縮刷版99年9月中旬号


【9月20日】 日本テレビの「ドキュメンタリー」は小児病棟に入院中の拒食症の少女が変わって行く様をリアルタイムで追いかける労作で、裏番組の「CBSドキュメント(60ミニッツ)」に負けず劣らない和物ドキュメンタリーの迫力を久々に見た思い。折しも「CBSドキュメント」も子供が心理的な病から入った精神病院で虐待を受けた話題が取りあげられていて、施設の出来不出来云々よりもそーいった施設に入る子供たちの実に多いことへの驚きを強く覚える。またオヤジがって言われるかもしれないけれど昔も確かにイジメだってあったし投稿拒否もいた事はいたけど今ほどこんなに追いつめられてたっけ? 子供って。地方ののんびりした環境でそこそこやればそこそこな成績でそれ以上は求められなかった人間には解らない切羽詰まった状況が今のコドモ社会にはあるんだろーか。

 日テレの番組で持ち出されていたのは「いい子」という四角い枠の中に自分を入れ込み或いは親や学校に押し込められたまま長く行き続けて来た子供が、圧迫に耐えかね表向きはやっぱり「よい子」で居続けるものの食事に限っては摂れなくなって死すらも恐れなくなってしまう。爆発できず被った仮面の厚さが限界を越えて自分が誰なのか解らなくなってしまう、その恐怖すら覚えないまま自然死へと至る状態に子供を追い込んだ親が、たとえ反省したフリをして優しい言葉をかけたとしても、その心の奥底にある再び親が自分の望む枠組みに子供を押し込めたいと思う気持ちがあることに気付き叫ぶ子供の鋭敏な感性。けれども世の教育は「よい子」なんて曖昧なものじゃなくもっと厳しい枠組みに子供たちを押し込めようとしてる様がありありで、取り繕った仮面に自我を埋没させられた感性がある日突然暴発したらと考えると、例の池袋の事件じゃないけどそれこそ恐るべき事態になるんじゃないかと身震いする。そうでなくても暑さにイライラする昨今、鬱屈した会社生活にひと暴れしてみてー。

 渋谷はハチ公広場から交差点を挟んだセンター街の入り口に建設中のビルが何になるかを発表する会見があったんで東急の文化村に出かける。東急系のデベロッパーが担当した再開発によればビルの壁面の170平方メートルのLEDスクリーンが掲げられてデジタルな映像とかショートフィルムとか広告とかが放映されるとか。最新型のスクリーンはLEDの隙間が広くとれるよーになってて映像が放映されてない時はビルの壁面が透けて見える不思議な作りになっていて、フレームのないその映像が流れている様を夜なんか見ると、ほとんどビルに遠くからプロジェクターで何かを上映しているよーに見えるのかも。それって「ブレードランナー」のスピナーが走り回る世界での芸者ガールが映っていたモニターっぽい雰囲気に近かったっけ? 中には「TSUTAYA」がどばっと入って上は東宝の映画館。これじゃカリスマ店員は出そーもないね。

 代わりに出るかもしれないのがカリスマクリエーター、って可能性の問題で現実的かどーかは別だけど、スクリーンを使って展開する事業のうちデジタルアーティストの新人なんかをプロモーションする事業では、おそらくはCGバリバリのアーティストの新作なんかがかかって人目をハッと惹き渋谷発世界なシンデレラストーリーもあるかもしれないしないかもしれない。ショートフィルムのコンペテションではかの奥山和由さんがプロデューサーになって短編映画とかの優れた作品をピックアップする舞台に使うとか。短編映画として例に挙げたのが「外科室」だったあたりに昔とった杵柄への執着を見た思いもしたけれど、こと騒動屋では人後におちない映画人だけに日活の役員にもなってチームオクヤマも軌道にのりかかって地について来た足がさて、次なる1歩を踏み出すのかにちょっぴり期待も生まれて来る。挫折して人間きっと落ちつきも出て、いるよーには、見えなかったけどまあそれなりにやってくれるでしょー。

 会場に集まった人の和にチリチリの長髪な癖にてっぺんがやや薄な髭面のデジタル文化人の顔が、ってそこまで言えば誰でも解るデジタル・ハリウッドの杉山知之校長センセがデジタリの株主になったららしー「TSUTAYA」の店舗の中に渋谷に初のデジハリを設けてクリエーターの養成とか、近所の「ビット・バレー」系デジタル業界人と企業人とを結びつけるサロンの運営なんかを手がけるそーな。かのデジタルバブル華やかかりし頃に颯爽と登場した杉山さんも景気低迷の中で果たしてどーなるものかと髪には親近感を覚えつつ事業の先行きは冷静(冷淡)に見ていたけれど、この不景気をどーにか息抜き卒業生もたくさん出して何とかメジャーな場所に橋頭堡を得るまでに発展できたかと思うと、人間そのうち何とかなるもんだって例の名句の真なるを改めて強く実感する。浮かんでは消えるデジタル業界人の中に1人上りたる高みより落ちぬよう頑張ろうぞよ共に髪の毛の生え揃うまで(揃わない)。

 都会では自殺する子供たちが増えているのかどーかは知らないけれど、都会では夫婦は別れカップルは破局し逆に別れそうなカップルはよりを戻すもんだってことが殿谷みな子さんの作品集「鬼の腕」(れんが書房新社、2000円)を読んでふと思う。それはそーじゃなければ小説として楽しくないってこともあるんだろー。表題作の「鬼の腕」は羅生門の鬼の物語を今風にアレンジして怪奇な現象を拠り所にして幸せの再来を描くまあ読んで後味の悪くない逸品。それから「チェリー色の靴」は引退した老人が原宿に暮らしてきままな日々に出逢った少女とイイことになるとっても羨ましい短編で、ってそういう訳でもないんだけど終わりに毒もないからやっぱり読んでむしろ羨望を覚える。都会暮らしって悪くねー、とそこいらあたりまでは思ったけれど。

 「二人の女」はファンタジーというかホラーな雰囲気に都会で暮らす男女の末路に哀れみを覚え「転生」もまた男女の仲をめぐる友情と愛憎の相剋が痛い。生き別れの双子のきょうだいを探す「リユニオン」は後味こそ悪くはないけど考えようによっては生き別れじゃない双子がいる身としてちょっぴり鳥肌もたつのが難。全体に都会を生き抜く人々のちょっとした夢(悪夢)が静謐な筆致で描かれ都会を生き抜く人々に勇気と絶望と喜悦と慟哭を与えてくれる。これのすべてが「SFマガジン」に掲載されてたことに今さらながら驚きつつこれが早川書房から刊行されない事態に不思議さも覚えたり。けどかつては民話が題材のファンジックな人だった殿谷さんがここではモダン都市のフォークロアとも言える物語を紡ぎ出すとは、才能とは目立たず奥ゆかしいけどしっかりと存在しているものなんだねえ。声高に叫ぶより作家はやっぱ書いてこそ、なのでしょう。


【9月19日】 あの距離あの角度であのスピードあのコースの球を蹴れるとはペルージャの中田選手やっぱりタダ者じゃなかったと、非力浅学な草サッカーに汲々として爪を黒くしている我が身なんぞと比べて仰天するのは僭越なことこの上ないけれど、ダイジェストで見せた走りながら首ふりながら1発で前線へと通すパスのやっぱり角度スピードの素晴らしさを見るにつけ、改めてその才を思うと同時にその才を受けられるだけの選手がたとえギリギリ残留だったとはいえ世界最高峰のリーグに所属しているチームだってことに強く気付く。明けてヴェネチアの名波は悪くはないんだけどまだちょっと気負いがあるのか元気が空回り。デビュー戦で顔骨折して以来のイマイチ感を今も引きずってるカズの二の舞を見る思いがしてちょっと心配。見てもやっぱ線、細いからねー。

 「ぼっくらが生まれて来るずっと前にアポロ11号が月に行ったー」−ってな意味の歌詞で唄ってる歌手をカウントダウンTVだったかテレビ東京の番組だったかで見て、例えば今18歳の人が生まれた1981年ってのはアポロ11号どころかアポロ17号で最後の人間が月から帰って来てさらに10年近くが経ってた訳で、リアルタイムで宇宙への夢をある程度感じられた35歳から上の世代が語る宇宙への思いが、バーチャルでは太陽系が銀河系からアンドロメダへと到達していても現実にはせいぜいが大気圏外を周回するだけの宇宙しか知らない世代と果たして共有できるのか、ってなことを考えてしまう。

