【片柳の筆塚】
(かたやなぎのふでづか)
 
萬年寺から一つ北の通りを西に進むと、右手に片柳の筆塚があります。

 
片柳の筆塚
写真

 
【歴史】
大宮市指定文化財史跡「片柳の筆塚」

当家は片柳村の名主を務めた家柄です。江戸時代後半の文化文政期に出た守屋巌松斎(本名は藤内)は、華道(正風遠州流)の大師匠として活躍しました。また、書道にも秀でていました。
巌松斎は、華道の門人を日光御成道・中山道沿いに獲得しました。その数三千五百人余といい、関東一円は申すに及ばず、遠くは越後国(新潟県)から入門する者がありました。天保四年(1833)に巌松斎法眼一チョウと称したことから、門人に「○松斎○一○」の斎号を与え、勢力を拡げていきました。大宮市内には丸ヶ崎にガ松斎、島町に薬松斎らが輩出、正風遠州流をさらに広めていきました。現在でも埼玉県内に○松斎の号を持つ人が多く、「松連」と呼んでいますが、「松」が巌松斎の松であることはいうまでもないことです。
境内には、天満宮・筆塚・花塚・歌碑・燈籠など巌松斎の事蹟を伝える資料が保存されています。

(片柳の筆塚の掲示板から)

 
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