モーツァルト:歌劇『魔笛』

第8章 『魔笛』のルーツ 6 〜イグナーツ・フォン・ボルンと『セトス』

 
                         イグナーツ・フォン・ボルン

イグナーツ・フォン・ボルン


イグナーツ・フォン・ボルン
 1742年トランシルヴァニア地方に生まれたイグナーツ・フォン・ボルン( Ignaz Edler von Born )は、鉱物学者、冶金学者(または錬金術者とも)と知られ、ハプスブルク家のマリア・テレジアからウィーンに招かれて鉱物学の研究に就いたほどの人物です。啓蒙主義者およびフリーメイソンの会員でもあったフォン・ボルンはウィーンのロッジ(支部)のひとつを創設するなど重要なポストにもありました。

 フォン・ボルンは1784年に『フリーメイソン情報』の中で「エジプトの秘儀について」という論文を発表し、フランスの神父ジャン・テラッソンの小説『セトスの伝記物語、古代エジプト不朽の奇談の内・・・・ギリシャ語写本の翻訳による』(1731年刊行)のドイツ語訳(1778年)を論拠にして、フリーメイソンと古代エジプトの儀式は同じものであり、太陽の神オリシスと自然の神イシス信仰、巨大なピラミッドなどを古代エジプト人の叡智を象徴と見做します。フォン・ボルンはこの論文によって古代エジプトの秘儀を通して啓蒙主義を高揚させることを試みたのでした。その1784年という年はまさにモーツァルトがフリーメイソンに入門した年であり、フォン・ボルンが主宰するロッジに頻繁に出入りしていたという記録もあります。

 1785年4月24日、アマルガルム合金法の新発見をしたフォン・ボルンを祝う盛大な祝典が、時のオーストリア皇帝ヨーゼフ2世臨席のもとにウィーンのフリーメーソン・ロッジ「授冠の希望」で行われました。そこでは皇帝自らの手で、アメリカ合衆国の科学者ベンジャミン・フランクリンから贈られた祝福の手紙をフォン・ボルンに渡すセレモニーもあったとされています。モーツァルトはこの式典のためにカンタータ『フリーメイソンの喜び』K.471を作曲し、その会場で指揮をしています。曲は、フォン・ボルンのために書かれたものではありますが、フリーメイソンに参加する喜びを表わしつつも最終的には皇帝の栄誉を讃えたものになっています。その6年後、『魔笛』の作曲を中断してプラハを訪れたモーツァルトをプラハのフリーメイスン支部はこの曲を演奏して迎えていて、それに対してモーツァルトは「じきにもっとフリーメイスンに忠誠を示す作品を提供したい」と言ったとされています。その作品とは『魔笛』であることは言うまでもありません。

 このモーツァルトと浅からぬ関係を持っていたフォン・ボルンなる人物が、『魔笛』の台本にどれだけ関わったかについてはそれを裏付ける直接の資料はありません。しかし、ボルンはモーツァルトに対して自分が書いた論文や小説『セトス』を念入りに読み返すように勧めたことは大いに考えられます。ボルンは『魔笛』の完成を待たずにこの世を去りますが(鉱物学の実験で鉛を扱ったことが死因のひとつとされています。)、『魔笛』における様々な演技やセリフは彼の論文をかなり忠実になぞり、その影響のもとにフリーメイソンの思想を台本に盛り込んだとされています。おとぎ話を舞台化することを考えていたシカネーダーも元フリーメイソンだった(当時は除名されていた)こともあり、フリーメイソンのアイデアを加えることに反対はしなかったと考えられます。

 『魔笛』に登場するザラストロはフォン・ボルンがそのモデルであるという噂が流れた時期もありましたが、現在の研究ではその説は否定されています。なお、フリーメイソンの活動が衰退に向かうことになった「勅令」が発令された翌年の1786年、フォン・ボルンはフリーメイソンを脱退しています。
          ジャン・テラッソンの『セトス』

『セトス』



ジャン・テラソンの『セトス』
 フォン・ボルンが注目した『セトス』という小説は、第3章で既に述べたように、ゲープラー男爵がモーツァルトの英雄劇『エジプト王タモス』の作詞をする際に拠り所にしたものであり、それを通じて弱冠16歳のモーツァルトも間接的に接したものでもあります。この著作者ジャン・テラソン(1670-1750)は、フランスのリヨン生まれで、神父、小説家、アカデミーフランセーズのメンバー、ギリシャ語の教授として知られ、かなり多才な人物だったことが窺えます。『セトス、古代エジプトの記念碑的な逸話からの物語または生涯 - ギリシャ語写本からの翻訳』(1731年刊行)はエジプトの王子セトスを主人公したフランス語で書かれた全10巻からなる長編小説で、発刊後はやくも翌年には英語、7年後にはドイツ語へと翻訳されて当時は多くの読者を持ったとされています。なお、英語訳では『セトスの生涯 古代エジプト人の私的な覚書より - ギリシャ語写本のフランス語訳からの翻訳』という題名になっています。

