プッチーニ:『蝶々夫人』

付録2 メトロポリタン歌劇場:『蝶々夫人』演奏史

 
          Met-Opera

現在のメトロポリタン歌劇場



 タイトルに演奏史と書いてみたものの、出来上がったのは一覧表ぐらいでして、個々の歌手たちのことはごく一部を前章に取り上げるのが精一杯でした。下の表は縦軸は西暦で、メトロポリタン歌劇場において『蝶々夫人』が初演した時から2020年代までを表わし、横軸は同時期に蝶々さんを歌った歌手がわかるように配置してあります。()内の西暦は蝶々さんを歌った期間です。


              蝶々さんを歌った歌手たち

Met   

 何よりもメトロポリタン歌劇場初演から139回も『蝶々夫人』を歌ったジェラルディン・ファーラーの存在が光っています。同時期に歌っていたエミー・デスティン、フローレンス・イーストンはファーラーが休んだ時に代役で歌ったようにしか見えません。デスティンはロンドン初演で歌い、イーストンはメトで初演する前に全米ツアーで歌っていたのですから、『蝶々夫人』歌いとしては実績十分であったにもかかわらず、メトではたいして歌わせてもらえなかったことになります。この3人につきましては別項をご参照ください。
 ジェラルディン・ファーラー  エミー・デスティン  フローレンス・イーストン   

 15年間132回も歌い続けたファーラーが引退した後の約10年間、蝶々さんはフローレンス・イーストン、エリザベート・レートベルク、マリア・ミュラーの3人に引き継がれます。レートベルクはドイツのドレスデンで活躍し、R.シュトラウスの『影のない女』の皇后役でも成功をおさめていました(1919年)。メトロポリタン歌劇場には『アイーダ』でデビュー(1922年)し、その翌年には『蝶々夫人』を歌っています(1923年11月28日)。その時の音楽雑誌には次のような記事が掲載されました。

 「何よりも聴衆を魔法にかかったように魅了したのは、彼女の新鮮で澄み渡る美しい歌声でした。この蝶々さんが歌う喜びや嘆きの表現は、実に心地よい響きに満ちていました。第1幕の結びとなるピンカートンとの二重唱では、レートベルク夫人は極めて美しい叙情的な歌唱を聴かせ、アリア『ある晴れた日に』の場面では、説得力のある劇的な迫力を発揮しました。この有名なアリアを歌い終えた後、彼女には万雷の拍手が送られました。この人気ある役柄に対する、見事かつ極めて素晴らしい解釈でした(Musical America)。」

 レートベルクは、メトロポリタン歌劇場では20年間に381回舞台に上がり、『蝶々夫人』24回、『アイーダ』68回、『イル・トロヴァトーレ』17回、『オテロ』12回、『フィガロの結婚』17回、『ワルキューレ』33回(ジークリンデ)、『マイスタージンガー』27回、他にマイアベーアの『アフリカの女』10回、グノーの『ファウスト』8回、アレヴィの『ユダヤの女』5回などと幅広いレパートリーを誇りました。また、彼女はドレスデンに度々戻り、R.シュトラウスの『エジプトのヘレナ』の世界初演でタイトルロールを演じたことでも知られています。指揮者のトスカニーニは彼女についてこう型っています。「彼女の声を、見事に演奏されるストラディバリウスに例えることに、私は何ら躊躇しません。」レートベルクが歌う蝶々さんのアリア『ある晴れた日に』は YouTube で聴くことができます。
Madama Butterfly: Un bel dì vedremo (Recorded 1924)


     レートベルク   ミュラー
      
エリザベート・レートベルク    マリア・ミュラー(cantabile-subito より)

 マリア・ミュラーはボヘミア出身のソプラノで、1925年1月21日、メトロポリタン歌劇場で『ワルキューレ』のジークリンデでデビューし、その2年後の1927年2月16日に『蝶々夫人』を初めて歌います。彼女は8年間で182回出場し、『蝶々夫人』を19回歌っています。レートベルクと同様、ワーグナー、モーツァルト、ヴェルディを含む幅広いレパートリーを歌っていました。1930年から1944年にかけて、彼女はバイロイト音楽祭でワーグナー作品の常連歌手として活躍したことでも知られています。その頃、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮でワーグナーの楽劇を歌った録音がいくつか残っています。レートベルク、ミュラーの二人ともワーグナーを得意としながら『蝶々夫人』を歌ったところが興味深いところです。しかも、エルザやエヴァだけでなく、『ワルキューレ』のジークリンデを得意としていた(レートベルク33回、ミュラー18回)という共通点も注目に値すると思います。
 
