南部とは・・・新しく南部に住もうとする人たちのために

第五章  淑女と南部女と働く婦人と公民権  ( 下 )


* ジュリア・カ−ク・ブラックウェルダー ( Julia Kirk Blackwelder ) *


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 公民権運動とサンベルト地帯の経済発展とが相まって、中流階級の妻たちの世界を引っくり返してしまった。  1960年代の初めになると、黒人婦人たちは急速に家内労働から去って行き、他にもっと良い仕事を求めだした。  中流の白人婦人は、どんどんと家事を放り出して事務所に働きに出た。  1940年代になると、殆どの白人の妻たちの日々の経験を特徴付けていたあの家事と女性の友情の世界とは、 その後の20年間で殆ど消え去ってしまった。

 販売、事務、専門職などに入って行く白人の妻の数がどんどん増えていった時でさえ、南部の白人の妻と中流黒人の妻たちの中で、 専業主婦になると決めることに誇りを感じていた人もかなりの数に上った。  婦人解放運動 *179 が他の地域よりも振わなかったこの地方で、職場よりも家庭を選ぶ婦人がいたとしてもそれほど驚くには当たらない。  しかし、1980年代の南部の婦人の一部が家事に強い執着を示したのは、 南部社会の一般的保守性の産物であるとは単純に決め付けられない。  一時的にでも母親が家庭に残れば、家族の生活レベルを落さないだけの高い収入が父親に無くてはならない。  第二次大戦後南部に起った空前の繁栄により、一部の夫婦にとって、妻を家庭に残せる機会が出来たのだ。  これら夫婦の母親の時代はそんな選択など出来なかったのだが。 皮肉なことに、1960年代の普通の南部白人の婦人は、 それ以前のどの時代よりも、婦人が家に残っていられるような中流の収入水準に近い所に到達したのだった。  1950年代、60年代の南部黒人家族も、それ以前のどの時代よりも豊かであった。

 このように一般的繁栄が一部の婦人を家庭に呼び戻しつつあったが、他方では家事労働を助けてくれる人手が不足してきたので、 家庭の主婦の仕事はむしろ難しくなって来ていたし、すべての婦人にとって、仕事に就く機会が広がったので、 家庭に留まるという犠牲の払う値段が段々高くなってきた。 結局、労働市場の状況が家事労働との競争に勝ったのであった。  しかし、白人であれ黒人であれ、家庭に残った妻たちにとっては、子供の世話をしたり家事をしたりするのは、 中流の地位の大切な象徴であり、全家族にとって自慢の種だった。 南部の家庭の主婦たちは、収入や社会的階級に関係なく、 自分が近代的スーパ−ウーマンでないことを言い訳したりしない。 1970年代から80年代にかけての福音主義キリスト教は、 昔から良いこととされては来たが貧しい南部の婦人たちにとって従来は手の届かなかった家事専従という伝統的な性別の役割を強調したのであった。

 将来の見通しと毎日の生活との点で、今日の南部の婦人たちは、これまでのどの時代よりも南部以外の婦人たちに近付いた。  歴史的に見ると、南部の婦人たちは他のどこの婦人たちよりも早婚で子沢山だったが、 この20年間でこういった地域的な差は事実上消滅した。 離婚と婚姻外出産とが、南部でも、米国全体と同様に珍しくなくなってきた。  離婚率は北西部では南部より低いが、西部では南部より高い。 嬰児死亡率は、かつては南部ではどこよりも高かったが、 今では全国平均と同じか低くなった。 南部婦人のおよそ半分が労動に従事しているが、これは全国的にも同程度である。  アーカンソー、ルイジアナ、ミシシッピの各州ではこの値は全国平均よりかなり低いが、これらの州の男性の就業率も全国平均より低い。

