縮刷版98年2月中旬号


【2月20日】 1時間目は「ホームページ、こんなに簡単にできちゃっていいかしら」の授業。マクロメディアの人が来て、写真はJPEGで文字はGIF(逆だったかな)に切り出してペキペキと加工してホームページのトップ用の画像を作ったり文字を装飾してド派手にしたりってなソフトのデモに見入る。あと作ったページのディレクトリ構造を例えば1つのフォルダを別のフォルダへと放り込んだ時に、リンクが切れてしまう部分を自動的に検出して直してくれるソフトとかの実演も。をを世の中はこんなに進んでいるのかと驚くものの、画像は最小限よりさらに少なくファイルはすべて同一ディレクトリにベタ置きな自分には、まったくもって無関係な話だったりするので朝も早かったし眠くなる。

 2時間目は「クォーク・エクスプレス」って別に物理学でも科学でもないDTP用ソフトをエクステンションするいろんな機能を紹介する杉山久仁彦さんって人の授業。けどレイアウトがどうとか文字詰めがこうとか「クォーク」からはPDF化が難しいとかいった話も、実際にDTPをやっている訳じゃないから無縁な事この上なく、また喋り声がもっさりとしていてこれまたやっぱり眠くなる。しかし雑誌の人とかってこんなにムズかしいソフトを駆使して毎月毎週編集作業をしているのかと思うと同情に涙。加えて機能の拡張用のプラグインにはお金がかかり、バージョンアップにもさらにお金がかかるまるでヤク中のよーな状況に、皆さん耐えているんですねえ、ご愁傷様とハンカチで目頭を抑えてもらい泣きする。ウヒャウヒャ。

 3時間目はアドビな人と大日本スクリーンな人のお喋り。お題はどーやら最近の印刷業界とDTPの現状って事らしかったけど、仕事の対象として印刷業界の動向や電子出版の未来に興味はあっても、やれPDFがどうとかPGMLがどうとかいった話はPDFの開けない環境にあり、かつ画像とも無縁の身ではおおよそ興味が湧かない。いわゆる「クロスメディアパブリッシング」でPDFが主流になって行くんじゃないかとの話によれば、100ページの文書を配布するのにHTMLだと100ページ分のファイルが必要で写真なんかのファイルも別にリンクされていて、ってな構造だけどPDFだとテキストと画像とそしてページの構造自体もカタマリになっているから、フォントの問題はあるけど(それも添付する形で解消可能)配布するのには楽みたい。って聞くと「なるほど」と思うけど、とにかく開けないものが嫌いなんで意見は意見として受けつつも個人的には却下し寝る。

 4時間目になると賑わっていた展示場からも人がぞろぞろと帰りだしているのが見てとてれ、今年は盛り上がった「マックワールド/東京’99」もいよいよ終わりでさて来年もちゃんと開かれるのか、あるいはちゃんと開かせてもらえるのかと私的公的な立場から考えてみたりもするけれど、プロジェクターでパソコンを駆使したプレゼンテーションの画面を映しながら「これを使うとこうなります」ってな感じで進められるカンファレンスを、文章にまとめろそれても1時間15分の内容を原稿用紙2枚に、なんておよそコンピューターな世界を知らない人の思いつきとしか考えられない無理難題への憤りもあって、別に無くなっちゃっても構わんさ僕には秋葉原があるんだから、なんて思ったりする当たりが僕ほんと実にサラリマンしてませんわ。

 で授業はアップルな人の大宣伝と(ポータブルは99年中にやっぱりちゃんと出る、らしい。けど文字どおりのポータブルなのかはアップルだから不明)、フォーカルポイントのおっさんのこれまた「この文字に泡のエフェクトをかけるとこうなって」「雨だと」「霧だと」ってな目で解る授業だったので途中で退席。まま新宿に向かおうとも思ったけど、疲れたし時間から見て急いで返れば毎週楽しみ(まだ嘘)な「神風怪盗ジャンヌ」の放映に間に合うんで、海浜幕張駅から2台分がつながった尺取虫みたいな長いバスに乗って総武線の駅へ戻り、途中の交通渋滞でヤキモキしたけれどなんとか開始1分前には自宅へと帰り着く。生オタキングより美少女アニメの誘惑が勝るとは、僕もまだまだ若いなあ。

 しかしテーマソングの派手な割にはジンとこない「SHAZNA」といい、エンディングのカッコ良いんだけど覚えにくい東芝EMIが他社に負けじと売出し中の「PIELOT」といい、ビジュアル系を使った割にはインパクトに乏しい音楽には未だ違和感が。本編もキャラが類型的でストーリーも感情の起伏に乏しくでらー、っとした間に事件が起こってむわー、っとした間に事件は終わってしまいワクワクできない。でもまあ、短いスカートに新体操のレオタード姿といい、あからさまに謎を秘めてる妖しい兄ちゃんの登場といい、隠し味な要素はまだまだありそーなんで今はとりあえず見続ける事が肝要か。某セラムンだって亜美ちゃん登場までピンと来なかったし。早く「魔法使いTai」始まんねえかなあ。


【2月19日】 「ヤメタランス」は2つ出るのが神話らしーけど、「MONOマガジン」は立ち読みで住ませて田中宇(さかい)さんて間接的に知っている人の初めての本となる「神々の崩壊」(風雲舎、1600円)が出ていたので買ってみる。ネットからデビュウっても今さら珍しくもないからその点での話題性はやや減殺されるとは言え、元共同通信社の記者で会社を辞めてネットで書いていた国際情勢リポートが目にとまってマイクロソフトに入社して、「MSNニュース&ジャーナル・ウェブサイト」からメールマガジンを発行してその数実に12万部に達しているとゆー、男だからシンデレラじゃないけど成長神話を体現してしまったって意味では、やっぱりそれなりに注目される経歴だろーね。

 本に入っているのはそんなメールマガジンに書いて来たいろいろな記事だけど、中に共同を辞めた来歴も書いてあって同業としてなかなかに感じる部分がある。それはいっぺん辞めるといった共同にもう少し勉強したいからと残ったもののペナルティとして関連会社の株式会社共同通信社(本家は社団法人なんですね)へと飛ばされて「座敷牢」とも言える外電を翻訳する部署へと移った、勇気がるとも無謀だとも思える経歴だけでなない。むしろ「座敷牢」で外電を読むうちに明日の発表を今日抜くことに血道を上げて、背景の分析を疎かにしがちな日本の報道姿勢に違和感を持ったと言うことの方が、読者ではなくデスクであり上司でありライバル紙を思い浮かべて記事を書く、現代新聞記者気質を端的に現して、「よくぞ言った」の感を抱く。辞めた人が言っても状況は変わらないんだけどね。

 それと中に新聞記者が会社名とか名前とかを明らかにして、ホームページを作ってうりゃうりゃとこぼれ話を書いたりする事を禁止している会社があるって書いてあって、当たり前だよ新聞記者は紙面で勝負すべきだよ、なんて夢にも思わない人間でありかつ疎んじられてはいるんだろうけど、面と向かっておおっぴらに圧力を受けた事のない人間として、一般的な新聞社じゃーそんな事になっているのかと不思議に思う。

 じっさい大手の会社にいる人のページって見たことがなく、あるとしたら自分と同じ目ん玉な会社の人とか、東京新聞の支局長さんとか時事通信の支局の人とかが作っているページくらい。もちろん大きな会社の人ってそれだけ競争も激しくってページを作ってる暇なんて無いんだろーけれど、かつての「正義の味方」が今では「権力の走狗」とすら思われてたって反論できない部分もある、メディアの人も人間味にあふれてるんだって事を、思わせる意味でも個人ページでの発信は奨励した方が良いように思うんだけどね。「新聞記者ってヘンタイでおたくだったんだ」と思わせるページも時にあったりするけどね。

 しかしメールマガジンで12万はちょっと凄い。森山和道さんの科学者インタビューシリーズはようやっと1万1000を超えた所で、相手が巨大なマイクロソフトの傘下で展開している事に比べれば、森山さんの方は個人がやっているメールマガジンとしてはメジャーな域にあるんだろーけど、実数を並べると10倍の開きがあるってのはやっぱりちょっともったいない。もっとも例えば山形浩生さんがロッキング・オンの雑誌「CUT」の連載で森山さんのメールマガジンを紹介してたりするのを読むと、紙メディアでのピーアールを経てブレイクへと向かう、その為の踊り場にあるんだ言えるのかも。当ページが例えばメールマガジン化したら、せいぜいが3桁か良くて4桁に届くって所だろーから、それでも1万って数字は十分に凄いんだけどね。もっとも送りつけるだけの正確さを備えてないんで当ページのメールマガジン化は多分ありませんので、小さな文字を苦労してスクロって下さいな。せめて毎日の更新は心がけますによって。

