諸磯式

もろいそしき

標式遺跡 神奈川県三浦市諸磯遺跡

前期後葉 中部高地・関東


 名称の由来 諸磯遺跡出土土器は明治時代から、厚手式薄手式と異なるものとして認識されていたが、榊原政職により「諸磯式」として扱われるようになった。一時は現在の黒浜式も含んでいたが(→メモ)、山内清男が黒浜式と区別した上での2類を指摘し、後に式を加えた3つの細別型式とした。

 

諸磯a式

 製作 胎土に砂粒が多く、繊維を含まないものが多数だが、含むものもある(古い段階、および東関東に目立つ)。内面は磨く。厚さは7o前後が多い。
 器形 深鉢を主とし、有文4単位波状有括のもの、無文で甕状のもの、単純なバケツ形のものを代表とする。有括のものは時期が下るほど湾曲が弱くなる。口縁に幅狭の内屈部を持つものも多い。鉢や浅鉢等も定型化して存在する。有文深鉢の形態を基本として下半部に相当するもの、上半部に相当するもの、全体を寸詰まりにしたものが有る。まれに小形深鉢の胴部を膨らませ口縁部が直立した形態の広口壺もある。底部は平底。
 装飾 地紋に縄紋を持つものが普通だが、横位竹管条線を施すものや撚糸紋のもの、貝殻腹縁紋を施すものも有る。後2者は東関東に多く、浮島式の成立につながる。縄紋は単節RLが多く、付加条または通常の単節を浅く施紋することにより条の間が空くとともに末端の結節を器面に残すものが多い。整わない斜縄文がほとんどで古い段階にまれに羽状縄紋が有る。有文のものと縄紋のみのものは相半ばする。有文のものは口縁部と括れ部に2列以上の爪形文による磨消爪形文帯を配することを基本とする。古段階には米字文類型が主となり、中段階には肋骨文が多い。新段階には磨消縄紋の発達した矢上類型が代表的である。この他に直曲交互文の加茂類型や爪形文帯のみのもの、円形竹管文が垂下するのみのもの等がある。描線は幅3o前後の狭い半割管状工具による対線が主となり、櫛歯状工具も用いる。

先行型式 黒浜式  後続型式 諸磯b式

隣接型式 北白川下層2式 浮島1a式 大木3式

学史的・地域的異称 上手諸磯式 水子式 矢上式 南大原式 泉龍寺式


 

諸磯b式

 製作 胎土は砂粒に富む。厚さは@o前後が多い。
 器形 深鉢を主とする。有文のものは、古段階では括れが弱く上半部が緩く外反するものが主体となり、2単位の鞍状口縁が特徴的であるが、4単位の波状口縁も有る。中頃からキャリパー状の深鉢が主体となる。キャリパー状の深鉢は時期を追って口縁部の湾曲や波状が極度に強くなるとともに内曲部や波状部を省略した形態も現れる。無文の深鉢の多数は肩の張る甕状。鉢や浅鉢等も存在する。特にキャリパー形深鉢の圧縮した形から独自に発達した、UFO形と称される胴部が大きく開き口縁が強く内湾する浅鉢が特徴的である。底部は平底。
 装飾 地紋に縄紋を持つものが普通だが、横位竹管条線を施すものも有る。縄紋は単節RLによる整わない斜縄文がほとんどで、まれに羽状縄紋が有る。縄紋のみのものは古段階では半ば近いが、時期が下るにつれ減少し、簡易な文様をもつものが増加する。有文のものは大きく3段階に分かれる。古段階では3列以上の幅広線内充填爪形文を描線として蕨手文等を描く中川類型が主となり、中頃からは浮線を文様描線に用い渦文を描く四枚畑類型が主体になる。さらに時期が下ると渦文も低平な浮線による多重渦となる。これらには、同様の文様やa式の各類型の退化したものを半割管による対線で描いたものも多く伴い、特に新段階では縦位の対弧文が多用されるなど、文様描線の主体となる。半割管は、古段階では幅7o前後の広いものが主となり、新段階では幅狭のものを密集して用い条線に近づく。
 細別名 2分案に始まり7段階区分まであり、変化の過程が滑らかに捉えられるようになったが、一般に用いられるのは鈴木敏昭による3分案である。幅広爪形文が主体のb1、浮線文が主体のb2、密集沈線文が主体のb3であり、このうちb3式は今村啓爾がb-c式と呼んだことがある。浮線文の出現は画期的な変化であるが、それ以降の変化(中〜新段階)は漸移的である。

先行型式 諸磯a式  後続型式 諸磯c式

隣接型式 北白川下層2式 浮島式 大木4式

学史的・地域的異称 上手諸磯式 矢上式 四枚畑式 諸磯b-c式 上原式 刈羽式

 

諸磯c式

 製作 胎土は砂粒に富む。金雲母を含むものも目立つ。厚さは@o前後が多い。
 器形 深鉢を主とする。古い段階では平縁が主体であり、波状口縁がわずかに残る。胴部下位の膨らみが内屈部となり、その上が緩く外反するが、下胴部を省略し、底部から直接緩く外反するものが増えていく。口縁は内屈部を持つものと持たないものがあるとともに、口縁と胴部の境界も内屈させるものが現れる。新段階では口縁内屈部を持つものや、底部直上の屈曲を持つものが乏しくなる。代わって、単純に外反する深鉢の口縁部と胴部の境界が括れ部となり、下半部が緩く湾曲するものもあらわれる。波状口縁も多用されるようになる。UFO形の浅鉢は有孔無紋のものが主体となる。
 装飾 この時期から中期初頭にかけては装飾過剰のために文様が地紋に転落するということが繰り返されるため、地紋と文様を明瞭に区別しにくい。縄紋を持つものはまれである。成立直後はb式から続く単節斜縄紋がほとんどで、それ以後にまれに見られるものは羽状縄紋が多い。有文のものは大きく2段階に分かれる。古段階では、胴部に縦長の対弧文やX字文、口縁と胴部の境界に横線帯、口縁部に横位羽状沈線と貼付文という組み合わせが基本になる。描線は細い割管による多列平行対線による。口縁部の貼付文は棒状のものが出現し、その一部が貝殻状に発達する他、胴部も含めた文様の要所にボタン状の貼付が付される。新段階は平行線が次第に地紋化し、代わって棒状の貼付から変化した竹管刻み浮線を描線として、はじめは口縁部に数列垂下し、後に双渦文が現れる。
 細別名 2分案を基本とし、さらに詳細な系列別の変遷が捉えられつつある。今村啓爾が古段階をc1式、新段階をc2式と呼んだが、定着はしていない。

先行型式 諸磯b式 後続型式 十三菩提式

隣接型式 北白川下層3式 興津式 大木5式

学史的・地域的異称 豪華文諸磯式 草花式 下島式 日向式 晴ヶ峰式


メモ 酒詰仲男は現在の黒浜式下手(げて)諸磯式諸磯a式b式上手(じょうて)諸磯式と呼んだことがあり、また、諸磯c式に相当するものを豪華文諸磯式と仮称していたという。

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