青春13階段

           「その時、Y氏は・・・」(その2)

 私と、Y氏の付き合いは長いものです。よく有楽町のK喫茶店や、ガード下のヤキトリ屋
さんで彼の子供のころの話を聞かされたものでした。
最近は特に過ぎ去った思い出をたどっているようです。「今や将来に思いはないのか。」と
聞くと「それにも格別な思いがある。」とのことであるが、将来の話になると若干肩が落ち
るのが気掛かりであります。・・・・・
そんな、彼の思い出話の中で印象に残ったところを照会していきます。
暇な人は気休めにみてください。・・・・・

 3月に入って、徐々に暖かくなってきました。もう、そろそろスキーシーズンも終盤にな
ってきていると思います。誕生からいきなりスキーの話となりますが、桜が咲く時期に冬の
話もいまいちなので、季節がら、Y氏のスキーの話となります。

 Y氏とスキーの出会いは、高校2年の冬とのことでした。それまでは、経済的に可能であ
ったスケートが冬の遊びであったようです。中学からスキーが出来たのは、医者とか酒屋だ
とか、当時の裕福な家庭の息子であったようで、彼のようなサラリーマンの息子は小中学か
らはチョット無理な時代だったようです。
 初めてスキーを履いたのが、G県の水上温泉の奥にある、大穴スキー場でありました。自
分の背丈より長いスキーを操るのはとてもやっかいで、ペタペタと歩き回るのがやっとこさ
っとの状態も、一日動き回っているうちにようやくなんとか斜面を斜めに滑れるようになり
ました。ハの字スキーを開いてみっともないヘッピリ腰だったと思います。
 本格的にやったのは、会社に入って、金が自由に使えるようになってからだそうだ。越後
中里、草津、尾瀬戸倉、天神平などが、主なスキー場で、職場の先輩に教えていただいて、
直滑降からボーゲン、クリスチャニア?などとだんだんに上達したそうです。その頃は、オ
ーストリアスキーということで、スキーを揃えて、華麗に滑るのがベストでありまして、長
いスキー(今のより背丈より20センチ以上)をむりやりそろえて滑降、華麗さを競ったも
のです。そのうち、物事にはやりすたれがあるように、その後、スキーをやや開いてダイナ
ミックに滑る方法(フランススキー?記憶が薄れた。)が流行、そのころには、ウェデルン
までなんとかこなせるようになりました。立ち上がり、沈みこみのタイミングで回転して滑
降していったものです。その後、Y氏が、スキーを止めてから、これが、沈み込み、押し出
しへと変化、立ち上がり、沈みこみ法のコブでの不安定さを改善したようです。
 会社のなかには、同年代が沢山(所謂団塊の世代)でしたから、グループでそしてモータ
リゼーションの走りだったので、車で方々出掛けるのも楽しみでした。八方尾根の第?ケル
ンからの滑降、草津振り子沢、草津から万座温泉のツアー、夏の月山などが深く思い出に残
っているそうです。雪のなか友人のコンタクトレンズを探したり、草津、万座のツアーで足
をくじいた友人を背負ったり、みんなで温泉に入ったり、雪見酒を酌み交わしたり。いやは
や楽しい思いでばかりだそうです。仕事で転勤、埼玉へ、その後、結婚と、その当時の友人
達とも離れスキーともお別れ、Xと行った湯沢と草津が最後だそうです。

 Y氏は時々ゴルフをやるそうですが、「やはり、若いとき見た冬山、大自然の中のスキー
の方が今でも数倍感激するナ」と、駅ですれ違った若いスキーヤーの後ろ姿を見ながら、懐
かしそうにつぶやきました。「そんなにいいのなら、やればア」といったら、「今やったら
、若い時の感動を壊すだけだよ。」「旅行にいって感動したところも、次にいったら、何も
感じないてことがあるじゃないか。」「なーんだこんなつまらないところにきたなと悔やむ
こともさア」「だから、若い時の思い出でいいんだよ」「若い時の感受性には今は届かない
しナ。」と応えたのが印象に残ったのでした。

       (次回へつづく)
                        DE 7L3・・・(浦和市)

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