 やったぜ20万点突破だと「ワンダースワン」の「GUN PEY」で大喜びしつつ「最悪」(奥田英朗、講談社、2000円)を読了、一気呵成な盛り上がりを期待していたらすんなりとちょっぴりもの悲しくも当たり前の展開にやや肩すかしを喰った感じ。それでも肌身に迫る恐怖ってんでしょーか、最悪な気分になってオゾオゾとさせてくれる本として、今の不景気に失業なんかを思ってびくびくしている小市民なお父さんやお兄さんが読むと、反感と共感の狭間できっと身悶えする事でありましょー。

 次に楽しい本はないかと物色して買ったはジェイムズ・アラン・ガードナーの「プラネットハザード」(ハヤカワSF文庫、上下各620円)。中身はともかく表紙が寺田克也さんで可愛くないけどカッコ良い。まんま海外に持っていっても通用するかと思わせるくらいの迫力が、果たして中身にまでも及んでいるのかそれは週末のお楽しみ。とは言え明日は幕張で1日カンファレンスのリポートだし、夜は時間があったら「ロフト・プラスワン」に出没の可能性。移動の時間は目指せ30万点で忙しいだろーから或いは月末かそれとも毎日が日曜日な暮らし突入後になるかもしれんあー。3月2日に向けて仕事もしなくちゃいけないんだけど、発表することを抜いて喜ぶだけの甲斐性もないから、そっちはあんまり関係ないか。やっぱり毎日が日曜日行きかなー。


【2月18日】 エッセイ集「B型陳情団」(講談社、1000円)で颯爽と世に出るかと思ったら決して大の付くベストセラーにはならず至福の時間を数年間。もう一昨年の事になってしまうのか、初の小説として浅田次郎御大の推薦文句までもらって刊行し、今は亡き初代「週刊アスキー」にも取りあげられながら、「ウランバーナの森」(講談社、1600円)もやっぱり今ひとつに終わった奥ちゃんこと奥田英朗さんにも、いよいよ文壇に撃って出てかつ旋風を巻き起こす機会が来たかと、最新刊の「最悪」(講談社、2000円)を読みながらウムウムと頷く。

 と言っても読んだのはまだ事件が大きく動き出す直前のだいたいページ数で半分くらいの所までで、それでも町工場の経営者と銀行の支店窓口の女子行員とヤクザに金を脅されているチンピラの3人が、暮らしながらぶち当たる様々な「最悪」を描いていくその手法及び文体に、容易ならざる筆の冴えを感じてこれはおそらくは評判になる、いやならないはずがないと確信した。もちろんかつて知ったるファンだから、手に取り読み始めたって事もあるだろーから、火がつくまでには時間がかかるとも覚悟してたけど。

 ところがどっこい。そんな事を思っていたら、今日発売の「週刊文春」で香山二三郎さんが「ミステリーレビュー」で取りあげていたのがこの「最悪」。でもって記されていた評価が星4つと1/2とゆーほぼ満票に近い絶賛で、かくして道は開かれりと「MONOマガジン」は「モノモノしい話」の頃からのファンとして、苦節のきっと10年以上は経ってるだろーその文筆活動の経歴に、ようやく景気より早い春が来たぞと密やかながら心の奥底で喝采を送る。

 「新人作品」なんて称号は古手のファンには余計で逆に遅いくらいだってな憤りも感じるし、こと小説に限ってもすでに「ウランバーナ」があるのにと文句の1つも言いたくなるけれど、どこかファンタジックな雰囲気の漂っていた「ウランバーナ」から一転しての、完全なる犯罪小説としては新人と言って言えないこともないから、ここは折角の推挙を良しとして溜まった鬱憤一気に晴らし、角川には馳がいるが講談社には奥ちゃんがいるとの雄叫びを、あげて更なる新作の執筆そして刊行へと至って頂きたい。「MONOマガジン」の今も続いているエッセイも忘れずにね。

 誰の趣味だか「SPA!」の冒頭「今週の王道」で登場したのはアニメソングの林原めぐみも足下にひれ伏すであろー大女王こと堀江美都さん。41歳でおまけに現役生活30周年とあってそのキャリアの深さに驚嘆するも、写真の愛くるしい目にスラリと伸びた脚線美、その脚をかくも覗かせるに至った短いスカートに白いブーツのスタイルに、歳考えろよなんて絶対に言わないただただ深く感じ入って、「ララベル」(でよかったよな)あたりでいったんは頂点を極めた感のあった堀江ミッチー愛(ラブ)な気持ちを、再び燃やさんとマッチで心臓に火をつける。写真集出たら買います、ヘアヌードありなら絶対、なくてもやっぱり絶対、魔女っ娘のコスプレでも全然オッケーっす。

 林檎可愛や可愛や林檎。林檎林檎林檎の祭典に幕張メッセへと出向くと会場の前にあるホールめがけて長蛇の列が出来ていて、これが噂のスティーブ・ジョブス暫定CEOの姿を人目見たいと全世界(は大袈裟だけど)から集まった林檎教の信者たちかと、カメラを向けてその行列ぶりを写真に収める。あるいは今年を頂点にして再び坂道を滑り落ちるかもしれないアップルにとって、最後の花火かもしれないから、撮っておきさえすれば時代を証明する写真になるかもしれないでしょ。だって実際に展示会場の方へと入ると目をひいたのは「iMac」と「G3」と周辺機器とってな程度で、これだったら秋葉原あたりのショップを回れば来て見て触ってマックなお店のサービスを、タダで受けられるじゃんと思うと同時に、折角の展示会に今をチャンスと世界征服の野望を実現させられるよーな新機軸のなさが、銀河系制服すらなしえそーな窓の奴等の勝利を誰となく思わせてしまうんですね。

 聞くとジョブスは日本じゃ初ってゆー基調講演の席上でも、プレイステーションEMUの話はしても「Bigin」が荻窪圭さんらを動員して立てさせた、可能性によっては2月18日(って今日じゃん)の発表すらありうると預言させ想像図まで入れたノート型「iMac」についてはお首にも出さずカケラさえ触れなかったみたい。米国じゃー大幅値下げに5色とそしてデスクトップの投入をアナウンスしてやにゃの喝采を受けたジョブスの、お土産など考えてもなさそーな態度にやっぱり日本市場への思い入れの無さが伺えてしまう。わざわざ来たんだからと有り難がるのも悪くはないけど、わざわざ来なければきっと「マックワールド・エキスポ/東京’99」は見せるもののほとんどない、客は集まっても喜んでもらえない空疎な展示会になったかもしれない。

 展示会場のアップルのブースで基調講演の冒頭だけ見たら、おそらくは「2001年宇宙の旅」の調子を崩してしまったHAL9000らしきカメラだけのコンピューターが、2000年問題のせいで狂ったけどアップルに乗り換えた人は大丈夫だったね的なメッセージを流していて受けていたのが最初の印象。んでもって登壇したジョブスに「iCEO」との肩書きがついていたのもお茶目で面白い。そんなアピール力の高さに今はマッチしている商品ラインアップをいつまで続けられるのか、そこに生命線があるよーに思うけどなあ。いったい全体どーなることやら。でないとウィンドウズ、買っちゃうぞ。


【2月17日】 春麗は美しい事に決定した。いまさらと怒るファンの人コスプレの人の山とおられよー事は承知だが、今日よりスタートの「AOU1999アミューズメント・エキスポ」(って年号が入ると世紀末っぽさが増してなんだかサイケデリックなイベントっぽくなるから不思議)はカプコンのブースで配布していたでっかい紙袋に描かれたペン画に墨塗りっぽいタッチででっかく描かれた春麗様さま様のキツ目な流し目と結んだクチビルのダブルパンチにおじさん頭がクラクラとなる。描いたのは誰だろー? これって安田さんのタッチなのかなー?? よー解らん。

