デビルマンレディーについてファンの繰り言。

デビルマン不動明のあんまりな扱い。...そう受け取ったファンもいるのだということで。
もう少し冷静になったら『デビルマンレディー』については正面切って語りたい。


デビルマンレディー不動ジュン(サタン)の産んだ明は
果たして『デビルマン』の不動明なのか!

『デビルマンレディー』のラストに俺は納得できないでいる。...ま、コレまた勝手な読者のボヤキ以外の何者でもないのだが、正直なところ『バイオレンスジャック』の最終回共々、物語を終結させるキーとして永井豪作品に客演する不動明には、俺がシビレた明と異なる、違和感があるのだ。

それでも、『バイオレンスジャック』の明は、サタンの身勝手な関東作りにはっきりと「ノー」を突きつけて対峙したという「理不尽なる者への反逆」という姿勢そのものは貫かれていた。この姿勢こそ俺が永井豪ファンであることの最も重要な点なのだ。早乙女門土しかり、手天童子しかり、朱沙真吾しかり、である。

『デビルマンレディー』での明はサタンと共闘しつつ神の軍団へ立ち向かうことでラストは迎えていた。
...のだが、

<疑問その1>

不動ジュンを失ったコトに対してなんの感慨もないのはどういうコトだろう。サタンの別人格として生成されたとは知らなかったとはいえ、一度は愛したオンナである。サタンであるから惚れたのか。そうした運命とやらを簡単に受け入れたくなかったが故に、明はハルマゲドンを闘ったのではなかったのか。

<疑問その2>

「人間として踏みとどまる」あるいは人間という存在は越えたにしても「愛を知る生き物」としての一線を守る動機だった牧村美樹のことを完全に忘れていたのはナゼだ。コレは『バイオレンスジャック』終盤においても同様。

それどころか、サタンとの愛を育むことに疑問も怒りも何の感情も持たず全肯定したではないか。そんな飼い犬みたいな不動明に少なくとも俺は失望した...作家をある一作品によって固定した視点で見ることは、読者の身勝手であり作家の自由を奪う行為であることは理解した上で、あえてワガママで言っているのだ、俺は。

まあ確かに、今読み返すと俺始めファンが燃えた『デビルマン』という作品は、あくまでパラレルであると言ってるんだな、作品中で(単行本だと9巻16ページ)。地獄で初めて明が出現して以来、ジュンの反応がいちいちサタンであろうというリアクションしてるし。だから、ココで期待するべきではなかったのだ。あの明はマンガ『デビルマン』の明ではなかったのだ!更に、明日香蘭と不動ジュンがサタンであるというオチに則ってこの作品を読むなら、ナニも破綻はしていない!サタンが如何に自分に都合のいい不動明を産み出すか、という物語なのだから!更に言えば、『デビルマン』という基礎知識を踏まえて、こういうストーリーも出来まっせ、て話と言うべきか。

アレはそういう意味で『デビルマンレディー』にしか存在し得ない不動明というキャラなのだ。なんという巧妙なワナ!なんという永井豪的裏切り!自らのマンガをパロディにしてはばからず、それが芸風の重要な一角とも言える永井豪らしいやり口である。つまり、この作品『デビルマンレディー』という作品の上では、作者永井豪も我々読者も『デビルマン』という作品については読者(あるいは傍観者)なのだ。そして『デビルマン』という奇跡の傑作のストーリー自体には、なんの影響も与えていないのである。むむむ。

でも、ワガママついでで言うと、そういう飼い犬にしか描けないのならやめて欲しかったっす(涙)。


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