縮刷版99年10月上旬号


【10月10日】 流れで同じケイエスエス販売から順調リリース中なDVD版「To Heart」の第4巻などをつらつら、第6話登場の雛山理緒ちゃんは全話の中では長岡志保と並ぶくらいに幸薄いキャラだってことに思い至ると同時に、一見やる気のなさ120%な癖に浩之、細かいところでさりげなく自分をアピールしてしっかりと女心を掴むその手腕を、今から果たして真似して得られるものがあるのか無いのか無いんだろーなやっぱ。おまけのショートアニメに何故か浩之と釣りに行く来栖川芹香が登場してていっしょにセリオが付いて来るのは何故かと訝っていたらそーゆーオチのためだったのね、便利な奴、でもマルチにもおんなじ機能はついてるんだろーか、でじこには付いてるみたいだけど、って作品が違う。

 「プレイステーション2」の投入で普及が予想されるDVDビデオのタイトルだけどことアニメについては元より要求水準の高い人が多いから果たしてどこまでその要求に答えられるかによってメーカー側の誠意が分かるのかも。黎明期だったならまだしも今やほとんど全てのアニメのタイトルがDVDになる時代なんで、技術が発展途上ってな言い訳も通用しないからね。見たばっかりの「To Heart」については人によっては意見があるみたいだけど個人的には特に異論はない、ってゆーか画面の女の子たちに目が眩まされてノイズとかに気付かないだけだったり。ところが最近出たばっかりな「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生」には聞くところによるといろいろあるみたい

 すでにオマケに吊られて今もショップによっては山積みで場所を食って店の人を泣かせているLD−BOX版を買ってしまったんでDVD版はまだ実購入なんだけど、使ってるハードがいっしょなんで同じ症状が出るんだったら製品そのものがマズいかそれともハードとのマッチングが良くないか、いずれにしても問題があるってことになるから買って確認してみよー。価格が同じか安いんだったらビデオと同じ水準でもコンパクト性に免じて許してやっかて気にもなる、けど高画質を唄ってビデオにも劣る水準だったらやっぱマズいっしょ。LD版とも比べてみたいんだけどプレーヤー故障中なんでちょっと難しい、ってゆーより未開封のまんまで転売してプレミア分を稼ごうとしたさもしい根性が肩すかしを喰らって脱力のうちにプレーヤー故障へと突入して機会を逸してしまっただけ。「エヴァ」にはいつまでも引きずられるなー。

 綾辻行人さんのサイン会の整理券を新宿まで貰いに行く気力がなかったんで秋葉原から神保町あたりを散策して休日の中日を過ごす。「ゲーマーズ」ではでじこグッズがいきなり増えてて購入する男のガキどもが山といて、中に交じってアニメ版のイラストが描かれたクリアファイルを買う勇気がなく平日にこっそり出直そうと心に誓う。隣りにあるゲーセンの機械が動かないとクレームを寄せた客に向かって「どういう状況なんですか」「お金を入れたんですか」「どの機械ですか」と大きな声で事務口調に聞くだけで、行って確かめよーとしない女店員がいたのに他人事ながら血管をピクつかせる。隣りの「ラジオ会館」4階のモケイ屋とかにいる愛想のない店員よりはそれでも会話がなり立っているだけマシか、イベント会場のブースでもないのに、釣り銭のないよーにってな張り紙出してる店って秋葉の中でもあそこくらい、だかんな。

 神保町では三省堂書店でアニメ化になったのを契機に六道神士さんの「エクセルサーガ」を刊行中の5巻まで遅ればせながら買い内容を確認、安永航一郎さんの「県立地球防衛軍」とか東城和実さんの「黒いチューリップシリーズ」とかに連なっている「ご町内征服物」の1つと目されるけど前出の2作と違って防衛の側じゃなく侵略の側を中心に描いてる、ってゆーか正義と悪とが全然絡まず勝手にやってるってのが珍しいし面白い。「電撃アニメーションマガジン」のグラビアでハイアットが血をたらしている意味がやっと分かってむしろ少な過ぎると思ったけど、まあテレビだし。ナベシン監督のアニメ版も第1話を寝とぼけて見逃してマズった気持ち、来週からはちゃんと見て違いも含めていろいろ考察していこー。

 ほかに三省堂書店ではサンライト・ラボって無名な出版社が出ているペーパーバックっぽい装丁で表紙が綺麗なボートの写真で奥付に「限定6000部」なんて入ってる「smile」(永井宏、505円)を購入、海にヨットに別称に彼女に映画ってな、70年代末から80年代初頭の「POPEYE」文化が世界を彩っていた時代の香り漂う青春小説らしーけど、前書きによれば作者もそんなノスタルジックなイメージを意図して書いたらしーから、気分が合って分かる人にはそれなりな受け方をするんでしょー。イメージは分かるが何せ当方、海と彼女と映画と村上春樹には無縁の中学高校大学時代を送って来たから同時代的な感動は覚えないとは思うけど、逆に過ごせなかっことへの憧憬が読み終えたときに浮かぶ可能性もあるから未読の現時点では判断は保留。ただしこーゆー体裁のモラトリアム世代に向けたハーレクインってな雰囲気のペーパーバックってマーケット的に面白そーなんで、サンライト・ラボにはこれ1冊じゃなくいろいろ手がけていってもらいたい。けど一体どーゆー出版社なんだろ?


【10月9日】 飲み会から帰宅して千葉テレビで再放送中の「聖戦士ダンバイン」を見てアレンとジェリルの到来で精神的に追いつめられていくトッド君の今後はいかにと昔読んだラ・ポートの「聖戦士ダンバイン大全集」での各話紹介を思い出しつつ思い出せず記憶力(きおく・ちから)の衰えを深く感じる。ショウとガラリアが地上へと出てバイストンゥエルに戻るエピソードだったと記憶している「閃光のガラリア」ってもーちょい後だったっけ? そー言えば某「電撃ホビー・マガジン」が仕掛けた「ダンバイン」のリニューアル企画が「プラモデル・ラジコンフェア」でも飾ってあってバンダイあたりが何かやらかしてくれそーなんで、アニメの方もそろそろDVD化なんてことにして頂ければまとめて見られて良い感じ。しゃちょーひとつお願いしますよぉ。

 近所を散策して船橋西武の地下食品売場で2000年を記念する新型の玩具が入ったらしー卵チョコの「キンダーサプライズ」3コパックを買って昼飯替わりに貪り食う。ちょっとリッチな気分(ウソ)。某バンダイがこいつにインスパイアされて「デジモンアドベンチャー」で卵チョコを作ってスーパーなんかで販売してるけれど、流石に本家はミルクチョコレートの味わいといーチョコと中にカプセルとの微妙な隙間(内側のミルクコーティングが効いてるのかな?)といー、歴史と伝統に裏打ちされた風格がありますね。バンダイもーちょいチョコがカプセルにへばりつかないよー努力しましょ。トロルの入った妖精の家とか電話機の形をした鍵とかフランスパンを抱えた兄ちゃん人形とか、入ってる玩具の複雑さデザインセンスの良さもまた一級品で、こーまで複雑なもの入れて元とれてんのってな心配すら起こる。100種類以上集めるのは大変だけど売ってる間はちょい買い食ってカロリーと引き換えに満足を得よう。

 青山智樹さんのところで梅原克文さんが「カムナビ」(角川書店、上1600円、下1900円)は諸星大二郎さんの「暗黒神話」へのオマージュ(敬意)が込められた作品と話していてそーかと納得出来るかとゆーと個人的に「暗黒神話」(集英社文庫、600円)の読書歴に占める位置づけが余りに大きく単純にオマージュと言われてしまうと微妙に心が波立つ。確実に小学生だったおそらくは夏頃に「週刊少年ジャンプ」をたまたま毎週読むチャンスがあって、そこで連載されていた「暗黒神話」の絵柄とそして内容に衝撃を受けたのがあるいは「歴史物」への感心の根底にあるよーな気がするし、マンガとしての「SF」の力を手塚松本石森藤子とは違った側面で見せてくれた作品でもあって、そんな宝物のよーな作品を持ち出されるとどーしても素直に「カムナビ」の力量を把握できない。おそらくは20代後半から30代の人間に多い「暗黒神話」ファンへの挑戦とも取れる態度はまあ梅原さんらしいけど、だからこそ10代20代の諸星ズレしてない人のストレートな感想が早く聞きたいもんです。

