プッチーニ:『蝶々夫人』

第9章 『蝶々さん』歌姫列伝-12
アントニエッタ・ステッラ

 
               ステッラ

      アントニエッタ・ステッラ(1954)


アントニエッタ・ステッラ( Antonietta Stella:1929年 - 2022年 )
 イタリア、ペルージャ生まれのステッラは、故郷のフランチェスコ・モルラッキ音楽院とローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミーで学び、1950年にスポレートでヴェルディの『イル・トロヴァトーレ』のレオノーラ役でデビューしています。1951年にはローマ歌劇場で、マリオ・デル・モナコと共演してヴェルディの『運命の力』のレオノーラを演じ、同年、ドイツのシュトゥットガルト州立劇場、バイエルン州立歌劇場、ヴィースバーデン州立劇場にも出演しています。 この時ステッラは弱冠22歳という驚くべき若さでイタリアとドイツの代表的な歌劇場で主役を歌ったことになったのでした。

 1954年2月25日、ヴェルディの『オテロ』のデズデモーナでスカラ座デビューを果たした後、『仮面舞踏会』のアメーリア(1956-57年)、『アイーダ』(1956-57年)を歌っています。また、1953年に初めてアレーナ・ディ・ヴェローナに出演し(演目不明)、1955、58年には『アイーダ』を歌うなど1964年まで主役を務めています。なお、ステッラは1955年にヴェルディの『椿姫』を トゥリオ・セラフィン指揮のミラノ・スカラ座管弦楽団でレコード録音をしているのですが、彼女はまだここの舞台でヴィオレッタは歌っていません。実はマリア・カラスが歌う予定でしたが、スケジュールや諸事情により、ステッラが代役として録音されたのでした。さらに、『アンドレア・シェニエ』(マリオ・デル・モナコ主演)のマッダレーナを歌う映像もこの年に収録されています。ミラノ・スカラ座のアーカイヴではステッラはこの役を歌った記録はありませんので、舞台では歌わずにして映像収録に抜擢されたことになります。これは YouTube で観ることができます。
Giordano - Andrea Chenier - Milão - 1955

 さらに同年の1955年、ステッラはロンドンのコヴェント・ガーデン王立歌劇場及び、1956年にテアトロ・コロンで『アイーダ』を歌って デビューし、1958年にナポリのサンカルロ劇場とヴェニスのフェニーチェ劇場で『アンドレア・シェニエ』のマッダレーナを歌っています。余談ですが、同じ年の1958年にテアトロ・コロンでの『オテロ』の公演の際、こんなエピソードがありました。その時の指揮者トーマス・ビーチャムがリハーサル中に歌い方に修正を求めたところ、デズデモーナ役のアントニエッタ・ステッラは傲然と「マエストロ、私はディーヴァなのよ!」と言い放ちましたが、それに対して彼は即座にこう言い返したのです。「誰かソプラノを連れてきてくれ!」と( Teatro Colon 2026 )。この時ステッラはまだ29歳でした。


メトロポリタン歌劇場デビュー
 1956年11月13日、彼女はニューヨークのメトロポリタン歌劇場で『アイーダ』を歌ってデビューを飾っています。この時のラダメスはカルロ・ベルゴンツィで彼も同じくデビューでした。その時の熱狂を『ニューヨーク・ジャーナル・アメリカン』紙は次のように伝えています。

 「昨夜、メトロポリタン・オペラで今シーズン初となる『アイーダ』が上演され、観客は興奮に包まれました。タイトル・ロールを演じたアントニエッタ・ステッラと、ラダメス役のカルロ・ベルゴンツィのデビューが、熱狂を巻き起こしたのです。上演そのものも同様の熱気を帯び、この夜はたちまち、今シーズンのオペラ公演の中で最も重要な一夜となったのです。劇場内には喝采が響き渡りました。これほどの熱狂には十分な理由があったのです。冒頭からこの新人二人が舞台に活気をもたらし、他の共演者たちもまた、最高の演技を引き出されたのです。(中略)

 ステッラは、必ずしもセンセーショナルとまでは言えないかもしれないが、大きな話題を呼ぶ存在となりました。彼女は豊かな声と優れた演技力を備えており、今後さらに真価を発揮する可能性を秘めています。ただ、力を込めすぎて声質を損なう場面も見受けられ、大アリアを歌う際にはドラマチックではあるものの、必ずしも聴衆の心を揺さぶるまでには至らないこともありました。一方で、ピアニッシモの歌唱は美しく、ダイナミクスの幅も見事であり、その立ち居振る舞いは王女にふさわしい気品に満ちていた。容姿も動作も美しく、彼女がメトロポリタン・オペラにとって重要な戦力となることは疑いようがありません(N. Y. Journal-American)。」

 デビュー2年後の1958年2月19日、ステッラはメトロポリタン歌劇場で初めて蝶々さんを歌いましたが、その時の新聞評には次のように書かれています(Musical America)。

