縮刷版98年12月中旬号


【12月20日】 先月出た分の「カードキャプターさくら」のLDを見終わってこの話って地上波でやるには百合ってたり薔薇ってたりする度合いが高過ぎるんじゃねーかとの感想を持ちつつ「カウボーイビバップ」のDVDを見終わって第1話をちゃんと第1回目に放映しとけば冗長さルパンさに懐疑心を覚えなくって済んだんじゃねーかとの感想を持ちつつ寝て起きて朝になったので「ガサラキ」を見て話の進まなさに若干の苛立ちを覚えつつ回し(名古屋語?)して電車に載って横浜に行って黄昏(たそがれ)る。口づけも残り香もないけどね。

 電車の中で昨日買った「竜(ナーガ)の眠る都」(伊藤武、大栄出版、1600円)を読む。タイとそれからカンボジアを舞台に自称・文化人類学者を名乗るいわゆる風来坊が人々と出会って伝説に動かされてポル・ポト派に浚われた学者先生を探しに行くって物語で、途中に挟まるポル・ポトがカンボジアで行った大量殺戮に思想教育の弊害を、東南アジアに根強く残る信仰とゆーか神話と対比させて描くとゆー、幻想とリアルとの対立の中で人が得て、そして失うものを思い出させてくれる、テーマ的な奥深さのある変わったファンタジーに仕上がっている。

 幻想と怪奇の世界に耽溺するではなしに、重要な役割と担って登場する、神とも奉られる異能を持った美貌の両性具有者もまた、リアルな世界で人間によって産み出された災厄の結果と醒めた記述をし、現在のキレたりトンだりしっ放しな世界への、そうした人口の災厄の影響すらも語ってしまう点が、説教臭さと社会的なテーマへの迎合を感じさせるかもしれないけれど、全体に流れるアッケラカンとしたテイスト押しつけがましさを与えずに、なんとなくリアルで起こっている幻想が失われた事による危険に気付かせてくれる。

 本当かどーかはともかくもタイとかカンボジアの祭祀とか、信仰のあり方が解って面白い。両性具有者をその生い立ち傷ついた心から深く描いてキャラ立ちさせれば、極上のエンターテインメントに仕上がったかもしれないのが個人的には残念。2人の少年の前向きで好奇心に溢れたキャラクターと、主人公が娼館から救い出す女性の一途さ(結婚もしてないのに浮気したって主人公にムエタイばりのケリいれるんだぜ恐ろしい)が読んでいて爽快なんでまーいーか。作者は「身体にやさしいインド」で知られる紀行家。初の小説にしては、いーですよ。

 到着した横浜パシフィコは開幕1時間前にしてすでにロビーは満員。「シェンムー 莎木」の名前でJRの駅張りポスターが先に出て、後にあちらこちらの雑誌で紹介され始めているとはいっても、たかだか1本の新作タイトルに1日3回でおおよそ1万人から最大で1万5000人もの人間を、遥か彼方の横浜パシフィコに集めてしまうとは、ゲームやんない人にとっては誰それ? ってレベルなのにも関わらず、ことゲームの世界における鈴木裕って人の知名度の高さが半端じゃないことを、改めて強く認識する。タダでオマケくれたって東京国際フォーラムじゃない横浜パシフィコまでは冷やかしな人じゃー行かんわな。

 それでももらったオマケは「シェンムー」のヒロイン「玲莎花(レイ・シェンファ)」の目がちょっと優しすぎるフィギュアに黒いTシャツとCDとメモ帳って具合に超豪華で、たとえ「バーチャ」な人間じゃない人でも行って損はなかったんじゃなかろーか。フィギュアは来年3月に2000円で市販されるってあるけれど、もらった商品のまんまだと似てない度キャッチー度がクレーンゲームのプライズ以下なんで、もっと可愛くした方が良いと思うぞ。パンフレットは入ってないから1000円出して購入。ほかに5万円とかするサイン入り特製オリジナルプリントってのもあったけど、駅張りポスターと同じ絵(質は違うけど)に、5万円はキツいよなー。

 場内では関係者席に「湯川元専務」の名札を見つけてパチリ。常務と書けば良いのに元専務と書き紹介する、その曖昧さはやっぱりなんだかなー、って印象。もっと僕みたく人生にマジメになりなさい。さて始まったイベントでは、まずオーケストラの中央で胡弓を退くお姉さんの座ったチャイナ服のスリットからのぞく足に目が釘付け。素晴らしい音楽も耳に入らず演奏中はひたすら横から絶対に見えないけれども見えないだろーかと期待に胸躍らせて、スリットを観察しておりました。どこがマジメやねん。

 それから司会が登場し、本編へと雪崩込んでいったんだけど、やっぱり注目はゲームの中身でも美麗なグラフィックでも鈴木裕さんの言動でもなく、こーゆー時には途端に女社長の姿を脱いでタレントの顔に帰る千葉麗子さん。着ていたハミ乳に横乳も期待な壮絶ドレスの正面からのぞく、蒼穹の昴ならぬ双球の谷間が正面と両脇のモニターに映し出される瞬間を、カメラを構えてひたすら待っていたけど暗いから撮れなかった。ピタピタなドレスに張り付くモモの曲線腹部の丸みもなかなかで、透けるラインはもしかして下着? 直に望遠でチバレイ狙った写真、アップでカラーで掲載期待してます取材に行ってた雑誌やの人たちやーぃ。

 ところで肝心のゲームはといえば、ムービーみたいな3次元CGをインタラクティブに操作出来るって点で、ゲームを作る人プレイする人の理想をそこに形にして見せた歴史的な作品だと言えるけど、表情の固さがやっぱり気になるCGキャラなんかを見ると、到達点として讃えるよりも、出発点として歴史的に残る作品だと考えた方が正しいような気がする。デモでも最初に作ったキャラと、後から作った鳥隼(チョウジュン)って女性キャラの表情の豊かさに差があったからなー。その当たり統一して来るみたいなんで、デモはデモとして製品版には相当な期待をしていーのかも。

 仕組みとしては、進捗度の違いで同じ場所でも到着する時間が違えば全く異なる風景を見えるよーにしたり、1000以上ある部屋の全てを覗ける現実世界のよーな自由さを与えたり、格闘ゲームの複雑なコマンド入力を知らなくっても格闘シーンを楽しめるようにしたりと、これでもかってな工夫があって遊び込むだけの意味はありそー。ただしゲームである以上、いくら途中が複雑で、見て回ったり聞いて回ったりする作業が楽しかったり辛かったりしても、結局は1つしかない理想的なエンディングを見た人に、再プレイの気力をどれだけ起こさせ得るのかが気にかかる。全部部屋を見たからって、本筋と関係なければそれは開発者の自己満足に、プレイヤーがつき合っただけってことになるからね。それでも良いって人もファンには少なくないんだろーけど。

 自由度を重んじすぎて物語りが消滅するのは本末転倒だけど、物語にせっかく与えられた自由度が意味をもたない(あるいは物語と自由度がリンクしてない)のもつまらない。このタイトルを嚆矢として、今後どんどんと完全な意味でのフルインタラクティブなムービーが登場して来ることになるんだろーけど、「ウルティマオンライン」みたくプレヤーに行動の全てが委ねられた完全に自由の世界ではなく、作者による物語を見せてプレイヤーを引き込む種類の作品である以上、物語を見せかつ自由度も楽しめる、そのバランスのせめぎ会いが繰り返されるんだろー。動き回るとハミ乳なんて目じゃないバーチャル・チバレイが出てくるとかって、都市伝説でも噂でも裏技でもあればしゃかりきになって何度もプレイしちゃうんだけど。


