縮刷版98年3月下旬号


【3月31日】 明日からビッグバンだそーでそうか明日には世界がドカーンを破裂して新しい宇宙が生まれるのかと創造したホーキングファンがどれだけ日本にいたかを想像すると、新聞の見出に安易に業界用語の「ビッグバン」なんて使って良いものかと凄く悩む。確かに金融ビッグバンは英国での例に倣って経済用語としては頻繁に使われてはいるけれど、それを一般に定着した名詞だと考えるのはちょっち独善じゃないかってそんな気がしてならないのです。もっとも「ビッグバン」が宇宙の始まりに使われた言葉であることを知らず、始めから金融用語だったんじゃないかって思いこんでる記者の人も結構いるよーなので、これじゃー疑問なんて抱くはずはない。んでもってそんなメディアが頻繁にテレビで金融改革とビッグバンを結びつけて報道すると、それが一般にも定着して日本では「ビッグバン」と言えば「金融」と答えの返ってくる、一種異様な社会になってしまうのだ。ああ何と素晴らしき哉メディア社会。

 山一証券が今日ですべての業務終え。考えて見れば証券業界を担当していた時に何度も取材に行って応接室にある佐伯祐三の絵をみながら良い絵がありあますねえとあの三木前社長と会話した、こともあったっけ。須田国太郎の絵とかもあって流石に100年近い伝統を持つ会社は違うわいとその時は思ったけど、今となっては伝統がかえって今回の悲劇にさらなる重みを与えている。テレビでシャッターが閉まっていく場面を見たけど集まって来る人の多さはやっぱり伝統の会社が滅びる瞬間を、一目その目で見んとするヤジ馬心をくすぐりまくった事の現れ、なんだろー。せめて山一の人には歴史的瞬間に当事者として立ち会えたってことを自慢に思ってこれからの人生明るく暮らして行って欲しい。とか言っているとさらに歴史的な瞬間に自らが立ち会うなんてことにもなりかねないから、言葉はこのあたりで慎みましょう。ペンギンの貯金箱、もっともらっとけば良かったかな。

 「吸血姫美夕」の最終回は千里が神魔と明らかになった先週の流れを引き継いで、さてどうするの友だちを殺せるの的葛藤に負けそうになる美夕が夢の中、それとも冥途の三途の川の手前まで来てあれやこれやと昔を振り返る場面で再び自分を取り戻し、ラヴァの助けも借りて千里を倒して再び孤独の旅を歩み始める哀しい結末に、つくづく救われない話、でもこれが安易な妥協を廃したかえって優しい未来への誘いなんだと納得して静かにスイッチを消す。思えば半年前から始まった今時珍しいホラーテイストのアニメーションは、元々のキャラクター人気も相まって固定化したファンを深夜枠であるにも獲得し、これだけのアニメバブルの中でそれなりに確固たるファンを得て幸せなエンディングを迎えることができた。あるいは未来へと繋がるエンディングを。後にパッケージとして出た時も、安易な時宜物に堕した作品群の多い中で、それなりのセールスを挙げて後々まで語り継がれることになるだろー、と他の見ているアニメと多分同じ事を言って別れの言葉に代えさせて頂きます。ありがとうございました。しかしCM最後まで脱力、だったなー。

 東芝EMIに6月発売の新作タイトル「マスモンきKIDS」とか3月に出た恋愛シミュレーション「ずっといっしょ」の話なんかを聞きに行く。鉄拳ひとり勝ちの春商戦の中で(ってことは「パラサイト・イブ」はイマイチってことなのか?)「ずっといっしょ」が苦戦なのはいたしかたのないこととしても、もう少しだけがんばればそこそなオーダーに達することが見えているのでここに広く喧伝して「ずっといっしょ」の名前を告げさせて頂きます、いや別に何ももらってないけど弱気を助け強気をくじくのが趣味なもんで、って東芝EMIは弱き者ってことなのか。

 3頭身キャラが動き回るおよそ「マスターズ・オブ・モンスター」の重厚なイメージからほど遠いソフトに仕上がっている「マスモンKIDS」のディレクターが登場、ソフトのソフトさとは対称的なハードな出で立ちにちょっちビビる。だって細身のボディに黒いパラシュートパンツ、腰にジャケットだかを巻き付けTシャツは居並ぶドクロ、胸に金チェーンのペンダント、頭には海賊巻きのバンダナと、まるで懐かしい「ブルーハーツ」のギタリストだったマーシーのよーなお兄さんに、これはヘタなことは言えないとビビりながら話の接ぎ穂を探す。会話の中でプロレスカードの話になり(ってどーやったらそんな話になるんだ)、そこでプロレスカードのおまけとしてしか手に入れられなかった「1・2の三四郎」の話になって(何でそーなるの)やっと共通の会話が出来ると「馬之介って好きですね」と言ったら共感を示してくれて助かった。ああ記者たるもの勉強はしておくものだ。

 古本屋で買った大昔の「アニメック」。87年1月号というとちょうど今から11年前に刊行された号で、この頃自分はすでにアニメ雑誌は買っておらず、懐かしいなけど知らないアニメもあるなあと、勉強不足を痛感しながらページをめくる。何で買ったかとゆーとこの号は今では飛ぶ鳥落とす強烈なオーラを発散しているアニメスタジオ「ガイナックス」が大特集されている号で、その割には定価と同じ500円の古本価格だったのがちょっと意外でもラッキー、と思って日頃の行いの良さに感謝する。

 さて「ガイナックス」特集だけど「オネアミスの翼」に関係のあったクリエーターが貞本義行さん赤井孝美さんほか何人か紹介されていて、中にカ蜻蛉様の眼鏡に尖った顎線にちょっぴり長髪の青年が、掲載されていて下にある名前を読んで仰天。「庵野秀明」という名前と今の髭面からは想像も出来ない白面ぶりに、10年とゆー年月の長さ重さを痛感する。もう1人細身で細長い顔に黒い髪の青年が「東宝特撮野郎」の見出とともに紹介されていて、名前を見てやっぱり仰天これのどこが樋口真嗣さんだー、と今のド派手な風貌体躯を想像しつつやっぱり年月の重さを実感する。まあ毎日鏡で自分の頭を見ていれば、それは十分過ぎるほど分かってはいたんだけどね。


【3月30日】 コナミが年に1度開いている役員との懇親会に出るために青山のカナダ大使館へと向かう。瀟洒な建物の地下にあるレストランのパーティールームを使っての懇親会には、記者だけじゃなくって業界を対象に調査なんかをしているアナリストの人たちも有名所がそろっていて、折しも景気は低迷しゲーム業界にも不況の嵐が吹き荒れている、なんて世間の人たちに思われている節もあるから、これじゃーいかんと考えたのか役員ほぼ勢揃いーの、お料理は山盛りに積み上がりーのな、久方ぶりにお腹を満足させられるパーティー、だったと思う。もちろんCESAのゲームショウの時だって結構な品揃えだったけど、舞台で始まった脚も立派なバレエの演目に、見入って料理に手つける暇なかったもんね。どっちにしたってゲーム業界マクロじゃ景気悪いところもあるけれど、大手はまずもって結構な仕上がり具合になっているんだろー。取締役を一気に常務に上げちゃったくらいだし。

 そんな常務に昇進した取締役の中から「ときメモ」グッズ関連を取り仕切るファンには垂涎の部門を一手に引き受けている永田さんに挨拶。「東京ゲームショウ」に展示していたポスターの自販機がバンバン売れてたちどころに品切れになってしまって大変だったとか、トレーディングカード類が人気でとりわけゲーム性を持たせたカードが結構な賑わいになっていることを上げて自社でもそーいったカード類を考え出さなくてはいけないだとか、カードの販売窓口としてコンビニあたりがどーいった展開を期待できるかといった、極めてビジネスライクな(っても普通の人には暗号喋ってるよーに聞こえる、かもしれん)話をしていた所に強敵参上。のっけから「あの目つきの悪いコアラのヌイグルミはどこに売っているのですか上司に見せたいので」とゆー、具体的な商品にまで踏み込んでのクエスチョンに薄い人間は茫然としてタジタジと一歩退く。