 白い布っ切れで覆った頭のお団子も加えると、衝撃はトリプルどころか3乗増しになって襲いかかり、手首にはめたトゲトゲ付きの腕輪でもって本日発売「週刊少年マガジン」は「人間凶器カツオ」で市村が披露しかけて失敗したバックブローで殴ってと、までは言わないけれども足下にひれ伏し短いチャイナのスリットを割って繰り出されるフトモモで蹴り倒されたいと心底願う。けど絵なので現場に居合わせたコスプレの春麗様さま様にお願いしよーかとも思ったけれど他のキャラも動員しての袋叩きに合いそーだったから諦める。きっとレアなアイティムとして人気出そーな紙袋。いっしょに入っていた春麗様さま様なこちらは胸とフトモモが強烈なポスターともども宝としよー。明日も貰いに並ぶか朝から折良く幕張メッセに行ってることだし。

 広末涼子も美しい事に決定した。ってこれまた今さらの感ありありな文言で、おいおいお前はとうに田中麗奈様さま様に乗り換えたんじゃないのかと文句が各方面から出そーだけど、ちょっと前にわざわざ夢へと出て戴いた(勝手に見ただけじゃん)時からハートはドドキンしてまする(「インセクトマンのうた」より抜粋、記憶おぼろげ)んです。なものだから「ぴあ」の最新号の通販コーナーで見た広末涼子ちゃんを表紙でお馴染み及川正通さんが描いた似顔絵がプリントされた「Zippo」が今んとこ欲しくてたまらないんだけど、2日遅れで見たものだから果たして限定500個が今も残っているのかが心配。あついでに似顔絵のプリントされたパーカーも限定100枚の残りがあるのか懸念してるけど、流石にライターは使えてもパーカーは着られない、着られるんじゃないかな、着るだろーな「SFセミナー」の会場とかで堂々と、いやそれは未定としても残っているのか解らないんで、明日にでも問い合わせてみよー。ゴールデンウイークに水道橋をりょんりょんパーカー来ているオヤジがいたら僕だ。

 酒井彩名も美し……しつっこいから止めた。いや「週刊少年マガジン」のグラビアに登場して13歳のスリムな肢体を惜しげもなく(惜しくもないのか)披露してくれていて、そのサハラ砂漠よりもソルトレイクよりも平らな胸(水着になっても谷間の存在しない少女のグラビアって、アリ?)に髭面をスリスリしたいと思ったんです突発的に。しかし頑張るホリプロ、3月3日発売の号には同じ「h.i.p」メンバーの優香ちゃんが登場の予定でこっちは服を着ても山は白銀、朝日に長い影を作ってこんもりとそびえたってくれてそーだから、近づく春よりひと足早く心をホコホコしてくれそー。おっと3月3日ってアレの日じゃん、ってことでこの日前後に背広(たぶん、でも違うかも)姿のちょんまげが静岡県内に出没していたらそれが僕だ、サインだってするよ、額に「バカ」って描いたげる。

 その「バカ」と描いたがケチの付き始め、いや恋の始まりだった話題のOVA「フォトン」が第6巻のリリースをもってよーやっと完結、前作が出てから実に半年近くを待たせた甲斐あって、あるいは待たせた甲斐もなく最終巻は人によっては大団円のハッピーエンド、人によっては間延びした演出に不要なキャラクターの使い倒しでバッドな気持ちを迎えた事でありましょー。銀河皇帝のまるで巨大になったアヤナミの心が入る直前みたいな虚ろな目玉が絵的に恐ろしいのは良かったけれど、皇帝って割には不思議と喋りにオヤジ或いは江戸っ子が入っててどこかミスマッチ。仰天なドンデンのあったからそれは良しとしても、毎回大活躍な全銀河1の卑怯もんことパパチャリーノ・ナナダンの、シリアスな場面はともかくギャグな場面の潰れかた崩れ方がどうにも安易で折角の高品質さが殺がれてしまう気がして個人的にはイケなかった。キーネの悶える裸体ではイケたけど。何を?

 謎めいた存在だった「ポチ1号」の真の姿が明らかになる割には展開が唐突で分かりにくく、また不思議な運命を背負ったキーネとラシャラ、んでもってキーネの祖父と銀河皇帝との関係が詳説版とか漫画版とかを読んでない人にはきっと全然解らなかっただろーから、これすなわちビデオソフトのみのパワーで世間を驚嘆させた第1巻のあの迫力あの情報量あのテンションあのエロスを、どうして最後までギュウギュウ詰めのまんまで持って来てくれなかったのかと、そんな心残りな重いもちょっぴりしてる。ともあれフォトンがパパチャとの最後の決戦へと向かう展開でのノリはいつもながらの「フォトン」。幻影のアウンのブリっ子ぶりを見て頬を染める実体のアウンに惚れなおしてみたりもあったし、やっぱりながらもしっかりなエンディングに胸のつかえもスッと抜け、1年とだいたい半年くらいの時間を楽しませてくれた、スタッフの人たちよどうも有り難うってな言葉を投げて締めとしよー。で、テレビとか、やんないの?

 おっと春麗から話が大幅に横へとそれてここはアマゾン? それともツンドラ?? 戻ろう「AOU1999アミューズメント・エキスポ」ではあちらこちらで「ダンスダンスダンス」な展開。本家コナミのブースにズラリと並ぶはダンスにDJにドラムにギターといったビーマニシリーズなアミューズメントマシンたち。それを一般の人が入れないから多分プレスかオペレーターの人たちだろーと思うけど、華麗に引きこなし華麗に踊る姿が会場内のそこかしこで見受けられ、仕事といっても本気で評論する人たちは自ら率先垂範が肝要なのかとその熱意に圧倒される。ジャレコの「ビジュアルジョッキー」実演マシンてのも面白そーだったし、ナムコでも例の「バスト・ア・ムーブ」が同じく扱うアトラスと向かい合わせで派手に展示されていた。流行なんだし、やっぱり練習しなくちゃいかんかなー、担当として。でも恥ずかしいから先に家ん中でPS版で練習するか。

 そのPS版「ダンス・ダンス・レボリューション」のデータをメモリーカードに入れて持ち出し差し込めばデータを移せる新型の業務よう「DDR」をコナミが出店。それだけならセガ・エンタープライゼスの全日本プロレスゲーム(馬場さんが出ていてタイミングがビッタシ、不謹慎だけど)でも「ドリームキャスト」と「ビジュアルメモリ」でやる事だけど、コナミの方は聞けば風営法との間で解決しなくちゃいけない課題もありそーな、業務用のデータを抜いて家とに持ち出せる双方向の仕組みになっているんだとか。とはいえセガでも競馬のゲームで育成データを磁気カードに移して、別の店にある同じマシンでも使えるよーにする仕組みを提案してたから、スタンドアロンってーか閉鎖系だったゲームセンターを開放系へと以降させ、新しい楽しみに新しい客を呼び込み落ち込むアミューズメント施設の活性化を計ろうって動きが、いよいよ本格化していく時代が来たって事なんだろーね。


【2月16日】 幸いな事に藤山直美は夢に出てこなかったけど残念なことに広末涼子様さま様も出てこず押し倒せないまま朝。せっかくなんで録画しておいた「宇宙海賊ミトの大冒険」の第7話を見て、まるで「ニュータイプ」の予告どおりに進んでいくストーリーにネタバラシな解説書くなよと勝手に憤る。読まなきゃいいじゃん、って意見もあるだろーけど書きようってものがあるだろう、って主張もあって心の中で喧嘩する。

 もちろん読者の勝ちに決まっているので、先走りせずかつ視聴者の興味をかきたてるよーなあらすじ紹介を心がけてやって下さいな、アニメ雑誌の方々は。しれにしても年賀正月クン変装したらなかなか美人じゃん声もしっかり可愛いし、って女性の声優さんだから当たり前かあ。猫になったシン振り回されて目ぇ回すくらいなら元に戻れば良いのに。いよいよ謎解きも大きく進む次回に期待だけど残り話数のないなかでちゃんとケリつくのか?

