青春13階段

           「その時、Y氏は・・・」(その4)

 私と、Y氏の付き合いは長いものです。よく有楽町のK喫茶店や、ガード下のヤキトリ屋
さんで彼の子供のころの話を聞かされたものでした。
最近は特に過ぎ去った思い出をたどっているようです。「今や将来に思いはないのか。」と
聞くと「それにも格別な思いがある。」とのことですが、将来の話になると若干肩が落ちる
のが気掛かりであります。・・・・
そんな、彼の思い出話の中で印象に残ったところを照会していきます。
「暇な人は気休めに読んで下さい。・・・・・」

 Y氏が生まれたのは、G県のN町というところであるというのは、先にお話ししました。
N町は、G県の北西部に位置し、A郡の行政機能と、四万(しま)温泉や、沢渡(さわたり
)温泉の玄関口となっている、小さな盆地の町であります。
 当時は、渋川から太子まで長野原線(今はあがつま線:高崎から大前まで)があって、Y
氏が小学校の時までは、SLが走っていたそうです。トンネルに入ると煤が目に入って大変
であったとのことを今でも覚えているとのことです。小学6年の時にそれがジーゼル車にな
り、ドアーが自動的に閉まるということが、町民の間で大変な話題になりました。SLの客
車は自分で閉める訳ですが、自動的に閉まってしまうドアーでは、「自動的に閉まってしま
うから早く乗らないと。」ということで、みんな我先に乗ったようです。

 ところで、N町から沢渡を抜け、暮坂峠を越え、小雨(六合村:くにむら)、草津への街
道があります。沢渡温泉は、坂の温泉であり、ひっそりとした湯治場で、みなさんも一度は
ドライブかなんかで行ったことがあるのではないでしょうか。温泉の真ん中の坂の途中に共
同浴場があって、Y氏は時々田舎に帰った時、利用しています。
 沢渡温泉を抜けて、道は寂しく曲がりくねって徐々に登っていって、大岩の集落をこえて
いくと、暮坂峠に行き着きます。なんの変哲のない峠で、茶屋が一軒ある、寂しい峠です。
けして眺望はすばらしいとは言えず、この峠を有名なものにしたのは、「若山牧水」であり
ます。「若山牧水」とは、その解説は割愛しますが、大正時代に小雨から、沢渡へ抜けてき
たようで、峠にその記念の歌碑があります。

  「枯野の旅」        若山牧水

乾きたる
落葉のなかに栗の実を
湿りたる
朽葉のなかに橡の実を
とりどりに
拾ふともなく拾ひもちて
今日の山路を越えて来ぬ

長かりしけふの山路
楽しかりしけふの山路
残りたる紅葉は照りて
餌に餓えたる鷹もぞ啼きし

上野の草津の湯より
沢渡の湯に越える路
名も寂し暮坂峠

 そんな、さみしい峠をY氏が訪れたのは、オートバイ(50CC)にこりだしてからの
ことでして、スケッチブックを持って郡内を走り回ったそうです。
 彼のオートバイ(50CC)は中古で、坂道を登とすぐオーバヒートして難渋したそう
ですが、オートバイによりY氏の行動範囲は格段に広域化していったようです。

 また、Y氏はよく北軽井沢から軽井沢へ、そして追分の方まで出掛け、浅間山を眺めた
そうです。ここらは、新緑の時期がとても素晴らしく、木々の枝が芽吹いたときのなんと
もいえないその色に痛く感動したそうです。

夢はいつかかへって行った 山の麓の
 さびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかえった午さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は
 眠っていた

・・(中 略)・・・・・・

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまったときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう
     (立原道造、「萱草(わすれなぐさ)に寄す」より。)

Y氏は何かに感動すると「夢はいつかかへって行った 山の麓の さびしい村に・・・・
」との一節が浮かぶそうです。Y氏は懐かしい理想郷を夢にたくすしかないのかもしれま
せんネ。

       (次回へつづく)
                        DE 7L3・・・(浦和市)

目次へ戻る 前回へ戻る 次回へ進む