 見るとこの(つまりはゲームなど)業界を担当させれば右に出る者上を行く者一切が存在しないと言われ、業績その他のレポートを書けば翌日の株価が軽く100万円は上下するとゆーモルガン・スタンレー証券会社の株式調査部アナリスト、その名も森光子、じゃなかった森田光子さんが鋭い眼光きらめかせてコナミが誇るキャラクタービジネスの神髄に迫り始めたではないですか。新米のゲーム担当は3歩下がって師の影を踏まず、しばし両名の会話に耳をそばだてているうちに、話がなおも深い、それこそ経営の根幹へと関わる問題へと至っていったのに驚きながら、お驚きを顔に出さずに取材のお手並みをとくと拝見、いや拝聴する。

 ひょんなことから永田常務が3月3日に入籍(!)していたことに話を至らしめた森田さん、そこで並の記者なら社交辞令でおめでとう御座いますと言って話を別に振るところを、事がコナミを背負って立つCP事業本部長の普段の、日常の仕事ぶりにも深く関わる問題だとでもとらえたのか、どうして知り合ったのか、どこか共通の趣味はあるのか、といった細かいところまで、それこそ新聞の社会部記者のような鋭い質問を次々を浴びせかけ、その結果「知り合いの知り合いだった」「休みは寝てます」という具体的な答えまで引き出して、対象に深く迫る普段の密な仕事ぶりを垣間見せていた。圧巻だったのが奥さんになった人の歳の話で、39歳になる永田さんだからもしかしたら結構な年齢かもしれないと考えすぎて聞き漏らしてしまうところを単刀直入に何歳かと聞き、20歳という答えを見事に引き出し周囲を驚愕させていた。聞いた本人も驚愕していたよーだけど。

 入社以来17年、ひたすら仕事に邁進してコナミの今日あるを築き上げた功労者、ゆえに知り合う機会があまり無かったのは分からないでもないけれど、それにししても倍近くも離れた年齢をよくぞ探し当てたものぞと深く驚嘆、その年齢差だったら自分の場合はえーっと19歳だから、そうそう中学生と結婚することになるんだって計算してだったら問題ないやと考える。一方で泣く子はいねが、じゃない泣く子も黙るアナリスト界でも一家言を持つ森田さん(年齢不明)が、その結婚話にかくも驚嘆していた理由が分からない訳でもないけれど分からないことにしておいて、とまれその驚愕ぶりが今後のコナミの事業に関するリポートに、どー反映してくるのかを刮目して待ちたい。とりあえずは明日の株価に注目、だな。

 プレイステーション持ってないのに「みつめてナイト」が手にはいってラッキー、でもないどっちかってーとお人形の方が欲しかったけど流石に女性アナリストとかいる側でフィギュア話に花を咲かせる訳にもいかないので、ガレージキットに用いられるレジンキャストってのが何だとか、等身大の藤崎詩織を28万円で作ったとかいったごくごくビジネスライクな話(どこがじゃ)に止めておいて会場を後にする。電車で道みち買ったばかりの唐沢なをきさん苦心の労作、すべてを版画で彫って印刷したとゆー過去においてはおそらく中国は明代に遡るであろー失われた技術(大嘘)を使って製作された、荒俣宏さん曰く「マンガ界初の時間外超過勤務・ローテク製品」であるところの「怪奇版画男」(小学館、1050円)を読み、この人はどこまで自分を追い込めば気がすむんだろーかと、そのあまりの自虐ぶりに涙を流しつつ、版画であることの意味を存分に突き詰めたお話のあまりの面白さにやっぱり深く涙する。ゲラゲラゲラ。

 ジャパンミックスの「ピュアガール」に掲載されいた広告の文句「それって18禁の間違いじゃないの!?」とゆー言葉にピクっと来たのか本屋で見つけた松本嵩春さんの「GONGROCK」(850円)を1も2もなく購入し、別に18禁じゃねーぞと怒る、ことはありませんちゃんと広告にフォローのあった「健全な青少年のためのイカす冒険アクション活劇」として読んだけど、その看板に偽りのない不定愁訴なサラリーマンがアフリカの自然で目覚めて立ち直る話に、やっぱり不定愁訴なサラリーマンとして強く勇気づけられる。「18禁」もちょっとは期待してたけど。もともと絵の巧い人みたいだけど松本さん、これ自体は92年の作品なので今ではさらにずいぶんと上達しているんだろーと、表紙に折り返しの部分の絵を見て強く感じる。「ウルトラジャンプ」あたりに活躍の場を映しているみたいなんで、ちょっとチェック入れてみるか。


【3月29日】 アーティストプルーフが何故に200個もあるかとゆーとそれは発売日がエイプリルフールだから、ってもちゃんと200個発売されるそーなのでまるっきりのウソじゃなく、つまりは売り切れてしまったワンフェスで買えなかったアート系の人たちに、「KO2ちゃん」が行き渡るよーにするには一体どーゆー言い訳で再販するのが良かろーかと考えて、アーティストプルーフ(アーティスト取り置き)を放出すると言えば良いのだなとゆー結論を導き出したのだそーな。50個売れてすぐさまに200個も再版なんてフィギュア界の常識を多分越えてる振る舞いの一方で、アーティストプルーフ200個放出なんて美術界の常識をフンサイする村上隆さんの進むべき道はイバラが生えるかガレキが転がるか。ますますもって買わない訳にはいかなくなったがさてやっぱり並ぶのか朝からホビーロビーに。

 ちょっぴり痛む頭をかかえて正午過ぎに起き出して、キオスクで新聞と缶珈琲(ホット)を買って羊の居並ぶデパートの屋上でしばしのひなたぼっこに耽る。日刊スポーツは鹿島の柳沢がトップになっていて、それから開いて清水の市川に浦和の小野と代表入りした若手ばかりを褒めそやすよーに取りあげる報道に、ほとんどスポーツアイドル芸能紙だぜ、ケッとか思いながら缶珈琲をすする。とはいえ柳沢に関しては開幕から3戦連続の得点で昨日は延長突入直前の勝ち越し点だったことを考えれば3連勝をしているチームのもはや大黒柱とゆーことで、トップの扱いも妥当なのだと若さへの嫉妬を包み抑えて素直に(あんまし素直でもないが)その活躍を讃える。

 オーストラリアキャンプでも淡々としていてそれが外される理由になったほど、あんまし上昇欲のなさそーな人なんで、こーやってチヤホヤされるのも逆に自信につながって良い、のかも。名古屋グランパスは妥当な勝利、目新しさ新鮮さには欠けるメンバー構成だけど逆に見ればしっかりと固まったメンバーが揃っているとゆーことで、これがしっかり機能すれば接戦でも大敗はない、とは思うけど買ってこその勝ち点なんでもう1枚2枚、決定力が欲しいところではあります、ってんで小倉、はよ復活せい。野口はどこに行ったんだ。平塚に移った森山ってのはあの森山でしょーか、としたら初出場良かった点は取らずにチームも負けちゃったけど出てればきっと良いことある。もんだ。

 ひたすら読書と決め込もー、と思っても手はついついゲーム機へと向かう、ってことで日本のゲームの魂とも言える乳揺れを観賞すべくテクモの「デッド・オア・アライブ」を試す。自分がいかに格闘ゲームに向いていないかを、ボタンの順番を覚えられない暗愚さと、覚えてもその速度でコマンドを打ち込めない鈍重さによって重い知らされる。がそこは愚鈍なおじさんんでも楽しめるよう配慮された現代のゲーム、自分が操るファイターの生命力を無限大にして、ケリだけあるいはパンチだけで相手を次々を倒していく卑怯モードを採用して、相手を叩きのめし場外へと押し出して爆破に上空へと舞わせる快感に酔いしれ、何よりぶるんぶるんな巨大な胸の動きに官能を覚える。その動きがリアルか否かは実物がぶりんぶりんと揺れる様を間近にしたことがないので分からないが、少なくとも揺れる事実だけは十分に甘受できたので、たとえ「鉄拳」でも「ストリートファイター」でなくても、「デッド・オア・アライブ」は格闘ゲームのマイ・フェイバリットとして、記憶に永遠に刻まれるだろう。分相応、との言葉とともに。

