縮刷版98年6月上旬号


【10月20日】 「P3」はトヨタじゃなくホンダだと思うけど、それは置いといて会社に出るとタカラから小包が届いてて、開けると22日に一般公開の始まる「東京モーターショー」の会場に展示される世界でも最軽量にして最も安価な自動車がまとめて何台か入っていて、早速開けてテールに10円玉を挟み込んでウイリーで走らせて遊ぶ、ってそりゃ「チョロQ」じゃん、ご明察。何でも歴代の日産自動車をモデルにした60にも及ぶ「チョロQ」を日産のブースに並べて見てもらおうってイベントを実施しているそーで、最近とみに再び人気もり返しな「チョロQ」でも格段に人気の高い「スカイラインGT−R」をはじめ「フェアレディZ」などを、現役車種だったら実物と見比べるか何かして楽しめるそーな。

 ハコスカケンメリジャパンからニューマン7th以下よく知らないけど、日本におけるGTの系譜の中で絶対に落とすことの出来ない人気車種が「スカG」。もうこれは日本人にとってテストに出るなんて生やさしい事を言わないくらいに常識中のジョーシキなんだけど(ちょっと強引)、例のフランスから来たゴーンとかゆートルシェも真っ青な似非インテリ、主力の村山工場ぶっ潰すだけに飽きたらず、日本だけでしか人気のない「スカイライン」も生産打ち切りになんてしよーとか考えているかもしれない。そこで提案。「スカG」をこよなく愛するファンは日産ブースで実車を眺めるだけじゃなく、ブース2階の「チョロQ」を見て「スカG」の前にたまってその人気ぶりをフランス野郎に見せつけてやって下さいな。例え模型であっても人気抜群な「スカG」の様子に是非一考の余地を与えて頂きたいものであります。

 「チョロQ」に限らず車物ってのは永遠不変の人気があって、それが時々ザバンといった大波になって賑わうってなことがあるみたいで、最近だとマテルの「ホットウィール」なんかにもジワリジワリと人気の波が押し寄せているよーないないよーな。N大学工学部だけの話かな。マクドナルドのハッピーセットでマテルの商品から「バービー」か「ホットウィール」のどちらかがもらえるキャンペーンが今展開されていて、ドールな人は「バービー」をマもらっているよーだけど、「ホットウィール」もあれでなかなか見栄えが良くってついついセットを頼みたくなる、頼まないけど。某防衛政務次官の首を飛ばした「プレイボーイ」の最新号でもグッズ紹介で「ホットウィール」が出ているし、昔懐かしい商品に編集おじさんマーケティングおじさん達の血が疼いているのかな。

 ドールと言えば同じくタカラから届いた参考商品にとてつもないものが。いわゆるジェニーと同じサイズのドールの素体なんだけど、既存のジェニーやリカちゃんとは決定的に違う点として、何となんと何と関節がむき出しになっていないのに、ちゃんと手足も腰も足首も手首も首も股関節も曲がるよーになっている。いわゆる「やわはだ」で固いボディーをくるんでいると思ったら違って、おそらくは針金っぽい芯で作った骨格を、人間の胴体の形をしたゴムだか何かでくるみ包み込むようにしてボディーを成形してあのだろー。芯がズレることはなく手足を握っても胸を押しても隙間がペコペコすることがない。

 プロトタイプだからなのかボディの成形にも力が入りまくっていて、まずウエストやお腹のラインが本物っぽくなめまかしく、キュッとくびれたお腹にはうっすらと腹筋も浮かんでいてなかなかに美しい。スラリと伸びた手足の美しさは手首足首膝に関節が見えないこともあってこれまたリアルさ抜群。しかし何より以上に凄いのは、1つは「やわはだ」系と違って押しても潰れない、にも関わらず素材の関係で弾力もたちゃんとあるバスト。大きさについてはまあ自在に変更が可能なんだろうけれど、試作品は突き出した砲弾型の胸に思わず頬摺りしたくなるくらいの見事なラインが作られている。そしてやっぱり試してみましたパンツ脱がしてみましたそこに見た物は(以下次号)。

 いや次号は別にないけれど、股関節が見えないためYゾーンがトルソーもかくやと思わせる、これぞ小股の切れ上がったと言わんばかりのリアルな立体感を持って造形されていて、こっちは指先でちょんちょんとつつきたくなってくる。パックリと桃割れしたお尻の盛り上がり切れ込みの美しさ。これだけの素体に付いている顔がいったい何だって代物だったのが残念だけど、まあプロトタイプなんでキャラ物だろーろオリジナルだろーとそれなりの顔が製品化の暁には乗ってくるころだろー。関節があってこその人形っぽさって声もきっとない訳じゃないだろーけど、見れば納得のボディーなんて是非ぜひ素体だけでかつ手足の長さは無理としてもせめてバストの大きさくらいはバリエーションを付けて販売して頂きたい。ドールのマーケットに必ずや新風を巻き起こしてくれるでしょー。しかしいやはや。

 「ヤングアダルト」というジャンルの定義が日本とアメリカで違うことは知っていたけど、アメリカのヤングアダルトとしてティーンに大ベストセラーとなっている「ウィーツィ・バット」(フランチェスカ・リア・ブロック、金原瑞人・小川美紀訳、東京創元社、980円)を読むとあらためて違いがよく分かる。なるほどランプの精が出てきて願い事をかなえてくれるってな、ファンタジックなシチュエーションはあるけれど、それは本筋とはあんまりリンクしていなくって、むしろティーンが全般に抱えている悩みをごちゃっと詰め込み主人公に次々と負わせつつ、ケセラセラとばかりに乗り切り何とかうまくやっていく展開の、どちらかと言えば「青春小説」に近いノリとなっている。まあ昔の「コバルト」は性の告白体験本なんかもあってリアルにティーンの気持ちを反映させたり願望を充足させたりする小説が交じっていたよーに記憶しているから、むしろその後のファンタジー、SF、耽美なんかが主流となって「ヤングアダルト」と呼ばれるよーに日本がなっただけなのかもしれない。ちょっと不明。

 もとい「ウィーツィ・バット」はショートヘアなちゃきちゃき少女が出逢った少年が実はゲイでだったら2人で良い男を見つけようってな具合につるみ始めた所に前述のランプの精が登場。少年には彼氏、私にはいい男、そしてずっと暮らせる家の3つを望んだら、まさにそのとーりになってしまってさててな感じで進んでいく。両親は離婚していてゲイのカップルと同じ家に暮らす少女がやがて妊娠・出産へと向かい、そこにエイズの問題とかも絡んでくる「現実のアメリカのティーンの問題」を極端なまでに1冊に詰め込んであって、ネガティブなご都合主義に溢れているよーな気もするけれど、まあそれこそが「ヤングアダルト」つまりはティーンが読んで中身を理解して泣いたり感動したりするために書かれた本ってことなのかも。ことあるごとに「ひえー」と吃驚する主人公の少女の弱気にならずくじけず前向きな姿勢が日本で果たしてどれくらい受け入れられるか。5冊シリーズらしいその1冊目の反響が後の正否にも関わって来るんで、しばらく反響を観察していこー。


【10月19日】 「ニュースステーション」を日課で見ている人なら直前に放映される「世界の車窓から」で必ずかかるテーマソングが耳に馴染んでしまっているだろー。何を隠そう(隠してないけど)その作曲家にしてたぶん演奏もしている人がチェリストの溝口肇さんで、って実は「世界の車窓から」ってアルバムを買って始めて気が付いたんだけど、ウィンダムヒルなんかが大流行してジョージ・ウィンストンが大人気になった前後にもてはやされた「ニューエイジミュージック」ってジャンルに入れられてしまった関係からか、ジャンルの衰勢とともに近所のCD屋で名前を見ることがなくなってしまって、9月に久々の新譜が出ていることを1カ月以上も知らずデビューアルバム「ハーフインチデザート」の頃からのファンとして申し訳ないどころか万死に値する罪を犯してしまったと深く悔やむ。何せこのアルバムを聴きたいがためにCDプレーヤーを買ったんだからね。ついでにアルバム発売のイベントがちょっと前にあったそーで久々なナマ溝口を見る機会を逸してしまったことを地団駄を踏んで悔しがる。