 とはいえ「少年サンデー」で石渡治さんが連載しているロケット少年の漫画「パスポート・ブルー」が新刊ラッシュの中で近所の本屋の店頭になかったのを見ると、平均年齢が上がっているとは言え10代後半が多分中心の「サンデー」読者にも宇宙に行きてーっ或いは誰かを行かせてー、ってな思いを持ってる人が結構いそーな気もして、歌での煽りも含めて10年経ってお金にも気持ちにも余裕が出てきた人間が、あるいは宇宙人に攻められたり隕石が落ちて来て余裕のなくなった人間が、宇宙に目を向けるための種があちらこちらで蒔かれ始めてるなって感じた次第。もちろん「月つき」も。

 「ネムキ」コミックスの新刊で軽部華子って人の「くみちゃんのおつかい」(朝日ソノラマ、780円)を買って読む。長田ノヲトさんとはまた違った耽美な怪奇さに溢れたタッチで描くホラーは、美少女だけどいつもボーッとしているくみちゃんが出逢う様々な怪奇現象を軸に話が進み、例えば襲おうとしたヘンタイさんを刺殺したりくみちゃんの美しさに自らの内蔵を差し出す美少年を袖にしたりと言ったエピソードに、少女は無垢で残酷ってな内容なのかなと思って読み進んで行ったら、やがてくみちゃんの美しい母親と今は別れた父親との愛憎劇から彼女と彼が営む家業へと話が及び、やがて一家を包む家族愛に老婆の美しい思い出話につながって行くストーリーに、思わず涙してしまいましたとさ。くみちゃんのお母さん美人でお父さん超カッコ良い。挟み込まれる絵や仕草のギャグもオドロ系な話の割には間合いがとれててちょっと好き、でも諸星大二郎さんの「栞と紙魚子」のヌケ具合にはもうちょいかな。

 日曜出勤で行った会社にHIROPONファクトリーから展覧会の案内が。名古屋で始まったショーは別に9月25日から朝霞市にある丸沼芸術の森ってところにある展示室で「村上隆個展」がスタートするとかで、収蔵コレクションを展示してくれるってことはテレビで見たことのあるあの大きなアトリエに、ゴロゴロしている売れ残りなのか売るに売れない巨大な作品なんかがまとめて見れちゃう機会なのかもと期待が膨らむ。見ると理不尽に場所遠そうで行くに辛そうだけど出没系のステルス・ライターとしてはやっぱりコッソリと行って覗いて帰って来るのが礼儀(とは言わんか)なんで多分何時か行くでしょーから読んでないけど関係者な人は注意して観察してましょー。いかにもな風体のアヤシイ中年が来たら僕です。とか行って25日の午前11時から開かれる講演会とかってのに、予約とれたら多分ちゃっかり出没してたりするんだけどね。場所は朝霞市上内間木493−1。また出る時計も買っちゃおーかな。


【9月18日】 コジャレ大帝からの電話に適当な思いつきを真夜中ハイな頭でくっちゃべりつつ目は千葉テレビで放映中の「聖戦士ダンバイン」でのキーン・キッスとキブツ・キッスの親子の愛憎入り交じった戦いなんぞを見つつ、そーいえばバンダイだかバンプレストから「ダンバイン」のゲームが出るなーと思いつつ夜はしんしんと更けていく。最終回を迎えた「ヴァニーナイツ」は眠かったから録画だけでパスしたけどそんなに訳わかんないエンディングだったんですか謎。

 コジャレ大帝は好評なのかちゃんと続いて発売され中の「サイゾー」10月号でも本業なアイドル系の記事で優香が何故売れるかと聞く声に放っておいてくれと言っているけどやっぱり聞こうなぜ売れる新山千春より? 攻められるんならソニー出井より優香だってのは確かだけど。同じ「サイゾー」でコナミのワルクチを言ってる記者が誰かもやっぱり謎。某ページの1行情報に出ていた成宮観音さん自爆アタックその第X弾平野啓一郎編も1行情報のみならず当人がバラしてて頑張ってます。「月蝕」はそりゃ自分が客演した劇団だわさ。

 論壇「ワレ目でポン!」決勝大会出場確定な4人のうちの福田和也さんを除く3人が一同に会しての「m2われらの時代に」はMでもない東浩紀さんが宮台宮崎さんの対談企画に乱入して相変わらずのトークを発動中。年でははるかに上の宮台さんあたりを前に神戸の空港反対運動へのスタンスへの疑問点をズギッと指摘する物怖じしない姿勢も相変わらず。記事に掲載されたテーブルの写真の上には3人のほかに食事の皿がギリギリ3枚写ってて最低あと1枚はありそーな雰囲気でつまりは3人のゲストのほかに4人も参加しての大会食が実現してるってことで看板企画はやっぱり手当も厚いってことでこれで「サイゾー」の全予算の3割が取られてたりするから表紙のアイドルはドレスじゃなくってジャージなんだな毎回。

 3時に眠ってもちゃんと9時に目覚めて「幕張メッセ」へと向かうのは単純に貧乏性で行ける時に行っとかないと損した気分に背中をゾクゾクさせられるだけの事。別に行ったからといって写真を撮る訳でもなくプレイする訳でもなく適当に込んでるブースにわざわざ体を潜り込ませて来場中の少ない女性に体を寄せたりコンパニオンの胸ギリギリまで迫ってサングラス越しにたわわなプルプルを触りこそしないけどマジジッと見て楽しむ。ろすくっぽ見なかったセガ・エンタープライゼスのブースで今年から来年にかけて発売の新作ソフトのプロモーションを4人のダンサーを従えた外国人のカビラ系喋りに乗って聞き、なんだかおバカで楽しそーなゲームの意外と(失礼)たくさん揃っていることに、1年が経ってこなれて来たハードの強みを垣間見る。「身体の夢」で見た「キュピ2」ってビデオに雰囲気の似たキッチュなファッションにダンスが最高な「スペースチャンネル5」が個人的にはイチ押されな1枚、だけど何のゲームなんだろ?

 大混雑すると思った割にはブース内に体を潜り込ませて覗き見ることが可能だったソニー・コンピュータエンタテインメントのブースでは2日続けて見ると最初は鮮烈だったボディーにもちょっと飽きて来た感じ。馴れと言っていいのか迷うところだけどしょせんは器に過ぎないハードのデザインが云々されているうちはそれが本当に浸透したとは言えないってことで、パソコンっぽくってとりわけ目立ちもしないデザインいした戦略も案外正しかったのかも。どうせ5年は変更しない(もう1度互換性を持たせて上に行くなら7−8年だって)デザインに今の最先端を採り入れたって無意味だし。だって見渡してごらんよソニーの他の製品に5年も同じデザインの商品なんて多分ほとんどないもんね。そーいった面でも「プレイステーション」ってデザイン先行中身はヘナヘナなソニーのプロダクツにあって珍しくも偉大な商品だったってことに今さらながら気付いたよ。

 熱気の会場を抜けて涼しいプレスの休憩室でひたすらに森博嗣さんの「人形式モナリザ」(講談社、800円)を読んで時間を潰す。何しに行ったんだか。前回の驚天動地な展開のさらに上を行くキャラクター表に或いは記述者としての探偵の設定にとてつもない虚構性が潜んでいるかそれとも形式として確立させた上での事件という現象にキャラクターという心理を見せていくシリーズなのかと頭を巡らせる。前の「創平&萌絵」シリーズも最初のハードなイメージが実は全編通じての快復と自立の物語だったことが全編を通じて描かれていたからなー。タイトルの意味が明らかになる場面の鮮やかさは映像向きだけど映像にする時の苦労を考えると誰もがちょっと二の足踏むかも。前に何かのウイスキーの広告でランダムな組み合わせから総体を描いていたのがあったけどあれより物作んなきゃいけないってのがあるし。コンピューターを使えば案外と簡単に出来るのかな。

 会場を出て銀座へと向かい有楽町阪急の上にあるギャラリーで「たれぱんだ展」を見る。脱力系とか癒し系とか言われて疲れた人の心に届いたからこそのヒットだなんてしたり顔で分析するトレンドセッターなんてのも居たけれど、会場でキャッキャと言って展示物に見入る子供や女性の姿を見ると純粋に「可愛い」から受けたってことがよく解る。まあ確かにその頑張るんだけども無理をしないスタンスが癒し系と言われる理由になっていることも解るけど、子供がそーゆー意味あいを感じとってるとは思えないからやっぱりあの顔あの死んでるようで生きている目に感じるものがあるんだろー。

