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
        
                     源氏物語/・・・光源氏          (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (314)

【支折の言葉・・・11/92 】


<源氏(げんじ/・・・源(みなもと)の姓を持つ氏族。 弘仁五年(814年)嵯峨天皇が諸皇子を臣籍に降下し、源姓を賜わ

って以後、皇子賜姓(こうししせい/皇子皇孫に姓を給ひて、人臣となし給ふ。)の最も一般的な氏姓となった。清和源氏、村

上源氏、宇多源氏、花山源氏などがあるが、特に清和源氏と村上源氏が長く隆盛でした。) も、

<平氏(へいし/・・・平(たいら)の姓を名のる一族。平安時代に、臣籍に降下した皇族とその子孫に与えられた姓の1つ。

その祖である天皇によって、桓武平氏・仁明平氏・文徳平氏・光孝平氏と呼ばれる、 4つの流派があり、家紋は揚羽蝶を中

心に使用した。) も、

皇室から臣籍降下(しんせきこうか/皇族がその身分を離れ、姓を与えられ、臣下の籍に降りること。)した血脈

けちみゃく、けつみゃく/仏教用語で、師から弟子へと仏教の精髄を受継ぐ関係。また、血のつながり。血すじ。血統。)です

わ。

源氏物語の・・・光源氏 も、臣籍降下した <源氏> ですから、天皇に近く、財政的

も、非常に豊かだったわけです。

でも…

時間経過して行くと、<源氏> <平氏> は、それぞれ <武家の・・・家柄> とし

て…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
        
            足利 尊氏(あしかが・たかうじ) 室町幕府 ・初代/征夷大将軍  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (315)

【支折の言葉・・・11/93 】


社会的地位を、創出して行くわけですね。

それが長じ、<鎌倉幕府/・・・武家政治へ時代・・・> へと、時代が移り、<室町幕府

府> <江戸幕府> と、武家治世が続くわけです、」

「うん…」マチコが、シッカリとうなづいた。「そして、<江戸幕府/・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
        
                             第73代/堀河天皇      (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (316)

【支折の言葉・・・11/94 】


・・・15代将軍・徳川慶喜(よしのぶ)の・・・大政奉還(たいせい・ほうかん/政権を朝廷に返上すること)

・・・> と、なるわけかあ…」

「ええ…」支折が、スクリーンボードを投げた。「ともかく…

<鳥羽天皇の御代(みよ)において、<白河院の院政が・・・本格化> した様ですね。

あ…

第72代天皇と、第74代天皇の間の、第73代天皇についても、触れておきましょうか。もち

ろん、白河天皇皇子であり、鳥羽天皇父親ですね。

<第73代/堀河天皇> は…

<勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)の、金葉和歌集(きんよう・わかしゅう) などに、和歌9首

入集(にゅうしゅう)されているほどの歌人で、<管弦の造詣(ぞうけい/学問・芸術・技術などについての、

深い理解やすぐれた技量。) も、深かった様ですね。

夜の御殿に、笛の譜を貼って覚えるほどの熱の入れようで、その腕前藤原忠実(た

だざね/関白・藤原師通の、長男。父の急死で、摂政・関白に就きますが、未熟で、白河院の院政を招きます。)をして、

“全ク比類ナシ” と、感嘆せしめるほどのものだった、とあります。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
        
                   第72代/白河天皇 (/上皇・法皇)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (317)

【支折の言葉・・・11/95 】


でも、堀河天皇は、28歳早世しています。一方、白河院長寿で、76歳まで生きた様で

すね。いい人は、早く死ぬわけです…」

「うーむ…」高杉が、を崩し、アゴを当てた。

白河院が…」支折が言った。「いよいよ、お隠れになると…

鳥羽上皇待っていたとばかりに、院政自分のものに、再構築したのでしょうか。



 5月  5日

  こどもの日

岡田健吉‏@zu5kokd1       
        
              美福門院像/美福門院・得子(とくし、なりこ (安楽寿院蔵)   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (318)

【支折の言葉・・・11/96 】


<鳥羽上皇> は…

院政開始後、まもなく…白河院後見/後ろ盾を失った <待賢門院/璋子> を、遠ざ

け、<美福門院/得子(とくし、なりこ) を、寵愛する様になります。もちろん、美福門院との

間にも、皇子はいるわけですね、」

「ふーん…」夏美が、を伸ばした。「そうなんだ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
       
                                                     (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (319)

【支折の言葉・・・11/97 】


白河院は、それでも待賢門院/璋子後見として、彼女守っていたんですね?」

「もちろんです…」支折が、うなづいた。「白河院が…

健在な限り、崇徳天皇彼女地位も、安泰だったわけです。名目上も、璋子白河院

養女ですから、庇護(ひご/かばいまもること)して当然ですわ。庇護するために、養女にしたので

すから、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《 支折の・・・徒然草 》 (320)