 ケイエスエス販売からようやくにして登場した大張正己さんが渾身の力を込めて世に問う美少女&ロボット&挌闘アニメ「超神姫ダンガイザー3」の第1巻をよーやくにして購入、テレビCMでは白地に黒線だけのつまりは設定画が映っていただけでその迫力ある動きを確かめる術はなかったけれど、実際の作品は相変わらずなキレのあるアクションに見せ放題の白(カラーも多数)パンツに揺れ放題の乳、そして黒光りするロボットの見上げる巨大感と大張テイスト炸裂で、キャラこそ大島康弘さんの比較的おとなしいデザインだったけど動けばやっぱりな大張イズムに全編彩られた作品に仕上がっている、よーな気がするけど実は「VIRUS」と「ゴウカイザー」しか見たことないんでよく知らない。こんなもんしょ。

 「ハルシオンブラック」にも似た面影でレイヴェンと同じ声を喋る「ダンガイザー」はエンディング間近にやっと出てきただけでロボットどうしの挌闘はなく次回以降へのお楽しみ。得体の知れない秘密結社の四天王が阻止しよーとした「ダンガイザー」の復活がなってその「ダンガイザー」を動かす主人公を含めた3人の美少女が目覚め出逢って戦いへと駒を進める展開は、こーゆー話にはまあよくある設定と言えば言えるが「ダンガイザー」が正義なのかそれとも悪なのかどっちでもないのか不明なのと、四天王を擁する秘密結社「ゴーマ」の目的が分からないのといろいろあって今後どーゆー成り行きを見せるかによってはその他大勢とはまた違う展開を楽しめるかも。まあそーゆーお話的な部分も当然としてやっぱり白見せ、胸揺れのサービスカットも満載だろーから、次巻以降いったい何巻までかは知らないけれどお付き合いしていこー。
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【10月8日】 10月だってーのに理不尽な暑さは果たして気温のせいなのかと思い熱を計ったら37度5分もあって風邪のせーだと判明、それでもひいこらと会社へそれも連休明けの火曜日は新聞が出ないにも関わらず行かなくっちゃいけないのは、人数があまりに少なく休日前でも仕事して原稿を書いておかなくっちゃ後々苦しむことが明白なのと、体制の変更を受けて紙面を原則前々日に組まくっちゃいけないことになっているのが大きな理由、なので今日は実は来週水曜日に発行の新聞のために記事を書くことになっているのです、ってそれで「新」聞って果たして言えるのかって疑問にはお答えしません、だって偉い人たちの自信たっぷりな”先見の明”に一介のヒラ社員がどーして疑問などさしはまめましょー。きっとすっげー奥深い思慮が込められているに違いない、決して思いつきの場当たりなんてことはない、って思って信じていーの?

 せこせこと電車を乗り継ぎ向かった先は「東京ビッグサイト」で開催中の「プラモデル・ラジコンフェア」。聞いていたのは東京マルイのブースに出物があるってことだったけど、まさかこーまですさまじい商品だったとは驚いたよラジコンの「90式戦車」。別にラジコンの戦車なんて過去に幾つもあるって思うでしょ? ところが単なるタミヤとかってなラジコンメーカーじゃなく、モデルガンで知られる東京マルイが作っただけのことはある、あの砲塔から何となんと何と「BB弾」がばしばしと飛び出すのだよ、それもマルイが誇るホップアップシステムによって20メートル以上も真っ直ぐに。

 よく知らないけれどクローラーの中の車輪にちゃんとサスペンションが付いているらしく凸凹した場所を走ると前から後ろへとタイヤが上がって下がる動きが流れていき、テレビで戦車の動く様を見ている気持ちにちょっとなる。でもって走らせながら砲塔を上げ下げすることも可能で、テレビアニメよろしく芦野湖畔を走らせながらグルリと砲塔を回して照準を挙げるシーンをこれで再現できる、それも発射付きで。パワーはガスっぽく弾はBB弾なんで火薬の爆発する音も炸裂する弾もなく見た目は地味だけど、2メートルは離れた場所から的に当てて遊べるだけの精度とパワーは持っているから考えよーによってはいろんな遊びを創出できそーな気も。上に風船をつけて5台くらいで騎馬戦やるとかカラーの弾丸を使うとか(汚れるのが玉に瑕)1対1で潰し合うとかいろいろ。でもやっぱ会社に持って行って床を走らせ誰が打っているのか分からない(分かるよ)状況で、ニッくきあいつに向かって弾を放つのが最高の慰労かも、来春発売予定で1万円は超えるみたいだけど買えたら早速試してみよー、覚悟しておけエラい人たちぃ。

 電動ブローバックは玩具っぽさが薫って来て気分はちょっとイマイチ。他のブースでは例の水中ラジコン「VISIO」の製品版発売が決まったこととか案内があってこれも別に欲しまり気分がむくむくと湧く。湧くけどでも実際に動かしてみる水槽を用意する場所も余裕もないから購入するのは無理なんだけど。バンダイのブースでは例の「超合金大鉄人17」こと「はらいた大鉄人17」が年末発売の予定で並んでいて、あの動きはいったいそのまま製品化されているのかそれともはらいたぶりが板に付き過ぎてたんでスピードとか改良してるのかがとりあえずの疑問か。何で「はらいた」ってゆーかはどっかの店頭で動いているのを見ればすぐに分かりまーす。

 「電撃アニメーションマガジン11月号」は電撃な雑誌だけあって電撃な文庫から生まれて今や日本を代表するライトノベルの作品になってしまった「ブギーポップは笑わない」のアニメ化実写映画化に関する情報が表紙から特集まで独占的に満載で、ファンなら買うか気分的に買えと迫られるのが必定かも。680円はちと高いけど。見開きの学校らしい屋上で寄るに佇むブギーポップの雰囲気はニョキッと生えた白い足ともどもとても好き、だけど遠景の月光に浮かぶ人影らしき姿もちょっと気になる。誰だろー何だろー。イラストではチラシと同じ図案で前面にブギーポップが来ている絵柄の後ろにブギーポップと同じ格好をしているにも関わらず髪は銀色のお姉さんが誰なんだろーかちょっと不明、少なくとも原作にはないキャラだからきっと小説とは違うストーリーになるアニメ版ならではのキャラになるんだろー。マンティコアなのかな?

 見逃した「エクセルサーガ」のイラストの不思議なおかしさに来週は見よーと強く誓い今時だけど「だっちゅーの」ポーズで胸の谷間も鮮やかな卯都木命のイロっぽさに「勇者王ガオガイガーFINAL」への興味を喚起させクッキーを運ぶ委員長こと「To Heart」の保科さんの笑顔にこれは違う、けど眼鏡っ娘は何がどーでも正しいのであると強く念じてさらにページをペラペラ。自転車な話に執着するアニメの偉い人たち3人がリレーで描く「CARBON HEART」でパンツ履いてない寺田克也さんのイラスト(パンツを履いてない寺田さんの自画像じゃ当然なくって寺田さんが描いた美少女がパンツ履いてないってこと)にブーしたり。

 前号に登場したチネリだセライタリアだと喜ぶ北久保弘之さんを羨望はしても「インターネットで揶揄」したのは僕じゃーないよね、寺田さんが場末もいー加減なこんな場所を読んでくれてるとはちょっと思えないし、ってーかもしも読んでたんだとしたらジェイムズ・アラン・ガードナーの「ファイナルジェンダー」の表紙について何かとんでもないこと書いたよーな記憶があって今ちょっとすっげーヒエヒエしてます。でもとてつもなく高額なモールトンを買うの買わないのって言えるんだもん羨ましいって思ったって不思議じゃないでしょ。貧乏で大人になって自分で買うまで大きい人向けの自転車を買ってもらえなかった身の僕なんかせいぜいが思うだけで「サイクルスポーツ」のピンナップを切り抜いて部屋中にはってたんだから。

 当時だとまだ出たばかりの「ジャンニモッタ」ってイタリアの工房のロードレーサーがイタリアの国旗をデザインしたマークも当時は珍しかった白が貴重の塗装もホント格好良かったんだよなー、あと伝統的なのではコルナゴのオロ(金)とかピンクのエディ・メルクスも最高に綺麗だったっけ。今は日本だと存在すらなくなってしまったランドナーってカテゴリーではフランスのメーカーだったと記憶しているルネ・エルスのランドナーってのが良かったっす、ディレーラーはユーレーでギアはTAでサドルはブルックスの大銅鋲って組み合わせ、だったかな? それともディレーラーはサンプレックスだったっけ? どっちにしたって情報が古すぎますけどね。それより先に盗まれたまんまで台座だけ残ってるキャッツアイのライトを買い直したいなー、ってそれくらいさっさと買えよオレ。