 スクランブル交差点を挟んで筋向かいのソニービルでは「ポストペット」のモモちゃんをフィーチャーしたイベントも開催中。かたやエンピツ描きのアナログなキャラクターでこなたデジタルフィールドからやって来たキャラクター、ながら共に人気となっているのは何か好かれる共通項があるんだろーか? どっちも一応熊だし(潰れてたりピンクだったりするけど)。思うに「たれぱんだ」は身に引き寄せてその風体を愛でるパーソナルなキャラクターで、「モモちゃん」はメールの配達人とゆー他人とのコミュニケーションを前提にした媒介としてのキャラクターと構成要素に違いがあって、どっちが好きによって外向的か内省的かを判断する材料になるのかもしれない。「たれぱんだ」が好きな僕はもちろん内弁慶。だって「ポスペ」買っても誰にメールを出す訳でも誰からメールをもらえる訳でもないんだもん、そんな人間が「モモちゃん」好きになんかなれる訳、ないもんね。


【9月17日】 京極夏彦さんの「巷説百物語」(角川書店)をようやっと読み終える。「この世には不思議なことなどないのです」的主張で貫かれた短編はどれも奇怪な物語の背後で暗躍する人間たちの奸計や企てが明るみに出て、幽霊の正体見たりじゃないけど意外や過去累々たる怪談話の実態も、たとえばそーいった人間の奸智が見せたり驚愕が見たマボロシだったんじゃないかと思えて来る、がしかしそーしたストーリーは逆に人間という最大にして最悪の妖怪が存在することを高らかに暴き立てている訳で、そんな人間が蔓延り権力を持ったこの世界で生きて行くことの、なおいっそうの困難さを強く感じて身震いする。WOWOWのドラマ版では又市を演じる役者さんの美男な彼って果たして坊主頭になるのかな? 関係ないけどふと思った「こうせつ百物語」ってかぐや姫の南こうせつが弾き語りで百物語をやってくれたらこれって結構怖くない? 真っ暗な中であのひよろひょろとした声が歌いかけて来るんだぜ、ゾクゾクしない? しないかなあ、やっぱ。

 下らない冗談にもならない戯れ言はさておいてファッション特集だった「ブルータス」(マガジンハウス)を久々に買ってみてちょっと吃驚、をを何ととり・みきさんが漫画を描いてた。別に超きらびやかなファッション誌に連載していたことが驚きって訳じゃなく、描いている4コマ漫画がどこかコンピューターを使って描いたっぽくって色の塗り方陰影のつけかたがデジタルっぽくって、サイン編で描いても細いペンを使ってもアナログっぽさが前面に出た絵柄が特徴だったとりさんでも、これが予想どおりだとしたらいよいよコンピューターを導入し始めたってことになる。「石神伝説」の表紙とかもカラーだったっけ? どっちだったろーか。そーした装飾は別にして、4コマ漫画の方はマーカーでペタペタと塗ってもそれほど印象が変わるとも思えないから、単なる買ってみたパソコンを使ったみた的カラー化なのかもしれないし、さらなる次を狙った練習なのかもしれない。漫画の登場人物の大きくなっていくお腹の模様は何故に格子柄?

 ろくすっぽ寝ずに起きて「幕張メッセ」へと駆け付ける。「東京ゲームショウ’99秋」の話題は「プレイステーション2」を置いて他になく、たとえ業者日と言っても昼過ぎには超満員になるのは確実だから開会直後の比較的緩い時間にざっと見ておきたいと思って開会式直後には場内へと滑り込んでソニー・コンピュータエンタテインメントのブースへとかけつける。久多良木健社長や宣伝の鬼みたいな佐伯雅司執行役員がブース前をうらうらしながら最後のチェックに余念がない中をささっと入って見た「プレイステーション2」はやっぱり「NeXT」っぽかった、って見た印象が4日5日で変わるはずもないんだけど。あと開会前にコンパニオンがステージ前にずらり整列して挨拶やお辞儀の練習をしていたシーンは、やなぎみわさんがモチーフに手がけるデパートの案内嬢をたくさん並べて加工した「案内嬢の夜」ほかの写真作品が現実になった雰囲気があって、制服&営業スマイルフェチなやなぎみわ作品のファンにはたまらない場面で見ながらゾクゾクしてしまった。明日も開場前に潜り込んで練習風景に興奮してー。

 すでにして明らかになってるハードの形状とかには今回のショーではほとんど関心がなく、前回の発表ではデモられなかったソフトでいったいどんな凄いのが出ているかとバッと見ていく。中で何故がドーンと目に入ったのが「リッジレーサー」でもなければポリゴンの乳が揺れるスクウェア/ドリームファクトリーの「ザ・バウンサー」でもなく、SCEIのサテライト会社で例の「やるドラ」なんかを手がけたシュガー&ロケッツがやってる「ポポロクロイス物語3」ってソフト。例のプレステで何本か作られアニメも好評だった作品の続編だけど、過去の作品が確かポリゴンのキャラでアニメとはテイストが違っていたものが、今回はポリゴンのキャラに輪郭を付けて表面をアニメのセルっぽく塗って動かしているように見える、奇妙にも不思議な映像を披露していて、これがリアルタイムに生成された「3次元アニメ絵」だったらインタラクティブでマルチエンディングな「アニメ」もまんざら無理じゃないのかもってな思いを抱く。ちょっとナルシアの口がギザったりテクスチャーに埋没して消えたりしててブキミだったけど、いろんな事を考え実行に移してしまうものだとゲーム業界の飽くなきチャレンジ心には心底敬意を表したい、でも不思議な映像だったなー。

 あまりの盛況ぶりに比べて当初は閑散としていたセガ・エンタープライゼスのブース前で手足に奇妙な小さい風船を付けたおじさんを見つけて「ドリームキャストいかがっすかー」と元専務っぽいノリで聞いたらおじさん「アメリカでは5日で40万台いったから年末までには150万台も可能性があるねえ」と内心はともかく表面上はニコニコと答えてくれて、流石はイリさん度量が広いぜとファンにはならないけれど立ち止まってもくれない久多良木さんより親近感を抱く、ってこれって判官贔屓? ブース横には鈴木裕さんも歩いていたりとセガは総出の布陣で、これはやっぱり今回の「ゲームショウ」の来場者の多くを「PS2」が引っ張って来たことへの対抗意識なのかもと想像してみたり。とは言え「年末に買えるのはDCだけ」ってトップの人の言葉も実は現実で、とりわけ「PS2」の発表が日本より遅れる欧米では、クリスマス商戦での頑張りでプラットホームの数をグンと伸ばしさえすれば後はビジネスが付いてくるんじゃないかってな想像に浸る。ゲームとネットという今となってはシンプルな用途とそれい見合った値段がさて、どうユーザーにアピールしていくのかはとにかく発売されるソフトにかかっている。さてどーだろー。

 そんな一助になるかどーかは不明だけど、懸案だった謎のFAXの正体が遂に明らかに。アキって会社がメディアファクトリーやセガと組んで進めるってなプロジェクトの全容が明らかになり、基本は「DC」を使ったモンスターゲットだぜ風レースも楽しめるぜ系ソフトだったと判明。誰もが気にした任天堂の「ゲームボーイ」との連動については、「物理的な連動はない」と明言してちょっと肩すかしを喰らったけれど、代わりに「アニマコード」というアキ独自の名称をつけたモンスターそれぞれが持つ固有の番号かあるいはパラーメタも含めたデータなのかはともかくも、複数のプラットフォーム間をまたいでパスワードなりで進行状況を別のゲームに送り込んで連続して遊べるよーにする計画を発表して、誤解こそあったけれど決して嘘はついてなかったことが解る。

 たくさん捕まえなくっちゃならない動物の数は豊富だったけど、写真撮影の時に横に立てられた看板のオバケが「モンスターファーム」の「モッチー」そっくりだったのは内緒。意識は高いし趣旨も解るし「コミックボンボン」と組んで漫画も展開するメディアミックスぶりは流石と舌を巻いたけど、類似のメディア展開が今はほとんど主流になっている時代に、果たしてどれだけ目立てるかってのはやっぱり未知数の部分が多い。インターネットを使って固有のコードをやりとりする中で、パラーメーターまでをも含めてハード間でデータを共有できるようにしたいってな考え方も示していて、表面上はきっちりとまとまっていた家庭用ゲーム奇間の垣根も、裏ではとにかく収益源を増やしたいソフト会社の目的によってどんどんと下げられている状況にあるみたい。任天堂は当然ウンとは言わないけれど、さてもどーいった「連動」が計られるのかに今後ナリチュウ。でないと折角復活した竹内倫さん、今度はCSKなり角川連合の傘下に入ってキビシイ現実に悲鳴を上げることになるからー。