【支折の言葉・・・11/98 】


「そうかあ…」マチコが、うなづいた。

「ええ…」支折が言った。「長くなったので…

そろそろ、を切り上げようと思ったのですが、歴史上重要な所ですので、もう少し、続け

せて下さい」

「はい…」マチコが、うなづいた。「あまり…

一般には、歴史の光当たらない所だけど、興味のある所よね。一体、どうなっていたの

か、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
        
                   第74代/鳥羽天皇(/上皇)        (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (321)

【支折の言葉・・・11/99 】


「ええ…」支折が、微笑し、モニターを見下ろした。「白河法皇の…

崩御(/天皇・皇后・皇太后・太皇太后を敬って、その死をいう語。昔は、上皇・法皇にもいった。)の後、鳥羽上皇は、

大治4年(1129年)より、<院政> を敷きます。

白河法皇の、<勅勘(ちょっかん/ 天子から受けるおとがめ。勅命による勘当。一般には、宥免(ゆうめん/寛大に

罪をゆるすこと)の勅命があるまで、謹慎しました。) を受けて、宇治 <蟄居(ちっきょ/家の中にとじこもって

外へ出ないこと。また、田舎にしりぞいていること。) していた、<前関白・藤原忠実(ただざね/・・・第73

代・堀河天皇の笛を、“全ク比類ナシ” と、絶賛した人物) を、天承元年(1131年)に、呼び戻します。



 5月  6日

岡田健吉‏@zu5kokd1
        
  京都御所・・・赤い部分が後宮(こうきゅう)/内裏(だいり/・・・天皇の私的区域)  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (322)

【支折の言葉・・・11/100 】


そして、娘の泰子(/高陽院)入内(じゅだい/后妃が、内裏(だいり)に参入すること。)させ、上皇の妃とし

ては異例皇后とした、とあります。詳細は分かりません。

ただ、宮廷権力構造上<前関白/藤原忠実(ただざね) を、赦免(しゃめん/罪を許し、刑罰

を免除すること。)復帰させる上で、こういう形を取る必要があったのでしょうか? あ、これは

私の推測です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
        
               平忠盛/・・・嫡子は、平清盛   (/江戸時代、菊池容斎・画)  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (323)

【支折の言葉・・・11/101 】


ええと、それから…

白河法皇側近であった、藤原長実・家保兄弟等排除して、院の要職自己の側近

で、固めたようですね。

また…

<伊勢平氏の・・・平忠盛(たいらの・ただもり)/・・・嫡子(ちゃくし/家督を継ぐ者)は、平清盛(/清盛

の母は、懐妊して白河上皇から下賜された、祇園女御とも、その妹とも? また、祇園女御に仕えた中﨟女房とも。ともかく、嫡

男となった背景には、後見役/祇園女御の権勢があったとも考えられる・・・とあります。) の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
        
              平清盛は、白河上皇の御落胤の噂は、当時からありました。   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (324)

【支折の言葉・・・11/102 】


<内昇殿(ないしょうでん/内裏の清涼殿の殿上の間に、昇ることを許されること。) をゆるし、政権に近

づけています。

ここから…

<平氏の・・・大繁栄の胎動・・・> が、始まったのでしょうか。警護北面武士は、白河

院政から、そのまま鳥羽院院政へ、横滑りで用いている様ですね。

平忠盛は、北面武士の様ですが、<佐藤義清(さとう・のりきよ)/・・・西行法師・・・> も…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
        
 佐藤義清(さとう・のりきよ)/西行は・・・北面武士の時代、平清盛と同僚でした。   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (325)

【支折の言葉・・・11/103 】


…この時に、採用されているのでしょうか。

あ、ええと…

この、<鳥羽院の・・・院政時代> に、<佐藤義清/西行> 北面武士としての同僚

に、<平清盛> も、いた様ですね。

これなら、後に <平家が・・・大繁栄した時・・・> にも、歌人として、自由出入りが出来

たわけですね。<源頼朝> が、親しみを感じ、鎌倉/大倉御所に招いたのも、うなづけま

すよね。

ともかく、<平安王朝・・・宮廷を中心とした・・・貴族社会・・・> というのは、大きな社会

ではありません。伊勢物語/・・・東下り で、主人公が、“駿河の国・・・宇津の山奥” で、

顔見知りの修行者と出会いますが、まさに、そんな世界だったのでしょうか。

あ、ええと、脱線しない内に…



 5月  7日

岡田健吉‏@zu5kokd1       
        
           美福門院像/・・・美福門院・得子(とくし、なりこ) (安楽寿院蔵)   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (326)