【10月7日】 「電撃」の期待を一身に背負ってスタートしたっぽい「セラフィムコール」の第1話を見て早くも精神に1つ2つ亀裂が入り不安に惑ってじっと手を見る、これイチオシってキツくないっすかぁ。なるほど出てくる美少女たちは可愛いし、声も第1話の笠原弘子さん(アニメで聞くのってなんか久々って感じ)を始めきっとメジャーどころがドカンドカンと登場して歌まで唄ってくれるんだろーけど、いかんせんサンライズ制作にしてあの止まった絵をズラして動きを表現したり中割を省略してダイナミックな動きを見せてくれる、省力化コストダウンに長けた国に相応しい映像が、今の浪費家な若者たちにどこまで理解されるのかって当たりに大いに疑問が浮かぶ。オープニング直後の目覚めた主人公がベッドの上で口ヒクつかせてる場面の口の位置とかって、ホントにあれで正しいんですかぁ。

 スカート姿でバイクにまたがった彼女のにょっきり伸びた足はなかなか、だけどあの重たく高速で移動するバイクを操ってるってな力瘤が絵だとどーしても見えなかったなあ、そうかきっと力持ちなんだね。「中CM」の後のBパートに入って絵的にもお話的にも盛り上がってギャグもまったりと味わいが出てきてスイッチを消さなくって良かったと思ったのは正直に告白しておこー、あと気絶する瞬間に飛び出す寝袋ってのはすっげー欲しい。どーやら毎週違った女の子を取りあげて全面的に煽っていく展開らしーんで、個人的にイチオシな清楚な雰囲気の双子ちゃんが出る回までは少なくとも見続けよー。直前の「ゲームWAVE」でハマさんの顔を見なくっちゃなんないのはちょっとツラいけっど。

 復活、っても理不尽シャイアさんのシリーズとは舞台も設定もガラリと趣を変えた新作「天魔の羅刹兵 一の巻」(講談社、880円)でもって再び文壇へと躍りでた高瀬彼方さんにまずは拍手しておめでとう。おめでとう。おめでとう。父にありがとう。母にさようなら。は話が違うえっとそうそう「天魔の羅刹兵」を大阪へと移動する新幹線で一気読み、下僕ジェイムズ・フーバーも脳天気イズミ・マキムラも出ずギャグのかけらも無いハードな合戦場面から幕を明けたシリーズの第1巻は、ガンダムあるいはシンジよろしく才能を見込まれて表紙にもある「羅刹兵」に登場していきまーすっ! とばかりに戦場へと繰り出す。

 ところが場所は戦場、血で血を洗う場所だけに筋金入りの小心者で武士でもなかった少年にはちとキツい。けれども折角のチャンス「逃げちゃだめだ」「逃げちゃだめだ」「逃げちゃだめだ」とは言わなかったけれども秀吉の甘言光秀の苦言を入れてだんだんと成長していく少年の、果たして次巻以降の活躍はってところで文字どおり1巻の終わりとなる。ををどーなるんだよぉ早く読ませてくれよぉ。かの京極夏彦さんがコメントを寄せているのが繋がりからしてちょい不明だったけど、「無類極上」の言葉に偽りはなく今野敏さんの「あ、この手があったか」もなるほどな至言。とゆーかシンジでガンダムな今野さんにコメントを求めたあたりがセレクトばっちりって感じね。

 ただし文中でも指摘されるよーに万能にして無敵ではない兵器をどうバージョンアップしていくか、またどう戦っていくかってな部分への興味に加えて、精神的にこれからも一波乱も二波瀾もありそうな主人公・穴山小平太の成長をおそらくは「本能寺の変」あたりまでを視野にいれているであろー物語のなかでどう描くか、それが読者とりわけ「逃げちゃだめだ」と考えている少年たちの気持ちにどこまでフィットするかによって、娯楽的軍談本でありながらも感動を呼ぶ青春小説として、より多くの読者にアピールしていけるだろー、しっかし女、出てこねーなー。

 さてさて中古ゲーム訴訟大阪の陣に珍しく東京を離れて乗り込む。ギリギリに到着したまずは被告となったゲームソフトショップの会見では、「ゲームは映画じゃない」と断じて以下の判断をしなかった東京訴訟とまるっきり正反対に「ゲームは映画である」「がゆえに頒布権が認められる」「したがって中古販売は違法」とのロジックを組み立ていた判決に対してまずは遺憾の意を表明。「子供たちのために頑張る」とまあ、相変わらずの消費者側に立ってくれてるスタンスでもって判決文への反論や今後も戦いを継続していく考えを表明してくれた。

 逆に勝訴したゲームメーカー側の会見は東京と違って満面笑みの会見で、とかく消費者の側になって企業のゴーマンを糾弾しがちなメディア側から見ると或いは傲岸不遜に見えたかもしれない。がことはそーいった対立の図式よりももっと深刻で、結局のところ司法が判断しているのは「ゲームは映画か映画じゃないか」でしかなく、そこんところの考え方の違いによって東京と大阪では判断が別れたに過ぎない。今回の「ゲームは映画」と言ってしまった判決によって「ゲームはゲームである」「がゆえに中古販売は違法(合法)である」とゆーストレートな考え方にたどり着くまでに、なおいっそうの時間がかかる恐れが浮かんで来たってな気がしてならない。

 判決では「映画」として認められるかについて挙げた3つの要件で、物に固定されているってことが挙げられていたけど、そう遠くない時にネットワークを通じてゲームソフトがダウンロード購入できるよーになった時、果たして「物に固定されている」って主張が通るんだろうかってことにはならないな。すでに「ロッピー」なんかでダウンロードできる「ファミコン」あたりのソフトはだったら「物に固定されている」ものなのか。まあ任天堂ははなっからゲームは映画なんかじゃないってな考え方をしているから、無理に映画の著作物の範疇に入れて頒布権でもって護ってもらおうとは思っていない節があるんだけど、だったらなおのことゲームがゲームとしてどういった形で著作権保護がなされるべきなのかが、もっと議論されてしかるべきだと思う。

 「ゲームは映画」ってな判断を受けて著作権関連の法律を司ってる文化庁が「だったらしばらくはこれでイケるか」って考えて、そうこうしているうちに遠からずデジタル化されていくだろーコンテンツに関して権利が保護されないままの状態が出現してしまうんじゃないかってな懸念が浮かんで頭から消えない。すでに知らないうちに「その他の著作物」に関しては譲渡権を認める法律が通っていて、ここで「ゲームが映画」と認められなかった場合は「その他の著作物」として中古が認められる状況にあっただけに、メーカーよりもむしろ作ったクリエーターが浮かばれない状態で映画以外の著作物が推移していってしまう(そのうち映画すら外れてしまうかも)可能性を、何につけ安きにつけ表現している者として、いろいろ考えなくっちゃいけない。

 中古はあって良い、とは思うがそれによって結果として面白いゲームが出て来なくなるんだったらマズいと思う。メーカーが独善的になるのは避けるべきだし、ネットワークへと移行して権利保護がガチガチにかけられるよーになっておまけに理不尽に高いってな状況が生まれるよーだったら、今度は消費者の立場から戦う気持ちは存分にある。公正取引委員会はそーゆー時のためにあるんだし。ただ、何かにつけて子供達の利益を口にしているソフトショップがだったら果たしてすべてのゲームソフトを面白いものつまらないもの含めて買ってくれているのかどーかって疑問も実は現時点では持っていて、それが単純に「ソフトショップ=消費者の代弁者」ってな見方を出来ない理由になっている。

 中古ソフトショップで、いったいソフトを幾らで買って幾らで売って幾らのサヤを抜いているのか。山のよーに古本屋に持っていった本が150円の値しかつかずそれでも泣く泣く置いて来た子供の頃を思い出すと、どうしよーもないソフトを買わされた場合の吸収装置としての中古ショップの存在意義を口にしている以上は、売れ筋ばかりを買い取り並べて売るってことをやって果たして整合性がとれるのかを考えてみるのもいたずらに情動的な報道に流されないために必要です。しかし「ニュースステーション」、関西じゃあ中古ソフトがダメで東京はオッケーなんで関西の子供はカワイソ的イメージを与える報道はやっぱ筋が違うと思うぞ。

