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トップページ/New Page Wave/Hot Spot/Menu/最新のアップロード/ 担当: ボス= 岡田 健吉 |
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〔人間の巣/未来型都市/千年都市〕/〔極楽浄土インフラ〕 の・・・世界展開/ポスト民主主義社会の器!
★ 日本の社会インフラの再構築・・・ 激烈化する気候変動/豪雨・豪雪・熱波・寒波・ 地震・火山災害から・・・国民を完全防御! ★ 対核シェルター以上の・・・ 戦争ゴッコへの対応! 感染症パンデミックへの対応!万能型・防御力/地球近傍天体の衝突への対応! ★ 気候変動への長期的対応・・・世界中で可能な・・・ 脱・冷暖房社会! 脱・車社会への対応! 人口爆発への対応! コンパクト・分化・多様性・・・ スローフード・スローライフ社会への・・・回帰! |
4月 30日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (301) 【支折の言葉・・・11/79 】
内乱・・・> は、大海人皇子の圧勝でした。 <近江朝廷/総大将・・・大友皇子の・・・自死/自決(じけつ/自殺すること)> に関しては、 ここではあえて、言及を避けることにします。戦争は常に悲惨ですね。多くの血が流され、 終結しています。 ところで…
《 支折の・・・徒然草 》 (300) 【支折の言葉・・・11/78 】
<吉野出兵> では… わずか数日で数万、最終的には9万近くになるのでしょうか?これほどの巨大軍勢が、人 口の希薄な古代社会に、突然湧き上がったことは、確かですよね。世界の戦史にも、例の 無い奇跡…と、言われているそうです」 「ナポレオン(/フランス革命期の軍人。フランス第一帝政の皇帝に即位。)にも…」夏美が言った。「アレクサ ンドロス3世(/マケドニア王国の王(在位前336~前323)。アレクサンダー大王とも呼ばれる。マケドニア、ギリシア、 エジプトを含むオリエント世界(/中東)、インドの一部に及ぶ大帝国を創建した。)にも起こせない、奇跡かしら?」 「うーん…」マチコが、うなづいた。「古代社会を、大震撼させた <壬申の乱> かあ… あ、でも、その前には、九州/大宰府で、<唐・新羅の連合軍と・・・白村江(/朝鮮半島の白 村江/現在の錦江河口付近)の戦い・・・> を、やっているわねえ、」 「そうかあ…」夏美が言った。「大海人皇子は、その戦も指揮していたわけですよね?」 「そうですね…」支折が、うなづいた。「第37代/斉明天皇が、朝倉宮で崩御し… 中大兄皇子(/天智天皇)が指揮し、大海人皇子や中臣鎌足(なかとみの・かまたり/藤原姓を賜り、藤 原鎌足・・・藤原氏の祖)も、居ました。 この時点では、中臣鎌足すでに他界していましたが、そもそも、この老臣が生存していたら、 大海人皇子の都落ちも、無かったかもしれませんわ。 おそらく、額田王(ぬかたの・おおきみ)のコトだと思いますが、それでゴタゴタとし、天智天皇が 激怒して、“殺す” と言った時、“中臣鎌足が・・・取りなした・・・前例・・・” が、あったわけで すね、」 「そうかあ…」マチコが、うなづいた。 「ええ…」支折が言った。「ともかく… その、<吉野出兵の・・・古代の大軍勢・・・> は、<不破関(ふわのせき)・・・関ヶ原> に 糾合(きゅうごう/・・・ある目的のもとに人々を寄せ集め、まとめること。)され…
《 支折の・・・徒然草 》 (299) 【支折の言葉・・・11/77 】
そうだとすると、クーデター(/武力によって、非合法的に政権を奪取すること。)の色彩も、より濃厚にな るのでしょうか。でも逆に、何故、千年以上もの間、天皇とは承認されず、大友皇子のまま だったのでしょうか?」 「そうよね…」マチコが、うなづいた。「でもさあ、明治天皇がその問題に、決着をつけたわ けよね、」
《 支折の・・・徒然草 》 (298) 【支折の言葉・・・11/76 】
して行きますので、ご容赦下さい。 あ、でも… この間に、<第39代/弘文天皇(こうぶんてんのう)の・・・即位・・・> が、あったのでしょう か? 近代になり、<第122代/明治天皇(1870年(明治3年)に、弘文天皇と追諡(ついし/死後におくりなを贈 ること。))> が、諡号(しごう/死後に贈る名。中国から8世紀初めごろ日本に伝わり、天皇や出家しない高官などに、諡 号が贈られました。和風諡号。 .)を送り、弘文天皇と…
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4月 29日 昭和の日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (297) 【支折の言葉・・・11/75 】
672年5月… 大海人皇子のもとに、<大津京に・・・不穏な動きあり> の情報が、入ったとありますね。 そして、同年6月24日に、大海人皇子は、吉野をお発ちになって、不破へと向かい、大友 皇子との戦いに挑まれた…とあります。 うーん… でも、<吉野出兵・・・壬申の乱> の日時は、確かなもの、と思われますから… <・・・崩御・・・> の日時が、相当にズレているのでしょうか。如何に、古代でも、それほ どノンビリとは、構えていないと思うのですが。
《 支折の・・・徒然草 》 (296) 【支折の言葉・・・11/74 】
密かに、大海人皇子の旧臣を、糾合できたのかもしれませんね。ともかく、人々は皆、旧 知の仲で、敵と味方の色分けも、非常に難しかったのではないでしょうか。 うーん… この資料では… <・・・崩御・・・> の、直後の、<吉野出兵> には、なっていない様ですね。天智天皇が お隠れになって…
《 支折の・・・徒然草 》 (295) 【支折の言葉・・・11/73 】
対を押切って大和の飛鳥から移した都。その位置は現在の滋賀県大津市内の旧滋賀村一帯といわれます。)・・・近江 朝廷・・・> が、相当に混乱していた様子が、うかがわれます。 <高市皇子(たけちの・みこ/・・・大海人皇子が、天武天皇になるまでは、皇子ではなく、王子です。)> は… <美濃国/不破関(ふわのせき/・・・古代・中世の関所。愛発(あらち)・鈴鹿とともに、三関(さんかん)の1つ。東山 道の近江(おうみ)・美濃(みの)の国境に置かれていた。現在の、岐阜県/不破郡/関ヶ原町 )・・・関が原> で、大 海人皇子から <軍事の・・・全権> を委ねられて、大活躍した様です。 また、彼は、<持統天皇の即位後・・・持統朝> において、太政大臣(だじょうだいじん/)にな っていますよね。 あ、ええと… <・・・天智天皇/崩御・・・> から、数日間は…
《 支折の・・・徒然草 》 (294) 【支折の言葉・・・11/72 】
・・・> は、ようやく監視から解放されて、野山や集落の中を、戦の緊張感を感じながらも、 伸び伸びと旅をしたのでしょうか。 やがて… 伊賀/名張(なばり)で、<大海人皇子の・・・長男/高市皇子(たけちの・みこ/天武天皇の第1皇 子。壬申の乱に際し、天武天皇を助けて活躍。皇太子/草壁皇子の死後、太政大臣。万葉集に3首の歌が伝わります。) > の軍勢が、父の軍勢と合流します。都に残っていた、大海人皇子の旧臣達を…
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4月 28日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (293) 【支折の言葉・・・11/71 】
近江朝側の監視の隙(すき)を突き、吉野離宮を脱出します。一行は少人数で、山道を伊賀 へ抜けて行きます。その間、諜報活動で組織した、<吉野出兵> が波動を開始します。 味方の兵も集まりはじめ、身辺警護も厚く固められ、大地に馬の蹄の音が轟ます。でも、そ れは、味方の蹄の音とは限らないわけですね。そうした緊張感の中で、騎馬兵を交えた軍 勢の移動に囲まれつつ、<大海人皇子・鸕野讃良皇女・・・
《 支折の・・・徒然草 》 (292) 【支折の言葉・・・11/70
】 結局、後に巷で噂された様に…
近江朝は天智天皇が重病になり、混乱に陥って行ったと考えられます。一方、吉野/吉野 離宮においては、威圧的な近江朝廷側の監視が、天智天皇の崩御まで、続きます。 そして… <・・・天智天皇/崩御・・・(享年/46歳)> の、第一報が届くと…
《 支折の・・・徒然草 》 (291) 【支折の言葉・・・11/69 】
<★ 詞書: 天智天皇重病時に剃髪(ていはつ)して吉野に入った時のこと >
時なくぞ 雪はふりける ひまなくぞ 雨はふりける その雪の 時なきがごと その雨の ひまなきがごと くまも落ちず 念ひつつぞ来し
その山道を |