【支折の言葉・・・11/104 】


を戻します。

やがて…

白河法皇後ろ盾を失った、待賢門院/璋子にかわり、長承2年(1133年)より、<藤原

得子(とくし、なりこ)/美福門院> 寵愛した、とあります。これが、女性宮廷における

治力学なのでしょうか。

ええ…

永治元年(1141年)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
第75代/崇徳天皇(すとくてんのう) 平安時代末期の <保元の乱> で敗れ、讃岐に配流。讃岐院。 (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (327)

【支折の言葉・・・11/105 】


<23歳の・・・崇徳天皇・・・> を、譲位させ…

美福門院との、第9皇子/<第76代/近衛天皇を・・・3歳で即位・・・> させています。

そして…

鳥羽上皇は、翌年/康治元年(1142年)に…

<東大寺戒壇院で・・・受戒/・・・法皇・・・> となっています。白河上皇法皇になって

いましたが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《 支折の・・・徒然草 》 (328)

【支折の言葉・・・11/106 】


鳥羽上皇もそうだったのですね。貴人出家するのは、極楽往生するため…ですよね

…?」

「うーむ…」高杉が、うなづいた。「そう、聞いたことがありますね、」

「はい…」支折が、うなづいた。「有難うございます…

それから…

久寿2年(1155年)に、近衛天皇早世(/17歳。病弱なため、子は生まれなかった。)すると…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
        
                   第74代/鳥羽天皇(/上皇・法皇)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (329)

【支折の言葉・・・11/107 】


鳥羽法皇は、第4皇子/<崇徳上皇の同母弟/待賢門院との皇子・・・雅仁親王/第

77代・後白河天皇を・・・即位・・・> させました。

これにより…

崇徳上皇が、<院政> を敷く可能性は失われた、という事です。鳥羽院は、間もなく、

を奪われ、力尽きますが、この、<後白河天皇の・・・即位が・・・



 5月  8日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
        
                     保元の乱の・・・敵味方                  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (330)

【支折の言葉・・・11/108 】


・・・保元の乱が勃発(ぼっぱつ)する・・・原因・・・> となった様です。

ええ…

<保元の乱> <平治の乱> も、簡単に述べておきましょうか…

うーん…

<保元の乱> は、保元元年(1156年)7月に、皇位継承問題摂関家(せっかんけ/摂政、関

白に任ぜられる家柄。藤原氏北家に世襲。御堂関白/藤原道長が摂関最盛期を築いて以後、その子孫に独占されています。

藤原定家は、この藤原北家の御子左流です。内紛により、朝廷が、<後白河天皇・方と・・・崇徳上

皇・方に割れて・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
        
             【日本三大怨霊】 の1つ。 崇徳院・・・京都最恐の怨霊    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (331)

【支折の言葉・・・11/109 】


・・・衝突に至った・・・政変・・・> ですね。

共に、<待賢門院・璋子を・・・母とする・・・同母皇子> ですが、<父親が・・・白河上

皇と、鳥羽上皇・・・> に、分かれます。

白河院が、“絶大な権力・権勢を・・・弄(もてあそ)んだ結果・・・” が、ここまで及んで来ている

わけです。まさに、歴史震撼(しんかん/ふるい動かすこと。)させています。

そして…

<保元の乱で・・・崇徳上皇の側が・・・敗北・・・> し…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
        
        【日本三大怨霊】 の1つ。 菅原道真・・・怨霊伝説から、天神信仰へ   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (332)

【支折の言葉・・・11/110 】


上皇讃岐(さぬき)/香川県に、<配流(はいる/島流し) となります。それゆえ配流後は、

<讃岐院> とも呼ばれます。

崇徳上皇は、自分責任のない所で、白河上皇待賢門院との間に生まれ、父/鳥羽院

から嫌われ対立することになります。待賢門院は、“そんな我が子を・・・生涯憐れに・・・

思った・・・” のでしょうか?

そして…

鳥羽上皇晩年

同母異父第4皇子/<第77代・後白河天皇> との、宮廷内権力闘争/保元の乱

敗れて、讃岐配流となります。踏んだり蹴ったりの・・・宮廷生活で・・・最後は島流し

です。 もはや、怨霊(おんりょう) ・・・となるしか・・・なかった のでしょうか…?

