大日本サムライガール

 キワモノではない。イロモノでもない。むしろ真っ当に社会を描き、政治を描き、経済も描いて芸能も描いた、面白くて奥深いエンターテインメント小説が、至道流星による「大日本サムライガール」(星海社FICTIONS、1・2巻各1300円)というシリーズだ。

 電通ならぬ蒼通という大手広告代理店に務める織葉颯斗という青年と、その後輩の健城由佳里の2人が、東京は市ヶ谷にある防衛省に、仕事の打ち合わせに行く途中。手に拡声器を持って演説する1人の美少女を見た。

 「真正なる右翼は、日本に私ただ一人である」「真に国家を愛する私−神楽日毬は、日本の独裁者となり国家を正すことに魂を尽くす所存である」。あまりの右翼ぶり、そして大言壮語ぶりに、いわゆる電波少女かと思って聞いていたら、関心があると思われ視線を交えて演説し始めた。これはまずい。そう思い防衛省へと向かい打ち合わせを追えて出てくると、少女はもういなかった。

 ところが、近くを歩いているとその演説少女が、誰か男たちに拉致されようとしている場面に遭遇した。その時は、警察の公安による補導だったとは知らず、割って入った颯斗は、逃げ込んだ公園で神楽日毬というらしい少女と話すうちに、彼女が事なかれ主義の社会から浮いているように見えても、決して間違っておらず、曲がっておらず、歪んでもいない思想と性格の持ち主だと気づく。

 言うことは過激ながらも、実に筋が通ったものだったし、行動にもしっかりと芯が通っていた。誰の許可も得ないで喋っているのではなく、「政治結社日本大志会」という名で東京都選挙管理委員会に登録し、総務大臣の認可も得た政治団体として活動していた。総帥はもちろん日毬。もっとも党員も彼女1人で、一般の人はもとより、彼女の美貌に誘われて入る同級生の男子生徒もいなかった。

 実際、いくら美少女でも発せられる言葉が「日本の独裁者になる」という過激さでは、本性が純粋で真っ直ぐであったとしても、多くはそれを真っ当とは見ようとしない。右翼的な言説をイコール電波ととらえ、キワモノなりイロモノと見なす風潮が、今の世間には蔓延していて日毬のような実直さを認めようとはしない。

 颯斗は違った。主義の違いから党員にはならなかったものの、真剣に生きている日毬に感銘を受けてカンパをを申し出る。なおかつ、政治家になって日本を変えたいと願う日毬の希望を汲んで、それを手っ取り早くかなえるのなら、持ち前の美貌とスタイルを使ってアイドルを目指してはどうかと提案する。

 臆する彼女を引っ張り出して、防衛省の広報ビデオに出演させることにまず成功。前後して、大手印刷会社を経営する父親への反目もあって、自分自身を試したいと蒼通を辞めてしまった颯斗は、日毬を芸能の世界に引っ張り込んだ手前もあって、彼女を唯一の所属タレントする事務所を作って、本格的な芸能活動をスタートさせる。

 普通のライトノベルなり、SF的な要素を持った話だったらそこで、突拍子もないことを言うアイドル右翼、または右翼アイドルといったキャラクター性の強烈さを前に出し、芸能界で異様な脚光を浴びて一気にスターダムへとのし上がっていく、サクセスストーリーを描くだろう。さらに、被選挙権がない年齢であるにも関わらず、法律をくぐり抜けて政治にまでたどり着いた日毬が、日本を動かし、世界を変えてしまうようなビッグスケールの物語へと向かわせるだろう。

 最近でも、自衛隊に所属する歩兵の少年や衛生兵の少女が、自衛官上がりの総理として改憲を目指したものの夢破れ、自決した上司の無念を晴らそうと決起し、政府側についた自衛隊や警察などと戦うライトノベルが刊行された。エンターテインメントならではの破天荒さを余すところなく発揮して、大袈裟の中に問題点をより見えやすく表現して多くに分かってもらう。同時に、あり得ないことだけれども、それがあったらどうなるかを楽しんでもらう。そんな意義を持った作品だった。