 ニューアルバムは「Eternal Flame」ってタイトルで一時期さかんに電子楽器とのフュージョンを演っていた頃から比べると大きく様変わりしたオール・アコースティックに近い演奏で静かなクラシックにも似た楽曲ばかりが収録されていて、心静かに秋の夜を過ごしたい時などにぴったりなアルバムとなっている。オープニングの「an engagement」なんかは聴いているうちにスピーカーへと吸い込まれて周囲の草原あるいは森なんかが見えてきそうなくらいに透明感あふれる曲。5曲目の「graceland」はギターをフィーチャーしたメロディアスで涙の滲んで来そうな哀しい曲。ジャケットのこれは海岸(?)を歩く犬の写真に喚起される田舎の漁村あるいはジャケット裏のストーンヘンジに喚起される田舎の草原のイメージも加わって、ガシャガシャとした都会に済んでゲシャゲシャした会社に務めて溜まった澱を、深く沈めて浄化してくれる。秀作なり。

 改めて参加しているメンバーを見ると、最近はアニメの業界でつとに有名な菅野よう子さんがピアノで参加していて、あっと気が付いてアルバムをひっくり返してみると随分と前から参加していたことが判明、そーいや「天空のエスカフローネ」も確か2人が音楽やっていたんだっけってことも思い出す。なお驚いたことに溝口さん、いつの間やらご自分でホームページまで立ち上げていて、それも全部を自分で作って更新していることがQ&Aのセッションから明らかになって、もっと早く気付いておけば10月15日のイベントにも参加できたのにとここでもファンにあるまじき出遅れを悔やむ。とどめは奥さんに関する記述である業界においては絶大な人気を誇る作曲家と判明、ああつまりはそーゆーことだったのかとゆー驚きのあまり今ちょっと気分が高揚してます。やっぱりファン失格だぁ。

 しかし近作では「OUT」をはじめ山ほどのテレビドラマの音楽を担当して「ピュア」では和久井映美さんの死んだお父さんだかの役に写真だかで出演していたほど(それだけ美形なんす昔から)の人だとは知ってはいたけど、まさか深田恭子さんのアルバムにまで参加していたとは驚いたおどろいた。関連する記述があって相当に良いアルバムに仕上がっているそうなんで買おう、ポスターついて来るかな。あと溝口さんのページで興味を引いたのは、この10年くらい使っていたチェロを売りますって案内。1700年代のイタリア製で作者はカルカッシィ、金額は280万円で30万円相応の弓もつくそうなんで、気軽には無理だろうけど興味のある人は問い合わせてみるのが良いかも。流石にギターも弾けない僕では買ったところで(買う金もないけど)タカラのダッコちゃんなんで諦めます。我こそはミゾグチストと思う人は安いなりに理由はあるそうだけど古くて良い音が鳴るチェロを手にいれてみては如何。

 飛鳥部勝則さんて人の「バベル消滅」(角川書店)を課題図書として読む、ある島の中学校で美術の教師が殺害された事件を発端にしたかのように、不審な島民の死があいつでその何れ物「バベルの塔」の絵が絡んで来るとゆーストーリー。思わせぶりなインターミッションを経て解決編へと至り明かされた真相にあらためてページをめくり直してみたり、その丁寧な説明ぶりにはあるいはさらなる裏でもあるのかと勘ぐったり、推理する楽しさを存分に与えてくれる本。美術を絡めて描いていく筆致の端正さにも結構引かれるけれど、それ以上に何といっても冴えない中年男が中学生の美少女になぜか慕われるとゆー設定だけで、あたしゃ心からオッケーと叫びます。まあそれは本気としても痛い世代にある少女がいたわりによって再生を遂げる書としても読める、というよりそー読んで個人的には欲しい1冊。口絵の作者が描いたとゆー少女がアレなのはアレなんでちょっとアレして欲しいけど。

 市ヶ谷に「本とコンピュータ」の編集部をたずねて取材など。季刊ってことで津野さん萩野さん松田さんの編集長老3人が入ったらいっぱいな部屋でしこしこ作っているのかと思ったら、ウェブも手がけたり最近あとオン・デマンド出版も始めようかとゆー仕事的拡大ぶりもあって人数機材が必要らしく、「パク森」(有名なカレー屋らしーけどまだ入ったことない)から坂を上がったビルの1階部分を結構広くとってオフィスに仕立ててあってちょっと驚く。マックもポリタンクがゲシゲシと並んでいてこれまた羨ましい限り、自助努力の果てに借金でメビウスを買って使ってる某某な新聞社とはえらい違いだわ。総じて近況などを聞き「本もコンピュータも両方あってこそ」ってな感じに落ちつき引き上げる。引き上げ際に編集者からライターへと豹変した某某な人よりありゃこりゃ聞かれて表は平静でもちょっと内心ドキドキでしたが。アライユキコさんならご存じ、ですよね某某な人を。

 例えば車を作る時に座席を2人乗にして設計すれば当然乗れる人数は限られて4人家族なんかだと置いていかれる人が出ることは分かり切っているだろう、その上で2人乗りの車を製品化して出す以上は2人乗りにするメリットが4人乗りにするメリットを上回る確信を決定権者が持っている訳で、これが実際に車を出してみたらやっぱり4人乗れた方が良いなんて声がユーザーから起こったとしても、真っ当な決定権者だったら文句が出ることを当然予想に入れた上で踏み切った決定なんだから、変えるなんてことをするはずがないよね。もしも「やっぱり4人乗りに改造だ」なんて言い出すようだったら、それは変わり身の早さとかいったホメ言葉よりもやっぱり無定見と謗られるのがオチ、部下からは「そら見たことか」と嘲られ株主からは「無駄遣いしおって」と訴訟を起こされ本人は恥ずかしくって穴があったら入って岩戸を閉ざしてそのまま永遠に出てこないよね。だから何って訳じゃないんだけど、まあ一派論としてそーゆーものだよねっていいたいだけ。後は皆さんが想像して下さいな。


【10月18日】 確かに「同じ日の写真を2号使い回しで、しかも、ケーキとお茶しか頼んでいないのに、フルコース頼んだように見える、という見事な編集テク」だったと納得したのは、「サイゾー」の宮台慎司さん宮崎哲弥さんのM2コンビにプラス東浩紀さんのトリオで贈る連載対談企画「われらの時代に」の会場で、皆さんお皿の上のケーキらしいんだけどセピアな色なんであるいは猫缶開けただけかもしれないブツをもしゃもしゃと食べている図が、本日発売の最新号にちゃんと写っていたから。それでも皿の上のケーキの数が対談者の倍は置いてあって、あるいは別に乱入したらしいってなことが「成宮・岡田のとりあえず押さえておきました」でバラされている成宮観音さんと編集長と編集某あたりの分なのかってことも考えついたけど、だとすれば主賓の3人がようやく食べようとしている写真の中で、手前に人が写ってないにも関わらずすでに平らげられた皿があるのは、話が盛り上がっている最中に1人もしゃもしゃとケーキを食べていた人がいたってことに違いないああ無節操、なんてことが妄想として再びモヤモヤと浮かんで来る、実に奥深い今回も対談記事でありました。

 なるほど「Jまごころ」とは「J」を付ければそれは「ニッポン文化の最先端」的捉え方がされる現代の風潮を実に見事に現していると拍手拍手、みつるつるつを(326、片岡鶴太郎、相田みつをを足した造語)のお習字お言葉3人集を中核に周囲へと散らばる「まごころ」な方々の相関図は、もはや生存すら確認できない国武万里や名前だけな真心ブラザーズへと繋がっているのは愛敬としても、これほどまでにうざった、ゴホン失礼優しい人たちのあふれる地球になったってことが分かってとっても息苦し、エホン心励まされる思いがする。図にのって最近なんかは甲州街道を新宿南口からアスキーへと向かって歩く途中にある寺の入り口にまで類似の習字が掲げられているからなあ、ってもしかしてこっちの説教の方が伝統あるのかな、読んでもあんまり有り難くなかったんだけど。

 しかし「Jリーグ」のイメージどんぴしゃな使われ方から「Jビーフ」のツマらんけどまあ許せる的使われ方を経て最近だと「J文学」ってな一見相反するイメージの言葉を無理矢理つなげることで反発でも好感でも良いからとにかくムーブメントを起こしちゃえ風悪ノリまで、様々なカテゴリーに「J」を付ける動きがずっと続いて来たけれど、「J文学」と同じ河出書房新社が「Jコミック」なるレッテルを張ったマンガの紹介ムックを作って販売し始めているのを見るにいたって、いよいよもって誰か止めくれないと、日本にあるすべてのジャンルでちょっとカッコつけようと背伸びしたい時に「Jなんとか」ってな言葉が使われるんじゃないかってな恐怖に駆られてサブイボが立つ。さしづめM2プラスHな人たちは「Jロンダン」ってあたりになるのかな、でもって「誰も書かないJロンダン」とかってなムックの中でケチャケチャにイジられるんだ福田和也さんあたりも加えられて。うーんそれはそれでそれなりにそれだからどっかやりません?