 バンダイブースでは「星界の紋章」のゲーム紹介コーナーに珍妙なカラーリングのワンピースを来た額に輪っていうか冠みたいなものを乗せて耳を三角にした女の子がいて、お手軽だけどツボを付いたコスプレだったんで思わず飴をあげたくなったけど持ってなかったから無視する。コナミは「ドラムマニア」の「PS2」版をプレイラブルにしててゲーセンでは恥ずかしいおじさんもこっちではプレイ可能。テクモとか他にも山ほどの会社が「PS2」対応ソフトを出していたけど、現実問題「ゲームも出来るDVDプレーヤー」として滑り出しは行そーな気がしてて、同じコンソールを製作費で100億円、200億円もかけて出来た2時間なりにエッセンスを凝縮した映画コンテンツを置いて、高ければ1万円近い値段もするゲームを果たして誰がどのくらい買うのか、きらびやかな会場に山と積まれたゲームのチラシをみながら、「PS2」がゲーム業界にもたらすものは福音か審判かといろいろ考えてみる。やっぱ淘汰は避けられないのかなー。

 メディアワークスのブースでボリリンあかほりさとるさんが壇上に上って「ハイスクール・オブ・ブリッツ」のピーアールをしてたんで写真を撮ろうとしたら警備の兄ちゃんが止めさせようと脇腹をつついて来て、首から下げているプレス章を見てあっと思って引っ込んだけど何となく業腹だったから「ハイスクール・オブ・ブリッツ」の心よりの応援はしばらくしないと誓うメディアは尊大なだだっ子。つつかれなくっても応援出来たかは実はアヤシイってことは内緒、でも「電撃アニマガ」にノベルズの書評(勿論ホメ)を書いてたいするからあかほり以上に節操がない。まま同じホールにある今日は行き来が自由だった物販コーナーに言って「ゲーマーズ」の「でじこのへや」で生産数限定とかゆー「猫耳&猫手袋セット」を2900円も出して買う。それを被った僕が可愛いかは自分では見えないから何とも言えないけれど周囲に見せたら誰もが感動のあまりに口ごもったんできっととてつもなく可愛いんだろう。人出も多くなる明日あたりは迷子も心配なんで目立つよーに被って手には手袋はめてて行くか? 鈴ももちろん頭の横と首から下げて。言葉も語尾に「にょ」を付けて、にょ。


【9月16日】 普段は工業新聞になんて逆立ちしたって出そうもない芸能人文化人スポーツマン学識経験者当たりに21世紀の日本を喋ってもらう企画で、担当している編集局のエラい人が最近の若手って言われる人たちの中で30年くらい経ったら今で言うところの大御所くらいになってそーな論壇学会当たりの人はいないかと聞いて来たから20代で良ければ朝日文化人になりつつあって(朝日の良く出てるだけって意味、なんだけどそれがやがて別の意味を持つのは色分け好きなメディアの常識)おまけい産経が大応援してる盗聴法に反対だけど東浩紀さんとかやっぱり盗聴法反対な宮崎哲弥さんや宮台真司さんや福田和也さんて既にしてメジャーな名前を教えたけれどピンと来てない様子。経済人だと会社のバリューで判断できるのに事が論壇へと及ぶと何を判断基準にすれば解らないってことなのかなー、堀江敏幸さんも好きなんだけど(「おぱらばん」より「郊外へ」の方が好み)言っても絶対に解らないか、後もはや大ベテランの四方田犬彦さんも。

 仕方がないので朝日新聞の「論座」を買って東さんと宮崎さんの対談をコピーして「読むよーに」と言って押しつけたけど、出てく単語が「新世紀エヴァンゲリオン」を筆頭にきっと普通の経済ばっかり見てきた記者には解らないものばっかりだったから、多分おそらくは話を聞きに行くなんてことにはならないかも。仕方がないからいっそ自分で企画の裏を取るよーに若い人から崇め奉られている昔で言うなら「若者たちの神々」っぽい人を紹介して暴言なんぞを吐かせて本筋の企画を同じ媒体内で茶化すってのも面白いとは思ったけど、そこまで喧嘩すると唯でさえ社内での暴言が過激になっていささか当たる視線が冷たくなってる時期だけに、矢が鉄砲玉になって最後はドカン! なんてことにもなりかねないからしばらくは静観だね。とはいえ企画の人選があまりにもオヤジってたら飛ばすかも。

 その「論座」の対談によると例の6月23日に国会そばの議員会館で開かれたシンポジウムでの話があって、東さんの知り合いのオタクな人があらかじめ何人か呼ばれていてそのレポートが数日後には有名なサイトにアップしてあったとか。どこだろう、若い人があの対談でどー思ったのか読んでみたいと思ってたんで探してみよー。ちなみに勝手に言って勝手に帰って来た当方のレポートは即日アップして掲載済み。その後の慌ただしい中での法案成立を経た今読み返してみるとやっぱり大勢の人が気付いてから反対の雰囲気が情勢されるまでの期間が余りにも短く、かつ反対の声を政治の面へと反映させる機会が全くなかったことに気付き、さても自民党公明党上手くやったぜてな皮肉を存分に込めた賞賛をついつい送りたくなる。こーゆー手段が例えば以後も使われるとしたら結構ヤバい事になりそーだけど、喉元過ぎれば忘れる熱さ、すでにして新聞紙面に盗聴法の字が踊ることは皆無に等しく、ここにもメディアの言論機関としての衰退ぶり、競争の中で他紙に遅れまいとだけする横睨みぶりが浮き出て来る。ってことはやっぱり反対な人には頼みそうもないってことか。

 一方で四方田犬彦さんの方は「SPA!」でマンガ批評裁判に関連した記述をでらでら。四方田さん自身「漫画言論」って言う評論を出してたりするけれど、コラムを読んで単行本には入っていた小林よしのりさんに関する批評を文庫版では削っていたことを初めて知った。それは小林さん側の反対があった訳ではなく、単に四方田さんが小林さんに抱くおぞましい気持ち故のことらしーから、ここで先の裁判で小林さんと戦った上杉聡さんと比べるのは筋が違ってて、四方田さん筆滑りすぎって感じがしないでもない。ただし上杉さんを支持して小林さんを批判する文脈の中で「彼が漫画というジャンルを少しも信じていないという事実を物語っている」とある部分には、判決が出た直後に僕が抱いた感覚と類似しててやっぱり誰でもそう思うんだってことが解ってちょっと安心した。漫画家が漫画ではなくメッセージは文章にあるんだから絵は抜いて字の分だけを引用しろと主張するのは、やっぱりねえ。コラム後段にある漫画批評家と編集者の間に広まっている引用を巡るシンポジウムって具体的に開催って決まっているのかな? 決まっているなら是非とものぞいてみたいけど、出来ればやっぱり片方の当事者の小林さんにゴーマンかまして抱きたいなー。誰もサリンなんきゃ撒きゃしないから。

 近づく「東京ゲームショウ’99秋」に関連して展示内容の案内が続々。をやをやパナソニック・ワンダーテインメントがぶっ潰れてどっかに行ったT内さんがメディアファクトリーの人間になっていよいよ「ゲームボーイ」と「ドリームキャスト」の連動企画を発表するのかそれは楽しみ、けど巷間言われていたよーな「サクラ大戦」じゃなく寺田憲史さんって脚本家としてつとに知られる人が原作のソフトをアキとかって会社で作るらしー。タロットか何かのカードゲームかな? ところがぎっちょん(死語っぽい)同じ携帯型ゲームでも「ワンダースワン」の方は、赤外線通信機能を組み込んだ前にハドソンが「GB」向けに出したよーなカートリッジをバンダイが「WS」向けに作って、同じ赤外線通信機能を持ってる「ポケとステーション」を間に挟んで「プレイステーション」「プレイステーション2」とデータ連携をとれるよーな企画を展示して見せるとか。

 「NINTENDO64」も「GB」との連携なんかを考えちゃってる訳だし、連携じゃなくってもネットを使ってデータを入れたり出したり出来るハードが今後主流になっていく時代には、スタンドアロンで楽しめたゲームが今後はどんどんと複数のプラットフォームを串刺しにして場所を問わず遊べるよーになって来るって訳で、そんな広がりが「どこでもいっしょ」に類する新しい発想のゲームを生みだして来る可能性が高まってるって思うと、なんだかちょっとわくわくする。でも全部のプラットフォームを買って初めて全部の楽しさを味わえるってのは、出費もそれだけキツいって事になるから痛し痒しってことになるね。ともかくも始まる「東京ゲームショウ’99秋」は初日からウロウロしてますんで見かけても石投げないでね。「どこでもいっしょ」は見つかったら持っていこー。女子のみ電話番号付きで名刺交換応じます(嘘)。