4月 27日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (290) 【支折の言葉・・・11/68 】
をたとえていう。虎穴(こけつ))を脱出し、前後を警戒しつつ、山岳地帯に入り、ようやく、一安心でし た。 さらに… しんがり(/後退する部隊の中で、最後尾を担当する部隊。)と、斥候(せっこう/敵情、地形その他の諸種の状況を偵 察・捜索するため、部隊から派遣する小兵力の人員。)を配置して、一行は吉野離宮をめざし、落ちて行き ます。“惨めな・・・それでも、油断のない・・・敗軍の将の姿・・・” ですね。 それから… <大海人皇子の・・・長歌(ちょうか/『万葉集』 に多く見えるが、『古今和歌集』 の時点では、すでに作られなく なっています。長歌は、柿本人麻呂において、その頂点に達したと言われます。)> に詠まれている様に…幾重 もの山を越えて…都落ちして行くわけです。
《 支折の・・・徒然草 》 (289) 【支折の言葉・・・11/67 】
ちして行きます。 その途中… 戦の機微(きび/表面だけでは知ることのできない、微妙なおもむきや事情。)を、知り抜いている大海人皇子 は、追手を非常に警戒します。最初の宿泊地から、夜明け前の川沿いに身を潜めて、懐か しい大和の地で、逃走を開始します。
《 支折の・・・徒然草 》 (288) 【支折の言葉・・・11/66 】
機敏に危険を察知し…太政大臣の職務を返上して…吉野に隠棲(いんせい/ 俗世間を逃れて静 かに住むこと)すると奏上(そうじょう/天子に申し上げること)します。以後、間髪を入れずに、動物の様 に行動します。 素早く… 自らの居館の武装を解除し、武具を天皇の武器庫に返納して、二心の無い事を示し、介入 する糸間も与えずに…
《 支折の・・・徒然草 》 (287) 【支折の言葉・・・11/65 】
考えればいいのかしら?」 「うーん…」マチコが、首を振った。「そこが、分からないわねえ…」 「ふーん…」支折が、唇に指を押し当てた。「ともかく… 歴戦練磨で、天智天皇と比肩(ひけん/肩を並べること)しうる…
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4月 26日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (286) 【支折の言葉・・・11/64】
それほど、深く信頼し…自分の右腕として重用し、太政大臣として…いずれは、皇位を譲 るつもりだったのでしょう。 ところが… 天智天皇は、重病に陥った晩年に、心変わりして、<自分の皇子/・・・大友皇子に、譲 位・・・> しよう決断し、アッサリと、大海人皇子の首を取ろうとするわけです。 普通は、信じられない話ですが、ここでも、“強大な天皇が・・・絶対権力を弄ぶ姿・・・” が、 歴史を、動かして行きますよね。 これまでにも… <中大兄皇子(なかの・おおえの・おうじ)/・・・天智天皇> は… 自分の皇位継承の障害になる、<古人大兄皇子(ふるひとの・おおえの・みこ/ 舒明天皇の第1皇子。 天智天皇の異母兄)> や、<有間皇子(ありまの・みこ/第36代・孝徳天皇の皇子で・・・中大兄皇子の前に、皇 位継承権があった。)> を、罪を着せて、誅殺(ちゅうさつ/罪をとがめて殺すこと)しています。 したがって… 大海人皇子の誅殺も、実行される可能性は、非常に高かったわけです。これは、こうなった 以上、自分が亡(な)き後、大海人皇子の実力を、非常に恐れたからかも知れません。また、 大海人皇子の、<国造りの・・・展望・・・> も、聞いていたのかも知れません。 でも、ともかく… <大友皇子/・・・第39代・弘文天皇> の正妃は、十市皇女であって、彼女は大海人 皇子と…
《 支折の・・・徒然草 》 (285) 【支折の言葉・・・11/63】
あ、ここに資料がありました。ええと、4人ですね…
大田皇女 → 鸕野讃良・皇女の、同母姉 (大来皇女/伊勢斎宮 、 大津皇子) 大江皇女 → 鸕野讃良・皇女の、異母妹 (長皇子) 新田部皇女 → 鸕野讃良・皇女の、異母妹 (舎人親王)
《 支折の・・・徒然草 》 (284) 【支折の言葉・・・11/62 】
「そうですね…」支折が、微笑した。「一方で… 天智天皇は、実弟/大海人皇子に、自分の娘/皇女を、ええと…3、4人も、妃としてくれ てやっていますね。だから、大海人皇子の妃/額田王を取り上げる事も、案外、気を咎め ることも、無かったのかも知れません。太っ腹(ふとっぱら)でした。 でも、大海人皇子の方には、恨みが残った様子です。時に暴れていますし、天智天皇を激 怒させ、中臣鎌足/藤原鎌足が、仲裁をしたりもしています。本当に、額田王を愛していた のですね。ふーん… あ、ええと… 大海人皇子に、くれてやった皇女は… 筑紫/太宰府へ下向した時(/・・・朝鮮半島の、百済王国の救済のため、唐・新羅の連合軍と戦うために・・・(近 くで、指揮を執る目的で)・・・第37代/斉明天皇が、大宰府近くの朝倉宮に動座した時。斉明天皇は、その朝倉宮で崩御。 そうした暗雲の漂う中で、実力者/中大兄皇子・大海人皇子・中臣鎌足らは・・・白村江の戦に乗り出し・・・海戦・陸戦ともに 完敗して・・・九州一帯に水城を築き、防人を配置します。)の妃の、大田皇女や、<鸕野讃良(うのの・さらら) 皇女/・・・
《 支折の・・・徒然草 》 (283) 【支折の言葉・・・11/61】
“強大な天皇が・・・絶対権力を弄んでいる・・・” という事ですが、<その権威・権力が・・・ いかに常識外れで・・・膨大なものだった・・・> かを示す、よい例ですね。天皇や上皇 によっても、実力が異なるわけですわ、」 「うーん…」マチコが、肩を揺らした。「でもさあ… 暗い感じというより、“蒲生野の・・・2人歌・・・” は…
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4月 25日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (282) 【支折の言葉・・・11/60 】
あ、ええと… 『万葉集』 の、蒲生野(がもうの)の歌は…
(額田王)
(大海人皇子)
《 支折の・・・徒然草 》 (281) 【支折の言葉・・・11/59 】
『万葉集』 にある… 蒲生野(がもうの)での有名な歌は、<額田王> も、<大海人皇子> も、まだ未練たっぷり な様子です。これは、非常に有名な歌ですが、『小倉百人一首』 には、採られていません。
<藤原定家> は、何故か、“1番目の歌を・・・天智天皇”
から、始めています。
《 支折の・・・徒然草 》 (280) 【支折の言葉・・・11/58 】
<実弟/大海人皇子(おおあまの・みこ)の・・・妃/歌人/額田王(ぬかたの・おおきみ)・・・> を、 2人の間に娘(/十市皇女・・・後の、大友皇子/第39代・弘文天皇の正妃。大友皇子は壬申の乱で破れています。) が、産まれているのにもかかわらず、召し上げて、自分の妃としています。 これは、古代ロマンとして語られていますが、“絶対権力を・・・弄(もてあそ)んでいる・・・” とし か、思えませんねえ、」 「そうですね…」支折が、モニターを覗(のぞ)いた。「何度か…
《 支折の・・・徒然草 》 (279) 【支折の言葉・・・11/57 】
う事なのでしょうか?」 「うーむ…」高杉が、アゴに手を当てた。「<絶対的な・・・権力者> になってみて… “何でも・・・出来る・・・” というのも、案外、“味気の・・・ないもの・・・” ですねえ。
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4月 24日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (278) 【支折の言葉・・・11/56 】
運命の様にその座に到達すると、大化けする権力者がいます。この白河院も、大化けした のでしょうか?? ええと、だいぶ遡りますが… <第21代/雄略天皇(ゆうりゃくてんのう/考古学的に、実在がほぼ確定している最初の天皇。 允恭天皇(いんぎょうてんのう)の第5皇子・・・反抗的な地方豪族を武力でねじ伏せて、帝権を飛躍的に拡大させ、強力な専 制君主として君臨したとされます。 『日本書紀』 の暦法が、雄略紀以降とそれ以前で異なること・・・『万葉集』 や 『日本霊異記』 の冒頭に、その名が掲げられ ていることから、雄略天皇の時代が、歴史的な画期であったと、古代の人々が捉えていたことが窺えます。それまでの日本 列島は各地の有力豪族による連合体でしたが、雄略天皇の登場により大王による専制支配が確立され、大王を中心とする 中央集権体制が始まった、とする見方もあります。)> や… 今あげた <第38代/天智天皇> も、そうなのかしら?