 「ゲーム業界のドン」で任天堂ソニーセガのハード御三家ではなくナムコの中村雅哉さんにコナミの上月景正さんの竜虎とも狐狸とも例えられるソフトの2巨頭を取りあげる趣味ははたして「サイゾー」の誰に起因するものなのか、ちなみにあたしはカンケーありませんちゃんと「11月号」は本屋で買いました。セガでは社長なドンのさらに上を行くドンドンな大川功さんも一般経済誌とは違ってカケラも取りあげられていなくって、あからさまより搦め手から攻めるニンジャな雑誌の趣味性向を記事のセレクトに見た思い。音楽業界については萎縮も遠慮もなくガンガンと「日経エンタテインメント!」ではダイヤモンド以上に永遠に取りあげることの出来ない人物たちを、暖かいコメントもそえて出しているあたりはホント腰が据わってます、それともすでに反響デカすぎて腰が抜けている? がんばれ背後霊たちは応援しているぞ。

 今日はすべてこの時のためにあったとばかりに昼間の仕事はろくすっぽせずに夕方になっていそいそと新宿厚生年金会館へ。昨日も予告していた「サクラ大戦」絡みの発表会へ行くと山ほどの兄ちゃんたちの行列によーやくセガ・エンタープライゼスお得意の観客も入れた発表会だったってことに気付く、まあ厚生年金会館で記者会見ってのもヘンだしね。会場で読書なんぞしながら待っていると瞬く間に会場は人で埋まり、それも男ばかりじゃなくコスプレした女性もいて、当初はあざといばかりに男ファン狙いのイメージがあった「サクラ大戦」も、年月が経てよーやくフツー、にはまだちょっと遠いけど一般にもそれなりに認知されるタイトルに育って来たってことが認識できる。前に「ペーパームーン」のフィギュア売場に出張コスプレしていた時に見た紅蘭らしい人もいて、相変わらずのムチムチムチムチ度に眠気ちょっと醒めました。

 ドカンと始まったスカートひらひら脇わきわきなレビューの後、入交昭一郎セガ社長が両脇をさくらとすみれにほどんど捉えられた宇宙人のような姿で抱き抱えられるように登場して挨拶してからスタートした「SAKURA PROJECT2000」の全容公開は、とーぜんの如く「サクラ大戦3 巴里は燃えているか」が来年秋に発売予定との発表があってとーぜんの如く場内騒然となる。それだけならまだいいが。何と今度の「サクラ大戦3」はパリが舞台となって歌劇団を新しくパリにも作るストーリーになる関係上、さくらもすみれもとりあえずは登場しないとか。「自分にはさくら(すみれ、紅蘭、マリア、カンナ、アイリスetc)がいるんだ」って操を心に立てつつも、パリジェンヌな美女たちのムレムレな誘惑に耐えて任務の遂行を目指す、過去あらゆるギャルゲーには類のないストイックな作品なりそー、我慢すれば花組がパリに来るとかってなイベントがあるのかな、我慢できないとパリに骨を埋めさせられるのかな。

 それでも居並ぶ「巴里過激団・花組」な美少女たちは主役っぽい修道院の見習いシスターでちょっとドジなエリカ・フォンテーヌを筆頭に、金髪で勝ち気そーで斧なんか振り回しちゃうグリシーヌ・ブルーメール、別に英雄伝説は作らないだろーチビでベトナム出身で動物をお話出来るコクリコ、そしてこいつが1番謎な手首に鎖を垂らしたパリを舞台に暴れ回る強盗誘拐爆破と難でもござれの大悪党、なのに眼鏡っ娘だったりしてそれだけでファンが山と出来そーなロベリア・カルソーニ(トランシルバニア出身てあたりがキモ?)、さらに日本人だけどパリで育った北大路花火と粒ぞろい。まあ過去に山と作られた美少女キャラには類型類似はたぶん幾らでもあるだろーけど、喋り動けばそれでも印象は変わるし物語の中で感情も芽生えてくるだろーから、後は本編のゲームがどーゆー展開になるのかを期待しつつ来年の秋を待ちたい。

 チラリ見せられた映像は「青の6号」より以上に3次元CGと2次元のアニメとの融合が進んでいるよーで、明らかに3Dな機関車のタラップを2Dのセル絵っぽい大神が降りて来るシーンに始まって、3Dで緻密に作られたパリの街路を2Dのキャラが歩き回ったりする映像もあったりと相当に凄いものを見せてくれそー。腐っても(まだ腐ってないけど)「ドリームキャスト」、違和感なくシームレスに会話場面へと突入するアドベンチャーパートから3Dの光武っぽいメカがパリの街を駆け回るシミュレーションバトルパートまで、おそらくはセガの総力(といっても「シェンムー」部隊は除く、とすると余っているのはどれくらい?)を結集して作られるゲームに絶対買って損はない、と信じたい、たとえ「激・帝国歌劇団」がオープニングにかからなくたって。

 「サクラ大戦3」以外ではとりあえず「DC」向けに「サクラ大戦」「サクラ大戦2 君、死にたもうことなかれ」が移植されるってのが「桃天使」じゃないけどアニメパートの多いドラマチックアドベンチャーファンには朗報、それから遂に「サクラ大戦GB(仮)」の存在が明らかになって、これまた初公表なTVアニメシリーズの放映と連動して広く売り出し子供層に「サクラ大戦」の魅力を布教する先兵として活躍してもらうとか。発売は来年春で発売元はメディアファクトリー、ってことは最初に「サクラ大戦GB」を「ファミ通」誌上でバラした香山哲浜村弘一のゲーム業界ビッグバンコンビがタッグを組んで、現在好評放映中な「ジバクくん」の後番組くらいに放映してゲームもいっしょに突っ込む考えか。これでリクルートまでがCSKグループに入ってしまえばぜーんぶが「CSK」の旗のもとに集ってまとまりいーんだけどね。

 しかしそんなCSK色で一色の会場にも、リクルート買収問題では一応敵対していた挙げ句に身を引いたにも関わらず、臆せず引かず仕事があると思えばちゃんと現れる角川歴彦・角川書店社長はやっぱり根っからの商売人かも。登場した理由はガンジスの大月さんと並びで映画化の発表。公開時期とか未定だけどパリに行った大神の留守中、帝都に残って防衛にあたる「帝国歌劇団・花組」の活躍を描くものになる、のかな。映画は監督その他は未定ながら、TVシリーズは何とあの「lain」の中村隆太郎さんが監督を務める予定らしく、シリーズ監修あかほりさとるさんに音楽田中公平さんのオリジナルメンバーも参加して、マッドハウス制作になる作品がさてはていったいどんな展開になるのか、これまた興味が今から尽きない。熊ちゃんパジャマをアイリスが着てたら、それはそれで良いかも。

 エンディングで流れた「激・帝国歌劇団」の歌でプレスを除く全員が立ち上がったのは「歌謡ショウ」に通う人たちにとてのお約束、なのか。サビの部分で舞台上の人たちとまったく同じ手の振りをするのにはちょっと驚いたけれど、かくもこれだけの熱烈なファンを1つのゲームソフトが作り出したことには、土台となるコンテンツさえ強ければどーでもマルチユース出来るんだってゆ「ワンソース・マルチユース」の最強にして典型を見た思い。流行言葉を真似するオウムのよーに口先だけでいくら「ワンソース・マルチユースだ」と唱えたって、元になるコンテンツが弱々しく愛も篭っていなかったら、スタッフは誰も真剣に広めようと思わないしユーザーは誰も心底買って嬉しいと思わないから、なっ(誰に言ってるんだい?)。

 会場を出て歩いていたらどこかで見た顔、おやおタカラの前社長の佐藤博久さんじゃん珍しいと思って平行していたら車寄せにすーっと止まったベンツにCSK会長の大川功さんが乗り込もうとしている場面に遭遇、さらに大川さんが佐藤さんを呼んでいっしょにベンツで走りさっていったのを見るにつけ、あるいはセガ、バンダイとの合併の失敗の雪辱をタカラで果たすつもりなのか、それとも社長を解任されて中に浮いてる感じな佐藤さんをセガ・トイズに抱き込んで親子対決でもさせる気なのかと、珍しく記者らしく想像をめぐらしてみる。でもめぐらすだけで追い込みをかけないのはやっぱり記者らしくないかも、だってどっちにしたってたいした話じゃないもんね。