 午後から夜までかけて奥泉光さんの「グランド・ミステリー」(角川書店、2400円)を読み込む。何せ「グランド」な「ミステリー」なので謎解きの醍醐味は存分に味わうことが出来るけど、そこで終わらないのが純文学のエースと帯で呼ばれる奥泉さん、生きていることその証を残すことの意味に強烈な毒と投げ込んでふふふふふと笑いながら去っていった。この話を果たしてミステリーとしての謎解きの出来不出来に帰結して語っても良いものなのか、もっと別の投げかけられたテーマの重大さから語るべきなのか、与えられた疑問があまりにも大きすぎて、ミステリーの部分だけで結論を出したい衝動にかられつつも、学校で歴史を勉強して趣味としてSFを読んで来た身として、テーマにも触れたいと思い悩んで頭を爆発させる。

 物語としては特級の面白さ、なのでミステリーファンもSFファンも悩む人も脳天気な人も、読んでそれから何が語られているのかを、あれやこれや考えてみよー。それにしても分からないのが「新文芸」って与えられているジャンル。「純文学」というジャンルも実のところは良く分からなかったりするんだけど、文芸ってのははつまり新しいかろうと古かろうと小説の総体を示す言葉だと思っているから、それに「新」が付くなんてどうしても理解できない、のであるがまあ「ちょっと違う」ってな程度の意味だと思うから、無理に目くじらはたてない。逆にこのテクニックをこっちも採用して、新本格が本格ミステリーの原点に立ち返った謎解きの面白さに力点を置いたよーに、んでもって新文芸が文芸本来の観念的になり過ぎない小説としての面白さを原点に置いているよーに(そうなのか?)、「新新聞」ってなジャンルを旗揚げして、本来の高潔で純粋な論陣を張った新聞を刊行してみよーかしら。昔ながらの新聞ファンにきっと支持されること請負だよ。戦中戦後に右へ左へ揺れ動いた新聞ではなく、官庁企業政治家の言うがなすまま記事を垂れ流した現代の新聞じゃない、高踏な立ち場で権力をナデ斬り嘲弄した、昔ながらの新聞ファンってのが今も生き残っていれば、だけど。


【3月28日】 「モデルグラフィックス」がしつっこく、とゆーか最後の「プロジェクトKO2」関連記事を掲載、大好きだけどやっぱりマイナーなフィギュアがアートとゆー一種社会的にも文化的にも定まった評価なり権威を持ったシーンで評価されることはちょっと嬉しいんだけどでもこっちはこっちでそれなりに独自の価値観でやっているんで今さらアートなんて別の基準で勝手に権威付けされちゃうのはタマランなあ、などとゆー愛憎入り交じった文章が掲載されていて(またか)とあきれつつもどういう立脚点に立ってこーまで揺れ動く文章を書くのかと考える。オタクも好きだしアートも好き、ってな人間として何もそこまで意固地にならんでも「アート界がフィギュアを評価したいんならやれば」風な鷹揚とした反応が何故できんのか、それが不思議で仕方がない。

 美少女のフィギュアを作る、それも等身大で、という行為そのものにアート性を見出そうとしている村上隆さんのアプローチと、完成したフィギュアそのものの善し悪しが全てというフィギュア界のアプローチが相容れないのは当然の事で、あっちはあっちでこっちはこっちと割り切れば、フィギュアを食い物にして一風代わったことをやってやろう的なアート側のアプローチを、笑い飛ばしこそすれ怒り「オタクの敵だ」と拒否反応を示すのは何故なんだろーかと考える。

 すなわちフィギュアをフィギュアとして楽しむという自らの立脚点に自信がなく、どこかアート側の権威に頼りたいけどでも頼ってしまったらフィギュアを楽しんで来た自分は一体何なんだ、ってな葛藤と愛憎が渦巻いているから、なのかもしれないと一連の文章を読んで強く思う。それもフィギュア界がさらにメジャーになっていくための葛藤だととらえれば、純粋で真面目なアプローチなんだろー。とりあえず4月1日に「KO2」ちゃんのアーティストプルーフ(でも200個もある)が発売されるみたいなので購入し、手に取り眺めつつフィギュアとして楽しむべきか、アートとして堪能すべきなのかをじっくり考えてみたい。並ぶかやっぱり。

 秋葉原を散策、ヤマギワのアニメLDやらが売っている店の前で「がしゃぽん」をやって遂にとうとうやっとの思いで「赤ズゴック」を入手する。型は多分「青スゴック」と同じなんだろーけれど、赤く塗られただけでどこか威厳が漂うあたりはとことん「ガンダム」におけるシャア少佐(後に大佐)の格好よさ、その格好良さを池田秀一の声の暖かみのあるニヒルさに、やられっぱなしの人生だったってことだろー。モビルスーツで「ザク」と同じくらい「ズゴック」が好きなのも、「シャア専用」の赤い「ズゴック」が存在していたからで、代わりに「赤ドム」なんてものが存在していれば、それとも「赤グフ」なんてものが活躍していたら、頭でっかちで手長ザルみたいなおよそスマートとは言えない「ズゴック」を、多分好きにはならなかっただろー。

 振り返ってみれば1人称で喋る時に「僕」「俺」ではなく「わたし」と言うようになったのも、とどのつまりはシャアの影響、なんだからつくずくアニメに振り回されっぱなしの人生なんだと、手のひらに「赤ズゴック」を載せて眺めながらほーうっと溜息を付くのであった。認めたくないものだな。認めなくちゃいかんのだけど。今回のシリーズで残るは「ガンダム」1機のみ。依然の「ドム」とかが入っていたシリーズでも結局「ガンダム」が取れず哀しい思いをしたから、今度は極力秋葉に出向く機会を作って、ヤマギワ前で座り込んで「ガンダム」ゲットに務めたい、って仕事は何時するの? これも仕事なんだよ(うそつき)。

 さらに散策。旧ヒロセ無線のビルで「プレイステーション」絡みのイベントが開かれていて新作 ソフト話題のソフトの大デモンストレーションが行われていたので背後霊のごとくプレイヤーの後ろに張り付いて画面の中で展開されるゲームに見入る。例えば「天誅」なんか続々と登場してくる忍犬をばったばったと切り殺していく動物愛護団体からクレーム来そうな展開にかえってリアルさを覚えて好感を持つ。飛び散る血なんかもちょっぴり蛍光色っぽいとはいえちゃんと赤いし、無理に変な自主規制をやってごまかしてしまうよりは、必要ならば正面から堂々と犬殺しに赤い血を採用した方が、かえって正直で良い印象を周囲に与えるんじゃないかと思ってしまう。アメリカ版はさらにリアルに首が飛ぶそーなのでそれはそれで楽しみ。でも犬をあんなに殺しまくれるのかな。動物愛護の国で。

 デモンストレーションの機械でかかっていたテクモの「デッド・オア・アライブ」はやっぱり乳がゆっさゆっさと揺れまくりで、おまけにスカートだってまくれてしまう正直ぶりに、上から下までアドレナリンがかけめぐって激しい好感(興奮)を覚えてそのまま別のショップへと走り、発売されてから大分経つけれどハード他に持ってないから仕方なくセガ・サターン対応の「デッド・オア・アライブ」を購入する。プレイステーション版のでもではセーラー服のお嬢さんがスカートまくれあがるのも気にせずとっくみあってくれていたけれど、これってサターン版にも出てくるのかな。来なければ楽しみ半分、とはいえ揺れていればそれはそれでオッケーなので明日日曜日は揺れを堪能して凄そう。男はやっぱ股間、揺れないねー。揺れるほど大きくない僕にとってそっちも興味の対象、なんだけどな。


【3月27日】 しつっこく「フォトン」見る。たぶん3回目。おおよそのあらすじを掴んだ後だと、止め絵の向こうで女3人がエッチな会話をしている場面とかでも間の悪さを気にせずに見ていられるから不思議。大岩を突き抜けたパパチャの場面で体の形に抜けていく岩の股間がもっこししているあたりにも芸の細かさを感じる、がしかしギャグの応酬で話がちょろっとした進まないのはやっぱりちょっと気に入らない。長丁場のテレビシリーズなら息抜きあってもいーけど、1枚1枚に金払ってるOVAではね。あと冒頭から温泉街のシーンまで薄暗かった画面がさーっと明るくなって、茶色にくすんでいたアウンの髪の毛の色がジターッと本来のピンク色に戻るのは何かの演出? それとも単に機械の故障??