《 支折の・・・徒然草 》 (277) 【支折の言葉・・・11/55 】
<歴史的に・・・摂関政治(/藤原氏の、摂政・関白による政治)を終わらせ・・・院政(/皇位を譲って上 皇となり、上皇が直接的に行う政治形態。摂関政治が衰えた平安時代末期から、鎌倉時代/武家政治が始まるまでの間に 見られた政治形態。)に変えた・・・> と、いう事なのでしょうか?」 「うーむ…」高杉が、アゴをひねった。「私も、歴史は詳しくはないですねえ、」 「はい…」支折が、小さくうなづいた。「ともかく… 最初は、おとなしい天皇でしたが、やがて膨大な権勢を掌握し、無意味に暴走して行きま すよね。<出家し・・・法皇となった身・・・> で、人間的な器量が、露呈しています。 うーん… どうなのでしょうか? <御堂関白(みどう・かんぱく)・藤原道長> や…
《 支折の・・・徒然草 》 (276) 【支折の言葉・・・11/54 】
「そうですね…」支折が、髪を撫で下ろした。「<白河上皇> の場合も… 問題の元凶は、<白河上皇/白河院の・・・理不尽な横暴・・・> です。そして、<天智 天皇> の場合も、<大海人皇子(おおあまの・みこ)/・・・後の、天武天皇の都落ち・・・> から、始まっています。 でも… 当時、それは、天皇や上皇が決定した事です。間違い、という事では無いわけですね。私 は、歴史については詳しくはないのですが…
《 支折の・・・徒然草 》 (275) 【支折の言葉・・・11/53 】
絶対権力者が崩御すると、それまでの権力構造が、一気に瓦解するわよね。天智天皇の 崩御でも、<日本古代史における、最大の内戦・・・吉野出兵 → 壬申の乱・・・> とな り、<第40代/天武天皇の・・・飛鳥浄御原宮(あすか・きよみがはらの・みや/・・・天武天皇と持統天 皇の2代が営んだ宮)での・・・国造り・・・> と…
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4月 23日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (274) 【支折の言葉・・・11/52 】
第1皇子が、5歳になった時… <白河院は・・・鳥羽帝を譲位させて・・・幼帝/崇徳天皇を・・・即位・・・> させました。 ここまでは、順調に、<絶対権力者/・・・白河院・・・> の、思いのままでした。 でも、やがて、崩じられると、一気に問題が噴出しました…」
《 支折の・・・徒然草 》 (273) 【支折の言葉・・・11/51 】
よる、院政の時代・・・> となり、上皇に膨大な権勢が集中して、何でも思いのままだった からです。 <鳥羽天皇> も、<院政を敷いていてる・・・父/白河院・・・> には、全く頭が上がら ずに、白河院が在世中は、コトを荒げる事もなく、<待賢門院との間に・・・多くの、皇子 ・皇女> を、もうけています。
《 支折の・・・徒然草 》 (272) 【支折の言葉・・・11/50 】
して、<強力な院政を敷く・・・上皇・・・> と、情を通じているとの噂も立っていました。御 所内で、そういう事になれば、周囲にも分かるわけです。 それから… <鳥羽帝の・・・内裏・・・> に入って、中宮となり… <第1皇子/・・・後の、崇徳天皇・・・> が、産まれています。こんな、人道的な横暴が、 公然と為されていたのも…
《 支折の・・・徒然草 》 (271) 【支折の言葉・・・11/49 】
女性も、主人に殉じる(じゅんじる/・・・命をささげる、後を追う、)という事もあるわけですね。 あ、ええと… <大徳寺家の・・・璋子(しょうし)/待賢門院(たいけんもんいん)> は… <第74代/鳥羽天皇の・・・中宮/皇后> になる前に、<第72代/白河天皇・・・白 河上皇・法皇の・・・養女・・・> として…
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4月 22日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (270) 【支折の言葉・・・11/48 】
門に入ったわけですね。 実は、その前年に… <第75代/崇徳天皇> が、皇位を逐(お)われて退位しています。その事情は後で述べ ますが、待賢門院はその我が子に殉(じゅん)じ、出家した様です。あ、崇徳院は、『小倉百 人一首』 にも、採られていますよね。
《 支折の・・・徒然草 》 (269) 【支折の言葉・・・11/47 】
けかあ。斎院をやっていたわけよね?」 「うーん…」支折が、うなづいた。「その様ですね… あ、ついでですから… <西行> と <待賢門院・璋子> の関係を、もう少し掘り下げて見てみましょうか。肖像 画の様に、<待賢門院・璋子> は…
《 支折の・・・徒然草 》 (268) 【支折の言葉・・・11/46 】
る様ですね。 ちなみに、待賢門院・堀川の妹も、待賢門院に仕えていました。父親は、神祇伯(じんぎはく /従四位下相当)・顕仲(あきなか)で、神官たちを統率する役所の、長官ですね、」 「そうかあ…」マチコが言った。「だから、待賢門院・堀川は…
《 支折の・・・徒然草 》 (267) 【支折の言葉・・・11/45 】
、戦国時代(16世紀)にいたる、およそ500年間をさしている。)では… 女性の名前では、男女のいずれか分からないモノがありますね。<清少納言> や、<紫 式部> 、<赤染衛門(あかぞめえもん)> や… 『更級日記(さらしなにっき/『蜻蛉日記』 『紫式部日記』 などと並ぶ、<平安・女流・日記文学> の代表作の1つ・・・ 東国・上総の国府に任官していた父・菅原孝標の任期が終了したことにより、寛仁4年(1020年)9月に上総から京の都へ 帰国するところから起筆。『源氏物語』 を読みふけり、物語世界に憧憬しながら過ごした少女時代。度重なる身内の死去に よって見た厳しい現実。祐子内親王家への出仕。30代での橘俊通との結婚と仲俊らの出産。夫の単身赴任。康平元年秋 の夫の病死。子供たちが巣立った後の孤独の中で、次第に深まった仏教傾倒までが、平明な文体で描かれています。全1 巻。)』 の… <菅原孝標女(すがわらの・たかすえの・むすめ/・・・<菅原道真> の5世孫にあたる菅原孝標の次女)> や… 『蜻蛉日記(かげろうにっき/・・・天暦8年(954年) ~ 天延2年(974年)の出来事が書かれており、成立は天延2年 (974年)前後と推定される。上中下の全3巻。 内容は・・・ 夫である藤原兼家との結婚生活や、兼家のもうひとりの妻である時姫(藤原道長の母)との競争。夫に次々とできる妻妾につ いて書き、また唐崎祓・石山詣・長谷詣などの旅先での出来事。上流貴族との交際、さらに母の死による孤独、息子藤原道 綱の成長や結婚。兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取った養女の結婚話とその破談についての記事。藤原道綱母の 没年より約20年前、39歳の大晦日を最後に、筆が途絶えています。 歌人との交流についても書いています。掲載の和歌は261首。なかでも 「★ なげきつつ ひとりぬる夜の あくるまは いかに久しき ものとかは知る 」 は、『小倉百人一首』 にとられています。女流日記のさきがけとされ、『源氏物語』 をは じめ、多くの文学に影響を与えました。また、自らの心情や経験を客観的に省察する、自照文学の嚆矢(こうし)ともされてい ます。)』 の… <藤原道綱母(ふじわらの・みちつなの・ はは/・・・平安時代中期の歌人/藤原倫寧(ふじわらの・ともやす)の娘。 『更級日記』 の菅原孝標女の、母の、異母姉に当たる。 『尊卑分脈』 に・・・「本朝第一美人三人内也/・・・日本で最も美しい女性三人のうちの一人である」 と書かれていますが、 尊卑分脈は間違いも多く、根拠は判然としない・・・)> も、そうですね。 この時代は、女性の実名を、明白にしない風習があった様です。 出仕している主人の名を明かし、下に候名(さぶらいな/・・・もとは 『源氏物語』 の帖名をとって命名したの で <源氏名/げんじな> という。宮中の女官には、<候名/さぶらいな> ・ <殿名/とのな> ・ <小路名/こうじな> な どの使用例があります。)を付けています。
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4月 21日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (266) 【支折の言葉・・・11/44 】
ええと、『小倉百人一首・・・80番/待賢門院・堀川』 という人(待賢門院・堀川/・・・ 一時期、前 斎院六条(さきの・さいいんの・ろくじょう)と呼ばれていた。女房三十六歌仙・中古六歌仙の1人。父は神祇伯/源顕仲。)、 がいますが、待賢門院に仕えた、女房の呼名ですね、」 「うーん…」マチコが、肩を傾げた。「なんか、男性の名前みたいよねえ…」
《 支折の・・・徒然草 》 (265) 【支折の言葉・・・11/43 】
ええ… 寂蓮は、建仁元年(1201年)に… <和歌所寄人(わかどころ・よりうど/・・・寄人とは、平安時代以来、朝廷の官衙である記録所・御書所・和歌所、院文 殿(いんのふどの)、後院や、鎌倉幕府の公文所・政所・問注所、室町幕府の政所・問注所・侍所などにおかれた、職員のこと。 <和歌所寄人>・・・は和歌の選定をつかさどり、特別に召人(めしうど)と呼ばれましたが、それ以外の寄人は、事務能力に 熟達した者が選ばれ、庶務、執事などを担当した。)> …となり、『新古今和歌集』 の撰者の1人、となっ ています。 でも、その歌集の完成を待たずに、翌年/建仁2年(1202年)に、64歳で没しています。