 カースティン、レ−トベルク、ミュラーの3人が抜けて1940年代になると、リチア・アルバネーゼが登場してきます。少し遅れてドロシー・カーステンも参戦、この2人がおよそ20年間仲良く歌い分けていたことになります。この頃から多くの蝶々さん歌いがメトの舞台に登場してきます。ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス、アントニエッタ・ステッラ、レナータ・テバルディ、ガブリエラ・トゥッチ、レオンタイン・プライスと錚々たる歌い手が名前を連ねています。テバルディとプライスの回数が少ないのは、両者共幅広いレパートリーを誇っていて、他の当たり役を歌うことが多かったからと考えられます。この3人につきましては別項をご参照ください。
    リチア・アルバネーゼ  ドロシー・カーステン

 そして、先に退いたアルバネーゼの後釜を任されたのがレナータ・スコットとなります。その後、渡辺葉子、ダイアナ・ソヴィエロと20回を超える出演をこなした歌手が続きますが、2000年代になると、『蝶々夫人』を数多くメトロポリタン歌劇場で歌う歌手は減っていきます。


 『蝶々夫人』を歌った歌手たちの錚々たる顔ぶれを見ると、今度は歌わなかった歌手についても知りたくなります。どんな有名な歌手といえども、このオペラをレパートリーにしていなければもちろん歌いません。例えば、ワーグナーやモーツァルトを専門に歌っている歌手や、ヴェルディは歌うけれどプッチーニは歌わない歌手もいます。しかし、当然レパートリー入っているはずの歌手や録音もしている歌手なのに、メトロポリタン歌劇場では1回も歌っていないという歌手もいました。



           蝶々さんを歌わなかった歌手たち

『蝶々夫人』を歌わない歌手 メト出演期間 メトでの総出演回数 『蝶々夫人』 出演回数
リナ・カヴァリエリ   1906〜1908   40   0
ネリー・メルバ   1893〜1910   238   0
ヨハンナ・ガドスキ   1900〜1917   494   0
エディス・メイソン 1915〜1936 93 2
クラウディア・ムツィオ 1916〜1934 201 1
ローザ・ポンセル 1918〜1937 411 0
アメリータ・ガリ=クルチ 1921〜1930 105 0
マリア・イェリッツァ   1921〜1951   345   0
リリー・ポンス 1931〜1960 300 0
ジンカ・ミラノフ 1937〜1966 450 0
ビドゥ・サヤン 1937〜1983 238 0
エレオノーラ・ステバー 1940〜1966 428 0
ヤルミラ・ノヴォトナー 1940〜1983 205 0
ステラ・ローマン 1941〜1950 127 1
アストリッド・ヴァルナイ 1941〜1970 200 0
マーガレット・ハーショウ 1942〜1964 376 0
レジーナ・レズニック 1947〜1983 328 1
ヒルデ・ギューデン 1951〜1960 138 0
リザ・デラ・カーザ 1953〜1967 174 2
マリア・カラス 1956〜1965 22 0
ビルギット・ニルソン 1959〜1981 221 0
エリザベート・ゼーダーシュトレーム 1959〜1999 85 0
ジョーン・サザーランド 1961〜1987 223 0
ミレッラ・フレーニ 1965〜1997 140 0
ビヴァリー・シルズ 1966〜1979 71 0
ジュディス・ブレゲン 1970〜1991 283 0
ギネス・ジョーンズ 1972〜1996 95 0
キリ・テ・カナワ 1974〜2012 135 0
カーティア・リッチャレッリ 1975〜1990 47 0
エヴァ・マルトン 1976〜1999 94 0
キャロル・ネブレット 1979〜1993 84 0
マリエッラ・デヴィーア 1979〜1994 73 0
ドーン・アップショウ 1984〜2003 284 0
ゲーナ・ディミトローヴァ 1987〜1997 74 0
ヴァルトラウト・マイアー 1987〜2016 150 0
ルース・アン・スウェンソン 1988〜2010 238 0
スミ・ジョー  1989〜2000 47 0
シャロン・スウィート 1990〜1999 88 0
カリタ・マッティラ 1990〜2019 150 0
ジューン・アンダーソン 1989〜1998 55 0
デボラ・ヴォイト 1991〜2014 252 0
ルネ・フレミング 1991〜2014 262 0
マリア・グレギーナ 1991〜2015 166 0
アンジェラ・ゲオルギュー 1993〜2015 96 0
バルバラ・フリットリ 1995〜2016 121 0
アンナ・ネトレプコ 2002〜 192 0
       