 春の陽気に誘われて雨後の竹の子の様に新刊が出まくっていたのでこれ幸いと買いまくる。文庫で4冊は1つが長かったねえここまでがのキマイラシリーズ14巻「キマイラ縁生変」(夢枕獏)に長かったってもんじゃないねえいったい前に出たのは何時なんだの未来放浪ガルディーンシリーズのそれも外伝の方の第2巻「大ハード」(火浦功)。「そのタイトルだったら『ザ・スニーカー』で見たぞなーんだ文庫に収録しただけか」と思う人もあるだろーけどこれは違う。火浦さんにはおよそ似つかわしくない、それはクリントンに貞節を、橋本龍太郎に謙虚を、そして不詳私めに勤勉を求めるくらいに似つかわしくない言葉であるところの「書き下ろし」が含まれているのだ参ったか。

 巻末に式貴士さんに恒例だった「長い長いあとがき」くらいに長い長い対談が掲載されていているけれど、これがなくても本文だけで300頁近くあるから文庫本としては(とくにスニーカーなんてヤングアダルトの文庫では)十分な長さだったと思うけど、そこにあえて40ページ近い対談を加えて厚さを増して、値段を620円まで引っ張っていったその意図(「キマイラ」は250頁で500円)は、もしかしたら滅多に本の出ない火浦さんにこの時ばかりは印税を稼いでもらおうとゆー、出版社側のありがたいありがたい心遣い、なのかもしれないと考えてしまったけどさて真相やいかに。どーでもいーけどとにかく本編を書いて頂きたいもの、もちろんプロテニス・プレーヤーになる前に。

 残りの文庫は橋本正枝さんの表紙も可愛い「こちら異星人対策局」(ゴードン・R・ディクスン)にあな懐かしやな「地球最後の日」(ワイリー&バーマー)。後者はとくに昔むかしジュブナイル版を「地球さいごの日」で読んだことのある、我がSF読書歴でも比較的原点に位置する作品で、そこで明示されたテーマの恐怖としして壮大さにはただただ圧倒され、将来は偉い人になって脱出するロケットには絶対に乗るんだと、強く心に誓ったんだよねその時だけは。後に松本零士さんの「ワダチ」を読んでたいしたことなくってもロケットに載せてもらえると分かってからは、怠惰な人生まっしぐら、だったりするからいい加減なんだけど、ともかくも本邦初訳(大人版、って意味では)の「地球最後の日」は、スピルバーグの映画も控えてこの夏ちょっと盛り上がるでしょう。今もしもこんな事態になったとしたら、ビル・ゲイツだったら自分用のロケット、作っちゃうだろーね。初台の人はそっちに乗せてもらうのかな、それとも新しいパトロンから借りるのかな。

 前作の「プラトン学園」が僕的に期待はずれだった奥泉さんが、僕的にオッケーだった「我が輩は猫である殺人事件」とたぶん同じジャンルなミステリーに挑んだ「グランド・ミステリー」(角川書店、2400円)もついでにゲット。でもこの表紙の雰囲気、最近見たなーと思って鞄をあけて一昨日買った渡辺容子さんの「無制限」(講談社)を見て納得。どっちも同じ藤田新策さんの手になる表紙だった。中身についてはどちらも未読なんで明言はできないけれど、たぶん面白い、んじゃないかと思うだってそー思わないとやってられないよ、高いんだから。最後は太田出版から発売の「超クソゲー」でもしかしたら明日見掛けるかもしれない飯野賢治さんの「エネミー・ゼロ」の評は見なかったフリをして、巻末の外国人バイヤーを交えた日本人の魂である「乳揺らし」の部分を面白く読む。読んで明日秋葉原に「デッド・オア・アライブ」を買いにいこーと心に誓う。こーなったら賢ちゃんローラも乳揺らせ!

 NHKで米長邦雄9段のドキュメントを見る。なーんだやっぱり言ってたんじゃんんか「引退」に近い発言を。おーゆー発言をしていたらかこそ毎日ほか新聞各社が順位戦でA級陥落が決まった時に「引退」なんて書いたんだよな。結局はフリークラスに落ちついて、テレビのナレーションも順位戦を離れて指していくことになったとシメていたけど。しかしあーだこーだと言われて「週刊新潮」では仲間の棋士にもひどいことを言われても、将棋を指している時の顔は紛れもなく勝負師の顔で、あの羽生をして強い相手を上目遣いで権勢する「羽生にらみ」を何度も何度も見せていて、それくらいの存在感をテレビの中から発散していた。

 そして盤を離れた時の実に親しみやすい表情人間らしい言動。いくら毀誉褒貶が激しいからといっても「米長道場」を作って若手から序盤を教わり強さを盛り返したのは事実だし、羽生が新聞で語った言葉を切り抜いて貼り毎日のよーに見ているその態度も上辺だけの格好付けでは全くない。棋士は素晴らしい棋譜を残すこと、その唯一の仕事に関して紛うことなき潔癖さ(一般人の常識による潔癖さ、とは質が違う)を見せた米長だったからこそ、理事戦に落ちて人望が無いと書かれながらも、40数人もの棋士が集まり仲間と慕って転出を祝ったのだろー。ますますもって惜しい人を棋界は失った、とはいえ順位戦の序列から外れても順位戦で羽生相手に、そして最終局で加藤相手に買ったその実力を持ってすれば、十分に名人戦意外の棋戦で活躍できるはず、だから死ぬまでは毀誉褒貶数あれど、それをすべて飲み込んだ上で米長を愛して止まないファンを楽しませてくれることだろー。


【3月26日】 新聞に将棋の米長邦雄9段のフリークラス転出が記事となって載る。フリークラスってのはA級からB級1組以下B2、C1、C2と続く将棋の序列のさらに下、とゆーかほとんど別枠で存在しているクラスで、C級2組で負けが込んでいられなくなった人とか、引退はしたくないけれど順位戦の序列に入る代わりに全ての棋戦への出場が義務づけられるのはしんどいって人が所属してる。そんなところに1年とはいえ名人の看板を背負い、王将ほかのタイトルだったら数しれないほど保有していた米長が行くのはもったいない、とゆーより普通じゃないとしか思えないけど、そこはさすがにプライドの高い天才棋士、長年君臨して来たA級の名誉を奪われてなお、B級1組で雌伏し指し続けよーなんてことは出来なかったのだろー。よくよく潔い。

 なんて思っていたら「週刊新潮」、女遊びの派手さや1晩で前言をあっけなく翻す口の迷いを指摘して、「さわやか流」なんて流儀も付けられている米長9段の、実は相当にアレだってな姿をえぐりだそーとしている。例えば3月3日の順位戦最終局で、A級からの陥落が決まった時に引退をほのめかしながら、そう新聞がかくと途端に前言を撤回して引退はせず、けれども棋戦には主催者の新聞社のトップから頼まれれば出てやると威張った態度をとったその傲慢さが槍玉に上げられ、林葉直子さんの引退騒動の時も元の師匠でありながら讒言に近いことを言って休養だった処罰を引退必至へと追い込んだことを非難されている。「さわやか流」なんて誰のことってな内容で、これならむしろもう一方の呼び名である「泥沼流」の方が相応しい。

 そーした女性との関係とかが事実かどーかは分からないけど、引退を報じた毎日新聞が会見して前言を翻した米長9段にメンツをツブされ、それが稀代の人気棋士のフリークラス転出をベタで報じた理由になったよーな気がしないでもない。顔写真を入れていたのは産経だけ。その扱いの冷淡さに新聞記者たちも相当に米長9段を恨んでいたってことが伺われる。さても人気の棋士、かつ実力もまだまだトップクラスにあるだけに、フリークラスになっても名人戦(順位戦)以外の棋戦に出て買って挑戦者にならないとは限らない。序列にはシビアな業界で最低ランクにあるものがタイトル戦に出て来るなんて、それはそれで価格破壊的に面白い現象だけど、仕切ってる側には扱いにくいことこの上なく、やはり米長死んでも1人では死なずに最後まで手間をかけされるものだと、その執念深さに関心する。まさに「泥沼流」の人生、あきらめの早い人生に後で損をしたと悔やんでばかりいる人たちは、この生き方を見習うべき、か。