《 支折の・・・徒然草 》 (264) 【支折の言葉・・・11/42 】
定員1人。従五位上相当。)に至っていますが、30歳代で父と同様に出家しています。西行と似て いますね。歌道に精進するための、出家の様です。 <寂蓮は・・・御子左家の、中心歌人・・・> として活躍していています。<六百番歌合 (ろっぴゃくばん・うたあわせ/・・・鎌倉時代に藤原良経の主催でなされた歌合。 判者/藤原俊成の判詞/「・・・源氏見ざ る歌詠みは遺恨の事なり・・・/『源氏物語』を読んでいない詠作者は、誠に残念である・・・」などで知られ、後の「千五百番 歌合」とならび、歌合の最高峰と評される。)での・・・ 顕昭(けんしょう/・・・歌僧で、亮公(すけの・きみ)、亮阿闍梨(すけの・あじゃり)とも呼ばれる。『六百番陳状』 は「六百 番歌合」の判者/藤原俊成への反駁文です。「千五百番歌合」などの判者も勤めている。)との・・・ 独鈷鎌首論争(どっこ・かまくび・ろんそう/・・・「六百番歌合」 のとき、顕昭が独鈷杵(どっこしょ/・・・密教で用いる 法具)を手に持ち、寂蓮が首を鎌首のようにもたげて論争したのを、左大将藤原良経家の女房たちが、「例の・・・独鈷鎌首」 と、あだ名したという所から)> …
《 支折の・・・徒然草 》 (263) 【支折の言葉・・・11/41 】
「あ、そうです…」支折が言った。「<寂蓮> は… <藤原俊成> の弟/僧・俊海の子です。確かな知識ではないんだけど、出家して子供 が育てられなくなり、久安6年(1150年)頃に、叔父/藤原俊成の養子となっています。 寂蓮は、長じて…
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4月 20日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (262) 【支折の言葉・・・11/40 】 何処かに、書き留めて置いたわねえ…何処か、忘れてしまったけど…」 「私も…」夏美が言った。「<寂蓮(じゃくれん)法師> と… <藤原定家> の歌は、聞いた事があるわね。<西行法師> の歌は、初めて…」 「<寂蓮法師>の…」支折が言った。「<三夕の歌> は… 『小倉百人一首』 の歌とは、少し違うようですね。何句も作って、秀句が2つあったわけか しら? <3夕の歌/寂連法師> ★ 村雨の 露もまだひぬ 槙の葉に 霧たちのぼる 秋の夕ぐれ <百人一首…87/寂連法師>
《 支折の・・・徒然草 》 (261) 【支折の言葉・・・11/39 】
槙(まき)立つ山の 秋の夕暮 寂蓮法師/『新古今和歌集』 の編者の1人
鴫(しぎ)立つ沢の 秋の夕ぐれ 西行法師
浦の苫屋(とまや)の 秋の夕ぐれ 藤原定家/『新古今和歌集』 の編者の1人
《 支折の・・・徒然草 》 (260) 【支折の言葉・・・11/38 】
あ、でも、<・・・秋の夕暮・・・> の、先走りは… 『小倉百人一首・・・70番/良暹法師(りょうぜん・ほうし)』 の、歌の様です。
いづくも同じ 秋の夕暮 でも、この歌は 『新古今和歌集』 ではなく、『後拾遺和歌集(ごしゅうい・わかしゅう/八代集の第四、 『拾遺集』 の後継たるべく編まれた勅撰和歌集。勅命は白河天皇、撰者は藤原通俊。20巻、1218首)/秋・333 』 に、収録されています。
《 支折の・・・徒然草 》 (259) 【支折の言葉・・・11/37 】
ら、<家集( かしゅう/個人の歌集。勅撰集に対して、平安朝の私家集をいうことが多い。)>には、『山家集(さ んかしゅう/約1560首を収録。増補本では300首余が増加。 正確な成立年は不詳ですが、治承・寿永の乱(源平合戦) の最中か、その直後、と推定されます。 俊成・良経・慈円・定家・家隆ら、5名の家集とともに、<六家集> の1つ。)』 が、 ありますよね。 また… 『新古今和歌集』 の当時は、<・・・秋の夕暮・・・> という、結句(けっく/終わりの句)が流行 していた様ですが、それを含む3首の名歌を、<三夕の歌(さんせき・のうた)> と、言うそうで す。 |
4月 19日 |
1654年(承応3)刊 国立国会図書館所蔵 (ネットより画像借用) 《 支折の・・・徒然草 》 (258) 【支折の言葉・・・11/36 】
(そうぎ)・芭蕉・・・> の、先走り(さきばしり/先に立って走ること。他に先んじて、物事をすること。)ですね。 ええ… <西行の歌は・・・約2300首> が伝わっています。勅撰和歌集(ちょくせん・わかしゅう/天皇や 上皇の勅宣によって編纂された公的な歌集。『古今和歌集』 ~ 『新・続・古今和歌集』 までの二十一代集。)では… 『詞花集(詞花和歌集/しか・わかしゅう・・・八代集の第六にあたる勅撰和歌集。10巻、総歌数409首。)』 に、初出 で…1首。 『千載集(千載和歌集/せんざい・わかしゅう・・・『詞花集』の後、『新古今集』の前に位置し、八代集の第七である。一条 朝の正暦年間を上限に、代々の勅撰集に漏れた秀歌や、当代の歌人の作品を収める。選歌の方針は格調と抒情性を重ん じ、藤原俊成が唱えた 「幽玄」 の心や、本歌取りなどの技巧を特色とする。先の 『詞花集』 に反して、当代重視主義に戻り、 同時代の入集歌数は全体の半数に及んだ。また、僧侶歌人の比率も2割と高い。20巻。約1290首)』 に…18首。 『新古今集(新古今和歌集/しんこきんわかしゅう・・・鎌倉時代初期に編纂された勅撰和歌集。全二十巻。いわゆる八 代集の最後を飾る。後鳥羽上皇の命で藤原定家・藤原家隆・寂蓮 (じやくれん) らが撰び、上皇の親撰。幽玄・妖艶・象徴的 ないわゆる新古今調をつくり、万葉・古今とともに三大歌風をなす。本歌取り、体言止め、三句切れなどが特色。1205年完 成。20巻。約1980首。)』 に…94首で、入撰数第1位。
《 支折の・・・徒然草 》 (257) 【支折の言葉・・・11/35 】
「そうですね…」支折が、うなづいた。「ええと、話を戻しましょうか… ともかく… <北面武士/佐藤義清(さとう・のりきよ)> は、左兵衛尉(さひょうえの・じょう/左兵衛府の第3等官。 大・少尉がある。)となりましたが… 保延六年(1140年)、<23歳で出家し・・・東北や四国など・・・
《 支折の・・・徒然草 》 (256) 【支折の言葉・・・11/34 】
<第77代/後白河天皇の・・・第3皇女/式子・・・> も、高貴であり、歳上であり、憧 れの女性のイメージ…なのでしょうか? 定家の場合は… 自身の日記/・・・ 『明月記(めいげつき/・・・藤原定家の日記。治承4年~嘉禎元年(1180年~1235年)までの56年間にわたる克明 な記録。2019年に、日本天文遺産にも選定されています。『明月記』の天文記録としては・・・<かに星雲を生んだ超新星 爆発(SN 1054)の記述>・・・ があることが有名です。これは定家の出生以前の出来事であり、陰陽師(おんみょうじ)が 報告した過去の記録が、日記に残されたものです。)』 に、第一級の歴史的資料と共に、これらのエピソ ードも、残っている様です」
《 支折の・・・徒然草 》 (255) 【支折の言葉・・・11/33 】
式子内親王もそうですが、結婚しない内親王も多かったのでしょうか?他にも、内親王の 悲恋話が伝わっていますよね。内親王は、高貴な血筋ゆえに、天皇制/皇統維持の犠牲 になって来たのでしょうか。でも、その運命なりに、シッカリと生きているわけですが。 ええ、ともかく… <式子内親王の方が・・・定家より、一回りほど年上・・・> の様ですね。
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4月 18日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (254) 【支折の言葉・・・11/32 】
『土佐日記 ・・・<ジャンプ>』 にも、出てきますが… 京/都から赴任する <国守(こくしゅ/・・・国司(こくし)の長官。国司は、守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目 (さかん))/・・・中級貴族> は、年貢の管理と同時に、こうした皇籍離脱した高貴な家柄 の、守護の任務もあった様ですね。 国守が庇護する事によって、都/朝廷とのつながりも、保障されたわけです。
《 支折の・・・徒然草 》 (253) 【支折の言葉・・・11/31 】
嫌う所です。 私の… 拙(つたな)い知識ですが… <内親王/・・・天皇の姉妹 、および皇女(こうじょ/天皇の娘)> が、結婚を望むのであれ ば、皇籍を離れて、天皇の許可する人物と、結婚する事も、可能だった様です。そして地 方に、豊かなの村落などの領地が与えられて…
《 支折の・・・徒然草 》 (252) 【支折の言葉・・・11/30 】
てられています。 2人の恋は… 何故、不毛(ふもう/土地がやせていて作物などが育たないこと。そこから、何の進歩も成果もないことのたとえ。)で、 実らなかった、のかと言うと、内親王は天皇の血縁だったからですね。その高貴な血筋ゆ えに、異性と親しくなる事は…
《 支折の・・・徒然草 》 (251) 【支折の言葉・・・11/29 】