 『セトス』は、トロヤ戦争に先立つ時代の古代エジプトとその周辺を舞台とした旅行冒険譚です。古代エジプトにはテーベをはじめとして4つの王国が覇権を競っていましたが、そのひとつであるメンフィスに生まれた王子セトスが主人公として各地を旅する物語です。セトスは継母ダリュカのそねみと憎悪に会って祖国を離れ、アフリカ大陸諸国を巡り様々な冒険を重ねるうちに知恵と勇気を発揮して英雄の真の美徳を体得し、かつ文明化の使命と人類愛に燃えて未開人を教化していくという物語です。セトスは様々な教育を受け、王国を荒らしまわっていた巨大な蛇を退治し(『魔笛』幕開きに大蛇が出てくる!)、ピラミッドに出かけてイシスの神の秘儀に参加し(このくだりが最も『魔笛』に関わる)、テーベとの戦争に参加し、紅海を南下してペルシャ湾で海戦に加わって武勲を立て、艦隊の指揮官となってマダガスカルでは奴隷を解放し、喜望峰では城砦を築き、コンゴでは残忍な支配者から未開部族を救い出し、アフリカ西岸を北上してモロッコではカルタゴを救うべく敵将を倒し、といった数々の英雄的な活動を繰り広げます。最後は祖国に戻り、王位も恋人も異母兄弟に譲って自らは隠遁生活を送ります。

 カトリックの聖職者がセトスを通じて、古代史に題材を取って普遍的な人間理性を拠りどころにキリストの教義を超えた社会道徳を追求する小説を書いたことは驚くべきことですが、啓蒙主義の時代だからこそ可能だったとも言えるかもしれません。しかし当時のキリスト教社会にあっては、キリスト教が一神教である故に何よりエジプトの神殿での秘儀は否定されるべきものだったはずです。敢えてその秘儀を肯定するばかりか道徳の上位に置こうとしたテラソンの真の意図は測りかねますが、さすがにこれは自分の考えではないと書いています。すなわち小説の序文でテラソンは「ある外国の図書館で見つけたギリシャ語草稿の翻訳を読者に紹介するが、その図書館名を明かさず翻訳の形でのみ出版を許可してくれた」と書いていわば責任逃れをしています。もちろんテラソンの創作に違いないのですが、キリスト教への配慮をしつつ、啓蒙主義時代ならではの新しい視点に立った考えを示そうとしたと見做すこともできます。そしてまさにこのポイントこそ、フォン・ボルンがフリーメイソンを拠りどころとして注目したことなのではないでしょうか。   

 話は逸れますが、15世紀末に始まった大航海時代を皮切りに列強による植民地帝国の建設はますます拡大していきます。この植民地支配の側面的な見方として、西洋文明を奉じて未開人にキリスト教的教化を施すという名の下に、商業的野心によるプランテーションの開発、奴隷貿易といった搾取を生み出すことなどが挙げられます。フランスの海外植民地開拓が本格化したのが1608年のカナダのケベック建設のあたり。しかし、18世紀半ばから英国との植民地戦争をはじめとして各国との覇権争いに連敗することでそのほとんどを失うことになります。ちょうどその頃にこの小説が書かれているのは興味深いところであり、この小説は古代を舞台にしながら極めて時事的な話題性のあるテーマを扱っていることになります。フランスの負け惜しみを代弁するかもしくは自らの正当性を主張するというのは穿ちすぎですが、出版当時広く読まれたという事実は十分に理解されます。

 エジプトの神殿での秘儀ではセトスは迷宮を通り抜け、炎が燃え盛る丸天井の部屋を通り、裸でナイル川の支流を泳ぎ渡るという3つの試練を受けています。この試練を通過したときに祈るセトスの言葉と『魔笛』第2幕第9番ザラストロのアリアが酷似していることや、第2幕第28場でタミーノとパミーナが受ける「火の試練」と「水の試練」はまさにこの小説から拝借したアイデアであると考えられます。さらに、『魔笛』では2人の鎧を着た男が歌う二重唱の歌詞の内容と、『セトス』における鎧を着た男に守られている扉の碑文の内容が類似していることも指摘されています。

 また、セトスはイシスとオリシスの神を崇敬することでこの試練を克服するのに必要な人格を手に入れる点は、『魔笛』におけるタミーノが目指すところと一致します。さらに物語ではセトスの義母ダリュカが宮廷で権力を手にしようと先代の王に使えていた啓蒙哲学者を追放した邪悪な女として登場し、彼女は宮廷の中で最も軽薄に女たちを使って目的を果たそうとします。これは『魔笛』における夜の女王と3人の侍女たちとも符号しています。
 
 このように『魔笛』の中に『セトス』の要素がいくつか入り込んでいることがわかりますが、16歳の時に接したモーツァルトの発想なのか、モーツァルトがボルンに示唆されたものか、それとも台本を書いたシカネーダーが『セトス』を読んでいたのか、或いは劇団の仲間の間で『セトス』の話しが広まっていたのを採用したのか、想像はどんどん広がりますが、本当のところはわかっていません。



*参考文献の一覧は≪目次≫をご覧ください。                                 



           ≪ 前のページ ≫        ≪ 目次に戻る ≫       ≪ 次のページ ≫

Copyright (C) Libraria Musica. All rights reserved.