 通勤前の忙しい時間を有意義に過ごすと電車を乗り継いで飯田橋の奥地にあるアトラスの本社へ。何でも「プリント倶楽部」を超える新機軸を投入するとかで期待たっぷりに見に行くと、ロビーに鎮座ましますのは何やら巨大な指とも爪とも付かない形状の新型アミューズメント機器。その名も、えっと忘れたまあいいや。つまりは指の爪にインクジェットプリンターで絵を描いてしまおうってゆー目的のマシンで、簡単に言えば簡易ネイルアートマシンってことになるんでしょー。

 遊び方は超簡単、本体中央部に指を突っ込み画面から好きな絵柄を選ぶとあらあら不思議、爪にクッキリと同じ絵柄がプリントされるって寸法で、1本につき500円とかの値段をかけてしっかりネイルアートを施してもらうのもお金がかかってイヤーンってな女子高生とか、ちょっぴり気分で爪に絵でも描いちゃおかってな人なんかに、結構流行りそうな気がしてる。事前に専用の液を使って爪にベースコートを施しておく必要があったり、プリントしてもらった後はトップコートで定着させる必要があったりと、設置する店とかユーザーとかにとって手間な部分もあるけれど、そこは現代の女子中高生しっかりポーチとかにマニュキア用のコート液なんかを放り込んでいるだろーから、後は専用のベースコートを買ってもらってプレイの前にワイワイやりながら指にペタペタ、順番が来たら絵柄を選んで素早くプリントってな風景が、プリクラマシンの横とかファッションビルのロビーとかで見られることになりそー。

 絵だって花柄とかキャラクターをただ描くだけじゃなく、例えばその日のラッキカラーを占ってもらって塗るとかメッセージを入れてもらってプリントするとかいった遊び方も出来るとか。その場でスキャンした絵を爪に描くってことも可能だから、誰かイラストの上手い人を連れていって皆で同じ絵柄を塗るってのも面白いかもしれないね。女性向けってのが癪に触るなら男子は例えば「デビルマン」的なキャラクターとかファンだったらやっぱり「アヤナミ」とかを許可が降りればだけど入れてもらって指に描いてひっそり楽しむってのが暗い趣味だけど吉でしょう。

 あとイベントなんかで目の前でアイドルがブチュっとつけたキスマークをスキャンしてまんま絵柄にして爪にプリントするなんて気持ち悪くて楽しいかも。セガだったらやっぱり渦巻きマークを爪に入れるってのが、「湯川プリクラ」なんて作って臆面もなく宣伝してた会社らしー使い方。ってことで遊びよーによってはいろいろと幅広い使い方も可能な名前忘れた”爪プリクラ”、春頃から登場の予定だそーなんでイベント限定で絵柄を入れて爪にぬってもらったら盛り上がるかもって考えている会社さんはアトラスにゴーだ。3月3日にタカラが開く「リカちゃんおひな祭り」向けに絵柄を作って集まった人に爪にリカちゃん入れてもらう、ってな使い方とかさ。もちろん全然想像だけど。

 すべてがつまびらかになる日。銀座東武ホテルであの髭のモビルスーツの発表会に出席する。無理矢理。到着するとやはり話題の作品だけあって30分前から結構な賑わいで、そのまま最前列に座って「ワンダースワン」なんかを遊んでいると、知り合いと1字違いの今度は別の雑誌でも仕事を始めたらしーアニメーションが専門と化してしまったライターの人とか、この人がいたから今の僕があるよーな「アニメック」の小牧編集長とか三々五々と集まって来た。そんなこんなで待っていると我らが富野由悠季監督が登場、ニコニコとした笑顔は機嫌の良さとゆーよりは単なるテンションの高さなんだろーけれど、それでも大勢の来場者を前にして至極ご満悦なご様子で、他人が挨拶している間にカメラに向かってVサインの上に1本指を横切らせる逆Aすなわち「∀(ターンエー)」のサインを見せたりしていて相変わらずヘンだった。

 挨拶はどうでもいいから飛ばすとして、誰もが1番知りたかったあの賛否両論渦巻く髭のモビルスーツについての監督自身の印象を、勇気を振り絞って聞いた果敢なきっとあれはアニメ雑誌の編集長くらいの人がいたけれど、流石は富野監督ちゃんととゆーか期待どーりとゆーか答えてくれたのが「今聞いている限りネットでは袋叩きにあっているけど、僕も1年前は同感だった」とゆー言葉。その後で「1年見て慣れたってこともあって、実際にセルにして動かしてみるとかなり良いキャラだと思えるようになった」ってフォローの言葉もあったけど、続けて「シド・ミードだけじゃなく大河原邦男のガンダムが出て来るようになるかもしれない」と発言。それをして「評判が悪いからシドミードを引っ込めて大河原だガンダムを出すなんてあからさまな書き方をしないでね」と釘を指すあたりに、やっぱいあんまり気に入ってないよーな雰囲気もが伺えて面白かった。玩具屋さんとしては面白くなかっただろーけどね。

 玩具屋さんをピクつかせるよーな、「ガンダム」ってメカをそれほど重要視していないっぽい雰囲気は、別の人の質問でも伺えた。それは安田朗さんのキャラクターにつてい聞かれた質問に関連するもので、富野さんは安田さんを「目の前で色紙に1枚絵を描いてもらった時に今日までのことが決定した。安田は凄い」ともー手放しの誉めよう。加えて「シド・ミードのデザインは工業化社会の行き着いた先をシンボライズしたもの。それを安田のキャラでねじ伏せる」と言い切ったあたりに、メカよりも物語を重視したいってな主張が見てとれた。

 とはいえ即興演奏で鳴る富野さんらしく、メカとキャラの関係を説明した直後に「ふーんそうだったんだ、今納得したよ」とつぶやいていたのはご愛敬。もちろん言った以上はその先で突っ走るだろーから、髭のモビルスーツを嫌がる人でもセルになって動いたときにはそれほど目立たない違和感と、加えてアーリーアメリカンなキャラクターがおりなす回帰のドラマにズッポリとはまっちゃっう事だろー。希望として。

 しかしメカ以上に心配なのがあれですねオープニング。作詞が富野さんなのはともかくとして作曲があの小林亜星さん。ぱっとターンエー、大好きな街だーからー、なんて曲は作らないとは思うけど、ビデオで届いたメッセージで喋っていたのが何でもベートーベンの第9の合唱に匹敵するよーな音楽にしたいって事で、壮大希有が横滑りしそーな予感に胸を痛める。エンディングもまたすごくて確か最初の劇場版で流れて2作目、3作目の井上大輔さんほどヒットしなかったやしきたかじん唄う「砂の十字架」を手掛けた谷村新司さんがリターンマッチに挑むとか。すでに「アウラ」とゆータイトルも決まっているそーで、果たして再び「らいりーらいりーらいりーりら」となる音楽が聞けるのか、楽しみ微分不安大部分で放映開始の日を待ちたい。

 さて肝心の放映時間は金曜日の午後4時55分とゆーまるで夕方の再放送みたいな時間帯。思い起こせば例の「伝説巨神イデオン」が名古屋地方で放映された時の東海テレビの放映時間に酷似していて、エンディングが歌無しになって何やら分けの解らないままお話自体も終わってしまった苦い経験を持つ時間帯だけに、再びのショートカットとならないかってな心配が早くも頭を持ち上げる。せめてあと30分は繰り下げて欲しかったって関係者の人も言っていたけど、フジテレビにしてみれば「放映してやるんだから有り難く思え」的な態度なんだろーね。

 つまりはやっぱりフジテレビ、水曜7時台とかに持っていくほど「ガンダム」を大事に思ってないんだなー。もちろん某局みたく誰も見られない早朝とか誰も寝ている深夜とかに持っていかれるよりは良いかもしれないけれど、期待の作品の時間にしてはのこの仕打ち、後はスタッフが精いっぱいの頑張りでもって「ゴールデンでもいけるじゃん」的な考えを編成のトップに抱かせるくらいの、作品に仕上げてやって下さいな。仕事があるんで視聴率には貢献絶対できないけれど(役立たずでゴメンね)ちゃんとビデオで撮って見るから。


【2月15日】 「NANIWA捜神記」(メディアワークス、587円)から始まった栗府二郎さんの「NANIWA」シリーズ第3弾となる「NANIWA鎮魂記」(メディアワークス、570円)を一気読み。すっかり前作「霊異記」の内容を忘れてしまってて、ここでも”老人力(ぢぢいちから)”の本領がいかんなく発揮されているのはご愛敬として、うっすら覚えている前作で登場したらしいーライバルは今回は登場せず、インターミッションとも言えるホンノリと甘いラブストーリーに仕上がっていて安心して読める。