 おお「SPA!」に「ブギーポップは笑わない」が出ている・・・・などと内輪な話はおいといてやっぱ「エッジな人々」の椎名へきるのインタビューが今週号では最大の収穫、だってこいつ全然フツーじゃん、昔夜中の番組にゲストで出てた時に見たインタビューじゃー出身地は「へきる星」だったし自分は「へきる星人」だったししゃべる言葉は「へきる語」で顔には「へきる目」「へきる耳」「へきる口」、腹の中には「へきる胃」「へきる腸」「へきる袋」、もうちょっとしただと「へきるマ・・・いかん下品になるから素に戻って、とにかくオカシな奴ってな雰囲気を思いっきり出しちゃってくれていて、意外と常識人の多い声優業界では極めて異色の存在のよーに見えていた。

 それが「エッジな人々」では、天才より強い天然なアイドル声優の姿にきっぱりサヨナラを告げ、けれどもアーティスト然として高飛車に振る舞う訳でなく、真面目で正直で強くて儚げなありのまんまの「椎名へきる」を見せていて、読んでいて気分にすーっと入る。これが「メタな役作りってもーイヤ、疲れちゃっう」ってなコメントだったら、へいへいご卒業なさったのねって一歩下がって土下座しながら腹の中でベロ出してやるんだけど、こーまで普通に「へきる星人」やめられちゃうと、違和感も反感も抱かずこれからも椎名へきるの動向を特に気にせずかといって無視せず(虫ってのも逆説的な意識だからね)にいける、気がするけれど「国民一人一人がちゃんと選挙に行くべきです。」ってあたりに若干天然も残っているよーで、筒井康隆さんの小説に出てきた蘆原将軍みたいに、正気のゆり戻しで再び桂さんも真っ青の天然に、回帰してくれる日もちょっとだけ期待してたりする。

 「フォトン」の第4巻はAICお得意にして恒例の「温泉編」。「天地無用!魎皇鬼」でも美星がやって来た回がやっぱり温泉だったけど、今回は代わりにラシャラ様が登場してそのナイス過ぎるバディをでぼーんと披露してくれる。キーネもちゃんと大きくふかふかだけど、育ちの良さ栄養の回り具合でやっぱりラシャラにはかなわなかったみたい、だって何百年も寝てたんだもんキーネ、胸だって痩せるわな。アウンちゃんは問題外・・・・なんだけどあの姉さんがますます巨大になって(バストも他も)再登場して来た時に、将来への希望をちょっとだけ持ってしまった。将来への不安も同時にこっちはどっぐあーんと持ってしまったんだけど。

 動きは凶暴さをいかんなく発揮しているアウンを除けばおおよそペケ、でもってシナリオもこれまでのテンポの良さがすっかりと失われてただただエピソードを消化すれば良いだけの雨傘番組アイキャッチ箸休め骨休め的な雰囲気がふんぷんと漂う。裸出てりゃオッケーなんだけどそれでも物には限度があらーな。絵の質もちょっぴり下がって来たよーな気がするし、これで残りの第5巻とちょっと長めになる第6巻に、再び第1巻で見た驚愕の動きそしてテンポよい振興を見せてくれよと大声で叫ぶ。おっと驚きはまだあった実はポチは1号も2号から28号もみいんな・・・・だったんですよああ驚いた。なるほどねえ、ってことはパパチャリーノ・ナナダンあんたとんでもないもの鞠のよーにけっ飛ばしてたんだなあ。柔らかいはず、だぜまったく。


【3月25日】 バンダイで新中期経営計画の発表。前に山科誠会長が「5000億円達成だー」なんてブチ上げた時からあれやこれやでてんやがわんやで、今に至った今日の会見では2001年に3500億円とゆーまあ妥当な目標数値に落ちついて、喉元過ぎて熱さ忘れないその身長姿勢にとりあえずは先行きへの安心を見る。冒険しないのがバンダイ、冒険するけど未だ先行き不明なセガの10年後は果たしてどうなっているのかに、カケじゃないけど100万円を株とゆー形で使ってみたい気がするね。バンダイによるセガ買収、だってありえない、訳はないけどでも分からないよね、今の時代。

 破談の影響でバンダイとセガの提携関係は完全にご破算になってるか、そっちの方向に向かっていると見る記者が多くて、LD屋でも行って売り上げランキングを見てみろよ、せめてゲーセン行ってUFOキャッチャーやるとかさ、って言ってやりたくなるオタクちゃんがここに1人。泥を塗ったバンダイが景気良くって泥を塗られたセガが足踏みな今はセガがバンダイなんかと一緒に仕事するわきゃない、って論法が正論として通りがち、だけど現に「サクラ大戦」はLDがバンダイビジュアルから好評発売中でUFOキャッチャーの中にはバンプレストあたりの製品が入っていたりする、からね。セガ・トイがどこまで育つか分からないけど、どっちかってーとキッズやエデュテインメントが中心になりそーな感じだし、特異な分野は得意な会社にやらせた方が良いって判断した時は、禍根を立っても協力するのがこの業界。頭で筋書き書いて演じさせよーとするのは止めようぜ(ってオレもオタクなシナリオに自己満足してる節があるんだけど)。

 しかし流行るのかねー「ジターリング」。「ハイパーヨーヨー」の次の商品として大ブレイクを期待するのは分かるけど、「おもちゃショー」でもデモンストレーションを見ていてもストリングが上下左右に走り回ってちょっと派手な「ハイパーヨーヨー」に比べると、やってる方は大変だけど今ひとつ動きの派手さが伝わってこない「ジターリング」は公衆の面前でそのカッコ良さを訴えるって要素に決定的に欠けているよーな気がする。デモしてたのが将来小錦なハワイアンだったことも心配してしまう一因かもしんないけど。ただやってみると意外と難しくってなかなかに征服欲にかられるのも事実で、これはクラスに1人か2人、うまいやつを送り込んで自慢させて周囲のヤツラに嫉妬心を起こさせて、買わせてやらせるって手でいくと案外ヒットするかもしれない。「タカラ」からも同じよーな製品が出ているから、どっちが先にブレイクさせるかちょっち見物。まずは4月4日の幕張メッセで感触を占おー。

 「ハブ・マーシー! ウルフマン・ジャック自伝」を読み「日本が震えた日 ドキュメント97秋金融危機」を読み「探訪村上春樹の世界東京編1968−1997」を読んでどーにか締め切りに間に合う脳体制を整える。未だ新米の紹介屋はさすがに帯だけとかプロフィルだけとかせいぜいが後書きだけとか読んでバババッと一気呵成に印象批評を書き上げる芸当なんてまだ出来ず、とりあえずは一応目を通して、それから結局帯の惹句に後書きなんかを読んでやっつけたりするから効率悪いことこの上ない。今は修行だ頑張ろう。あれがメジャーの星、だ。(もちろん「SPA!」は大々メジャー、だけど)。

 あれっ、1冊足りんこれは家に忘れて来たなとゆーことで慌てて本屋に行ってすでに読み終えていた井上祐美子さんの「はなにあらず」(中央公論社、1600円)を購入。ついでに「左手に告げるなかれ」の渡辺容子さんが江戸川乱歩賞受賞から初めて書いた長編第1作(藤原伊織さんよりはペース、早いかな)「無制限」(講談社、1700円)に「陋巷に在り」じゃない酒見賢一の新刊「語り手の事情」(文藝春秋、1333円)に今は亡き「週刊アスキー」(今も在る、けど違う)に連載された対談をまとめた岡田斗司夫さんの「マジメな話」(アスペクト、1700円)に我孫子武丸さんの「『死の蔵書』評でレビュアーをぶった斬るコラムと大森望さんのインターネット書評評が胃に痛い「’98本格ミステリ・ベスト10」(東京創元社、700円)を購入、おっと忘れちゃいけない「SFマガジン」も出ていたんだと雑誌コーナーでゲットして、これで総重量は軽く(軽くない)10キロいったかな。給料日にはお札に羽根が生えている。