 会見の合間を縫って久々に「大阪市立東洋陶磁美術館」をのぞいて国宝の「油滴天目茶碗」を見たり、御堂筋を歩いてこぬか雨が降ってなくって来ない貴方を待ってる女も見なかったりしつつ、これも久々に梅田の地下街を歩いてその綺麗になりぶりに驚いたりの大阪行き。前に来た時はシャッターがすべて降りてしまって行く場所が限られ地上に出られず暴動が起こっていたなかを、コインロッカーの抜け穴とか通って生まれたばかりのゴローを連れて歩きラプラスの力も借りてどーにか地上へと出たからなー、って勿論ウソですが。こーも綺麗になってしまった梅田地下を舞台に、今だといったいどんな「梅田地下オデッセイ」が書かれるのかってな興味が沸々です。


【10月6日】 東海村の核燃料加工工場で発生しら臨界事故で大量に出来上がった汚染された冷却水とか放射能を洗った水をかをペットボトルに詰めて「東海村のウラン水 万病の素」とかってなキャッチフレーズでコッソリと売り出したところ、五月蝿い舅に鬼嫁にドメスティックバイオレンスの夫にオタクの息子を抱える家族がこぞって購入して隠れたベストセラー商品になったとか。でもってノドが乾いた水が欲しいと冷蔵庫を明けてペットボトルを手にとったものの躾だけは出来ていたのか小さいコップで小分けして飲もうとした家族にこう言ったとさ。「バケツで」。ほらやっぱり1発でイかせるんだったら量は多い方が良いってことで。うーん面白くない。

 梶原しげるの「本気でDONDON」で小渕首相の「地域振興券」と並ぶだろー99年ポン酢政策として打ち出された「2000円札」について聴いたら賛成は7%で反対が93%もあったとか。反対した理由までは知らないけれど直感としてあんまり効き目なさそーって事が分かるんだろーね。まあ記念って意味はあるのかもしれないし、デザインに沖縄の「守礼門」を採用するのも悪いことではない。けどだったら何で同じ紙幣に脈絡もなく平安絵巻の「源氏物語」を入れるのかねえ、何だってありな横尾忠則さんがタイガー立石さんの絵ならまだしも思想性が感じられるからニッポンの様々な場所からシンボルを選んで埋め尽くすってのも分かるけど、紙幣にニッポン幕の内弁当的な図案を採用するってそこまで日本のデザインセンスってのは地へと落ちたかと嘆かわしくなる。沖縄なデザインで通せばあざとさはあっても沖縄を重視するってなスタンスが感じられてまだ納得はしよー。けど「守礼門」だけってのはそれだけ入れてやっただけで十分だろお前らってな高飛車な姿勢が透けて見えるよー。恥ずかしいなー。

 いい加減メモリーの足りない会社のパソコンのイラつかされるのも耐えられなくなって来たんでサブノートを遂に1つ所望する、「iBook」が未だ姿を現さず見て脳天杭打ちされる可能性も少ないこの間隙をぬって買ったは予告どおりシャープ製のメビウスノート。新旧とりまぜていろいろあったみたいだけど、画面の綺麗さに128MBのメモリーに6・4ギガのハードディスクにペンティアム2の300MHZのスペックのをCD−ROMドライブと6時間持つとかゆーアドオンバッテリーと一緒に買ってしめてえっとすっげー大金が吹っ飛んで行く。稼がねば、稼がせて、稼ぐ時。とにかくインプットメソッドのプアーさにマイクロソフト製品ではイラつかされるんで、別に買うのも業腹だけど「本日開店のカフェー」と旧版ですら1発で出た「ATOK」の13も付いてる「一太郎10」も付けて入れて早速打ったらやっぱりちゃんと出てニンマリとした「本日開店のカフェー」。「入れた手」のお茶はまだ試してないけどね。

 会社のサブノートも重いけど小さいんで悪くはない、けど使いすぎでバッテリーがいかれてコンセントを抜いた途端にシャットダウンしてしまうんで出かけた先の電話ボックスから原稿を送信出来ずちょっと仕事には使えない。明日は大阪地裁で例の「中古ゲームソフト訴訟」の判決が出るんでどーしても(って訳でもないけど)行って話を聴いて原稿を送信しなくっちゃいけないって瀬戸際だったのも「iBook」発売前に慣れないウインドウズのノート購入に走った理由。でもこれからセットアップとかできっと明け方までイジってるんで果たしてちゃんと起きて大阪まで裁判はともかく会見の時間までに行けるかは未定。横浜あたりでネットをチェックして結果を見て原稿を送ってるかもしれないなー、それでもモバイルの効用は存分にあったってことで。道頓堀か中華街か、それは問題だ。

 日本出版販売のオンデマンド印刷による絶版本の受注・販売活動が「ブッキング」って別会社を通してスタートするのが気になったのか、出版取り次ぎの1方の雄であるトーハンでも凸版印刷と組んでオンデマンド印刷による絶版本とか稀少本とかの受注印刷販売サービスをスタートさせるってんで会見に行く。聞くと価格面で日販のブッキングに比して相当に安くなるよーだけど、どーやらカラクリがあってそれはオンデマンド印刷へと持って行くための書籍のデジタルデータ化をブッキングでは別に数万円とかを徴収して行うのに対して、トーハンと凸版のサービスではすでに凸版がデジタルとして持っているデータの中から注文に応じて印刷するためコストががっくしと下がるとか。

 問題は凸版の持ってるデータに、オンデマンドの割高な印刷も決して本物は超えていない「本」であるにも関わらずユーザーが欲しがるものが含まれているのかって点で、トーハンが過去に受けつつも在庫がなく販売できなかった絶版本などのデータと、凸版のデータとを重ねてさらに精査した場合、データとしてある5万点から一気に減って3000点くらいしか受注の可能性があるものは残らない。データのないものは凸版なりトーハンの合弁会社がコストを負担してデジタル化を行うって断言してたけど、ここの部分ってどの出版社もコストが結構大変でなかなか取り組めなかった部分で、そこを負担して果たしてトーハン凸版のビジネスが採算ベースに乗るのかどーか、乗るんだとしたらそれはいったいどーゆービジネスモデルなり対象商品なりの上で成立しているのかをちょっと観察してみる必要があるかも。

 オンデマンドで印刷された本は気のせいかもしれないけれど決して印字が綺麗じゃなく、出版社がカスレの1つにも青筋立てて綺麗に直し、文字組みにしてもレイアウトにしても活字にしても、すべてを理想を形にして「本」として刊行へとこぎ着ける「ノウハウ」の部分をすっ飛ばしてるよーな気がしてならない。それでもなお成立するジャンルってのが何なのかを考えれば、形のないデジタル書籍でも売れるジャンルってのも見えてくるかもしれないなー。どっちにしても始まったばかりで何がオンデマンドに乗るのかも未定の現在、ブッキングとの競争でどっちが勝つのかを見極めるのは難しい、トーハン凸版のチームにちょい後追いの無理筋が感じられる来もしないでもないけれど。案外「青空文庫」が1番残ったりして。


【10月5日】 「宇宙海賊ミトの大冒険 2人の女王様」はようやっとの大団円で陽怒も秋津と仲良くハッピーに旅立ち葵は睦月とどっとも女の子だっちゅーのにラブラブな関係。結局最後まで葵が男の子から女の子になってしまったことで例えば女の子をストレートに愛せない肉体的な構造に悩むとかいった、トランスジェンダー物に大勢の健全な男子が期待しているを予想される描写がなかったことが引っかかる。やっぱほら、男の子としてそーゆー悶えって欲しいじゃないですか、こっそり手鏡使って覗くとかってな(どこを?)。まあ、それ無くしてもお話自体は成立して綺麗に落ちたから良しとしよー、でももし次があるんならそこいら辺は是非ともよろしゅうに。

 飯島愛が写真展を開いてるってんで東京都中央区日本橋3の5の7にある田中画廊ってギャラリーをのぞいたら飯島愛は飯島愛でもあの飯島愛じゃなく当然ながら飯島恋でもない、れっきとした新進写真家の飯島愛だったんで残念かっちゅーとそーでもなく、いわゆる流行の「トーキョー・カメラ・ガール」ってな文脈で語られるんだろーけれど、中にあってもカラーで日常をさくりと何ら気負いもてらいもなく切り取る冴えを作品にして見せてくれていて面白い。