そもそも… <式子内親王> は… 第77代/後白河天皇の第3皇女で… 後に、<賀茂斎院(かもさいいん/・・・斎院(さいいん)は、平安時代から鎌倉時代にかけて、賀茂御祖神社(下鴨神 社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の、両賀茂神社に奉仕した皇女で、伊勢神宮の <斎宮/さいぐう> と併せて斎王(斎皇 女)という。斎王の御所を指すこともある。賀茂斎王、賀茂斎院とも称する。)>、 <新三十六歌仙(/後鳥羽院より藤原秀能まで、新古今期以降鎌倉時代中期までの代表的歌人36人を挙げ、そ の秀歌を10首ずつ選んだもので、通常 「新三十六歌仙」 といえば、これを指します。)>、 <女房三十六歌仙(/鎌倉中期に成立した 『女房三十六人歌合』 に歌を採られた女性歌人36人を指します。当該 歌合は・・・藤原公任の 「三十六人撰」 に模倣して作られ、左方に小野小町から相模までの中古歌人を、右方に式子内親王 から、藻璧門院少将までの中世初頭の歌人を配し、一人三首ずつ番わせた紙上の歌合。)> の、1人になります。 彼女は若い頃… 皇女の嗜(たしな)みとして、<定家の父/藤原俊成> から…
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4月 17日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (250) 【支折の言葉・・・11/28 】
「そうかあ…」マチコが、両手を組んで宙を見た。 「あ、ついでに…」支折が、モニターをのぞいた。「<定家の・・・恋・・・> のことにも、少し 触れて置きましょうか… <定家と・・・式子内親王(しきし・ないしんのう)の親密さ・・・> は、当時からウワサを立てら れるほど…
《 支折の・・・徒然草 》 (249) 【支折の言葉・・・11/27 】
朝は天下平定の総仕上げとして、奥州・平泉/藤原氏の平定に、軍勢を差し向ける前夜でした。その途上、西行は鎌倉で、 頼朝と会っています。西行にとって、親戚筋の奥州・藤原氏には、いい土産話でした。日本海ルートで平泉に到達した、義経・ 弁慶の一行とは、ニアミスですれ違ったのでしょうか・・・?)> の後… 間もなく、“歌に詠んだ・・・望みどうりに・・・花の季節に他界・・・” していますよね。 定家の方は… “鎌倉時代” に入って… <後鳥院・院宣(いんぜん/上皇からの命令を受けた院司が、奉書形式で発給する文書。天皇の発する宣旨に相当 する。)> の、『新古今和歌集』 を編纂し、<承久の乱> で、その <後鳥羽院/・・・後 鳥羽上皇> が、隠岐(おき/隠岐の島)に配流(はいる/島流し)になった後も、出世しています。 やはり、西行は父/藤原俊成の方に…
《 支折の・・・徒然草 》 (248) 【支折の言葉・・・11/26 】
そして… <定家> の方も、<式子内親王(しきし・ないしんのう)との・・・実らぬ恋・・・> を抱えていて、 <西行法師の様な・・・出家・放浪生活> にも、憧れたていたのでしょうか…?」 「年齢が…」マチコが言った。「近かったのかしら?」 「うーん…」支折が、頭を傾げた。「西行は…
《 支折の・・・徒然草 》 (247) 【支折の言葉・・・11/25 】
原定家・・・父子> が現れ、以来、<歌道の家柄(いえがら/・・・先祖から受け継いでいる家の格式。 その家に対する社会的評価を伴う。)> として確立されています。 西行は… この藤原俊成とも交流があり、当然、<源平の争乱(/古代末期に登場する清和(せいわ)源氏と、伊勢 (いせ)平氏との一連の対立・抗争事件。保元(ほうげん)の乱、平治(へいじ)の乱を経て平氏政権が誕生し、治承(じしょう)・寿 永(じゅえい)の内乱後、源頼朝による鎌倉幕府開設に至ります。単に2氏の抗争ではなく、諸国に登場する開発領主、後の 地方豪族等による、全国的規模の武力抗争(/・・・内乱状況)。)> に、“脇目も振らず・・・歌道に没頭・・・” していた…
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4月 16日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (246) 【支折の言葉・・・11/24 】
倉以後、藤原俊成・定家・為家の御子左家の子孫で、師範家となった為氏の二条家、為教の京極家、為相の冷泉家などをい う。)・・・御子左家(みこ・ひだりけ)を創始した・・・藤原俊成(ふじわらの・しゅんぜい)・・・> とも、交 流のある、有名な歌人でした。 <御子左家とは・・・ 藤原北家・嫡流(ちゃくりゅう/本家の血筋)/御堂関白(みどう・かんぱく)・藤原道長の六男・・・権 大納言/藤原長家を祖・・・> とする、藤原氏の系流ですね。 この御子左家で…
《 支折の・・・徒然草 》 (245) 【支折の言葉・・・11/23 】
らぬ気持ちを、巧みに表している、と言われています。 ええと… 『小倉百人一首』 はご存知の様に、<藤原定家> が編集した、“百首に限定した歌集” ですよね。西行法師は、その父親で…
《 支折の・・・徒然草 》 (244) 【支折の言葉・・・11/22 】
亡くなるまで・・・慕い続けた・・・” 様ですね。 ええ… 『小倉百人一首・・・86番/西行法師』 は…
かこち顔なる わが涙かな <ジャンプ>
嘆け、と言って・・・ 月が私に、物思いをさせるのか・・・ いや、月は無心に照るばかり・・・ 月にかこつけ、流れる出る・・・ 私の、恋の涙なのだなあ・・・
この歌は、出家した後も、待賢門院(たいけん・もんいん)/璋子(しょうし、たまこ)の夢を見たことか ら…
《 支折の・・・徒然草 》 (243) 【支折の言葉・・・11/21 】
た少年だったのでしょうか? ともかく… 西行と待賢門院・璋子とは、17歳の年の差があった様ですね。でも、西行は年上の璋子 に、恋こがれ、想いが叶(かな)わぬ、と知ると…
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4月 15日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (242) 【支折の言葉・・・11/20 】
位(准后、内親王など)の女性に宣下された称号を指し、平安時代中期から明治維新まで続いた制度)の時に、使われ る様です。 ええと、さあ… <鳥羽天皇> が、譲位して上皇になると、身の回りの格式も緩くなったのでしょうか。< 中宮/待賢門院(たいけん・もんいん)・璋子> にも、義清は親しく接する事が出来るようにな った、と思われます。 代々… 大徳寺家に仕えていた…
《 支折の・・・徒然草 》 (241) 【支折の言葉・・・11/19 】
士として、身近に仕えたわけです。 北面武士は… 警護に当たると共に、上皇の御幸(ごこう、みゆき)の時は絵巻にある様に、装束を整えて、付 き従います。 天皇のお出かけは、行幸(ぎょうこう・みゆき/・・・天皇が外出すること)・巡幸(じゅんこう/・・・天皇が各地をま わること)と言いますが…
《 支折の・・・徒然草 》 (240) 【支折の言葉・・・11/18 】
北面武士として、<鳥羽院> に仕えていました。この鳥羽院は、崇徳(すとく)・近衛(このえ) ・後白河天皇の、3代/28年にわたり、<院政(いんせい/・・・天皇が譲位して上皇(太上天皇)となり、 政務を天皇に代わり直接行う形態の政治。摂関政治が衰えた平安時代末期から、鎌倉時代/武家政治が始まるまでの間 に見られた政治。ちなみに、天皇が皇位を譲ると上皇となり、上皇が出家すると法皇となりますが、上皇は <院> とも呼ば れたので、<院政> と言います。)> を行っています。 その… <第74代/鳥羽天皇> には、 <徳大寺家から出た・・・中宮/璋子(しょうし、たまこ/・・・ 崇徳・後白河、両天皇の母。)> が、いたわけです。
《 支折の・・・徒然草 》 (239) 【支折の言葉・・・11/17 】
この 【 原文・・・11 】 の西行の話は… <徳大寺家> に代々仕えていて、屋敷に出入りしていた時の話ですね。あ、その後は、 行かなくなったとありますから、出家して自由の身となった、その後の話になるのでしょう か。 さて…
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4月 14日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (238) 【支折の言葉・・・11/16 】
ええ… 私メ(奴/メ・・・は、卑下する言葉。人や動物をののしり、卑しめたりする時に用いる。)の… 稚拙(ちせつ/幼稚で未熟なこと。)で、雑な知識ですが、ここで <西行法師> に、少し触れて置 きましょうか。 <西行> は、出家前は、<鳥羽上皇(/第74代天皇)の・・・北面武士(ほくめんの・ぶし/院御所 の北面(北側の部屋)の下に近衛として詰めて、上皇の身辺を警衛、あるいは御幸に供奉した武士のこと。)で・・・佐藤 義清(さとう・のりきよ)・・・> と名乗り… 元々、佐藤家は… ここに出て来る、<徳大寺家(/・・・後徳大寺大臣/後徳大寺実定・・・藤原実定(1139~1191年)小二位左 大臣。祖父の実能が徳大寺実能とよばれるので区別して、後・徳大寺実定とよばれる。歌人としても知られ、 『小倉百人一首 /81番 → 後徳大寺左大臣』 としても、採られています。徳大寺は、京都北山の邸宅。)> に、代々、仕えていま した。