蝶々さんを歌わなかった歌手たち
 20回以上メトロポリタン歌劇場に出演していながら、『蝶々夫人』を3回以上は歌わなかったソプラノ歌手を並べてみました(漏れはあると思います。)。400回以上出演した4名のうち、ヨハンナ・ガドスキはワーグナー歌手、ローザ・ポンセルは何故かプッチーニのオペラを一切歌わなかったソプラノで、ジンカ・ミラノフは基本ヴェルディ歌いで、プッチーニは『トスカ』のみ21回歌っています。ただ、ローザ・ポンセルはメトロポリタン歌劇場で開催された『プッチーニ・メモリアル・コンサート(1924年12月7日)』で『蝶々夫人』のアリア「ある晴れた日に」を歌った記録があります。


       ポンセル   イェリッツァ
          ローザ・ポンセル         マリア・イェリッツァ

 コルンゴルトの『死の都』の米国初演でメトロポリタン歌劇場デビューを飾ったオーストリア生まれのアメリカ人ソプラノ歌手マリア・イェリッツァは、『トスカ』66回、『トーランドット』23回、『西部の娘』14回も歌っていたにもかかわらず、『蝶々夫人』は歌いませんでした。『トーランドット』の米国初演(1926年11月16日)で題名役を歌ったのもイェリッツァでした。同時期にメトロポリタン歌劇場で歌っていたローザ・ポンセルは、イェリッツァが歌う役と重ならないように劇場側はプッチーニを歌わせなかったとされているのですが、何故か両者共『蝶々夫人』は歌っていません。1922年にジェラルディン・ファーラーは引退していますから、歌っていても不思議ではないのですが。


 428回もメトロポリタン歌劇場の舞台に立ったエレオノーラ・ステバーは、そのうち『ばらの騎士』60回、『ドン・ジョヴァンニ』58回、『フィガロの結婚』55回、『魔笛』29回も歌うなど、R.シュトラウスとモーツァルト歌いとして名を馳せました。一方、プッチーニの『ラ・ボエーム』8回、『マノン・レスコー』2回、『トスカ』6回、『西部の娘』1回歌っているにもかかわらず、『蝶々夫人』は舞台では歌いませんでした。ただ不思議なことに、1949年にマックス・ルドルフの指揮、メトロポリタン歌劇場管弦楽団でスタジオ録音(コロムビア)は行なっていて、現在も聴くことができます。また、その前年の1948年にハリウッド・ボウルで行われたライヴ録音もあります。指揮はユージン・オーマンディでした。以下のYouTubeで聴けます。
マックス・ルドルフ指揮、エレオノーラ・ステバー(1949)
ユージン・オーマンディ指揮、エレオノーラ・ステバー(1948)


            ステバー  ステバー
                           エレオノーラ・ステバー(Countermelody より)


 この1949年のスタジオ録音の演奏に対してジュゼッペ・ピントルノは次のように評しています。

 「マックス・ルドルフの指揮により、メトロポリタン歌劇場のオーケストラと合唱団が演奏を担当しています。エレノア・ステバーがタイトル・ロールを歌うこの演奏は、堅実で手堅い仕上がりを見せています。彼女は、有能なスズキ役のジーン・マデイラ、ピンカートン役のリチャード・タッカー(プッチーニ的というよりはヴェルディ的な歌唱スタイルですが)、ジュゼッペ・ヴァルデンゴ(シャープレス)らに支えられ、充実した声と美しい歌のラインを披露しています。これは称賛に値する非常に楽しめる録音です(ジュゼッペ・ピントルノ著『「蝶々夫人」〜プッチーニ的歌唱の理想を求めて』 )。」