 大伸ばしにした湿原っちゅーか川っぽい場所を取った緑の写真の水面に輝く光の加減が難とも心地よく、またポストカードにもなってるミニスカートの女性の太股から腰当たりまでした撮ってない写真の色遣いピンの合い具合のビビッドなテイストが気持ちよい。こーゆー世代になるともはや写真を「日常を切り取る道具」ってなメタファーで意識することなく、空気みたく自然に「撮る」ってことが出来てしまうんだろーなー、でもってそーゆー写真こそが後で見てキッチリとした固さじゃないブレたりキまってない柔らかさでもって、見る人の目を惹き付けてしまうんだろーなー。ってな論考は今この時点での単なる思いつきなんでいずれそのうち深く考えよー。16日まで開催の予定。

 記者会見があったっちゅーのを知ってなお先約があるからと行って駆け付けた先が「ファミ通ブロス」に絶賛講評連載中のマンガでかつ、本日よりアニメ化なったあーみん柴田亜美センセイの「ジバクくん」の第1回目の放送を柴田センセイ出演声優スタッフも交えてファンたちみんなで大画面で見てしまおうってな過去かつてどのアニメ新番組でもやらなかった(やらんわ普通)イベントに出席するためだと知ったら怒りますか皆さん? 怒らないよねトーゼンだって柴田亜美センセイのイベントなんだよ他に重要な事なんてないよそーだろ三軒茶屋や初台方面ではとくに。

 新宿のルミネ上にある会場は思ったより広くて満席といかなかったのは計算違いだったにしても、結構な入りはおそらく半数が主題歌を唄っている松澤由美さんのファンだったのかもと予想してたら多分半分大当たりっぽく、登場した松澤さんが唄い始めると同時に最前列より後方中央あたりの人たちから発せられる熱量がすこしだけ上がったよーに観じられた、けど赤外線は見えないんで確認はちょっと取れず。こんなとき「アラハバキ」に感染してたら、っておっとこれは後述まだちょっと早い。2曲目ん時なんかはスローなテンポの曲に合わせてペンライト、揺れてたもんなー。

 さて松澤さん唄う「ジバクくん」の主題歌「誰も知らない地図で」はご本人の作詞にプロデューサーとして著名な朝本浩文さん作・編曲となっていて、「機動戦艦ナデシコ」のオープニングとはまた違ったアップテンポながらもメロディアスとゆーマジに「カウントダウンTV」なんかでトップにランクインしても不思議じゃない、結構印象に残る曲に仕上がっていた感じ。カップリングは「ジバクくん」とは関係ないみたいだけれど、同じく結構耳残りする曲だったんで今度は是非ともCD(なんと12インチマキシだそーだ)で聴いてみたい。11月3日発売で当日は横浜とかでイベントもあるとか、で6日には秋葉原のヤマギワソフト店でミニライブもあるみたいなんで気が向いたら行こー、多分向かないけど。

 そんなことをしていたらいよいよ放送時間が近づいて、何でも本編に関連のある「12」って数字からカウントダウンを始めるとかで実は当方これまで一切「ジバクくん」を読んだことのなかった身と今白状し、いったいどーゆー話なんだろピンクの奇妙な物体も出ているしってなことを考えつつ、カウントダウンと同時にスタートしたオープニングを見ていきなりピンクの物体が出ていたものだから、或いはこれが主人公なのかもと一瞬かすかに思ったりはしなかったけど、CM後に始まった本編での「ジバクくん」の活躍ぶりを見てさらにいっそうの衝撃を受けて、こーゆーナマモノを描かせるとあーみんホント上手いよなーってな感心に浸る。「パプワくん」の魚と蝸牛なんてスゴかったもんなー、第一印象もその後の活躍ぶりも。

 実は聖霊ってことで大変大切な役割をになっていた「ジバクくん」を手に入れ「トゥエルブワールド」の「グレートチャイルド」たちの頂点に立つべく「爆」って少年が動き始めるってな展開が今後どーなるのかは勿論未読故に知らないけれど、それでも第1話を見ておおよその見当がつくくらいに、アニメ版「ジバクくん」は丁寧に世界観を解らせつつ話へ引き込もうってな意図が感じられて好感が持てた。アフレコん時に色どころか動く絵がなく後で登場した石田彰さんも松本保典さんも「動いているの初めて見た」と言ったほどにギリギリまで作り込んでた甲斐あったのか、動きもちょっとした間のギャグもきっちりはまってて、みんなで強制的に見せられてるってこともちょっぴり加わってアッとゆー間に放送終了時間になってしまった。来週は柴田さんの作品ではとっても珍しいらしい女性キャラのピンクがいよいよ爆と出逢って活躍を始める大切(なの?)な回、なんで見ますから今度はアルタ前にどかーんと生放送映しましょ。

 放映後のトークショーでは「明るいところで見ろってんのに暗い場所に集まって見てるバカやろうども」とあーみんらしいお言葉を頂き恐悦至極。司会役をやった脚本の人の話とかによれば、どーやらアニメ化にあたって「ヂ」としか言わない「ジバクくん」をさて、誰が声を当てるのかに内外の注目が集まっていて松本さんも「ひょっとして僕が」なんて思っていたらしーけど、監督さんの意気込みからか単なる凝り性からなのか、すべてをSEで当てることになり、かつ12体出てくる「ジバクくん」のすべてを同様のSEで、それもすべてを異なる声にするってことになったそーで最終話にはおそらく全員集合の「ジバクくん」たちを前にして、恐怖のダビング作業を今から予想して戦慄している人のきっと多いことと推察する。

 単行本がよーやく第3巻まで出て連載はまだまだ半ばの原作だけあって気になる最終話をどーするかについては、脚本の人が原作とは違う風になると明言、すかさず松本さんが「いきなり1年後とかになるんじゃ」と突っ込むと脚本の人は「庵野さんみたいにはしませーん」と回答、「おめでとうもやりません、あ、石田さんいたんだ」とかってな会話もはずみつつ、それでも基本のテーマにそったお話になるから期待してねと話を結ぶ。エンディングに挨拶に立った柴田さんも「パプワくん時はデビュー直後で出来なかったことも多かったけど8年やって来て今度はやりたいことをやる」と震える声、マジ声で断言して喝采を浴び、前代未聞の生放送みんなで見ようイベントは幕を閉じる。企画が浜村弘一香山哲のゲーム業界活断層コンビによるこの作品、さてもどんな盛り上がりを見せるかに期待だ。

 手のひらサイズで中に爆竹詰めるとちょうど良さげなソフビの「ジバクくん人形」をプレスの特権で頂戴し、銀色の「ジバクくん」風船を指に絡めて帰りの電車でひたすら梅原克文さんのよーやっと店頭に並んだ「カムナビ」(角川書店、上1600円、下1900円)を読み始め、その後帰宅して合間に「なんでも鑑定団」のスペシャルやら「ニュースステーション」を挟みつつ読み進んで午前1時前には読み終える、ってのはペース早いかもしれないけれど、短い単元で積み重ねていくテンポの良い構成がこーいった軽快な読み方を許してくれていて、その点に関して梅原さんの作家としての力量が強く認識される。ネズミ花火にロケット花火が頭を飛び回りリモコンでもって相手を操るってな村上春樹さんの有り体さでは同列ながらもイメージとして対局を行くよーな比喩や言い回しにはちょっと悩むけど。こーゆーのは秋山瑞人さんとかが上手いんだよなー。

 物語についてまず抱いた印象は古代からの因縁でかつヤマトタケルも絡む話ってことで諸星大二郎さんの「暗黒神話」との相似性。ただし何にも知らなかった武が不安に脅えながらも真相へと迫り、聖痕を得て次第にアートマンとしての役割に目覚めていき最後は壮大稀有な宇宙と人類との関わりにまで話を膨らませて光瀬龍的な感動を与えてくれてたのと比べると、「カムナビ」は宇宙的なスケールを持った設定の割には、主人公の行動の卑近すぎる動機が結果として引き起こしたものも局地的な惨事に過ぎないのが個人的にもったいない感じ。与えるならば哲学的とも言える宇宙と人間との共生関係を描けただろーに、そこへと触れず一気呵成に物語を進めていくのはやはりエンターティナー梅原克文の筆が許さなかったからなのか。