 ただ、「大日本サムライガール」では、そうした無理を通す展開は選ばれなかった。道理の中に展開を押さえ込んで、着実に日毬という主人公のステップアップを図ろうとしている。その分、展開の歩みはゆっくりながらも、あり得るかも知れない状況が訪れる可能性の高さを感じさせて、読む人の興味を引きつけ、引っ張っていく。

 臆しながらも青年に頼りにされていることを嬉しく思い、右翼としての言動は抑えてアイドルとして世に出ていった日毬。もっとも、少しづつ人気が出るにしたがって、本来の政治団体としてのキャラクターに世間の関心が向かっていき、日毬の本質ともいえる言説が世に伝わるようになって、その美貌と右翼という属性とのギャップから、テレビや雑誌に引っ張りだこになる。

 そこに入った大手芸能事務所の横やり。日毬を引き抜こうとして果たせず、ならばと日毬を排除して一切の仕事を回さないようにする。颯斗と日毬の関係に、根も葉もない中傷を行う。これにはさすがの日毬も切れた。純真で一直線な性格が悪逆非道を許せないと爆発して、第一巻のクライマックスへと向かう。

 このあたりも、やはり現実にありそうな展開の範囲内に抑えてあるところが実に良い塩梅。そういうこともあるかもしれないし、むしろあって欲しいとすら思わせるような展開の連続で、読む人を話に引きつけ、日毬に引きつけファンにする。国を憂い人間を憂う日毬の言動の真っ当さとも相まって、キワモノだとかイロモノだといった先入観が抜けて、今の日本が抱えている様々な問題に、真正面から向き合い真正面から解決していくために必要なことは何なのかを考えさせる。

 第1巻の巻クライマックスから、第2巻へと流れるところで描かれた窮地を切り抜け、1段ステップアップした第2巻の展開にも無理はない。面白いのはそこで大きく話を膨らませることをせず、まずは地固めといった感じに、新人のアイドルを登場させ、彼女には日毬とは違った属性を持たせ、背景を持たこと。若いのにお金を欲しがる新人のバックグラウンドから、日毬にまつわる政治や芸能界の課題とはまた違った、経済方面で昨今の日本がぶち当たっている問題を浮かび上がらせて、そちらへの関心を誘ってみせる。

 やはり無理な神風を吹かせることはしない。裏で経済を牛耳るような悪人など出さない。現実の金融システムの中で、そうせざるを得ない金融機関の態度をいささかの悪として見せつつ、それを行動と善意で乗り越えてみせようとする展開になっているため、読んでいてもあり得ないと呆れることなく、驚くこともなしに素直に感動できる。

 技術もあって品質も高い日本の中小企業を育てれば、中長期的には損はないと分かっているのに、今だけ良ければ、自分たちさえ良ければと銀行は金の回収に走り、ベンチャーキャピタルは上場して利益を得て、あとは野となれといった態度で臨んで、結果として未来の目を摘む。そんな腐った状況に一徹を食らわせ、未来に希望を持たせるストーリーを、ライトノベルのファンのみならず、あらゆる世代が読んで胸に教訓を刻むべきだろう。

 新たな仲間を得て、回り始めた物語が次に向かうのはどこなのか。高校2年生の日毬が法律の決まりもあって一気呵成に政治家にはなれず、総理にもなれない現実を鑑みるなら、今の日本が抱える他の問題を、日毬なり新人のキャラクターを通して炙り出し、解決のための道を示すといった展開になるしかない。それとも、ここで大きな勝負に出て、痛快無比な展開を用意していたりするのか。

 いずれにしても、読んで得られる感慨は大きそう。その筆さばきに、その繰り出される物語に興味を抱いて続きの刊行を待とう。


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