 今日の南部婦人は、他の米国婦人とまだはっきり違っているが、それは、ほとんどが、よく喋ることと、 活発に社会的活動をすることとに関する習慣の相違である。 旧き南部との目に見えない結び付きが、 南部婦人と他の婦人とを区別する特性となっている。 過去の建築上の遺風と同様、南部婦人の中に在る南部独特の挙動も、 南部が米国の歴史の主流に入って行くにつれて、新しい全国的特性によって次第に取って替わられ来た。  にも拘らず、南部の家庭に今日育っている少女たちは、 婦人と黒人とが共に一段低い存在と見做されていた旧い社会に根差す伝統的な性別の役割を、いまだに継承し学んでいるのである。

 米国のほとんどの家族は、伝統的に家長支配的構造を持ってきたが、 南部での家長支配的習慣は20世紀に入って他の地方でそれが衰え始めてから以降も強く残っていた。  南部社会に家長支配的価値観が存続した理由としては、歴史愛好、過去への傾倒、南部淑女の神話などがあげられよう。  家長支配は、南部の歴史のほとんどを特徴付けて来た社会的経済的な温情主義とも結び付いている。  もしある男が自分の家族を治めることすら出来ないなら、どうして工場やプランテーションを支配し、 また市民の最善の利益のために政治を司る事など出来ようか? 20世紀初頭の雇用者は、彼等の労働者に向かって、 紡績工場 「 一家 」、プランテーション 「 一家 」 は、賃金契約なんかを超越した相互利害関係で結ばれている集団だと考えなさいと説いた。  善良な雇用者は労働者たちに住居を提供し、またしばしば売店や教会や学校までも作って、彼等の 「 面倒を見てあげた 」。  このお返しに、彼は忠誠心と尊敬とを被雇用者たちから捧げられる。 このようなモデルの実際の家族と家族的資本主義企業の中では、 生意気な労働者、生意気な子供、生意気な女性などが発生する余地はない。

 南部の働く男性の大多数は、この温情主義的な経済の物差の悪いほうの端*179 に自分がいることに気付く。  従って、狩猟、飲酒、喧嘩、彼等の家族に絶対的権威で君臨することなどの 「 男らしい 」 振舞いは、貧しく、 また温情主義のご主人様に忠誠を尽くすしかない世界の中で、彼等が敬意を払って貰える*180 唯一の手段であった。  白人男性たちはそれでも、黒人男性を脅かしたりやっつけたりする事で、何程かの敬意を払えと主張できたが、 黒人男性は彼等の妻と子供達しか支配できる相手がいなかった。 彼等は稼ぎも一番低かったし、男らしい、 家長支配的役割をする機会もほとんど無かったので、この差別社会の中でまったく惨めな地位にいたのである。

 家長支配的家族内での婦人の役割は、父親と母親の身の程に応じた生活をする子供を育てることであった。  母親は、この階級差のある温情主義の社会の中での彼等の地位に相応しいマナーを子供達に教えた。  保守的な福音主義キリスト教は、この家長支配や温情主義と一心同体であった。  1970年代80年代に南部の白人にとって魅力的であった福音主義の会派は、 経済的社会的現実のために婦人の伝統的役割が従来のようには維持しにくくなった時にも、その役割を強調したのだった。  対照的に、南部の温情主義は米国内外の資本による会社買収のため、落ち目になってきた。  紡績会社や他の産業は自分の作った村を売り飛ばした。 社会を家長支配と見なす見方は消え去っていった。  離婚増大傾向と女性が世帯主である家庭の増加とが、南部の家長支配的家族を減らして行く原因となった。  伝統的中流家族では、夫や父親は家族を食わせている人だという理由で家長支配が部分的に残ったが、 この状況も段々珍しくなってきて、自分はどこにも勤められないと考える妻など殆どいなくなってきた。  婦人が結婚生活である程度の経済的寄与が出来ると言う現実の前には、たとえ夫のほうが稼ぎが良かろうとも、 夫が妻に対し権威を持つべきだという考えは崩れていった。

