モーツァルト・シンガーズ・ジャパン

ピアノ伴奏による 歌劇『ドン・ジョヴァンニ』

 
                 モーツァルト・シンガーズ
モーツァルト:歌劇『ドン・ジョヴァンニ』 K.527 全曲
   モーツァルト・シンガーズ・ジャパン
   ドン・ジョヴァンニ:宮本益光(Br)
   騎士長:伊藤 純(Bs)
   ドンナ・アンナ:針生美智子(S)
   ドン・オッターヴィオ:望月哲也(T)
   ドンナ・エルヴィーラ:文屋小百合(S)
   レポレッロ:原田 圭(Br)
   マゼット:近藤 圭(Br)
   ツェルリーナ:三井清夏(S)
   石野真穂(Pf)
  2019年6月19-22日 小金井宮地楽器ホール


 ピアノ伴奏による『ドン・ジョヴァンニ』の全曲版の録音が登場しました。同じ団体による『コシ・ファン・トゥッテ』に次ぐモーツァルトのオペラのピアノ伴奏版の第2弾となります。諸事情からオーケストラ伴奏で収録できないから仕方なくピアノ伴奏でというのではなく、意図的にピアノを使いその特性を活かした演奏をめざしたのではないかと思いながら聴いていました。

 CDのプレイボタンを押して予想していなかったニ短調の和音が聴こえてきてびっくり。序曲を弾いてくれたのですね。前作の『コシ・ファン・トゥッテ』は序曲が演奏されていなくてとても残念だっただけに嬉しい限りです(もっとも『コシ・ファン・トゥッテ』序曲の音符はピアノ向きではないから仕方ないと思っていました。)。ただ、この『ドン・ジョヴァンニ』序曲は途中、スコアにはないドン・ジョヴァンニのカンツォネッタが挿入されていきなりコーダに飛んでしまうという半分以上の短縮版となっています。ピアノ伴奏ならではのいいアイデアだと思われますが、ならば他のナンバーもいくつか挿入するなど暴走してくれてともいいのにと思ったりもします。

 ちなみに、モーツァルトはオペラ本編から「石像(騎士長)の登場」「その応対」「レポレッロがテーブルの下に隠れる」のシーンでの音楽を序曲に取り入れています。言い伝えられているプラハでの初演前夜のモーツァルトの突貫作曲逸話が真実だったとして、もし時間があればもっと違った序曲が生まれていたかもしれません。なお、モーツァルトは後にコンサート用に序曲の終結部を書いていて、現在オーケストラ・コンサートではよく演奏されますが、生前は演奏されなかったようです。

ドンナ・アンナとドンナ・エルヴィーラ
 幕が開いてレポレッロの歌が立派な声であるがゆえやや腰が重いのが気になりますが、続くドンナ・アンナの歌唱は素晴らしい。オペラ全体の行方を占う場面であり、聴衆が固唾を飲む瞬間を見事にクリアし、続く第2曲レチタティーヴォ・アコンパニャート&デュエットでアンナとオッターヴィオはその感情の起伏を音符にうまく乗せることに成功しています。さらに、二人の声質もこの場にふさわしく、伴奏とのバランスも絶妙。

 ここではピアノがオーケストラに勝った瞬間かもしれません。父親が死んだばかりだというのに音楽のつくりが妙に格調が高く大仰という不思議な箇所なのですが、そのまま編成の大きいオケで演奏すると物語の展開からはかけ離れた音楽になる傾向に陥ります。さらに、大劇場だと声は張り上げざるを得ない、そのためモーツァルトの書いた音符が正しいリズムで歌われないきらいがあります。その点、歌手との距離感が近いピアノ伴奏であるが故、ここでは控えめな格調さの中に緊迫感を維持しつつ歌との密接なアンサンブルを可能にしています。しかも、モーツァルトが書いた音符が明確に聴こえるために音楽の方向がよくわかり、舞台で沸き起こりつつある緊張感、陶酔感を耳だけでも感じ取ることができるのです。ここで気付いたことは、モーツァルトは歌と伴奏の音符を常に同列に扱っているということです。そういえば、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタと言っても主役は伴奏のピアノであるかのような印象を受けることがありますよね。