 「視覚的に美しく、劇的に説得力のあるメトロポリタン歌劇場の『蝶々夫人』の新プロダクションは、2月19日のプレミエで大成功を収めました。舞台装置、衣装、演出が一新されただけでなく、主要キャストのほとんども新人で、アントニエッタ・ステッラはメトロポリタン歌劇場で初めてタイトルロールを演じました。(中略)

 テバルディを彷彿とさせる、愛らしく輝きに満ちたアーティストであるステッラ嬢は、蝶々さんという役柄に血の通った人間としての命を吹き込むだけの美貌、声の力、そして劇的な表現力を備えていました。見事なメイクと衣裳を身にまとった彼女は、青山圭男氏の演出を深く吸収しており、その所作や立ち居振る舞いは実に自然な日本人のそれのように見えました。青山氏が様式化されたポーズを用いたのはほんの数箇所、とりわけ『ある晴れた日に』の終盤においてでしたが、私にはそれが根本的にはイタリアの作品であるという本作の文脈において、いささか作為的に過ぎるように感じられました(オリエンタル風のソースをかけたスパゲッティであっても、やはりスパゲッティであることに変わりはないのですから)。ステラ嬢は特に最終幕で圧倒的な説得力を発揮しました。この新演出では最終幕が大幅に改善されており、蝶々さんは(かつての改変版で見られたような喉を突く形ではなく)実際に切腹を行い、子供を庭へ遊びに行かせた後、孤独のうちに息を引き取るのです(Musical America)。」

 このプレミエの翌月の3月29日の公演が放送録音されていて YouTube で聴くことができます。
G.Puccini: "MADAMA BUTTERFLY" (MET, March 29th, 1958) Stella, Fernandi, Roggero, Harvout-Mitropoulos


 また、その翌月4月1日のメトロポリタン歌劇場フィラデルフィア公演で歌った『蝶々夫人』に対して地元紙『フィラデルフィア・イブニング・ブルティン』紙には次のような批評が掲載されました。

 「アカデミー・オブ・ミュージックにおける今シーズンの全7公演の最後を、『蝶々夫人』の完全新作プロダクションで締めくくりました。上階の立ち見客や通路に増設された椅子にまで観客が溢れ、満員となった会場からは、新たな蝶々夫人役のアントニエッタ・ステッラや共演者たちだけでなく、青山圭男(演出)と長坂元弘(美術)が手掛けた本格的な日本風の舞台演出に対しても、大きな拍手が送られました。メメトロポリタン歌劇場は、東京の有名な歌舞伎座で活躍するこれら才能ある日本の舞台芸術家たちを招聘するために多大な尽力をしました。その結果、数え切れないほどのありきたりな上演を繰り返すうちにマンネリ化していたこのオペラに、本物の日本的な要素と新鮮な魅力が吹き込まれることとなったのです。(中略)

 今回の演出が斬新なものであることを踏まえ、ルドルフ・ビングは、メトロポリタン歌劇場の過去の上演では同作の主要な役を歌ったことのない歌手たちを起用するという判断を下しましたが、これはまさに正解でした。こうして、ステッラ嬢が傑出した蝶々夫人を演じ、カルロ・ベルゴンツィがメトロポリタンで初めてピンカートンを歌い、マリオ・ザナージがアメリカ領事シャープレスを務めることとなりました。このテノールとバリトンの両名は、昨夜フィラデルフィアでのデビューを飾ったのでした。

 ステッラ嬢が演じる「蝶々さん」は、声の面でも容姿の面でも、決してか弱く脆い印象を与えるものではありません。しかし彼女は若々しく温かみがあり、美しくも情熱的なリリコ・スピントの声を響かせます。さらに、日本人演出家による指導をしっかりと吸収し、この役に説得力のあるリアリティと情感を吹き込んでいます。特に終幕の場面における彼女の演技は胸を打つもので、多くの聴衆が涙を流しました。終演後、彼女には聴衆のひとりひとりから熱烈かつ称賛を込めた拍手が送られました( The Philadelphia Evening Bulletin )。」
*演出家青山圭男につきましては『付録2 メトロポリタン歌劇場:『蝶々夫人』演奏史』をご参照ください。

 1950〜1960年代のメトロポリタン歌劇場では、『蝶々夫人』を主にリチア・アルバネーゼとドロシー・カーステンの二人で歌い分けていたのですが、ステッラが初めて歌った1958年はこの二人のどちらも『蝶々夫人』は歌いませんでした。このシーズンの1958年はステッラが17回、ヴィクトリア・デ・ロスアンヘレスが1回歌っています。しかし、この青山圭男の演出はその後、マルティナ・アローヨ、ギルダ・クルス=ロモ、ライナ・カバイヴァンスカ、レオンタィン・プライス、レナータ・スコットなど、数々の蝶々さん歌いによって演じられましたが、その原型を作り上げたのがアントニエッタ・ステッラであったのでした。