【12月19日】 録画しておいた「ジェネレイターガウル」を2話分まとめ見て哭く。とくにナツメの独白で進むエピソードの結末が余りにも哀しく、暴走したガウルの姿に正気を取り戻したネカサタクマの正体が判明するエピソードの結末が余りにも衝撃的で前半のゆっくりとした学園ラブコメ風物語が終結に向けて動き始めたここ何話かの、クライマックスに相応しい展開に迫った最終回への期待が上昇する。

 タツノコ企画室の底力を見たこれほどまでの作品が、何故に真夜中にしか放映されていないのかが謎と言うより他はないが、新年相当ってゆーか現実には月末あたりからビデオにLDが出回るみたいなので、ビデオで見ながら画面のザラ付きに泣いている人も見られなくって情報ばかりが入って頭をパンクさせそーになっている人も、今年の”裏”ベスト1との評価も高い「ジェネレイターガウル」の驚愕を、さあ存分に楽しむがよい。ちょっとラフィール入ったかな。

 ラフィールと言えば早川書房から文庫サイズの「星海の紋章ハンドブック」(520円)が発売中。1月からのWOWOWで放映開始も迫って早川にとっても他に「ダーティーペア」とか幻っぽい「敵は海賊」くらいしか思い浮かばない原作本のアニメ化に、一応は熱心なバックアップを贈っていることが見てとれる。何故に文庫なんて小さいサイズの本で出し、カラーの口絵とか設定資料とかをもっとたくさん載せないのかと他者の無駄に大きいばかりで読むところの少ないムックに馴れ切っている身として思ったりもするけれど。

 それでも文庫ならではの体裁で、代わりに森岡浩之さんの増長日記とか、夏の日本SF大会で行われた森岡さんにアニメのプロデューサーの人に絵を描いた赤井孝美さんに大森望さんを交えた対談は、聞けなかった人にはそれなりに面白い話なのでファンなら読んで損はない。巻末のシナリオは袋綴じになっていて開けるとエッチな絵とか文章でもあるのかと不埒な期待を抱いたりしたけど、幸いにして残念なことに純粋にシナリオだけでした。まーじき始まるんで読むのはそれから、にしたいけど言えじゃーWOWOW見られないんでビデオ化待って開きます。少ないけれど設定資料も参考になる、けど意外とラフィール胸おっきーなー。

 珍しく本屋で大量殺戮。つまりは財布の中身を殺して歩く哀しい修行に臨んだのです。まずは岡田斗司夫さんが1年もの時間をかけて取り組んだとゆー一種の童話「二十世紀の最後の夜に」(講談社、1800円)。ご本人もどっかで何度か書いているけどかつて銀色だったロケットが現実世界では白くなり、かつどこにでも自由に飛んでいけるとゆーイメージのロケットが、現実ではガッチリとした管制の元で決められたコースしか飛べないツマラないものだった事に長じるに従って気付くという、ある面大人になることの残酷さすら漂わせる、大人には置き忘れて来た思い出を抉られ、子供には未来への希望をちょっぴり殺いでしまう、ちょっぴりツラい物語になっている。

 それでも余韻として残された20世紀最後の夜に見る夢が、21世紀に向かって誰かが夢を繋ぐことの必要性を訴えかけ、かつての夢を現実のものとできる歳と権力と地位を得た大人たちが、自分たちのためではなしに子供たちのために夢を、かつて自分たちが見た夢を与えようと前に進む意義を何となく感じさせてくれるという意味で、20世紀の終わりに閉じられる本ではなく、21世紀の未来に向かって開かれた本であるとゆーことを、物語の中から老若男女あらゆる人に感じてもらえればきっと素晴らしい未来が、銀色に輝く未来がこの目に現実のものとして映る時代が来るんだろーと信じたい。しかし1800円はちと高いな。

 後ろで新刊を積むママさんを背中で見つつ、4冊まとめて出た久美沙織さん大原まり子さんらが書いたファンタジーの叢書を4冊とも手にとり日本ファンタジーノベル大賞は後回しにして漫画のコーナーで、「トライガン」の3巻と「トライガンマキシマム」の2巻を会わせてゲット。さらに良く知らない伊藤武さんって人の「竜の眠る都」(大栄出版、1600円)ってエスニックなファンタジーっぽいテイストの本を買って帰る。読まずに評価するならおそらくは「竜の眠る都」には相当な面白さが詰まってそーだけど、よろしいんでしょうか書店員さん。週末に読み切り感想は遠からずお伝え出来ると思いますです。さあ明日はパシフィコ横浜だ見かけてもドリキャスで殴らないでねもったいないから。


【12月18日】 買ったけど見ている時間がねー「機動戦士ガンダム メモリアルボックスPart−2」を机の横に平積みにしたままで仕事へ。まずは銀座のガスホールで開かれた来年の3月20日頃に開催予定の「東京ゲームショウ’99春」の発表会見。前2回はコーエー(旧光栄)の襟川副社長が実行委員長を務めて、それはもー喧しくも賑やかにショウへの意気込みを話していたけど、今回からはコナミがイベント委員を担当することになったみたいで、居並ぶ雛壇には襟川副社長の姿は見えず、いなくなって改めてその存在感に気付き一抹の寂しさを感じる、なんてことは全くない。まーどーせいずれそのうちもっとド派手な事をするに違いないんだそーゆー人だ。ゲームショウのパーティーで1番くらいにエラいホスト(女性だからホステス?)として、コーエーバンドを率いて自ら歌を唄うとか、自らバレエを踊るとか。うーみゅ。

 会場を出てテクテクと帝国ホテルへ。地震があっても雷が鳴っても犬が尾を振ってもワンダフルでも(どえりゃーローカル)、今日とゆー日だけは休む訳にもサボる訳にもいかない理由が午後1時から開かれた記者発表にあった。その名も映画「鉄道員(ぽっぽや)」製作発表記者会見は、りょんりょん広末涼子様さま様の早稲田大学合格後、初の公の場への出席とあってスタートの30分前には早場内は満席に近く、とりわけカメラマンが陣取るステージ前は脚立にバッグが山と積まれて足の踏み場も無いほどで、後列のカメラの放列とともにおそらくは広末人気と、そして4年ぶりだかになる高倉健さんの映画出演への関心の高さを如実に示していた。まさか小林稔待人気ってこたぁーないよな。浅田次郎人気なら出勤前のママさんが山と詰めかけた事だろーし。

 さても会見は東映・高岩淡社長の「健さんに20年ぶり(だったかな)に東映東京撮影所にかえって来て戴いた。これのみ! 東映全体が燃えている!!」との叫びに始まって、企画の人とか監督の人とかの挨拶に続き、原作者である浅田次郎さんが「私は合理的な人間だが、この小説(「鉄道員」)については奇跡としか思えないことがつきまとっている」と言ってアイディアが降りて来たときの話から、全霊を込めた大作で取れなかった直木賞をこの短編集で取ったこと、あまつさえそれが大作として映画化されること等々、今に至るまで起こった数々の奇跡を披露して、小説さながらに場内を泣かせてくれちゃっていた。