 このような最近の変化にも拘らず、南部の婦人と他地域の婦人との統計的な最大の差は、収入と宗教の二つの分野にある。  南部の相対的貧困とその圧倒的なプロテスタント勢力とは、婦人が行動する仕方に影響を与え続けた。  南部の婦人は南部以外の婦人が1ドル稼ぐ間に75セントしか稼げない。  にも拘らずサンベルト地帯の経済的ブームは南部の失業を減らし、歴史的に貧困に満ちていたこの地域に相対的には繁栄をもたらした。  南部の婦人と南部の家族は他の米国人より貧しいという状況は続いたが、個人間の所得の差は、 その人に最初に会った位ではもう分からなくなった。 所得の実質的増大と衣料費の低下により、今日、 貧しい南部人は彼等の先祖よりも良いものが着られるようになった。  貧乏な南部人たちはまだ、とくに、高血圧症と心臓疾患の率が高いけれど、日常の食物の変化、フッ素化合物入りの水道水、 医療費補助の改善などのお陰で、南部人たちは健康そうな容貌になって来た。  南部の婦人たちは、米国のどの他地域の婦人たちよりもプロテスタントの教会に熱心に通う。  過去には福音主義プロテスタントキリスト教は南部人たちが貧困に対応するのを助けた。  最近では南部の家族の収入が増えたので、教会に行くか行かないかを問わず、婦人の生活様式が大きく変わった。  永いこと収奪される側の人々を保護する役目だった南部の教会は、サンベルト地帯の繁栄が進むにつれ、 それに適合せざるを得なくなってきた。  婦人関連としては、消費社会の商業主義に魅せられる事などは、初期には厳格なファンダメンタリストたちが非難した事である。

 1980年代末期に引退に追い込まれる前は、タミー・フェイ・ベイカー ( Tammy Faye Bakker )----南部生れではない---- はプロテスタント物質主義の女王として君臨した。  ジム・ベイカー ( Jim Bakker ) とタミー・フェイ・ベイカ− ( Tammy Faye Bakker )*181,*21A の夫妻が訴えたものは、 厳格に言えば南部地域特有のものとは言えないが、彼等は、 信心深いクリスチャンなら、贅沢な暮らしをしても神様は眉をひそめないという考え方を広めた多くの福音主義者たちの一人だった。  そういう考え方は、良い身嗜みとキチンとした魅力的外観とは、女性においては正しいマナーであり、 「 良い躾 」 をされている証拠であるという旧き南部の考え方と矛盾するものではなかった。  歴史的に見ると、南部における女らしさの理想にとって核心的な点は、弱い依存的な女と言うイメージと、 強いしっかり者というイメージとの、相矛盾する二つの淑女らしさのイメージであったのだが、そのイメージの要素の内で、 只一つ、時の経過と共に変わることの無かったのは、良い身嗜みが基本であるということであった。  タミー・フェイ・ベイカーは、説教師の妻として、初期にはこの美徳を身をもって示していたのだが、 テレビ説教に出てくるようになってからは、道を踏み外し台座から滑り落ちた。  今や伝説となった彼女の過度の買い物癖など、まだしも問題ではなかった。  それよりは、厚化粧して、体の線のあらわなタイトな洋服で公衆の面前に出たり、 際どい下着をまとって写真にポーズを取ったりすることで、ベイカーは良い身嗜みも礼儀正しさも捨て去ってしまった。  彼女は過度にセクシーになり、挑発的な厚顔無恥の悪女 *182 となった。  そして、女性として適切なエチケットを超えて 「 悪趣味に 」 なっていった。

 しかしながら、タミー・フェイ・ベイカーのあからさまに挑発的なイメージも、その悪趣味も、 彼女への追随者を失わせるには至らなかった。 南部の淑女から次第に厚顔無恥の悪女に変身して行きながら、 彼女は南部のプロテスタントキリスト教の持つ、異質だがしかし同じくらい強力な二面性を具現したのであった。  つまり、キリスト教徒の完全主義論は決して口にせず*183、 ベイカーは自分を、恵み深き神様が正義に向う道に導いてくださる卑しい罪人だとしてテレビ視聴者の前に示して見せたのだ。  同時に彼女は、罪深い男どもの好色な本性を暴く肉欲のイメージを投影して見せたのだった。  南部のプロテスタントの伝統では、神様はすべての人を赦して下さるが、 男も女もまず心の罪 ( これに対してはジミー・カーター ( Jimmy Carter ) 氏が公に告白した*184 ) と肉の罪 ( これについては、 小説の中でエルマー・ギャントリー ( Elmer Gantry ) が挑戦したものの降伏している )とに取り組まねばならない。  20世紀の南部の説教師たちは、彼等の教会員たちに向って、現代の厚顔無恥な悪女に対する警告を一貫して発し続けてきたので、 ファンダメンタリストの南部の婦人達は、これらの警告と原罪*185 の重荷との両方を背負い続けてきた。  原罪のために婦人 ( women ) において乱交はあり得る事であり、浮気な気風を持つ南部女 ( belle ) は特に弱みを持っていた。  南部の淑女 ( ladies ) は特別に情熱の少ない人達だったので、肉体的な罪を犯す危険を上手に克服できた。