【9月15日】 例の法案が通って初めての旗日だってーのに家には飾る旗もなければ玄関脇の旗を指す金具もないとあって仕方がないからおにぎりでも買って(もちろん梅干し入りの)立体日の丸弁当とか言って食べて祝うかなんて考えたけれど近所にコンビニがないから今回だけは勘弁してもらうことにする。許して国家。懺悔ついでに不謹慎および反フェミニズムを承知で戯れ言を飛ばせば、月齢に重なってちょうどキちゃってる女性が使用中の座布団は日の丸になってて付けてるだけで愛国者だわって胸張れて良いかも。但し多過ぎる日は中国ソ連代々木になって非国民と言われる可能性が極めて大。日替わり転校って右から糾弾左から総括求められて大変だからやっぱりそーゆーモノで日の丸作るのはやめときましょー。

 そー言えば数年前に新しく立て替えた実家って旗竿を指す金具って玄関脇に付いてたっけか? 前の家ん時はちゃんとあって結構旗日に旗立ててたんだけど立て替えてからは普通の祝日なんて返ってないし正月の1月1日は帰っていたけど旗立ててたって記憶ないからなー。好き嫌いはともかくとしてそーゆー家での普段からの躾が例えば10歳までの120回数以上に及ぶ旗日の国旗掲揚の習慣で十分に醸成されて受け継がれて行くんだと思うんだけど。逆にそーゆー習慣が廃れて行ったのが何によるものなのか教育なのか気分なのかを突き詰めれば今のこの奇妙にもいつの間にか国旗への”尊敬”の念が消えてしまった理由が解って来そうな気がする。愛国者にするにはやっぱガキの頃から鍛えねば、さー明日から食事は毎日お子さまランチだチキンライスに日の丸だ。

 肉屋に行って肉でも買おうと誘われて肉屋で肉を買うのは当たり前のことと思いながらも銀座のシネパトスで上映中の映画「肉屋」を見に行く。へーこの映画館道路の下にあったんだ。指揮者の旦那を持つキュレーターの女性が体調不良の食餌療法にと勧められて肉を買いに行った肉屋で見たおっさんに疼いて旦那が演奏旅行に行っている合間にやってしまうとゆー話。主演の女性がベジタリアンの栄養失調に見えないくらいに肉付きが良くふくらはぎの筋肉も発達してたりするのはご愛敬として、仕事は順調に行き夫は自分を愛してくれているにも関わらず、肉屋との浮気へと走る女性の気持ちの変化が、肉屋の客との会話や肉屋と妻との冷蔵室での派手なセックスシーン、洋服へとしたたり落ちる血といった細々としたエピソードの積み重ねを経て描写されていて見ていてスムーズに理解できた。っても女性があーゆーものなのかはつき合った経験が皆無に等しくましてや女性でもないから男にとってのご都合的解釈なのかもしれないけれど。見ていた女性客がさて何と思ってみていたか。

 さすがはイタリアな男性、女性が路地を1人で歩いていれば下心があろうとなかろうと声をかけては車やバイクで送ると言うし、店では白衣の肉屋も彼女の家にやって来た時はタンクトップにスラックスでシャツが派手な柄物、ネックレスを付けて時計はコンビのクロノグラフで洒落者伊達男の出で立ちで、脱いで裸になっても時計ははめたままとゆーこだわりぶりは日本の中年男も見習うべきでありましょー、と言っても肉屋は普段の鍛錬からか筋肉引き締まってて顔もアル・パチーノ的にダンディだったから、たとえ見習っても見習いきれない部分が多すぎるんだけど。せめてゴルフシャツにゴルフスラックスに無印な白の運動靴、なのに頭は綺麗な73分けってな休日ファッションでもせめて直して街に出ようねお父さん。

 赤煉瓦の店で昨日に引き続いて「ビーニー・ベイビーズ」のカメレオンの「Rainbow」を購入、昨日買ったのは7色で目が赤で下を出してる奴だったけど今日のは色はくすんだブルーで目は黄色で外見だけなら背鰭のないイグアナの「Iggy」とそっくりって奴。どっちが正統なのかは不勉強故に知らないけれどこの1カ月で山と買って来たなかで初のバージョン違いのゲット、これを皮切りに例えば「Peace」ってベアの色違いとか他山ほどあるとかゆーバージョン違いを集め始めやしないかと、薄くなる財布を見ながらも一方で踊る心に少々の戸惑いを感じている昨今です。


【9月14日】 コナミが来て「ときめきメモリアル2」の資料を置いていったんで適当に盛り上げて記事を書く。やれ「恋愛シミュレーションの元祖」だの「あらゆるプラットフォームでベストセラー」だのと盛り上げた割には実は当方1度たりとも「ときメモ」をプレイしたことがなく、唯一の「ときメモ」体験が今や記憶と歴史から完全に消去されたに等しい劇場版(吹石一恵ちゃんの歴史からはどーなってたっけ?)だけってのもそれはそれデ凄いかも。

 例の音声合成システムは実際に確かめた訳じゃないけどどこまで相手のベシャリに「エモーション」が篭っているのか興味のあるところ、普段は全然女性より名前で呼ばれたことのない人間がいきなり名前で親交が進めばニックネームになってどーしてトロけずにいられよー。前作に涙の思い入れがないから素で受け入れられそーな気もしてその意味で発売がちょっと楽しみ。キャンペーン用のクリアケース入り「ときめも2」セットはさてどーするかやっぱ景品か。

 築地の電通へと近況伺いで音楽配信事業のあれこれを聞く。いろいろなことになっているらしいがそれはさておき「ウルトラマンゼアス」を仕掛けて「オルケスタ・デ・ラ・ルス」を仕掛けて「K−1」もやるってな奇妙な人がいるってあたりがこーゆー会社のフトコロに深さ底の知れ無さを象徴してる。人間の余裕と思いこみを活かせる環境があって初めて仕事は良い成果が出るんです解りましたか某工業新聞(無理無理)。

 せっかくなので歩いて行けない距離じゃない場所にある「築地の先生」のオフィスに先だって電話まで頂いた返礼として挨拶に出向こうと電話したら日が高いためか締め切り間際で奔走していたからなのか不在で断念して帰途へ。途中で「ソニープラザ」の地下駐車場を挟んで同じ並びにある縫いぐるみ屋で「ソニープラザ」でも売り来てたり入ってなかったりする「ビーニー・ベイビーズ」のカメレオンと鳥を購入、うーんこれで30の大台に乗ったかも。プレミアって価値観に弱い中年スノッブオタクの悪弊がここに存分に発揮されてます。

 地下の本屋で買ったのは「築地の先生」も執筆している「IN★POCKET」9月号でTBSの不祥事をまくらにマスコミのばっくれ体質を糾弾する「アカシックファイル」に相変わらずの多方面に及ぶ関心の高さに感嘆し、また綾辻行人さんの80枚の短編をちょっぴりラストの意味が理解しづらかったけど堪能する。館シリーズを除いて決して良心的な綾辻さんの読み手じゃないんで他になにか指針とすべき作品なり元ネタがあってのあのラストなのか、解らないのが居心地の悪に繋がっている。「どんどん橋、落ちた」を買うっきゃないか。

 ついでに「たれぱんだ」絵本シリーズ最新作の「たれごよみ」(末政ひかる文・絵、小学館、1100円)も購入、割と大コマの多かった前作「たれぱんだ」(同、小学館、1300円)に比べるとたれぱんだを軸にした絵のバリエーションが豊富で、様々なシチュエーションにおける「たれぱんだ」の仕草容貌体型に、むぐむぐと笑いをこらえて電車の中で読みふける。冒頭の絵の飼い主の作っているのは編みたれぱんだかな? 「七福たれ」とか「たれびな」とかってどっかが出して来そーだなー、但し「なかなかかわいいがかざるだけで嫁に行き遅れそうなかんじ。」だそーだけど。