 そして我らが健さんは、挨拶に立ってしばしば言葉を詰まらせて「20年ぶりに東映撮影所に行って感慨無量になった」(沈黙)「一生懸命」(再び沈黙)「えー、燃焼したいと思っています」と言って寡黙とゆーよりはシャイな面をのぞかせ、やっぱり場内の感嘆を誘ってた。そして真打ち(健さんファンの人にはご容赦)生ナマりょんりょんは、緊張していると言いながらも「台本を読んで大泣きした」と原作者には耳に嬉しい言葉を発し、映画化に向けて起こった数々の奇跡(健さんが出てヒロスエが出ることも含めて)を引き合いに「私も奇跡の1部になれたらいいです」とこれまた絵になり字になる言葉を発して、自らをアピールすることの大切さが何よりな女優の世界で残り得るための、才覚の片鱗を見せてくれた。小さなバストといっしょにね。

 爆笑なのは稔待さんで、健さんを旦那と呼ぶほどに昔からの付き合いの長さをバックにし、言葉に詰まった事を聞かれた健さんの代わりに「詰まっただけっ!」と言って場内の笑いを取り、「僕だけじゃなく撮影所にいる全員が健さんと仕事が出来ることを願っていた。映画にこめられるそんな熱意や思いを全国の人が感じて戴ければ嬉しい」と、もう心底からの健さんへの惚れっぷりを訴えて場内の感慨を誘っていた。なるほどそーゆー話を聞けば聞くほどに映画への期待も膨らむし、邦画にしては、という注釈付きで8億円とかの大金(?)を製作費として投入するからには、それなりの作品になることは間違いないと言えるだろー。

 問題は高倉健との蜜月を長く夢み、その実現を心底から喜んでいるのが撮影所に残る職人世代いわゆる爺さん世代であり、一方で映画への関心の最大時をヒロスエに置いている若者世代がいて、ばっくりと開いたそれらの世代の共に満足し得る映画が作れるのか、それともどちらかに(多分上の世代)ウエートを置いた感動的な作品にするのかが見えない点。ヒロスエ見たさに行った若い世代が健さん稔待さん大竹しのぶさんらベテランを軸にした人間ドラマに感動して、「いやー邦画って本当に良いものですねー」と思うかどーかが世代を越えた大ヒットにつながる要素として不可欠と言え、どーやらヒットしているらしー「時雨の記」みたく大人にしか受けない映画に止まるか、若者たちからも「爆発するよー」と言われるか、1月のクラインクイン後も各種の情報からちょっと目が離せません。

 場内でキャリアーな薄茶のスーツにスエードっぽい素材の黒いヒールを履いてストッキングは黒ストールも黒ってな女性を発見。手にはキャリアを象徴するヒョウ柄のバックを持ってジッと壇上のおっさんAこと浅田次郎さんを見つめている、その横顔に見覚えがあったので、ってゆーか見たらすぐに解った遅塚@集英社さんがいたので会見が終わってから一応の挨拶。届いたばかりの「SPA!」に、何かと話題の室井佑月さんの最新刊で遅塚さんが書籍編集に移って最初に手がけたとかゆー「血い花」の短評が出ていることを教え(って書いたのは僕だ)、見て下さいねーと呼びかける。返って来た「本屋で見てみまーす」との答えはつまり立ち読みするってことかと、ライバルを利する行動を潔しとしない出版社の社員魂をそんな所に見ちゃったりしちゃって、良いのかな?

 しかしつくづつ間が悪いんで正直爺さん掘ったなら、なんて事を「裏ベスト10」を見て思ったりもするけれど、間が悪いと言うその背景にある出版不況の波がついにアイビーの総本山にまでやって来たのだとゆーことを、同じ帝国ホテルを会場に1時間後に開かれた会見に出席して強くつよく実感する。何でもその発表によると、かの「婦人画報」に「ヴァンサンカン」に「メンズクラブ」で有名な婦人画報社が、世界的なファッション誌出版社のアシェット フィリパッキ メディア社に過半数の株式を買ってもらっていっしょに何やらかにやらの仕事をしていく事になったそーな。帝国ホテルの近くを走る「みゆき通り」のかつての主たちにとって、思うところの多々あるニュースなんだろーなー。

 だけど、会見で婦人画報社の社長の人が「編集の力を評価されて一緒に仕事をしようという事になった」と言ったのを信じれば、不況が長引き消費が落ち込むなかで、むしろ日本とゆーマーケットにこだわらず、アジアにも自社ブランドの雑誌を展開していくために必要不可欠な前向きニュアンスの強い業務提携だった事になる。まあこれとても将来を先取りした自己防衛って言えるだろーけど、ジリ貧で座して死を待つよりもプライドを捨てて大資本に頭を下げるだけの度量が、備わっている経営者の下で働ける人たちってやっぱり幸せだと思う。チャイナさんがいっぱいな中国版の「mcシスター」とか、人民服特集とか載った中国版の「メンクラ」とか、読んでみたいなー怖いけど。

 夜は「ファミ通」のパーティー。『独断と偏見のSF&科学書評』でお馴染みな森山和道さんと場内を散策するも見知った顔にほとんど出会わず、友だちの少なさ知人のいなさを改めて強く実感する。歩いている水玉螢之丞さんを夏の日本SF大会以来4カ月ぶりくらいに見かけたし、名札に入った似顔絵から恐らくは柴田亜美さんと思える人を見かけた割には、ゲーム業界の知っている人はダビスタマガジンな人くらいしか発見できず、ってダビスタな人は暗い場所でも大きく目立つので見つけ易かったからなんだけど、アスキーの広報の人もエラい人も発見できず挨拶しそびれてしまいました。改めてお伝えしておきます。開けましておめでとう、ってまだ早いか。

 疲れ果てて壁の花をしばし。眼前ではボディには青いチャイナ服で手首にはトゲトゲ腕輪な衣装に身を包んだ春麗が、あんなポーズにこんなポーズをとって撮影のお願いに応えていて、ゲームショウで見かけて写真を撮らせてもらった人と同じかなー、んでもってこないだ新宿のオフィスで申し訳なくも楽しい御姿を見せてくれた人と同じかなー、などと考えつつも目は一直線に足腰胸顔目鼻口etc……ってつまりは全部に行き渡り、目に優しく心に嬉しい時間をわずかだけど過ごさせて戴く。そこで「ドーモー」と知人であろーとなかろーと、強引に挨拶できればパーティーでも壁の花にならずに済むんだろーけど、面割れしてないまったく無名の状態でうろつきつつ、有名な人たちの話に耳をそばだてるってのもそれなりに面白くって良い経験になるからね。結局当方を判別出来たのは「サバイバーショット」でも見かけた髭&坊主なお兄さんだけ。そんな空気のよーな存在だけど、さて明後日「シェンムー」の発表会場で何人が僕を認識できるでしょーか。


【12月17日】 わずか10日ほど前に入れた謎な原稿が載っているかどーかは未確認だけど「日経ゲームライフ」は滅びず腐らず第3号が無事出てなにより。本屋に並んでいるのをペラ読みしたけど紙がザラついているあれは再生紙ですか? 全体に表紙が地味めでラックに並ぶと解らないんで次は金ピカな表紙にして目立たせましょーよー。ちなみに銀ピカはアクセラが出す「ENTa(エンタ)」ですね。