一方…

宮廷内部抗争に、<武士の力/・・・武力による、実力部隊・・・> が、用いられた

めに、武士存在感し、以後<約700年間に及ぶ・・・武家政権の時代・・・>

と、つながって行きます。

あ、ええと…

<保元の乱/・・・保元年(1156年) に続いて、3年後に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
      【日本三大怨霊】 の1つ。 平将門(たいらの・まさかど)…首級(しゅきゅう/…討ちとった敵の首)/“将門の首は、

     本当に飛んだのか…? ”                                          (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (333)

【支折の言葉・・・11/111 】


<平治の乱/・・・平治元年(1159年) が、起こっています。いずれも、宮廷内権力

争い原因で、短期間戦闘で、勝敗が決しています。

この後…

<武士の時代> 到来となり、<平氏・政権が・・・成立・・・> する、キッカケとなった、

という事ですね。でも、武家による政権であっても、それは平安王朝宮廷内にあました。

武家による政権は、<鎌倉幕府/・・・鎌倉時代・・・> からですね。



 5月  9日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
        
                   <平治の乱> 『平治物語絵巻』 三条殿焼討     (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (334)

【支折の言葉・・・11/112 】


ええ…

<保元の乱> 勝利した…

<第77代/後白河天皇>は、同年閏(うるう)9月 <保元新制>  と呼ばれる、代替わ

り新制発令しました。


     「九州の地は一人の有なり。

             王命の外、何ぞ私威(しい)を施(ほどこ)さん


…と王土思想
(おうどしそう/・・・天の下にひろがる土地は、すべて天の命を受けた帝王の領土であり、その土地に住む

人民は、ことごとく帝王の支配を受くべきものとする思想。)強く宣言したこの新制は、<荘園整理令(しょう

えん・せいりれい) を、主たる内容としていた…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
        
                    第77代/後白河天皇           (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (335)

【支折の言葉・・・11/113 】


…という事です」

「ふーん…」マチコが、を傾げた。「<荘園整理令> ですかあ、」

「そうですね…」支折が、モニターを眺めた。「<鳥羽/・・・院政期・・・> には…

全国多くの荘園(しょうえん/8世紀~16世紀にわたる、古代・中世社会の基本的な土地所有・経済制度。)

されました。そして、各地国務遂行をめぐって紛争が起きていました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
        
                    荘園公領制の仕組み                   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (336)

【支折の言葉・・・11/114 】


<荘園整理令> は、その混乱収拾して、全国荘園(/・・・公的支配を受けない(あるいは公的支

配を極力制限した) 一定規模以上の私的所有・経営の土地。)・国衙領(こくがりょう/・・・荘園が各地で増加する一方で、

特定の荘園領主をもたない公領もかなり残存していた。これを国衙領という。)公領(こうりょう/・・・公権力の支配対象で

ある土地。大化改新後の公地公民制の下では全国が公領であったが、平安時代に私領として<荘園> が公権力を排除す

るに至って、国司の支配地のみが公領と呼ばれた。中世には、一般に国衙(こくが)領と呼ばれ、近世には天領と異称。)を、

天皇統治下に置くことを、意図したものですね。

<荘園公領制・・・の成立・・・> への、大きな契機となった新制と、評価されています。そ

国政改革を、立案・推進したのが、後白河天皇側近である…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
信西の首は都に持ち帰られて、三条河原で検非違使に渡され、三条大路を西に向かい西獄門 (/現・中京区西ノ京西円町)

 にかけられます。                                                    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (337)

【支折の言葉・・・11/115 】


<信西(しんぜい)/・・・僧> の様ですね、」

<荘園> というのは…」夏美が言った。「この時代成立したと言うけど、どの様なもの

だったのかしら?」

「はい…」支折が、うなづいた。「<荘園> そのものは…

奈良時代 ~ 室町時代にかけて、全国にみられた…



 5月  10日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
            大宝律令(たいほう・りつりょう/701年(大宝元年)に制定された日本の律令)   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (338)

【支折の言葉・・・11/116 】


貴族有力社寺私有地ですね。

ええと…

<律令制(りつりょうせい/・・・中国唐朝の律令を取り入れ、法体系を整備し、それに基づいた国家制度・統治制度。7世

紀後期に始まり10世紀頃まで実施された。平安初期に、大きく修正された。その後・・・他の氏族を圧倒した藤原北家が朝廷

で独占的地位を占めるに伴い、貴族社会(/王朝国家の時代へ移行しました。) の中では、<全ての・・・大

土地所有> が、否定されていた、わけではありません。

一部皇族(/・・・<壬申の乱> を起こした大海人皇子は・・・自ら行動を起こす前の6月22日に使者を出し、美濃国

岐阜県)の安八郡(あんぱちぐん)“湯沐令(ゆのうながし/東宮領の役人)/多品治(おおの・ほんじ/おおの・ほむぢ)

 に、兵を挙げて不破道を塞ぐよう命じています。湯沐邑(とうもくゆう、ゆのむら)は、大海人皇子の荘園でした。)貴族は、

役人派遣して支配する、荘園所有していました。<古代荘園> と、呼ばれるもの

です。

うーん…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
      
官職と、四等官制を組み合わせると・・・どの役所の、どの程度の地位か一目で分ります。  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (339)