 南部地域のキリスト教は圧倒的にプロテスタントで福音主義会派であるが、20世紀には宗派、分派、儀式のやり方、 および信仰復興運動などが多様化した事が特徴的である。 20世紀のキリスト教はまた、 タミー・フェイ・ベイカーが演じた役割以外の多くの役割を選択する自由を婦人たちに提供した。  南部の社会を思慮深く調べ、その人種的、階級的関係がキリスト教の教えに沿ってもいなければ正義でもないと判断した男女たちにとって、 道徳的勇気の源泉であったし、あり続けているのが、 19世紀に主力であった既存の黒人宗派および白人宗派の形をとった現代の教会である。  南部の家長支配制度は、婦人たちが社会正義を求める運動に参加するのを邪魔してはいたが、 社会変革を求める20世紀のキリスト教信者の婦人闘士たちの名前は列挙にいとまがない。  1960年代のミシシッピ自由民主党のファニー・ルー・ヘイマー ( Fannie Lou Hamer ) のような、 貧しく社会的にも不利な立場にいた人から、あのヴァージニア権利宣言*186 の起草者の5代目の子孫であるが、 彼女自身は1920年代の産業別組合会議 ( CIO )*187 の手ごわいオルグであったルーシー・ランドルフ・メイスン ( Lucy Randolph Mason ) のような 「 特権 」 階級の人に至るまで多様であった。  1920年代にはキリスト教女子青年会 ( YWCA )*188 が組織した一団の婦人たちが、 南部の紡績工場や他の工場での児童の就労を制限し、婦人の労働条件を改善する州ごとの闘争*189 を指導した。  1930年代にはジェシー・ダニエル・エイムズ ( Jessie Daniel Ames ) や、 メソジスト派教会の婦人ドロシー・ロジャース・ティリー ( Dorothy Rogers Tilley ) はリンチに抗議する闘争*190 を指導した。

 エピスコパル派*191 のルーシー・ランドルフ・メイスンは、自分の信仰心、牧師である父親と活動家の母親の教えに感化されて、 ヴァージニア州の特権階級の偽善的固定観念に挑戦し、大部分の南部白人が持つ偏見を反駁するための種々の努力に彼女の一生を捧げた。  南部での闘争の焦点について、メイスンは 「 私は、14才のとき、ある牧師の説教を聞いて、自分も牧師になろうと思った。  後になって、私はキリスト教は各自が自分の住んでいる世間で正しく適用できるものだと考えるようになった 」 と書き記している@1 。  メイスンはこのように決意し、参政権平等化連盟 ( Equal Suffrage League ) 、婦人有権者連盟 ( the League of Women Voters )、 YWCA、全国消費者連盟 ( the National Consumers League )、 the Union Label League *192 および the Urban League *193 などで重要な役割を果たす人になった。  産業労働者のために社会正義とより良い労働条件を実現したいという関心が、彼女を常に動機付け続けたと言える。  この2点への関心が彼女をCIOと、1930年代のその南部での組織運動へと駆り立てたのだった。