 「古事記」「日本書紀」といった後世に作られた史書と実際の歴史との関係とか邪馬台国の位置に卑弥呼とアマテラスとの関係とかってな古代史マニアの異論反論オブジェクションもありそーで、また宇宙好きにも有名なパラドックスへの回が果たして良識的なのか無理筋なのかを問うといった物語とは別の部分での議論を引き起こしそーな予感。そーゆーフェーズに一切無縁で単純に物語の展開を追いかけてった身としては、あの分厚い本を一気呵成に読ませるだけのやっぱり力量はあるってことを、認識できたのが4年ぶりの新作への今んところ言える感想ってことになるでしょー。なんか改めて「暗黒神話」を読み返したくなって来たなー。


【10月4日】 渋谷陽一へんしゅーちょーが何を思ってか思う所があったのかこの出版不況分けても男性誌不況の時代に立ち上げた総合誌「SIGHT」の創刊号を読む、げっ780円(税込み)もしやがるぜ。棺桶に入ったらしーイメージのビートたけし、じゃない北野武監督が表紙って点で美人女優を死体にしてしまった伊島薫さんが編集してた雑誌にインパクトで負けてるなって印象をまずもったけど、そっちの雑誌なんてきっと読んでない人が多いだろーし写真集の「死体のある20の風景」(光琳社出版、3800円)も出版社がアジャパーになって手に入らないから初物っぽく受け止められるんだろーね、コンセプトもちょい違うし。

 中身の方が字が多すぎておまけに「死」なんてテーマと向き合うほどに「死」を意識したこともないんで北野監督のインタビューは映画作品との絡みで読もうかなって気はおきても他の河合隼雄さん吉本隆明さんの記事はあんまし読もうとゆー気がおきず自分的には損してるなって感じ。あとヒュー・ヘフナーにしても田中秀征さんにしても「CUT」あたりでインタビューが載ったっておかしくもない人なんで敢えて「SIGHT」でフィーチャーすべき人だって主張がいまいち見えにくい、ってゆーか「総合誌」ってゆーコンセプトはあっても他の「正論」の右、「論座」に左ってな明確な色分けが無い点が読者ののばす手をちょっと惑わせる。もっともこれはどっちかに組して主張をお説ごもっともと受け入れてれば安心な当世のコンビニエンス右派(左派)な人たちにとっての戸惑いだから、色分けなんぞを吹き飛ばす「SIGHT派」なんてものでも立ち上げれば良いだけのことなんだけど、ってそれがとてつもなく難しいことではあるんだけど。「サウンドストリート」全盛ん時だったら「渋谷系」とかって立ち上げられたかな。

 「CUT」との色分けもそのうちちゃんと見えてくるとして雑誌を支えるコラム類にちょっと注目、をを大森望さんがSFで北上次郎さんがミステリーなのはまるで「本の雑誌」じゃん、季刊らしー「SIGHT」の文章や本のセレクトが「本の雑誌」と重ならないことをより幅広い範囲から新しくオモしろい本を知りたい身として強く思うぞ。ビジネス・サイエンスの山形浩生さんはロッキング・オンの雑誌では「CUT」と併走する感じだけど「CUT」の方は本ばっかりじゃ扱うものがないから本ばっかりで本業雑業踏まえて解りやすくオモしろくケーザイとかキギョーとかコンピュータとかの本を教えてくれてそーだかた助かるかな、但し刊行から3カ月が旬っぽい部分のあるビジネス書を果たして季刊のペースで紹介して間に合うのかって悩みも。コミックは趣味と重なりそーもないからかえって参考になるかな。

 「死の灰が降った 核暴走 住民30万人の震撼」と赤字で全身を白い防護服で包み顔には防護マスクをしたおっさんが赤く光る棒を振ってる写真をバックに描き抜かれた、核の恐怖を煽るって意味でいかにもな表紙の「週刊朝日 10月15日号」を買う。一連の報道ではどこも「死の灰」なる物質が降ったなんて話はなく、或いは警察も施設も隠してたのを「週刊朝日」がスクープしたのかも、なんて実はほとんと考えずに相変わらず扇情的で針小棒大な見出しを付けてやがんなって眉に唾して本文を読んでみたら、眉に唾すら出来ないくらいに牽強付会もたいがいにしやがれな記事でいくらなんでもこれではまったくとひっくり返る。だって本文のどこを読んでも見出しにあってリードにもある「死の灰」が漏れて施設の外で確認されたってな話が無いんだもん、見出しに添えられた「51時間、施設の前にとどまった住民が告白」って文章が「死の灰が降った」ことを証言しているのかって伺わせるレイアウトを裏付けるよーな記事も含めて。

 リードで「小規模だが、核分裂でできた放射性物質”死の灰”が隣接地で測定された」ってあるんだったら知りたいのはどこでどんな放射能がどれくらい確認されたかって事なんだけど、記事には具体的な記述はなく、あって「『死の灰』と呼ばれる核分裂生成物が施設外に放出された量はわずかで、ほとんどは施設内に閉じこめられていたとみられるからだ。放出されたのは、核分裂で発生したセシウムなど微細な放射性物質。施設の排気口フィルターの目が粗く、透過してしまったらしい」(27ページ、強調は筆者)。いずれも「みられる」「らしい」と憶測のこもった言葉で断定していない。冒頭の「51時間」云々の住民に該当する人の「告白」ってのも「51時間後、自宅で非難要請解除の発表を聞い」た人の「そんなに危ないなら、もっと早く教えて欲しかった(中略)きちんと連絡してほしかった」(24ページ)と連絡の遅れを非難する言葉だけ。これが告白って言葉になって「死の灰」云々にどーやったら結びつくんだろーか。

 危険性を訴えるのは良いしどんどんを警鐘を慣らしてくれて構わない。ただこーやって記事にもないことを拡大解釈したのかそれともワザとなのか見出しに取って表紙にも擦り込んでいたずらに不安を煽る姿勢は、別の勢力から突っ込まれる大きな要素となって結果的に虚偽とばれ、それがもととなって正しく意味のある記事までもが牽強付会羊頭狗肉的なウソ大袈裟まぎらわしいJAROってなんじゃろな手合いと断じられかねない懸念を同時にはらむ。或いはそーゆーことまでをも含めて実は原子力に堂々賛成なスタンスを、わざとバレる反対記事を出すことによって逆説的に見せようとしている高等戦術を使っているのだとしたら、それはそれでメディアの深慮遠謀ぶりに脱帽してやっても構わないんだけど。なんてことを現在募集中の朝日の中途採用の募集用紙に書いたら「よく知ってるなー」って感心されて合格できますか? ねえ朝日の人(読んでないって思うけど)。

 「かつてSFは夢想の輪を無限に拡げて、人類を、未来を語って来た。とろこが科学は小説の上をゆく進歩を見せ、事実がSFを超えることは珍しいことではなくなってしまった」とゆー書き出しで始まる角川春樹事務所主催による「小松左京賞」のチラシを改めて読み返し、小松左京さんがSFにかけている期待の強さ・重さを再度改めて噛みしめてみたり。「エンターテインメントという枠組みをとりつつ、『科学技術文明と人類』『宇宙の根元と人類存在の意味』といった、巨大にして永遠のテーマに立ち向かえる『武器』」とSFの存在意義を断じる言葉のなんと力強いことよ。「かつてない高度の文明を持つ一方、人類史的にもっとも不安定といえる現在ほどSFが果たす役割の大きな時代はない」。

 そーだよそのとーりなんだよと思っても、いったん奇妙に張り付いた「SFは売れない」なんて奇妙なレッテルをマスコミ及びマーケットがどこまではがすことができるのか。見ると応募は未発表作品ならプロ・アマ問わないよーなんで、ここは名のあるプロのエンターテインメント作家たちがこぞって応募し受賞して「SF」の真価を満天下にバリバリ見せつけちゃって頂きたい。誰か「虚無回廊3」とかで応募しないかな。梅原克文さんとか応募して受賞して小松さんから「SFとして優秀」と受賞理由を言われたら果たして「SFではない」と言うんだろーか。いっそ「コマツ系」とかって新ジャンルでも立ち上げるか、T・KにならってS・Kとかってなブランドを作っちゃうってのもどーでしょう。