【支折の言葉・・・11/117 】


(つたな)い知識ですが…

日本古代/大和時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代・中世/鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、戦国時代、

安土桃山時代・近世/江戸時代・・・江戸幕府の創立 ~ 明治維新の東京遷都までの内…

古代/平安時代を、ザックバラン概観してみると…

<平安王朝の・・・社会・・・> では、京/朝廷から全国地方国へ、<国司/・・・四等

官の・・・守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん) の、役人達派遣され、を治め、京/

へ、を送るシステムが出来上がっていました。これが、王朝基幹であり、統治システ

ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
     坂上田村麻呂(さかのうえの・たむらまろ) /菊池容斎・画  『前賢故実』 4代の天皇に仕えて、忠臣として名高い。

      第50代/桓武天皇の軍事と造作を支えた1人。2度にわたり征夷大将軍を勤めて、征夷に功績を残した。 

                                                               (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (340)

【支折の言葉・・・11/118 】


そして…

決まった年貢(ねんぐ)京/都に送れば、あとは厳しく搾取(さくしゅ)しようが、(かす)め取ろう

が、中央口出しはしなかった様です。

<中級貴族> は、その地方官赴任(ふにん/任地におもむくこと)する事で、一財産を築いたわ

けです。任期6年で、後に4年に改めています。

この平安時代は、第50代/桓武天皇平安京・遷都(/794年)から、第82代/後鳥羽上

皇時代鎌倉幕府開闢まで、(/1185、1192年、)390年以上続いています。

<中級貴族> は、当然の事ですが…

の、近隣・安全・豊かな国の、国守派遣される事を望みました。朝廷も及び、

(うわさ)も、に乗って流れて来る距離ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
        
                    紀貫之 ・・・菊池容斎・画/『前賢故実』   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (341)

【支折の言葉・・・11/119 】


越前(えちぜん/福井県)・伊勢(いせ/三重県の大半)・播磨(はりま/兵庫県の西南部)などは、近く豊か

であり、安全土地柄だったのでしょうか。でも、そういう所は、宮廷/貴族社会力学で、

有力貴族が割り当てられるわけです。直接、財力に結びつくわけですから。

ええと…

土佐日記・・・<ジャンプ> を書いた紀貫之は、古今和歌集編纂した1人で、当時

から有名歌人であり、名士(めいし/すぐれた名高い人物)した。でも、遠い遠国(おんごく/律令国の等級

区分の1つ。 古代日本の律令制の下において、地方行政区画の一環として、畿内からの距離によって国を分けました。)

国守として…



 5月  11日

岡田健吉‏@zu5kokd1        
        
                   『小倉百人一首・・・35番/紀貫之』  <ジャンプ>  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (342)

【支折の言葉・・・11/120 】


赴任しています。

あ、ええと…

参考までに、古今和歌集撰者は、紀友則(きの・とものり)・紀貫之(きの・つらゆき)・凡河内躬

(おおしこうちの・みつね)・壬生忠岑(みぶの・ただみね)4人ですね。その内1人ですから、自他

共に認める、当時有名歌人です。

でも、だからと言って…

<平安王朝社会・・・貴族社会の秩序・・・> の中で…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
        
                  『小倉百人一首・・・30番/壬生忠岑』  <ジャンプ>  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (343)

【支折の言葉・・・11/121 】


一気に、身分高くなるわけではありません。身分世襲する貴族が、ガッチリ構成

れているからです。その頂点が、<王朝の中核・・・皇室/・・・そして、天皇・・・> でし

た。

それから…

枕草子 を書いた <清少納言> も、父親/清原元輔(きよはらの・もとすけ/内蔵允・清原深養父

(きよはら・ふかやぶ)の孫で、下総守・清原春光の子。娘に清少納言がいる。三十六歌仙の一人。)の、<周防守・・・

赴任(一度目。2度目は、79歳の高齢で肥後守に任ぜられ、再び受領として九州に赴いています。) に際して、

しています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
        
                  『小倉百人一首・・・62番/清少納言』  <ジャンプ>  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (344)

【支折の言葉・・・11/122 】


彼女は、4年歳月(ひな/いなか)にて過ごしている、とあります。周防国は、現在山口

県東南部ですから、遠国(おんごく)になります。2度目肥後(/熊本県)へは、79歳という非常

高齢赴任でしたが、一緒には行かなかったと思います。

それから…

源氏物語 を書いた、<紫式部> の場合は…

父親は、官位正五位下 <下級貴族> でしたが、<第65代/花山天皇> 漢学

教える…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
        
                   『小倉百人一首・・・57番/紫式部』  <ジャンプ>  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (345)

