青春13階段

             「その時、Y氏は・・・」(その9)

 私と、Y氏の付き合いは長いものです。よく有楽町のK喫茶店や、ガード下のヤキトリ
屋さんで彼の子供のころの話を聞かされたものでした。
最近は特に過ぎ去った思い出をたどっているようです。
「今や将来に思いはないのか。」と聞くと「それにも格別な思いがある。」とのことです
が、将来の話になると若干肩が落ちるのが気掛かりであります。・・・・
そんな、彼の思い出話の中で印象に残ったところを照会していきます。
「暇な人は気休めに読んで下さい。・・・・・」

 先日、ちょうど気圧の谷が通り過ぎて、一時的に西高東低の冬型の気圧配置となり寒の
戻った土曜日の晩から、Y氏はXさんと結婚20年ということではないけれど、二人で十
和田湖、奥入瀬、男鹿半島、田沢湖の旅に出かけたそうです。
今回は、Y氏の旅の話をすることにしました。

 Y氏が以前十和田湖・奥入瀬を訪れたのは20年以上前の青年のころの夏で、遊覧船上
での夜のダンスパーテー、朝ボートを乗り出し澄みきった湖水に見えた藻の美しさ、ボー
トで乗り付けた浜に佇む光太郎の乙女の像などが印象に残っているそうです。
今回はその時のような熱情は覚め静かな春の旅でした。今回はたまたま前日春ゆきが降り
、原生林がすっぽりと雪景色した十和田・奥入瀬がえらく気に入ったとのことでした。

  厳冬を耐えて
  撓んだ枝々や傾いだ幹らは
  淡雪に被われ陽の光を受けて
  乱舞する輝きのなか重なり絡み合っていた。
  雪化粧がなければこの季節
  黒々と打ちのめされた木躯の群れであろうが
  冬の重しを耐え、生き残ったものたちへ
  行く冬から贈られた光の勲章
  それが昨日の淡雪でなかったか。

と雪化粧した原生林の美しさに感動してY氏はそう思ったそうです。
 なんだか、よく分からないというと、「そうだな、人にたとえれば、苦労して耐えたもの
がたくましく育ち、最期まで生き残って光輝く恩恵を受けるというような感じかな。弱いも
のは雪の重さや寒風で枝が折れ幹が倒れてしまうが、強いものや我慢できるものはこれらを
乗り切ってより成長していく自然の摂理へへへ、ちょっと感じすぎかな??」とY氏は舌を
だしてニヤッと笑いました。
 男鹿温泉は昔は寂しい湯治場であったそうですが、交通の発達により今では開けた温泉場
である。近くには北緯40°線上に位置する入道崎灯台があり、そこでは、若者達が浜風を
受けてパラシュート見たいなもの(Y氏はその正式な名称を知らないそうです。パラグライ
ダではないと言っていました。)に興じていました。Xから「あなたは重いから飛ばないよ
ね・・・・。」なんてからかわれたそうです。
 Y氏が宿泊したところは、当温泉としては大きな6階建ての男鹿ホテルでした。湯元は
56°と高温でしたが、海の見える露天風呂は澄んだ外気で冷やされ、ちょうどいい湯加減
でとても気持ちがよかったとのことでした。
 ところで話は宴会場の「かきもの」のことです。宴会場に「福如雲」という書が掲げてあ
りましたが、これがいいといっていました。Y氏は書道の嗜みはないので、書自体に興味を
持ったのではなく、「幸福というものは雲のようなものだ。」という意味になーるほどと共
感したのでした。「掴んだ幸せも雲を掴んだようなものである。」「幸福とは幸福と感じた
傍から崩れていく。」「幸福とは雲のように掴めないものである。」「幸せは幸せと感じな
いときが幸せである。幸せを感じたときは幸せが雲のように失せようとしている時である。
」どの解釈が正解であるか、夫婦というものも幸せだ、幸せだと思っているときより、幸せ
を掴もうとしているとき、幸せであるなんて感じないでいるときが本当に幸せであるような
気がする。(20年の実感か・・・???)
 なにか話が暗くなるナー。「福とは雲に乗っているように気持ちのいいものだ。」ともと
れないかい。Y氏の話は何かだんだんに寂しいものばかりではないかいと批判すると、「そ
うだなアー。自分の表面の明るさの底に生き物としての暗い本質があって、それが世の中の
しくみや生命体社会の本質とつながっている感じが刹那的にはなれない原因かも知れないな
アー・・・・・。」???

 Y氏はそんな体験を胸にたたんで、月曜日にXさんとにこにこしながら、冬着が似合わな
い浦和の町に戻ってきました。

 Y氏の最近の話は、夢のないものになってしまっておもしろくありませんので、次回は時
代を35年遡っていくことにします。

   (次回へつづく)

                    DE 7L3・・・(浦和市)

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