 日本SF作家クラブに新会長の大原まり子さんから直接勧誘を受けて太田忠司さんならぬ霞田志郎さんが入会することになった(「不定期日記9月11日付)そーでそーゆーものなのかなと思ってみたり。別にSF作家でもSF専業者でもないからプロな人たちがどーゆー思惑で何をしよーと感想を述べられる立場じゃなく、余計な口出しでしかないんだけど、僕がそうと感じている日本のSF作家の数と日本SF作家クラブのメンバーの数との間にあるそーとーな開きが、果たして埋められよーとしているのかがちょっと解らず、自らのSF観にちょっぴり温さを感じてる。まあそれでも読んで面白ければ「面白い小説=SF」とゆー刷り込みによって内在する公式に従ってレッテルはりまくっていくだけだから、メンバーか否かは実はどーでも良いんだけど。


【9月13日】 じゃがじゃがと電撃な仕事を片づけながら、例えばもしも「ブギーポップ」が実写化されるとしたら、宮下藤花にもっとも相応しくない女優は誰かと考えて(相応しいってのは思いつかないんだよなー)、榎本加奈子と大森玲子はヤメて頂きたいと心から願う、って誰も起用しよーなんて思わないけど。今や超売れっ子の田中麗奈ちゃんでも多分合わないし売れ線を狙ってヒロスエってな意見もやっぱり却下であろー。チャイドルな野村佑香吉野沙香前田愛亜紀あたりもなー。深田恭子? うーん雰囲気あるけど凛然と乾いたセリフを喋れてナンボのブギーポップ、今はまだマイナーの女優がこれを踏み台にブレイクしてくれるって方がメディアワークス的にもラッキーだろーから(とはいえ佐藤藍子ブレイクしたけど映画は当たらなかったから映画ビジネスは難しい)、あるいは超新人なんかが密かに統和機構によってピックアップされてるかも。

 妄想はさて置いて今月1番のニュースとも言える「次世代プレイステーション」の発表会は、名称が「プレイステーション・NEXT」に決定し、「ドリームキャスト」の向こうを張ってOS(基本ソフト)には「ネクストステップ」を家庭用ゲーム機としては初めて採用してあって、マルチタスクでGUIもウィンドウタイプとクリエーターでもプログラマーでも非常に使いやすい環境に仕上がってる、って大嘘です。嘘ですがしかしフロシキの下から本体が仰々しく登場した時に、ここ6、7年のパソコン業界を見て来た人なら黒くて薄くて毛の生えた、いや毛は生えてないけど表面がラジエーターみたいな凸凹のデザインになってて横に寝かせても立てても使えるそのデザインを、まるでスティーブ・ジョブスがアップルコンピュータをたたき出されて泣く泣く作った「ネクスト」のワークステーションにそっくりじゃんと、きっと思った事だろー。ををマークのデザインまで「ネクスト」に見えて来たぞ。

 正式には「プレイステーション2」と毒にも薬にもならない名前に決まった次世代PSは、久多良木健社長がパソコンにもゲーム機にも家電にもならないデザインと言った割にはちょっと格好良いパソコンっていったデザインで、今までのフタを開けてソフトを入れる方式から、トレイに入れて出し入れする方式になったこと、USBにPCカードスロットにi.LINKってな外部端子が取り付けられていることが、パソコンっぽさをますます強める材料になっている。2001年を目標に主にケーブルテレビの回線を使ってらデータのダウンロードを出来るようにするってなアナウンスがあって、久多良木さんが大嫌いと言っていた「情報家電」としての顔が現行「PS」よりかなり前面に出ているよーな気もする。懸案だったDVDビデオの再生機能も搭載して、「ドルビー」に「dts」のサウンドフォーマットもサポートしてて、これで「ゲーム機」と言ったらJAROから訴えられちゃうくらいの内容盛りだくさんなマシンになってしまった。

 39800円とゆー値段は現行PSが発売された時と同じで「自分なら買いたい値段」とピッタリだったからとりたてて驚きはなかった。いやこの値段で流石にDVDビデオの再生機能を付けるとは思ってなかったから、その意味では割安感を若干なりとも抱いたか。とはいえことゲーム機としては現行唯一の「次世代ゲーム機」とも言える「DC」が29800円から今では19800円と半分以下の値段で販売中。もちろん性能面で「PS2」と比べることは無理でぐんと落ちるけど、高性能のゲームを遊んでときどきネットにつなげてみて、ってなユーザーにはおそらく出して良い値段がことあたりって気分がする。むしろライバルとして戦々恐々なのが、4万円とか6万円とかってな値段でDVDプレーヤーを打ってる家電メーカーで、「ドルビー」「dts」サポートで最新のゲームまで出来ちゃって通信にも対応しそーな39800円の「DVDプレーヤー」として勧められたら、お値打ち好きの名古屋人に限らなくってもついついそっちに手を伸ばしたくなるだろー。

 もちろんソニー本体もDVDプレーヤーを出している訳だから、果たしてどーゆー手打ちがあったのかは実に興味のあるところ。記録媒体の紛争でもソニーが担ぐ「メモリースティック」を使わず現行PSと同じ「メモリーカード」の容量をアップしたバージョンを使えるよーにしてある点に、SCEIとゆー会社のソニー内における発言権の高さ、期待度の高さが垣間見える。あるいは情報がどんどんとデジタル化する中で、あらゆるデジタルデータを差配する”ステーション”として、ソニーグループが上げて「プレイステーション2」を認めそこへとフォーマットを集約していく現れなんだと穿った見方もできなくもない。地位向上の代償は「ゲーム機」としての確固としたアイデンティティーの崩壊だけど、京都で「軽薄短小」を標榜してより「ゲームらしさ」を追究しよーとする会社があるんだから「ゲーム」はそっちに任せて、別のもっと広いジャンルと市場を包含する「コンピューターエンターテインメント」の世界を「PS2」で、あるいは「PS3」で追究しよーとしているんだとしたら、それも正しい選択なだと言えるだろー。

 そりゃソフトだって忘れちゃいない。ナムコのリッジに鉄拳にコーエーの決戦にSCEIのグラン・ツーリスモとそれぞれが圧倒的にリアルなCGを引っ提げて今までにないゲームの世界を与えてくれる。スクウェアってゆーかドリームファクトリーが制作の「バウンサー」ってソフトも乳揺れにポリゴンの余裕の高さが見えて(見るなよ)完成の暁への期待を強く抱かせる。けどそこまで綺麗にせんでもってな古い感覚がこちらに残っているのも事実で、見ているとそのキラメキぶりに目がチカチカし、重量感の無さに非現実感を覚えて感情移入できない可能性もデモをちらちらと見た段階では感じてる。そんなゲームが物語は一方通行だけどアナログな絵が目に馴染んで値段はおそらくは半額以下なビデオと同じプラットフォーム上で戦うことになるわけで、テレビのチャンネル争いからテレビの端子争いを経て今は同じドライブの上で別のパッケージどうしが居場所を争う状況を、ゲームが勝ち抜くためには相当なインパクトが必要になるよーな気がする。

 隙間を塗ってソニー・ミュージックエンタテインメントが「ラクル・アン・シエル」のPS2向けタイトルを発表したりと、ライトなユーザーが高スペックながら安価な「DVDプレーヤー」でマルチメディアなミュージシャンのソフトを楽しみときどき流行りもゲームもする、ってな状況を予想させる動きもあって、こーゆータイトルとも斬り結ばなくっちゃいけない「ゲーム」の苦闘も予想される、がそれでもそんな戦いを勝ち抜き「エンターテインメントの王様」として21世紀にゲーム業界が君臨するための、今が1番苦しい時と発憤して前代未聞なゲームを送り出し、ビデオもネットも凌駕してすべての「PS2」ユーザーが持つ「PS2」のトレイをゲームが埋め尽くす状況を作り出して頂きたい。発売日は平成12年の3月4日で「1234」を踏襲しやがる茶目っ気も。「午前5時に売ります、というのは冗談」と久多良木さんは言っていたけど、当日はきっとどっかがやるな、5時67分販売(んな時間はねー)。


【9月12日】 幾原邦彦さん永野護さんのスーパークリエーター2人が何かの因果で手を結んだ「シェルブリット 1」(角川書店、1000円)を読了、異星からの遺伝子技術をとりいれて宇宙船にまで進化してしまった「ジーンライナー」に遺伝子改良を施したアーヴみたいな美形揃いの両性具有の「ジーンメジャー」、そして昔ながらの人類で数ばっかり多い割には特権はジーンメジャーに奪われ最下層であえぐ「ジーンマイナー」の3つの人類が共存している通り未来の宇宙が舞台になっていて、わずか数ページをめくるだけで説明も前提もなしに固有名詞が頻出する展開は、巻末の緻密な用語集を首っ引きで読んでいかなくっちゃならず最初は結構とまどうかも。まあ「ファイブスター物語」でも設定から入ってマンガを後付けしていく永野さんお得意の手法だから、飛ばして概略理解した上で細部を詰めて再読、再々読していけばそのうち理解できるでしょー。