 次のドンナ・アンナの出番は第10曲レチタティーヴォ・アコンパニャートとアリア。ドン・ジョヴァンニの「Amici, addio !」という言葉から父親を殺した犯人とアンナが気付いたシーン。ここの激情的な音楽はさすがにオーケストラには敵いません。しかし、オッターヴィオとのやりとりにおけるアンナの無力感、憤り、悔恨とめまぐるしく変化する心情を見事に表現しています。このレチタティーヴォでダ・ポンテが書いた歌詞は最初から最後まで「呪いだ、復讐だ!」とヴェルディ流の怒りばかりを繰り返し叫ぶのではなく、アンナの心の動きを克明に描写しているということを思い出させてくれます。歌唱が伴奏の奥行き不足を補うことに成功しているいい例と言えます。続くアリアへの移行も見事。アリアでは多くの歌手が突然、ワーグナーのような歌い方になってしまってがっかりさせられるのですが、ここでのアンナは決して重くならず声の勢いによって緊張感を出すことで音符に即した声質を巧みに変化させています。高音のコントロールはさすが『魔笛』の夜の女王を歌いこんだ歌い手ならではの輝きと張りのある声による安定した演奏を聴かせてくれます。ブリュンヒルデのように歌いだすと後半のコロラトゥーラのところで違和感のある音楽的展開となり、多くは絶叫とオーケストラの強奏でめちゃくちゃになってしまいます。ピアノ伴奏という逃げも隠れも出来ない中を作曲者が書いた音符を正確に音にして、さらにその意図をしっかり音楽に仕上げている、実に素晴らしい演奏です。

 ドンナ・アンナの次の見せ場は第2幕のフィナーレの直前、ドン・オッターヴィオからのプロポーズをやんわり断る第23曲レチタティーヴォ・アコンパニャート。レチタティーヴォとアリアの前半では、高音の輝きをちりばめながらも中低音では濃厚な丸みのある声で淡々と歌います。心の内を秘めつつひたすら大人の女を演じるアンナを見事に表現していると言えます。アリアの後半、『魔笛』の夜の女王の先駆けとなる高難易度の曲ですが、安定した歌い口で余裕を持って歌いきるところは何も言うことはありません。

 第3曲アリアと三重唱。ドンナ・エルヴィーラが登場したところに、ドン・ジョヴァンニとレポレッロが加わる三重唱。エルヴィーラはふたりには気付かずにひとりで歌っているところに男ふたりの会話が乗ってくるという設定のところです。ピアノは導入から実に素晴らしい演奏を繰り広げてくれます。エルヴィーラはそのピアノに導かれて丁寧に歌いはじめます。やや力が入りすぎているところがエルヴィーラの性格描写という理解はできますが、女性の執念や強さを通り越して人類の運命まで背負い込んでいるかのような印象を受けます。また、録音に遠近感がないことからドン・ジョヴァンニとレポレッロの合いの手が棒立ち状態、舞台での演技が目に浮かんでこないところが残念なところです。

 しかし、これに続くレポレッロの「カタログの歌」は軽快なテンポに乗って心地よい演奏となっています。曲の最後を除いて声色を変えたり思わせぶったりしないところは少々物足りなさを憶えますが、モーツァルト・シンガーズ・ジャパンの演奏をここまで聴き進めていて、彼らの目指す方向が壮麗な雰囲気の中でのロマン主義的な悲壮感とは無縁であることはわかっているので、こうしたスッキリした歌い方はアリだと思います。声だけでは会場の笑いを誘うことは難しいのかもしれません。

 次のエルヴィーラの出番の第8曲はツェルリーナをドン・ジョヴァンニの手から救い出したときに歌われます。ピアノで演奏されるとバッハ風の面白さが際立つ曲で、オーケストラによる演奏での大仰さがなくなって音楽の流れがスムーズになったような気がします。エルヴィーラは少々気負いがあるもののしっかり歌っています。