 仮定の話と前置きした上で言うならセガがタカラを買うのは別に悪いとは思わない。思わないけど同じお金をたとえば100億円だったら10に分けて10億円づつ、有意なソフトの企画に注ぎ込んだらあるいは1つが「サクラ大戦」くらいになって、100億を越える利益をもたらすかもしれない。それがソフト会社の経営の醍醐味だし本道だって思うんだけど、メディアってのはそーゆー地道な行為を現実に「サクラ大戦」のよーなケースがあるにも関わらず見ようとはせず、手っ取り早い話題に飛びつき煽って株価の上昇に寄与させらえるくらいが関の山だから、企業が目立つ美味しい所へと向かいたがるのもしょうがない。無茶な買収をやめて妥協するところは妥協しつつ美味しいソフトにはちゃんと資金を拠出する角川書店はやっぱりソフト屋だなあ。


【10月17日】 別に忠告が効いた訳じゃ絶対ないけどリクルート買収の件で買い手として名前を挙げていた角川書店が撤退を表明したとの報。発表とあってどこで発表したのかを掴み損ねる怠惰な記者が約1人、そこらへんいいたのは内緒だけど、実際んとこ正直言ってあの巨大な情報産業・リクルートを老舗で上場会社とは行っても家内制手工業の延長っぽさが色濃く残る出版社が買収したところで、御せないし扱えないし使えないと思っていただけに、無理して本体をいためて本来もっと角川には挑んで欲しいアニメだコミックだってな「オタク向けスポンサー」としての役割を放棄する羽目に、これでひとまずならないで済んだと僥倖を勝手に喜びたい。そーゆーのにすら金を出せないほどに、今のこの出版不況下で角川書店といえでも楽じゃないんだってことを暗に示しているとも言えなくもないけれど、明日の「サクラ大戦」からみの発表会じゃしっかり歴彦社長も顔を出すみたいなんで、売れ線への投資はまだ惜しまないってことでしょう。しかし何やるんだ「サクラ大戦」で?

 これでますますCSKグループ入りの可能性が増したリクルートだけど、本体的にはどーやらやっぱり自分ん家で引き取るなりしたいそーでそんなにキライか同じ功でも一方は「力」の部分が「刀」な中内の方が大川より良いかってな疑問も湧くけれど、戦後ヤミ市からのしあがっても今は立派な元経団連の副会長(だったっけ?)な中内の方が、何かしらないうちにひょひょいとコンピューター業界でトップに躍りでて、その人月体質をフルに発揮して仕事を受けて大きくなり、今ではインターネットの寵児とまで讃えられるベンチャーキャピタリストにして事業家、らしー大川と比べると、やっぱりやって来たことへの確実性って意味で上を行く。歳こそさして変わらない2人N「いさお」ちゃんの晩節に向けたひと勝負の行方はいかに。ワイドショー的にもオモしろいと思うんだけどやっぱテレビはサッチー・ミッチーがイサオッチより好きなよーで、残念。「ワールドビジネスサテライト」でどーっすかテレ東様ぁ。

 サッカーの試合は仕事の関係で前半しか見られなかった五輪日本代表チームの対タイ戦は、知らないうちに3点それも平瀬絡みでドドンと取って先発した我が名古屋グランパスエイトの主砲・福田のますますの出番薄化が進みそうで残念だけど1次予選で山と点をとっても真剣勝負な2次予選で沈黙してちゃ意味がねーってばかに活躍した平瀬もこれでフッ切れて、次のウズベキだったかキルギスだったかベラルーシだかなロシアケーキとのホーム戦でも大活躍をしてくれるだろー、いやして欲しい、だってその方が有頂天な柳沢への良いクスリになりそーだから。チームもいっしょだし。真夜中に放映されたイタリア・セリエAの「ヴェネチアVSインテル」戦は序盤からガップリ組んでスピードの速いパス回しと素早い動き出しによって、ホントにスペクタクルなサッカーを見せてくれる。あのロナウド・バッジョ・ヴィエリを抱えながらも1点しかとれず最下位間際なヴェネチアに負けたのはインテル痛いか、でもアウェーだし次のホーム戦では3人が3点づつ取る大リベンジが見られたら良いな。

 町山広美さんとか不肖・宮嶋茂樹とかのオモしろいエッセイ本が出ていて適当に読んでみて、ああやっぱり皆さんコラムニストなりで活躍する人の文章には含蓄がいっぱいあるもんだと思ってジッと手を見る、ペンダコがないのは石原壮一郎さんにはるか及ばず荒れてない手のひらには自炊に手を荒らす必要のない宮仕えのメリットが映し出される。しかしカメラマンの癖に(非難じゃなくその道の超プロって意味での強調語、みたいなもの)宮嶋さんの書く文章のタノしさキレ味といったら。オウムへも松田聖子へもゆるがぬスタンスを持ち決して媚びない強さを支えているのが、撮ってナンボの世界で第一線に身を起き活躍し続けている自身の現れなんだろう、って意味で2足のわらじ(写真と文)の相乗効果を期待できるケースとしてこれからも先を注目して見ていこー、ストーカーじゃ絶対にないから安心してね。

 しかし「フォーカス」の編集長だかを含む4人が刑務所を出るオウムの上佑氏を撮影しようとして(だったかな)上ったアパートで住居不法侵入だかで捕まったってな報道を読むと、それを単なる勇み足への天罰を見るよりは、相手がオウムならジャーナリストだって周囲をウロつかれるのを迷惑として引っ張る警察の、ある種の強いメッセージが込められた事件のよーな気がして仕方がない。張り込み夜回りにはどーしてもマンション(とくにオートロックなラウンジから1人では先に進めないよーなマンション)なんかへの侵入が不可欠なんだけど、ジャーナリスティックな「知りたい」欲求「知らせる」義務を満たすために犯す住居への侵入が罪とされる時代は、やがて返す刀で一般のメディアまでその監視の権限を及ぼしかねない不気味さをはらむ。不肖・宮嶋も仕事がやり辛くなる部分があるんだろーけど、お構いなしに人命より報道を優先させる真今時のブンヤとて持ち合わせていない魂を持つ人間だけに、気にせずガンガンと行ってやっちまったもん勝ちの美酒に酔うんだろー。冗談はさておきやっぱり時代の行方を注目したい。


【10月16日】 山形様にはアレがアレでアレだったんでアレしときましたんでアレして下さい(意味不明)。さておいて「聖戦士ダンバイン」のショウがバーンもガラリアもなぎ払って突き進む快進撃を見て寝て起きたらどうにも眠くってまた寝て起きたら午後の1時なんて時間になってたんで折角の休みを損した気分にフテ寝を決め込むことに決定、近所へと出かけ本屋に新聞を配達して(意味やっぱり不明)からナース姿で路上に仰向けに寝たお嬢さんの表紙に目がピクリ、読んで「SHENA RINGO」と書いてあってテレビCMで見たナース姿で暴れ回ってるシンガー椎名林檎さんだと判明してピクった理由の2割は判明したけれど、残りの8割が気になり手にとってめくりグラビアを読んで納得する。アラーキー荒木経惟さんの撮影、だったんですねぇ。

 黒味のバックに青っぽく浮かび上がった人物像ってないかにも荒木調なショットを冒頭に続くセッションは、路上でのポーズの他に横座りに構えない口半開きの正面ショットにエトセトラ、スタジオでアラーキーがよくやる写真が並んでいたけど、「ロッキング・オン・ジャパン」って掲載誌にはナースな林檎にアラーキーってことでなかなかに毒効いてて楽しかった。けどしばらく手に取ってなかったうちに「ロッキング・オン・ジャパン」、フォトグラファーに大森克己さんや笠井爾示さん(サニー・デイ・サービスを追った銀座から日比谷へのモノクロ写真が結構イイ)や長島由里枝さん(復活したの?)等など”J−シャシン”な面々がズラリ揃ってて吃驚。競作の写真集として読んでもなんか為になりそー。昔からずーっと使ってたら皆有名になっちゃったってケースなのかもしれないけれど、今これだけ揃えるとなると雑誌結構大変だろーからやっぱスゴいわ、「アサヒグラフ」や「アサヒカメラ」もこれくらい揃えてみナ。「AERA」も表紙いつまでも坂田さんじゃなく。

