(みぬまたんぼの ほぜん・かつよう・そうぞうの きほんほうしん)






 川口市の大半を水没させた1958年の狩野川台風では、見沼田んぼがなければ大勢の死者が出たといわれます。
 見沼田んぼが、約1千万トンの洪水をプールのように蓄えたからです。
 これを受け、埼玉県は1965年に「見沼三原則」を設け、見沼田んぼの農地の転用を厳しく制限しました。

 そして、この制限が、首都近郊に残された大規模緑地空間を生み出したのです。
 近年、周辺の都市化の進展や営農環境の変化などにより見沼地域に対する開発圧力が増大している一方で、首都近郊に残された大規模緑地空間として新たな視点からの土地利用を求める声が高まってきています。

 こうした状況の中、1995年に、埼玉県では「見沼三原則」に代わる新たな土地利用の基準として「見沼田圃の保全・創造・活用の基本方針」を定めました。

ここに 「見沼田圃の保全・創造・活用の基本方針」の全文を埼玉県の許可を得て掲載します。






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