【10月3日】 さてはて「カウントダウンTV」を見て「モーニング娘。」の新曲が今週も1位だったことへの日本人の歌謡曲好きってなんだい未だに健在じゃんとか思ったり、何故か知らないけれど奥田英朗さんの「最悪」がNHKだかでテレビドラマ化されるってな夢を見たりしながら朝を迎え、明日から紙面刷新で社長が自ら出社して新紙面についてご下問なさるんで兵隊も含めて全員出社「すべきである」ってな業務命令ではない単なる「雰囲気」を、平目よろしく醸し出している会社には当然のことながら行かずに読書とか本の仕込みとかを続ける。夏休みだって1日もとってないでたった2人で新聞紙面の1面全文を埋める作業をこの半年間繰り返して来てるんだぜ、代休すら平気でとれない環境のなかでたかだか紙面の体裁が変わるだけの取材でもなければ記事にもならないイベント如きに、いそいそと出社なんぞしれられますかいってんだいてやんでえ。

 たまたま偶然真夜中にやっていた、らしいけど前に見たから見なかった「ワシントンポスト」の記者2人がニクソン大統領の「ウォーターゲート事件」を「ワシントンポスト」が暴露したストーリーを題材にした映画「大統領の陰謀」なんかだと、記者はとにかく会社の為ってよりは個人のキャリアの為にしゃかりにになって仕事をするし、そんな記者を上の編集スタッフが厳しいことも言うけれどさらに上からの圧力からはちゃんと盾となって護ってくれる良識的常識的なメディアのあり方が描かれてる。翻ってトップが自ら超営業的なスタイルでもってさらに上やら横やらのプレッシャーを下ろしてくる事態を、盾にも堤防にもならずそれどころかアンプよろしく増幅してストンと末端まで下ろしてくる状況が、日本の新聞社にはどこでもって言うわけじゃないし程度もあるだろうけれど存在しているよーな気がしてならない、ってーか実感してすらいるんだけど。「モーニング娘。」がニッポンの未来は世界も羨むとかって唄っているけどホントかねえ。

 これをシンクロイシティって言うのか知らないけれど課題図書で回って来たジャズの評論ではつとに有名らしい故・久保田次郎って人のエッセイやら評論を集めた「アンド・エンジェルズ・シング」(河出書房新社、2000円)にたまたま偶然この「大統領の陰謀」に記述があるのを見つけてしまったこれなら夕べのちゃんと見とけばより身に染みてエッセイを読めたのにってちょっと悔やむ、がだいたいの筋は覚えていたから良しとしよー。で面白かったのはこの「大統領の陰謀」と日本のロッキード事件あたりを踏まえて山本薩夫が「不毛地帯」とを比べていた点で、同じ政治映画でともに失敗作と断じながらも「大統領の陰謀」では考証もちゃんとしているし、登場人物の誰かがもしかしたら上とツルんでるんじゃないかってな「映画を観る上での複合した楽しみやストーリー展開のアヤをちゃんと計算づくで盛り込んである」(189ページ)のに比べると、「不毛地帯」は昭和30年代を舞台にしながら襟幅の広いスーツを着て車も新しいのが映っていたりと「デタラメ・ドウデモイイヤ」(185ページ)の世界とか。

 でもって悪役がいかにも悪役面して出てくる点を大時代のチャンバラ映画の悪役たちを列挙しつつ「全て日本の映画観客を子供だましにだまし、オチョくっている証拠である」と厳しく断じる。まあこの点は分かりやすさが受ける要素なのか最近のハリウッド映画でもいかにもな悪役ばっかり増えてるし、「スター・ウォーズ エピソード1」なんかは悪役が悪役してなかった点を突っ込まれるくらいだから見方も随分と違うんだろー、娯楽はしょせん娯楽ってこと、なのかも。けど根本的な映画の志って点で、「不毛地帯」がロッキード事件を思わせるシチュエーションを内包しながらも架空の絵空事と良い抜けるスタンスを「今話題のロッキードなんとかにヒッかけて人気をもりあげてヒットさそうとするセコイ考えしかありやしない。なにが社会派だ、なにが黒い霧だ、なにが告発だ、底は割れている」(188ページ)って言葉は今もって健在で、ハリウッドが「エネミー・オブ・アメリカ」で監視されることの恐怖を堂々とエンターテインメントに仕上げつつ告発して見せた骨太さをよそに、せいぜいが銀行を舞台におっさんたちの「愛社精神」ばかりを鼓舞するよーな映画しか出してこれない日本のメディアのお上に対する腰の入らなさを初出から20年以上経ってなお指弾していて痛快なことこの上ない。

 原作者の抗議はあっても政府から抗議されるような改変を行ってなぞいない点を突っ込み「事実の重みにも追従しえない映画屋さんの非力貧困」と断じるあたりの定見もなるほど。「日本の映画人、映画会社、映画屋というのはアタマが悪いのです。脚本家も、監督も、プロデューサーも、映画会社の重役も、社長も、まだ前近代的なカツドウ屋時代からほとんど進歩していないのです」(192ページ)と言われて20余年が経ってますます酷くなってる観がことメジャーな銀座あたりに本社を構える会社にはあるんだけれど、問題はそーした会社の威光を未だに信じているのか気分が楽なのか、マイナーながらも良質な映画が登場したところでせいぜいがベタにしか扱わないのに、3大メジャーに大映、日活あたりを加えた古くから続く会社が絡んだ作品だったら中身はどーでもメジャーにドカンと扱ってしまう、芸能一般含めたメディアにもやっぱり問題の根があるよーな気がする。「アタマが悪い」のはいずこも同じ、手足はいかんともし難く切られるかともに腐るかを選ぶしかない、嗚呼やっぱりニッポンの未来はおうおうおうおう。

 とか言いながら案外とニッポンの未来は安心かもと「原案・中笈木六」と銘打たれた中笈さんの向かいだかに住むとかゆー謎のH小説家、由麻角高介さんの「スプラッタ・ボーイ」(辰巳出版)に続く第2作「蒼の堕天使」(挿絵・加崎善彦、マイクロデザイン出版局、890円)なんぞを読んで思う。なるほどエロはエロで楽しみは十分に得られるけれど、本筋になっているバトルスーツを纏った美少女たちのバトル部分とか、これはちょっと字が違う中追貴六の「クラック・ウィング」(小学館、543円)とも共通する学園犯罪に立ち向かう「クライムハンター」と「組織」との攻防が核となった舞台・設定とかでの妥協はないからそっちが好きな人でも楽しめる、かな。猫耳な美少女は相変わらずのご出演ながら相変わらずの脇役で「あろはおえー」な気分。相変わらず「1」とも何とも入ってない非シリーズ作品だけどイラストの髪内巻き美少女(髪挙げるとホッペが膨らんでるとか? ってそりゃパタリロだ)も可愛いんであれば次、なんてものを考えてやっちゃーどーでしょーかマイクロデザイン出版局。


【10月2日】 「スター・ウォーズ エピソード1」の初日の売上を越えてエンターテインメント史上最高だなんて言っていられるのも彼岸前まで、おそらくは「スター・ウォーズ」の過去4本をすべて会わせた初日の売上すら楽々越えるだろー「プレイステーション2」の発売後になるにもかかわらず、キラータイトル(ガツンとインパクトがあって競争相手を殺しちゃうくらいにゴッソリ売れて、新ハード普及の協力な牽引力にもなつタイトルの事。超絶オモシロゲーム&声優&広告業界内幕小説「高天原なリアル」の38ページより引用)と他はともかく自だけは認めて他「シェンムー 第一章 横須賀」の発売を延期したのは、それでも「DC」がまだまだ売れるハードなんだってことを満天下に印象づけて株価を高めよーとするための深謀にして画期的な戦略なのですだから皆さんセガをオーエンしましょーね、後藤喜男より。

 なんてことは半分ウソだけど、いきなりな引用の「高天原なリアル」(霜越かほる、集英社スーパーファンタジー文庫、533円)は、勝手に付けた惹句も貧相い見えるくらいのスーパー超絶爆笑小説であることだけはウソじゃないから注意して。バーチャルアイドルを巡る陰謀の数々がリアルか飛びすぎているかの判断はハマり具合によって人それぞれに違うだろーから突っ込まないけど、ゲームが生まれて人気が出て主人公のバーチャルアイドルが代理店に仕掛けられていくプロセスは、その新人離れした筆力構成力知識力と相まってとてつもないドライブ感を与えてくれててラストまでを一気に引っ張っていってくれる。なんかホント久々にすげえ小説読んだって感じ。最初は攻略難しくっても3度目にクリアできるよーにしたんだってゆーゲームのバランスについての描写も、業界素人が書いた小説とは思えないし。