 それから今日の逸品は何といっても「明和電機 会社案内」(アスペクト、2800円)。アスペクトに2800円も儲けさせるのはなんだかちょっと癪、だけど明和本なら仕方がない、のかどーかは未だ判然としないけれど、ともかくも会社案内とゆーサブタイトルどーりに内容はこれまでの明和電機の集大成、年表を中心に製品カタログや製品の作り方なんかが詳しく細かく書いてある。凄いのは何といっても父親で新生・明和電機会長の土佐阪市氏の「私の履歴書」で、どこまで本当か分からないけど数奇にして模型な人生を訥々とした筆致で書いている。後参考になるのが「紙サバオ」の作り方と「パチモク・イチマンジャク」の作り方。これさえあれば夏休みの宿題だってバッチリだ、けど休みがあけて全員がランドセルの変わりにパチモク背負って登校して来たら、殺伐とした学校にもホノボノが漂うことだろーな。宿題に出そーぜセンセイ!。


【3月24日】 「CESA」のパーティーで歩いていたメディアワークスの偉い人を捕まえて聞いてみたい衝動に駆られた「オルタカルチャー」の1件は粛々として手続きを重ねているとのことでまずは善哉、いや別に善くもないけど「WIRED」5月号での山形浩生さんの福田和也批判、については『稲葉振一郎さんのインタラクティブ読書ノート』でご本人(もちろん山形さんの方)が、門外漢としての状況批判に求められているのは「細部にこだわらない大きな常識論」であって自分もそうした立場で書いている、しかるに福田和也さんの「内でも外でもバカばかり」は、一知半解で専門家ヅラしているだけで門外漢としての強みが発揮されていないんだ、とゆーコメントを寄せていますのでご高覧あれ。正しい門外漢のあり方、なんて分かって良いです。新聞社って一知半解で政治家や経営者や官僚から聞きかじった話で記事を組み立てて”正論”を振り回し、でもプライドばかりは山よりも高い人種が世界で一番高い密度で集まっている場所ですもん、耳が痛い目が熱い、ぞ。

 かといってあっけらかんと開き直られても困ってしまうんだよね朝日新聞元論説副主幹様。中公新書から先月だかに発売された「経済報道」はバブルを奨励してマネーゲームに乗って媒体やら紙面やらを作っていた新聞が今じゃ手のひら返したよーにバブル時の行き過ぎを叩き大蔵省日銀の失政を非難している様を後講釈的に振り返って非難している。それはそれで我が不明を恥じてもって他山の石とせよと後輩たちに訴えているのなら分かるけど、後書きで「私自身の責任を回避する気はまったくない」と前置きしながら「しかし、私は怯儒であった。全体の太く大きな流れに抗して発言するほどの理論的基盤も蓄積も当時の私にはなかった」と、何ともはや情けない言い訳をしてくれちゃっている。

 これがたとえば20代で日銀担当なんかやった(僕が日銀にいたのは26歳から28歳までだったね。今後副総裁になる山口さんはまだ企画局長だったっけ)んなら若気の至りとかで不勉強を恥じて後の仕事に役立てるってことも可能だけど、世界に冠たる大新聞で長く経済記者をやり、東京で経済部次長をやって福岡で経済部長までやって論説副主幹って大朝日の言論を左右する、つまりは日本国の言論を代表するよーな立場に立った人間に「理論的基盤も蓄積もなかった」なんて言われちゃー、およそほとんどの新聞記者ってのは不勉強でも不見識でも言ったもん勝ちに許されちゃうってことになる。大朝日ってーのは論理的基盤も蓄積もない人が言論を左右する立場に立てるのかな、それとも論説副主幹をしてもなお抗しきれない強大な言論的な権力が社内にあるのかな。他の事情は分からないけど、贖罪の意識を示しながらも責任を回避する人から情報メディア政策論を教授される学生さんは、将来図太い記者になれると思うよ。1つ書くにも取材相手を慮って胃を痛める、僕もホントあやかりたいねー。

 朝っぱらから会社の偉い人たちの前でゲーム業界について講義。よーしらんけどなんだか拡大基調にあるってことで、10年先20年先を見据えて投資する気で小さくてもいーからゲーム業界は取りあげていった方がいーよと進言する。でもやっぱ今日のパンの方が重要だったりするから、どこまで聞き入れられるかは分からない。あとオタクビジネスがどれだけすっげー規模なのかを、コミケの40万人ゲームショウの14万人ハイパーヨーヨーの1000万個到達間近キティのお陰手サンリオうはうは、なんて話をして説明する。トレーディングカードなんかで拡大基調のブロッコリーなんて3年で年商20億円近くをあげる会社になっちゃったんだから、鉱脈あてればデカイよって言ったけど、コスプレって気持ち悪いとか同人誌買ってるやつってブキミとか、まー40代50代が考えそーな反応しか返ってこず、個人としてはちょっと先が思いやられる。まーいーけど。

 早々に飛び出して三軒茶屋からてくてく歩いてアスキーの若林にあるビルへ。1階ロビーの喫茶店にいきなり「トゥルーラブ・ストーリー」のポスターが張ってあってオタな会社だと確認、でも2階の受付にはMOONのサルとか座ってなかったから外ヅラはとりあえず普通の会社に見せておこうってことなのかな。会見では今のアスキーをその巨大な体躯でがっしと支える浜村弘一・週刊ファミ通編集長と、6月に創刊される新しい月刊ゲーム情報誌「月刊ファミ通Wave」の編集長になる人が登壇して、新雑誌の創刊と4月1日スタート予定のゲーム情報番組「ゲームWave」を紹介する。つまりは「ファミ通」が営々と築き上げて来た情報網に、映像や電波のパワーを加えた新しいゲーム情報媒体を創出するってことらしー。

 時間は水曜深夜の24時45分から、ってことはそーだよ「ミニスカポリス」の時間じゃねーかと思い至って会見で「『デッド・オア・アライブ』とかのゲームでチラっとパンツがのぞいた時に(のぞくのか?)は『45パンチラですね』とかってコメントを入れるんですか」と聞こーと思ったけど、見知った女性の広報さんとかもいたのでグッとこらえて質問を飲み込む。ちなみにミニスカは金曜日に移って存続みたいでとりあえずよかった。もしも潰してたら私は「ファミ通」を永久に許さないぞと心の中で思うところだった(思うだけだけど)。どんな番組になるのかは知らないけれど、翌日の木曜発売のゲーム情報の提供が中心になるんでしょーね。起きてりゃ見ます。だから「14パンチラ」くらいは出してちょ。夜中なんだしさ。

 おおそーなったのか「吸血姫美夕」。友だちの仲でも1番親しくエンディングにまで登場していた千里がやっぱりだったとは、よくよくこの物語は幸せにも上等の気分で布団に潜り込ませてはくれないらしー。神魔トンビが登場した回から今回まで、そして次回の最終回まで畳み掛けていく盛り上がりが最初からあれば、きっともっとファンを獲得できたんじゃないかと、中途でガラリと様相を変えてハードになった「エコエコアザラク」との類似点を思い浮かべる。完全版とゆー夏発売のLDがどこまで直してあるのかがますます楽しみになって来ました。とりあえず来週で終わっちゃうけど夏まではそーだな、ツクダホビーから出るアクションフィギュアの「美夕」(着物版&制服版)を両方買って、眺めて寂しさを慰めることにしよー。冷羽も出さないかな。剥き甲斐はあんましなさそーだけどね、お子さまだし。


【3月23日】 萩尾望都さんの「残酷な神が支配する」は第11巻へと入って更なる錯綜を極めていて、この先いったどんな展開ならば落ちつくのかがまるで分からない。母親の再婚相手から虐待され続けていたジェルミがその義父を殺害した後で犯罪がバレて自殺、になるかと思いきや逃げ出してドラッグに溺れてそれを義理の兄のイアンが救い出してさあもつれ切った心を解きほぐす更正の物語、になるならまだ分かると思っていたのにまるで元の黙阿弥のよーな展開が待っていたとは。吃驚の連続だなー。