 メイスンは強力なオルグでもあった。 労働者たちは伝統的に女性が指導者になることに偏見を持っていたにも拘らず、 彼女は彼等を結集する事が出来た。 彼女のような淑女が工場にいるのは不釣合いで珍しかったし、 彼女の傍らには頑丈そうな組合のリーダーが立っていたからであろう。  使用者側や地域の指導者たちにも耳を傾けさせるのが彼女の特に優れた資質だった。  シャーロットのハイランドパーク紡績 ( Highland Park Mill ) の争議の際、 シャーロット・ニュース紙の編集長のJ・E・ダウド ( J.E.Dowd ) がメイスンを丁重に歓迎会に招待した事は、彼女を驚かせた。  ダウドは、彼の妻が子供のときリッチモンド市の教会の日曜学校で彼女に教わったからだと説明し、 彼女の 「 温和な 」 容貌が彼女を組合側のおそるべきスポークスマンにしていると語った。

 市民権運動も、婦人たちに家庭の外で活動的な生活を送るお手本を示した。 ローザ・パークス ( Rosa Parks )、 セプティマ・クラーク ( Septima Clark ) 、アン・ムーディ ( Anne Moody )、そしてファニー・ルー・ヘイマーなどの人達は皆、 若い南部の男女を啓発した。 ローザ・パークスとセプティマ・クラークは、マーチン・ルーサー・キング他の人達と行動を共にし、 人種差別反対のボイコットや行進を組織した。 アン・ムーディは、 ほかの若い人達と共に、人種差別反対と選挙権のための闘いをミシシッピ州で起した。  ファニー・ルー・ヘイマーはミシシッピ自由民主党の代表団を引き連れて1968年の民主党全国大会に乗り込んだ。  これらの婦人たちはメイスンと同じくらい粘り強い信仰心を示し、また、人種差別に耐え抜き、苦しい現実をうまく処理するが、 規則的に彼等を襲う不正義には決して降参しない多くの黒人婦人の異常なまでの能力を見せてくれたのだった。  歴史的にみて黒人家族が婦人の労働に依存してきたことと、白人社会を知り尽くしていたこととが相まって、 ヘイマーのような婦人が、公民権運動の改革による変化に影響を与えるような腕前と決心を持つに至ったのである。  アン・ムーディが自叙伝 Coming Age of Mississippi で明らかにしているように、 たくさんの黒人少女たちが12才以前に白人の家庭で手伝いを始めていた。  白人の家事手伝いをしている内に、彼女ら黒人召使は、政治や彼女らを雇っている白人家族の秘密やらを盗み聞きした。  こう言う知識が、黒人の公民権活動家が政策を練ったり、怒れる白人たちの攻撃から自身を守ったりする際の助けになった。

 1980年代までには、次第に、南部の社会的政治的活動でなされた約束の多くが勢いを失って来たが*194、 これらの運動に参加した婦人たちは今日の南部の黒人、白人の女たちに価値ある遺産を残した。  高望みしたってほとんどの婦人が成れっこないような南部女 ( belle ) や南部淑女 ( ladies ) の理想の姿の代わりに、 20世紀の活動家たちは、南部の婦人たちに具体的な理想像を提供したのだった。  これら女性リーダーは、南部の特殊性を保存するという考えを打ち出し、同時に南部の婦人たちに、 家族の文化遺産を拒否するのではなく不足な点を補足する形で、 そして彼女らの個人の才能の発展を抑えるのでなく確かなものにする形で、人生目標やライフスタイルを選ぶ事を可能にさせた。  現代の福音主義勢力などが、南部の婦人を全面的に家事の役割に復帰させるよう努力を続けたので、 多くの婦人が専業主婦の生活を自発的に選んだ。 一部の人は宗教的理由でそうした。 一方他の人々は、 近年の繁栄のお陰で彼女らの母達や祖母たちが従事してきたあの疲れる仕事から解放されたのでその道を選んだ。  そして、全体としては南部に住む婦人たちは、黒人も白人も、その経済的、社会的、政治的役割を拡張し続けているのだ。