     ノヴォトナ  アルバネーゼ
      ヤルミラ・ノヴォトナー                  リチア・アルバネーゼ

 エミー・デスティンの教え子でもあるチェコ出身のヤルミラ・ノヴォトナーは、1937年のザルツブルク音楽祭でトスカニーニが指揮するモーツァルトの『魔笛』のパミーナ役を演じています(その時、グロッケンシュピールを弾いていたのは若きゲオルク・ショルティでした。)。その後ノヴォトナーは第二次大戦中に米国に渡ってきます。米国に来る前にベルリンやウィーンで『蝶々夫人』は歌っていて、渡米後にはサンフランシスコ歌劇場で1939年に2公演歌っていたので、得意としていたのは事実だったと思われるのですが、メトロポリタン歌劇場では『蝶々夫人』は歌いませんでした。ステバーとノヴォトナーは共に1940年にメトロポリタン歌劇場デビューをしていますが、二人とも『蝶々夫人』をステージで歌わなかった理由は、リチア・アルバネーゼも同じ年にデビューしていたことが関係しているのかもしれません。ノヴォトナーは1月に『ラ・ボエーム』のミミでデビュー、アルバネーゼは2月に『蝶々夫人』でデビュー、ステバーは12月に『ばらの騎士』のオクタヴィアン役でデビューしています。その後アルバネーゼは『蝶々夫人』が当たり役となり、他のふたりもそれぞれ得意とする役を歌っていきます。ノヴォトナーは『ばらの騎士』のオクタヴィアン31回、『こうもり』のオルロフスキー公爵37回、『フィガロの結婚』のケルビーノ35回とメゾ・ソプラノの役が主でしたが、ソプラノでも『椿姫』のヴィオレッタを歌って絶賛されました(11回出演)。


 マリア・カラスもLPレコード録音はしていますが(指揮はヘルベルト・フォン・カラヤン、1955年)、メトロポリタン歌劇場の舞台で蝶々さんは歌っていません。22回の登場のうち、『トスカ』を7回、ベッリーニの『ノルマ』を6回歌っています。しかし、カラスはシカゴ・リリック・オペラでは3回ステージで『蝶々夫人』を歌っているのです(1954年11月11,14,17日、ピンカートンはジュゼッペ・ディ・ステファノ)。その翌年にミラノでレコード録音を行ない、さらに翌年の1956年にメトロポリタン歌劇場にデビューしています。なぜカラスは蝶々さんをメトで歌わなかったのでしょうか。なお、シカゴではカラスの次に蝶々さんを歌ったのはレナータ・テバルディ(1958年)、次いでレオンタイン・プライス(1960年)、レナータ・スコット(1965年)とその時代を代表する大御所達が名を連ねています。

 意外なのは、2回も録音し、映像まで収録しているミレルラ・フレーニが『蝶々夫人』をメトの舞台では一度も歌わなかったことです。LPレコード録音はマリア・カラス同様指揮者はヘルベルト・フォン・カラヤンというのも気になるところです(CDへの録音はジュゼッペ・シノーポリ)。140回もステージに上がっているフレーニがこの曲を避けた理由は何だったのでしょうか。メトロポリタン歌劇場に出演していた時期は、蝶々さん歌いとして、リチア・アルバネーゼ、ドロシー・カーステン、レナータ・スコットの3人がその座を守り、さらに多くの歌手たちがその役にチャレンジしていたからなのかもしれません。フレーニは、プッチーニの『ラ・ボエーム』を22回、『マノン・レスコー』を11回、『トーランドット』のリュウを5回歌っていますが、『トスカ』は0回でした(フレーニは『トスカ』を2回録音しています。)。

 『椿姫』でメトデビューを飾ったアメリータ・ガリ=クルチはヴィオレッタを19回歌っていますが、プッチーニは『ラ・ボエーム』を1回歌ったきりでした。リリー・ポンスもプッチーニを全く歌わないソプラノで、『ランメルモールのルチア』を94回、『ラクメ』を50回も歌っています。キリ・テ・カナワはこの曲の録音もせず、メトロポリタン歌劇場に限らずどの歌劇場でもこの役は歌わなかったようです。ただ、アリアはコンサートで歌い、録音もしてはいました。プッチーニの他のオペラ、『トスカ』、『ラ・ボエーム』、『つばめ』の録音はあるものの、不思議なことにメトロポリタン歌劇場ではプッチーニは1回も歌いませんでした。舞台で歌ったのは、R.シュトラウス、モーツァルトが中心で、他にヘンデル、ヴェルディとドニゼッティ(『連隊の娘』のクラッケントルプ公爵夫人役)のみでした。彼女は自分の声に合ったオペラを慎重に選び、キャリアの間それを守ったとされていますが、レパートリーとする役でもメトロポリタン歌劇場で歌わなかったのは会場の大きさや音響などに不安があったのかもしれません。