 第2幕が始まってすぐに歌われる第15曲小三重唱「ああ黙って 不実な心よ!」は、ドン・ジョヴァンニとレポレッロがエルヴィーラを面白おかしく騙しているのに、当のエルヴィーラは揺れる心の内を真剣に歌う、相反するふたつのシーンを同時に進行させるモーツァルトの遊び心が垣間見えるところです。このシーンを音だけでその面白さを伝えるのは難しいとしても、男声ふたり女性ひとりのアンサンブルとしては完成度の高い演奏となっています。ドン・ジョヴァンニがもう少し笑いをこらえながら真面目なふりをする声が出せたらいのですが。

 エルヴィーラにとって最大の見せ場、或いはこのオペラ全曲を通して音楽的に頂点をなす曲ともいえるのが第2幕の第21曲(bis) レチタティーヴォ・アコンパニャートとアリア。エルヴィーラは、ピアノの素晴らしい前奏に導かれてドン・ジョヴァンニに対する自らの複雑な心境を吐露します。フレーズ全体としては歌詞の意味に即した起伏ある表現がとてもよくできていますが、美しくまとめすぎている印象も受けます。単語ひとつひとつにもう少しゴツゴツした感じがあった方がエルヴィーラの心境をよりリアルに伝えられたのかもしれません。アリアに入ってこの難しい音符を破綻なく歌いきっているところは素晴らしいです。ただフレーズによって声の勢いや声色の変化、さらには音型の持つエネルギーの振幅がもう少しあれば完璧だったかもしれません。

ドン・ジョヴァンニとドン・オッターヴィオ
 このオペラは幕開きから題名役のドン・ジョヴァンニのアリアがなかなか歌われないところが変わっています。最初から登場していて重唱やレチタティーヴォでちょこちょこと参加しているのですが(レポレッロとの会話のやりとりは実に見事です。)、ようやく第7曲のツェルリーナとのデュエットでその声を披露します。小出しにして期待を高めていくという効果は確かにあると思います。このデュエットに先立つレチタティーヴォにおけるドン・ジョヴァンニはそのセリフの内と外を控えめながら実に見事に表現しています。デュエットに入ると、ツェルリーナは田舎娘にしては妙に落ち着いていて、ドン・ジョヴァンニもあまりプレイボーイらしくない真面目さが目立ち、貴族らしさはあるものの何より誘惑する側のオブラートに包まれたギラギラしたものや、誘惑される側の地に足が着かないほど舞い上がっている感じが伝わってこないのが残念です。しかし、歌と伴奏のバランスの良さは絶妙で、デュエットとしての音符上の完成度は極めて高いと思います。

 第10曲アリア「私の心の安らぎは」でのドン・オッターヴィオの歌は第2曲のデュエットの好演同様いい声を聴かせてくれます。冴えない役柄だけにこのように安定していると安心して全体を楽しむことができます。妙に落ち着き払った歌いに不思議と引き込まれます。テノールだからといって色気を求める役ではないため、フォームを崩さず丁寧に歌うところは評価できますが、欲を言えばもう少し歌詞に即した起伏があってもいいのではと思います。この曲のピアノ伴奏は長く伸ばす音符が多いこともあってオーケストラの各種楽器による音の艶、音色の多彩さと比べられるとさすがに分が悪いようです。

 ドン・オッターヴィオは、ドン・ジョヴァンニへの復讐を誓う第2幕第21曲の難しいアリアではピアノ伴奏共々好演を聴かせてくれます。高音での張りのある声は魅力ですがもう少し丸みのある声が聴けると良かったと思います。第1幕のアリア同様、声の質がやや一本調子なのも残念なところです。なお、このアリアを「ドンナ・アンナを慰める曲」と解説されることがよくありますが、歌詞を見れば一目瞭然で、周りの人に「アンナのところに行って慰めてください」と歌っているのであり、その場にいないアンナに対して慰めてもいないし、何も話しかけてはいないのです。これまでどこか煮え切らなかったオッターヴィオは名誉挽回とばかりに、ドン・ジョヴァンニへの復讐をその場にいる人々に約束をしているアリアなのです。