 もちろん「エンタ」とは大阪方面だかで言う煙草のことでは全然なくってエンターテインメントの「エンタ」だそーで(当たり前だ)、こんなありがちな名前が登録してなかったってことにまずはちょっと驚いた。ちなみにこの「エンタ」に掲載されている漫画に潰れたゲーム雑誌の共通項ってのがあって、それは当のアクセラが出していた「週刊テレビゲーマー」も含めて「ゲーム」が題字に入ること、なんだそーな。ってことはもしかして、もしかすると、もしかするかも。正月を前に縁起でもない話でした。

 さてアクセラと言えば雑誌とは別に最近出したのが巨大なムック「美少女ゲームトレーディングカード コンプリートガイド」(2400円)。表紙こそ白地に銀のモノトーンで美少女が描かれているだけの地味なものだけど、開けると並ぶは国内で今販売されている美少女ゲームあるいはゲームの美少女が描かれたトレーディングカードの総浚え。ブロッコリー(及びゲーマーズ)に未来蜂歌留多商会への探訪記もあってこーゆージャンルがあるって事をお勉強するには格好の教材と言えるかも。ただしやっぱり値段が、なあ。

 「コンプリート」とタイトルに銘打っているだけあって、主要なカードについては少なくとも表面くらいは絵柄がだいたい紹介されていて、9枚組んで1枚の絵になる場合はちゃんと9毎並べて紹介してあって、集めて手に取る楽しみこそないけれど、どんな絵があるのか調べたり、とりあえず絵だけ見て我慢するってな用途には結構役立つムックになっている。ただしトレカの場合は裏も(っていうかクリアファイルだから裏も表も関係ないんだよね)重要な商品上の要素になっているから、紹介されていないってのはちょっぴり残念。

 ブロッコリーと言えば漫画家でパイオニアLDCとかのタイトルのライナーの4コマなんかで超有名なあずまきよひこさんが、ブロッコリーから届いたお歳暮って奴をここんところで紹介していて(画像だけどデカいよ)、最初はいったい何を配っているんだ、もしかしてトレーディングカード10万円分詰め合わせでも配ってるのか、なんて好奇心から現れて来る画像を見ていけど、出て来た絵を見てなーんだ秋葉の店とかで売ってるクッキーじゃん、自分家の商品を配ってるだけじゃんと微笑ましく思う。しかし不思議なのは「こけもも」のクッキー。実は僕も「こけもも」が何なのかを未だ知らず、昔読んだ「ちいさなスプーンおばさん」の童話(アニメじゃないよ)に出てきた「こけもものジャム」を、いつか食べたいと思っているのですよ今敏さんと同じく。上手いのかなーこのクッキー。

 昼過ぎの会見は風邪薬を飲んだってこともあって眠気が最高潮で、東芝EMIで開かれたトミーといっしょいプレステーション対応ゲームを作るって発表会見は、最前列に陣取りながら目をつぶりボールペンだけは握ったままコクリコクリとやっていたけど皆さん気が付きましたかー。って座っていたのは社長さん取締役さん他偉い人たちだから読んでも返事なんか来ないわな。さても会見の内容はNゲージって鉄な人にはピンと来る鉄道模型を使ったトレインシミュレーター的なソフトを作るってことでして、会場にはNゲージがオーバルな短いコースだけどデインと置かれて、電車がジージーと走ってた。

 3月だかに発売になる「ガタンゴトン」って名前のソフトは、Nゲージの電車に小型のカメラを積み、これによって映し出された運転台から見たものに近い雰囲気の実写による映像を確認しながら。「電車でGO!」的な操作をして駅で電車を留めてそれから走らせるって内容の一種のトレインシミュレーション。そのデモに登場した映像が、実に良く出来てるなーと思って発いたら何と目の前にある小さなオーバルコースで撮影された画面と解り、見かけは小さくても相当な迫力とリアリティを再現できることを知る。

 ってことは大宮にできる小学校のプールくらいの大きさを持つ巨大Nゲージってのは、それ自体の迫力はもとよりゲームになった時の映像のリアルさ景色の迫力たるや相当なものになりそーとの期待を抱く。来月にもギネス級Nゲージの見学会があるみたいなんで言って見てまた驚こー。金曜の夜はナンジャタウンで「ファミ通」のパーティーでマスカレードしてる予定。丁髷の侍(ちゃんと剃ってあるぞてっぺんまで)姿なんできっと見れば解るでしょー、一目瞭然で。はあ。


【12月16日】 ある朝起きると胃袋だけが体を離れて床に置かれた皿から勝手に食事を取るようになり、そんな姿を気怠げに見つめる持ち主の美少女の前で胃袋はやがて油っこいものばかりを食べるようになってみるみる太り始める。その余りの太りぶりに見かねた美少女が胃袋を咎めると胃袋は主人である美少女を襲いその体を食べてしまうという短い漫画が石村里沙さんの今年4月に刊行された「サイコグラフィア」(偕成社、900円)とゆー実にじつに奇妙で不思議で恐ろしくおかしい漫画ばかりが収録された短編集に入っていたことを思い出したのは、今日買った最近出たばかりの人気作家によるホラーを読んだからだけど何を読んだのかは教えてあげない。読み終わった人なら「あー」と解るでしょーがつまりはやっぱり人間って不思議だなー、って事で。ちなみに「サイコグラフィア」はあっとゆー間に本屋で見なくなったんで気になった人は頑張って探そー。面白いです。

 別に買ったのは文庫化成った「SFバカ本白菜編」(廣済堂文庫、571円)で巻末に膨大な対談が付いているのがお買い得、ってーか付いてなきゃーたとえ野阿梓さんの短編が追加されてたって立ち読みで済ませちゃうよねまったくもう商売上手いんだからぁ。対談には同じ出版社から選考してアンソロジーを出して絶好調の井上雅彦さんに東野司さんに牧野ねこ、じゃなかった今はホラーの新鋭として大活躍な牧野修さんそして大原まり子岬兄悟のアンソロジストご夫婦で、話すはまー読んでもらえれば解るだろーけどアンソロジーの難しさから短編が売れない現況への不満と知識ばっかり押しつけて果ては「マルペ」であることすら教養として強要する濃ゆいSFな人たちへの反抗心に海外読んでなくて何故悪い的反論と盛りだくさん。評論家への苦言もあって読んだ評論な人がどう思うのかに興味はあります。「そこまでゆーんやったらおもろいもん書いとるんやろな?」って声もどっかから聞こえますが。

 しかし時事ネタってのはやっぱり使わない方がいーなーと思ったのが巻末の梶尾真治さんの短編。別に風俗は出てこないけど協力な脱水症状で死に至る病につけた名前が「A−153」だった当たりに虚ろいやすい季節と流れ行く時の速さを切に感じる。まあ元ネタ知らなくたって楽しめるけど例えば大量殺人に砒素を使うとか懐柔策に商品券を配るとか専務がCMに出て常務に降格されるとかいったネタは今ならまだしも1年先では多分完全に陳腐なので盛り込むときにはご注意を。それは映画「おもちゃ」で街頭にショートパンツ履いて確かスニーカーか或いはサンダルな兄ちゃんが登場しているのと逆の違和感があるからね。

