さぎ山記念公園、見沼自然公園を通り過ぎて、見沼代用水東縁沿いに「緑のヘルシーロード」を進んでいくと、締切橋にでます。そして、締切橋から北に広がる田んぼが、加田屋新田です。「見沼田んぼ」とは言いながら国の減反政策等で本当の田んぼが少なくなってしまった中で、今でも加田屋川沿いに広がる風景は昔の見沼田んぼを思い起こさせてくれます。 平成9年4月29日には、一部田植えが始まっていました。 平成9年9月22日には、一部稲刈りが始まっていました。 そして、さらに見沼代用水東縁沿いに「緑のヘルシーロード」を進んでいくと小さな赤いお堂にでます。これが見沼弁財天です。 |
【歴史】 加田屋新田には、320年以上の歴史があります。江戸時代前期、見沼の新田開発に先立つ50年前、江戸の町人、坂東助右衛門が開田したたんぼ田んぼです。この時52町歩(52ヘクタール)の新田ができたと言われています。江戸時代中期の享保13年(1728)の見沼代用水の完成にあわせて再び新田を開き、坂東家の屋号をとって加田屋新田と名付けられました。以来、坂東家は、明治期に至るまで見沼の見回り役と名主役を代々つとめました。 坂東家の家屋は、大宮市指定文化財「旧坂東家住宅」として復元され、「旧坂東家住宅見沼くらしっく館」に再現されています。 (「旧坂東家住宅見沼くらしっく館」のパンフレット、及び 見沼田んぼ散策ガイド「新見沼見て歩き」から) |