 途中でバーチャルアイドル・高天原かほりの声を担当している主役の「ぶすじま・かれん」がゲームのファンって言う男の子を入院している病院へと見舞った時に聞いた「ラジオのリスナーって、高天原かほりのファンなのかな、それとも私のファンなのかな」って言葉はある意味バーチャルアイドルなりアニメキャラクターと声優との関係を改めて問い直させてくれる。自分の場合はケースバイケースとは言いながらもどっちかってゆーとキャラ萌え系それも絵への入れ込み具合が高くって、声の入った総体としてのキャラにもそれを演じている声優にもあまり萌えたりはしないしましてや混同なんかはしない。けど世の中には様々な人がいるからこそのバーチャルアイドル人気でありまた声優イベントの大盛況だったりする訳で、そーした様々なフェースの集合体ともいえる「バーチャルアイドル」ブームを、1つの視点で切り取ろうとしているこの小説の小説としては正しいけれども同時に難しい部分も同時に考えさせてくれる。

 「’99年度ロマン大賞受賞作」ってんだからきっと新人なんだろうけど、42歳のおかんで見かけは女相撲の関脇な声優さんが清楚なバーチャルアイドルを最初は演じてたよーに、或いはベテラン小説家なり脚本家なりタレントなりが書き、謗らぬ顔で応募したか、それとも無理矢理娘の方をバーチャルアイドルの正体に仕立て上げて売り出そうとした広告会社の陰謀に最初からのってプロに書かせて受賞させて刊行したか、なんて疑問すら浮かぶ面白さ。「若者層に人気のあった、若い未亡人が主人公のマンガが実写化」されつつも「公開直前に発覚した主演女優の不倫スキャンダルが命取りにな」った反省から「清純派の声優を起用したアニメ版はスマッシュヒットした」エピソードを持ち出す当たりに作者の年齢嗜好が想像出来る気もするけれど、トラップかもしれないし。顔みてみてー。

 本屋で「カードキャプターさくら」の「クロウカードセット」(講談社、3500円)をデフォルト買いしてしまうのはキャラ萌えなのかバーチャルアイドル萌えなのか。別に本体にはさくらの絵の1枚もないんだけれど、マンガにアニメーションに登場するカードキャプターさくらが手に持っているあの「クロウカード」を自分も手に持つことでキャラクターにより近づけるってな気持ちがある以上は、きっと萌えの進んだ形なんだろー。でもまだステッキは買ってないぞ、当然だけどバトルコスチュームも。去年の今頃だったか池袋でステッキ買って言ったセンセイがいて学祭でケロちゃんやって受けとってたけど最近はなんか目だたなくってちょっと心配。せっかくの「クロウカード」発売なんだし新シリーズも始まってるんだし手にカードを持ち浜松の丘を元気に走り回って頂きたいものです、見たくはないけど。


【10月1日】 朝っぱらから人望もなければ結果を伴う実力も見せてないのに自らを王貞治・ダイエー監督になぞらえて心を1つにして頑張ろうなんてヌけたことを言うトップの有り難い訓辞を聞いて気分をマイナス方向にハイにしつつ会社を抜け出して広尾の「香港ガーデン」へ。今はまだこちら側にいる角川春樹さんが設立した角川春樹事務所の創立3周年を記念する大パーティーが開かれいろいろと面白い発表があると聞いて取材にかこつけて潜り込み、集まって来るいろいろな人をステルス状態になって観察する。目に入った人は北方謙三さんに徳間康快さんに辻井喬さんに福田和也さんに朝松健ご夫妻に新井素子ご妻夫に富野由悠紀監督にえーと他たくさん。内田康夫さんとか森村誠一さんとかもいたはずだけと内田さんはトレードマークの帽子を被ってなかったから解らなかったし森村さん顔よく知らないから不明。しっかし業界の重鎮新鋭ふくめてぞろりと集まった様はやっぱりそれなりな実力と人気を未だ持ち得ているってことの現れなんだろーなー、ファンタジーもホラーもSFもミステリーも今ある一部分なり大部分はやっぱり春樹さんのお陰、だもんなー。

 筒井さん小松さん平井さん半村さん豊田さんって一時期角川文庫で貪るよーに読んだSF作品が絶版になったのは、まだ春樹さんの時代だったと記憶しているからSFについては一時期ほどには気合いが乗ってないのかって思っていたらさにあらず。すでにしてハルキ文庫で小松左京さん光瀬龍さん半村良さんたちの作品が復活し始めててそれが結構な人気となっているのに気を良くしたのか、それとも持ち前の嗅覚によって察知したのか「SFの復活を自覚している」と高らかに宣言。んでもって今やってる角川春樹小説賞とは別に何とかの小松左京さんを迎えてついでに名前も頂き「小松左京賞」なるものを創設する考えをドカーンと高らかに宣言した、割には場内誰もどよめかなかったのは出てこない料理が気になったのか「SF」にイメージが沸かなかったのか。まあこれが「筒井康隆賞」でも「星新一賞」でも同じだっとは思うけど。

 それでも「ホシヅルの日」には体調不良で来京しなかった小松さん、このパーティーには参加していて挨拶に立ちまず「小松左京ショーでもやるのかって思ったよ。死んだらやろうと言って9月30日までに死ぬかと思っていた」と笑いをとる。加えて「募集しても応募は1つもなくって、自分がもう1つのペンネームで書いてから落とすつもり」と、かつての「日本SF作家クラブ」で3歩離れたら冗談言いまくるのが礼儀っぽい環境で育った人らしいユーモアを、今も衰えず披露してくれてこっちが生きている間に見られて良かったと心の中で涙を流す。「横溝正史賞が創設されても横溝さんは8年くらい生きていたそうだし、生きているうちに賞が出来るのは栄誉です」と言っていたから心の中ではきっと嬉しいんだろーなー、SF作家で最初の個人名の賞ってことでどんな作品が集まりどんな人たちが応募するのか。梅原克文さんとか別ペンネームで応募したりしちゃったり。

 勇ましい話は他にもあって例えば出版業界は初めて経験する恐慌とは言えないまでも不況であり、その中で生き残った所が勝つと言って生き残ることをテーマと宣言したり、アニメ化を行った「アレクサンダー戦記」になぞらえて自らをアレクサンダーと称して世界進出を目指しその為に店頭公開を目指すと断言したり、ハルキ会なる書店を集めた組織を作ってパートナーシップを結び書店の責任販売制を導入すると再販制の撤廃を見据えた書店とのあり方出版社のあり方を提言してみたりと、様々な施策思考を披露しては人柄及び実績を勘案した上で来場者に希望を抱かせる。方や弟の歴彦さんも再販制の撤廃を視野に入れた出版社の再編、データシステムの構築を進めていたりして、流石は竜虎とも見える出版界の立役者たち、ほかが座して死を待つ間に立場こそ違え2人の活動が21世紀の出版界の進む道を伺う上での試金石になるんだろー、さてどっちに付いていこー?

 ワニマガジンから出ていた30人の漫画やアニメのクリエーターが描いた作品を集めたらしー「FLAT](3600円)を買う。展覧会と連携したた出版らしーからおそらくは日本が世界に誇る漫画にアニメのクリエーターの作品をアートっぽい容器に入れて権威をまぶしていこーってな、DoGaあたりも1枚噛んでそーなプロジェクトの成果でその点にちょっぴり漫画なら漫画、アニメならアニメ、イラストならイラストとしての本来の器から外れた部分に付加価値を見出すなりコジ付けようってな意図を個人的に感じてちょっぴり気分が臆したけれど、こと作品の素晴らしさは権威も付加価値も無関係にあって、めくる度にアートだろーがなんだろーがこれが世界に認められない方がおかしいって気になって、手段は選ばずどーであっても世界に向かっていく姿勢は評価しなくちゃいけないってな結論に達する。好き、なんだなあやっぱ。「lain」の安倍吉俊さんや「アガルタ」の松本嵩春さん寺田克也さん多田由美さん草ナギ琢仁さん村田蓮爾さんら話題な人の作品満載、ド高いけど好きならやっぱ、買うっきゃないか。


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