 林檎姫写真では横すわりしたナース服の足とスカートの裾が作るデルタ地帯とかソファーの上で寝そべったポーズでの黒い長靴下とミニスカートの間にのぞく白いフトモモとかにまず目が行きがちだけど、ツボは水たまりのキワにしゃがんだナース姿を上から見おろした時に服の襟ぐりからのぞく見えそうで見えない双房、ってあたりでしょーか、でも谷間も含めてそれほど量感を覚えないのはスリムな方だからなのかな。あと黒い皮パンツに赤いジショートコートの裾をまくり上げてこっち見て笑ってる顔が髪型も含めてちょっぴりアムロちゃんっぽいのは目の迷いか意図したものか。音楽的にポジションを比べるなんて林檎姫の歌を聞き込んだ訳じゃないから出来ないけれど、インタビューなんかを読んで思うに、女のシアワセを意識して唄い女を惹き付けるアムロちゃんに比べて女を排そうとして逆に男どもを惹き付ける林檎姫、てな類型的かつ偏見独断に満ちたご都合主義的二項対立の図式の産物でしかないのは承知の上で、突発的に分類してみた上でさっきの写真を見直してフムフムと考えてみたり。ってことで遅ればせながら「無罪モラトリアム」を買ったんでちょっと聴き込みますです。

 世界はカエルに満ちている、のかはどーでも良いことで”活字のフリーマーケット”ってな惹句も高らかに登場した「カエルブンゲイ創刊号」を査収、ありがとうアライユキコさんは決してテライユキではありません。米光一成さんなんかも関わって居るミニコミ誌っちゅーか体裁で見るなら紙なんだけど、ぎっしり詰め込まれたコラムは有名無名を問わずしっちゃかめっちゃかな人選でかつ内容もバラエティーに富み過ぎていて、隅から隅までズズイっと読むだけで結構な時間を必要とする、盛りだくさんなミニコミに仕上がっている。巻頭は「リスペクト対談」ってことで有名だけど誰でも知ってるかっちゅーとそうでもないライターなオバタカズユキさん石原壮一郎さんが対談していて、相手の仕事ぶり(ゲラ見ながらブスッブスッと笑う石原さん)とかライターとしてのイデオロギーのなさとか作家への反発しないけど憧れない奇妙なスタンスとかがあからさまに語られていて、ブンヤ失格なれどライターには半端な身としてとてつもなくタメになる。

 文藝春秋の雑誌「ナンバー」で連載持ってて本まで出す豊崎由美さんがこともあろうに何という訳だどうした物か、文藝春秋がウラで手を引く直木賞の選考で天童荒太さんの「永遠の仔」に対して示された、「長い」という叱責を発した選考委員の御大にかみついていらっしゃるのがミニコミっぽくって楽しいたのしい後コワい。続く見開きにドデンと載ってる対談の1人にも入っているけどこの似顔絵がまたすさまじいんだけど、ホントにこんなにすさまじいんですか知ってる人。コラムでは「一気読みが行く!」で伝田由紀って人が「日本ホラー大賞」を一気読みしててホラーを「文芸の体育会系」と定義しているのがハマってるよーでハマってないよーな不思議な感じ。枡野浩一さんの「一度見たら忘れないヘンなペンエーム的お名前」で「高田だから」ってのを999円で売り出してるんで希望者はカエルブンゲイまでもうしこみましょ、上辺は穏やかで内面は頑固で独創性があって堅実でむっつり助平で名誉運が強すぎる、なんだかワカラナイ名前らしーんでそれにピッタリな人は是非お買い求め下さい、買おうかな。

 「未来少年コナン2 タイガアドベンチャー」始まる、どこがコナンやねん。設定もらった時に少年と原始少年と美少女って設定がすなわち「コナンコンセプト」なんだと、某破壊美少女2人組小説が主人公変わって設定が変わってもやっぱり「ダーティペア」と名乗っていたことに準えて考えていたけれど、今時なアニメにはまったくもって奇跡的な顎しゃくれ下膨れな男性キャラクターに今回はまだ出てないけれどやっぱり今時なアニメにはまったくもって天然記念物な上下ピッタリの繋ぎっぽい服を来た美少女キャラクター、でもって物語は現代の遺跡発掘親子がナスカの地上絵に似ている(らしいが似てない)ロボット鳥が飛び立ってさてってな展開に、これを「コナン」というにはやっぱり無理に無量大数掛けたくらいの無理を感じ、これを売らなきゃいけない代理店やこれを放送しなきゃいけないコナンがフェイバリットな人たちの、苦悩懊悩に深く同情する。

 にしてはマクドナルドとかソニー・ミュージックエンタテインメントってな巨大企業にしっかりを枠を売ってたりする当たりに流石は世界に冠たる日本の代理店。ソニーに至ってはオープニングとエンディングの両方にアーティストを送り込んでて、「アニメのテーマソングって意外と売れるんですよ」的セールスにダマされたのかそれとも真剣にこれはいけると送り込んだかは知らないけれど、その英断にはやはり呆然を越えた驚嘆を覚える。「コナン」って言葉を抜きに純粋に作品として見た場合は、古さはタンマリとあるけれどダラーっとした週末に眺めている分には、逆に今時なアニメに特徴のあざとさも小難しい哲学もなく、純粋に連続アクション冒険ロマン活劇として害はないんでとりたてて異論はない。あと30年早かったらケッサクになっていた、かもね。


【10月15日】 大日本印刷から「季刊 本とコンピュータ」の最新号が届く、特集は「ほぼ日刊イトイ新聞」の糸井重里さんへのインタビューで、500日にも渡ってほとんどボランティアで様々なコンテンツを発信し続けて来た苦労や目的、今後の見通しなんかを聞いている。まあそれはインタビュー記事として立派だとは思うけど、総じて思うにこの「本とコンピュータ」って雑誌、「有名人がインターネット始めました」「有名人がインターネットについて考えてみました」的スタンスが見えるのがずっと気になっていて、そーした「有名人サイト」の代表格とも言える「ほぼ日」を取りあげてたことで、世の中に地道にシコシコと努力してアクセスを増やしている無名ながらも楽しいサイトの多い時代、っちゅーかそんあなネットの醍醐味をあんまり見よーとしないスタンスを改めて感じる。

 「ほぼ日」に関しては糸井さんの主義もあって有名無名を問わず同一のサイト内にコンテンツを置いて軽妙なコピーを付けて紹介しているから、ネットならではの誰もが一線ってな状況を当人はよく理解しているんだと思う。けどそーした「ほぼ日」が紹介される時は、どーしても糸井重里さん個人が前面に出る形になって、有名無名を問わず送り出している糸井さんはエラいねえ、ってなニュアンスがメディアで増幅されだけで、結局は「有名人がサイトやってまーす」の範疇を大きく越える事態にはならない。有名人は益々栄えて無名は最初の1歩に苦労する格差がなんだか益々広がってるよーな気がして、リアルワールドの序列がまんまネットへと持ち込まれ来る状況に、なんだか釈然としないものを感じる。

 もちろん糸井さん自身に責任はなく、むしろ有名人の威を借りて権威を付けたがるメディアの責任ってことになるんだけど、ことさらにネットなりコンピュータといった新しいメディアが既存のメディアとどう絡むかを研究している「本とコンピュータ」で、既存の権威を有り難がらなくっても良いんじゃないかってのが個人的な意見。雑誌を売るためには有名人が出ているってことが重要なのは分かっても、それほど収益を求められていない雑誌(ゴメンよ、でもそーでしょ)で、有名人の再生産をするこたーねとは思う。「インターネットは私の生活を変えたか?」ってな質問に居並ぶ25人はほとんどが有名な人たちで、ネットへの考察はなるほど文化人入っていて為になるけど、市井の無名な人間がネットによって暮らしを、仕事を変えたってな事例こそがネット的な状況に背を向けているよーに映るスタンスが、編集上の何に起因するものなのかを聞いてみたい、ってことで来週聞きに行きまーす(聞いてないよね)。

 ゲストん家に行く企画ではデパートの案内嬢を並べて重ねて写真の中へと合成する作品で知られるやなぎみわさんが登場、名前から女性じゃないかとは思っていたけどこれほどまでにビジンだったとはちょっと驚き、髪型にヘルメット入っているのは愛嬌としても、大きな目に凸凹のしっかりした顔のパーツにスレンダーな姿態でもって、例えばデパートガールの制服を着ればそのまま自分の作品のモデルになれそーな気もしないでもない、写真は時として真実以上の物を写すから直に見るまで断言はちょっと出来ないけど。