 あと刷り込みってのが重要なことは対談を読むとすぐ解る。捧げた相手に一生を尽くすって言い換えるといやらしくなるから避けるとして、いったい何の事かと言えばそれは電子出版を行う時のフォーマットの話。すでに大原さんが日記だか小説だかをアドビがやってる「PDF」の形でインターネットで販売していることは広く知られているけれど、一方で東野さんは違ってボイジャーの「エキスパンドブック」とか「T−Time」を電子出版のフォーマットとして挙げていて、別にどっちが上ってな議論はないけれど、お互いに何となく自分の使っている方に肩入れしている雰囲気がかすかに漂う.。岬さんなんか「T−Time」の事を「PDFが出てきて、あせって作ったかなという感じ」なんて言ってるし、東野さんなんか新潮社のエキスパンドブック形式のホームズ全集、全部読んだって言ってるもんな。

 はっきり言えば個人的には「PDF」ってデータが凄く重い気がして、かつ家のパソコンで「アクロバットリーダー」が上手く立ち上がらない事もあって超苦手。編者なり作家のレイアウトへの紙と同様のこだわりに、デジタルなのにユーザーが縛られてるって気がするのもあるのかな。逆に「エキスパンドブック」はボイジャーのはげの、じゃない萩野さんを知ってることもあって半分こっちの見方って気もするし、それ以前に読み手がレイアウトなんかをある程度自由にいじって読み易さを追求できるって点が、フリーダムなデジタルっぽいテイストを持っているからなのかしれない。そう思うと「PDF」にこだわる大原岬夫妻がニクニクしげに思えてくるのは、やっぱりこっちにも存分に刷り込まれているからなんだろー。「SFオンライン」はだからエキスパンドブックか生テキストデータで新作を配信しなさい編集さんにも重力さんにも悪いけど、こっちで勝手にレイアウトして読むからさ。

 子会社だったデジキューブを盛り立てる意味があってか、コンビニルートにやたらと力を注いでいた観のあったスクウェアがゲームショップでの販売を強化するってんで有力ショップ20社程と協力、「スクウェア・コーナー」ってのを全国393店舗のゲームショップに設置するとか。ラックを置いて新作ソフトを売るのはもちろん、デジキューブが作ってる攻略本とかCDとかも置いて売ろうってんだからよほど専門店ルートでの売上強化をしたいらしー。一方で専門店からはコンビニみたいなライトユーザーの消費傾向なんかじゃない、もうドロドロに濃いヘビーユーザーの傾向を調べてマーケティングとかにフィードバックしよーってんだから、これはもー本気でショップの売上と情報が欲しいと見える。

 デジキューブの方が今どーなっているかと言えばそれほどまでは、おほほほほな状態にあると言え、だけにとりあえずは会社を作ってコンビニルートを切り開いて、ついでに株まで公開してがっぽり稼いだここを機会に、体制の立て直しを計るって意味も考え方によってはくみ取れる。となるとデジキューブの方への肩入れ具合がどこまで続くか心配になるけど、そっちはそっちででっかいタイトルをどっかんと捌くルートとしての、価値は未だにあったりするから見捨てるなんてことはきっとしない、と思うんだけど甘いかな。ともかくも良いとこ取りな態度だけは見せないよーにしないと、一石二鳥どころか二兎を追う者な結末も可能性としてあるからなー。さても「エアガイツ」「チョコボ」そして「FF8」の動向がとりあえずの注目点でしょう。


【12月15日】 ザラキったジャパン・ミックスをザオラるにはどーすればいいのかを考える掲示板が出来ているけど、そんな不況に敢えなく潰れた他社を横目に、「ピュアガール」にあっさり負けたエロゲー雑誌を出していたアクセラが、今や伝説の「週刊テレビゲーマー」の休刊から苦節1年とちょっとぐらい? いやもっと経ってたかもしれないけれど、ともかくも冬眠状態からこの極寒の出版マーケットに何を思ったか新雑誌でなぐり込み。その名も「ENTa(エンタ)」の第1号が送られて来たのでチョコボが可愛く愛想を振りまくギンギラ銀にど派手な表紙をめくってベラベラ中を見る。表2見開きの「ポケットステーション12月23日発売」がちょっと哀しい。

 をを編集長を何とあの小島文隆アクセラ社長が務めているぞ。社長が編集長なんてまるで「噂の眞相」みたいと思ったけれど、中身は全然「噂眞」みたいなゴシップに埋め尽くされてはいなくって、いやまーちょっとはあるけど(おおむね真っ当なゲーム紹介記事になっている。ホットニュースのページがあって、月刊誌の癖に週刊のゲームランキングが載っていて、もちろん月間のランキングもあるけれどそれより画期的な「売上予想BEST10」なんて神をも恐れぬ企画があって、細かな中身紹介に「一気」「大安定」「いつのまにか」ってな絶賛と韜晦と謙遜でいっぱいの短評が付けられ、買う身になって考えると結構助かりそーな記事内容に仕上がってる。写真とか綺麗だしね。

 総合誌を標榜しているだけあってPSもDCもN64もSS、はあんまりないけどGBとかも割とこまめに対応ソフトをフォローしてあって初心者向けのバイヤーズガイドとしての役には立ちそー。同じ月刊誌だと「じゅげむ」があるけど中身がちょっとポップになってコラムが雑多になって読むところ多々あって表紙が田中麗奈で、ってんならなんだ「じゅげむ」の方が良いじゃんか。いや麗奈様さま様は前号だけなんで同じよーに購入への参考書変わりに使うなら、細かなコラムにオバカがいっぱいありそーで、それよか編集長が自らオバカをやってくれそーな「エンタ」も捨てたもんじゃーねーやと、スタッフひとくち紹介にでっかい写真を載せておられる社長な編集長の超ヒゲ面にエールを贈る。そーかー「ポケットステーション」は「◎発売日 98年12月23日(もうすぐ)」かー。月刊のハンディを質量で補うかが決め手になりそーですね。

 そーか宮崎市定全集は再刊になるか岩波書店と東洋史に興味のありそーな方々に告知しつつ(僕は持ってるからいーもんと自慢しつつ)日本出版販売の週報をペラペラ。遂に刊行なる「星新一 ショートショート1001」の体裁が写真で紹介されていてそのあまりのボックススライム角砂糖賽子ぶりに仰天する。文庫39冊1042編のショートショートを3冊に分けてそれを纏めて箱に入れて、お値段実に3万円は文庫で揃える事に比べて決してお得とは言えないかけれど、貴重さでは人語に落ちない企画だけにやっぱり買わずにはいられない。24日発売はLD−BOXにDVDラッシュの過ぎたコミケ前だけにキツいけど、そこは魂で金を絞り出して本屋に走ろー。さてどこの本屋に大枚3万円を落として差し上げましょーぞよ?