《 支折の・・・徒然草 》 (237) 【支折の言葉・・・11/15 】
<兼好法師(/1283年~1352年頃)> は、“鎌倉時代” から… “室町時代・前期” の範疇(はんちゅう/・・・区分、分類、カテゴリー)に入る、“南北朝時代” の人です よね。 <西行法師(1118~1190年3月31日/・・・歌で予言したように、花/桜の下で他界・・・)> は… “平安時代・末期” から、“鎌倉時代・初期” の人であり、鎌倉幕府を開闢(かいびゃく)する前 夜の <源頼朝> に、屋敷/大倉御所に招かれ、銀の猫を賜(たまわ)っていますよね。
《 支折の・・・徒然草 》 (236) 【支折の言葉・・・11/14 】
居所として中央部に設けられた施設。公家社会における儀式・行事の場所として中世・近世を通じて重要視された。)に鳶 (とび)ゐさせじとて縄をはられたりけるを、西行が見て、 「鳶のゐたらんは、何かはくるしかるべき。此の殿の御心、さばかりにこそ」 とて、その後は参らざりけると聞き侍るに・・・>
《 支折の・・・徒然草 》 (235) 【支折の言葉・・・11/13 】
それが、現代の民主主義的な価値観よね。かつてのバブル経済は、うーん…今もそんな 価値観だし…ビールの泡のようなモノだから…」 「それが…」夏美が、アゴに手を当てた。「現代的な、言い方かあ…」 「ええと…」支折が言った。「先へ進みます…
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4月 13日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (234) 【支折の言葉・・・11/12 】
んできたもの、という事でしょう」 「うーん…」マチコが、腕組みをした。「現代でも、あるわよねえ… バカバカしいほどのお金をかけて、不似合いな物を並べたり、身に付けたり、食べたりして さあ。 あ、でも… 自分のお金で、勝手にやっているんだから…
《 支折の・・・徒然草 》 (233) 【支折の言葉・・・11/11 】
それとも… 私達のこうした感覚は、『徒然草』 を書いた <兼好法師> の感性が、ルーツになってい るのでしょうか?」 「うーむ…」高杉が、ほくそ笑んだ。「案外… 兼好法師がルーツかも知れませんねえ。
《 支折の・・・徒然草 》 (232) 【支折の言葉・・・11/10 】
<この世の・・・仮住まい/住居・・・> も、ごく自然な、落ち着いた調和を高く評価して、 唐物や古都/大和の遺物など、珍品をわざとらしく並べ立てるのを、兼好法師はひどくコ キ下ろしていますよね。これは…
《 支折の・・・徒然草 》 (231) 【支折の言葉・・・11/9 】
それが… <毛沢東の・・・文化大革命による破壊・・・> であり、<アフガニスタンにおける・・・ 巨大仏像の爆破/・・・バーミヤン大仏の爆破・・・> 等ですね。まあ、これらは、ごく最 近のもので、映像データは残っていますが、」
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4月 12日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (230) 【支折の言葉・・・11/8 】
「うむ…」高杉が、短くうなづいた。「アレは、大きな損失でしたねえ… 世界中の文明の遺物は、その多くは、戦争による破壊や、大自然の風化で喪失して来て いますが、貴重な文明遺産を承知で、…
《 支折の・・・徒然草 》 (229) 【支折の言葉・・・11/7 】
な例は、無いと思います。 『万葉集』 の <防人歌の・・・庶民の兵役の辛さ・・・> や、『源氏物語』 の <古代長 編小説の・・・第1級・歴史資料・・・> は、現代に生々しく、その時代の空気感を伝えて 来ますわ。 中国も、6000年の歴史があると言いますが、日本の和歌のようなものは無いですよね。 豊富にあった、儒教や仏教関係の遺物も… <毛沢東(マオ・ツォードン/もう・たくとう/・・・中国共産党の創立党員の1人で、長征と日中戦争を経て党内の指導権 を獲得。日中戦争後の、国共内戦では蔣介石率いる国民党政府を台湾に追放し、1949年10月1日に中国大陸にて、中華 人民共和国の建国を宣言しました。1949年10月~1976年9月まで、同国の最高指導者でした。)の・・・文化大革 命(/中華人民共和国で、1966年~1976年まで続き、1977年に終結宣言。これは、中国共産党・中央委員会主席・毛 沢東の主導による、文化改革運動を装った、奪権運動であり、政治闘争と言われています。 実際は・・・大躍進政策の失敗によって、国家主席の地位を、劉少奇・党副主席に譲った毛沢東・共産党主席が、自身の復権 を画策し、紅衛兵と呼ばれた学生運動や大衆を扇動して、政敵を攻撃させ、失脚に追い込むための官製暴動であり、中国共 産党内部での権力闘争だった、と言われています。)> で、その多くが喪失しています。
《 支折の・・・徒然草 》 (228) 【支折の言葉・・・11/6 】
そのための手段として、<随筆 ・ 和歌 ・ 詩偈 は・・・非常に貴重・・・> なわけですが、 今も言ったように、それらを通じて、かすかに、知る程度ですねえ、」 「でも…」支折が言った。「『万葉集』 以来… 1000数百年も昔の、王朝の和歌の華麗な体系を…
《 支折の・・・徒然草 》 (227) 【支折の言葉・・・11/5 】
<ほんの・・・ 一休み/一休(いっきゅう)・・・> と言っています。 現代人は… 知識として、『徒然草・・・第十段』 も、知っていますし、<一休禅師> の詩偈も知ってい ます。しかし、その時代の空気感というものは…
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4月 11日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (226) 【支折の言葉・・・11/4 】
人生というのは・・・ この世からあの世へと向かう・・・ ほんの一休み・・・ 雨が降ろうが、風が吹こうが・・・ 気にしない、気にしない・・・
一休宗純は、兼好法師よりも…
《 支折の・・・徒然草 》 (225) 【支折の言葉・・・11/3 】
<この世は全て・・・現生の仮住まい・・・> という考え方は、仏教思想から来るものです が、当時の広く流布していた、<流行語/・・・流行思想・・・> だったのでしょうか。西方 浄土(さいほうじょうど/・・・阿彌陀仏の浄土。 この娑婆世界から西方に十万億の仏土を隔てたかなたにあるという安楽の 世界。 極楽浄土。)へ行くのか、地獄(じごく/・・・悪行を為した者の霊魂が、死後に送られ罰を受けるとされる世界。 厳しい責め苦を受けるとされる。 素朴な世界観では、地面のはるか下に位置することが多い。)へ行くのか、知りませ んがね。 <一休禅師/一休宗純(いっきゅう・そうじゅん/1394~1481年/・・・室町時代の臨済宗・大徳寺派の僧。詩 人。説話のモデル。)> の詩偈(しげ/・・・偈は、仏典における詩のこと。)にも…
無漏路(むろじ/・・・悟りの姿)へ帰る・・・ 一休み・・・ 雨ふらば降れ・・・ 風ふかば吹け・・・
《 支折の・・・徒然草 》 (224) 【支折の言葉・・・11/2 】
冒頭の…
れ。 /= 住居がその人にふさわしく、あるべき姿であるのは、生きている間だけの仮の 宿だとは思っても、興が深いものだ。>
《 支折の・・・徒然草 》 (223) 【支折の言葉・・・11/1 】
でも、ようやく、<兼好法師の・・・随筆/社会批評の・・・本質> というものが、仄(ほの) 見えて来た様ですね、」 「そうですねえ…」高杉が、明るい窓から入って来る…
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4月 10日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (222) 【現代語訳・・・11/6 】
う。
ていたのも、どんな理由があったのでしょうか。
《 支折の・・・徒然草 》 (221) 【現代語訳・・・11/5 】
綾小路宮/性恵法親王(あやのこうじの・みや = しょうえほう・しんのう/亀山天皇の皇子性恵法親王。妙法院( 延暦寺別院)門跡。綾小路に御所があった。)がお住まいの小坂殿(こさかどの/妙法院は綾小路の東にあったの で、妙法院の別名と思われる。)の棟に、いつだったか縄をお引きに・・・
《 支折の・・・徒然草 》 (220) 【現代語訳・・・11/4 】
うと、見るとすぐに思われる。 だいたいは、住居にこそ、人となりは推し量られるものだ。 後徳大寺左大臣が、屋敷の正殿に鳶(とび)をおらせまいとして縄をお張りになったの を・・・
《 支折の・・・徒然草 》 (219) 【現代語訳・・・11/3 】
並べ置き、庭の植え込みまで自然のままでなく人工的に作っているのは、見た目に も苦しく、たいそうわびしい。 そんな状態のままで、いつまでも住んでいられようか。
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4月 9日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (218) 【現代語訳・・・11/2 】
