NANIWA捜神記

 パソコンのキーボードを叩きながら、ハードディスクに記録された文字が、いつか何らかの力を持つかもしれないなどという妄想を抱くことが時々ある。ハードディスクが数百メガバイトしかない旧型のパソコンでも、近所の図書館に集められたおびただしい数の本を、すべて呑み込んでしまうことくらい簡単だ。人の口から発せられた言葉が、言霊となって災いをなしたり幸福を呼び寄せたりするように、デジタル情報となってハードディスクに収められた、人の言葉をはるかに上回る膨大な量の言葉が、やがて言霊にならないという保証はない。

 ましてや今はインターネット社会。1台でも図書館をまるまる飲み込めるほどの記録量を誇るコンピューターが、インターネットには何百万台、何千万台とぶら下がっている。世界を包み込んだネットワークには、激しい勢いですさまじい量の言葉が流れ込んでいるはず。そんなネットワークに生まれる言霊の力は、おそらく人類が過去に経験したことのないくらいに、強大なものとなっているに違いない。

 栗府二郎のデビュー作「NANIWA捜神記」(電撃文庫、587年)は、2008年の、今とさほど変わらないどぎついネオンサインに包まれた、近未来の大阪が舞台。西中島にあるインテリジェンスビルに、「霊能探偵」を名乗って事務所を開いている時家鴒(ときや・れい)のところに、奈良の山奥から1人の少女がたずねて来た。葛木三輪と名乗ったその少女は、鴒に「神様」を捜してほしいと頼んだ。

 三輪の家では代々「一言主」をまつり、巫女の三輪がその託宣を村人に告げて来た。しかし秋の穫り入れの後、神降ろしをした時に、一言主は「今年、我らは浪速へ赴かねばならぬ」と告げ、やがてその言葉どおりに、三輪の頭の中から消えてしまった。困った三輪は、鴒の能力を霊媒師の老婆・山部サイから聞き、すがる思いで訪ねて来たのだった。

 三輪の話を聞いていた鴒のところに、隣の部屋で同人ソフトを作って稼いでいる高校生の十元良介がやって来て、奇妙なソフトが手に入ったから霊視して欲しいと頼んだ。三輪の頼みをとりあえず後に回して、ネットワークにつながった端末にソフトをかけた時、突然三輪が神がかりとなって、一言主の言葉を伝えた。「浪速ハ滅ビル」。それは『禍事(まがこと)も一言、吉事(よごと)も一言』の一言主に相応しい、恐るべき「禍言」の予言だった。

 良介の以来でのぞいたソフトから、三輪が捜してくれと頼んだ一言主が現れたことを奇妙に思った鴒は、とりあえずこのソフトを足がかりにして、一言主捜しに乗り出す。手始めにソフトを作った天才小学生プログラマーの明知凛を訪ねるが、妙に大人びているくらいで、とくにおかしいところはない。

 そこで鴒は、学校や家族と訪ねて、凛が「越天」と呼ばれるコンピューターを相手にしたネットワーク上でのサバイバルレースで1等賞となってから、自信たっぷりの性格に変わってしまったことを聞き出した。明知凛と「越天」には何かある。そう感づいた鴒を、人であふれる天王寺駅そばの路面から浮かび上がった鮫が襲い、昼下がりの大阪ビジネスパークで数10羽の黒い鳥が襲った。

 「集合無意識は意識とつながっているわ。人はその言葉の向こうに、普遍的な意識を投影していまう」「それを『神』と名づければ『神』を見るのよ」(74ページ)−鴒の友人で、18歳で医学部を卒業し、留学を経て精神物理学研究所を開いた美人の天才科学者・羽仲朱意(はなか・あけみ)の神に関する講義が、やがて情報化社会、ネットワーク社会における「情報霊」の存在を彼らに想起させる。

 「ネットを利用しているすべての人間の、無意識レベルまでの心理情報が、集積され、ネットの中に逆流して、ネットを媒体として再現されるとしたら」(125ページ)。それはおそらく「言霊」となって、あるいはネットの中の神となって、リアルな世界に住む人々に奇跡とそして災厄を起こしたように、バーチャルな世界に遊ぶ人々に奇跡とやはり災厄をもたらすことになるのだろうか。

 若き霊能探偵、美人天才科学者、美少女巫女、コンピューターおたく青年という「いかにもな」キャラクターが登場し、ポップでキュートでラブコメチックなストーリーが繰り広げられ、それにマンガチックなイラストが付けられた、まさしく「ヤング・アダルト」な小説だが、その中に込められている、ネットワーク社会への警鐘をこめたメッセージは、極めて深い示唆に富む。

 人混みの天王寺、昼下がりの大阪ビジネスパークが突如として幻視の世界へと切り替わり、異形の者共が襲いかかってくる場面の描写も、その恐ろしさがひしひしと伝わってくるほどの迫真性にあふれ、現実と隣り合わせの裏の世界を垣間見せてくれる。テーマと言い、描写力といい、これがはじめての小説とは思えないほどに、栗府二郎の「NANIWA捜神記」は、凡百のSF、ミステリー、ホラーをはるかに凌駕する面白さを発揮している。傑作と言っても、絶対に誉めすぎと言うことはない。

 電脳空間に宿る邪悪な意識という点では、つい最近刊行された東野司の「電脳祈祷師 美帆(邪雷顕現)」(学習研究社、780円)と酷似するモティーフを持っている。コンピューターとネットワークが、かつてないほど大きな話題となっている社会だ。「軌道エレベーター」というモティーフで、シェフィールドとクラークが「競作」したように、電脳ネットワークをモティーフにして、似たような小説が幾つも書かれたからといって、何ら不思議はない。

 もしかしたら、「集合無意識」が「個人の意識とつながっていて、相互作用を起こ」す現象、すなわち「共時性(シンクロニシティ)」(69ページ)が、電脳世界に蓄積された「集合無意識」によって引き起こされ、作家にペンをとらせているのかもしれないが。


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