 なんだどーしたバンダイそしてサンライズ。届いたリリースを開けて吃驚あのサンライズが製作する恐竜がモティーフとなったフルCGアニメーションに登場するキャラクターをバンダイが玩具で発売その玩具「ダイノゾーン」は見かけまんまに恐竜でも実に40カ所も可動して人間っぽい形に変形して敵味方に分かれて闘うんだ、とかってまんま「ビーストウォーズ」やねん。値段も主役メカがビデオとセット販売されて3980円で他は980円から2980円と比較的低価格なあたりがやっぱり「ビーストウォーズ」。それでも商品の出来は良さそーだし、だいいちキャラクターデザインがかの大河原邦男さんとあってガンダムな人の心をそそる響きがある。23日くらいから玩具屋に並ぶみたいだからクリスマス直前商戦でちょっとしたサイバトロン&ガルバトロン軍団とのバトルが見られることでしょー。タマが揃わなかった東映の映画館でこっそり黙って売られてたりして。


【12月14日】 とかなんとか怒っていたら、それが秋元康さんの戦術なんだから怒った事ですでに術中にハマってるんだよとの指摘が飛んで来たので弁明を。相手が怒って欲しいと思ってしでかした事したなら、なるほど怒った時点で相手の術中にはまったと言えるだろう。だとしてもそれが真っ当な処置とはいえない事実に、異論を唱えることは必要だと考え僕は怒った。世界のどこの一流と呼ばれる企業が単なるノリで肩書きを上げ下げするのか。商法上の取締役ではないとは言え執行役員とはそんなに軽い肩書きなのか。だとしたら、ソニーやスクウェアのように、執行役員制度を導入している企業にとっても、決して看過できない振る舞いだ。話を聞いてみたい。

 大川功氏をはじめCSKグループの重鎮が居並んだ「大川賞」の記者会見の席上に、会社を代表して出席するような人物の肩書きは、すでにしてCM用とか言ったレベルの薄っぺらなものではない。投資家なりメディアなり消費者の信頼を背負うべき責任のある肩書きだ。CMで道化役を演じさせた手法については、効果的なピーアールだったと絶賛する。だが信頼の現れである肩書きを愚弄する振る舞いは、それを行う企業への信頼を大いに損なう行為だと僕は考える。ノリが解らない奴だと思われるかもしれない。秋元さんにハメられてると笑われるかもしれないが、認められないことは認めたくない。だから怒る。怒って「ドリームキャスト」が売れるなら1ユーザーとして本望。今度は僕が道化を演じる番、というだけのことなのだから。

 って真っ当なことを書いていると頭が電子レンジに放り込んだ玉子のように音をたてて破裂したので、破片を拾って皮を引っ張って繕った後、内圧を下げるために「ピカチュウげんきでちゅう」をプレイする。一所懸命の努力と愛情が功を奏して何とかピカチュウとの同衾に成功、あとは後から抱き抱えてあんなことやそんなことが出来るまで飼い慣らすだけだと、妄想たっぷりの期待に胸膨らませてるんだけど、この「ピカチュウ」が雄なのか雌なのか未確認なのが心配な点。まあどっちだって大差はないんだけどね、って何の大差がないんだろーか。やっぱり寝息はエッチだけど、個人的には「フシギダネ」の「ダネーッ」「ダネダ」「ダネダネダ」ってな声も大好きで、ちょっぴりお間抜けな声聞きたさにお食事会ばかりに言ってます。相変わらず料理はふしぎ料理ばかりになっちゃうんだけどね。

 あの西和彦さんが林健治氏とツーショット! って売れば「フォーカス」くらい買ってくれるかもと思って初台のアスキーへ。記者会見の会場に入るとテーブルの上にはちゃんと鮮やかに「林健治」と書かれたネームプレートが「西和彦」のプレートと隣り合わせで置いてあり、案内にその名前を見つけてまさかと思って真相を確認に来た記者会見で、本当にツーショットを見せてくれることが解ってピューリッツァー賞もこれでゲットと興奮に胸躍らせて始まるのを待つ。会見の内容は小宮コンサルタンツとゆー会社と共同で、インターネットを使って経営コンサルなコンテンツを配信するとゆー、それだけとっても結構注目なビジネスだけど、やっぱりねえ、「林健治」の名前の前では元東銀にして岡本アソシエイツ勤務の経験を持つ小宮一慶さんも霞んじゃうよね。

 さても登場した久方ぶりの西さんは相変わらずの大柄な体をちょっと丸めて登壇、そして集まった記者約だいたい片手から両手の間の前を緊張の様子も見せずに「林健治」さんが現れ席についた。テレビで見ると太って見えるとか違ってみえるのたとえどーりにワイドショーなんかで見た顔かたちとは全く異なる人物で、おまけに肩書きがアスキーのネットワークを使った教育事業推進部だかの事業部長となっている。身柄を拘束されながらテレポートなのか転送なのか解らない独自の技術で渋谷は初台の地に現れる、まずはその超絶的な能力に感嘆するも、時期が時期だけにやはり脱走は不味いだろーと、考え国民を義務を果たすために神楽坂の「フォーカス」か護国寺の「フライデー」のどちらに売ろうかと、PHSのボタンの上で指をさまよわせる。

 なんて同姓同名の不幸な部長さんの顔にご愁傷様な念波を送りつつもインターネットを使って経営実践セミナーを行うってな内容の記者発表をツラツラ。スピーカーの音声レベルを上げるのに四苦八苦する担当者たちの姿に慣れてないのか西さんの前で緊張しているのかと、思案しちょっとした事態にも動ぜず原因を探り解決しよーとする西さんの、知識と同時に最近の事態でおそらく培われたであろーリスクマネジメントへの意識を強く感じる。しかし企業の経営方法について指南する内容の通信講座の発表を受けて、西さんに「どう思うのか」と聞いた朝日の記者に座布団4枚やって間に剣山を仕込むのは忘れずに。答えて「そうだったから必要性が解った」とかってな返事をした西さんにも5枚あげよー。15日からスタートの講座の生徒に西さんん果たしてなるのかな? んでもってアイアコッカばりのプロ経営者として甦って苦境のアスキーを救うのかな。効能をリアルタイムで確認出来そーな講座を必要な人はチェックチェーック。

 『独断と偏見のSF&科学書評』でお馴染みな森山和道さんが毎年恒例な『独断と偏見で選ぶベストサイエンスブック’98』をやってますんでサイエンスブックを読んでる人たちは投票を。僕は疑似科学すら読んでなくって今年もご遠慮のカタマリやります多分。ネットでも稀なサイエンスブックに焦点を当てた企画が注目されて、ページへのアクセスが増えてお仕事たくさん舞い込んでメジャーになった暁には、参上して「わーすれちゃいやよ、わーすれなーいでね」って、「20世紀ノスタルジア」な歌を広末ヴァージョンで唄って差し上げまーす。


【12月13日】 護国寺方面から来た「わたくしでよろしいんですの」な仕事の初校ゲラを打ち返しつつ、真夜中は午前3時に6畳のワンルームで野太い「ピカチュウ? ピカチュウ!」の声を響かせる男30代独身を、とってもラブリーだと思えるあなたを同志と呼ぼう。妻子ある40代もどっかにいるかもしれないけれど、ともかくも「ピカチュウげんきでちゅう」をさわりだけプレイ、もっとマイクから入力する音声だけを便りにコミュニケーションを取る富士通の「TEO」のよーな、固有の時間流と自我を持った人口生命体が登場する一種のコミュニケーションソフトを想像していたら、意外とちゃんとゲームしていてコントローラーで操作する場面も結構あって、短い時間にサクっと触るだけでも結構そのエッセンスを楽しめる。

 とにかく何をどーすれば良いのか(取説読まない性質なんで)解らないんで、ひたすらマイクに向かって「ピカチュウ」と名前を呼ぶか、Bボタンを押して出てくるコメントの色の変わった部分だけを読み上げて、ピカチュウに声のつまったボールをぶつけて反応を見たり、3Dスティックをぐりぐりやって角度を変えて呼びかけてみたりと試行錯誤の連続。カレーを作れば材料が揃わず吐き出しやがるし、キャピターの世話をさせると腹を減らしたガキに飯をやりやがらねえ、ぜーたくで我侭なドーブツ野郎め、なんて怒りは実はまったく全然わかず、画面に登場するコロコロした肢体とそして鳴き声におっさんもうメロメロ。どーやったらいっしょに噂ではAV女優のよーな寝息をたてながら、ベッドで寝てくれるまでに仲良くなれるのかを、夜通し研究にいそしむのであった。ってそーゆー努力がいっしょに布団で寝てくれる婦女子探しに何故向かわん?

