RUN!RUN!RUN!

 もしも競走馬のサラブレッドが人間の言葉を話せたら、何代何十代も前の御先祖様まで完璧に把握された血統から、レースで勝つことだけを目的に作り出された己が肉体について、どんな感想を言うのだろうか。

 すべてのサラブレッドが背負わされた宿命なのだから、別に言うことなんてない、むしろ優れた血統を自分のために用意してくれて、感謝しますとでも言うのだろうか。やっぱりただ走るためだけに生み出された、マシンのような己の存在に疑問の声を上げるのだろうか。もとより人間の言葉を話せないサラブレッドだ。感想を聞くことは永遠にかなわない。

 もっとも、娶(めあわ)せることに関して作為はあっても、走るに適した遺伝子を選び継ぎ合わせるようなことを、人間はサラブレッドにはしていない。神の手による偶然もありえる交合から、奇蹟のような存在が生み出されることもあるからこそ、サラブレッドは尊ばれる。サラブレッド自身もおそらくは自らを誇りに思っている。

 これが遺伝子を操作して作り出された馬だったら、競馬ファンの大半は異論を挟んだことだろう。ましてや人間に対して遺伝子に作為を加えた挙げ句に、走ることに優れた肉体を持った人間を生み出そうとしたものだったら、そうやって生まれ出た子は親に何を言っただろうか。

 最高の素材に作ってくれて有り難うと言っただろうか。それとも神をも恐れぬ所業に震えて助けて欲しいと赦しを乞うたか。今のこの世界では、恐怖におののく人の方が多いかもしれない。倫理的な制約が、神の手を超える所業を認めさせない。

 けれどもいずれ遠からず科学の進歩が、受精卵のうちから遺伝子を操作し何事にも優れた人間を作り出すことを、当たり前にしてしまうだろう。その時も人間は神の手を横取りする誘惑に勝てるだろうか。

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 桂望実の「RUN!RUN!RUN!」(文藝春秋、1429円)が問いかけるのも、科学的な可能性と倫理的な抑制との狭間に揺れ動く、人間の心の行く先だ。主人公は岡崎優という名の大学1年生。高校の頃から優れたランナーとして記録を塗り替え続け、推薦で入った大学でも同級生どころか先輩も含め、ナンバーワンのランナーとして期待がかけられる。

 もっとも、そんな期待など余計なものとばかりに、優は孤高を貫き陸上部に我が儘とも思えるような要求を突きつける。自分は走る才能がある。その才能を伸ばすために大学に入り陸上部に入った。自分が良い記録を出すから大学は注目される。だから大学は自分が最大の力を発揮できるように尽力すべきだ、と。

 同級生たちは当然ながら反発するし、先輩たちも怒りに震える。けれども優の天才が周囲の異論をねじ伏せる。ひとりで走る陸上に仲間なんて存在しない。それは駅伝でも同じこと。誰かのためにたすきをつなぐ? ランナーの役割は持たされたパートを走りきること、それのみ。自分が走りきれば良いだけで、応援なんて意味がない。走りきれば自然とたすきは次に渡る。つなぐ意識もそこにはない。

 一理ある。確かに合理的ではある。けれどもそれで割り切れないのが人間の心理。我が儘な優の言動に同級生も先輩も反発し、非難し誹り貶める。だからといって動じる優ではなく、実力で異論をねじ伏せようと練習に取り組み、試合にも挑む。そして結果を出し続ける。

 ところが、風邪をひいて寝込んだ優を、高校時代の優の走りに惹かれた岩本という同級生が見舞い、調子を崩した優の面倒を何かにつけて見ようとする。他の同級生や先輩たちに、優はシャイだと言い訳をして優を不思議がらせつつ、いつしか彼の心の領域へと入り込んでいく。

 優は拒絶しようとした。不要と排除しようとした。けれども優を突然に襲った兄の死と、そして浮かび上がってきた出生にまつわる秘密が、優の心に楔を打ち込み、隙間を広げた。才能があるから走り続けた。走ることだけを考えた。他はすべて排除しようとした。そんな優の才能に、神の手をすり抜けようとした作為があったとしたら。才能は作られたものだったとしたら。

 それでも才能に違いはないと、割り切り走る続けることだって可能だっただろう。血統に不満など言わないサラブレッドのように、ひたすら走り続けただろう。けれども優はものを言う人間だった。人間として育っていく中で育まれた、人間ならではの心に疑念が生まれた。

 時代も優の希望をうち砕いた。最先端の科学を駆使し、神の手を我がものにしようとする作為に対し、世間から激しく厳しい目が向けられるようになっていた。これでは進めない。今は進めても未来永劫進み続けられるとは限らない。優は悩みもだえ、逃げようとした。

 そこに優が拒絶し、排除しようとしていた仲間という存在が、命綱のように絡まってくる。才能はない。けれども人一倍の努力をし続け、箱根駅伝のランナーに選ばれた岩本の存在が、優の気持ちをこの世界につなぎ止める。崩れるフォームに息も絶え絶えの岩本に優は叫んだ。初めて誰かのために心を向けた。そして生まれた悲劇の向こうに、輝かしい奇蹟が待っていた。

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 天才ゆえの孤高がもたらす悲劇を描き、仲間という存在がくれる勇気を描いた物語。生きる目的に悩み、それでも生きなくてはならない時に、人は何をすべきかを教えてくれる物語。箱根駅伝をテーマに描いた三浦しをんの「風が強く吹いている」(新潮社、1800円)
のようには、仲間とともに高め合う素晴らしさを直接的には描いてはいない。けれども、読み終えれば同種の感動がわき上がる。

 神の手をくぐりぬけようとする冒涜に対し、人間はどのような態度で望むべきかも示してくれる。天網恢々疎にして漏らさず。すり抜けても別の網が待ちかまえているのが世の常だ。ならば人は実直に、すべてをあるがままに受け入れ進むべきなのだと教えてくれる。熱くはないし、厚くもないけれど、読んだ人の心にはずっしりと響く重さを持ち、気持ちを燃え立たせる。

 人はサラブレッドにはなれないし、そもそもサラブレッドになんてならなくてもいい。人は人として生まれ、生きそして死ねる。そんな人の姿をサラブレッドが見たとして、もしも人間と同じ言葉を話せたら、きっと羨ましいと言うに違いない。サラブレッドに呆れられ誹られることのないような、正しく前向きな生き様を選べ。そうすれば才能の有無に関わらず、誰もが認める人間になれるはずだから。 


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