 第1幕に戻ります。第11曲でようやくドン・ジョヴァンニによる単独のアリア「シャンペンの歌」が歌われます。限界に迫る超高速の歌唱はピアノ共々お見事というほかはありません。オーケストラでは聞こえなかった合いの手がピアノでよく聞こえたのは収穫でした。第2幕に進むと有名な第16曲「カンツォネッタ」が歌われます。オーケストラの場合では弦楽器のピチカートに乗ってマンドリン(時には小さいギター、オクターブギター?)による洒落た伴奏で歌われる珍しいアリアです。ストーリーからは少々寄り道しているだけに、初演で歌う歌手のために書いたような、取って付けた感がないではありませんが、とてもいい曲です。ここでは張りのある声で格調高く歌われているのがやや気になるところで、もう少しやや甘いセレナードらしさが出るように単語によって深みや丸み、軽さといった声質の変化を加えた感じで歌われると良かったかと思います。ピアノの伴奏はとても健闘されていますが、撥弦楽器の独特の軽さの模倣には限界があってやや一本調子に聴こえてしまうのはやむ得ないところでしょう。チェンバロだったらとどうなっていたでしょうか。

 続く第17曲アリア「あなたたち半分はこっち」でようやく、ストーリーの本流に関わる内容がドン・ジョヴァンニによって歌われます。音楽的にはたいした曲ではないのですが、様々な情景を聴き手に想像させつつマゼットをとっちめようとするドン・ジョヴァンニの演技に即した表現の幅が求められるアリア。暗がりで演じられる場面の雰囲気や舞台での演技に伴うブッファ的な面白さは音だけではあまり伝わってこないのはやむを得ないかもしれません。

 最後のドン・ジョヴァンニの聴かせどころはこのオペラの大詰め、石像となって現れた騎士長からの招待を受け入れるところふたりによる緊迫したやりとり。騎士長もドン・ジョヴァンニもその持てる力を出し切った素晴らしい歌いを聴かせてくれます。意外にも立派に効果を上げつつ弾いているピアノの静的で落ち着いた伴奏に乗って歌われているのですが、そのことが却って、舞台装置の粋を尽くしてドラマティックに作り上げた舞台演出よりも、恐怖のあまり凍り付いた舞台をより強く目に浮かばせてくれます。

アンサンブル
 第9曲の四重唱を聴くと、このモーツァルト・シンガーズ・ジャパンの演奏の最大の聴きどころはアンサンブルにあることに気付きます。オペラではどうしても演奏する歌手の声に耳が行ってしまいますが、ここで演奏される音楽を聴くとモーツァルトが書いた音符の凄さに思い至ります。しかもそのすべて音符にふさわしい声をこうしたアンザンブルで聴くことができます。

 第1幕のフィナーレで仮面をつけたエルヴィーラ、アンナ、オッターヴィオが舞踏会に招待された時に歌われる「正しき天よ 護りたまえ」の三重唱、モーツァルトがこのオペラの中で書いた最も美しい曲ですが、ここでの演奏は実に見事で、モーツァルトの書いた細かい音符がくっきりとどのパートからもバランスよく聴こえてきます。実際の舞台では声の張り上げ合いになりがちな箇所も抑制を効かせつつ美しく歌われています。しかし、モーツァルトの『13管楽器のためのセレナーデ』を想起させる木管による伴奏にはさすがにピアノでは太刀打ちできないところではあります。

 このあたりから第1幕の終幕まで独唱陣だけの力での盛り上げていくところは素晴らしいものがあります。通常のオペラでは合唱が加わって音の厚みを増していくところをモーツァルトは独唱のアンサンブルとオーケストラだけでドン・ジョヴァンニを追い詰めていく様を音楽で表現するように作曲しています。そのためオーケストラはどうしても大きな音になり、声は張り上げざるを得ずいくつかの音符が疎かになりがちです。この演奏ではピアノ伴奏という形態で逆手に取って緻密なアンサンブルによって声を主体とした劇的な終曲を実現することに成功しています。縦横無尽なピアノの活躍には脱帽です。

