螺旋時空のラビリンス

 繰り返される同じ時間を、何度も何度も経験することで、いったい何が得られるのか?

 そんな問いへのひとつの答えは、桜坂洋の「All You Need Is Kill」であり、これをトム・クルーズ主演で映画化した「Edge of Tomorrow」に描かれていて、それは同じ時間を何度も、何百回でもやり直し続けることによって最適な解を見つけだし、最善の結末へと自分を導いていけることだったりする。

 どこまでいっても脱出口がないように見えても、やり方によっては必ず抜け道はあるはずだ。無限の可能性とはそういうもので、だからこそ時間ループが取り入れられた物語は、過去改変といった問題をはらむSFであると同時に、無限の可能性からたったひとつの解を求めるパズルに挑む、ミステリー的な要素もはらんで読む人に挑戦状を叩き付ける。

 どこに正解があるのか。どうやったらこの無限のループから抜け出せるのか。そんな問いに対する答えを探す楽しさがあり、ひとつの答えを得られる開放感を与えてくれる時間ループ物。その傑作ともいえる「All You Need Is Kill」にも負けていない物語が登場した。辻村七子による「螺旋時空のラビリンス」(集英社オレンジ文庫、550円)だ。

 戦争で人口が激減した近未来では、大金持ちによる失われた美術品の収集が娯楽とされていて、発明された時間遡行機を使って過去へと跳び、盗み出してくる泥棒の仕事がひとつの事業として成り立っている。といっても白昼堂々、過去のまだ厳重に警備された美術館から盗み出すのではない。それだと歴史が変わってしまう。泥棒は歴史の上でその美術品が消える瞬間に立ち会って横取りしてくる。

 主人公のルフも、そうした美術品泥棒を生業にしている企業で働いていて、新たな仕事として19世紀半ばのパリへと跳ぶことになった。その仕事とは、デュマによって小説に書かれ戯曲化もされ、ヴェルディのオペラの題材ににもなった“椿姫”と名高い高級娼婦、マリー・デュプレシの手にある卵型の宝石「インペリアル・イースター・エッグ」を盗み出すというものだった。

 不思議なのは19世紀末の帝政ロシア時代に作られるはずの「インペリアル・イースター・エッグ」が、どうして30年も前のパリになぜあるのか、ということ。それには理由があって、ルフとは幼なじみで、同じ泥棒企業で働く同僚だったにも関わらず、元いた時代へと戻らず逃げたトリプルゼロ・フォースと呼ばれる女性が、19世紀半ばにに「インペリアル・イースター・エッグ」を持ち込んで、マリーになりすましたらしい。

 ルフは、赴く時代に合わせて服装だけでなく、所持金まで当時の金で揃えてみせる会社の綿密なサポートを受け、時間遡行機“アリスの鏡”をくぐってマリー・デュプレシが活躍していた1843年5月22日に跳ぶ。そこでやはりフォースだったマリーと会い、宝石を返せと訴えるもののその気はないとフォースに言われ、今は手元にもないと言われる。

 取り戻さなければ帰れないルフは、忍び込んだりピアノの講師という名目で通ったりしながら探すものの見つからない。仕方なく“アリスの鏡”をくぐって元いた時代に戻ろうとしたら、なぜか到着した1843年5月22日に戻ってしまって、そこから無限ともいえる時間のループが始まってしまう。

 おまけに最初にやって来た自分も現れれば、何度も繰り返し戻ってくる自分も現れて、同じ人間がドッペルゲンガーの如くに何人も存在するという状況。それぞれが同じフォースにあって言葉を交わし、何度目かと問われたりもする中で主人公として最初から登場しているルフは、邂逅すれば対消滅はしないけれども酷い嫌悪感に襲われる状況の下、チャレンジを繰り返していく。

 その過程でルフは、会社によって仕組まれていたひとつの状況をだんだんと知っていく。フォースの命がマリー・デュプレシと同様に消えてしまう場面にも何度も何十回も居合わせながら、その悲しみを乗り越えなくてはならないと考えるようになる。そして、時間の牢獄から抜け出すための道を探り、人道からも外れた任務の檻から抜け出すための道も手に入れようと足掻く。

 結果として得られる開放感は抜群。なおかつ時間という仕掛けを使って行われた、ある種の“復讐”の痛快さも楽しめる。流れていく時間、繰り返される時間を縦横無尽に使って描かれる、愛を探し自分を見つける物語。2014年ロマン大賞受賞作で選考委員の三浦しをんが絶賛しているけれどBL要素は一切ないので、そこはよろしく。


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