【支折の言葉・・・11/123 】


漢詩人であり、歌人でした。式部丞(しきぶの・じょう/式部省は、八省の1つ)/六位蔵人(ろくいの・く

ろうど/蔵人所の官吏。 五位蔵人の次位にあたる。 定員はおおよそ4名から6名。 天皇の膳の給仕等、秘書的役割を果たし

た。)ですね。

紫式部式部という女房名は、父親官職/式部大丞(しきぶの・だいじょう)から来ています。

そして、その父は、花山天皇出家すると失職しています。つまり、<法皇> になってし

まって、仕事が無くなってしまったわけです。

10年後困り果てて…

<第66代/一条天皇> に、得意とするを奉じた結果、<越前国・・・越前守に叙任

(じょにん) された、という事です。嘆願し、ゴマをすり、法皇かその周囲口添えもあり、

したのでしょうか?



 5月  12日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                    『正法眼蔵 しょうぼうげんぞう の著者/道元禅師     (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (346)

【支折の言葉・・・11/124 】


ともかく、紫式部娘時代約2年間を、父の任国/越前(/福井県北部の旧国名)で過ごしてい

ます。越前雪深いと言われますが、京/都からそれほど遠くないですよね。

<道元禅師が・・・永平寺・・・を開山した地・・・> ですね。あ、それは後の時代鎌倉時

代・初期の事になります。

ええと、そして彼女は…

やがて、源氏物語 を、書くようになり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
        
                『小倉百人一首・・・60番/小式部内侍』  <ジャンプ>  (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (347)

【支折の言葉・・・11/125 】


周囲見せて楽しんでいました。文学少女だったわけですね。彼女は、貴重が手に

入った時に、それを清書していた様です。それが、しだいに評判になり、<関白/藤原道

長> にも、届いた様です。

それが <藤原道長の長女・・・中宮/彰子に華(はな)を添えるため・・・女房として

宮廷入り・・・> します。源氏物語執筆するための、貴重も、自由に使えるように

なりました。

この時代は、<宮廷サロンに・・・女流文学が・・・開花・・・> しています。<中宮/彰子

・・・上東門院(じょうとう・もんいん) に仕えた、主だった女房だけでも…

源氏物語 <紫式部>

王朝有数歌人として知られた <和泉式部(いずみ・しきぶ)

和泉式部1人娘で…

 大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立

                                  小倉百人一首・・・60番/小式部内侍

…と詠んだ <小式部内侍(こしきぶの・ないし)

 歌人で、栄花物語/正編作者と伝えられる <赤染衛門(あかぞめ・えもん)

栄花物語/続編作者と伝えられる <出羽弁(でわの・べん)

紫式部1人娘で、歌人の  <越後弁(えちごの・べん/後の大弐三位。後冷泉天皇の乳母)

 ★ 古の 奈良の都の 八重桜 けふ九重に 匂ひぬる哉 

                                   小倉百人一首・・・61番/伊勢大輔

…が有名な、歌人 <伊勢大輔(いせの・たいふ)

などがいて、まさに宮廷は、明るくサザめいていた様子ですね。

ええと、紫式部は…

中宮/彰子女房として、<第66代/一条天皇> に、身近に仕える身分となり、

の、<従五位下・越前守叙任(じょにん/位を授けて、官職に任ずること。)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
        
                                                     (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (348)

【支折の言葉・・・11/126 】


…について、あらためて、天皇謝意奏上したのでしょうか。

<中宮/彰子> は、清少納言の仕えた <中宮/定子> が、出産に絡んで他界した

後、<御堂関白の・・・栄華の極致・・・> を、支えて行く事になります。

あ、一時は…

中宮/定子と、中宮/彰子2后が並び立ち、<清少納言> と、紫式部が共に、一条天

の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《 支折の・・・徒然草 》 (349)

【支折の言葉・・・11/127 】


内裏に居た事になりますよね。やがて清少納言が、宿下がりすることになります。

<御堂関白(みどうかんぱく)/藤原道長の・・・権勢・・・> が、自分長女/彰子強引に、

中宮に押し込んだわけです。あ、12歳若さで、女御(にょご)として入内(じゅだい)していてい

ます。そして、色々あって、2后並び立つ状況になったのでしょうか。

これも…“絶対的な・・・権力/権勢を・・・弄(もてあそ)んだ・・・” ことに、なるのでしょうか?

ええ、ともかく…

一般に、<下級貴族(/正一位からはじめて、少初位下(しょうそいげ)まで30階層に分かれていた従五位下より下

の身分。 朝廷に仕える廷臣のうち、京都御所の清涼殿殿上間に上がれる堂上家に対し、上がれない階位の者を地下家と呼

んだ。/・・・一般に、下級貴族たちが従事していた職業の多くは、王朝時代の貴族社会の存在基盤に関わるものでした。例

えば、鍛冶鋳物職人・大工・木工職人・商人・武者・医師などです・・・) の、場合や…

年若い場合は、国守(かみ)ではなくて、(すけ)(じょう)(さかん)などとしても派遣

れ、経験を積み、家柄によっては、出世コースもあったのでしょうか?