 ステッラは1960年まで5年間にメトロポリタン歌劇場で71回の公演で8つの役を演じています。そのうち、『蝶々夫人』が一番多く26回、『アイーダ』15回、『イル・トロヴァトーレ』12回歌っています。1960年3月31日にステッラはメトロポリタン歌劇場で『アンドレア・シェニエ』のマッダレーナを歌った後、病気を理由に同歌劇場で予定されていた『蝶々夫人』の公演(4月20日のボストン・ツアー?)をキャンセルしましたが、その直後にミラノ・スカラ座の舞台に立ったことで(4月16日『蝶々夫人』、19日『仮面舞踏会』)、メトロポリタン歌劇場の総支配人ルドルフ・ビングは彼女を告発し、米国での2年間の出演禁止処分を科されることになりました。ステッラがメトロポリタン歌劇場を去った直後に『蝶々夫人』を歌ったはレナータ・テバルディで(4月2、18日)、ボストンではキルステン・カーステンでした。おそらくカーステンが代役で歌ったのだと思われます。


メトロポリタン歌劇場後のステッラ
 米国から締め出されたステッラはミラノ・スカラ座で『ドン・カルロ』のエリザベッタ(1961年)、『運命の力』(1961年3-4月)、『蝶々夫人』(1961年4月)、ヴェルディの『レニャーノの戦い』のリーダ(1961年12月)、プッチーニの『修道女アンジェリカ』(1962年)、『イル・トロヴァトーレ』(1962-63年)と精力的に歌っています。また、ウィーン国立歌劇場でも『蝶々夫人』(10回)をはじめ、11演目、通算124回出演しています。

           ウィーン国立歌劇場での出演記録           
No. 作曲家 曲名 出演期間     回数
1 プッチーニ 『マノン・レスコー』 マノン 1959年 1964年 8
2 プッチーニ 『ラ・ボエーム』 ミミ 1960年 1963年 5
3 プッチーニ 『蝶々夫人』  蝶々さん 1961年 1966年 10
4 プッチーニ 『トスカ』  トスカ 1962年 1968年 15
5 ヴェルディ 『アイーダ』 アイーダ 1957年 1966年 8
6 ヴェルディ 『仮面舞踏会』 アメリア 1959年 1967年 22
7 ヴェルディ 『運命の力』 レオノーラ 1960年 1967年 20
8 ヴェルディ 『ドン・カルロ』 エリザベッタ 1961年 1967年 18
9 ヴェルディ 『イル・トロヴァトーレ』 レオノーラ 1964年 1967年 7
10 ジョルダーノ 『アンドレア・シェニエ』 マッダレーナ 1960年 1965年 7
11 マスカーニ 『カヴァレリア・ルスティカーナ』 サントゥッツァ 1962年 1967年 4
                     
(Spielplanarchiv der Wiener Staatsoperより)

 
 ステッラはメトロポリタン歌劇場だけでなく、ローマ歌劇場でも1958年1月に5回(メトロポリタン歌劇場で歌う直前)、1960年5月に6回、1963年1-2月に4回、1971年8月に3回、蝶々さんを歌っています。米国で歌えなくなってからのローマ歌劇場での出演は増え、『アンドレア・シェニエ 』(1962年2-3月)、『カヴァレリア・ルスティカーナ』(1962年2月、1965年7月)、『仮面舞踏会』(1962年5-6月)、『アイーダ』(1962年7月)、『西部の娘 』(1963年5月)、『トスカ』(1969年4,7月)、『アドリアーナ・ルクヴルール』(1966年5月)、『エルナーニ 』(1967年3月)、『フェドーラ』(1968年2,5月)、『メフィストーフェレ』(1970年7月)などに出演しています。なお、米国で再び歌えるようになってからは、1962年にフィラデルフィアで『仮面舞踏会』を歌った記録があります。また、1968年10月にシカゴ・リリック・オペラで『トスカ』を歌っています。

 また、1965年4月20日にトリノ新劇場で上演された『蝶々夫人』の映像(モノクロ)を YouTube で観ることができます。ステッラの見事な歌はもちろんのこと、青山圭男に仕込まれただけあって、その所作は見事で日本人が観てもその許容範囲にとどまると言えると思います。
Barioni & Stella in Madama Butterfly (Torino 1965)
 

      ステッラ
                アントニエッタ・ステッラ(1962-63)

             (Pinkerton:Giuseppe Gismondo、Teatro dell'Opera di Romaより) 
 


 ステッラはNHKイタリア歌劇団で3回来日していて、第1次(1956年)では『アイーダ』(9月29日)、第4次(1963年)では『イル・トロヴァトーレ』(10月24日)と『西部の娘』(11月2日)、第5次(1967)では『仮面舞踏会』(9月10日)を歌っています。NHK主催ですからその演奏の多くはDVDや YouTube などで観ることができます(『仮面舞踏会』はカラー映像です。)。なお、ステッラは第1次の『アイーダ』で初日に歌ったものの、マネージャーと揉めてさらに指揮者のヴィットリオ・グイとうまくいかなかったことから突如帰国しまったそうです。その後2回日本に来ていることから日本が嫌だったわけではないようです。    
                       

 

*参考文献の一覧は≪目次≫をご覧ください。 


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