 マキャフリィの「歌う船」シリーズでも大原まり子さんの「銀河ネットワークで歌をうたったクジラ」でもなく純粋に人間が進化を遂げた形としての宇宙船ってあたりに設定のカナメがあるみたいで、そんな宇宙船が生み出したらしー「シェル」って呼ばれるデザインだけならまんま「ブレンパワード」な雰囲気の人型機動兵器に乗って宇宙空間でライバル企業のシェルと戦う美少年オルス・ブレイクを主人公に据えて、コンプレックスのカタマリのよーなオルスが自らの出生をひた隠しながら「卵の殻を破って」外へと飛び出そーとする物語に、生きている船がどー絡んで来るのかが目下の最大の関心事だったり。宇宙船どーしのエッチとかってばあるのかな? 亀よりの歩みのノロい「ファイブスター物語」にならわずサクサクと次を刊行してかつしっかり完結させて下さい。

 本八幡の場末感漂う映画館に「マトリックス」を見に行く。何が場末感って緞帳に書かれているのが「中国ファンドは山一証券」ってあたりに思いっきり華やかかりしキネマの天地が見えるでしょー。予告編では「秘密」で見せる広末涼子のミニスカートのチラとブランコのシーンに原作がどーとか言った非難をすべて却下し「おっけえーーー」と叫んだのは言うまでもない、って実は原作まだ読んでないんだけどね。同じく原作のファンから非難轟々の織田裕二主演による「ホワイトアウト」も場所と天候を一切無視して単なるアクション映画として見れば、観客から「カッコいいねー」と上がった声に匹敵するだけの内容と動員は期待できそー。絵で見せる映画って絵に萌えられてナンボってところもあるからなー、ってこっちの原作読んでないからなんとでも言えるんだけどね。

 さて「マトリックス」はストーリーだけならどこかで読んだことのある「揺らぐ現実、実は」的なディストピア物で最後まで予想どーりの展開で小説にするんなら最後に「トータルリコール」的どっちがホンマやんねん風ヒネリが欲しいところだったけど、映画は絵ってさっきも言ったとーりに特撮も合成もアクションもキャストもすべてが圧倒的なビジュアルが、ストーリーへの既視感を超えて迫力を生み興奮を歓喜してスクリーンから瞬時も目を離れさせない。予告編でさんざん見た弾を避けたり壁を走るシーンもストーリーの中で必然として現れなおかつそれを超えるまるでディオのワールドみたいな展開がラストで繰り広げられるに至って、気分は一気にクライマックスへと達する。オラオラオラオラってな擬音があったらもっと迫力あったかもなー、あとズゴゴゴゴゴゴゴゴッってな音を描き文字付きで画面に入れるとか。

 キアヌ・リーブスはともかくも女優のキャリー=アン・モスに一目惚れ。顔こそオバさんっぽさが漂いハリウッド的な女優からはちょっと離れているけれど、全身を黒のレザーで包んだ姿態に黒いサングラスをかけ頭ナデつけて闊歩する姿のモデルあがりだけあって何と美しいことか。彼女を含めて1人だけ白で他は全員が黒い格好に身を包んで部屋に陣取ったシーンの目を見張る格好良さはは、いくら文章で書き重ねようとも絶対に出せない。さすがに短足単身かつ太めな自分がキアヌ・リーブスよろしく黒のレザーパンツにロングコートに黒Tシャツで真似しても閉まらないことこの上ないけど、似た体型の人が10人20人集まって歩けばギャグも限度を超えて芸術の域に達するはずなんで、何かの機会に全員が黒づくめに黒サングラスで黒電話を囲んでダンマリ決め込んでるって「マトリックスの部屋」でも付くって入って来た人の度肝を抜いて遊びてー。「MYSCON」でやんない?

 噂には聞いていた竹本健治さんと仲間たちによるマンガ「入神」(南雲堂、905円)を購入、パッと身に大昔読んだいくたまきさん(「アブナーズ」!)風な線の少ないサラ髪ダル目の主人公の顔立ちと、まるで画風の異なる出演者やら背景ヤラのギャップをながめて、これも大昔に読んだ「作画グループ」の合作マンガなんかを思い浮かべてみたけれど、マンガは絵でもあるけどストーリーも肝心ってことで気を取り直して読み始め、その上っ面からは予想してなかったくらいにハードで深淵な「囲碁」をめぐる物語が描かれていることに、度肝を抜かれて目を開く。

 最近でこそ「ヒカルの碁」のヒットで将棋マンガに押されがちだった中から囲碁マンガの押し返しが始まってはいたけれど、現実にも存在する棋界を舞台にプロ棋士たちの一般を遥かに超えた能力の、さらに上を行く天才たちの人智を超えた戦いぶりを描いたストーリーに、神の存在への疑念と核心が浮かび上がっては読者の心は強く揺さぶられる。一見ちゃらんぽらんでけれどもこと囲碁の才能にかけては本因坊の主人公をも超える少年桃井のキャラに、将棋界の怪童丸こと故・村山聖9段を思い浮かべたら、あと書きでもモデルは村山9段と書かれてあって、唐突に訪れたその死を強く惜しんだ者としてミステリー界に村山の名前が伝わり関心を持たれることは有り難い。ラストの1枚に描かれた神を背後に絵を描く桃井=村山の姿に作者の追悼の気持ちが見えて嬉しくも哀しい。改めて合掌。絵はどーでもミステリーでなくてもストレートな囲碁マンガとして最高の部類に入る傑作。碁や将棋を知ろうが知るまいが読め。


【9月11日】 リムル・ルフト、ショット・ウェポン、シーラ・ラパーナってな名前を思い出しつつNHKで放映されてた羽生善治4冠王が10人の刺客と戦う特別企画を観賞、プロ棋士どうしの対戦の投了図から投了した側を持って羽生4冠王が芸能界の将棋好きらと戦う趣向は、それでも圧倒的な差し回しぶりで瀕死の局面を打開し最後は逆に相手を詰んでしまう展開に、あらためてプロ棋士の読みの深さ、わけても羽生4冠王の強さのすさまじさを見る。同じプロが投げた場面をパッと見せられ投げずに次の1手を打つ、そのスピードは瞬間的に局面を理解するからなのか、過去の棋譜が頭に入っているからなのか。どっちにしたってプロならではの凄さ、ですが。

 合間に浮気してクライマックスへと至る「千年王国三銃士 バニーナイツ」を久々に観賞、栗林みえちゃんを除くメンバーがバッタバッタと斃れていく「皆殺しの富野」も吃驚の展開に、スタート時のラブコメチックだった展開に見るのを止めた人は不幸せであるってなセリフを思い浮かべつつ、カット・バックなのかそれとも大きな展開があったのか謎な次回予告に一段の盛り上がりへの期待を抱く。

 戻ってNHKで放映されて羽生4冠王と10人の刺客との対戦は、まだ小学生っぽい沙織ちゃんて女の子の棋士までもが羽生4冠に逆転されてしまった展開に改めて羽生の強さを実感しつつ、小学生の癖してナマイキな口を聞く唇がピンキッシュでピンクにそまった沙織ちゃんの可愛い顔に真夜中の神経を高ぶらせる。結局は10人が全員敗北。前回の9勝1敗から成績を落として当然のところを逆に上げてしまう羽生の、顔や言動に似合わない負けず嫌いなんかを見た思いがする。どーでもいーけど不細工に成金ばかりを作って働かせずにジタバタとあがいて最後は負けた岡田裕介プロデューサーの、軸に書いた豊富が「鉄道員(ぽっぽや)魂」ってな言葉にこーゆー場に来て宣伝に走る態度のあさましさに眉を顰める。将棋って性格、出るんだなー。

 残暑見舞いも必要なくらいに暑さの残る東京・九段下から武道館脇を抜けてテクテクと歩き、技術館で開かれる「ホシヅルの日」をのぞく。地下のホールまで階段を降りて受け付けで振込用紙の半券を見せて入場し、縄で仕切られた関係者席のすぐ後をとって開場までの時間をロビーで本を読んで潰していたら長身の高千穂遥さん、らしき人とかが歩いてたりして「SF」関連イベントだなってことを改めて実感する。スタート前に着席してるとさらに野田昌宏さん豊田有恒さん柴野拓美さんといった日本SFの黎明期から存在する人たちの姿も見えて「SF度」はいっそうの濃さを増して会場内に立ちこめ、あらためて今回のイベントの主賓、とゆーか偲ぶ対象となった星新一さんの遺徳の高さに恐れ入る。