 説明すれば霊能力を持った探偵の主人公が依頼を受けてネットワーク内に生まれてしまった疫神と戦う放しで、電子メールの特徴を踏まえつつもネットが念を結びついて暗黒の扉を開けるといった、読みようによっては「あるかもなー」と思わせてくれる良質のホラーに仕上がっている。イラストは第1作からの藤岡建機さんで、可愛いお尻の美少女の表紙に惹かれて「買おかやめよか」音頭を踊っている人も結構いるかも。お話も大丈夫以上なんで「ブギーポップ」ばっかじゃなくって他の電撃も読んでちょーせ。

 夢を見た。夢に広末涼子様さま様が登場して、僕がご飯を食べている座敷の同じテーブルに座って僕に笑いかけてくれた。どうやら誰かの取材を待っているらしいんだけど、担当する記者さんが遅れているのか登場しなくって、それでもヒロスエはニコニコ笑いながら左斜め前に座ってて、そんな笑顔を見ながら取材の担当者と同じ会社にいるからなのか、それとも遅れているのが自分のせいなのか、はっきりした理由は解らないけど罪悪感にかられてせっかくのチャンスなのに真っ当な会話が出来ない。

 夢だと解っていればその場に押し倒してアレしたりコレしたり出来たんだろーけど、残念なことに夢だと解らずジリジリとした気持ちばかりが募って酷く心がシクシクした。ヒロスエは相変わらず目を細めて笑っている。いったどーゆー意味がある夢なのか未だ判然としないけれど、おそらくは昨晩放映していたテレビ番組に登場したヒロスエの顔が、強烈に脳裏に残ったのが最大の理由だろー。どっちにしたって手出しの出来なかった自分が途轍もなく悔しいので、今晩こそは意志の力で再び夢へと登場させて、その場で畳の上へと押し倒そう。でも今見ている「スマスマ」のゲストを押し倒しちゃったら、明日は会社休みます。だって藤山直美なんだもん。強烈さでは対極だけど。

 ありがとう届きましたカカオの恵みが幾つか。「サクラ大戦」のハート型のは昼御飯替わりにムシャムシャと食い、メダルの渋谷も晩御飯がわりにムリムリと食い倒しましたが、名古屋方面のは形も大きいので明日の朝御飯にしますです。30過ぎてこれだけとゆーのを自慢して良いのか否かは自分で言うのもおこがましい(ちょっと用法が違う)ので沈黙の春、いやダンマリの冬。来年こそは山と段ボールが届くよーに頑張りたいものだけど、過去の経験からいったい何をどう頑張ったら段ボールとまでは行かないまでも真実味の帯びたカカオの恵みが届くのか、解らないので自分なりに頑張りたいと思います。それはやっぱり昼夜を問わず顔を見に行くとか込んでる電車でスキンシップに励むとか。

 ありがとう届きました古都の遺産が1つ。シルバーメタリックの「ワンダースワン」は単3の電池1個を放り込んでもこの軽さで(どの軽さだ)、「ゲームボーイカラー」の重さに手首を捻った身としては実に画期的に感じる。放り込んだソフトは古都の遺品の「GUN PEY」で、前にテストとしてプレイした時には軽く20満点を2時間かかったけど出せたものが、製品版へのブラッシュアップの過程で難易度が上がっているのか”老人力(ぢぢいちから)”がパワーアップしてるのか、数万点がやっとで何度かプレイしてよーやく10満点の突破にたどり着く。癖になるのは相変わらずでしくじっては再プレイの繰り返しに精魂も尽きて眠くなる。製品版ではパズルモードやらストーリーモードも付いているから一段の時間潰しが楽しめそー。売れるかなあ?

 円谷プロダクションが松下電器産業とDVDの製作で一緒に会見。「エヴァ」も手がけたパナソニックのデジタルコンテンツのチームが次ぎに挑むのは、円谷プロが世界に誇る「ウルトラシリーズ」の傑作3本「ウルトラQ」に「ウルトラマン」に「ウルトラセブン」のDVD化。それも単に16ミリをデジタルに置き換えるだけじゃなく、フィルムの汚れに傷に褪色をすべて直しておまけにステレオ化、さらには5・1チャンネル化もやっちゃうとか。音声についてはステレオはともかく5・1チャンネルは再生環境のプアーな現時点でいささかやり過ぎの気もしないでもないけれど、こと映像に関してはとにかく凄いの1言で、もしかするとテレビ放映時より綺麗になっているかもと仰天する。

 それどころか現在放映中の「ウルトラマンガイア」よりも綺麗かもしれない。例えばデモで見せてくれた「ウルトラ警備隊、西へ」のシーンだと、まず画面からあらゆるノイズが消え画面がクッキリとクリアなっている。爆発の炎はどこまでも明るく、セブンの体の赤はどこまでもヌメヌメとし、キングジョーの体はどこまでもペカペカとなって目に突き刺さる。今撮影されていると言われたって信じてしまうよーなクリアさに、ファンが「歴史に正直じゃない」と言ったとしても実際に画面を目で見ればそんな言葉もきっと出なくなるだろー。

 これで値段がどのくらいかが1番の心配な点だけど、そこはパナソニックが実験的な意味あいも含めたて取り組む実写のデジタル化、買いやすいお値段になって(おそらくは4話入りで数千円ってあたり)夏くらいから順次発売されていくらしー。まずは「セブン」がリリースの予定。ただし例のエピソードはデジタル化はともかく発売分からはやっぱり除外されるそーなんで、どこかで手に入れるしかないでしょー。お土産のもらったは円谷プロがネットで売ってるウルトラマンとかのキャラクターが焼き付けられた「瓦煎餅」。バリバリと食べるなんて怪獣になったみたいでもったいないけど、背に腹は返られないんで明日の夕御飯にして食べよう。


【2月14日】 「IN☆POCKET」(講談社)は間にあったみたいで本紙予報どおり(ってやるとスクープを自慢する一般紙みたく嫌味ったらしーでしょ)「築地の先生」こと明石散人さんが連載「アカシック・コード」で和同開珎よりも古い通貨と世間を騒がせる「富本銭」についての疑問を提示。つい最近も鋳造の跡とかが出て来て学者もマスコミもドンガンと舞い上がってるけど、江戸時代の古銭のカタログにわずか5匁だかの安値で掲載されているって事は、つまりそれだけ普及していたって訳で、にも関わらずの大騒ぎにのウラにはまだまだ秘密が隠れていそー。

 もちろん「アカシック・コード」では真っ向否定はしておらず、例えば厭勝銭っていっしゅの呪(まじな)いの銭と同じ上下に2文字で左右は記号って様式を持ちながらも「通貨」と断じられた謎とかを挙げた上で、100あるうちの残った4つの謎に目をつぶる「省百の論理」を挙げて右に習えの風潮に継承をならす。仮に最後に仮定として示された厭勝銭としての富本銭が通貨としての和同開珎より以前にあったかもしれないとの説が事実として、通貨と断じた学者にメディアの態度が今後の展開の中でどう変化を遂げているのか、もはや誰も言わなくなった「奥の細道」の前例に倣えばフタをしてダンマリを決め込む可能性も大なんで、ここは明石さんほかの歴史好きな人たちの手で、チクチクとつついて逃げられないよーにしてやって戴きたい。しかしホント何でもある事務所だねぇ。

 明け方にテレビで「ラクロス」ってスポーツの女子の大会が放映されていたんでツラツラと見る。知らない人に説明すれば「ラクロス」ってのは地球に落ちてきた全長1キロを軽く超える巨大な戦艦で得意技は「ダイダロスアタック」で……いかんオタクなボケをまたやる所だったと反省、つまり「ラクロス」ってのは食べる時に餌を川辺へと運んでジャブジャブやる動物で会えたら神様にありがとうって感謝を……いかんこれまたカルピスなギャグに滑る所だったと大反省。すなわち「ラクロス」ってのはサッカー場のようなフィールドでホッケーよろしくテニスよりはお大きいっぽいボールを渡し合ってゴールへと持ち込むスポーツの事ですね。これは正解。

