青春13階段

            「その時、Y氏は・・・」(その5)

 私と、Y氏の付き合いは長いものです。よく有楽町のK喫茶店や、ガード下のヤキトリ屋
さんで彼の子供のころの話を聞かされたものでした。
最近は特に過ぎ去った思い出をたどっているようです。「今や将来に思いはないのか。」と
聞くと「それにも格別な思いがある。」とのことですが、将来の話になると若干肩が落ちる
のが気掛かりであります。・・・・そんな、彼の思い出話の中で印象に残ったところを照会
していきます。
「暇な人は気休めに読んで下さい。・・・・・」

 Y氏が何故無線に興味をもったキッカケはなんであったのか聴いてみました。

 Y氏が無線(ラジオ)に興味をもったキッカケは漫画ではないかということでした。当時
は探偵物の「怪人20面相」だとか「怪盗ルパン」などを友達から借りて読むのが好きだっ
たとのことですが、漫画の記憶は「岩見十太郎」(母上から卵を買いにやらされて、帰りに
悪童どもにいじめられ卵を割られてしまう弱虫の十太郎が、大人になってマントヒヒを退治
するお話。)や「くりちゃん」ごろからあるようです。

 親から漫画を買ってもらったのが、「少年」です。近所の仲間は「冒険王?」、即ち、竹
内つなよしの「赤胴鈴の助」が連載されているもの、Y氏が「少年」に興味をもったのは、
横山光輝のナーンと「鉄人28号」でした。
 (手塚治虫の鉄腕アトムも少年連載でした。)

 飛騨山中の日本軍部の秘密研究所で敷島博士らが、1号から手がけ失敗をかさねながら
28号を完成させた。折しも、飛騨山中は大荒れ、電光が走り、カミナリが落ちて28号は
目覚め動きだす。コントロールがきかない!!!。そこで27号とのとっくみあいになり、
あえなく27号は壊されてしまう。その後、28号は飛騨の谷底に落ちて動かなくなり、敷
島博士が操縦機を作ってコントロールできるようになる。・・・・・・・・

 Y氏が無線をやるキッカケは敷島博士が作った操縦機で「金田正太郎」が鉄人28号を操
るところからきているとのことでした。「そういえば、地主の息子のO君は、ラジコンのバ
スをもっていたな。後でわかったんだけどあのころのラジコンはブサーにアンテナを付けた
ような簡単なものだったのだよ。」とも話してくれました。

 Y氏が初めてラジオを作ったのは「教科書に鉱石ラジオの話がのっていたので」見よう見
まねで作ったそうです。バリコンや鉱石検波器、クリスタルレシーバーなど田舎のことでな
かなか手に入らなかったので、通信販売で手に入れたそうです。
 コイルはボビン(円筒形の筒)がなかったので、エナメル線を買って来て、スパイダーコ
イルを自作したそうです。スパイダーコイルとは、蜘蛛(スパイダー)の巣のような、とい
うことからきているのだそうです。

 友人と裏山に上り釣り竿にエナメル銅線をつけラジオをならしました。彼のはゲルマニウ
ムにボビン状のコイル、Y氏は鉱石検波器にスパイダーコイルとの聴き比べでした。彼には
口に出さなかったけどY氏の方がよく聞こえたそうです。「ゲルマに鉱石が勝った。(ゲル
マは買えんかったけど、どうや、ヤッター)」
 またその後で、クリスタルレシーバ同士結んで相手が話したら相手の声が聞こえたんだ。
だったら、片線放したら無線で飛ぶのではないか二人は淡い夢を持った。が、しかし聞こえ
る訳がありませんね。で、放した両端をアースしたら聞こえたんです。(これは、二人でヤ
ッター。)
 二人の少年は、釣り竿を片に掛け、自作の愛機を抱え、大きな夢を抱き、夕焼けの小道を
意気揚々と下っていきました。


 Y氏はその後、並四、五球スーパと自作(当然当時はST管の時代)を重ね、高校時代で
ようやくHAMと流れていったそうです。
(でも、Y氏はその流れ=無線技術=だけに専念することができなかったのです。トランジ
スタが出てきたころから、スリップしはじめたようです。)

       (次回へつづく)
                        DE 7L3・・・(浦和市)

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