 マーガレット・ハーショウは25作品で合計39の役を歌ったアメリカのソプラノで、主にはワーグナーを歌っています。アストリット・ヴァルナイ、ビルギット・ニルソン、ギネス・ジョーンズ、ヴァルトラウト・マイアーは皆ワーグナー歌いです。

 ギネス・ジョーンズはプッチーニの『トーランドット』を16回歌っていて、バイエルン国立歌劇場で『蝶々夫人』を歌った放送録音がありますが、メトロポリタン歌劇場では歌いませんでした。イタリア物は『トーランドット』だけで、他は『フィデリオ』8回、R.シュトラスの『サロメ』6回、『エレクトラ』4回、あとはすべてワーグナーでした。ギネス・ジョーンズの『蝶々夫人』の全曲は YouTube で聴くことができます(1979年2月26日)。ひと声聴くとそれとわかるその声は、まるでブリュンヒルデのような蝶々さんとでもいいましょうか。意外とプッチーニの音楽にワーグナーに近いところがあるということに気付かされる演奏です。他にウィーン、ハンブルク、ジュネーヴなどヨーロッパ各地で歌っていたことからすると得意にしていたことは間違いないようです。
Dame Gwyneth Jones, Madama Butterfly Munich feb 26 1979



青山圭男による『蝶々夫人』の演出
 
アントニエッタ・ステッラがメトロポリタン歌劇場で『蝶々夫人』を歌った1958年2月19日は、青山圭男の演出、長坂元弘の舞台美術と衣裳デザインのデビュー日でもありました。日本国j内で藤原歌劇団を中心に主に歌劇の演出に携わり、特に『喋々夫人』の解釈と演出にあたっては高い評価を受けていた青山圭男は、日伊合作映画『蝶々夫人』(日本公開1955年 主演:八千草薫)の演出にも深く関わっていました。どうような経緯でメトロポリタン歌劇場に招聘されたのかは不明ですが、映画を通じて海外で注目された日本人演出家であったことが理由ではないかと推測されます。

 青山による演出の映像は残っていないので、具体的にどうようなものだったかについては新聞記事などによるしかありません。まず、この新プロダクションに対して語る新聞評は、アントニエッタ・ステッラを絶賛するのに続けて次のように書いています(Musical America)。

 「長坂基弘による舞台美術と衣裳は、細部に至るまで目を楽しませてくれるものでした。個々の要素はそれ自体として美しく具現化されながらも、全体として見事な調和を保っていました。とりわけ第2幕と第3幕の舞台美術は、まるで日本の版画の世界がそのまま現実になったかのような趣がありました。蝶々さんの親族の衣裳に見られたアップルグリーンとライラックブルーの組み合わせなど、その色彩感覚は驚くほど新鮮で魅力的でした。第1幕の終盤に繰り広げられる情熱的な愛の場面は、もはやコニーアイランドで展開されているとは感じられないほどでした。そして舞台の至る所には桜の花が配されていましたが、それらは書き割りにクレープ紙の塊を貼り付けたようなものではなく、美しくも儚い花や枝そのものの姿をしていました。

 青山圭男の演出は賢明にも、過度な演出に走ることはありませんでした。日本の生活や芸術の雰囲気が巧みに醸し出されていましたが、歌手やダンサーの能力を逸脱するような無理な演出は一切ありませんでした。第1幕のささやかな扇の踊りでさえ、控えめながらも見事に表現されていた。それにもかかわらず、西洋人の手による上演では到底味わえないほど、日本を身近に感じさせるものでした。

 舞台美術の監修はチャールズ・エルソンが、衣裳デザインの監修はミン・チョ・リーが担当しました。特筆すべき点として、舞台装置はメトロポリタン・オペラの工房で製作され同オペラのスタジオで彩色が施されたこと、また花や植物の装飾はユニバーサル・フラワー・アンド・デコレーティング・カンパニーが制作したことが挙げられます。なお、日本の衣裳は東京で制作されたものです(Musical America)。」

 さらに、その翌月4月1日のメトロポリタン歌劇場フィラデルフィア公演での『蝶々夫人』に対して地元紙『フィラデルフィア・イブニング・ブルティン』紙には次のような批評が掲載されました。