 ただしホッケーのようにスティックでボールを打ち合うんじゃなく、もちろんサッカーのように脚でボールを蹴り合うんでもない、棒の先に張られた網にボールを入れて、パスしたり走ったりして運び最後はゴールへと叩き込んで得点を競い合うのが目的。虫取りとか魚釣りの時に持ち歩くタモ(ってのは方言?)みたいな棒っきれを持って電車に乗ってる女子大生を見たら、それが「ラクロス」のプレーヤー、決して猟師でも昆虫ファンでもありません。田舎だったらタモ持って中に入ってるカブトムシやらクワガタムシやら虹鱒やら岩魚やらを放り投げ合ってる女子中学生だっているかもしれんが。いねえか。

 でもってテレビの中継でスティックを振り上げ中にボールを入れて、一目さんにゴールめがけて走る様をパッと見た時、ずいぶんと間が抜けたスポーツだなーと思ったけれど、ただ走っていてもダメみたいでディフェンスされて先に進めなくなったらフェイントかけながら中へと切れ込み、間隙をぬってさっとスティックを振ってボールをゴールへと放り込む、そんな一瞬のキレ味鋭いプレイが目につくよーになると、結構サスペンスフルで面白いスポーツに見えて来る。

 短いパスを繋いでゴール前へと飛び込んだり、長いパスでサイドチェンジをしたりとサッカーっぽい展開もあれば、スティックの高さを微妙に変化させてディフェンスの差し出すスティックを交わしゴールに背中を向けながらボールを放り込むバスケットボールのダブルクラッチともターンインとも言えそーな展開もあって、プレイの質とか展開の妙とかを見極められれば観戦していて楽しめそうなスポーツだね。

 走りっ放しの展開といいスティックをガチガチとぶつけ合う攻防といい、昔流何かで読んだ「チャラクロス」(カッコだけを気にしてチャラチャラとやるラクロスの意、らしー)って言葉も嘘かと思える激しさ。女子にしてこれほどまでのハードさならばメインの男子に至っては格闘技もかくや、と思わせる激しい肉弾戦が繰り広げられているんだろー。江戸川陸上競技場なんかでときどき大会が開かれているみたいなんで機会があったら生で見たいなー。プレーヤーの女の子がポニーテールかショートってのもちょっと好き。あとホッケーといっしょで競技服がスカートって点も。

 しかるにテレビの試合じゃー、寒いのか嫌だからななのかスカートはまいても下に長いジャージってーかタイツみたいな長い黒い足首まである服を着ていてブーイング。中にしっかりナマ脚を見せてくれてる娘もいたけど、そういう娘に限ってルーズソックスだってはちきれそうな頑丈さであんまり嬉しくない。ここは是非とも春とか秋とかの良い季節に自分的に「正しい」競技服でプレイされている「ラクロス」を見てみたいもんですぢゃ。

 男女的に大変な日だったよーだか独男的にはまったく無関係な騒動なんでこれ幸いと金を握って百貨店へと出向き1階特設売場とか街頭出張売場とかに群がる人々を横目に見つつ本屋で新刊書あたりに散財する。買ったは今度が移籍後初のオリジナル出版となる「SFバカ本 だるま編」(廣済堂出版、552円)で、ラインアップから常連の森奈津子さんが消えているのが残念に思いつつもまずは編者の1人であるところの大原まり子さんの「花モ嵐モ」を読む。梅原克文さんの気持ちが良く解る。牧野修さんとか井上雅彦さんとか岡本賢一さんとかバカ度ナンバー1常連の梶尾真治とかいろいろ楽しみな作家も残っているからアンソロジーとしての判断は読み終えるまで保留。松本祐侑子さんは「バカ」じゃないけど面白いんで今後の登場に期待だね。

 たがみよしひささんの「雪の降る日は気をつけて」(秋田書店、514円)はサスペンスとミステリーの短編を収めた作品集、だけど総じてホラーってよりはスプラッタな作品が多くジワリって怖さじゃなくギョギョギョって恐さが堪能できる。1編「夢見る少女」の夢をザッピングしていくよーな不条理の積み重ねが、伝説とか妖怪話とかを下敷きに現代風のキャラを動かす一般的なたがみよしひささん風サスペンスのテイストと違っていて、スプラッタに慣れた目には返って怖い。もっともやっぱり大昔の「精霊紀行」シリーズ的な怖いなかにも寂しく哀しい展開こそに本領があると思うんで、珍しくチビキャラを出さなかった「雪の降る日は気をつけて」に倣って再びな「精霊紀行」シリーズを描いてやって下さいな。


【2月13日】 大鋸ってオオノコギリと読むのか謎だったけどオオガってのが正解みたいな大鋸一正さんの新刊「春の完成」(河出書房新社、1400円)をお風呂に入りながら最後まで読み通す。いわゆる「J文学」の担い手っぽい人らしいけど「J」筆頭の阿部和重さんっぽいトガった雰囲気もなければ町田康さんみたいにドロヌマった気分もない真っ当で真っ直ぐな成長の物語。いやむしろこうも小説より奇なりな現実の世界において、真っ当で真っ直ぐな話の方がよほど読み手に感動を与えるのかもしれない。実際に読んでこーまで素直にホッと出来る小説は久々だったからね。

 帯にある「1999年7の月、預言の月が当たり前のように通り過ぎて…」って文句を読んだ時に、(時代の閉塞感ん中でもがく人々の奇矯な振る舞いでも描いた本かいな)とか思ったらさにあらず。妻に逃げられた男が選んだ新しい妻が脚の1本を失って義足をつけた女性で、そんな女性を新しい母親として迎えた娘の姉の方を主人公に据え、父親を失ってしばらくしてからの暮らしを始まりに成長を描いた物語は、なるほど父の借金に母親の家出に脚のない継母といった前段階の不幸に始まり、恋人に見捨てられる軽めの不幸を経て、ダンサーとして未来を嘱望されかかった妹を襲った一種の事故といった重たすぎる不幸へと至る不幸のオンパレード。けれども登場人物の誰もが不幸を嘆きもしなければ自慢もしない、実に淡々と消化し昇華させていく展開に、生きている事の素晴らしさがジワリと滲む。世紀末に相応しい達観と諦観の物語。

 久々に「東京都写真美術館」へ。「日本列島クロニクル 東松照明の50年」の部屋に入るといきなり茶色く変色した古い「愛知大学新聞」が飾ってあって記事なんかをツラツラと読みその言論機関っぽさぶりにちょっと吃驚。ってゆーよりむしろよほど言論機関っぽい。書いているのは結構歳をとってはいても学生だろーからせいぜいが20代前半。にも関わらずの書きっぷりは30過ぎたプロの新聞屋にしてこうも中身の希薄な記事を垂れ流す我が身に深く自省を促す。しかし何故に学生新聞が、と思って中央の写真を見るとそれが何でも東松照明さんの初めて媒体に印刷された写真だったらしい。持ってれば売れたかな、この新聞。

 外国語の新聞を突き破って出た手首が玉子を掴んでいるデザイン的な写真が後に長崎や沖縄を取ってジャーナリスティックな活動で一世を風靡する東松さんとは一瞬結びつかなかったけど、写真展に飾ってある数々を見ると、ジャーナリスティックな写真ながらも構図の付け方とか題材の選び方に非常に凝ったところがある、言い換えればデザイン性の高い写真が多くあってナルホドと思う。無作為なスナップを尊ぶ土門拳的なジャーナリスティックな視点と比べると、例えばアスファルトに埋まったネジやら軍手の写真にしても、1点アップの11時間2分で止まった時計にしても、汀に暮らす海洋生物のアップにしても、素材とともにその見せ方でもって何かを語ろうとしている事が感じられる。

 展示室を出たところで放映されていた「土曜の美」とかゆー番組で作家自身が語っていた「写真」ならぬ「写今」、すなわち「今を写す」とゆー東松照明の写真へのスタンスを咀嚼するなら、「今」を見せる上で「何を見せるのか」という命題と同時に「どう見せるのか」という命題もまた等しく重要なのだろう。今を切り取り1枚の平面に焼き付ける「写真」はすなわち「今」を見せる上での「インターフェイス」。故にテーマ性と同時にデザイン性もまた尊ばれなくてはなくてはならなかったのだと考え至る。デビュー作から近作までを少ない数ながらも一気に概観した展覧会は貴重にして重要。見ないと損だよ。多木浩二の解説と作家の告白も収められた2400円の図録はその偉績を端的に振り返られる便利で合理な1冊。買わないと損だよ。