 5月  13日

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《 支折の・・・徒然草 》 (350)

【支折の言葉・・・11/128 】


でも、<上流貴族> 場合は…

このシステムでは財産作りが出来なかった様です。皇室同様に、税収分配されていた

のでしょうか。でも、それ以上財力が欲しくなりますよね。

そして、やがて…

<荘園の寄進(きしん) を、受けるようになります。つまり、地方の人々は、自分の土地

<皇室・大貴族・大寺社> など、中央有力者荘園として寄進し、これを受け容れた

のです。

<寄進> とは…

土地物品などを贈り、後ろ盾を得ることです。 有力者寄進と引き換えに、荘園保護

を引き受けました。 荘園有力者権威利用して、<不輸(ふゆ)・不入(ふにゅう)の権>

獲得して行きます。 

また、<新しく開墾した・・・土地所有者等を庇護・・・> してやったり、それらの土地で、

一定ピンハネ(/・・・他人に取り次ぐ資金や代金の一部を、不正にかすめ取ること。)を得る…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
        
                                                     (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (351)

【支折の言葉・・・11/129 】


システムが、定着して行った様ですね。

ともかく…

<有力貴族> <有力社寺> が、その権勢利用して、<荘園を・・・拡大・・・>

て、行った様です。ええ、歴史専門というわけではないので、詳細研究した事はあ

りません。でも、こんな事をしていたら、<本来の・・・国家税収> が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
        
                     信西                            (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (352)

【支折の言葉・・・11/130 】


枯渇(こかつ)するわけで、改革必要でした。

ええ、を戻しましょう…

ともかく、<第77代/後白河天皇> 側近に、<信西(しんぜい)/・・・僧・・・> という、

人物がいました。信西出家後法名ですね。俗名は、藤原通憲(ふじわらの・みちのり)です。

代々学者家系だった様ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
        
                                           (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (353)

【支折の言葉・・・11/131 】


この信西が…

<国政改革・・・推進!! のために、<平清盛を・・・厚遇(こうぐう)・・・> した様です。

<平氏一門は・・・北面武士の中で・・・最大兵力> を、有していました。

<平治の乱> の、には…

<平清盛(/平忠盛の嫡男)が・・・播磨守(はりまの・かみ/兵庫県南西部の国守) <平頼盛(たいら

の・よりもり/平忠盛の五男)が・・・安芸守(あきの・かみ/広島県西部の国守) 平教盛(たいらの・のりも

り/平忠盛の四男)が・・・淡路守(あわじの・かみ/兵庫県淡路島・沼島の国守) 、… 



 5月  14日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 平清盛『芳年武者旡類(よしとし・むしゃぶるい) 平相国清盛』 月岡芳年が手掛けた、縦大判東錦絵揃物 『芳年武者旡類』

 の一図。 1883年(明治16年)刊行の武者絵。                                (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (354)

【支折の言葉・・・11/132 】


<平経盛(たいらの・つねもり/平忠盛の三男。★ 平敦盛らの父敦盛(あつもり)は・・・織田信長の好んだ歌/

★ 人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり 一度生を享け 滅せぬものの あるべきか   は、幸若

/『敦盛』の一節。)が・・・常陸(常陸国(ひたちのくに)/茨城県の大部分・・・南西部を除いた地域。)(すけ/国

司で、守の下の位) と、兄弟四ヶ国受領を占めて、さらに勢力拡大しています。

ええ…

ここから後の…

<平氏の繁栄・奢(おご)り・・・源平の騒乱による衰退・・・安徳天皇の入水(じゅすい)によ

る終止符・・・ は、広く世間に知られていますから、この考察はここまで、とします。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
        待賢門院(たいけん・もんいん)・像/藤原 璋子・・・第74代天皇后  (法金剛院蔵)   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (355)

【支折の言葉・・・11/133 】


ともかく…

<西行法師が・・・生涯、恋し続けた女性・・・待賢門院/璋子・・・> とは、この様な生

を歩んだ、“権力に翻弄された・・・でも、毅然と生きた・・・美しい女性・・・” だった、という

事ですね。

<摂関家/徳大寺家の血統で・・・白河院の養子・・・> となって、さらに(はく)をつけ

たわけですから、よほど・・・大切にされた 、という事ですよね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
        
             【日本三大怨霊】 の1つ。 崇徳院・・・京都最恐の怨霊    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (356)

