青春13階段

             「その時、Y氏は・・・」(その10)

 私と、Y氏の付き合いは長いものです。よく有楽町のK喫茶店や、ガード下のヤキトリ屋
さんで彼の子供のころの話を聞かされたものでした。
最近は特に過ぎ去った思い出をたどっているようです。「今や将来に思いはないのか。」と
聞と「それにも格別な思いがある。」とのことですが、将来の話になると若干肩が落ちるの
が気掛かりであります。・・・・
そんな、彼の思い出話の中で印象に残ったところを照会していきます。
「暇な人は気休めに読んで下さい。・・・・・」

 Y氏は、小学生のころ暇を見つけては、父の勤めている蚕糸工場へ遊びに行きました。工
場は蚕糸の独特な臭いが充満しており、大きなベルトで駆動された幾つもの機械が糸を繰っ
ていました。当時の工場は今のように環境が良いものでなく、建物も工場長がいる事務棟だ
けがコンクリート造りであり、他は全て木造でした。
 そんな木造の工場の片隅に父の仕事場があり、父は手拭いを頭に被り、かんながけなどに
汗を流していました。屋根が傷んだら木材を業者に発注し、自分で工作し、そして修理する
、社員寮の窓の修理・電気の配線修理・機械の油くれなどなど、営繕の仕事はいわゆる何で
も屋でありました。当時は請負に出すより、社員に従事させたほうが経済的であったのか分
かりませんが、Y氏の父はこのような雑多な仕事を一人で請け負っていたようです。
 父の作業場は日当たりの良いところでまあまあの環境のところでした。空が夕焼けして仕
事が終るまで遊び、一緒に風呂に入って家に帰ったものでした。お湯は蚕糸工場では繭から
糸を繰り出すために必須であり、そのためにボイラーがあり、町の名物と言える大煙突があ
るのです。だから、お湯の豊富な風呂があったのでした。

 父がいつ、どこで大工やブリキ細工、セメント、溶接などの技術を習得したのか?父は衛
生兵であり、上官の頭を刈ってやったり、性病の薬をやったりして可愛がられたと聞いたこ
とはあるけれど、大工の仕事を学べたとは言っていなかった。Y氏は職人(プロ)の仕事を
細かく観察したり、疑問なところを聞いたりしている父の姿を見かけたことがしばしばあっ
たそうです。父は「見よう見まね」で工夫して技術を覚えたのだろうとY氏はいっていまし
た。(出来ないものは、業者に発注して、これを見ていて段々に技術を習得していったよう
です。いまでいうOJTではないかとおもいます。)

 Y氏の父親は仕事の暇を見つけては、母には人形ケースなど、娘たちには人形遊びの鏡台
などのたくさんのオモチャを作って与えましたが、息子には遊び道具は作らず、頑丈な勉強
机だけを作ってくれたそうです。(父親が息子より娘がかわいいのは昔も今も同じであるの
かナー。)
 父親の仕事がらY氏の家には大工道具が一揃いあります。幼いY氏に父親がどんな道具を
使わせてくれたという訳ではありません。Y氏は「トンカチ」「のこぎり(但し一番古いも
のに限る)」までは使わせてもらったが、「かんな」は使わせてもらえなかっそうです。よ
うするに手入れが行き届いているものは息子に使わせなかったのです。また、父親はY氏に
道具の使い方をを真剣に教えることはしなかったそうです。
 でも、遊ぶツールをつくるのに親の道具は大変役立ちました、何を作るにも道具だけは不
自由しませんでした。
 先輩や仲間たちと、飛び道具としては、杉鉄砲、紙鉄砲、石鉄砲、水鉄砲、手裏剣、パチ
ンコ、弓などを、翔ぶものとしては、竹トンボ、凧、グライダー、東京号など組立飛行機を
、乗り物としては、竹馬、ポックリ、ゴーゴー(木製四輪、坂下り用木造車)、雪橇などを
、遠くを見るものとしては、地上・天体望遠鏡などを作くりまくったそうです。
 しかし、なぜか父親はY氏がどうしても工作できない部分以外は関与しなかったようです
。そのうち、Y氏はやがてラジオに興味をもち、大工道具とも縁がなくなっていきました。
電気半田ゴテ、テスター、アルミ細工の道具などをそろえ父親には手の届かないチンプンカ
ンプンな電子回路の世界へと旅立ったのです。しかし、息子の電気ごてを見て父親も七輪の
炭おこしの半田ごてから電気ごてへ、電気ドリル、電気かんな、電気のこぎりなど電動化が
進みました。電動化は、ちょうど父親の体力の減退にあわせて進みました。いまでは、それ
らの道具が稼動することはなくなっています。それほどY氏の父は高齢になっているのです
。

 Y氏の電気ごても今はほとんど稼動していません。今は父親の道具も、自分の道具もひっ
そりと男の作り出す機能(知恵)が変化(ソフト化)するなか、役割を終えてしまったかの
ようであります。
 Y氏は父親から直接教えて貰ったものは少ないとの話でありますが、父親が道具を駆使し
てひたむきに造り続けた姿を見射ることで、自分の心の重心にある鼓動に共振を与え、それ
だけで充分であったのではないかと言っておりました。

   (次回へつづく)

                    DE 7L3・・・(浦和市)

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