 「ガミガミ魔王」こと古田新太の「男のロマーン!」な叫び声が朝っぱらから炸裂する「ポポロクロイス物語」の音声だけをベッドの中で聞き、ちょっと寝てむくりと起きあがってひたすら走っていただけの「ガサラキ」を半分だけ体を起こして寝ぼけ眼で見た後で、本屋に行って新刊なんぞを物色し、「ジプシー」つまりは「ロマ族」について書かれた本を欲しいなーと思いつつ年の瀬の資金繰りの悪化を懸念して自粛し、文芸書のコーナーの隅にこっそり平積みされていた「カサブランカ革命 百合小説の誘惑」(イーストプレス、1400円)ってタイトルの本を、抱き合う2人の裸の美女が描かれた表紙にも構わずに持って書店内をウロウロ。ついでに西原理恵子さんと群ようこさんの凶悪な対談で埋め尽くされた今は泣き「uno」に連載された「鳥頭対談」(朝日新聞社、1200円)を買って帰って読みつつ寝る。起きたら午後の7時だったよ。

 さても「カサブランカ革命」は、夏の「日本SF大会」のプログラムで見たタイトルだなーと思って手に取ったら、当日のメンバーに入っていた大原まり子さんや森奈津子さんや明智抄さんらが作品を寄せているアンソロジーで、ペラっと読んだだけながらメンバーから想像できたとーりに、総じてファンタジー色ホラー色SF色の強い作品が中心で、そちら方面に興味がなくってもオチのある物語として楽しめる。図子慧さんの「超教師」なんか読んで普通のサイコ物かー、なんて思っていたら最後のドンデンとひっくり返されたし、大原さんの「妖怪デパート」も好奇心が馴れ合いへと変わるなかで刺激を求める人間の叫びってのが伺われて惹かれる。森さんのは、まあ、それなりに。「女性のためだけに創作された」と帯にはあっても、読んで男でも損はない。ちょっとは使えるし(何にだ?)。

 「K−1グランプリ」で佐竹はボロボロ。ここのところインタビューで応えている場面もなければバラエティーで怪獣のことについて喋っている姿も見ておらず、格闘技に一意専心しているのかそれとも前に「噂の眞相」にあったように恍惚の人化しているのかと想像してみたりもするけれど、それ以前に膨らみたるんだ腹の方が目に厳しく、叫ぶだけのアナウンサーがその筋肉をやたらと誉める解説は耳障りなだけでなく滑稽ですらあり、リングサイドに陣取る芸能人ばかりを映す画面はマンネリ気味で、テレビという媒体の持つ愚劣で醜悪な側面が浮かび上がって嫌になる。試合はアーツがフグを圧倒して優勝、鮮やかにノックアウトで決まる「K−1」の醍醐味にあふれた迫力たっぷりの試合が再びの人気爆発に繋がるか否か。目ん玉としては盛り上がって欲しーけど、営業中な会社も秋波送ってるからなー。

 愚劣さと言えばフジテレビに輪をかけて愚劣に思えるのがセガ・エンタープライゼスが行った湯川執行役員専務の常務への降格人事。「ドリームキャスト」の生産遅れに責任を取るって事らしいいけど、確かに誰かが責任をとらなければならな事態ではあっても、生産には無関係な流通・ソフト担当の湯川氏を降格させるのは筋違いも甚だしい。ましてやそれを「DC」の宣伝にしまおうとする態度は、決して面白がれる筋合いのものではない。誰が差配しているのかは知らないが、図に乗るのもいいかげんにしろと声を大にして訴えたい。

 信賞必罰が達成できない組織において人心は必ずや乱れ、離散から崩壊への道を歩むこと必定。逆にその程度の重みしか専務なり常務の役職が持たないのだとしたら、誰も上に向かって仕事なんかしなくなるぞ。とはいえ一連の「ドリームキャスト」関連報道で、CMに出たことそれのみを理由に湯川専務のみをフレームアップし、11月27日の発売日にも秋葉原を歩いていた入交昭一郎社長を放っておいて、湯川専務の言動を追い続けたメディアが少なからずあったのも事実で、今回も存外面白がってしまうのかもしれず、今後のセガの対応と、メディアの受け止め方を注意を持って見た上で、改めてセガの敗北を予想したい、って負けるのか?


【12月12日】 土曜日だけど来週月曜日が休刊日ってことで誰も来ない会社の留守役として休みなのにテコテコと会社に行く。筈だったのに途中で何故か足が日本橋で止まってしまい、気が付くと高島屋のエレベーターに乗って5階の玩具売場へ。多分ここならあるだろーと遺伝子に擦り込まれた情報が手足を無意識に引っ張っていったらしく、エレベーター正面のワゴンに山積みとなった「ピカチュウげんきでちゅう」(任天堂、9800円)を見つけた次の瞬間に手に取りレジへと運んでいた。ボクの心はもうピカチュウにビリビリさ。へい。

 会社についてネットうろうろ。最近の日課はニフティのデータベースで企業の財務情報を調べることなんだけど、いきなり「ジャパン・ミックスが自己破産申請へ」の記事を見つけて仰天。早速中身を改めると、10日に不渡りを出して事務所を閉鎖し自己破産の準備に入って、14日に申請する見通しとなったとか。負債総額が10億円は売上高が15億円くらいの会社にしては多い方なのかな。理由は資金繰りの悪化によるもので、「ヘッドプラス」とかの失敗があったとは言え、資金需要の高まる年の瀬に銀行の貸し渋りも加わって行き詰まってしまったんだろー。客観的に見ればよくある話、でしょう。

 ただし主観的に見れば知ってる人が作ってる雑誌がここん家の刊行物ってことで、早速その雑誌「ピュアガール」にいろいろ書いてる加野瀬未友さんの「ARTIFACT-人工事実-」を見ると、冒頭で概況が説明してあって雑誌も「休刊」とあって残念な思いと今後の去就への懸念が浮かぶ。ただし読むと単体ではしっかり利益を出していた「ピュアガール」だけに、どこか引き取り手が見つかる可能性も他の媒体に比べれば低くはないよーで、それだけでも少しは安心できそーな感じ。「絵」への拘りとライター陣の梁山泊ぶりでは同種の他誌を寄せ付けない存在感があっただけに、どこかまんまの形で引き取り手が見つかると良いですね。アクセラあたりでまたやらない?