 現代の南部の多くの婦人作家たちもまた、南部女や南部淑女と言う無理のある役割から婦人たちが離れて行く動きを書き記している。  ローズマリー・ダニエル ( Rosemary Daniell ) はその自叙伝的作品フェイタル・フラワーズ ( Fatal Flowers ) の中で、 南部女や南部淑女という優美さを手にいれようと思えば出来た裕福な白人の少女たちの間に紛れ込んだ年頃の貧乏な白人の苦悩を描いている。  中産階級、上流階級の物質的な優位性が、貧乏な女学生たちを豊かな女学生たちから引き離してしまったのだ。  その結果、ダニエルは外面的物質的な暮し向き以外に他人との違いを判断する基準を持てなくなってしまった。  自分の貧乏を恥じるあまり、ダニエルは裕福な同級生と友達になれず、 彼女らはきっと魅惑的で素晴らしい生活を送っているのだろうと想像するだけだった。  自分は 「 淑女 」 になんか決してなれないと知っていたので、彼女は欲求不満だった。  思春期にファンダメンタリストの家庭に育ったので性的な罪悪感にも苦しんだ。 しかし成人してからの彼女は、 個人的教養に基礎を置き、彼女の少女時代を傷付けた階級と性別の圧制から解放された新しい進路を描くことができた。

 最近の自叙伝的エッセーで、 現代作家のロブ・フォーマン・デュー ( Robb Forman Dew ) も、淑女らしいイメージを保つことの重荷について書いている。  彼女の告白によれば、彼女が南部女 ( Southernbelle ) らしく振る舞うことを放棄したのは、 「 その考え全体が余りに真実から掛け離れており、そう在るためにはエネルギーが要り過ぎるのでそんなものは皆捨ててしまった 」 @2 のだ。  アン・リヴァース・シドンズ ( Anne Rivers Siddons ) のハートブレイクホテル ( Heartbreak Hotel ) という小説の中では、 ある南部の母親が娘を 「 立派な家柄の 」 家族に嫁がせるのに成功したが、その娘が妻としてまた母として、 姑の望む淑女らしさの基準にどうしても合わせられないという話が出てくる。

 大多数の婦人は南部女や南部淑女に成ろうとしてもなれないし、男たちもプランテーション所有の紳士になどなれっこない。  こういう人達にとって、南部の女らしさなどという神話は、第二次大戦以来随分と非現実的なものになった。  皮肉なことに、この神話を過去のものにしたのは南部の繁栄である。 成功しようと忙しく働いている南部人たちには、 彼等の両親や祖父母の時代の小さな町や田舎のすみかを思い出させる眠気の出るような習慣をいちいち気にしている暇などない。  でも南部サンベルト地帯の 「 バリバリ働き成果を上げて行く人達 」 も、過去の時代のお行儀に多少の効用は認めている。  現代にも適合するお行儀には結構執着してきた一方、それ以外のお行儀はさっさと捨ててしまった。  南部白人たちが過去の時代に郷愁を感じていようといまいと、彼等は、 この喧騒に満ちた現代の経済の真っただ中では、真っ昼間に正餐を食べてなんかいられないのと同様、 人種差別なんて、もう言ってる暇はない事を知っている。 南部の婦人も、もう、かつてのような 「 南部人 」 ではなく、 淑女らしさについての考えを修正してしまった。  もし1920年代の年配の上品な婦人が彼女の曾孫が今どんな 「 淑女 」 になったかを見たとしたら、 きっと腰を抜かすことだろう。 しかし、それでも、彼女は、 たとえその少女の口から "Yes'm" *195 というような言い方を耳にしなくたって、 部屋一杯に居るヤンキーの従姉妹達の中から、彼女の南部の曾孫を探し当てることができるだろう。  理想化された南部女と南部淑女とは、融合してついに一つの象徴になったが、同時に、 この二つのイメージは現代の人達にとって大切な考えに押されて、消えてしまったのである。  今や南部の婦人たちは、彼女らの母親や祖母よりもずっと多くの選択枝を持っている。  今は婦人にとって、知性と学歴とが誇りの対象である。 優雅とか洗練とかいう事はまだまだ立派な性質だとは思われているが、 女らしさとなると、もう、男性と互角に競争して行く事を犠牲にしてまで持つべき性質だとは思われていない。  今日の理想的婦人とは、物柔らかだがはっきり物を言える人である。 父親や夫や上長を立てるのが務めだなどとは思わず、 自分個人の目標に向かって邁進する。 彼女らが今享受している広い選択の幅は、彼女らを過去の神話の中の南部婦人ではなく、 現実に生きる南部婦人にしてしまったのである。