 巻末の作品集の一覧を見て、第1期、第2期を通じて1番長い「ポーの一族」をすでに「残酷な神が支配する」は上回っている訳で(作品集の第1期はちょっと分厚いけれどでも11巻分には及ばない)、ってことは今やこれが萩尾望都さんの代表作ってことなるけれど、あれだけの傑作群を送り出した後で、今なお新しいジャンルにチャレンジし、かつ幅広い評価を得ている作品を描き続けられるその才能の何と偉大なことか。この才能を国家が文化の文脈から評価する仕組み(芸術院賞でもなんでも)が無いことの方に、政治の貧困官僚の腐敗経済の疲弊よりも強い危惧を覚えるね、あたしゃ。

 もしも政治や行政や経済を動かす年輩の男性諸氏に最先端あるいは最高峰の漫画文化を理解させよーと思ったのなら、少なくともメディアファクトリーから創刊された「コミックアルファ」だけは読ませちゃだめだよ。水島新司さんにかわぐちかいじさんい永井豪さんとオヤジ好きするコミックの文法をおよそ外さないそのメインライターのセレクトぶりには、安心感は覚えることがあっても編集後記にあるよーな「『熱い思い』を思い起こ」すことは多分ない。もちろん安心がいけないって訳じゃないけれど、よそで読んでも読めるよーな内容の作品ばかりじゃー、習慣で週刊誌を買うよーなオヤジな漫画ファンの財布を掴んで話さないよーにするのは難しい。

 少年漫画でヌードなんてもっての外だった「けっこう仮面」の時代ならいざしらず、このヘアヌード氾濫時代に、永井豪さんの「スペースフェアリー」程度の露出が男の欲望を満足させることなんて絶対にないし、さいとう・たかおプロの「ゼロ・アワー」が描くパニックの近未来なんて、30年前から小説や漫画や映画でさんざん描かれてる。三浦みつるさんなんて「かぼちゃワイン」以来久々に見るって感じだし、バロン吉元さんの「シャイニング」は個人的に絶対に許せない。

 六田登さんの「たかこ」はホラーっぽい展開も考えられるから評価は保留するとして、まるで筒井康隆さんの「薬菜飯店」な「薬膳仙女マダム明」、40代には分からないだろーし30代でももはやカリスマ性など絶対に覚えないサンプラザ中野さん原作の「大きな玉ねぎのむこう」(少年マガジンでも載せないぞ今時爆風スランプの伝記漫画なんて)等など、何故「今、この作品」なのかがまるで分からない漫画が多い。中尊寺ゆつこさん? 「ビルゲイツにメール送んなきゃ」ってギャグにウケるんだろーか今時。話もまるでオチてないし。「週刊アスキー」で連載してたトレンド揶揄漫画を形を変えて引き取ってもらったんだろーか、なんて想像しちゃったけど事実かどーかは知りません。

 「サイボーグ009」が掲載されていれば目玉となってその周囲に類似の作品が集まって、自分好みの雑誌になっていたかもしれないだけに、1月の石ノ森章太郎さんの逝去は返す返す残念でならない。ただそのお陰で、島本和彦さんの描く「スカルマン」とゆー、石ノ森章太郎的なコマ割りを島本和彦の絵でやっている異色な漫画を読めたのは、怪我の功名ではないけれど、大変な収穫だったかもしれない。あとは御大水島新司さんの草野球列伝「花一輪」は、設定に従来の水島作品とは違う異色な所があって、先行きにちょっとだけ期待が持てる。まあどちらも個人的な嗜好と合致するところがあったから、気になったんだと思うけど、比較的間口の広い我が嗜好にこーも合わない漫画雑誌だったとは、それはそれで貴重な存在なのかもしれない。さあ次号はちゃんと出るのか、せめて「スカルマン」完結までは、続けてね。

 うーん話には聞いていたけれど山形浩生さん、「WIRED」5月号の「山形道場」でかの福田和也さんがその専門領域を越えて経済に政治にもの申した「内でも外でもバカばかり」(もーすぐ返すからねーと私信)を、一刀両断にけなしてる。そもそもが専門外の人に何かを聞くときには、その慧眼によって得られる画期的な解答よりも、無茶を承知の1分の理を含んだ暴論だったりする訳で、いわばトリックスターとして(自覚してるかは別、意外とマジなのかもしれん)発した芸に、何もバリバリな専門領域からかみつかなくたっていーじゃん、なんて思ってみたりもするけれど、それだけ福田さんの世間への影響力が強くなっていて、利用される所だけ利用されかねない(ナショナリズムとか)危惧もあるから仕方がないんだろー。「福田和也およびそれを××とする・・・・」とゆーお題はとっても粋。でその出典の元となったあっちの方はどーなってんの?


【3月22日】 とはいえ健全過ぎる男子にとってハイレグやらミニスカやらのコスプレ姉ちゃんも捨てがたいのはやまやまで、立ちっ放しの朝まだ早い時間からむくくむと起き出して支度をし、電車をバスを乗り継いで幕張メッセの「東京ゲームショウ’98」へと向かうのであった。まずもってプレスセンターによると、スクウェアの広報の偉い人がちゃんといて、自分たちのショウとはいえ朝早くからご苦労さまですとエールを贈り、概況を聞くとまずまずの入りで目標はなんとかいくでしょうとのこと。ちなみに初日のバイヤーズデイには1万8000人だった入場者は、春分の日だった昨日は実に7万6000人に達したそーで、さぞや大変な人混みだったろーと初日の模様を4倍掛けして想像する。

 颯爽と繰り出す会場は、開店してまだ間もないとゆーのにすでに人気のブースには行列が出来始めていて根性無しには近寄れない。プレスルームのはるホールから比較的近いコンパイルのブースで噂の「ぷよまん」でも買おうかと立ち寄ったらやはりすごい行列。これほどまでの支持を受けている会社がどーして和議なんぞ申請しなくちゃいかんのか、貸し渋った銀行の人がこの賑わいを見たら卒倒して慌てて財布の紐を緩めるに違いない、なんて考えが浮かんで来たけれど、人気があるからと言ってそれが定着しているものなのか、それともショウならではの雰囲気によるものなのか、今ひとつ判然としない(せっかくだから買おうかな、って人も結構いたでしょう)所もあるので、とりあえずショウを終えたこれからが、まさに正念場ってことになるんだろー。帰りがけに寄ったら売り切れてしまっていたから、少なくともショウは大成功だったと言えるでしょー。

 とにかくコンパニオンのお姉さんを撮りまくりだった1日。タイトーのブースでランボルギーニ・ディアブロに腰をかけていたお姉さんが見えそーで見えなく歯がゆい思いに胃を痛め、広井王子さんが博報堂と組んで作る「火魅子伝」のブースで今回のイベントナンバー1コスプレのお墨付きを貰った金かかってそーなコスプレ姿のお姉さん軍団に圧倒され、エム・ティー・オーのミニスカ&ハイレグ軍団に血走った視線を送り、やっぱり今回のショウでナンバー1衣裳の栄冠をゲットしたデーターイーストイのコンパニオンを何枚も何枚も撮りまくり、ほかには小学館プロダクションのミニスカ制服とかインクリメントPの前にいた大運動会ペアとか元気のレースクイーンとかいろいろな人の写真をゲット。これでしばらくは上等な気分で布団に潜り込める、などとよからぬ妄想に頭を破裂させそーになる。やっぱ望遠、買わなくっちゃ。

 夕刻まであれやこれやイベントやデモを見て時間を潰す。バンダイで見た「ギレンの野望」のアニメーションシーンに懐かしさのあまり卒倒。これは買わねばと心の予約表にチェックを入れる。バンダイだから「PS」向けかと思ってここにそう書いていたら、読者の方より「セガサターン向け」との連絡があって確認して修正しましたああまた早とちってしまった。でもハード買わなくってラッキー。なるほど宮路洋一さんが社長をやってる「ESP」に話を聞きに言った時に期待のタイトルとして出たのだこの「ギレンの野望」。ここん家が出資したソフトはサターン向けが多かったんだ。