 伺うにもともとは生身の案内嬢にモケイのエレベーターを並べるインスタレーション作品だったものが、写真合成へと向かい最近の大型の写真にズラリと案内嬢を並べる作品へと至ってる。ただどーにも作家はそこから再びインスタレーションへと戻りたがっているよーで、エスカレーターにズラリ並んだ案内嬢を直に見られる可能性があると思うと、なんだか期待が湧いて来る。そーゆー作品を作るかどーかは不明だけど、先の「東京ゲームショウ」での「PS2」ブースの居並ぶコンパニオンの姿にナマな迫力と官能を覚えた身、やなぎさんにはこれを越える迫力の作品を、是が非でも作り見せてやって頂きたい。「レースクイーンの夜」って作品よりもスカートに太股の「案内嬢」にゾクっと来る僕の精神は何に起因するのかってな考察しながら待ってまーす。

 天よりの声が下ったので秋葉原の「ボークス」へ行ってサイみたいなスティラコザウルス型らしー「ゾイド」を1つ所望する。前に「次世代ワールドホビーフェア」で旧バージョンの「ゾイド」を2つ購入して未組立のまま部屋の肥やしになっているけど、最新を紹介する仕事で使う以上はやっぱり新しいバージョンを作るべきだと思い、ってなきれい事は脇において昔の奴がプレミアつく可能性が高いんでもったいないから組み立てられなかっただけの話で、それでも買った新バージョンの「レッドホーン」は旧バージョンで購入した「ダークホーン」とよく似たデザインで、両方を組み立てて並べてみたいってな気分にムクムクと駆られている。旧バージョンにプレミアがドカンと付いてたらヤメるけど、どーなんでしょ。ちなみに旧バージョンでもう1個持っているのは「デッド・ボーダー」。カッコ良いんだけど、これの新バージョンってのもあるのかな?


【10月14日】 朝っぱらから(といっても午前10時半)初台なんて地の果て(千葉から見たら)で記者発表があるからってんで早朝(くどいけど午前8時)に起きてまわし(鬱陶しいけど名古屋方面で使う言葉)してから電車を乗り継ぎ新宿へ。初台に行く時はたいていそこで京王線になんか乗り継がず、甲州街道をテコテコを歩いていくことにしていて、理由はご明察、文化服装学院に向かう若い女子学生のお尻をおっかけたいからなんだけど、時間帯がマズかったのか数がそれほどおらず、加えてのまるで「カムナビ」が仕業してんじゃないかと思うくらいの暑さで気分が萎える。JRの多分共済会か何かの古ぼけた病院の上にいきなり「エンポリオ・アルマーニ」のネオンサインが付いていて、いくら向かいの高島屋あたりから夜に綺麗に見えるとは言え、看板と建物の不釣り合いぶりには怒りや呆れを通り越して笑いがフムフムと浮かんで来る。ただ「ジョルジョ」じゃなくセカンドブランドの「エンポリオ」ってあたりがまだ不釣り合いぶりの緩和につながっているけど。

 途中に見かけたコンビニで1面頭に地方では載ってなかった「住友銀行さくら銀行合併へ」の大見出しがあり慌てて1つ所望、金融機関の合併は先の第一勧銀富士銀興銀の3バカ大将みたいな枯れ木も山の賑わいのケースがあって、ナンバー2にしかならない今回の合併が与える衝撃は一見低いよーに見えるけど、ニッポン経済発展史で参集だ解体だ系列だと常に引き合いに出される、身近な例だと居酒屋で注文する麦酒のブランドに日本的なくだらなすぎる社畜スピリッツとブランド神話が浮き彫りになる「財閥」の問題で、三菱と並ぶ三井住友の摂関級がプライドも対抗心も越えて一緒になるって意味があり、そーゆー情報にドップリと浸っている身には前の合併よりも衝撃は大きい。大学で慶応と早稲田、合併します? あたしゃどっちにも組しない外様どころか異国の人なんで分からないけど、やっぱ嫌でしょどっちの学生さんOBにとっても。まあつまりそれだけ世の中が激動に激震を重ねて激変してるって訳で、既成概念固定観念をホントこれから捨ててかからないと、硬直した考えに埋没してしまう恐れがあると改めて感じた次第、しかし流石にウルトラCEOにスーパーCEOとかってな2人トップの体制だけは打ち出さなかったなあ、これも山形@サイゾー効果?

 早稲田の端で見てるといじましいばかりの愛校心ってのはホント不思議に思える代物で、たとえば今日、早稲田であったらしー篠田正浩監督による映画「梟の城」完成記念講演会に、自称OB(事実OBなんだけどちょっちイメージがトんで過ぎるよーな)な小渕首相がノコノコやって来ては衆目を前に存在感をアピールしたとか。背中に「平成」の半紙が貼ってあったかどーかは知らないけれど。でも映画に小渕って前に某松竹が今年最大のヒット作になると豪語しついでにコンビニエンスストアで包丁振り回す店長のモデルになったおじさんも力強く押していたあの「山田」な映画の製作発表会の席に、ノコノコあらわれのぼる鳥の人形を「自分にそっくりだ」なんてオドけて見せたことがあって、ってことはつまり「梟の城」もこの時点で失敗が約束された映画ってことになるわけで、同じ明石散人さん文庫解説仲間な(格が違いすぎるけど)篠田監督を思ってシクシクと便所で涙する。羽佐間さんがどー思おうと知ったこっちゃないけど。

 初台では組版を簡単にしてしまうシステムを無償で解放するってな話を聞いて原稿を書いて角にある吉野屋からは送信できなかったけど近所の東京オペラシティから灰色電話で送稿、流石に電話屋のお膝下だけあって電話の台数は十分あってここいら辺ならモバイルもやりやすいだろーなー但しコンセントはないけどね。ついでだったんで1999年9月9日開館なんて銀河鉄道が千年女王なサイメビっぽい美術館「東京オペラシティミュージアム」で1000円なんて大枚はたいて「感覚の解放」展を見て、チョコレートは板に塗るより煮た方が楽しいとか卵アイスは向くときのペロリ感が最高とかあれこれケチをつける、じゃないインスパイアを受ける。出て別の寺田コレクションってのを覗くと、有名な難波田龍起さんの作品と対面して子息だったらしーフェリーから落ちて32歳だかで無くなった難波田史男さんの作品があって、人間やっぱ早逝するもんだと深い感慨を抱く、生きてちゃ今頃光だけなら7×3くらいピカってたかも。

 コレクションは現代のドメスティックな画家の作品に収穫があるよーで、例えば「文学界」の表紙でつとに知られる、どこにもない不思議な建物の絵で評判の野又穫さんとか本の装丁なんかで見たりする落田洋子さん、智内兄助さん、奥山民枝さんのナマが置いてあって企画展のついでだったとはいえなかなかの収穫、加えて舟越桂さんの版画じゃない、かの有名な珍しい初期の足がちゃんとある立像を作るときに描いたドローイングが1枚飾られていて、あの独特の重ね塗りした頭部の彫刻と同じトーンで塗られた顔や水晶じゃないけどやっぱり遠くを見るような目に、彫刻で感じる貫かれるような雰囲気とはまた違う、対面する楽しさを与えてくれていてフラリ寄った割には得した気分に浸る。彫刻とかも持っているのかな、あったら見たいけどでもやっぱり企画展で1000円は高いしなあ。

 遊んで仕事をするフリして飲んで帰って夜ですウィっすエクセルっす「エクセルサーガ」の第2回目を見てなるほどナベシンがやってるっぽさを存分に納得、テンション高いまんま最後まで落ちもなく突っ走る三石琴乃さんの収録後も高揚感が残っているのかそれともぐったりしているのか、いずれにしてもシラっとだけはしてなさそーなイメージを喚起させられる徹頭徹尾のしゃべくり倒しには心からの拍手を贈りたい。お話は無茶目茶で途中の展開に欠伸も出たけど(真夜中だもんな)、とりあえず単純に新聞で公募したんじゃなく必然としてハイアットちゃんが到来するまでを見せて、13話だか26話だかの中で導入から結末までを何とか通して描こうとしている努力は感じる。杞憂もしくは徒労かもしれないけれど。予告編で喋ったハイアットちゃんはセリフ回しが10円安で雰囲気がルリルリな不思議さ炸裂。来週からの活躍あるいは瀕死での演技にホント期待が募ります。