 「メトロポリタン・オペラ協会は昨夜、アカデミー・オブ・ミュージックにおける今シーズンの全7公演の最後を、『蝶々夫人』の完全新作プロダクションで締めくくりました。上階の立ち見客や通路に増設された椅子にまで観客が溢れ、満員となった会場からは、新たな蝶々夫人役のアントニエッタ・ステッラや共演者たちだけでなく、青山圭男(演出)と長坂元弘(美術)が手掛けた本格的な日本風の舞台演出に対しても、大きな拍手が送られました。メトロポリタン・オペラは、東京の有名な歌舞伎座で活躍するこれら才能ある日本の舞台芸術家たちを招聘するために、多大な尽力をしました。その結果、数え切れないほどのありきたりな上演を繰り返すうちにマンネリ化していたこのオペラに、本物の日本的な要素と新鮮な魅力が吹き込まれることとなったのです。

 長坂氏による日本の桜の季節を表現した舞台美術は、日本の浮世絵が持つ繊細さと捉えどころのない美しさを備えていました。一方、青山氏は西洋人のキャストを巧みに指導し、日本の所作や身体的な反応に至るまで、あらゆる細部やニュアンスを見事に表現させました。メトロポリタン歌劇場の運営陣がこの大胆な試みにおいて特に成功を収めたのは、東洋的な繊細さや抑制された表現と、情熱あふれるイタリアの音楽とを融合させた点にあります。なぜなら、『蝶々夫人』は日本を舞台にしていながらも、高揚するイタリアの情熱に満ちたオペラであることに疑いの余地はないからです(The Philadelphia Evening Bulletin)。」

 また、その翌年の1959年11月9日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙は次のような記事を掲載しています。

 「土曜日の夜、メトロポリタン・オペラで今シーズンの初演を迎えた『蝶々夫人』は、2シーズン前に青山圭男と長坂元弘によって一新・再構成された演出のまま、依然として新鮮で鮮やか、かつ本格的な舞台であり続けています。素晴らしいキャストを率いたのは、タイトルロールを見事に演じきったアントニエッタ・ステッラでした。ステッラの演じる蝶々さんは舞台姿も魅力的で、その音楽は彼女の声質によく合っています。特に「ある晴れた日に」の歌唱は、土曜日の聴衆から大きな喝采を浴びました。(中略) ディミトリ・ミトロプーロスの指揮は、活気に満ち、テンポ運びも巧みでした(The New York Times )。」


 青山義雄と長坂元弘のコンビによる、メトロポリタン歌劇場の最高傑作の一つと評されるこのプロダクションは、1958年から1993年までに334回上演されています。青山は『蝶々夫人』の他には『トーランドット』の制作もしましたが、その最初の公演(1961年2月24日、指揮レオポルド・ストコフスキー)で体調を崩し、演出はナサニエル・メリル氏が引き継ぐことになりました。また、青山はシカゴのリリック・オペラにも招聘され、『蝶々夫人』の演出を行なっています(1969年、1970年、1978年)。1978年は指揮がリッカルド・シャイー、蝶々さんは林泰子による6回公演でした。

 1973年に最後の演出となった東京文化会館での東敦子主演、『蝶々夫人』の演出にあたり、「日本に対する誤解に満ちた蝶々夫人を観るのは日本人として忍びない」としつつも、この作品のもつ異国情緒という点を追求し、「リアリズムの追求は、ファンタジーの追放ではなかろうか?」と述べ、「これからはこのオペラに現実の生活に即したFANTASYを発見したい」とのコメントを残したとされています。極めて示唆に富む発言と思われます。



終わりに
 2026年現在、『蝶々夫人』がメトロポリタン歌劇場で上演された回数は933回、ランキングでは、7位となっています。ちなみに、そのランキングのトップ10は下記の通りです。ジェラルディン・ファーラーは139回ですから、933回の『蝶々夫人』公演のうち約15パーセントに出演したということになります。これはたいへんな数字と言えるのではないでしょうか。

1 プッチーニ ラ・ボエーム 1430 回
2 ヴェルディ アイーダ 1208 回
3 ヴェルディ ラ・トラヴィアータ 1076 回
4 ビゼー カルメン 1054 回
5 プッチーニ トスカ 1021 回
6 ヴェルディ リゴレット 943 回
7 プッチーニ 蝶々夫人 933 回
8 グノー ファウスト 752 回
9 レオンカヴァレロ 道化師 738 回
10 マスカーニ カヴァレリア・ルスティカーナ 696 回

*The Metropolitan Opera Archives より



*参考文献の一覧は≪目次≫をご覧ください。 


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