【支折の言葉・・・11/134 】


つまり、摂関家の血統で・・・並外れて美しく・・・器量良し・・・” という事は、確かだった様で

すね。

彼女は…

鳥羽院皇后として、2人の間何人もの皇子・皇女をもうけています。でも、第1皇子/崇

徳天皇出生をめぐっては、2人の間には深く消えない溝がありました。これを除けば、

鳥羽天皇/鳥羽院にとって、申し分のない皇后だった、と思われます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
        
                   第72代/白河天皇 (/上皇・法皇)    (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (357)

【支折の言葉・・・11/135 】


それが…

祖父/白河院によって構造的破壊されていたわけです。白河院はそうやって、皇位

(もてあそ)んだわけであり、運命的皇子/崇徳天皇は、<日本・・・3大怨霊・・・> 1つ

に、なってしまいました。

白河院が、お隠れになると… 

鳥羽院には大勢の妃がいるわけで、彼女疎外感は、現実のものだったのでしょうか。た

だ、<2人の天皇/・・・崇徳天皇と後白河天皇の・・・母であった・・・> と、いう事です

ね。

全ては…

“白河院の・・・確信犯的な狼藉(ろうぜき)・・・”

“白河院が・・・絶大な権力・権勢を弄んだ結果・・・崇徳天皇の悲劇的な生涯・・・” を、生ん

でしまった、と…


 5月  15日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                              西行法師                (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (358)

【支折の言葉・・・11/136 】


…いう事でしょうか。

結局

<待賢門院/璋子> にしても、“真に・・・心を通わせる事の・・・出来た人・・・” は…


      <唯1人・・・

        少年の頃から、好意を寄せてくれ・・・

        今は、諸国を彷徨し、歌を詠み歩いている・・・

        西行法師/佐藤義清だけだった・・・>


…のかも、知れませんね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《 支折の・・・徒然草 》 (359)

【支折の言葉・・・11/137 】


「あ…」支折が、スクリーンボードの方を眺めた。「最後に…

百人一首西行を、もう一度見ておきましょうか。マチコさん、お願いします、」

「はい…」マチコが、ポン助からコントローラーを受け取った。そして、スクリーンボード

クロールさせた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
       
西行(さいぎょう/平安後期の歌人・・・西行法師 (菊池容斎画/江戸時代)   (ネットより画像借用)

《 支折の・・・徒然草 》 (360)

【支折の言葉・・・11/138 】


「ええ…」支折が言った。「有難うございます…


                     百人一首・・・86番/西行法師  千載集・・・恋/926


   ★ 嘆けとて 月やはものを 思はする

                 かこち顔なる わが涙かな

 

         嘆けと言って・・・

              月が私を・・・

                  もの思い耽(ふけ)らせようとするのだろうか・・・

               いや、そうではない・・・

                   恋の悩みだというのに・・・

                        月のせいだとばかりに・・・

                             流れる私の涙なのだよ・・・


…ですね。

勅撰和歌集/千載和歌集/千載集(せんざいしゅう/全20巻・・・『詞花和歌集』 の後、『新古今和歌集』

の前に撰集され、勅撰和歌集の、第7番目に当たる。) に採られている、当代代表するですから、当

然、<待賢門院> にも、触れているわけですよね。

特に、待賢門院 <西行> は、全て読み返していた、のではないでしょうか。でも、

そこには、凛然(りんぜん/勇ましくりりしいさま。)とした距離があったわけです。

飛鳥時代の…

 蒲生野(がもうの)での、額田王(ぬかたの・おおきみ)大海人皇子(おおあまの・みこ)有名な歌


★ あかねさす 紫野
(むらさきの)行き 標野
(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る

                                               (額田王)


★ 紫草(むらさき)の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも

                                             (大海人皇子)


も、当然、隠したいはずの、天智天皇にも触れているわけですね。でも、それもこれ

も、恋の歌として、許容・観賞する、大らかな和歌世界なのでしょうか、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《 支折の・・・徒然草 》 (361)

【支折の言葉・・・11/139 】


「ええ…」支折が、インターネット正面カメラを見上げ、一礼した。「第十段 家居のつき

づきしく、あらまほしきこそ・・・ は、ここまでとします。

<ウクライナ戦争・・・ウクライナへの、ロシア軍の侵攻・・・> が、大変な事になってい

ます。次は、響子さんの、《危機管理センター》 のページへ移行します。

《 My Weekly Jounal 》 の、津田・編集長 軍事・戦略担当/大川慶三郎さん国際

部/北原和也さんが、そちらに入っています。

それから、<新型コロナ・・・COVID19> を監視している、生物情報科学担当/厨川

アンさんも、引き続き、そちらに張り付いています。

どうぞ、ご期待ください!」