【10月13日】 ををををメイドの栄(えー)ちゃんが、と謎な感動はさておきこっちも謎めいたペーパーバック風装丁の低価格本「スマイル」(永井宏、サンライト・ラボ、505円)を読了、読み始めに思った「モラトリアムのハーレクイン」って印象については大きく変化はないけれど、こう例えると何だか小馬鹿にしていると思われるかもしれないから補足すれば、青春のある時期、夢を抱いて生きていられた時期に立ち返り、実際にはあり得なかったモテモテなシチュエーションの中で、自分自身の進む道を不安と希望の入り交じった気持ちで探る、ある種とっても贅沢な気分に浸らせてくれるという意味で、あり得ない男女のゴージャスな愛を描く、んだと思うけど読んだことがないから実は良く知らないハーレクインの神髄と、共通する部分があるよーな気がして浮かんだ印象なんで、まあ誉め言葉だと捉えてもらって構わない。捉えられないだろーけど。

 ちなみにタイトルの「スマイル」は、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソン幻のアルバム「スマイル」に起因して、学生時代に撮り溜めした自主映画を完成させられないモラトリアムな気分を描く意味で付けられたよーな感じ。断片を想像の中で膨らませても結局は1人では完成させられなかったアルバムのエピソードが、仲間がいることの素晴らしさを惹起させてそーゆーシチュエーションと無縁だった(高校時代の同級生との交流ゼロ、大学時代の同級生だってもう何年も合ってない)人間に、思い出とゆーよりは得られなかった楽しさへの憧れを呼び起こして止まない。両脇に並べた2人の女性に順に先っぽだけ入れて「インディアンの誓い」とかってな半ば遊びで半ば恋愛のセックスを享受する主人公のモテモテぶりには、淡い憧憬なんかすっ飛ばしてただただあやかりたいと思うんだけど。表紙の写真のよーに綺麗な人生の断片を詰めて固めた気分のタイムカプセル、読んで嘲笑するも良し、けど浸って羨望に涙するも自虐的でナルシスティックでまた楽し。

 「アサヒグラフ」の10月22日号が彫刻家の舟越桂さんの大特集、しょーじき行って10年は大袈裟だとしても5年遅いよね、着目するのが。まー僕自身も芸大の院を出て西村画廊で個展を開くまでの時期はもちろんその後のロンドン滞在やベネチアビエンナーレ参加を知っているかって言われれば全然知らなくって、9年ほど前に読んだ「小説新潮」の冒頭のグラビアページで紹介されているのを見て、その余りなインパクトのある具象彫刻に衝撃を受けた口なんで遅い方には属するけれど、それでも当時に作品を購入していたら、このバブル後の大不況を補って余りあるくらいのプレミアムを得ていただろーことは想像に難くない。かのベストセラー「永遠の仔」(天童荒太、幻冬舎)の表紙に使われてなおいっそうの知名度を上げた舟越さんの作品だもん、初の作品集「森へ行く日」(求龍堂、サイン入り持ってるよーん)を出版したあたりで1体600万円とかって画廊の人に聞いた値段って、いったい今幾らくらいするんだろー。

 床屋を改装したアトリエってのが綺麗で明るくって温かそう。作りかけの彫刻があって短パンに「エアジョーダン」履いてTシャツの舟越さんがいるってだけで、それが1つの作品って感じになっちゃうから。記事で面白いのは作品のモデルになった人が登場しているコーナーで、「永遠の仔」に使われたマフラーをまいた女性の彫像「砂と街に」のモデルはブックデザイナーの人で見ると彫像は笑顔じゃないから一瞬イメージ違うけど、眉と通った鼻筋の形がまさしくモデルと一致してなるほどと思う。最新作な「時間の地図」のモデルは美術館勤務の女性でこれは口の感じがそっくり、「音の櫛」はもう顎の形が本人の気になる部分までをも再現していて、それでいて雰囲気はしっかり舟越彫刻になっているのが面白い。あとモデルの人が必ずカメラを見据えているのに、彫刻は特徴的な「遠くの人を見るよう」な眼差しなのが似て非なるイメージを醸し出している要因か。初期作品「中野の肖像」は積もった時間がとっても残酷、おっさんって哀しい。

 田町の駅から結構歩かされるビルに入った日本で万年ナンバー2な広告代理店の広報に挨拶に行く。万年ナンバー1な広告代理店より建物が新しいだけあって調度は良く、また受付の脇にあるロビーに置かれた椅子とテーブルでいかにもキャリアなスーツ姿の女性たちがスカートからのぞく脚を組みつ伸ばつ、風に色はあるとかないとかパイをつつきながら大論争、ってのは嘘だけど美人たちがいたのは本当で、そーゆー姿を離れたソファーに座ってながめていると、世の中は本当に絶対に心底究極に不公平だと内心より怒りがこみ上げる。男所帯に漂うは酒を汗と愚痴をフケ、だもんなあ。ガラスのパーテの部屋で近況などを聞きつつ、「となりの山田くんは」「火魅呼伝は」などと冗談にもならない雑談をして退散、もらった広報誌の「広告」で巻頭の東浩紀さんの連載が継続中なのを確認する。のべつまくなし出まくってる福田和也さんに比べるとどーしても音沙汰の無さが気になるだけに、何かやってるってことが見られるだけでもまあいっか。新作アニメも山とスタートしたことだし、「天なる」を越える作品を何か見つけられたかな。

 リクルートを買うの買わないのと世間では文学少女たちがパイをつつき……と元ネタの分かりそうもない引用は止めてマジメにリクルートの買収騒動も大詰めな感じで、実は担当分野なんで人ごとみたいに言ってられないんだけど就職転職住宅自動車書籍漫画のどれにもリクルートのお世話になったことのない人間なんで実はまったく感心がない、どこに行ってどーなろーとも「ぴあ」が休刊になるより個人的にはイタくないんだよね、だからどーして1000億とか1500億とかってな価値がつくのかもピンとこない。インターネットでの情報提供にノウハウがあるって言ったって、その情報は新聞記者が足で集めた(実はクラブに持ち込まれた)情報って訳じゃなく出先の代理店の営業が一所懸命集めた情報の集大成、買うならそーいった集稿システムまでもまとめて買わないと、単に情報いっぱい持ってるが如く思われているイメージの実は輝く月の表しか見てないよーな気がしないでもない。まあネットになれば放っておいても勝手に情報が集まりやすくなるってこともあるけれど。それも計算に入れてるってことなのかな。

 風じゃないけど色をつけたくないってのは出版に似た広告業で食べてる会社なら当然考える処世術、大川なドドメ色のCSKがいくらベルシステム24(関連会社じゃん)に東京電力を入れたって、あの老人の顔が消えて薄まって無くなる訳じゃないもんね。「64DD」辛いでリクルートを深い付き合いのある(その前の「ロッピー」「マリーガル」からダイエーを間に挟みつつ関係があったりする)任天堂なんかも巻き込む争奪戦になるってな観測も出来ない訳じゃないけれど、子供があの端末を使ってダウンロードするのが就職情報に住宅情報って訳でもないからな、まだもう一方の雄・角川書店のアニメ情報とかタウン情報の方が使い勝手はありそーだし、いっそ角川グループに任天堂まで入れてしまったら楽しいかも。しかし角川、「ドリームキャスト」じゃ同じCSKグループと共闘したのにこっちでは表面上ビジネス上のことながら敵対ってのは面白い構図。結論的には自社株購入で孤高を守るのが正しいよーな気がするんだけど。いっそ江副さんに御復活を願うかいや、藤波さんもこないだ歩いてる姿を見たことだし。


【10月12日】 JCOの施設は臨界を起こした施設の放射性物質が含まれた空気をバンバン外へと排出していたとかで、やっぱ新鮮な空気で仕事をしたいってのが人情なんだと深い理解を……出来る訳ゃねえわな。つまり当たり前の事をしよーとしない人たちがやれ安全だ危機は過ぎ去ったって行って誰が信用できるかってことになり、不審は尾を引いて結果的にすべてのやることなす事が嘘だと見られて正しい情報が伝わらなくなる、「狼少年」の寓話はだからこそ寓話として永遠に残っているんだってことを強く思う。「警察は庶民の見方です。だから盗聴なんてやりません」って言ってる当の警察が、市民を脅すわ新兵を虐めるわどー見たって西部劇でしか使われないよーなコルトのシングルアクションアーミーか何かのモデルガンの銃身をくり貫いて改造銃の押収と偽るわと、やり放題だったりするから信じられないのと一緒でしょう。口では原発反対盗聴法反対と行ってその実何ら反対の力になり得ていない面背腹従なメディアよりはまだ分かりやすい気がするけどね。