い自然な感じの庭の草も心ある様子で、簀子(すのこ)・透垣(すいがい)の配置も趣深く、何 気なく置いてある道具類も古風に思われて心が安らぐのは、奥ゆかしいものと思われ る。
《 支折の・・・徒然草 》 (217) 【現代語訳・・・11/1 】
は思っても、興が深いものだ。 身分・知識・品格などが立派な人が、のどかに住みなしている所は、さし入る月の色 も、ひときわしみじみと見えるものだ。
《 支折の・・・徒然草 》 (216) 【 原文・・・11/6 】
《 支折の・・・徒然草 》 (215) 【 原文・・・11/5 】
坂殿(こさか・どの)の棟に、いつぞや縄をひかれたりしかば、かのためし思ひいでられ侍 りしに、誠や、・・・
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4月 8日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (214) 【 原文・・・11/4 】
後徳大寺大臣(ご・とくだいじの・おとど/後徳大寺実定。藤原実定(1139~1191年)小二位左大臣。祖父の実能 が徳大寺実能とよばれるので区別して、後・徳大寺実定とよばれる。)の、寝殿に鳶(とび)ゐ(い)させじとて縄 をはられたりけるを、西行(西行法師/・・・西行の佐藤家は、徳大寺家に代々仕えていた。)が見て、
《 支折の・・・徒然草 》 (213) 【 原文・・・11/3 】
べ置き、前栽(せんざい/植え込み)の草木まで心のままならず作りなせるは、見る目も苦し く、いとわびし。 さてもやは、ながらへ住むべき。又、時のまの烟(けむり)ともなりなんとぞ、うち見るより 思はるる。大方は・・・
《 支折の・・・徒然草 》 (212) 【 原文・・・11/2 】
簀子(すのこ/寝殿造りの庇の外側に張り出した縁。隙間を開けて、雨がたまらないようにしてある。)・透垣(すいがい /間をあけて竹や木で組んだ垣根。)のたよりをかしく、うちある調度も昔覚えてやすらかなるこ そ、心にくしと見ゆれ。 多くの工(たくみ)の心をつくしてみがきたて・・・
《 支折の・・・徒然草 》 (211) < 【 原文・・・11/1 】
ものなれ。よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、一(ひと)き はしみじみと見ゆるぞかし。
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4月 7日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (210) 【支折の言葉・・・10/12 】
が、この事態の反動で実現されれば、<地球温暖化対策・・・パリ協定・・・> の遅れは、 挽回できる可能性があります。 人類が… <地球政府/・・・地球連邦政府・・・> のもとで、貧富を正し、平等に管理され… <既得権や・・・有害な・・・戦争ゴッコ ・ 経済ゴッコ ・ 覇権ゴッコ・・・> を排斥して… <究極的な・・・地球温暖化対策・・・//・・・人間の巣のパラダイム・・・> に、集中す る事が、出来ればですが…」
《 支折の・・・徒然草 》 (209) 【支折の言葉・・・10/11 】
危機・・・21世紀・大艱難(だいかんなん)> は、深刻になる、という事でしょうか?」 「うーむ…」高杉が、うなづいた。「そういう事ですねえ… とりあえず… 我々は、北原和也が提唱して来ている、〔世界市民 = 連帯〕 の…
《 支折の・・・徒然草 》 (208) 【支折の言葉・・・10/10 】
・・・> が、容易に復活している、わけですねえ、」 「去年…」夏美が言った。「<COP26・・・イギリス/グラスゴー> へ行った時には… 突然、こんな、<メチャクチャで・・・デタラメな戦争危機・・・> が、やって来るとは、まる で想像もしていませんでした。
《 支折の・・・徒然草 》 (207) 【支折の言葉・・・10/9 】
超えた、<生命潮流の新段階・・・人類文明の第3ステージ/意識・情報革命・・・> と、重なって来るのでしょうか? それにしても… <現在/・・・21世紀の国際社会> が直面しているように…
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4月 6日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (206) 【支折の言葉・・・10/8 】
の喧騒をもたらしています。いわゆる、人類文明の競争型社会の原型も、ここから来ていま すね。 一方… その、<生命潮流の中に・・・優しさや 、思いやりや 、愛情・・・真理の覚醒/悟り・・・ > をも、もたらしている、という事です。おそらく、知的生命体が獲得した…
《 支折の・・・徒然草 》 (205) 【支折の言葉・・・10/7 】
この生殖細胞による、個体の複製増殖システムは… 生命体の根源的条件の1つで、<新陳代謝 → 構造化・進化・・・> の流れの中に、深く 組み込まれています。まさに、<神秘の・・・1つの果実/1つの領域・・・> を、形成して いますね。 ともかく… この、<強力な動因・・・複雑化のベクトル/・・・力・方向性が・・・膨大な地球生命圏 > を…
《 支折の・・・徒然草 》 (204) 【支折の言葉・・・10/6 】
生命進化の過程で、生物個体が生殖細胞システムを獲得し… 雌雄の生殖細胞の合体という方法で、精密な複製増殖システムを確立した事から、いわ ゆる、<情欲> というものも…
《 支折の・・・徒然草 》 (203) 【支折の言葉・・・10/5 】
らの知識不足を白状しましたが、私もこの方面は、余りにも知識不足ですね。 しかし… 前に、言及しているように…
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4月 5日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (202) 【支折の言葉・・・10/4 】
少しづつ、私にも見えて来ると思います。 ええ、塾長は… <第九段・・・愛著の道> は、どう思われるでしょうか?」 「うーむ…」高杉が、頭を傾げた。「そうですねえ…
《 支折の・・・徒然草 》 (201) 【支折の言葉・・・10/3 】
出世するエリート僧とも、違うというコトでしょうか。 自らの財力で、庵を結んでいるわけですよね。鴨長明もそうでした。もっとも、当時は土地 所有の概念も薄く、邪魔にならない所なら、庵を結んで住んでも、文句は出なかったのでし ょうか。 でも、それなら洞窟と同じで、誰でも入って来ます。多少の生活用具も、置いておけません よね。したがって、いわゆる庵でも、粗末な生垣と庭ぐらいは、あったのでしょうか?」 「まあ…」高杉が言った。「そうですねえ… <道元禅師> も、入宋修行(にっそう・しゅぎょう/・・・中国/宋に渡っての修行)を終えて帰朝し、京都 /建仁寺に入りますが、その後、京都深草(/京都市伏見区の北部に位置する地名。)に庵を結び、と 書物には記されています。この庵で、懐奘(えじょう)の弟子入りも、許しているわけですねえ。 そして、ここで…『正法眼蔵』 の <第1巻目・・・弁道話> も、書き始めいます…」 「そこは…」支折が言った。「後に、宇治/興聖寺(こうしょうじ)になるわけですね?」 「正確なことは…」高杉が言った。「分かりませんが…まあ、そんな所だと、思っています」 「うーん…」支折が言った。「かつては… <上皇が落飾(らくしょく/高貴な人が髪をそり落として仏門に入ること)して・・・僧籍になって・・・法皇 ・・・> になるのをはじめとして、高貴な人々も、多く出家していていました。そういう人達 は、僧坊なんかには、入りませんよね。
蔵人は・・・六位でも昇殿を許され、常に天皇の側近にあるので、六位の蔵人で極﨟といわれる、第一の序列のものにも、天 皇が平常に召される麴塵(きくじん)の御袍(ごほう)を、特に下賜されることがあった。 (ネットより画像借用) 《 支折の・・・徒然草 》 (200) 【支折の言葉・・・10/2 】
テーマだったのでしょうか? そうは言っても、出家者には膨大な修行があり、僧籍にある者には、衆生済度(しゅじょうさいど /仏や菩薩が、現世で苦しみ悩んでいるすべての者を救済し、悟りへと導くこと。)の責務もあったはずですよね。 <兼好法師> は… 裕福な吉田神社の血脈であり、官人/蔵人(くろうど/蔵人処に所属する、天皇の秘書官)の経歴もあ り、いわゆる…
《 支折の・・・徒然草 》 (199) 【支折の言葉・・・10/1 】
女嫌いを主張しますが、それにしては、色事や女性のことに、幾度も言及していますよね。 これは、元官人らしいスタンス、という事なのでしょうか。嫌いではあっても、関心があり、 一言いいたいと… 古の社会では、現代のような、<情報過多社会/・・・
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4月 4日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (198) 【現代語訳・・・10/3 】
者も、一様に苦しめられるものと見える。 なので、女の髪筋をよった綱には、大きな象もよくつながれ、女のはいた履物で作っ た鹿笛には、秋の牡鹿が必ず寄ってくると言い伝えるのである。自ら戒めて、恐れ慎 むべきは、この情欲という惑いである。
