青春13階段

           「その時、Y氏は・・・」(その3)

 私と、Y氏の付き合いは長いものです。よく有楽町のK喫茶店や、ガード下のヤキトリ屋
さんで彼の子供のころの話を聞かされたものでした。
最近は特に過ぎ去った思い出をたどっているようです。「今や将来に思いはないのか。」と
聞くと「それにも格別な思いがある。」とのことであるが、将来の話になると若干肩が落ち
るのが気掛かりであります。・・・・・
そんな、彼の思い出話の中で印象に残ったところを照会していきます。
暇な人は気休めにみてください。・・・・・

 桑の木をみなさんご存じでしょうか。埼玉も養蚕が盛んであったときいています。
Y氏の田舎のG県も養蚕が盛んな県で昔は有名でありました。
でも、Y氏の家が養蚕農家であったということではありません。しかし、まったく縁がなか
ったということでもなかったようです。即ち、Y氏の父は、サラリーマンであったが、その
勤め先が、蚕糸工場(当時はこのような工場が県内に散見された。:衆議院議員のO氏も工
場経営者の出である。)であったことと、お祖父さんのところで小規模ながら、養蚕をやっ
ていたことから、多少の縁はあったのです。

 お祖父さんの内で「おかいこさん」の時期には、竹の????(何だったけ)の桑の葉の
緑のなかで、真っ白な「おかいこさん」が蠢いていて、独特なにおいが、家中に充満してい
たのを記憶しています。「おかいこさん」が「あがる」時期には父母、姉と一緒に手伝いに
いったものです。「あがる」と記憶していましたが、「おかいこさん」が、繭を作る時期に
なった時のことで、具体的には「おかいこさん」を選別して、????(何だったけ???
??は藁で編んだ繭をつくる場所)へ移す作業がその手伝いだったそうです。桑を食べない
で、頭をもたげ、透き通るように白くなった「おかいこさん」を摘んで盆にのせるのが、少
年であったY氏の手伝い仕事であったそうです。

 その時の透き通るように白くなった「おかいこさん」が深く印象にのこったようで、それ
が、女性の艶めかしい肌への連想と結びついていったのは、ずーと後の青年期のことではな
いかと想像します。Y氏のXYLが色白なところをみると、結婚相手の選定条件として、「
おかいこさん」の印象と女性への連想が潜在的に植えつけられていたのではないかと思われ
ます。

 Y氏の実家の回りには、桑の木が植えられていて、その伸びきった枝が、チャンバラの刀
に適していたようです。いまの時代では、考えられないが、その時代、子供はみんなナイフ
を持っていたので(なぜ持っていたかって?、今では他人を殺傷する道具の機能が強調され
ているから誤解されるので解説すると。まず、鉛筆削りが主目的であった。また、おもちゃ
は自分で木や、竹、篠を削ってつくるなどなど、子供の必需品であったのです。)、それで
皮をむいて加工すると、恰好の刀に変身。近所の悪餓鬼共と、チャンバラ遊びに没頭したよ
うです。「中村金之助」「月形龍之介」「東千代之介」などなど、善人組みと悪人組みに分
かれてチャンバラした子供たちの頭のなかは、その当時のチャンバラ映画のスター達に成り
きった幻想が渦巻いていたのだそうです。

 桑の実の思いでもありますが、ここでは割愛させていただきます。Y氏はあまり、桑のみ
が好きでなかったようで、あまり食べたことなないそうです。実家の桑は、Y氏の父が、副
業で農家に売り渡していたのかも知れません。いまでは、測量が実施され、地権が明確にな
ることにより、桑の木による隣地との境界の役目をおえ、子供のころ遊んだ懐かしい小道も
桑の木とともに消滅してしまったそうです。

今回は、今朝の「読売歌壇」の「年々に値下がる繭に耐へきれず雪残る丘に子は桑を抜く。
」(埼玉県の山口氏)の秀作に感動、連鎖的に「桑の思い出」をテーマとしました。

       (次回へつづく)
                        DE 7L3・・・(浦和市)

目次へ戻る 前回へ戻る 次回へ進む