 本当に終了間際の午後4時頃から、セガ・エンタープライゼスのブースに飯野賢治閣下登場、ついでに赤いセーター姿の入交昭一郎社長も登場して「セガを応援して下さい」をアピールするあたりに、2人の仲の良さを見る。セガのブースとかファーストスマイル・エンタテインメントのブースで配っていたチラシによると、いよいよ5月28日に「Dの食卓2」を発表するそーな。それも東京駅横の東京国際フォーラムで1番大きなホールAを使って、一般を含めて実に5000人をそれも無料で集めてワールドプレミアを開くことになっていて、ゲストには「傷だらけのローラ」な西城秀樹まで呼ぶとかで、来場者にはもれなくパンフレットにグッズにプロモーションビデオまで配る、その派手さ豪毅さ豪快さに、新作タイトルにかける飯野閣下の並々ならぬ熱意を見る。

 対応しているプラットフォームが書いてないのが難とゆーか謎だけど、セガのブースで見せた社長との仲の良さと「2年は頑張る」とゆーセガへの賛歌、5月末とゆー発表時期に1998年末とある発売時期、そして「この作品でゲームは、次のステージへと進化します」「高性能なフル3DCで表現するリアルワールド。それが実現することによって、初めて描けるテーマ」とゆー言葉から、想像できるのはやっぱりセガの次世代機ってことになる。仮にそーだとしたら、飯野賢治とゆータレント(才能)への支持、それから次世代機へのユーザーの関心を見る意味でも、イベントの成否はちょっと気になるところ、でも西城秀樹じゃー男の子は行かないな。せめて「せがた三四郎」を呼んどくれ。

 朝日新聞の読書面に間もなく発売な「定本 佐藤春夫全集」の話題が。編集を担当している人の写真が出ていて見るとこれがなかなかの美人でおまけに歳も27歳。記事によれば編集スタッフは3人が3人とも20代の女性とかで、これはいったいどーしたことかと全集を出版する臨川書店にムクムクと興味が湧いて来る。全集の場合は立てられた編集委員が原稿の順番とか内容への示唆とかをするんだろーけど、それにしても「佐藤春夫」なんて決してメジャーでもない作家の全集を、どーゆー経緯で若いお姉さんたちが編集することになったのか。最初は全集が刊行されることに興味を持ったけど、今はそっちの方を是非とも聞いてみたいもんだ。どっかの文化面でやっとくれ。さもなきゃ自分家の「ヒットをねらえ」でやっちゃうぞ。


【3月21日】 方やハイレグに胸おっぴろげなコスチュームに身を包んだナイスバディなお姉さんたちが、辻々に立って人が通ればすすっとすりより媚びるよーな視線でパンフレットを渡してくれる「東京ゲームショウ’98」、こなた親に連れられた下は1歳2歳から上でもせいぜい12歳くらいまでのガキんちょ共が、男も女も校庭よろしくかけずり回り、公園の砂場よろしく座り込んでは玩具に興じる「東京おもちゃショー」。健全かつ明朗な男子(推定30数歳)が、休日の一時にその嗜好を満足させるために行く場所に、もはや選択の余地などない。

 とゆー訳で、会社に寄ったその足で東京駅からバスに乗って「東京ビッグサイト」へと向かい「東京おもちゃショー」の会場で、地べたにペタンとしゃがみこんで白いゆるゆるなパンツ見せながら玩具に興じる女の子を眺める健全かつ明朗な男子(推定30歳)であった。まあそれは本気として、バイヤーズデイに大人たちが眺める目線とは違って、真のユーザーである子供たちが何をどう遊んでいるのかを見るのは良いわけじゃなく役に立つ。

 イベントステージで始まった「ハイパーヨーヨー」のデモに集まって来た人数たるやハンパじゃないし、玩具としては単純なビニール風船の巨大玩具とかドイツ製の木のおもちゃでも喜ぶ子供を見るのは、庶民感覚なんて言葉では生やさしい、現実感覚同時代感覚から思いっきり乖離している、霞ヶ関と永田町で箱庭いじりしか出来ない若造の新聞野郎には、それなりに大事なこと、なんだろー。小学生が並んでマジック・ザ・ギャザリングやってるんだもん、子供って貪欲だよなー。

 などと一応の使命感を理由付けとして持ちつつも、見ているのはバンダイのブースで「クレヨン王国」のシルバー王女の格好をした完全にh20歳は過ぎてる女性だったりするのだが、さすがに疲れたのかそれとも視線に負けたのか、やっぱり推定20歳以上な「カードキャプターさくら」のコスプレをしたお姉さんは立っておらず、円形でバミってある立ちスペースだけがぽっかりと空いていた。スカートお化けな扮装はなかなかだったのにい。

 でも釣り具の「ジーマスター」のコーナーに行くと、いつもは黒いスラックスだったりジーンだったりするデモンストレーターの美人なお姉さんが、今日はジーンズのショートパンツでその細い細いおみ脚を高いステージの上で披露してくれていたのが超ラッキー。プレスの特権で写真を取ってブロマイドにして売ろうと思っても、持っているカメラは56ミリまでしかレンズがなく、おまけに故障で30ミリくらいまでしか使えないとあって、悔しい思いに地団駄を踏む。来月4月4日の「ヨーヨーの日」には、いっしょに釣りのデモもあるみたいなんで、それまでに頑張って超望遠なカメラを買うぞ。

 一昨日の夕刊で報じられた、イタリア文学者の須賀敦子さんの訃報は、朝日毎日読売が写真を入れて大きく扱っていて(読売だかは丸谷才一さんのコメント入り)、やっぱりそれなりに敬愛された人だったんだなあとゆー思いを強くした。開けて今朝の朝刊では、日経がちゃんとフォローしていたけれど、産経だけは昨日の夕刊でも今朝の朝刊でもフォロー無し。紙面の都合で落としたてんなわ分かるけど、それほど大事が合った訳でもなく、ましてやあの丸谷氏もコメントを寄せるくらいの文学的には重要人物、それを落としてしまうとは、バリューを判断する側が他紙とは違った基準を持ち合わせていたとしか考えられない。

 時事なり共同なりが配信して来るこーゆー有名人の訃報の、どのあたりまでを掲載するのかはまさに紙面作りを行う側の判断で、例えば某工業新聞の場合は当たり前だけど上場企業の役員元役員およびそれらの妻あたりまでは絶対に載せる。上場でなくても店頭公開企業やサントリーのような未上場の大企業、あと会社が特に政策的に重視している会社の関係者も載せるけど、こと文化人ともなるとよほどの事がなければ載せない。まあ星新一さんとか超が付くくらいに有名な作家の場合は業別面でデスクの趣味(とゆーより記者の趣味)で載せる場合もあるけれど、少なくとも一般紙の場合だったら、共同時事の判断をたいていはなぞってそのまま流れ作業で掲載していく。

 で須賀敦子さんの訃報はお眼鏡にかなわなかったってことになるんだろーけど、好きな作家だから言う訳ではないにしても、やっぱり落ちてしまったのが気にかかる。一事が万事ではないし、もしかすると1面で大きく扱っていたのをこっとが見落としてしまったかもしれないので、その時は御免と誤るが、載ってなかったことを前提にその背景を憶測すれば、たぶんそのバリューを判断できる人がいなかった、んじゃなかろーか、訃報を扱う紙面の人も、直接的に文化人の訃報を扱ってコメント取りとかを担当する文化面の人たちも。

 最新文化のマルチメディアとかゲーム、それと漫画のよーなサブカルチャーはもとより、本流の文学とか芸術とか芸能といった部分を含めて(広告になる映画は別)、文化関係の記事が少なくなっているよーに思うだけに、かつて「斜断機」で全文壇を震撼させ、その日本を思う論調だけを抜き出して星とあがめる司馬遼太郎さんが部長を務めたこともある産経文化の、これは1つの岐路を示唆する出来事、なのかもしれないなんて勝手に思うけど、この景気厳しい昨今、政治とか経済とかで人とかお金を使わなくっちゃいけない時に、文化なんて食べられないもをかまってる余裕がない、だけなのかもしんない。ほんとゲーム業界って新聞にとってはあんましお金になんないんだよね。


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