 「東海村のウラン水」に続く不謹慎お土産の第2弾は「東海村のおいしい空気」の缶詰。鉛か何かの重たい缶に詰めて回りにはあの円に3枚の扇が3方へと張り出した放射能マークを黄色で染め上げ「開ければ広がるヨウ素のパワーで貴方の健康もー最悪」ってなキャッチフレーズを張り付けて、売れば平目な局長局次長部長課長の連なる暗くてジメジメとした陰惨な会社で働く下っ端な人たちにバカスカ売れること必定、買って帰って自分は事前にイソジンか何かのうがい薬をゴブリと飲み干し、それから缶詰をパコリと開けて「ヨード卵みたいなもんっすよ健康にいいっすよ」とか言って局長局次長部長課長の机の上にデデンと置いて、後は1週間ほど休暇に出て帰ってくればもうそこは甲状腺に放射性物質のヨウ素131をたっぷり貯め込んだ、超ケンコーな人たちの巣窟と化していることでしょー。おおなんて会社思いの僕なんだ。

 「エクセルサーガ」(六道神士、少年画報社)を刊行中の5巻に未収録な「ヤングキングアワーズ」10月号、11月号分もまとめて4度くらいづつ読み込んで、主人公のエクセルのバカ騒ぎカラ回りっぷりに反するかのよーな「己」の無さがすっげー気になる。悩んでも騒いでも虐げられても誉められても、常に誓うはイルパラッツォ様への忠誠であってそこにエクセル自身の主体性が見えてこない(見せていない)のは、或いは作者のふかーい設定上の意図があるからなのか、時折フラッシュバックする記憶とか揚力な博士の謎めいた部分との関わりとかってのもちょいちょいだけど描かれてるし。とはいえきっとアニメ版はそーゆー湿っぽい闇な部分は吹き飛ばして、ナベシンのこれでもかってなパワーに三石琴乃さんの元気が炸裂した、それはそれで楽しめる作品になるのかな。今週こそは見るぞ、起きていられたら。

 2週目な「ジバクくん」はオープニングに出る浜村弘一香山哲のゲーム業界臨界突破コンビのクレジットが相変わらずのド迫力だけど、それを置いても改めて見てなるほど「GC(グレートチャイルド)」のおそらくは本編に未登場の人たちまでも含めて流れていく展開に、先週の「みんなでみよー」イベントで作者の柴田亜美さんが披露していたアニメ化に向けた頑張りの成果を確認する。あと石田彰さんが演技の時に言ってた爆の性格で熱血にならないってな意味も、表情を変えず高飛車に突っ張り続けるキャラクターにはいたずらな叫びや騒ぎは無用で、けれども決して嫌味にも空威張にもならない不思議な壮快感を出していたことからも伺える。こーゆー分かりにくい柴田的なキャラがアニメを見ている子供や大人にどこまで受けるか不明だけど、さらに強い敵が出てきた時でもさてはてどこまで強がっていられるか、とゆーより強くあり続けられるかが演技も含めて面白そーなんで、録画でもいーからしばらくは見続けてみよー。「ジバク」風船しぼんじまったけど。

 布施英利さんの「電脳博士の田舎ぐらし」(NECクリエイティブ、1300円)を読む。「田舎で近未来の仕事を」とか帯の「ぼくは都会の生活にしがみついて人生を終えたくなかった」ってなのーてんきにインターネットの有用性を訴えた文章を目にすると、あなたが田舎でネット作家は素晴らしいお金も稼げて自由もたっぷりだなんて言ってられるのはメジャーなメディアでの実績をバックにした大量多数の読者が既にいたからだよ、あなたの成功譚はしょせんは特権階級の自慢でしかないんだよ、ってな具合に実は自分だってマスメディアの名前をパクって情報へのアクセスに利点がある身であることを棚に上げて、ついつい突っ込みたくなる。メディアが無名のネットワーカーで頑張っている人を蔑ろにして「ネット始めましたぁ」ってな有名人ばかりを取りあるって事にそもそもの問題があるんだけど。情報貴族はますます富み栄える。

 何でも布施さん「布施英利サイトB」ってサイトを立ち上げ有料でコンテンツの発信なんかをやってるよーで、月々数万円のあがりを得ているこれを果たしてたくさんと見るか少ないと見るか。無名なコンテンツが無量なメールマガジンに広告を入れてやっていこーとしている時に、わずかであっても有料で文章が売れてしまうってのはやっぱり知名度が物を言ってるんだろーな。やっかみじゃないけど「ネット美女」は雑誌にバンバン出るのに「ネット美男子」ってのが載っているのは未だ見たことがないのも、オヤジな下心に責任があるとは言え女性がちょっぴり羨ましく思えてしまう。だったら「ネット美男子」で出してもらえるかってーと、本人だけがそー思ってるんだけど、どーでしょーか知ってる人たちぃ。


【10月11日】 連休も最終日なんで片づけるべく部屋を掘る。積もった本を重ねて積み上げ読み捨てられた雑誌をポリ袋に詰めてゴミへと出してどーにか床を見えるよーにする。行方不明だった腕時計の「G−SHOCK FROGMAN」を発見、読んだ本の順番をベースにした記憶から判断した地層の年代からして2週間くらい前のものと判明する、あとビデオのリモコンも発見、これは1週間くらいか。AVアンプ向けのリモコンは別の場所から発見、こちらはおよそ1カ月くらいの行方不明期間があったなあ、見つかってよーやく遠く離れた場所からテレビとビデオとDVDとゲームの切り替えがボリュームも含めて操作できるよーになったよ嬉しいなあ。こーゆー事態を避けるために例えば篭でも用意してそこにリモコンを集めておけば良いって意見もあるけれど、今度はきっと篭ごと地層の下へと埋もれてしまうから意味はあんまりないかも。リモコンってどーすれば無くならない?

 ちゅーわけで「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生」のDVDを買って自宅のDVDプレーヤー「パイオニアDV−S5」とAVアンプ「VSA−D6」とソニーの安物21インチステレオテレビな環境で再生してみても、いわれてているほど酷い代物と思えないのは単に見る目がないからなのか映像への感性が鈍いからなのかテレビが安物なんでどんな美麗な映像を再生してもガタってノイズって見えるから慣れてしまっているだけなのか。靄ってるのはエヴァのDVDには特徴だったしTVシリーズは「機動戦艦ナデシコ」も同様で4話入ってあの値段ならお買い得ってな印象を最初から持っていたからビデオCDより良ければオッケーだったし。とは言えこーゆー緒気楽な人間がいるからDVDでお手軽に商売するってな人が増えても困るんで、あっちのページで質へのこだわりをもーちょい勉強してみよー。

 トウジが乗ってた黒エヴァの場面とかでの黒色の潰れっぷりはやっぱ気になるかな、あとエレベーターでのアスカとレイの気まずいシーンでアスカが鼻グズる直前でレイの顔とか髪に白い雨がチラチラふるのはDVDのせいっちゅーよりマスターのせい? 自分家の環境のせいなら仕方がないとして、マスターのせいだったとしたら、きょうび30年も昔の「ウルトラセブン」だってフィルムの汚れを落としたかのごとく画面からノイズ消しちゃってワイヤーが見えるくらいに綺麗に出来るくらい技術が進歩してるんだから、でも同じパナソニックが絡んでいることでもあるし、やって出来ないとも思えないんだけど。アニメと実写は違うのかな、まーその辺も勉強べんきょう。「プレイステーション2」でDVDを商売のネタにしよーとしている映像ソフト会社も勉強べんきょう。

 「サイレントメビウス」の最終巻になるらしー12巻を購入。12年といえば生まれた子供がもうすぐ中学校に上がるかという長きに渡って、幾多の中断も挟みつつ描き継がれて来た作品のクライマックスを飾るだけあって、かつてない最強の敵を相手に香津美・リキュールをはじめAMPのメンバー大苦戦。メネシスは時空の扉を超えて地球へと迫り、接触すれば全銀河が消滅するという危機に、AMPのメンバー全員の力のみならず、敵対していた妖魔(ルシファーホーク)の力も集めて最後の戦いが繰り広げられる。決してあきらめない気持ちの大切さ、子を育み次代へとつなげる女性の強さをメッセージ込めた作品の完結を機に、連載を支えたファンより下の世代も是非ぜひ御一読を、って何か商業誌のレビューっぽいぞ。巻末の座談会にある麻宮騎亜さん監督による劇場版の第3弾、実現期待してまーす。


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