東京より憎しみをこめて1

 童貞に人権は存在しない。検事から「童貞だな」と言われ、「二七年間彼女がいないだと? それでもお前は男なのか!?」「もうすぐ三〇だぞ! そんな人生、あっていいはずがない! ふざけるな! おまえは今まで何のために生きてきたんだ!?」「東大まで出といて、なんだその人生の負け組っぷりは! おまえは人生の敗北者だ!」「先輩として言わせてもらおう! お前ほど情けない男はいないと!」「最低だ! 月成拓馬は信じられないくらい残念無念な男だ!」と畳みかけられても、反論する余地などまったくないし、罪に問われても自業自得であり当人の不徳の致すところ。それが嫌ならとっとと童貞を捨てておけば良かったのだ。

 などと思われているのがこの社会。どうしてだ? そんな莫迦な話があるか? そう童貞諸君が眉をつり上げ憤ったところで仕方がない。結婚できない女性もいくらだっているにも関わらず、結婚できない男子の、それも彼女がずっといなかった人間を、もはや人間とはみなさないのが世間一般の認識というものだ。東大を出て経済産業省に入り、被災地支援のための予算を執行する仕事を担当していた月成拓馬も、だからどん底へと叩き落とされる羽目となった。

 被災地を食い物にしようとした政治家の悪巧みで、収賄の嫌疑を着せられ、逮捕されて悪の官僚という非難を浴びせられた月成拓馬。家宅捜索された過程で美少女ゲームや美少女アニメを愛好しているといったパーソナリティを暴き立てられ、マスコミにリークされて人間性を疑われるニュースを満天下へと飛ばされる。その程度だったらまだ救われたかもしれない。それはただのオタク官僚、このご時世に霞ヶ関を歩けば幾らだっているだろうから。

 けれども童貞は拙かった。童貞だけはいけなかった。検事のブラフにうっかり乗ってしまって、27歳にもなって実はそうだと薄情してしまった月成拓馬への評判は、官僚を憎みつるし上げようとする気分に留まらず、侮蔑と嘲笑の混じったカオスのようなものになってしまった。「純情ウルフ」などという、可愛らしいのか物笑いでしかないのか分からないニックネームを付けられてしまい、道を歩けば背中から笑い声が起こり、裁判を終えて身の潔白が果たされた後も、就職の面接に行けば役員が勢ぞろいして顔を見て苦笑し、工事現場で働いていても同僚たちから後ろ指をさされて笑われる。

 もはやこれまでか。そんな月成拓馬に救いの手が差し伸べられる。子分がシマを荒らした半グレを相手に起こした殺人事件の責任を問われ、組長が無期懲役を喰らった事件で、後に残された組長の娘、海音寺詩乃がたとえ自分は堅気だと訴えても、世間はそのことを容易には認めようとせず、好きだった絵の道を断たれたことに憤り、腐った官憲とメディアとそして社会に対抗しようと立ち上げた組織に招かれる。それが至道流星の「東京より憎しみをこめて1」(星海社FICTIONS、1250円)のストーリーだ。

 同じ作者の作品で、右翼というこれも世間的にはアウトローとされる場所から、まだ高校生の神楽日毬という少女が政界を目指すという、「大日本サムライガール」シリーズにどこか似ている部分があるけれど、右翼は政治団体として公に認められている上に、日毬は政治や芸能界といった表舞台で堂々と戦おうとしている。月成拓馬と初音寺詩乃が進もうとしている道は、これとは立場を大きく異にしている。

 そんな場所で元官僚とヤクザの娘という、まるで筋の違った2人が合流し、それぞれが抱く怨嗟が反撃へと変わっていくストーリーが、これからどのように繰り広げられるのか。方や東大出身でそれなりに切れる頭脳は持っているし、こなた父親の組を整理して受け継いだ資金と人脈を持っている。そうした材料を駆使して挑んでいくことになるのだろう。童貞野郎と莫迦にしたメディアを見返すために。親の因果を子に報わせてせせら笑う社会をぶっつぶすために。

 とはいえ官憲はどこまで巧みでメディアは悪辣。それらをむしろ利用するようにして、芸能界を極め政界へと討って出ようとしている神楽日毬に比べると、官憲やメディアと真正面からぶち当たらなくてはならない月成拓馬と海音寺詩乃の戦いは、いささか困難なものになるかもしれない。だからこそ、どういう戦いが繰り広げられるのかに今から興味がつきない。アクションか。頭脳戦か。すぐに見られると期待しよう。そして喜ぼう。童貞でも天下がとれることを。

 せっかく男と女が揃ったところで、きっと月成拓馬が海音寺詩乃を相手に童貞を卒業することはなさそうだから。できればとっくにやっている。そういうものだ。


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