 いったいどうなっていたのかタイトルの「かぐや姫」から遠く離れてしまっていた清水玲子さんの「輝夜姫」(白泉社)が、13巻にして再び軌道を「かぐや姫」との因縁へと回帰しクライマックスへと向か始めたよーな雰囲気。最初の方がどんな展開だったのかを既に覚えていないあたりが”老人力”だけど、「かぐや姫」の生け贄としての島の子供たちというそもそもの設定が、スペアとしてその肉体を奪われる陰惨な展開へと至り、後に新しい肉体に魂あるいは精神を甦らせ、再び集おうとしている展開へと至って大きな意味を持ち始めたみたい。玉鈴ならぬ晶を追って中国大陸へと渡ったまゆが一体どこで何をしているのかってな前巻の事すら記憶から落ちている当たりに”老人力”の進度も見られるから、ここは手早くちゃっちゃと話を進めて脳味噌に刻まれるくらいの衝撃を与えてやっちゃって戴きたい。

 始まったねえ「神風怪盗ジャンヌ」。着物っぽい白い衣装に声が桑島法子さんってことで或いは「かってに白桃天使」ってタイトルが正式なのかとも思ったけど、さすがにそれはなかったか。もっともお話の方はイマイチ説明不足なところがあって1回目だけでは何がなんだか解らない。主人公がジャンヌ・ダルクの生まれ変わりだとゆーのはともかく、どーして彼女がジャンヌとして悪魔(こりゃまた直裁的な敵キャラだぁ)と戦う羽目になったのか、それを支援する妖精みたいな天使とどこでどう出会ったのかってま基本的な設定から、どうして主人公は1人暮らしをしていて、向かいに住んでる同級生で刑事の娘はジャンヌをそうまで目の敵にするのかってな設定まで、解らない所が山とあって見ていてちょっぴり頭をひねる。

 それは後々説明されるとしても、折角の千葉繁を配しても銭形警部や明智警視や目暮警部の1万分の1も個性の出ていない刑事とか、春夏秋冬を頭に抱いた刑事のキャラの没個性ぶりとかも気になる所で、どうせ毎回同じよーな、悪魔を見つけた戦った刑事が捕まえよーとした逃げられたってな展開が繰り返されるだろーお話にあって、重要になるのはマンネリでも良いからはしゃぎ騒ぐキャラクターたちの莫迦っぷり。にも関わらずのこれらキャラクターの無個性ぶりは、見続けるにあたって結構辛い材料になるかもとの懸念が浮かぶ。それでも予告編でのキャラの演出なんかみると、個性が出て来そーな予感もないでもないから、しばらくは模様を眺めていこー。鬼が島にはいつ行くの?


【2月12日】 もーそんなに経つのかと、江口寿史さんの「江口寿史の犬の日記、くさいはなし、その他の短編」(KKベストセラーズ、895円)の巻末にあるインタビュー自作解説「来るべき2000年代とワシ」を読んで思う。ファンだったらタイトルを見ただけででピンと来るよーに、単行本は過去に幾度となく編まれた”お蔵出し”っぽい作品集にも、終ぞ収められる事のなかった地獄のよーな作品を、1999年7月の世界滅亡を前にして、はやり整理しておかなくちゃいけないかな、って感じで江口さんがひり出した宿便のよーな作品集。んでもってそんなに経つのかと驚いたのは、「白いワニ」話とともに伝説となった名作「ストップひばりくん」の単行本にも収録されなかった一応の最終回の本誌掲載が、83年11月と実に15年も昔だったとゆー事実で、往時の未だ純朴だった高校生時代が瞼の裏にクッキリと浮かび、無為に過ぎ去った年月を想ってハラハラと涙をこぼす。髪はハラハラと落ちた後。鏡を見れば過ぎた時代の長きも知れり。嗚呼。

 「伝説」で言えば噂には聞いていた「漫画アクション」の89年3月28日号に掲載された「白・赤・黒」で、このあとに「ダイダイ、ムラサキ、キレイ」と白髪頭の痩せたおっさんが続けばアンディ・ウォーホルが出たテレビのCMだったりするけれど、んな死んでしまったおっさんのCMなんてもはや誰も覚えてないだろーから、本筋とは無関係なギャグ(のつもり)は脇にどけて話を進める。さてもこの「白・赤・黒」がどれだけ凄い漫画かは、単行本を実際に読んで戴くとして、現実にこうやって単行本に収録されたのを見る限りにおいて、実験的だが衝撃的とは思えないのが何だか不思議。とゆーか巻末のあとがきでも江口さんが書いているよーに、赤塚不二夫さんが顔を大きくしたり真っ白にしたりと実験の限りを尽くした漫画が過去にあり、また今も漫画の手法を逆手にとって実験っぽくごまかす漫画があることを見ているから、むしろ最後にオチのつく江口さんお「白・赤・黒」なんて佳作の部類に入ってしまう、よーな気がする。

 それとてもいまや描くだけで話題となり、落としても話題となるキャラクターとして江口さんが認知され、読む側もどこか莫迦を期待しており見事そんな期待に答えてしまっている作品に、心から怒ることが出来ないからなのかもしれない。同じく収録されている「セクシーくの一」の第2回の下手さだって、また第3回以降が掲載されていないことだって許せてしまうその大御所ぶりは、身体をはった行動で周囲を唖然とさせる、漫画界において最初にして最大の”パフォーマー”だったから、なのかもしれない。とは言えご本人が開き直っているかとゆーとそうでもなく、むしろ気にしているところがまた面白い。それはこの「白・赤・黒」を「いちばんヒドイ」と認識している点にも現れていて、赤塚さんみたいにジャンプできずに終わった事をちゃんを反省している。だったら心入れ替えて、マジに描き始めるかとゆーとそーならないのがやっぱり江口さん、こちらも期待せずむしろ腹立てながら見守るのが正しい対処の仕方だし健康でいられる秘訣でしょー。待ちます2000年代も2010年代もその先も。

 「お菓子のほおむらん王です」とか「森のうたもよろしく」とかってシーンが確か江口さんお「すすめパイレーツ」だったか何かに出てきた記憶があって、けれども実はこれが一体何のギャグなのか解らなかったのが子供時代(「パイレーツ」ん時はちゃんと子供だったんだぜ、オレだって)の事で、後になってよーやく東京方面に亀屋萬年堂って菓子屋があってそこが王貞治をキャラクターに使って、自社製品のCMを派手に関東ローカルで展開していたことが解って来たんだけど、この時以来かローカルなネタを全国で売られる媒体で披露する時には気を付けた方が良いんだって事に、深く気付かされたりしちゃったり。テレビのワイドショーで「きょうは大雪で大変ですねー」とゆー司会者さん、あんたにゃー「ポカポカだよ」ってテレビに向かって嘲笑の言葉を返す沖縄の視聴者の顔が見えないのか?

 しかしなぜにいきなり江口寿史とはちょっとは関係あるとしても、亀屋萬年堂の話へと振ったかとゆーと、それは仕事で西武沿線の「ひばりが丘」方面にある「Boilled Eggs」って会社? 違うまだ会社じゃないけどいずれは会社になるだろー組織の代表の人ん家に行ったから。そのどこがいったい「お菓子のほおむらんおう」かと言えば、実は代表の人が去年末までいた会社で作った本が映画にもなったジョン・ベレントの「真夜中のサヴァナ」(真野明裕訳、上下各1500円)だったからなんですね。ほら似てるでしょ「サヴァナ」と「ナボナ」? 似てない?? 似てないかなぁ??? ゲホゲホ。まいっか。だったらいたでしょうあの確かマクビティーだかのビスケットのテレビCMに出て口元をピクピクやってた……なに「あーあーそれは娘がタヴァサね」だって? ピンポンあなたはテレビっ子ですね。

 さてもこの「Boilled Eggs」って組織が目指しているのは、外国人の作家だったら誰もが使っている、作品を出版社に売り込んで作家のために最大の利益を生み出せるよう活躍するエージェントって仕事を、日本でも始めてみよーって事で、その手始めとして作品の募集をホームページでの告知なんかを通してスタートさせていて、すでに何軒かの持ち込みが始まっているそーな。ここで1つ気になったのが持ち込まれた原稿を検討・登録するための費用を1万円、ちゃんと徴収しているってことで、これだけ読むと「オーディションと称して試験料とかを集めるわりには誰も合格者を出さない俳優学校あるいはお金だけもってドロンしちゃうインチキ芸能プロダクション」を思い浮かべる人もいるだろーけど、すくなくともここん家が徴収するのはビジネスとして作品を読み、適切な評価を加え、良ければ出版社に売り込むだけの労力に見合った、いやむしろ安いくらいの作家側にとっては投資ともいえるお金であり、また作品がいたずらに山と送りつけられるのを避け、そこに費用を発生されることで責任と自信とが込められた作品を集めたいという狙いによるもの、だと言えるみたい。