 しかし思い出しすと「噂の眞相」の最新号で毎月高齢だったジャパン・ミックスの広告コラムが今月発売の号で何故か最終となっていて、あるいは出稿の段階から相当に厳しい状況に見舞われていたのかもしれないと想像する。すでに広告を読んだ時にあるいは? と思ったことも事実だけどこうも足が速いとは思わなかった、まさに貸し渋り恐るべし、でありましょー。にしても「サルでもわかるパソコン」シリーズで有名な同社で、1番名前の通った書き手のいしかわじゅんさん、やっぱり大変な事態になっているみたいで数百万円の未払いが今後果たしてどれだけ回収できるのか、場合によっては知らないけれど大陸書房の時にも似た状況が起こるかも。師走を越えても吹く風は冷たそーだなー。

 会社では「月蝕歌劇団」から届いていた次回公演の案内なんぞをワープロでベカベカ。すでに知られているよーに、来年の1月20日から24日まで、月蝕を率いる高取英さんの代表作と言ってもよい「聖ミカエラ学園漂流記」が、大塚にある萬スタジオで都合8公演にわたって上演される予定。高取さん曰く「ヒロイン・美村亜維子を演じる役者がいなかったせい」で封印されて来たこの作品を、前回の公演から実に8年振りに上演するに主役にキャスティングされたのが一ノ瀬めぐみ。95年のVシネマ版でも演じているとはいえ、やはり本家の舞台だけに直前の「疾風のまつりごと」以上の関心をそれに比例した厳しい目が集まるだろー。

 しかし抑圧された女子高生たちが自由を叫んで闘う、ってな大枠的な(もちろんテーマはもっと深くて思いけど)ストーリーが、かつてのよーな「校内暴力」とか「校則」とかって問題が健在化していた時代だったらまだしも、あくまでもごくごく1部とは言えメディアではことさらにフレームアップして語られる「援助交際」を例に引き、傍目には解放されまくりなイメージすらある女子高生たちを主人公に据えて、時代に合った物語が描けるんだろーかとゆー疑問はある。まあ大多数の未だにギュウギュウと締められ窮屈な思いをしている若者たちには、メッセージが伝わる可能性はあるだろーけど、都会のド真ん中で行われる今回の公演だけに、どれだけの説得力を持った物語に仕上げられるのかを、ちょっち注目したい。

 折角なんで何故かすでに購入済みのアニメ版「聖ミカエラ学園漂流記 完全版」のLDを見る。そっかー、こーゆー話だったんだと改めて思い、結構エロいアニメのよーな舞台が演じられるんだったらこれはもーかぶり付きで見なくちゃなんないなー、と思ったりもするけれど過去の舞台ってどんなだったんだろー? 実は藤原カムイのデビューの頃からのファンとは言っても「聖ミカエラ学園漂流記」だけは読んだことがなくって、お話自体が結構エロいのかあるいはOVAだからエロくしてお客さんの関心を惹いているのか知らんのです。いずれいしても来月には確かめられるはずだから、万難を廃して公演にはかけつけたい。期待しちゃって、いいかな?


【12月11日】 GAGAで「猿の惑星」を見る。ジェームズ・キャメロンが主演でテイラーをアーノルド・シュワルツェネッガーが演じた新しいバージョン、なんてことはまったくもって大嘘で、その昔っても30年程度のことだけどかのスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」と期を同じくして製作されて公開されて、あっちがカルトな人気に半ば伝説と化したのに対して、メジャーな人気を獲得して劇場映画としてもヒットを記録し、その後何度もテレビで放映されて見ていた子供たちに圧倒的な物語性とラストの衝撃的なビジュアルでもって文字どおりの「センス・オブ・ワンダー」を植えつけた、フランクリン・J・シェフナー監督、チャールトン・ヘストン主演の「猿の惑星」のことですね。

 何で今頃ってのは同感だけど聞くと公開から去年が確か30年で、それを記念してかの名作をニュープリント・新訳でもってリバイバル上映するって主旨らしー。だったら去年やれよ。さて感想と言っても「猿の惑星」だからもう何度も繰り返しテレビなんかで見ていてあの衝撃的な結末はたいていの人は知っている訳で、きっと紹介の時なんかでも海岸にそびえる何たらって言葉が出てくるだろーとは思うけど、まだ見ていない若い人たちもきっと大勢いるだろーからそこは黙して、とにかく見ろとだけ言っておこー。人種差別の問題も、抑圧された若者たちの大人たちへの反抗も、そしてもちろん人類の愚かさへの告発も含まれた話にきっと感じるところがある筈だから。

 んでもってテレビでずっと何度も繰り返し見ていて、物語もラストもぜーんぶ知っているよって人にも、驚く場所はたくさんあるからやっぱり見れと強く言おう。個人的には何が驚いたかってテイラーの声が銭形警部じゃないのが1番の衝撃で、テレビ観賞派だった身には英語を喋るテイラーって実は初体験だったりして、もちろんジーラもコーネリアス(小山田圭五のユニットの名前の元ですね)もザイラスもちゃんと英語喋ってて吃驚。コーネリアスってテレビ版では誰があててたのか覚えてないけど、英語でもちゃんとおどおどとして腰が引けてる声を出してて日本語版で受けたイメージをまんま受け継いでいる、ってこれは逆か。ジーラって中村メイ子が5話ある何話か演ってたっけ? このへん記憶が曖昧。

 曖昧とえばテレビの放映枠に収まるよーに1時間52分ある本編からカットされた部分も相当にあったろうけど、どこがそーなのか思い浮かばない。テイラーといっしょに「猿の惑星」に降り立ったランドンとドッジのうちランドンは後で衝撃的なも半モヒカンの頭になって登場するけど、ドッジが「ニンゲンの暮らし」的博物館に剥製として展示されてる場面ってあったっけ? ほかにも初めて見たよーなシーンがあってテレビじゃ見れない面白さ、ってのが劇場にはあることを改めて知る。ノバ演ってたリンダ・ハンソンのナイス・バディぶりも子供の目じゃーよく解らなかったしね。

 しかしもらったA4コピーのプレスにある日野康一さんの解説は、なあ。いやトータル的には誉めてるし蘊蓄話もありがたいんだけど、最後の段落の「余談だが大手レコード会社が新卒試験に『梅干し』の題名で小文を書かせたことがある」で始まる1文が謎。「受験者は『ある惑星に着いた自分はなぜかモテにモテた(中略)その惑星には梅干しババアばかりが住んでいた(後略)』と書いて合格した。SFはこんな発想の展開から生まれる。」と結んでいるけど、10の時からアマとしてSF読みを続けている程度の年季の浅さでは、こんな発想から生まれれるよーなSFって何なのかをちょっと考えつきません。おしえてプロの人。

 「ブギーポップ・イン・ザ・ミラー パンドラ」(上遠野浩平、550円、イラスト・緒方剛志、電撃文庫)読了、良い話。6人の仲間が集まって何かやってるって状況が説明され、それぞれの抱える問題がつまびらかにされ、そこに横槍が入って助けがはいってって展開の中で芽生える友情とか信頼とか愛情とかって乗れれば気持ちにグッと来るはず、なんだろーけど対人関係にいささかの問題がある、とゆーよりガキの頃から友だち作りが苦手で年賀状なんて毎年10枚も来ず双子の弟に圧倒的な差をつけられてイジけていた身には、愛憎悲喜こもごもでのフクザツな読後感が残りますです。

 とはいえ、生きていることの意味とかを乾いた文体ながらも割かし真正面から考えさせる物語って意味で、「ブギーポップは笑わない」(メディアワークス、550円)の頃から流れるテーマが描かれ続けているって訳で、何だか世間とか命に対して投げ遣りになってしまった世の中に、とても意義のある作品であるとゆー感想は変わらない。ブギーポップの正体が背後へと引っ込み狂言回し的な役割のみが顕著になって、「2重人格」物としての楽しみが味わえなくなったのは残念だけど、存在感だけは未だ健在それどころか増してさえいるので問題ないです。冬コミでは何人のブギーポップに遭えるかな。


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