花積下層式と関山式の中間的なものとして昭和30年(1955)に篠遠喜彦が設定した。花積下層式から関山式への以降については、文様要素の変遷に着目して昭和50年代に多くの論考が記されたが、その漸移性から、独立型式として扱うか、関山式に含めるかは意見が割れた。下村克彦が新田野段階花積下層式を設定した論文で、二ツ木式の特徴をあらためてまとめた。黒坂禎二が胴部縄紋の構成で前期前半の型式変遷を捉えた際には、「幅狭等間隔施紋」を特徴として新田野段階を含めて再定立した。それでもなお、関山式の最古の一群として扱う見解は根強い。花積下層式から関山U式までは滑らかな連続的な変遷であり、その中で中間型式を設ける必要性は低い。型式境界としては、斉一性が強い花積下層式平行期から、地方差が顕現する段階が適当であり、かつ、関山式の特徴とされる諸要素の出現という点でも関山式に含め、その細別として名称を検討することがよいと考える。