 ページに掲載されいているのはいわばショーケースとしての作品群で、中にどこかで見知った名前もあるのはご愛敬として、少なくともプロの編集者として「真夜中のサヴァナ」とか「アップル」とかを手がけた代表の人とか他にもいろいろ凄腕の人がいるらしいから、それなりに作品を評価してもらって適切なアドバイスを受け時には激励抜きの叱咤ばかりを受けることもあるかもしれないけれど、それでも先を目指したい人はアクセスしてみるのが面白いかも。しかし見せてもらったオフィスは整頓された机の上にマックのタワーとノートが並び背後と脇に整理された本棚がある僕が夢と仰ぐ環境。ゲームもなければ崩れ落ちる漫画にLD、壁に張られたアニメキャラのポスター、棚の上の「神崎すみれ」やら「李紅蘭」やらのアクションフィギュア、なんてものは一切なくただ隅の方の寝所で丸まった三毛猫が1匹とゆー、あと30年は望んでも手に入れられない環境を見るだに、頑張って稼いで部屋作ろーと決意も新たにアルバイト(こら)に取り組む。稼いだ先からLDにフィギュアにゲームに漫画に消えて行くことをその時だけは忘れて。女には? 聞くな!

 読了「ブギーポップ・オーバードライブ 歪曲王」(上遠野浩平、メディアワークス)。言えなかった言葉は山ほどあるが、こうも歳が積み重なって心が磨耗して来ると、言ったからって何が変わったという程のものでもないし、言わなかった事によって今の自分がちゃんとあると客観的に認識できるだけの達観、ちゅーか諦観も持てるよーになっているから、同世代的な感覚で読めるかとゆーとそーでもない。気持ちは解るってそれが「歪曲王」を単品として読んで一番思った事かな。ジリジリと明らかになって来る「ブギーポップ」世界の構造とかへの興味はグリグリと上がって来ていて、その意味では続刊が待ち遠しいのも事実。黒マントの下ってちゃんと制服っぽい普通の服来てたんだね「ブギーポップ」なんてお手軽な変装なんだと緒方剛志さんのイラストを見て思ったりしながら、いつになく饒舌だった奴が存在する理由とかを含め、なお一段の激しい展開を予想して次への期待とする。しかし本格的にシリーズなっちゃったなあ。頼むからケリつけて終わってくれよ、江口さんみたいじゃなく。


【2月11日】 思い出したのは「ウェブデザイン・アワード1999」でトロフィーをプレゼンターの人に手渡していたお姉ちゃんが美人だったって事だけど、彼女もキノトロの人だったりするんだろーか。だとしたら何と羨ましい事よ。まーそれはともかく久々に”荒木力(あらきちから)”が戻って来たので荒木経惟さんのファンページをちょっとだけ更新、丸善のページで更新が止まってから1年ちょい経つ間に刊行された写真集や本を検索したら出るわ出るわで、たちどころに数10冊が積み重なる。いい歳をしたおやじにこーまで活躍されて若手と呼ばれるコジャレた写真家たちの面目も立たないと思うけど、とはいえ荒木以外のおっさんな写真家だって双璧の篠山紀信さんを除けば活動が決して目立っているとは言えないだけに、結局は世紀末を1人勝ちの荒木が下町やら世界やらを闊歩する事になるんだろー。しかしホントよく出すよ。

 そんな状況でも荒木よりさらにおやじな東松照明と大辻清司の展覧会が都内で相次ぎ開催の模様。まだ見た訳じゃーないけれど、朝日新聞だかの9日付けの夕刊に2人の展覧会を紹介した記事が載って見に行きたい欲をちょっとそそる。長崎に沖縄といった曰く因縁ありげな土地も撮れば、アスファルトにグリグリと埋まった得体の知れない金属や海岸に打ち寄せたネジ曲がったプラスチックも撮る東松さんは前から気になる写真家の最右翼。加えて今に至るまで世間的な著名人をほとんど輩出していない中にあって、あのつボイノリオに日本画家の平松礼二と並ぶ我が母校が輩出した世界に冠たる(つボイもか)文化人だから応援したい気持ちはある。がしかし展覧会はどちらかと言えば回顧展の趣が強く、今なお出版とゆー最前線での活動を衰えを見せずに続ける荒木さんとはやっぱり違う。来年が70歳の東松さんが老境に至って極めるであろー活動を期待しつつ見ていきたい。

 小走りにパソコンに駆け寄る「ユー・ガット・メール」のパジャマ姿のメグ・ライアンは薄衣越しにフルフルと揺れる胸が素敵だったりするけれど、それとはまったく関係なく休日にも関わらず出勤の命が下っていたので寒い中を街まで出る。途中で高島屋の玩具売場を覗くも「ピカチュウげんきでチュウ」は発売当日に買えても「ファイナルファンタジー8」は予約分で完売状態みたいで、午前10時の開店と同時に売場にたどり着いてもパッケージすら見ることが出来なかった。ワレ敗北ス。けどそれほど悔しいと思えないのは過去営々と作られて来た「1」から「7」までを1度もプレイした経験がなくシリーズへの思い入れがない上に、美しいと評判で実際に美しいCGの、とりわけ人気が高いリノア・ハーティリーちゃんのダンスシーンでのアカンベー姿をイベントやテレビ番組で何度か見ていて、すぐに手中に収めたいとゆー欲求が欠けていたからでしょー。まー半分は負け惜しみ込みとして、ゲームを買えなかった分のお金は本へと回して寒い夜を活字の感動で心暖めよー。DVDの感動にLDの感動も山と待ち受けているし。

 ファンならいったい幾らくらいまで投資できるのかを踏み絵のよーに聞いてくる品物がバッジの松本徽章工業から登場。その名も「21世紀ピンバッジ カウントダウン・コレクション」は故・手塚治虫さんが描いた漫画のキャラクターを21人・組、21個のバッジにそれぞれレリーフにして着色したピンバッジがセットになり、組み合わせると「21」の数字になるとゆー実にコレクタブルな逸品。加えて土台の部分が1つは純金製でもう1つは純銀製とゆー、長年バッジを作って来た松本徽章をして世界でも初めての製品とゆーから手塚ファンのみならずピンズファンにも気になる品物として、日本のみならず世界規模で結構評判を呼びそーな気がする。純金製は73万5000円と超弩級で純銀製でも10万5000円と、ちょっと容易には買えそーもないお値段。それでも欲しいと思えてしまうのは、藤子赤塚石森を間に挟んだ孫ファンであっても、やっぱりどこかに「アトムの子」としての遺伝子を抱えているからなんだろー。あるいは「ブラック・ジャックの子」だったり「サファイアの夫」(ウソ)だから、かな。

 バッジに描かれた漫画バッジにはそれぞれ21世紀までの残り日数を現す数字が入っていて、例えば「1000」はジャングル大帝のレオで我がサファイアは500日。唯一のグループ出演は「W3」のノッコとズッコとブッコ(あってる?)の100日。人気の「BJ」は90日で珍しい「海のトリトン」が60日。悪役では700日の「ロック」と並んで採用された「アセチレン・ランプ」が50日にいて以後「お茶の水博士」「ピノコ」「ブッダ」「火の鳥」「写楽保介」そして0日の「アトム」と続く。「ミッチィ」もいないし「きりひと」もいないし「チンク」も「おむかえでゴンス」も「手塚治虫」もいないのが残念だけど、「ヒョウタンツギ」をちゃんと入れている当たりに監修する手塚プロダクションのツボの付き様はなかなかなもの。遺伝子レベルに擦り込まれた手塚の魂が財布の中へと手を突っ込ませようとする、そんな衝動と受付終了の3月31日まで闘い続けて勝てるか負けるか。勝てんかな。現実的には銀の方になるんだろーけど。でも1つづつ21回に分けて買うって手段もあるしぃ。


"裏"日本工業新聞へ戻る
リウイチのホームページへ戻る