《 支折の・・・徒然草 》 (197) 【現代語訳・・・10/2 】
ようと思うがためである。 まったく、愛し執着する道は、その根は深く、その源は遠い。外の世界にはさまざまな 欲望をかきたてるものが多いが、皆厭(いと)い遠ざけることができる。
《 支折の・・・徒然草 》 (196) 【現代語訳・・・10/1 】
う気配に、物を隔てていても知ることができる。何かにつけて、何でもない人目を気に しないようにしていても女は人の心を惑わし、すべて女は、落ち着いて寝ることもせず ・・・
《 支折の・・・徒然草 》 (195) 【 原文・・・10/3 】
されば、女の髪すぢをよれる綱(つな)には、大象(だいぞう)もよくつながれ、女のはける 足駄(あしだ/雨の日などに履く、高い歯の下駄 。歯は差し歯で、磨り減ると差し替える。高下駄。)にて作れる笛 には、秋の鹿、必ずよるとぞ言ひ伝へ侍(はべ)る。自ら戒めて、恐るべく慎むべきは、 このまなどひなり。
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4月 3日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (194) 【 原文・・・10/2 】
まことに、愛著(あいぢゃく/・・・愛し執着すること。特に男女の気持ちを否定的に言う、仏教用語。)の道、その 根深く、源遠し。六塵(ろくじん/・・・六根…6つの感覚器官(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって、知覚される6つの刺 激(色・声・香・味・触・法)。人間を汚す外界の刺激。)の楽欲(ぎょうよく/欲望)多しといへども、皆厭離(みな ・えんり)しつべし。その中に、ただ、かのまどひのひとつやめがたきのみぞ、老いたるも 若きも、智あるも愚(おろ)かなるも・・・
《 支折の・・・徒然草 》 (193) < 【 原文・・・10/1 】
言ひたるけはひにこそ、ものごしにも知らるれ。ことにふれて、うちあるさまにも人の 心をまどはし、すべて女の、うちとけたるいも寝ず、身を惜しとも思ひたらず…
デカルトは、スウェーデン女王クリスティーナから招きの親書を3度受け取る。そして、4月にはスウェーデンの海軍提督が、軍 艦をもって迎えにきた。1650年1月から、女王のために朝5時からの講義を行う。2月に、風邪をこじらせて肺炎を併発し、死 去した。 《 支折の・・・徒然草 》 (192) 【支折の言葉・・・9/23 】
色々な事を考えたわけだあ。17世紀頃のフランス人よねえ。そんなコトを発見して、大喜び していたわけかあ。 そして… <この世/この世界を・・・物の領域と、心の領域に・・・分割・・・> して、より考察を深 めたりして。でも、54歳で、スウェーデンで死去しているわねえ…」 「ええと…」支折が、マチコの方を見た。「そろそろ、『徒然草』 に、戻りましょうか…」
《 支折の・・・徒然草 》 (191) 【支折の言葉・・・9/22 】
)> です。 <この世/この世界> には、何もかも、確かなものはなく、全てが疑わしい世界だが… <1つだけ・・・確かなものを発見・・・> したのです。 それが、つまり…
それを、この世界に下す錨(いかり)として、そこに <自我/自己・・・という小舟> を結び、 ああ、<自己が・・・確かに存在・・・> するなら、水も桟橋も、確かに存在し、向こうに見 える港も、確かに存在し、教会の屋根も、実在するのだろうと、」
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4月 2日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (190) 【支折の言葉・・・9/21 】
<物の領域> も含めて、 <この世/・・・世界全体が・・・情報・・・> という事は、ない のかしら?何処かで、聞いた気がします。<この世は・・・全て夢の世界・・・> だと、」 「まあ…」高杉が、脚を組み上げた。「確かに… <この世/この世界全体が・・・夢の世界・・・> なのかも、知れませんねえ。そこで…
《 支折の・・・徒然草 》 (189) 【支折の言葉・・・9/20 】
<情報> とは… インターネットの中に大量に飛び交っている様に、物質のみに付加しているわけではない 様です。意識も、情報なのでしょう。<心の領域・・・意識/自我は・・・全体が情報?> なのでしょうか?」
《 支折の・・・徒然草 》 (188) 【支折の言葉・・・9/19 】
<物の領域> と <心の領域> の、分断の問題が顕在化して来たと、疑って見るべきで す。<物理学の・・・限界・・・> が、<文明の第3ステージ・・・意識・情報革命の時代> を、切り開いて行くのかも知れません。 まあ… 【物理学/・・・量子力学】 は、<物の領域> のみを扱っているわけですから、これでい い様にも、思えるのですが…
《 支折の・・・徒然草 》 (187) 【支折の言葉・・・9/18 】
<真空> というのは… かつては、<エーテル(/光の波動説において宇宙に満ちていると仮定されるもので、光が波動として伝搬するた めに必要な媒質を言う。特殊相対性理論と光量子仮説の登場などにより、エーテルは廃れた物理学理論だとされている。) > と呼ばれたり… <ディラックの海(/相対論的量子力学において、真空状態が負のエネルギーを持つ電子によって完全に占められ ている状態であるというモデル。ディラック方程式の解が、負のエネルギー状態を持つことによって生じる問題を回避すべく、 英国の物理学者ポール・ディラックが空孔理論の中で提唱した。)> と呼ばれたりして、いわゆる、<真空 = 無/虚無> の状態ではない、わけです。 そんな真空の宇宙空間が… 加速度膨張していると、観測されているわけです。まあ、物理学的な謎は、物理学者の好 物であり、飯の種ですからねえ。しかし、私に言わせれば、<そろそろ・・・物の領域と、 心の領域の・・・融合現象・・・> も、疑ってみる時期だ、という事です」 「あ…」マチコが言った。「そうかあ… 《 ブラックホールの・・・情報消失問題 》 で、やりましたよねえ。情報は、ブラックホール に吸い込まれても、絶対に、失われてはいけない、わけよねえ。<ホーキング放射> で も、情報は失われずに、残るはずだと、」
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4月 1日 |
《 支折の・・・徒然草 》 (186) 【支折の言葉・・・9/17 】
膨大な生命活動と共に、“意識の発現が・・・醸(かも)し出す・・・夢の世界・・・” は、無限に 増大・蓄積して行くのでしょうか? “何処かへ・・・喪失する” という事は、無いのでしょうか ? まあ… <宇宙空間は・・・加速度膨張・・・> していて、その、<増大していく・・・真空の宇宙 空間は・・・
《 支折の・・・徒然草 》 (185) 【支折の言葉・・・9/16 】
仏・ 菩薩 ぼさつ などを体系的に配列して図示したもの。 胎蔵界曼荼羅、金剛界曼荼羅、四種曼荼羅などがある。 転じて、 浄土の姿を図示したものなどに もいう。)> は、そこを、うまく説明していますよね。曼荼羅の事に、詳 しいわけでは、ないのですが、」 「そうですねえ…」高杉が、目を閉じて黙思した。「まあ… この、眼前している… <人間原理空間/・・・相互主体性世界・・・豊かで、儚(はかな)い・・・無限連鎖の夢の 結晶世界・・・> も…
《 支折の・・・徒然草 》 (184) 【支折の言葉・・・9/15 】
ですねえ。 <自我/・・・意識は・・・ あまりにも身近過ぎて・・・外部からの観測は不可能・・・> なのでしょうか。<この世 /この世界の・・・全てを見渡す特異点であり・・・その壮大な心の重ね合わせが・・・ ホモサピエンスの種の共同意識の内部に・・・相互主体性の、夢の世界を構築・・・> している、様子ですねえ。 まあ… <神の存在> を信じるなら、<不思議な事は万事・・・神に任せればいい・・・> わけ ですがね。アインシュタインも、“最後の・・・拠り所” に、したようにです。 ちなみに… <神が・・・サイコロを振るか/・・・ギャンブルが好きかどうか?> も、“まさに・・・神の みぞ知る” ですが…」 「そうですね…」支折が…
《 支折の・・・徒然草 》 (183) 【支折の言葉・・・9/14 】
<暗黒物質/ダークマター・・・> がどうの… <暗黒エネルギー/ダーク・エネルギー・・・> がどうの… <宇宙定数・・・マイナスの重力/斥力・・・加速膨張宇宙の観測・・・> がどうの、と。 そして、最大の謎である… <今、まさに現在・・・思惟している・・・自我/1人称の意識・・・の発現と・・・
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季節の俳句・短歌 選者 : 星野支折 里中響子 |
『小倉百人一首・・・33番/紀友則』 (きの・とものり/平安時代前期の歌人・官人。紀貫之の従兄弟(いとこ)に あたる。官位は六位・大内記。三十六歌仙の1人。
このような・・・ 日の光がのどかに射している・・・ おだやかな春の日… 静かな心もなく・・・ 桜の花はあわただしく・・・ 音のない花吹雪となり・・・ 散り急ぐのだろう・・・ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |