【萬年寺】
(ばんねんじ)
 
五斗蒔橋を通り過ぎて、見沼代用水東縁沿いに「緑のヘルシーロード」を進んでいきます。そして一つ目の小さな名もない橋あたりで、見沼たんぼを眺めると遠くに白い塀が見えます。これが萬年寺の塀です。萬年寺は大宮市にあるため道標を辿って行けませんが、加田屋川を渡り見沼たんぼをを突っ切って行けます。
曹洞宗の萬年寺は、山号は長昌山と称し1509年に建立された名刹です。境内には、井澤弥惣兵衛為永の頌徳碑があり、また、本堂に安置されている木造釈迦如来坐像は、大宮市指定文化財になっています。

 
見沼代用水東縁から見た萬年寺
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萬年寺
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井澤弥惣兵衛為永の頌徳碑
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【歴史】
「井澤弥惣兵衛為永と見沼代用水」

この碑は、見沼代用水を開いた功労者・井澤弥惣兵衛をたたえたものです。
井澤弥惣兵衛は、江戸時代の寛文3年(1663)に紀伊国(和歌山県)溝口村(海南市)に生まれ、土木技術に才能を発揮し紀州藩主5代にわたり仕えました。
その後、八代将軍徳川吉宗に招かれ、幕府勘定方に着任し、享保12年(1727)から埼玉県に広がる見沼の開発に着手しました。見沼の開発は、利根川の水を下中条(行田市)から引き入れ、距離60Kmにおよぶ見沼代用水を掘り進め周辺に新たな水田を開くという大がかりのものでした。着手してから半年という短期間で用水路を掘りあげたと伝えられています。なお、弥惣兵衛は見沼代用水の工事のため萬年寺境内に工事事務所を置いたといいます。また、見沼代用水と芝川を利用して江戸とを結ぶ水運の便をはかり、米をはじめとする物資の輸送を効果的に行えるようにしました。浦和市にある国指定史跡の閘門式運河・見沼通船堀が広く知られています。
この碑のほか利根川からの取水口近くに井沢祠、白岡町柴山常福寺には墓石があり、井澤弥惣兵衛の功績を現在に伝えています。現在でも見沼で工事を行なう際にはこの碑に参拝して工事の安全祈願をするといわれています。
なお、弥惣兵衛は元文3年(1738)に75歳で没し、江戸麹町(東京都千代田区麹町)の心法寺に葬られています。

(萬年寺境内の掲示板から)

 
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