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訳者注

*179 women's liberation movement すなわち、いわゆるウーマン・リブ運動
*179 反対の側の良いほう、豊かな方の端には雇用者が居る
*180 彼等の家族からの敬意
*181 この二人については、第一章の最後の漫画とその説明も参照
*182 ジェザベル ( Jezebel ) をこの章では厚顔無恥の悪女と訳したが、もとは旧約聖書の列王紀に出てくる悪女の事
*183 完全主義論 ( perfectionism ) とは、洗礼を受けさえすれば人は完全に罪のない生活をおくる事が出来るという神学上の学説。  彼女はこの立場を取らず、キリスト教徒の良い面と罪深い面とを両方具現してみせたのだと筆者は説明する
*184 罪には実行されなかった罪 ( 精神的な罪 ) と実行されてしまった罪 ( 肉の罪 ) の二つがあるとされる。  カーター氏は、大統領時代に寄稿して、自分が犯した心の罪を公に告白した。大方のキリスト教徒には受けが良かったと言う。  エルマー・ギャントリーはシンクレア・ルイスが宗教界の偽善を暴露した作品の主人公であるが詳細は省略
*185 原罪 ( original sin ) とは、キリスト教の教えでは、アダムとイヴが神の言い付けに背いて犯した最初の罪、 彼等が天国を追放されて以来、その子孫であるすべての人間が生まれながら持つ罪のこと
*186 1776年のイギリスからの米国独立の前、13州はそれぞれイギリスに対し類似の宣言を行っていたが、 ヴァージニア州もこれを行った
*187 米国の労働組合は1866年組織された職業別熟練労働者による AFL ( American Federation of Laborアメリカ労働総同盟 ) と、 1935年に出来た不熟練労働者を含む産業別組織 CIO ( Congress of Industrial Organization産業別組合会議 ) が2大勢力であったが、 両者は次第に特色を失い合同の機運が高まって1955年、現在のAFL−CIOに統一された
*188 YWCA Young Women's Christian Association は1855年ロンドンで創設されたキリスト教の信仰により結ばれた青年女子の団体
*189 米国では州ごとに法律が違うので闘争内容も州ごとに変わる
*190 南部に昔からリンチが多かったことについては第二章の第5図を参照
*191 エピスコパル派とは、英国国教会の事。監督派ともいう
*192 ユニオンレーベル ( union label ) とは 「 これは組合労働者が作った製品だ 」 ということを示し顧客に購買を促すために製品に付ける札ないしはスタンプ印刷のこと
@1 Lucy Randolph Mason,To Win These Rights:A Personal Story of the CIO in the South ( New York:Harper,1952 ), 4
*193 アーバン・リーグ ( Urban League ) とは、シカゴ、デトロイトなどの大都会の市街地のホームレスなどの貧民の救済のための組織。  M.L.Kingや Jesse Jacksonなど有名な黒人指導者はこの組織に強く関わっている
*194 1960年代以降黒人の権利に進歩は有ったが、最近は運動の勢いと成果がそれほどでも無くなってきている
*195 "Yes'm" は "Yes, ma'am" ( ハイ、奥様 ) と言う丁寧な言い方の南部口語である。  北部のヤンキーの少女ならせいぜい "Yes" ( ハイ ) くらいしか言わないであろう。 しかし、そんな言葉の癖を聞くまでもなく、その雰囲気だけで、 初めて見る南部人のひ孫を、他の沢山のヤンキー ( 北部人 ) 娘とは見分けられるだろうというのである
@2 Robb Forman Dew, "The Power and the Glory", in A World Unsuspected : Portraits of Southern Childhood, edited by Alex Harris ( Chapell Hill:University of North Carolina Press,1987 ), 119


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