 いよいよスタートした「ホシヅルの日」は「SF大陸」へと舞い降りるホシヅルの姿を描いた米田裕さん製作のオープニングCGに確か続いて、我らが新井素子姫と黒マントこそ着てなかったけど昼間なのに黒いタキシード姿で登場の井上雅彦さんが登場し、まずは発起人だかの小松左京さんが体調不良で来られなかった代わりに寄せた手紙を読み上げたり、星さん縁の人々へのインタビューを見事につなぎ合わせたビデオを流したりして、生前の星さんがどんな人だったかを改めて集まった人たちの前に紹介する。原子力研究所へと出かけた「日本SF作家クラブ」のメンバーによる社会見学の珍しいフィルムとか、柴野さんが外国人に向かって「ホシヅル」を説明する場面とかってな珍しい映像を見られたのが印象的。小松さん太ってるし星さん髪黒いし筒井さん二枚目で間に積み重なった時代の厚みを改めて強く感じる。若いわ皆さん。

 パネルディスカッションの第1弾は前出の「第1世代」に属する人たちがデビュー前後からSF作家クラブへと至る星さんの語録なんかを巽孝之さんの司会で紹介。トップバッターの柴野さんが「誰よりも早く星さんとつきあったのは自分でした」と偲ぶ言葉で口火を切り、続いて野田さんが相変わらずの野田節で「何か言うだけで輝きのある人だった」とその強い存在感、高い才能を指摘。1970年だかに開かれた米ソのSF作家が日本で初会見した国際シンポジウムの開場で、やはり今は亡き深見弾さんがソ連作家の記者会見の準備をしている会場に来た星さんが、ソ連の作家が国後択捉の返還を約束したってなことを記者に向かって言えばといって深見さんを慌てさせ、あらに当時流行ってて会場にも来ていたらしー「イエイエ」なレナウン娘を1人1人ソ連の作家にあてがって、歯舞色丹までも返還させると言わせろとか言ったとかってなジョークを畳み掛けたエピソードを披露して、噂には聞く強烈無比な星語録の一端を結構来ていた若い人たちに紹介する。

 野田さん曰く「皇室ジョークなんかもたくさんあった」そーだけど、場所が皇居の目と鼻の先っことで披露はせず、代わりに豊田さんとかがやっぱり国際シンポジウムでの「日米ソ三国防共協定」締結ジョークとか、日本が中国からもらってくるパンダが3年で死ぬのはあらかじめ少林寺拳法の技が仕掛けられてて3年で死ぬようになってて、それは日本人は次のパンダを欲しがるからその度に援助を引っぱり出せるんだとゆー中国の陰謀が背後にあるためってなジョークとかを披露してそれでもやんやの喝采を浴びる。野田さんがパネルの2巡目で「キャプテン・フューチャー」を翻訳した時のエピソードで、対面に座っている柴野さんあたりが渋い顔をした時に星さんが「火星人ゴー・ホーム」以来のエンジョイした作品と誉めてくれたのが励みになったとゆーエピソードを披露しつつ、それでも「スクエアな柴野さんとショート・ショートの星さんがいたからこその宇宙塵」とかってな話で柴野さんをフォローしていたのは野田さんなりのバランス感覚か、共に時代を越えて来た同志意識に依るものか。

 プログラムはまだまだ続き、星さんの「はなとひみつ」とかってな原作を人形劇にした「花ともぐら」を上映し、人形アニメーションの人形なのに豊かに感情を表現するテクニックの凄さと今より随分若い筈なのに変わっていない岸田今日子さんのふるえが来る声に堪能し、また「ホシヅル」をモチーフに古今の著名な漫画家さんらが描いた数々の「ホシヅル」をまとめて一挙上映し、サイボーグ009のテーマソング(古い方)に乗って、9人のサイボーグの目を持ったホシヅルが映し出される吾妻ひでおさんの作品のバッチリなタイミングに感動してと、星さんづくしの時間が着々と過ぎていく。そしてパネルディスカッションの第2弾。新井素子さん大原まり子さん高井信さんらと「ショートショートランド」出身の太田忠司さん江坂遊さん井上雅彦さんらを迎え、突如として髪ベッタリとナデつけスーツを纏って香港あたりのボンボンのディナーってな雰囲気もあるかもしれない風体を披露してくれた星敬さんを司会に星さんから受けた薫陶の数々を各自が披露していく。

 ここで仰天したのが話した内容じゃなく壇上に上がる時に大原まり子さんが日本SF作家クラブの会長に選任されたって紹介されたことで、まーキャリア風格体格を考えれば不思議じゃないけれど、デビュー前後からリアルタイムで読んで来た人が歴史と伝統と格式と権威に満ち満ちている団体のトップに治まるよーになるほどに、時間が積み重なっているんだなーと改めて自分の歳を実感する。大原さんが会長でどーなんだって聞かれても、日本SF作家クラブと関わりもなければSF業界やSF作家との直接の深い接触もない一介のファンに過ぎない身ゆえ、個人的にはとりたてて感想はなし。あえて言うとしたら業界団体のトップにありながらも自社のメリットばかりを考えて独善的だと同業から非難されるゲーム会社のトップの人みたく私利に走らず自分の趣味ばかりを通すこともなく、愚痴を眼前で言い切る野田さんと柴野さんみたいな黎明期の同志的結合は無理だとするならなおさら客観的に広く「SF」のために尽力して頂ければ幸いかと。

 しかし登場した人たちが一巡したくらいで終わってしまうパネルってのもなんだか。それと追悼だから仕方がないかもしれないけれど、毒舌を持って鳴った星さんを偲ぶんだからそれこそ3歩離れたらいないものと思って罵倒するSF界の伝統にならって、明るくクールにワルクチを言い合ってシンミリとした気分を吹き飛ばすくらいの軽いノリが欲しかったって気がしないでもない。緊張してたのか地なのかパネルの星さんの喋りはぎこちなく、場慣れしているのか単なる地なのか新井さんの闊達な喋りが全体を通して印象に残ったかな。あと星さん小松さん筒井さんを読んで「非A」からワイドスクリーン・バロックへと至ったと話した大原さんも含めて、星さんの作品に自分の居場所はここだと感じた人が多かったことも。

 けれどもこれもイベントで披露された話で、第1世代の豊田さんとか平井さんたちが何かと話題になった「SFマガジン」の匿名座談会でケチョンケチョンに痛罵され、怒って早川書房を何とかしよーぜって話し合ってた時にやって来た星さんが、「飼い犬に手を噛まれるってのはあるけど飼い主に尻を噛まれる犬ってのは初めてだな」と言ったのを聞いて、気を取り直し痛罵を発憤材料としてその後の現在へとつながる活躍へとつなげた事に比べると、居場所を感じてやって来た人たちがあまり居場所としてハマり過ぎているのか強く固く結束している一方で、批判を論争にはつなげても時代を震撼させるような創作につなげてくれないのは、長のSFファンとして残念な気がしないでもない。論争も悪くはないけどやっぱり小説が売れて話題になってこそ、だからなー。まあSFは個人が感じるスピリットであってカテゴリーじゃないからホラーがサイファイでもベストセラーになってくれれば良いんだけど、それが日本SF作家クラブ員じゃないってのはやっぱり悔しくはありません?

 イベントは歴代星さん作品から投票で選んだベスト3の発表へと移り、第3位に6票で「午後の恐竜」が入り2位は11票の「ボッコちゃん」、次点で「鍵」と「処刑」が入って最後に26票を獲得して1位に輝いた「おーい、でてこーい」を、しりあがり寿さんの絵をバックにして市毛良枝さんが朗読して全プログラムを終了、2時間ちょっとながらもそれなりに内容のある、ファンにとっては有意義な時間を過ごすことができて準備に頑張ったスタッフに深く強ーく感謝する。終了後は非ファンダム上がりの1ファンゆえに暖める旧交もなければ、人見知りの激しい性格ゆえにもともと少ない知り合いの姿も皆目見えず見えても顔を覚えるのが苦手なんでダンマリを決め込み、ステルスよろしくとっとと会場から退散する。帰りの電車は幾原邦彦監督と永野護さんが手を組んだとゆー「ジェルブリット 1」(角川書店、1000円)を読書。ふーむこれは結構イケるかも。


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