 第2幕のアンサンブルは第19曲六重唱。前半はエルヴィーラ、オッターヴィオ、アンナ、レポレッロの順番にひとりずつ歌います。ドン・ジョヴァンニを庇い皆に慈悲を乞うエルヴィーラがもう少しその必死さが出ると良かったと思います。アンナの声はその艶を一層増しているように聴えます。後半にはツェルリーナが加わって六重唱になり、まさにここはモーツァルト・シンガーズ・ジャパンの真骨頂、器楽的とも言える均質でバランスの取れたアンザンブルを聴かせてくれます。途中アンナだけに要求される難所もなんなくクリアしているところもさすがです。伴奏はフォルテですからオーケストラですと歌をかき消す箇所なのですが、ピアノ伴奏だからこそモーツァルトの音符を楽しめるということになります。曲が終わる直前に歌だけになると思っていた箇所にピアノが聴こえてびっくりしたのですが、スコアを見ると確かにオーボエ、フォゴット、チェロと音を繋いでいました。オーケストラ伴奏では聴き逃していました。なお、音楽的にはここで第2幕が降りてもおかしくないところではあります。

 話しは逸れますが、この6重唱を聴くとブルーノ・ワルターが指揮したメトロポリタン歌劇場の古いライヴ録音を思い出します(1942年)。ドン・ジョヴァンニに変装していたレポレッロ役を歌う名手アレクサンダー・キプニスが「 Perdon, perdono 」と歌った時、最後の「 no 」 を2拍ほど長く伸ばしすぎて続く6小節間を2拍遅れて歌っていたところを、エルヴィーラ役のヤルミナ・ノヴォトナがレポレッロの歌をオクターヴ上で正しく歌ってあげ、7小節目の「Viver lasciatem」のところで無事復帰できるようにサポートしたのでした。この箇所はレポレッロだけが歌うので誰かが助けることが可能だったとしても咄嗟に途切れることもなく歌い継ぐなんて神業に近いと言えます。しかもその一部始終が録音されていて聴くことができるもの奇跡です。

 第2幕の次のアンサンブルはフィナーレでドン・ジョヴァンニが地獄に引きずり込まれた直後から終幕まで。快調なテンポに乗って相変わらず安定したアンサブルを聴かせてくれます。途中残された登場人物が今後の身の振り方を歌う箇所は説明的でどちらかと言うと冗長な印象を持っていましたが、オッターヴィオとアンナの完璧な二重唱を聴くといつまでも聴いていたい気がします。

ピアノ伴奏
 この演奏の成功にはピアノの貢献度が非常に大きいと思います。常に歌を引っ張り、たったひとりで音楽の流れや劇的な展開を示してくれています。ひとつだけ気になることは、レチタティーヴォでの伴奏。通常、アリアや重唱ではオーケストラが演奏し、レチタティーヴォではチェンバロやフォルテピアノ(さらにチェロのソロが加わることも)が演奏します。この音質・音価・音色上の対比はオペラの進行上極めて重要で、最初から最後までピアノで伴奏するこのCDではその対比ができないことになります。さらに、近代のグランド・ピアノでは存在感が大きすぎるという印象を受けます。レチタティーヴォにおける最後の音符の処理がチェンバロだと心地良い余韻・遊びとして耳をくすぐるのに対してグランド・ピアノだとやや説明的で、これで終わり感が強すぎ、時にお節介とも聞こえてしまいます。演奏者はブックレットのプロフィールを見るとチェンバロも演奏されるとのこと、レチタティーヴォの時だけチェンバロで弾かれたらどうなったでしょう。なかなか面白いかもしれません。

 最後にひとこと。CDのジャケットなんとかなりませんか?せめてピアノ伴奏というCDでは他に例がないスタイルによる演奏であることがひと目でわかると手に取ってみようと思うのではないでしょうか。発売したときは予想もしなかったことですが、新型コロナウイルス禍による三密を避ける音楽活動を予言した貴重なCDになったのですから。

 モーツァルト・シンガーズ・ジャパンの次の活動は『魔笛』か『フィガロの結婚』になるかと思います。『ドン・ジョヴァンニ』の出来からすると大いに楽しみです。また、他の作曲家の作品にも是非挑戦していただきたいと思います。



             ワルター指揮メトロポリタン歌劇場 『ドン・ジョヴァンニ』
          ブルーノ・ワルター指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団(1942年)


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